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2006/08/19

桃ビール

もうそろそろ値段もこなれて、良い桃が出回っていることだろう。
福島のあべたかさん、山梨に親戚のいる佐内さん。
そりゃあ、やるべきでしょう。
桃ビール。

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1)グラスに冷えていない桃を入れる。

冷えていると、桃の香りが出にくくなります。桃の量は、好みで。私はまるまる一つ入れるという贅沢もします。

2)あまり冷やしていないビールを注ぐ。

冷蔵庫で冷やすよりは、水道水で冷やすぐらいが良いです。冷えすぎるとビールの香りと桃の香りが混ざりません。

3)香りを楽しみつつ、味わう。

桃を解してから飲んでもよし、口の中で噛み締めながら飲んでもよし。

さあ、今晩はみんなで桃ビールだ。

2006/08/17

みちはこたえない。みちはかぎりなくさそうばかりだ。

家にある電化製品は、クーラーだけになった。聖蹟桜ヶ丘も最後の夜になった。

テレビ、冷蔵庫、洗濯機、ビデオと最後まで残っていた品々は、かつてお世話になったところで再利用してくれるというので、昨日引き取ってもらった。ありがたい。

            ◆

そして昨日の夜は、昔の仲間と一杯やる。
急にだったのだが、集まってくれて楽しくやる。

これからの教育界の方向がどこにいこうとしているのか、最先端で感じている仲間達と延々と飲む.美味しい魚、美味しいお酒、楽しい仲間。嬉しいものだ。

            ◆

今日は、聖蹟桜ヶ丘の家の貸し出しの手続きを一つ終えた。
いくつかの会社に頼み、借り手を待つことになる。
大事に使ってくれる人が見つかるといいなあ。

            ◆

夕方は、府中にあるお気に入りのパン屋に出かけて行き、大量にパンを買い込む。明日の朝ご飯と大津に戻った時に食べるパンだ。美味いんだなあここのパン。

さらに、府中の伊勢丹でキッコウゴ醤油をまとめ買い。五日市にあるキッコウゴ醤油は、私のお気に入り。関西では買えないので、まとめ買いをした。これで日本海の美味しい魚を食べるのは楽しみである。

            ◆

で、府中で手に入れた調理パンを前菜にして、多摩川縁で夕涼みをしながらビールで楽しむ。ちょっと前まで見えていた多摩川沿いのボーリング場が無くなり、赤いライトがなくなった。まさか、あのボーリング場がなくなるとは思いもよらなかった。

行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず

しかし、良く言ったものだ。
失うものがあれば、新たに手にするものもある。一つを失うことなしに・・・、あ、そうだ、真壁仁だ。

引用開始 ーーーーーーーーーー

峠  真壁仁

峠は決定をしいるところだ
峠には訣別のためのあかるい憂愁がながれている。
峠路をのぼりつめたものは
のしかかってくる天碧に身をさらし
やがてそれを背にする。
風景はそこで綴じあっているが
ひとつをうしなうことなしに
別個の風景にはいって行けない。
大きな喪失にたえてのみ
あたらしい世界がひらける。
峠にたつとき
すぎ来し道はなつかしく
ひらけくる道は楽しい。
みちはこたえない。
みちはかぎりなくさそうばかりだ。
峠のうえの空はあこがれのようにあまい。
たとえ行く手がきまっていても
ひとはそこで
ひとつの世界にわかれねばならぬ。
そのおもいをうずめるため
たびびとはゆっくり小便をしたり
摘みくさをしたり
たばこをくゆらしたりして
見えるかぎりの風景を眼におさめる。

引用終了 ーーーーーーーーーー

自分が中学時代に覚えた詩だ。
こんなところで、思い出すとは。
私の教え子達も、少しずつ教えたアンソロジーとしての詩や名言を、こうしてどこかで思い出してくれているのだろうか。

            ◆

聖蹟桜ヶ丘の美味しいものとえいば、プリムベールというケーキ屋さんの「ロールケーキ」。閉店の直前に見てみたらあったので、ゲット。

その後、ウブリアーコで最後の食事。どうしても食べたかった、生ウニのパスタがあり、注文。しかし、桃のパスタなるものもあり、これも注文。

そこに、塾時代の教え子から電話がある。
新潟で元気にやっている。
ひょっとしたら来年大阪に転勤かもしれないとのこと。
また、楽しくお酒を飲みましょう。

桃のパスタが届く。冷製である。
桃のパスタの後に、生ウニのパスタも届く。
どちらも美味し。
お腹いっぱい。
満足。
また来るからね。

良い夜だった。

2006/08/16

父親がブログを始めた

父親がブログを始めた。半年前に作ってあげたのだが、やり方が分からなくなってしまったのでそのままにしておいたのだ。

先日実家に泊まった時に、もう一度私と弟で教えて、やれるようになった。
それで書き始めたのだ。

            ◆

父親にブログを教えることで、大事なことを改めて学んだ。
それは、自分の呼吸で説明してもダメということだ。
教える側の呼吸で教えても学ぶ側は理解しない。
学ぶ側の呼吸で教えなければダメだということである。

この場合の呼吸はリズムと言っても良いかもしれない。
私の教えやすいリズムで教えていても、相手が自分の理解のリズムで学ぼうとしているとき、私の説明は相手に届かないということである。

            ◆

教える側は圧倒的な知識量を持っている。そして、色々な条件に応じて
「その場合は、これ」
という対応の仕方も知っている。

だが、これを説明の途中で始めてしまうと学んでいる側は、どれが基本なのか、どれが本筋なのかが分からなくなってしまい、混乱する。

たとえば、
(ああ、それは右クリックでできるのにな)
と思っていても、それは教えずに、今までに使っていた方法を活用して、本筋であるブログを書くというところまでたどり着かせる。それができるようになったら、
「実は、この部分は右クリックでできるんだよ」
と教えるという順番でやらなければダメだと言うことである。

            ◆

メモにしても、私の頭でまとめたものを出しても上手く行かないことが多かった。私が説明したものを、父親が自分の言葉でまとめた時の方が、圧倒的に理解が進んだ。

子どもへのメモ指導とどこが共通して、どこが違うのかは明らかではないが、この事実を意識することは、学習という営みを考える時に大事ではないかと思った。

            ◆

http://blog.goo.ne.jp/mitsuo1936

が父親のブログである。
良かったら、コメントに何か書き込んでやってください。
喜ぶと思いますf(^^;。

2006/08/15

アフターディベートの勧め

ディベート甲子園が終わって、1週間が過ぎた。

で、一週間経ったのだが、まだあの高校の決勝戦の熱が冷めない。
良い試合だった。

その高校の決勝戦の前夜の戦いの報告をしているのが、名越さんのブログ「でぃべーたぶる」である。実に濃密な時間を過ごしていたことが手に取るように分かる。

また、この高校の決勝戦の主審を務めた嶽南亭さんのブログ「嶽南亭主人 ディベート心得帳」では、主審がどのようにこの試合を見て取ったのかの記録が報告されている。

どちらも具体的で、非常に読み応えがある。

            ◆

ディベートは、大きく三つの部分がある。

1)ビフォーディベート
2)ディベートマッチ
3)アフターディベート

ディベートがテレビ等で取り上げられる時、どうしても2)が中心になる。絵柄としても良いからだろう。ではあるが、この1)から3)を通してディベートは学習者に力を与える。

1)では、立論、証拠資料集め、反駁カードづくり、練習試合を通して、自分たちの議論の作り込みを行う。準備を行う。実は、ここで一番大きく力が育つということも言える。

2)では、試合で自分たちの準備がジャッジに伝わるように、対戦相手を借りて議論を展開するということである。人によっては、ディベートは練習が本番。試合はご褒美なんていう人もいる。

で、1)と2)とで終わらせてしまうのは、実にもったいないと思う。3)をやることで、一区切り付くと考えている。

            ◆

3)には、いろいろな方法がある。

i 今までの取り組みを振り返る感想文を書く
ii 自分の立場で小論文にまとめる
iii 証拠資料で使った論文の著者に、立論と一緒に感謝状を送る
iiii 市長や教育長に、今までの戦いの成果をもとに表敬訪問する
iiiii 取り組みの記録をまとめる

などである。
ディベーターはディベーターで、指導者は指導者として自分の事実をまとめておくことは、一区切りを付ける為にもとっても意味がある。そして、これは、試合が終わった直後の今でなければできないことだと思う。

私も全国大会で準優勝をした時に、子どもたちの記録をまとめた。「2001年ディベート甲子園 楢原中学校ディベート部の記録」
どんな大会でも、記録に残るのは優勝の学校だけである。
だけど、私の指導した子どもたちは優勝には届かなかったが、それに勝るとも劣らない取り組みをしていたのは、私が信じるところである。私の子どもたちの戦いは、私が一番良く知っているし、それを記録として残せるのは私しかいないと思い、半年間の記録を書き残すことにした。

で、思うに今からあの記録を書けと言われても、それは全く無理だとしか言えない。
だから、今、ディベーターも指導者も夏休みの三日間ぐらいは、アフターディベートに力を注いではいかがであろうかと思う。

書く、ということは次の宣言にあるものなのだと思う。

引用開始 ーーーーーーーーーー

学習権宣言(1985年 UNESCO 国連教育科学文化機関)

学習権とは、
読み書きの能力であり、
質問し、分析する権利であり、
想像し、創造する権利であり、
自分自身の権利を読み取り、歴史をつづる権利であり、
あらゆる教育の手立てを得る権利であり、
個人および集団の力量を発達させる権利である。

引用終了 ーーーーーーーーーー

そうである、
「歴史をつづる権利であり」
なのである。

            ◆

ディベート甲子園第11回大会の歴史は、この大会に参加したそれぞれの人が書き残すことで、一つの歴史となるのだと思う。


2006/08/13

『2005年のロケットボーイズ』

夏の楽しみと言えば、仕事関係ではない、楽しみとしての読書をすることが挙げられる。
国語の教師をしていると、どんな本を読んでいても
(を、これは、教材として使えるぞ)
なんて妙な職業意識が出てきて、本そのものを楽しむことがなかなかできない。ので、私は楽しみの読書は授業の無い時にするようにしているのだ。

            ◆

『2005年のロケットボーイズ』(五十嵐貴久 双葉社)
を読み終えた。

前作の『1985年の奇跡』でも十分に楽しませてもらったのだが、今回も安心して楽しませてもらった。パターンとしては特別に新しいものがあるわけでもないが、それだけに安心して、2005年という時を楽しめた。

本当は、お気に入りの日野市の市民プールのプールサイドで、この物語のラストを読み終える予定で読んでていたのだが、例によって後半戦の盛り上がりに、読むのを自制することができず
(えい! 読書ってのはこの盛り上がりを楽しむ為にあるんじゃないか。いま、読み切らずに我慢してどうする)
と思い、結局読み切ってしまった。

満足。

            ◆

私は国語の教師のくせに小説はあまり嗜まないのだが、物語は好きである。だが、人生の厳しい部分を小説で問いかけられても、ちょっと待ってくれ。そんなこと言われてもと思ってしまうのだ。

物語の展開、エンターテイメント性になら、私の時間を注ぎたいとは思うが、辛いことを文字に表しているものを、なにも読まなくても良いんじゃないかと思う。そうです、私はホラー映画を見る人の気持ちも分かりません。何もお金と時間をかけてわざわざ怖い思いをするのは、私には理解できません。

私が能天気だからだろうかf(^^;。

            ◆

『2005年のロケットボーイズ』。これだけ楽しめて1600円は、十分安いと思う。
夏の一冊にどうぞ。

感動の多い一日だった。
さあ、寝るか。

さらばである

午後から、別れの旅に出た。

まあなんというか、今までの人生のほとんどと東京の多摩地域で過ごしてきたので、自分が育った場所を見て歩こうと思ったのだ。それを半日かけて奥さんと車で見て歩いたのだ。

私は都営の団地で20年近く過ごした。
そこで、保育園に通い、お習字教室に通い、剣道を習い、小学校、中学校と通った。小学校は取り壊され地域の教育センターになり、初めて入院した国立病院も、名前を変えていた。中学校の周りには新しい一軒家がどんどんできていた。

さらには初めて教師として教壇に立った吹上中学校にも行った。ブラスバンド部が東京都で金賞を取り、バドミントン部は関東大会に出場したそうだ。

結婚して最初に住んだ教員住宅は、跡形も無く取り壊されて更地になっていた。

            ◆

いやあ、なんというか胸に来るものがあった。

子どもの頃に過ごした団地は、とっても狭く古びた感じになっていた。日曜日の昼だというのに、子どもの姿は無く、私が昔野球をして遊んだ公園や、ビー玉遊びをした公園にも蝉の鳴き声だけが響いていた。

商店街に立つと、端から端まで見ることができた。こんなに狭かったかなあと何回も見直した。あんなに活気のあった商店街はシャッターを下ろしたままの店もあり、時代の移ろいを感じた。

その一方で大人になってから暮らした場所は、大きさは変わること無く印象通りであった。これはこれで実に不思議であった。

            ◆

一つ一つにさよならを言えるのは、悲しいのだが、すばらしく幸せなことなのだろうと思う。少年時代から青年時代への入り口辺りを駆け抜けてきたものに、さよならを言えるのだから。

父親が自分の故郷を私に説明していたように、私は奥さんに自分の少年時代の思い出をたくさん話していた。

そして、
(一つぐらいこの経験で小説を書きたいものだ)
と思った。

ま、思うだけだと思うが。

            ◆

さらばである。

朝方、夢を見る

結果的に新幹線は10分遅れで東京に着いた。
途中、富士山を見ることもできたのだが新聞報道に寄ると富士山には雹が降っていたり、山手線が3時間も止まっていたり大変だったようだ。

            ◆

夜は私の実家に泊まる。
弟夫婦と甥っ子も一緒。
一種の盆休みである。
久しぶりに家族でビールを飲みながら、くだらない話をする。

さすがに二泊三日で900KM以上を移動しての強行軍はしんどかったので、夜は11時前に撃沈であった。

            ◆

朝方、夢を見る。
中学校の時にお世話になった国語の先生、西本先生の夢である。
私が国語の教師の道を歩き始めるきっかけを作ってくれた先生と言っても良い。

なんで出てきたのかは分からない。
(ちなみに、前日は琵琶湖疎水を泳いで渡ろうとするスーツ姿のおじいさんが出てきた。これもなんだかわからない)
分からないが、久しぶりに会えたと思っている私は先生に色々なことを質問する。
すると、先生は

「あー、だからこれはこうで、それはそうで、あれはあれね。参考文献はあれね。池田、読んだ?」

のように懐かしい声で凄いスピードで明瞭に説明をしてくれた。それがまた私には分からないようなフランス哲学や量子物理学の話などをしながら説明するのだ。

(さすが、西本先生だ)

と思いながら、連絡先の住所を聞いたところで目が覚める。

            ◆

よくわからないのは、夢の中ではフランス哲学や量子物理学の話が分からなかったのだが、夢の中で西本先生の頭の中をやっているのは、私である。ということは、私はフランス哲学や量子物理学の話を理解しているのかしていないのか。

ま、確かに大学ではフランス語を第二外国語で学んでいたが、「ケスクセ」を「消す癖」と覚えて喜んでいたぐらいであり、全く分からない。ましていわんや量子力学をやである。

この辺りのからくりを詳しい方教えてください。

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