« 2006年7月16日 - 2006年7月22日 | トップページ | 2006年7月30日 - 2006年8月5日 »

2006/07/28

本物に触れてもらいたい

Wl_1
夏休み前半の仕事の調整をして午前中を過ごす。
宿の確保や交通手段の確保。ほぼ完了。ふう。
あとは、天候次第である。

            ◆

午後は八月末の夏休み中の集中講義で御呼びしている、ゲストティーチャーの先生方についての事務仕事を中心に行う。

私が集中講義で行うキャリア開発演習1、キャリア開発演習2、特別活動論の3つの授業で、合計4人の先生方をお呼びする。私がお付き合いさせていただいている先生方で、超一流の先生方をお招きする。

思うに、本物に触れることが教育はとても大事だろう。今回の授業は大学1年生と大学2年生を対象としている。教職を目指す学生が受講生である。

教師になろうとする志を持った学生達に、本物に触れてもらいたいと練りにねって考えたゲストティーチャー陣である。

            ◆

学生達は、自分とそのゲストティーチャーとの差に愕然とするはずである。
教育の奥深さ、豊かさ、複雑さ、面倒臭さなどに、教師になることに恐れをなすかもしれない。
でも、私は大学1年生と大学2年であれば、それでいいと思っている。

(ま、こんな感じで教師をやっていけばいいんじゃないの?)
と、教育を舐めてもらってはこまる。
自分がその場所にたどり着くには、もの凄い勉強をしなければならないのだということを実感してほしいのである。

教員採用試験に合格するのはゴールではなく、第一歩目であり、それから逆算したらいまの自分の位置はゲストティーチャーの先生を基準とするとどこなのかを確認してほしいと思っている。

それが勉強の始まりだと考えている。
私も授業を受けるのを楽しみにしている。

写真は、研究室の前の池に咲いた睡蓮の花です。

2006/07/27

前期の授業終了

午前中から午後にかけて大きな一仕事を終えて、落ち着いた気持ちで大学に向かう。
今日は、前期の最終授業。終業式の無いのが大学。だから、授業が終業式もかねることになるのかな。

今日の授業は、句会のリベンジと前期の授業の作文による評価。作文の評価は、書き込み回覧作文で行う。

学生の感想には、私が指導の目標としていたポイントを理解してくれているものが多く、ちょっと安心した。私がこの前期の国語科教育法1でずっと意識していたのは、

「学習者としての大学生から、指導者としての大学生になる」という意識改革であった。

            ◆

橘の学生は、やることはきちんとやっている学生が多いと思うのだが、自分に自信がないのかそれを表に出すことが苦手である。まだまだ勉強している途中なので、指導者になるのが怖いという思いを抱く学生が多いのだ。

これをなんとかしたいなあと思って授業を続けてきた。だから、私は授業ではことあるごとに、
「君たちは教師になるのですから〜」という枕詞を付けて話していた。

そこの意識改革が出てきていると思われる作文が多かったので、良かったと思ったわけだ。
自分は指導する立場に立つんだという肚のくくり方ができれば、真面目に学ぶことのできる橘の学生は、疑問や不安に立ち向かえると思う。

            ◆

後期に対する期待も書かせた。

分かったことが、できるようになるのかという不安。
授業の指導案の書き方が分からないという不安。
生徒の言葉に丸め込まれてしまうのではないかと言う不安。
私の説明が生徒に伝わるのだろうかという不安。
黒板の字がうまくならないという不安。

そして、これらの不安に立ち向かおうとする決意が読み取れた。
私には、これらの不安を取り除くためのヒントを与える授業を期待してくれている。

うしゃあ、やりましょう。
9/21からしっかりとやっていきましょう。

後期は授業内で実際にやってみる場面がもっと増えますから、しっかりとね。

定期考査を作ってみる

高校へ授業に行った関係で大学の授業ができず、その振替で月曜日の2限に授業。テスト問題作りと採点方法などの授業。テスト問題作りの大変さをづーんと理解したようであった。

「先生ってとても大変」

という授業感想だらけ。でしょ、だから「先生はとっても良い仕事だけど、とっても大変な仕事だよ」って授業で話したでしょ。私、正直です。

でも、大丈夫。こんなレベルのことを大学の授業で学んでいる大学生はほとんどいないから。他の大学生が学校現場に入ってから初めて大変な思いをするのを君たちは今しているんだから、学校現場に入ったら大丈夫。だから、学校現場に入らないともったいないよ。

S1 はじめてテストを作ってみましたが、自分のパソコンの使えなさを実感しました。メディアセンターの先生にいっぱい質問しながら作りました。今日のテストの前の先生のお話で”書道では先生に選んでもらうのかな”と思ったというのがありました。そういうことを、気づくか、気づかないかが私と先生の違いの一つなんだなと思いました。(勝手に比べてごめんなさい・・・)私が先生の立場だったら、「自分で選びなさい」と言うだけで、書道のことなんか気にもかけなかったんだろうなと思いました。私も色んなところに気づける力をつけなければいけないなと感じました。

T うーん、君は視点が豊かだねえ。自分を客体化して物事を見ることができるようだね。簡単に言うと、
(私ならどうしただろう?)
と考えることができるんだね。
ま、今回はたまたま私の予測が当たっただけだとは思うけど、一つここから教訓を導き出すとすれば、子どもの現象に教師の予測と違うことがあった場合は、
(何か子どもに特別な理由があるのではか?)
と一歩下がって考えるようにすると良いと言うことだよ。
もし、怒らなければならない場合であっても、一歩下がって考えてからでも十分に間に合うと思うよ。下がらないでそのまま怒ってから教師の誤解があると、生徒との人間関係が壊れてしまうからね。私もこれでよく失敗したよ。
あ、それからパソコンは十分に使えるようにしておくことね(^^)。

S2 教師というのは、テスト問題を作って採点するという作業だけでも、本当にやること考えなければならないことがたくさんあって大変だなあと改めて実感しました。あと、テスト問題はもちろん、あらゆることに対して説明ができるようにしておかなければならないということを学びました。テスト問題を作るのはけっこう時間がかかって大変な作業だったということも学びました。

T 正確に言うと、「あらゆることに対して説明ができる」というのではなく、「基本的な事項については説明できる」であり、「分からないこと」に対しては、「きちんと調べて説明することができる」です。「分からないことを適当に説明する」が一番まずいですね。

S3 テスト問題を作る課題は、何をどうしたらいいのかが、わからず、すごく考えた。教師はこういうテスト問題を毎回作っていると思うと感心した。今日の授業でテスト問題を事前に作っておくと言う方法に驚いた。確かに事前に作ることは、教材研究になるしいい方法だと思った。テスト問題を作り、テストをすることは、子ども成績にかかわってくることだから、子どもが見やすくわかりやすいテストを作ることが大切だと分かった。

T テスト問題を見れば、その教師の授業がだいたい分かってしまいます。つまり、その教師の指導の力量がわかるということです。もちろん、教師は良い問題を作るために仕事をしているのではありません。いい授業をするのが先です。ですが、授業とテストはそういう関係にあることは知っておいていいでしょう。

S4 まずはテストを作ることにこんなにも時間がかかるとは思っていませんでした。お互いのテストを解いたけれど難しいものだと思った。中学生のテストがとけないのかと思うと自信がなくなった。評価する大切さ、説明責任、クレーム。今日は教師のこわい面をたくさん学んだと思いました。私が作った初めてのテスト大切にしたいと思います。

T 教師という仕事は「とっても面白くやりがいがある」一方で、「とっても大変で精神的に疲れる」仕事でもあります。ですが、前者が後者をかすかに上回っていることは事実だと思います。
こわい面をたくさん学んだとのこと。大丈夫。そんなことを大学の授業で実際に学んでいる学生はそんなにいないから。良くあるのは、学校現場に行ってからこの怖さを実感するというものです。今、実感しておけば学校現場に出た時は大丈夫です。だから、早く学校現場に出ようね。

S5 筆者のきもちのよみとりもんだいで、自分が書いてほしかったのと反対のことが書かれていました。正直点数がつけられませんでした。この問題は間違っていたのかなあと思いました。問題を作るのも難しかったけど、解答をつける方も難しかったです。

T つまり、テスト問題を作ると言うことはある種、究極の教材研究になるわけです。なぜ、点数が付けられなかったのか、どうしたら良くなったのかをじっくりと考えてみてください。

S6 テストは、今まで受けてきた中で、どうしてここがこんなに減点されているのか分からないと思ったことは私も今までたくさんあったし、生徒たちの疑問に思う点だと思うので、教師は採点基準を本当に明確にしておかなければならないとすごく今日実感しました。

T そうです。今、またはこれからも教師に必要になるのは「説明責任」です。何が正しいのかということを証明するのは非常に難しいのですが、手続き的な正当性を証明することが正しさに繋がると考えられます。自分の指導の記録を残し、何を基準にしているのかを明らかにする。それが大事なポイントです。

S7 テスト問題を作ることは、思った以上に大変でした。どういう問題を作るのか、というのはもちろんのこと、レイアウトをそろえるのもかなり苦労しました。ちょっとしたことで、ズレてわけが分からなくなってしまい、何回もやりなおして、テストを作るのは本当に大変だと実感しました。パソコンをもっと使いこなせるようにならなければいけないと思いました。

T ただ、一度覚えてしまえば難なくできますし、前に作ったテスト問題のレイアウトもそのまま使えます。だからパソコンは楽なんです。ですが、気をつけてね、君たちが教師になった時、その一年目は非常に忙しいです.新人の研修がもの凄い分量あります。だから、教師になってからパソコンの使い方を学ぶとか、テスト問題の作り方を学ぶなんて暇は、ほとんどないと思ってください。一番忙しい時に、一番大変なことが押し寄せてきます。今、きちっとやり方を身につけておいてください。

S8 問題を作ることだけに必死になっていたけど、テスト問題のレイアウト、解答用紙の作り方等、配慮すべきところがわかりました。教材研究をしっかりして、テスト問題を作りたいと思います。先生って大変だなあと改めて思いました。

T レイアウト、解答用紙の作り方などの配慮は、生徒が解答の時に混乱すること無く答えが書けるようにするということを目的としています。社会に出れば、そういう細かいところも自分でチェックしながら答えなければならないとは思いますが、生徒のうちは、配慮から入りましょう。

S9 今回テストを作ってみて、今まで解く側でしかなかったので、良い経験になりました。しかし、テストを作る上での留意点は想像以上に多く、友達のものと見比べてただけでも、いかに自分の考え方や気配りが足らなかったかよく分かりました。丸の付け方一つにも意味があって注意が必要なんだと思いました。うちの両親もテスト前は私よりも苦しんでいたました・・・。

T 教師になるには、いや、教師としてちゃんと仕事を続けて行くには、もの凄い知識と技術が必要なのだと言うことを理解できてきているようですね。覚えていますか? 教師に必要な力は、「管理の力」「指導の力」「人格の力」の三つです。テストはこのうちのどこだと思いますか?学ぶことはたくさんあります。前向きに生きましょう。

S10 テスト問題を作るのは本当に大変でした。国語は絶対これ!!!っていう答えがない場合もあるので、答えを作りながら自分で「本当にこの答えであっているのかな??」と思ってとても不安になりました。あと解答用紙の欄の作り方がわからず大変でした。欄の高さもバラバラでもっと勉強しないといけないと思いました。教師は本当に本当に大変だと改めて思いました。

T 「国語は絶対これ!!!っていう答えがない場合もある」場合は、問題にしないことです。そういう問題を出せば、採点ができなくなるのは当然です。揺れる問題を出す場合には、部分点の基準を明確にして、出題しなければなりません。
でないと
「結局国語って、勉強しても意味が無いよね」
という子どもを育ててしまいます。
それは、教師の責任ではないかと思っています。

S11 自分の作った問題を解いてもらって、採点の難しさを感じました。不正を防ぐことは本当に大切だと実感しました。採点ミスはしない方が良いというのも自分の経験上わかっています。答案もすべて返ってきて、最後に自分のテスト結果が返った時に点数が自分が取った点よりー50点でした。焦って先生に泣きつきにいったことがあります。この経験から私は採点ミスはしないと思っています。

T 先生達も採点ミスをしようと思ってしているのではありません。しかし、テスト後の採点のできる時間の少なさが現実としてあります。たとえば、テスト後の休日の土日を採点の時間として行事を組み込んであり、なおかつ、その土日は部活動の試合が入っていたりします。生徒は、テストが終わればクラブをしたいからすぐにクラブが始まります。すると、それを指導する教員は採点の時間がないのです。
もちろん、これは生徒に問題があるわけでなく、仕事としてテストをしている以上、教師のミスはあってはならないことです。ですが、そういう事情の中で必死にやっていくのが先生なのだと言うことを理解することは大事だと思っています。ミスをしようと思ってミスをする人はいません。だから、採点ミスが出ないような出題形式を工夫するのです。思いだけでなんとかなると考えるのは、私は危険だと考えています。

S12 採点にもきちんとした方法があるということを知った。今回もまた知らなかったことが出てきた。今まで私が教えてもらった先生の中に、正しくないと言われた採点方法の先生がいたので、それには驚きました。テストを作る作業といのは本当に大変で4問作るだけでだいぶ苦労したので本物のテストを作成する時は、もっと大変なのだろうと思いました。今日指摘されたところは、きちんと直したいと思います。説明もできるようにしたいと思います。

T 楽しむ側と、楽しませる側。指導される側と指導する側。演じる側と見る側。立場が変われば同じことであっても全く違うものになります。君たちは小学校からずーっと学校に来ていますが、ここにきて、そう教職課程を本格的に学んできて同じ学校でも生徒の側から、先生の側で物事を見ることを、私は求めています。見え方が全く違っているということは、勉強が進んでいると言うことでありましょう。それは、良いことです。次は、自分はどのようにやるのかと考えることです。さあ、それは後期に国語科教育法2でやりますかね。

さあ、これで前期の『修学』はおしまい。
身体に気をつけて、充実した夏休みを過ごしてください。私は多分、東京と滋賀の行ったり来たりです。
次の授業は9/21です。ちょうど中学生を教えに行く日だね。休み中にメーリングリストでいろいろと届く思います。良く読んで備えてください。
それじゃ、また。良い夏を!!!

(教科通信 修学 NO31、32、33より)

2006/07/26

夏休みなのか?

研究室の前は森である。
久しぶりの青空に、蝉時雨が心地よい。
さすがにこの時間になると、その蝉時雨の中に蜩が重なり、
これはこれで、切なく、心地よい。

            ◆

明日は私の前期の最後の授業。
私の授業の終了と同時に梅雨明け宣言が出そうだ。

大学は終業式が無いからなんとも区切りがつかないという気持ちが、今はある。
もちろん、今は二期制の学校が多いから、夏休みの前に終業式はやらないところもあるだろう。

でも、それでも全校集会はあるだろうなあ。夏休みの過ごし方やなんやらの注意をしなければならないから。この二期制のときの夏休みに入る前の日のことを、なんと名付けたら良いのだろうか?

            ◆

授業の準備を先に先にとやっておいて良かった。
途中から高校訪問がたくさん入り、追いつかなくなりそうであったから。

で、これで夏休みに入るが、それはそれで忙しい。
そんな中に嬉しい忙しさも一つ増えた。

教員採用試験の一次試験を合格した学生がいる。この学生の二次試験対策をするのだ。折角掴んだ一次試験合格。なんとか二次も通過してほしいなあ。

んだがあ、一次試験が残念な結果になってしまった学生もいる。
おーい、研究室に顔出せよ。色々あるって人生は。私なんか、浪人して留年もしているんだぞf(^^;。(あ、またバカ自慢してしまった)
次のこと、対策立てよう。

            ◆

夏休みに入ったら暑中お見舞いも書かなければなあ。
糸井先生の発表も見たいし、紀要合評会もあるし、キャンパス見学会もあるし、ディベート甲子園もあるし、花火大会もあるし、授業作りネットワークもあるし、論文も書きたいし、集中講義の準備もしなくちゃだし、後期の授業の準備もしなくちゃだし・・・。

夏休みなのか?

まあ、一日一日を大事にしよう。

2006/07/25

ワーキングプア

働く意欲があるのに、働けない。
または、働いても生活するだけの生活費を手に入れることができない。

「ワーキングプア」というのだそうだ。

先週の日曜日にNHKスペシャルで放映されていた。
重くて、辛い話でチャンネルを変えようと思ってしまうぐらいであったが、
この現実を見なければダメだと思い見続けた。
テレビである。もちろん、編集されている。
しかし、この内容は重たかった。

ニート等の働く意欲が無い人の対策を国は進めているが、それと同等以上に深刻なのは働く意欲があっても働けない人たち、必要最低限の収入を得ることのできない人たちの存在であろう。

            ◆

この現実の中で生きて行く子どもたちがいる。

教師は政治家ではないから、国の政策に関わることはできないという立場もある。しかし、教師は政治家ではないが、市民でもある。そして、目の前にそれで苦しんでいる子どもたちがいるのであれば、なんとか手を差し伸べたいと思うことは自然のことではないだろうか。

社会と子どもを理解することは、教育を進める上で大事な一面である。

http://www.nhk.or.jp/special/rerun/index.html

によると今晩深夜0:00からNHKの総合で再放送があるという。
ビデオに撮って見てもいいのではないかと思う。

2006/07/24

句会を楽しむ

S1 今日は句会をやった。初めて句会をしたが、俳句について知っていると思っていたのに、実際は何も知らない自分にショックを受けた。まだまだ勉強しなければいけないことがたくさんあるし、知らなければならないことと、知っていて当たり前のこともたくさんある。もっと学ぼうと思った。句会は誰の作品かわからないというのが面白かった。

T 知るってどういうことなのかなあと、時々考え直します。「分かるとできる」がセットになって知るなのかもしれませんね。そして、君たちはその先に「指導できる」が付いてくるのだと思います。教育という営みはとても豊かなものですから、簡単にはできるようになりません。だから、生涯をかけて取り組むことができる仕事なのだと思います。じっくり学んでください。

S2 俳句の知識について、基本的なことから分かっていなかった自分が本当にはずかしかったです。かなり反省しました。また挽回のチャンスがあるなら、その時こそはちゃんとした俳句を作りたいと思います。でも、こうやって先生の説明を聞いて、はずかしい思いをしたおかげで、これからは絶対にこんなありえない俳句をつくったりはしないと思いました。あと、テレビ番組が授業のヒントになるんだということが分かってこれからのテレビの見方が変わるかもしれないなと思いました。

T 挽回のチャンスを授業で作ると言うことはとても大切です。一回勝負では事前に知識のあるものだけが成功するような授業になってしまい、授業中に理解した生徒が悲しい思いをします。授業中に自分の過ちを理解しできるようになったのなら、それを表現できる挽回の場を用意してあげることが大事でしょう。次の句会、楽しみですね。

S3 俳句を作るの難しかったです。俳句の作り方の基本的なことも分かってなくて本当に恥ずかしかったです.基本が分かってしまうと、考えすぎて余計に作りにくくなるかもしれないと不安です。でも、精一杯がんばります。

T 基本という用語を誤解していますね。基本は十分に理解しなければなりません。プロだろうが素人だろうが、大人だろうが子どもだろうが、俳句を作る人は基本を理解していなければならないものです。その基本の上に自分の表現があるわけです。基本は難しいものではなく、なければならないものです。

S4 初めて句会と言うものをやりました。「季重なり」というのをはじめて知ったり、感情を表す形容詞は使ったらダメだというのを知らなかったりと自分の力の無さをとても感じてしまいました・・・。でも友達の作った俳句を鑑賞するのは楽しかったです。
先生の言ったことに反応するのは、先生の話を良く聞いているということと言ってもらえて嬉しかったです。でも、このほめ方は、中学生に対してなんですよね(笑)。

T まあ、そう僻まない(笑)。そこは中学生だろうが、大学生だろうが本質は同じなのだから。教育実習に行った時に、生徒から突っ込まれたらこの台詞で切り返すのだぞ。

S5 みんなの俳句は、誰が作ったのかわからないけど、楽しく鑑賞できました。夏は夜というのが、季語でないとは知らなかったです。夏とあるだけで、季語かと思っていたので良い勉強になりました。私の俳句は、清少納言が、枕草子で夏は夜とよんでいるけど、2006年の今も、私も夏は夜がいいなあという思いは変わらないという内容を読みました。でも、まだまだ俳句を作る能力はダメだなあと思いました。

T 正確に言うと、「夏」だけならば「夏の季語」です。ですが、「夏は夜」は季語ではありません。自分の世界を俳句で表現できたら楽しいでしょうねえ。私もまだ勉強中です。

S6 一つ目の俳句がダメと言われたので二つ目はもうダメだと分かっていたのでプリントが配られるのが本当に嫌でした。でも今日勉強したら、俳句のことが少し分かった気がします。二回生の時に授業で先生がよく俳句を作って授業の前に発表していたので、凄いことだなあとあらためて実感しました。次作る時は頑張りたいです。

T 生徒が嫌な気持ちになったとしても、間違いは間違いと正すのが教師の仕事なのですね。それを恐れてはなりません。

S7 メールでも送ったように俳句の力が全くないと思いました。さらに他の俳句で何が良い俳句なのかも分からなかったことが残念でした。俳句の指導ができるようになるのにはまだまだ先のように感じました。次頑張ります。

T 折角書道をやっているのですから、書道の仲間と句会を頻繁に開くと良いのですよ。そして、優秀な作品を筆で書く。面白いと思うけどなあ。

S8 自分が俳句のことを全然知らないことにショックを受けた。この授業を受けて何回もショックを受けている。今までの私の受けてきた授業とは何だったんだろうと思ってしまいました。将来、自分の生徒にそう思わせないように、今からしっかり勉強したい。俳句は5・7・5の短い文に一つの場面を閉じ込めるので作るのにとても大変だった。「ウム苦しみ」を感じた授業だった。普段から色々感じながら生きていかないとな。

T 分かっていると思っていたものが、実は分かっていなかったという思いを私の授業でしているとは実に光栄です。20歳ぐらいでは珍しいことではありません.私は今でもそんな思いをしています。そして、それは別に悪い気持ちはしません。むしろ、心地よいです。なぜならば、それが学ぶと言うことの本質に近いからです。たくさん学んで、その喜びを教師になって子どもたちに伝えてあげてください。

S9 俳句を作ったのが久しぶりでした。5・7・5で季語が入っているのが俳句だと思い込んでいたので、しっかりした俳句の作り方を学びました。今まで何を学んでいたのかと思うと事前勉強はしっかりしないといけないと感じました。作者と作品の切り離しはやらないといけないと思います。中学校の時に意見作文を全員が書いて発表していたのですが、その時クラス委員だからという理由で選ばれたりしている人がいました。それならば選ぶ理由が無いので、作者と作品の切り離しはできる限りしないといけないと感じました。

T 作品と作者の切り離しができるのが、この句会の面白さですね。文章を理解する立場は、大きく三つあります。「テキスト論」「作家論」「読者論」です。この三つの立場のそれぞれから味わえると面白いのですが、中学生ぐらいですと作者だけに引きずられてしまうことが多くあります。つまり、「○○さんが書いたから凄い作品」ということですね。だから、作者を切り離して作品を鑑賞し、その後作者との融合を試みる読解に導くのが良いのではないかと言うのが私の指導方法論です。

S10 今回の俳句の授業で改めて勉強しなければと思いました。逆選で選ぶべきものも初めは全く分からなくて正選におしたりしていて、知らないっていうのは罪だなと感じました。教えれる(ママ)レベルになるようにがんばります。きょうは初めて板書しました。大きく書いているつもりでも意外に小さくて、やってみないと分からないものだなと思いました。練習します。

S11 句会は、ほぼ初めての経験だったと思います。俳句は、季語を入れれば良いと思っていました。しかし、俳句はそれだけではなくて、奥深いなと感じました。俳句を教えられるくらい、勉強しないといけないと痛感しました。

S12 中学の時に俳句を作ったのを思い出しました。今回俳句について勉強したけど、こんなに難しかったのかな??と思いました。みんなの作った俳句はたくさん良いのがあってすごいなあと思いました。もっと勉強しないといけないと感じました。

T もちろん俳句を教えると言うことは大事ですが、この句会では生徒と一緒に言葉で遊ぼうという感覚も必要です。ですが、遊びと言うのは真剣にやらなければ面白くないものです。そこでやはり教師は十分な知識と指導力が必要になるのです。ですが、遊んでいるという感覚もしっかり持ちましょう。でないと、面白い授業にならないですよ。この場合の面白いは、funnyではなく、interestingですけどね。

(教科通信 修学 NO29、30より)

停電

高校へ授業に行った関係で大学の授業ができず、その振替で本日2限に授業。テスト問題作りと採点方法などの授業。テスト問題作りの大変さ、教師の仕事の重さをづーんと理解したようであった。

            ◆

その後、夏休みの間に行われる集中講義の準備や教職セミナーの準備などに取り組む。で、溜まっていた事務仕事を片づけてそれぞれの課に書類を出しに行こうとした時である。

「びびびいびびび!」

と明らかに怪しい、そう宇宙人が登場しそうな電気音が右前方からした。なんだろうと思って面を上げると変圧器が火花を挙げている。確認すると火は無いのでまあいっかと思って校舎に入る。入ると、いつもなら開く自動ドアが開かない。中の電気が消えている。

あれ、なにか臨時にあったけ?

と思ったら停電であった。山科地区全域に渡る停電。ひえ〜〜。
慌てて近くのエレベーターを確認。人は乗っていないようだ。
だけどコンピュータシステムがぶっ飛ぶか、データはぶっ飛ぶぞ。
学生は今レポートの作成時期。バックアップを取っていない学生は、もう一年来年も授業を取ってねなんてことにもなりかねないぞ。

            ◆

みなさん、バックアップとってますか。

2006/07/23

だから、縦ではなくて横に

一日研究室で過ごす。来週が前期の最後の授業になる。
このところ高校訪問などで授業の準備ができなかったので、休日返上で研究室に籠り準備。授業を作る作業は、手を抜けないからなあ。

最後の二回の授業は、定期考査の作り方と評価について行う予定。中学校1年生の最初の中間テストという設定で、漢字試験と長文読解の問題を作る。中学1年生が15分間で解ける程度の分量を作ることという指示を出している。これをお互いに解き合って、相互評価をするつもりだ。

            ◆

さらに来年度担当することになる児童教育学科の授業の一つ、「学級担任論」などのシラバスを作る。研究室に置いてある学級担任関連の本を片っ端から読み直す。

それにしてもやっぱり家本芳郎先生の本は、いい。再読しながら、これらの本で私が教師として育ててもらっていたのを何回も自覚した。

大学院の授業に、「学校経営論」というものがあったのに、学部の授業には「学級担任論」という授業が無いのに驚いたのが4年前。

もちろん、学級担任論という学問が成立するかどうかは、微妙なところであろう。しかし、物事の本質はそこではない。担任学でも担任術でもいいのだが、教師になったら必ずやる担任、その担任の為の授業がないのはおかしいと思うのだ。校長にならない教師はたくさんいるけど、担任にならない教師はいないはずだ。

大学の学問は縦割りでその専門性を極めて行く。だから、道徳、特別活動、生徒指導、憲法とやっていくわけだが、学校現場に入ると一人の生徒や学級の集団はそのように縦にはできていない。様々なものが複雑に、または豊かにかかわり合っているのだ。

だから、縦ではなくて横に学問を展開する必要があるのだ。

            ◆

学級経営論ではなく、学級担任論。学級集団の子どもたちをどう導いて行くのかというより、もっと担任としての多岐にわたる仕事を理解させる授業でありたい。

学生が学校現場に立ち問題が発生したとき
(ああ、そういえばこれは大学でやった!)
と指導の糸口を掴めるような授業。

楽しい学級をもっと心地よいクラスにしたい時
(あ、あのアイディアを発展させたらいいかも)
と実践の発展を望めるような授業。

そんな授業を大学に作ってみたい。
なんてたって、教師の醍醐味、そう、苦しみと喜びの混ざった醍醐味は担任にある。
その担任の仕事を考える授業を作りたい。

今は
http://www.sankei.co.jp/news/060722/sha102.htm
のような時代である。

学生たちに力を付けて学校現場に送り出したい。
そんな挑戦を来年から始めてみるつもりだ。

再会を楽しみつつ、音楽談義

夜、京都駅まで繰り出す。
瑞雲中学校時代担当していた軽音楽部の部員であった、くり君が京都にやってくるという。
卒業してもう8年だ。

彼は芸大でテノールを学んでいる。小沢征爾さんの復活コンサートの合唱担当として今日行われる京都のコンサートに出演するのだという。

駅の近くで再会を楽しみつつ、音楽談義をする。

            ◆

私が最初に出かけていったクラシックのコンサートは、小沢征爾さんの指揮するもので、日比谷公会堂であっった。高校一年生の時だ。年賀状のやり取りをしていた小学校の音楽の先生が連れて行ってくれた。増田先生お元気ですかあ。

『ボクの音楽武者修行』を読んでいた私にとって小沢さんのコンサートは、格別の味わいであった。

            ◆

そして、大学時代。塾に向かおうとしていた満員の急行京王井の頭線車内で、ロングヘアで白髪が交じって、Tシャツでというカッちょいいおじさんを発見したこともあった。どうみても小沢征爾さんであった。
(そうか、確かN響を振るために戻ってきているってニュースでいっていたよな)
興奮した。

小沢さんが下北沢駅で降りる時に私も降り、人波をかき分けて行き
『すみません、小沢さんですか?』
「はい」
『あの、サインしていただけませんか?』
「いいですよ」

大学の帰りに塾に向かう私は、教科書と採点用の赤ペンしか持っていなかった。
『すみません、ここにお願いします』
「はい、いいですよ」
とっても気さくにサインしてくださった。
人ごみの井の頭線下北沢駅ホームでである。
『あの、コンサートには行けませんが、頑張ってください』
「はい、ありがとう」

いやあ、感動したな。

            ◆

その小沢さんのステージに教え子が立つ。
嬉しいねえ。
良いコンサートになりますように。

« 2006年7月16日 - 2006年7月22日 | トップページ | 2006年7月30日 - 2006年8月5日 »