« 2006年10月1日 - 2006年10月7日 | トップページ | 2006年10月15日 - 2006年10月21日 »

2006/10/14

こどもが言葉を手に入れるとき

Pa140006

ふう、やっとこれで基本的なところは終わった。

来週の高校でのガイダンスの準備である。
打ち込んだ文字数をカウントしたら、12267字だった。原稿用紙で31枚か。これを50分の授業にまとめるのね。

まとまるんだろうかf(^^;。

            ◆

今回参考にした本は、授業作りネットワークの仲間の池田康子さんから紹介してもらった岡本夏木氏の岩波新書の三冊『子どもとことば』『ことばと発達』『幼児期』。糸井先生がブログで紹介していた『なせ、その子供は腕のない絵を描いたのか』(藤原智美著 祥伝社)が中心。

さらには『モンテッソーリの教育』(あすなろ書房)、『ヴィゴツキー入門』(柴田義松著 寺子屋新書)、『思考と言語』(ヴィゴツキー 柴田義松訳)、『0歳からのことば育てと子どもの自立』(合同出版)『保育内容「言葉」』(ミネルヴァ書房)などにも目を通した。

いやあ、面白い。
それこそ中学校の教師をし続けていたらこういう知的な冒険に出ることはなかったろうなあと思う。言葉がどのように発生するのかなんて、疑問に思ったとしてもそのままだもんな。でも、こういうのを勉強しておいて中学校の国語の授業をやったらまた違ったものになっていたろうなと、ちょっと反省。

このテーマでの模擬授業の依頼があったとき、
(さて、この授業は作れるか?)
と思ったが、なんとか形になりそうで良かった良かった。
降ってくる仕事を受け止めることで、自分の勉強になる。ありがたいことだ。

一回目の本番は火曜日だから、まだ時間はある。
もう少し資料を読み込んでから、刈り込むか。

            ◆

『なせ、その子供は腕のない絵を描いたのか』(藤原智美著 祥伝社)にあった衝撃的な事例を一つ挙げておく。

引用開始 ーーーーーーーーーー

R(女児)は0歳のころから幼児教室に通わされた。絵や文字を書いたカードを見て瞬間的にいいあてるフラッシュカード、子守唄は英語のテープ、家中の家具や電化製品ネームプレートを貼り、アルファベット、カナ、漢字を覚えさせられた。学習分野はどんどん増え続けた。英会話、ピアノ、バレエとほとんど毎日、教室通いがつづいた。幼児教室の全国テストでいつも上位に入っていた。おかげで五歳の時には、なんと小学校で学ぶすべての漢字と、英会話もある程度で切るようになっていた。

国立大学付属の小学校に進み、中学校はさらに難関中の難関校に進む。けれど高校に入ってから変調が始まる。精神不安定がしだいに激しくなって行く。ついに妹の首を絞め車のフロントガラスを割る、大暴れののち、救急車で病院に運ばれることになった。

これは『救急精神病等』(野村進)という本で紹介されている少女の実例である.病院に運ばれてからの少女の言動がすさまじい。親や意志にくってかかるその言葉がきつ。毒づくにも、そのへんのヤンキーと違って心をえぐるような鋭さがある。

「精神科の医者なんて、医学部の”落ちこぼれ”がなるんでしょ」「キミ(医者)こそ精神療法を受けたほうがいい。(中略)老婆心ながら」「無力な子供を自分の『人工生命』みたいにしやがって、その人工生命が壊れたら、さっさと精神病院に送り込みやがて。その『反省』とやらを地獄の底に下りても続けなけりゃいけないのは、この壊れた人工生命を産み、そして育てたアンタ(母親)だよ。第一、アンタはこの壊れた人工生命や、そのかわいそうな妹を置き去りにして、一度家出してるじゃないか。そのことの『反省』はどうなっているんだ(略)」

この回転の速い頭脳とエネルギーをそのまま学力に振り向けたなら、きっと聡明な大人になるのだろうと、思う。けれど、彼女はけっきょく自殺してしまうことになる。この本に登場する医師は、なぜ彼女がこうなったのか、はっきりしたことは突き止められなかった。ただ、「燃えつきた」としか考えられない、という。pp.122-3

引用終了 ーーーーーーーーーー

日本の幼児教育の問題点をえぐり出しているこの本は、教科書にしてもいいかもしれないなあ。
人間の発達の力の凄さ、またその発達をコントロールしようとして失敗する人間の愚かさなどが描かれている。

            ◆

「今晩は栗ごはんだよ」
というメールが入った。
よし、美味しく秋を楽しむぞ。
帰ろう帰ろう。

2006/10/13

まだ、間に合う

今朝の日の出は幻想的であった。

Pa13001


霧が微妙な偏光率を生み出したのだろう。
これからの朝も楽しみである。

            ◆

大学に速達が届いているというので、慌てて向かう。
まったく縁のないところからの原稿の依頼。
なんだろうと思ってみたら、
(いや〜、参ったなあ)
であった。

私が新卒の時にお世話になった指導主事の先生が、東京のある大学の教授になっており、私が転職した時に連絡を差し上げたのだが、その関係で推薦されたのだ。
先生、勉強させて頂きます。

            ◆

でもって、そのまま研究室にこもって結局仕事の続きをする。
そこに内線電話。
「先生、車のスモールランプがついています」
と。
またやってしまった。
慌てて消しに行こうとすると、後ろから追いかけてくる足音。
(ん?)
見ると、国語科教育法で教えている学生。
『どうしたの?』
と聞くと、
「教員採用試験の勉強会をしているのですが、この先どういう勉強の仕方をして行けば良いのか話し合っているんです。先生、ご指導頂けますか?」
とのこと。
『ん、いいよ』
と言いながらスモールランプを消しに走る。

            ◆

で、1時間ほど、話を聞きながら、あーだこーだと話をする。
自分達に基礎学力がないことを理解した彼女らは、これから伸びると思う。

勉強は、そこからしか始まらないと思う。
そして、自分にあった勉強法で勉強することが重要だ。

彼女らは一週間に二回の割合で自主勉強会をすると言う。
採用試験まで10ヶ月。
まだ、間に合う。

しっかりね。

2006/10/12

学習ゲームを通して

「学習ゲーム」と言う概念ができたのは、君たちが中学生ぐらいの頃で、まだまだ一般化していないかもしれない。ではあるが、今回の授業でその理論と実際を学べたのではないかと思う。

ゲームで学ぶということを、この授業をする前に具体的にイメージできただろうか? どうしてもゲームには遊びというイメージがつきまとい、学校文化に馴染みにくい側面がある。

しかし、これは逆の面から、すなわち子どもの側から考えれば「勉強ではなく遊び」とイメージされるという面を持つ。

            ◆

これから君たちが本格的に指導の方法を学んでいく「授業」は、中学校では50分を基本にして作る。導入、展開、まとめというのを50分で考える。私もそれで指導したいと考えている。

しかし、実際の学校現場はそれだけでは上手く行かない。この50分の授業というのは、チャイムがなったときに教師が教室にいて、そこから授業をすんなりと始めて、チャイムと同時に授業が終われるという学習集団を想定している。君がそういう学校に赴任できれば良いが、それはなかなか珍しいかもしれない。

何回も話すが、君たちは国語が好きで国語ができるから国語の教師を目指す。しかし、教室にいる子どもたちは、国語が嫌いで国語ができない子どもたちがたくさんいる。


 学習指導をするとは、
 つまらないを面白い!に、
 分からないを分かった!に、
 できないをできた!にすることである。


これは教育の名言の中でも、かなり有名な教育学者の有名な言葉だ。作者は分かるか?*1

まず、教室の外にいる子どもたち、教室の中にいても
(だる〜)
と参加しない子どもたちに、
(ん? なに? 面白そうじゃん)
と参加したくなる仕掛けが必要であり、その方法として「学習ゲーム」はかなり有効であると考えている。

もちろん、この学習ゲームは君たちが体験して分かった通り、楽しいだけではない。力もつくのである。

だいたいからして、授業は楽しくなければダメだという言い方があるが、それは当たり前すぎるほど当たり前である。しかし、楽しいだけではダメなのである。楽しくて実力がつかなければダメなのである。

もちろん、ここに至るには相当の実力がないとできないのは、もうそろそろ諸君にも分かるだろう。(今の私にできるだろうか)
と心配もするだろう。

心配するな。できないから。

            ◆

理由は二つある。
一つ目。経験が足りない。私が十数年かけて学びながら作り上げたものだ。君ら学生にできる訳がない。これから着実に勉強しながら身につけることだ。

二つ目。ブレーキの技術がない。学習ゲームは、子どもたちが乗り出すと非常にグルーブ感のあるノリノリの授業になる。しかし、ここが危険なのだ。君たちが、生徒を止める技術、つまりブレーキを書ける指導力がないと学習集団は暴走する。ここも意識して力をつけなければならないところである。

            ◆

ではあるが、前期と比べてみるが良い。君たちはかなり成長してきているだろう。その努力を重ねるが良い。やがて大きく成長する瞬間が来るだろう。

課題をこなしつつ、力を付けて行ってほしい。

*1 もちろん、池田修先生である。

教科通信 『修学』(10月 12日 NO. 36)より

模擬授業をまとめましょう

楢原中学校の三年生諸君から、君たちの授業への御礼と感想が届きました。回覧しますから、味わって読んでください。そして、感想をoideyasuMLに流してください。

            ◆

この取り組みをワードでまとめましょう。三班ありますから、三つのまとめができるわけです。

教師が行う「授業」は、三つの段階からできています。一つは、準備。一つは、授業の実際。一つは、まとめです。この三つがセットになって「授業」が成立しています。

ですが、残念ながら学校現場は忙しく、最初に「まとめ」が抜け、次に「準備」が抜け、最後に「授業の実際」が抜けて行きます*1 。

この三つが循環するように組み立てて行くことが、学校教育現場で授業を進めるためにはとても大事なことです。ここから自分の授業を振り返り、子どもに分かりやすい授業を作る経験を重ねて行くことになるからです。

で、その最初の経験をしましょう。ワードでまとめておけば、それをそのままhtmlにしてホームページに載せることもできます。もちろん、君たちのblogを立ち上げてそこに載せることもできます。

            ◆

私が学生の時代には考えることもできなかったことが、君たちは簡単にできます。文字を活字にすることなんて、学生には夢のまた夢でしたがそれは今では当たり前。さらに、自分の書いた文章を不特定多数の人に見てもらうこと。これは夢のまた夢のまた夢ぐらいでした。これもblogで簡単。はあ。

それを使わない手はありません。
もちろん、簡単にできることから、質の高いものでなければ見ては貰えない時代に入ったということもできるでしょう。

まあ、やる前からそんなことを考えても仕方が無い。まず、やりましょう。

ええ!と驚くかもしれませんが、やりますよ。
この楢原中学校との模擬授業は、国語科教育法2の授業の一環として時数確保しましたから、やりますとも。

それからね、こういうものは後からまとめようとしても、ダメです。できません*2 。それが証拠に、君たち、「中学校の修学旅行の感想文を今書きなさい」と言われたら書けないでしょう。5年ちょっと前のことなのに、書けないんです。文章は、その時にしか書けないものがあるのです。

この楢原中学校との模擬授業に関する文章は、今しか書けません。だから書くのです。

締め切りは、本当は早い方がいいのですが大学祭もあるので、大学祭の後にしましょう。10月26日(木)までにしましょう。

詳しい書き方は、別のプリントで示します。上手く行ったとか、失敗したとかということはあまり関係ありません。

自分の行った授業を客観的に分析して、記録することができれば、大成功です。あなたの授業の経験値を上げるために、取り組んでください。

*1 「授業の実際」が抜けるというのは、生徒指導で自習になるなどを指します。
*2 わたしもこのことは良く理解しているので、ディベート指導で半年間取り組んだ内容を、2週間かけてまとめたことがあります。今書けと言われても、絶対書けません。あのとき、書いておいて良かったとつくづく思います。
http://homepage.mac.com/ikedaosamu/debate/01kiroku.html

教科通信 『修学』(10月 5日 NO. 35)より

どっからでもかかってらっしゃい状態

教材研究は、授業を上手く成立させるためには必須の作業である。
では、教材研究がなぜ大事なのか。
最近思うのだが、いろいろと知っていれば話したくなるからではないだろうかというものだ。

知っていることを言いふらしたくなるというのは、私の属性なのか人間の属性なのか良くわからないが、人間の属性として一般化していいのではないかと思う気もする。齋藤孝さんは、たしかこんなことを「教育欲」と呼んでいたように思う。

あれこれ知っていることを、知らない人に話すのは楽しい。
一種の優越感なのかもしれない。

だが、話したくて仕方が無い、授業がしたくてしょうがないという状態で授業に臨むことは、とても大事なことである。

            ◆

ただ、もちろん授業でこれをそのままやってしまってはとんでもないことになる。
自分が調べた量をそのまま学習者に伝えたら、学習者は容量オーバーになるし、まあ、そもそも一種の自慢話だから聞く耳を持たなくなるだろう。

そこで、調べたものをもとにして、生徒に合わせて授業として構成し直すのである。調べた本人としてはとっても面白かったものでも、場合によってはその部分を授業からバッサリと切り取る。

ここの切り取り方に、授業者の経験とセンスが出るのだと思う。
優れた授業者は、授業の準備の際にバッサリと切っておき、さらに授業の展開を見ながら、ドカンと付け足したり、さらに切ったり、はたまた別の材料で展開したりということができる。

まあ、いわゆる「どっからでもかかってらっしゃい状態」であるわけだ。

            ◆

国語科教育法2では、いよいよ模擬授業を目指す。30分の模擬授業を5人のグループに課し、5人で授業案を作り、その内の一人、または二人が模擬授業を担当する。それを60分かけて検討するということになる。

学問の秋である。

2006/10/11

会議の時間の時に面倒を見てくれる人

午前中から午後までずっと高校の模擬授業の準備。
まあ、自分でも良くやるなあと思う。
50分の授業のために、何時間やっているんだ。
本を読んだ時間まで含めれば、ふう(遠くを見つめる目)。

それが今の私の仕事なんだからね。
これが幸せということだね。

            ◆

午後から2時間ほど会議。
中学では会議の時に、生徒に
「早く帰れよ」
と言いながら教室を点検して歩いていたのを思い出す。

大学では時間になったら自分の研究室の電気を消し、鍵を閉めて会議の場所に行くだけである。
凄い違いだ。なんでこれが可能なのだろうかと改めて考えてみた。

大学の場合は、授業は、非常勤講師がしてくれる。事務は事務方が回してくれる。そして、大学美化は用務員さんがしてくれ、安全は警備員さんが守ってくれるのである。ちなみに、クラブは勝手にやっている。

中学校でも会議の時間の時に面倒を見てくれる人がいるだけでも、随分と違うはずだ。授業は非常勤講師に集中してやってもらうなんてのは無理だとは思うが。

            ◆

昨日の目標の今日中に完成は、無理であった。
明日もこの課題に取り組もう。
でも、50分の授業にはならないなあ。
このぐらいの準備だと、だいたい集中講義の1日分の分量だなあf(^^;。

まったく何やっているんだか。
さ、帰ろう帰ろう。

2006/10/10

えい、起きてしまえ

早起きしてしまった。
まだ、周りは真っ暗。四時台だぜ。
でもメールをチェックしたら、赤坂先生からメールが入っている。
いやあ、みんなアーリーバーダーだな。
えい、起きてしまえ。

            ◆

Pa100044
びわ湖が美しかったなあ。
折角の早起きだったので、湖畔まで出かけて行った。

平日だというのに、日の出前のびわ湖にはブラックバスを釣る人、コイを釣る人がいて驚いたが、写真を撮りに行く私も変わらないか。
朝日はきれいだった。
思わず拝んでしまった。

            ◆

早起きした割には9時過ぎに大学に向かう。
今日は事務仕事を午前中に。
キャリア開発演習2で学生がお世話になった先生方に電話をかけて御礼を言う。まだ、御礼の手紙を出していない学生がいて、ちょっと冷や汗をかく。

おーい、すぐに出すんだぞ。

それにしても、今日電話が繋がった先生方はみんな気持ちよく
「これからも何かありましたらどうぞ連絡してください」
と言ってくださった。ありがたい。そして、学生達の見る目は正しい。

学校現場にいて、最前線の教育をしている先生達は、必死に学ぼうとする学生には優しい。これからも礼儀正しくして指導を仰がせたい。

            ◆

午後からは、ずっと授業の準備。国語科教育法2と教職総合演習と。
さらに、高校でのガイダンスで行う模擬授業のもの。
今まで行っていたものと違う分野で行うので、もう一度組み立て直しである。

来年の児童教育学科で行う授業のために準備していた部分を使いながら、「こどもと言葉」の関係についての授業を組み立てる。

まだまだ出来上がっていないが、本をひっくり返しながら、アーでもないコーでもないと考えるのは楽しい時間だ。ただ、腹筋と背筋が痛くなる。

高校での授業までにはまだ一週間あるけど、明日には準備を終えたいなあ。研究費申請の書類もまだほとんど手をつけられていないし・・・。

            ◆

さて、帰るか。
んで、家に帰ってもう一仕事だな。

残念ながら、がっかり

きれいに晴れた月曜日。大学に行って仕事ダア!と思っていたら、祭日であることに気がつく。相変わらず休日の感覚はない。どうしようかと思ったのだが、折角の青空であることだし、オフと決定する。

軽く朝ご飯をすませ、びわ湖の湖西をドライブ。だんだんどこに何があるかが分かってきた。明智光秀が築城した坂本城の跡の公園や会員制のヨットクラブのようなところも見て歩いた。いやあ、びわ湖ってセレブの集まる場所だったのね。

            ◆

その後場所を移動して、とある学園祭に向かう。
芸術系の大学の学園祭は久しぶり。
一番最初は、私が高校生の時に行ったある美大のもの。
なんか、美に関するエネルギーが飛び交っていて、衝撃を受けた。

で、それを期待していたのだが、
残念ながら、がっかり。
(え? これって大学の、芸術系の大学の学園祭?)
と思うものであった。

自分が一生を捧げるものとしての「美」に対してのエネルギーが、ほとんど感じられないのだ。

それは、私が年を取ったからなのかとも思ったが、そうではなさそうであった。
年を取ったのであっても、いや、それだからこそ、そのギャップから生まれてくる美のエネルギーがあるはずなのに、それが感じられない。

こじんまりしているのだ。
深みが感じられないのだ。

            ◆

私は、非常に悲しく思いつつ大学を後にした。
いや、逃げ出したと言うのが良いかもしれない。
(ここに居続けたら、私のセンスが変な風に壊れてしまうかもしれない)
という危機感があったのだ。

うちの大学も10/21、22と学園祭である。
一日ぐらいは顔を出そうと思うが、
大丈夫だろうなあと思ったf(^^;。

2006/10/09

今年度最後のオープンキャンパス

日曜日ではあったが、大学に向かう。今年度最後のオープンキャンパスである。今年は児童教育学科の準備担当が私だけということもあり、オープンキャンパスのガイダンスはすべて私が担当している。来年は新しい先生がやってくるので、分担することになるだろう。

昨日の参加者は100名程度。で、教育とは、教師の仕事の魅力、教師に必要な力、授業をつくるとはということについて60分で話す。この4観点に京都橘大学の児童教育学科はどのように関わって行くのかということを加えて話す。

            ◆

最前列に座っていた女子高生が、非常にフレンドリーで私の話にどんどん突っ込みを入れてくる。
『先生の仕事は、クラブを持ち、強くなれば強くなるほど休みが無くなりますね』
というと、すかさず
「先生のクラブは何部だったん?」
と大阪弁で。
『え? えーとね、ディベート部と軽音楽部だったんだけど、わかる? ディベート部って』
「えー、合っていると思う!」
と後ろに100人いるのに、普通の会話であった。
まるでサクラではないかと思われてしまうぐらいのノリの良さであったf(^^;。

ガイダンスが終わったら何人かの高校生がやってきた。児童教育学科開設記念シンポジュームにも参加したと言う生徒も来てくれた。合格してくれると良いなあ。

            ◆

その後、研究室でちょっとした打ち合わせをして帰宅。
びわ湖のほとりのびわ湖大津館に散歩に出かけると、ガーデンで結婚式をしていた。

世の中は三連休の二日目であった。


好きなことを仕事にするのではなく

キッザニアという施設ができた。
子どもたちに、仕事を具体的に体験させるテーマパークである。企業がスポンサーになっている。対象は小学生低学年ぐらいであろうか。

自分の興味のある分野を捜すためのテーマパーク。『14才のハローワーク』が20代後半の女性に売れたように、やがて中学生もくるようになるのかもしれない。

            ◆

自分の好きなものを仕事にする。自分の好きなものを仕事にして良い。そんなことが許されるようになったのは、日本人の歴史の中でいつ頃からなのだろうか。

仕事の目的は、収入が一番でやりがいを得るためというのは減っているとのこと。これだって収入とかやりがいとか考えることもなく、ただ働くしかなくて働いていたというのが、歴史のほとんどだろう。

その中で、
(ああ、結構面白いな)
と思う瞬間があるのだろう。

好きなことを仕事にするのではなく、就いた仕事の中に楽しさを発見し仕事を好きになる。そういう風にして生きてきた日本人がほとんどではないだろうか。

            ◆

そうだとすると、好きなものを捜すと言う仕事観は違うのではないだろうか。自分が苦手なものは勘弁してもらって、
(まあ、この仕事なら許せるかな)
というものを捜すという仕事探し観も必要ではないだろうか。
社会が成熟しているのであれば、ますます必要になると考える。

キッザニアもそういう活用の仕方ができるのではないか。

2006/10/08

大津の初秋

一気に秋が降り注いできた感じである。
朝焼けも凄い。自宅のバルコニーからパチり。
琵琶湖も少し見えているけど分かる?

Pa070133


午前中大学に行き、事務仕事を数点こなして戻ってくる。
国道1号線で大渋滞。秋のシーズンで渋滞か。

            ◆

午後は昼食後に、近くの皇子山球場に出かける。この球場は最近きれいにし直したところで、気になっていたのだ。

家を出たら、なんと目の前に虹。
琵琶湖方面にかかっている。
眼下に広がる虹なんて滅多に見ることができないなあ。
よく見ると二重になっているのが分かる。

Photo_3


秋季高校野球滋賀県大会の決勝が行われていだ。600円払って入場。7回表の攻撃中。2アウト満塁から打撃妨害で押し出しで一点というところ。久しぶりの大きな緑の芝生を見て、高校生の応援合戦を見て、いいもんだと思った。

Pa070023

            ◆

このところ、天気がパッとしないのだが、それはそれなりに美しい景色を奏でてくれる。
音羽山に降り注ぐ雨は、東山魁夷の絵を思い出させる。ベランダからパチり一枚。

Pa010082

琵琶湖では、水上バイクがバク転している。

Pa010099

            ◆

そんな午後を過ごし、夕方からは浜大津に出かける。大津祭の宵宮を見るためだ。祇園祭の小型版といえるこの祭り。私は、この祭りはこの祭りで十分だと思った。

鐘や太鼓や笛のテンポは、京都より早く威勢も良い。

「PA070054.MOV」をダウンロード

大津の魚専門店で食事をして、帰宅。
たっぷり大津の初秋を堪能した一日であった。

« 2006年10月1日 - 2006年10月7日 | トップページ | 2006年10月15日 - 2006年10月21日 »