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2006/01/27

頼もしく思う一方で

本日、都立高校の推薦入試の日であった。
トラブルがあったという連絡もなく、無事に一日が過ぎていった。
私は、授業の準備で一日を過ごしていた。
ディベート部が請け負った和田中学校のHPもほぼ完成となったし、良かった。

二年生の授業では文法の助動詞をやっている。まあ、実際のところ助動詞は橋本文法をすべて理解していないと問題が解けない部分があるのだが、じゃあ、理解したところでどのぐらい意味があるかと言えば、そんなに意味はないのかもしれないと思っている。都立高校の入試問題でも、出題されても5点分しか出ない。

んがあ、自分の使っている言葉が、何がどうなっているのかと考える時に、文法の考え方を知っているというのは良いと思うのだが、いかがであろうか。もちろん、国語の文法と日本語の文法では観点が違うのではあるが。

で、二年生はこのところ、その文法に取り組もうという意欲というか、勉強を使用という意欲が出てきている。ま、私が三年生の受験の話を授業中にしていて
「次は、君たちだよ」
と話しているということもあるのかもしれないのだが、そういう顔をしている。

その顔を見ると、二年生を頼もしく思う一方で、三年生ともあと二ヶ月かと寂しい思いもする。
そうだ、こうして、時は過ぎていくのだ。

2006/01/26

「頭を垂れる」の「れる」は?

授業中に助動詞の「れる・られる」の説明をしていたら、
(う〜〜〜〜〜〜〜ん?)
という顔をしている男子生徒がいた。
『どうしたの? どこが分からないの?』
と聞いたところ、
「先生、【垂れる】はどうなるのですか?」
という質問があった。これは、非常に良い質問である。
どうして、良い質問なのかというと、助動詞の「れる・られる」に関して理解が始まっていないと出来ない質問だからである。そして、学習を進めると多くの諸君がぶつかる疑問を、質問にしているからである。

                   ◆

この質問は、文法の問題では中・上級の問題なので、今回は触れるつもりはなかったのだが、折角だから触れておこう。
まずは、前回の復習だ。

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だから、

1) 濃霧に遮られて、先が見えない。
2) この岬から海峡が見られます。

とあったとき、1)は、「遮ら」+「れ」+「て」と単語に分けることが出来て、これは「五段活用動詞【遮る】の未然形」+「受身の助動詞【れる】の連用形」+「接続助詞【て】」と説明できる。
また2)は、「見」+「られ」+「ます」となり、「上一段活用動詞【見る】の未然形」+「可能の助動詞【られる】の連用形」+「丁寧の助動詞【ます】の終止形」と説明できる。

では、「垂れる」はどうなのだろうか?

                   ◆

「垂れる」は

3) 水が垂れる。
4) 頭を垂れる。

のように使う。この場合、3)の「垂れる」は、自動詞として働いていて、受身や尊敬の助動詞を使うことが出来ない。だから、他動詞として働いている4)で受け身を作ってみる。すると、

5) 先生は慰霊碑の前で、頭(こうべ)を垂れられた。

となる。これを1)、2)のように単語に分解すると、「垂れ」+「られ」+「た」となり、「下一段活用動詞【垂れる】の未然形」+「尊敬の助動詞【られる】の連用形」+「過去の助動詞【た】の終止形」となるのだ。

つまり、「垂れる」は、もともと単語の中に「れる」という言葉を含んでいるのであって、助動詞の「れる」とは関係ないのである。だから

問 「頭を垂れる」のれるは何でしょうか?

とあった場合、「下一段活用動詞【垂れる】の活用語尾」と答えるのが正しいのである。あんだすたん?

                   ◆

とまあ、ここまで説明してもさらに分からない生徒諸君が多いようなので、次の国語の授業では、「文法大質問大会」を行う。

質問用紙に質問を書いて、国語係りに提出してください。1年生のところからでも良いよ。

2006/01/24

「見れます」と「見られます」の違いを考える

あんまり大きな声では言えないが、実は私は大学では文法を学んでいた。正式には国語学というのだが、その中でも萩原朔太郎のオノマトペを研究してた。

現在君たちに教えている助動詞は、橋本進吉先生という学者の唱えた日本語文法の考え方に則っている。違う考え方を持っている学者たちもいるのだが、今はこれがスタンダードである。ここはちょっと勉強しただけでは歯が立たないこともあり、入試には出しやすい部分なので、じっくり学んでほしい。

                  ◆

入試の文法では、助動詞に関する問題が出題されやすいのだが、これはなぜであろうか。ここでは、「れる・られる」という助動詞で考えてみよう。

「れる・られる」という助動詞には、「受身・尊敬・可能・自発」の4つの意味がある。「れる」にも「られる」にもある。これは何を示しているかというと、

・ 形(「れる・られる」)は同じなのに、意味(「受身・尊敬・可能・自発」)が違う

ということを示している。そこで、

・ 同じ形の中に、違う意味のものを紛れ込ませて選ばせる

という問題を作ることが可能になるのである。

                  ◆

さらに、「れる・られる」という助動詞が、「受身・尊敬・可能・自発」の4つの意味を同じように持っているのであれば、「れる・られる」と2種類の単語がなくてもいいようなものだが、実際はある。

なぜあるのであろうか。それは「れる・られる」が、くっつく単語の種類が違うからなのだ。具体的には動詞の活用の種類(五段活用動詞、上一段活用動詞、下一段活用動詞、カ行変格活用動詞、サ行変格活用動詞)が違うのだ。教科書では、

1) 遮られて、
2) 見られます。

と一見同じように見えるものなのに、1)は「れ」に、2)は「られ」に下線が引っ張ってある。これは「れる・られる」の前に来る活用の種類によって違ってくるからなのだ。このくっつきかたのことを、文法では「接続」という。ここが違うのである。表にすると、1


となる。1)は、「遮る」という五段活用動詞の未然形についていて、「れ」の後ろに「て」があるので、この「れる」は連用形ということが分かるのです。2)は、「見る」という上一段活用動詞の未然形について、「られ」の後ろに「ます」があるので、この「られる」は、連用形ということが分かるのです。(って、わかったかなあ。分からない場合はもう一度読んでね)

だから、「見れる」という言い方は、今一般的に使われるようになってきていますが、少なくとも学校で教えている文法を基準にすると、おかしいのです。「見られる」でなければならないのです。こういう「ら」のない言葉を「ラ抜き言葉」といっているわけです。

まとめます。助動詞に関する問題では、助動詞と思われる部分にある棒線部の

1)品詞は何か
2)意味は何か
3)活用形の種類は何か

これらを全ての助動詞について答えられるようになると良いのです。ちょっと大変だけど、頑張れ。

(教科通信「志学」 NO. 41 より)

2006/01/23

聞き手の負担を減らす、話し方をしよう

面接は、話し言葉で行われる。話し言葉と書き言葉の違いを簡単に述べれば、

12

と表のようになる。ここから考えてみよう。

ある大学の先生から伺ったのだが、生徒が先生の授業に対する不満の第一位は、なんと、「何を言っているのかわからない」というものであった。声が小さかったり、発音が悪かったりするのが原因だと言うことだ。ま、これは論外としても、「この話がいつ終わるのかが分からない」とき「何を言おうとしているのかが分からない」ときにも、不満を感じるという。

書き言葉は、心の中で文字を声にして読むにしても、書かれている文字を「見ながら」読めるので、次に何があるのか、またはどのように続いていくのか、いつになったら終わるのかが、だいたい予測できる。だから、「この話がいつ終わるのかが分からない」という不安は少ない。つまり、情報を主体的に受け取ることができるのである。読む側が主導権を握っているということだ。

また、書き言葉でまとめられている文章は、所々に「小見出し」や「段落」で一つの意味のまとまりを明示してくれているので、「何を言おうとしているのかが分からない」ということも少なくなるように工夫されている。もし、一回読んで分からない場合であっても、書き言葉は「残る」ので、繰り返し読むことができる。

                  ◆

しかし、話し言葉はどうであろうか? 話し言葉は書き言葉の持っている「伝えるための優れている点」、即ち「先が予測できる」「小見出しがある」「情報が残る」は、意識していないとまったく使われないことになる。

そこで、「この話がいつ終わるのかが分からない」「何を言おうとしているのかが分からない」という不満を解消するために、話し言葉では

・ ナンバリング
・ ラベリング

という技術を使う。ナンバリングは、「全体の数」「それぞれの位置」「まとめ」の三つがセットである。これらができているときに、話を聞く相手は、不満や不安を減らすことができる。

また、ラベリングは「私が言いたいことは、○○です」と自分が話したい内容について小さくタイトルを付けることを言う。聞き手は(ほう、そういうことを話すのね)と聞く準備ができるのである。そうすると、「何を言おうとしているのかが分からない」という状態が減るのである。

さらに、情報が残るように「文字の言葉で書かれている文よりも、一つの文を短くする」という工夫も必要である。

(どうしたら相手に分かって貰えるように話すことができるだろうか)と考え、相手の顔を見て話したり、言葉遣いを丁寧にするということも大事な姿勢である。で、その上に、ナンバリングやラベリングなどの話し言葉の本質的な弱点を補強するスキル(技術、わざ)を身につけておくことができれば、さらに相手に伝わりやすくなるのである。

三年生の授業では、現在ディベートを通して、これを確認している。意識しながらやってみてください。

(教科通信「志学」 NO. 40 より)

2006/01/22

まずは、体調だ。

朝目が覚めたら、朝焼けがきれいだった。
うっすらと積もった雪の景色に、朝の赤が照り輝き
思わず拝んでしまいたくなるような景色だった。

このごろ、朝起きるとリビングでしばらくぼーっと過ごし、おなかの具合を気にする。
(ん、今日は大丈夫かな?)
幸いにして今朝は大丈夫であった。
おなかの調子は高校生の時からの付き合いであるが、いつまでこんな生活が続くのかと思う。このごろちょっとひどすぎるしねえ。

だけど、今日も基本的には寝て過ごそう。

                  ◆

嬉しいこともあった。
実はこの正月に私のおじさんが心筋梗塞で倒れていた。
突然従兄弟から電話があり、びっくりしたのだがそういうことであった。

いろいろと連絡を取り合って動いたりしていたのだが、
昨日退院できたという電話をもらった。
ああ良かった。
電話の向こうの声は、昔ながらのおじさんの声であった。

「いやあ、一度心臓が止まったんだけど、電気ショックで戻ってきたよ」

静電気の痺れでビビっている私には、出来れば避けたい治療であるが、ありがたいことである。
良かった良かった。

                  ◆

夕方から全国教室ディベート連盟関東甲信越支部の支部会があったのだが、寝ていて行けなかった。みなさん、すみません。昨日、常任理事会も行けなかったのに。

まずは、体調だ。

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