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2006/10/21

京都橘大学 大学祭

ということで、本日大学祭。
私が顧問をしている「京都子ども守り隊 守るんジャー」の広報活動もあると言うので、一応大学に顔を出した。

午前中は研究室で相も変わらず授業の準備をした。私の研究室は端っこにあるので結構静か。しめしめ。

            ◆

隊長から
「正門前で風船を配っています」
と連絡があったので、でかけていく。京都橘大学のスクールカラーの風船であった。青空にきれいに映えていた。Fusen


活動の時に着るピンクのポロシャツを学生たちからプレゼントされていたのだが、大学ではいつもブレザーで過ごしているので、どうも着る勇気がわいてこなかったのだが、仕方がない。着た。

今日は半袖一枚でも十分なぐらいのいい天気であった。
学生たちと一緒に風船を持って学内を歩く。
風が吹いてくると風船が流される。
なんか、空にいる神様か何かに引っ張られているような感じだった。

でもいい感じだったなあ。

            ◆

Kimono
ステージでは、ダンスや女装大会に着物ファッションショーなどが行われていて、なかなか華やか。今年できた和太鼓部のお披露目の演奏もなかなか良いものであった。この太鼓は来年の入学式で演奏してほしいなあ。

先日のとある大学の大学祭に行ってがっかりしたので、ちょっと恐る恐るの部分もありながらのうちの大学の見学であったが、ほっとした。

というより、気持ちが高まった。思わず研究室においてあるギターを出して弾いてしまった。久しぶりにさわったなあ、ギター。歌何ぞも歌ってしまった。ま、今日は良いだろう。

で、最後に書道部の作品を見に行く。京都橘大学の書道は、全日本高校・大学生書道展で4年連続最優秀校に選ばれている実力がある。実際の作品を見るのは今回が初めてだったのだが、いやあ、流石であった。

私が国語科教育法で教えている学生たちもたくさん作品を書いていて、彼女らの案内でじっくりと拝見した。この実力を持った学生たちに、学校現場で先生として仕事をさせたいなあと思った。びしびし扱かなければ(^^)。

さて、夕焼けの時刻になる。今日は早めに帰ろう。

2006/10/20

ビデオ版 ディベート入門講座 完成

ビデオ版 ディベート入門講座
〜シナリオ方式のディベート〜

というビジュアル教材ができました。DVDとビデオテープの両方があります。
内容は、私が全国教室ディベート連盟の入門講座でやっているものと、中学校の国語の授業でやっているものを元にしてあります。大学生を生徒役に見立てて実際に授業をしています。

値段はちょっと高いのですが、もし、学校の予算がまだ余っているようでしたら、ディベートの授業の指導法としてご活用頂ければと思います。付属の資料も充実していると思います。

明日あさって大学祭

http://cai4.tachibana-u.ac.jp/~gakusai/

ということで、今、キャンパスはその準備に追われています。
でも、授業もしているけどf(^^;。

良かったらお越し下さい。
私もたぶんいるはずです。

脳のシナプスを増やせ

教材研究は、授業を上手く成立させるためには必須の作業である。
では、教材研究がなぜ大事なのか。
最近思うのだが、いろいろと知っていれば話したくなるからではないだろうかというものだ。

知っていることを言いふらしたくなるというのは、私の属性なのか人間の属性なのか良くわからないが、人間の属性として一般化していいのではないかと思う気もする。齋藤孝さんは、たしかこれを「教育欲」と呼んでいたと思う。

あれこれ知っていることを、知らない人に話すのは楽しい。一種の優越感なのかもしれない。

だが、話したくて仕方が無い、授業がしたくてしょうがないという状態で授業に臨むことは、とても大事なことである。

            ◆

ただ、もちろん授業でこれをそのままやってしまってはとんでもないことになる。自分が調べた量をそのまま学習者に伝えたら、学習者は容量オーバーになるし、まあ、そもそも一種の自慢話だから聞く耳を持たなくなるだろう。

そこで、調べたものを元にして、生徒に合わせて授業として構成し直すのである。調べた本人としてはとっても面白かったものでも、場合によってはその部分を授業からバッサリと切り取る。

ここの切り取り方に、授業者の経験とセンスが出るのだと思う。
優れた授業者は、授業の準備の際にバッサリと切っておき、さらに授業の展開を見ながら、ドカンと付け足したり、さらに切ったり、はたまた別の材料で展開したりということができる。

まあ、いわゆる「どっからでもかかってらっしゃい状態」であるわけだ。そのために、たっくさん調べておくのだ。

            ◆

国語科教育法2では、いよいよ模擬授業を目指す。30分の模擬授業を5人のグループに課し、5人で授業案を作り、その内の一人、または二人が模擬授業を担当する。それを60分かけて検討するということになる。

学問の秋である。

            ◆

私、考え違いをしていました。先週の授業で「ことわざなどを覚えた記憶の無い人」と聞いた時に、この人たちが多かったのですが、それを
(覚えた記憶が無くても、覚えているんだなあ。さすが、国語科)
と思っていたのですが、これが間違い。
「覚えた記憶がないので、覚えていない。知らない言葉だらけだったんだ」
と今日発見しました。

少なくとも、中学校の資料集にあることばぐらいは、全部理解しておくことが国語の先生になる諸君にはmustです。「ねばならない」ですぞ。

採用試験まで、あと1年ないぞ。がんばれ。

            ◆

短編問題集や一枚の写真を問題として行った。解けなかった諸君は一往に自分の頭の固さを嘆いていた。そして、頭を柔らかくしなければと感想を述べていた。

でも、どうやって柔らかくするの?

思いつき、アイディアというのは、今までの知識の新しい組み合わせである。デジカメと携帯電話をくっつけるということである。そして、これは突き詰めれば脳細胞のシナプスの連結である。このシナプスは経験や感動によって強められたりする。また、ときに切れたり、不安定なまま繋がっていたりする。アイディアはそこが繋がるという現象だ。

つまり、元々シナプスがない人には、そこからの新たな繋がりがないのだ。だから、頭の柔らかさを求めるのであれば、まずは、基礎的なシナプスを作ることが大事なのである。

これは何のことだか分かる? そうです。基本的な知識を増やすことです。君たちは知識量がまだまだ足りないから、そこからです。

教科通信 『修学』(10月 19日 NO. 37)より

2006/10/18

車と読書で、私の秋

もう10年になる、今の車に乗って。

10年一緒にいるということは、人生を一緒に走ってきたと言っていいだろう。
その愛車とさよならする時が近づいてきた。

いま次の車を選ぶ最終段階に入った。
このまま気持ちが揺らがなければ、11月の頭には新車になる。

色々な出来事や思いを乗せて走ってくれた私の車とさよならするってのは
まだ実感がない。
が、
そうして、人は生きて行くのだろう。
アクセルを踏み込む度に、ちょっと特別な思いが吹き上がって来る感じだ。

Pa16067


            ◆

この一日二日で、本をどーんと買ってしまった。
楽しみの本は、読みかけたまま投げ出してしまっているのだが、
仕事関連の本が
「ねえ、読んでよ」
と本屋の棚で囁いていたのだ。
その囁きを断れるほどの力は私には、ない。

研究費申請の書類を書くのと、本からの誘惑。
私は本の誘惑に勝てるのだろうかf(^^;。

            ◆

読書の秋だから考えるわけではないが、
なぜ、大人は子どもに本を読めと言うのだろうか。

いろいろな理由があるのだが、私がこのところ思うのは
「擬似的内言を通して、内言を育てるため」
ではないかということだ。

擬似的内言というのは、黙読と言ってもいいかもしれない。この擬似的内言を読書によってトレーニングすることが、内言を育てることに繋がるのではないかということだ。

人は、心の中の言葉で考える。この心の中の言葉が内言である。
幼い子どもは、よく言われるように、一人で読む時も声を出して読む。
その声が自分に響き、自分でも話してもらっている感覚になる。

しかし、やがて黙読になる。これは内言の発生とともに可能になるのだろう。
そうだとすると、さまざまな本を黙読することは、擬似的内言から内言を生み出すことになるのではないだろうか。

成長に伴って、内容、難易度の違う様々な本を読むことは、作者との対話と言う内言をも生み出していくのだろう。これが読書を勧める理由、というよりは読書をしないものは考えることができないという理由ではないかと思う。

            ◆

車と読書で、私の秋は深まって行く。
さて、オープンカーはあるか?
はたまた本の誘惑に勝てるのか?

つづく。

事務連絡

柴崎卓巳子先生、頂いたメールに返事を書いているのですが、どうしても戻ってきてしまいます。
新しいメールアドレスか、連絡先のファックス番号をメールで頂けませんか?
そちらに送ってみます。
よろしくお願いいたします。

2006/10/17

人間は、死と再生の繰り返し

このところ、寝入りに悪夢にうなされることが多い。
昨晩は久しぶりに金縛りにもあった。
動けないでいて、なんとか声を出そうとするのだが声も出ない。
やっとこのことで
「うー、うー」
と声を出したら、奥さんが駆けつけてくれて体の縛りがほどけた。
ふう。

なんで金縛りに遭うのかは分からなかったのだが、奥さんにいわれてみてそうだと思った。
私、引っ越しのあとに金縛りになることが多い。
考えてみると、実家を出てからの引っ越しのあと、すべてそうだ。

金縛りは、レム睡眠とノンレム睡眠のリズムが崩れた時に起きる現象だとは思うが、たしかに今そのリズムが崩れているのかもしれない。頭の中では仕事場が大学であることを理解しているが、体のほうはまだ中学校の仕事モードで動いているということで、疲れが通常と違うところに溜まっているのではないかと思う。

ま、長いこと同じような生活時間で過ごしていたからなあ。この年齢でこういう現象が起きるのだから、60歳ぐらいで定年退職を迎えた時だったら、どんなになっていたのかなあと思う。

            ◆

引っ越しのあとに金縛りに遭うと言うのは、引っ越しがきっかけというよりは、それと同時に起こっている生活のリズムの変化が主な原因であろう。

今までと仕事が違うのだから、平日に休みを取ることもありなわけで、そんな日はのんびり過ごせばいいのだが、まだ罪悪感がある。
(東京のみんな、ごめん)
と思って休みを取っている私がいる。

そんなことを理解してくれる人は、
「先生、ちゃんと一週間に一日は、仕事からきれいに離れて過ごさなければダメですよ」
と声をかけてくれる。ありがたいことだが、なかなかねえf(^^;。

            ◆

私の敬愛する元校長の蛭田先生は、
「池田さん、退職すると言うことは死なのですよ。これで職業人としての私は死ぬと考えているんですよ」
と退職の時に話されていた。

いま、私も職業人として、一度死んだ。
そして、死から再生をしているのだとも思う。
恩師の竹内常一先生は、
「人間は、死と再生の繰り返しだからねえ」
と学生時代に話されていたが、
(なるほど、こういうことか)
と今はよくわかる。まったく射程距離の長い言葉だよなあ。

            ◆

ま、これがこの金縛りや悪夢の原因だと思う。
大学の時間に体が慣れていくのに従って
少しずつ、金縛りや悪夢の回数が減っていくことだろう。
再生していくのだと思う。

2006/10/16

今日も早起き

あれだけ山登りをしたのに、今朝も早起きであった。5時になるとまだ目が覚める。
喉が渇いているので、水を飲みにいく。ふくらはぎが筋肉痛になっているのが分かる。

いい天気になりそうとの予報を聞くと朝日を見たくなる。
今の時期、びわ湖のほとりでは6時5分前後に日の出が拝める。

今朝はなぜか奥さんも早く起きてきたので
『見に行く?』
と聞いたら、行くという。
よし、じゃあ行こう。

朝の荘厳な30分をたっぷりと味わった。
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            ◆

大学の授業は、教職総合演習。
ディベートを指導しながら、現代社会の問題のいくつかについて理解を深めるというものを行っている。

今日で、シナリオ方式のディベートでの一回りは終了。基礎的なスキルを指導し、シナリオ方式のディベートに至るまでの教材の開発の歴史等も話す。

来週は、改良シナリオ方式のディベートだ。この辺りから少しずつディベートっぽくなるだろう。

            ◆

さあて、明日の模擬授業の準備もまあまあできた。
あとは、体調を整えて挑むだけだ。

ということで、今宵は美味しいものを食べにいこう。
イタリアンにしようかな。

2006/10/15

初秋の大津の休日

今日は第三日曜日。大津市民は大津の文化財を無料で見学することができる。市報に無料券がついているのだ。昨日の栗ごはんをおにぎりにして昼ご飯の準備として出かける。たくさんいくぞ。

            ◆

最初は、義仲寺である。木曾義仲が眠るこの寺は、松尾芭蕉も眠っている。そんなに広くない寺に二つの墓はあった。昔は町から遥かには慣れていた場所であろうに、いまは膳所の西武デパートのすぐ近くである。もののあはれを感じる。

ここで珍しいものを見た。芭蕉の花である。Pa150005

芭蕉は、バナナの一種類であると知ったのは、中学生のころだったか。「松尾バナナ」なのである。
「吉本ばなな」という作家が登場した時に、
(文学を馬鹿にしている!)
と思ったが、実は日本文学を大切にしているという、なんだかよくわからない気持ちになったのを覚えている。

芭蕉は大津を愛していたのが分かった。

            ◆

つづいて、石山寺である。
紫式部が『源氏物語』を執筆したといわれる場所で、月の名所である。

いやあ、びっくり。
本当に石が境内にたっくさんあるのだ。
とても大きな石だらけ。大正時代に天然記念物になっているのだ。Pa150046


島崎藤村もこの寺に籠っていたとのこと。
なんか教え子との恋に破れて、籠っていたそうだ。
22歳のときのこと。
いまだったら、大変だ。

            ◆

そして、岩間寺に向かう。
この寺は、あの「古池や蛙飛び込む水の音」の舞台となった寺といわれている。Pa150076


山の上にあって気持ちがよい。そこから10分ほど山の稜線を歩くと、別の神社があって、びわ湖も少し見えた。風が心地よい。Pa150081


            ◆

さらに、立木観音である。
いやあ、すごい。700段の階段を上らなければならないのだ。
階段の途中にこの寺を月参りする人たちの短歌があったりするのだが、そりゃあ、健康になるなと思う。久しぶりに足が棒になった。

登りきったところにはちょっとだけ見晴らしのいい場所。
無料のお茶が美味しかった。

帰りも当然700段だが、
「そろそろ半分来たか?」
と奥さんに話しかけたところ、ちょうど登っていくカップルがいて
「え〜〜」
と叫んでいた。だって、半分なんだもん。


            ◆

最後に叶匠寿庵の庭園、「寿長生の郷」に向かう。
もう時間がぎりぎりだったので、場所の確認だけできればと思っていった。
とても広い場所で、季節の花がきれいに咲く庭作りは、もういちど来ようと話した。

とても疲れたが、いい気分転換になった一日であった。

            ◆

来月の第三日曜日は、紅葉のど真ん中になる。
さて、どこに行こうか。。

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