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2006/10/28

スピーチの実際と評価

「語り」のテストを行った。自分の好きな話を3分から5分の間で語るのである。

自分の趣味の話、恋愛の話、怪しい人に追いかけられた話、落語、雪道の登校、トイレの話などテーマは様々であった。

教師を目指す諸君であるからして話すのは得意な方ではあろう。好き嫌いであれば好きな部類である。しかし、今回のテストはプラベートなおしゃべりではなく、パブリックな語りである。授業は当然このパブリックな語りを主にして、行われる。プライベートなおしゃべりが上手な人が、パブリックな語りが上手いかというと、完全に一致することは稀ではないかと思う。

やってみただけでも、自分の語りのレベルが分かったのではないかと思う。

さらに、聞き手から項目別5段階評価と言葉のフィードバックを貰い、その上一人一人をビデオテープに録画したので、じっくりと自分を客観的に見てほしい。
最初は、恥ずかしいと思う。しかし、それを越えないと成長はない。厳しいことを言えば、そんな君が恥ずかしいと思う話し方を生徒は聞くことになるのだ。それも50分も。

恥ずかしがっている場合ではない。きちんと話す力をつけなければならない。でもまあ心配するな。恥ずかしがっているのは君だけだ。周りは全然恥ずかしくない。

(もっと上手く話せるはずなのに)という自惚れが、この恥ずかしさを生み出すのかもしれない。そうだとすれば、この自惚れを冷静に分析して、きちんと話せるようにしないとね。

            ◆

国語のテストの中で、教師が一番難しいと感じるのはこの「スピーチのテスト」の評価ではないかと思う。文章のようにじっくりと読むことができず、やり直しもさせることができない。瞬間で判断しなければならない。さらに今の先生は、学生時代にこれらの指導を受けていない。

そういうことで学校現場ではスピーチのテストを避ける先生が多かったが、今はそんなことはできない。きちんと評価の5観点の中に入っている。やらないわけにはいかない。(いや、以前からそうだったのだが、やらないで済ませている人もいるんだよね。ちなみに、中学の書道もやらないで済ませる先生がまだいる。いかんよなあ)

今回のスピーチのテストの評価をしてみて、諸君もこの評価は大変だと思ったのではないだろうか。授業で説明した通り、この評価を上手くするためには、自分で評価の観点をきちんと決め、その評価の観点を生徒に予め伝え、どういうスピーチが良いスピーチなのかを説明しておくことが、大事でなのである。

そのためには先生が、評価の観点を十分に理解し、良いスピーチができるようになっていなければならないのだ。大変である。

だけど、甘えてはならない。音楽の教師はみんなこれをしているのだ。歌を歌えて、そして生徒の歌を瞬間で評価しているのだ。国語の教師がこれをしないで良い訳がない。

            ◆

語りを作っているものには、次の要素があると私は考えている。

 内容
  体験で
  調べて
  フィクションで
 構成
  事前に作る
  話しながら作る
 伝え方
  技術
  人柄

今回の語りでは、構成と技術に弱点を抱えている人が多かったが、自分はどこが苦手でどこが得意なのかを分析し、対策を立てよう。

ここが教師が行う授業の
大事な生命線の一つなのだから。

教科通信 『修学』(10月 26日 NO. 38)より

探しても出てこないなあ

私の検索が不十分なのだろうか。
探しても出てこないなあ。

何かと言えば、「学生の怒り」だ。
この高校のカリキュラム偽装問題での怒りだ。
高校生の怒りを探しているのではない。大学生の怒りだ。

            ◆

ご案内の通り、教員採用試験は高校の社会科(いまは、地歴、公民のように別れているが)の教員になる試験が難しい。なんとなれば、社会科の教員にはいろいろな学部からなれるからである。文学部、法学部、経済学部から教職課程も受ければ社会科の教師になれる。だから、倍率も高いのだ。

という説明を私もしていたのだが、なんだ違うじゃん。

(世界史の授業をやっていないのならば、世界史の先生なんていらないんじゃん。だから、採用しなくてもいいのだから、募集は少なく採用試験の倍率は高かったんじゃん)

ということになる。
もちろん、自分の学力が低くて合格しなかったものもいるだろう。だけど、こんな偽装で採用を控えられていたんじゃ、ふざけるなだろう。

もちろん、世界史はやっていることになっているから、非常勤講師を呼んでやっていることになっているかもしれない。非常勤講師をつづけていて採用がないという人もここに関係があるかもしれない。

にも関わらず、怒りの文章が見つからないなあ。
匿名だったらありそうなもんだけど、ないなあ。
自分とは関係ないと思っているのか。

私が該当の学生であったら、怒り狂うだろうになあ。
ついでに、世界史の教科書会社の社員でも怒るだろうなあ。

            ◆

それにしても、優秀な大学を目指すために、必要のない教科を授業で扱わない。
そりゃあ、ダメだ。

私だって歴史に強いわけでもないが、優秀な大学を目指す人は
社会のリーダーを目指すのだろう?
歴史は認識の仕方でいろいろな歴史があるが、一つや二つの考え方を知っていないというのはだめだ。そうでなければ、簡単に視野の狭い人間になってしまう。

良い大学に入って、良い人生を送る。だから、必要なものだけ学ぶ。
うーん、本当に君はリーダーになれるのかねえ。

勉強は自分のために行うなんて思っているのは、リーダーではないね。
本当に力のある人たちは、その力を自分のためではなく、他人のために使える。
自分を幸せにするなんて小さい。
社会を、人類を発展させるためにその力を使っていけるかどうかである。

ほんの少しの時間だけ私達はこの世に存在しているのだと思う。
そのほんの少しの時間の間に、ちょびっとだけ社会を良い方向に変えることができるのは、このような高度情報社会においては、ごく一部の人だけだと思う。

そこを目指そうと思っているリーダー候補生が、広く学ばないでどうする。
これで世界史を学べれば、世界史の他に学んでいたことと併せれば人間的に成長するチャンスを、去年の先輩よりも多く貰ったことになるじゃないか。

三月も授業料払ってあるんだから、じっくりと学べば良い。
まだまだ、高校生じゃないか。
そして、立派な人類のリーダに育ってほしいぞ。

2006/10/27

あちらこちらで

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061027-00000307-yom-soci&kz=soci
ということであちこちで「不正」が明らかになっている。
中学校では考えられないのだが、なんでこんなになているのかなあと思う。

が、もっと分からないことがある。
なぜ、このタイミングでこの問題が噴出しているのかである。

35の都道県で282校がミスを犯しているのに、全国の教育委員会が一つも分かっていなかったというのは、ありうるのだろうか。

また、これらの高校はいわゆる進学校であろう。であれば、生徒は塾や予備校に行っているはずだ。そしたら、その塾や予備校の教務が、(あれ、おかしいな)と気がつかないわけがない。

ということは、あちらこちらで黙認していたわけである。

それが、なぜこのタイミングで出て来るのか、である。

答えは「それ」しかないような気がする。

「現場追いつけぬ」85%

内田樹さんのブログにあった記事を探してみました。徳島新聞にありました。
もう、管理職も勘弁してほしいという思いが思い切り出ています。

引用開始 ーーーーーーーーーー


「現場追いつけぬ」85% 東大の公立小中校長調査

 「ゆとり教育」の見直しなど、政治主導で目まぐるしく提案される教育改革について、全国の公立小中学校の校長を対象に聞いたところ、回答者の85%が「速すぎて現場がついていけない」と感じていることが21日、東大の基礎学力研究開発センターの調査で分かった。

 教育基本法改正案には66%が反対。「教育問題を政治化しすぎ」も67%に達した。教育改革を最重要課題とする安倍晋三首相が教育再生会議を始動させる中、格差拡大の懸念も大きく、現場に強い抵抗感があることが鮮明になった。

 調査は同センターが7、8月に全国の公立小中学校の3分の1にあたる1万800校の校長を対象に実施。約4800校の回答(一部は教頭らが回答)を得た。

 「教育改革が速すぎて現場がついていけないと考えるか」との質問に「強く思う」と答えたのは30%、「思う」は55%で、「思わない」「全く思わない」の計15%を大きく上回った。「教育改革は、学校が直面する問題に対応していない」と答えたのも79%と圧倒的多数だった。

 中教審が教員の質確保のために導入を答申した教員免許の更新制は再生会議でも重要テーマの一つ。だが、これに賛成する校長は41%止まりで、59%が後ろ向きだった。

 学校選択制については「学校活性化に役立つ」との回答が62%ある一方で、「一部で教員の士気が低下する」(73%)「学校の無意味なレッテル付けが生じる」(88%)「学校間格差が拡大」(89%)と、マイナス面を心配する声が多かった。

 安倍首相らが再三口にする「学力低下」。だが20年前と比較して子どもの学力が「下がった」とする校長は47%で「変わらない」「上がった」の計53%を下回った。

 一方、大多数の校長が心配を強めているのが将来の教育格差の問題。「子ども間の学力格差が広がる」とした回答が88%を占めたほか、「地域間」(84%)、「公立・私立間」(77%)といずれも格差の拡大を予測している。

引用終了 ーーーーーーーーーー
http://www.topics.or.jp/Gnews/news.php?id=CN2006102101000056&gid=G01より

この結果をどう受け止めるのでしょうか。

2006/10/26

ブリーフを変える

うーん、今日は当たり日であった。
何かと言えば、喫煙指導である。

本学では喫煙場所が決められている。それは職員であってもなんでも同じ。大学の校舎の外に設けられている。ところが、である。昼食等にも使うベンチで堂々と吸っている学生がいる。それも女子学生に多い。(というか、もともと女子学生の方が多いのだからこの言い方はおかしいか)

今日は3人も指導してしまった。
当たり日である。
さすがに中学生と違って
「吸ってねーよ」
なんて食って掛かって来ることもなく、多くは
「すみません」
と止めるのだが、精神衛生上良くない。

だが、注意しなければなあ。
やがて注意されることなく、無視され、相手にされないという社会に出て行くのだから。その一歩手前で、最後の注意をしてやらんことには。

ああ、面倒くさい。

あんまりルール違反していると、学内全面禁煙ってなことになるぞ。私はその方がいいが、それは禁煙ファッショだと思うし、そのぐらいのことしっかりと徹底できる人間になれよなあとも思ってはいる。

ああ、面倒くさい。

            ◆

私が授業をもっている学生にはこのような学生はいないが、いたら、即、単位はDである。大学のその程度のルールを守れない学生が、教師を目指そうなんてのは烏滸がましい。

それに、これから教員になるのであれば、絶対に喫煙はしないほうが良い。学校には喫煙場所がないからだ。煙草が吸えないイライラで生徒にあたる教師なんてのは、目も当てられないからなあ。

たばこが止められなかった人が、ブリーフ(行動のための根拠)を変更したら、禁煙できたという話を読んだことがある。

タバコを我慢する → 【禁断症状が辛い】 → 煙草を吸う

の【禁断症状が辛い】がブリーフの部分である。この部分を変更したと言うのだ。それは、

【タバコはニコチンが切れる時に脳から出る禁断サインが煙草を吸わせるというが、寝ている間にニコチンが切れて禁断のサインが出て、目が覚めて煙草を吸うと言うことはない。しかし、覚せい剤は禁断症状が出ると寝ていても起きて、苦しむという。だから、タバコの禁断症状は、本人が思っているよりも重くはないのだ。ならば、煙草はやめられる。】

という新たなブリーフである。で、

タバコを我慢する → 【タバコはニコチンが切れる時に脳から出る禁断サインが煙草を吸わせるというが、寝ている間にニコチンが切れて禁断のサインが出て、目が覚めて煙草を吸うと言うことはない。しかし、覚せい剤は禁断症状が出ると寝ていても起きて、苦しむという。だから、タバコの禁断症状は、本人が思っているよりも重くはないのだ。ならば、煙草はやめられる。】 → 煙草をやめる

となる。感情ではなく、論理を変更するのである。論理療法だろう。>西部師匠、合っていますか?

指定場所以外での喫煙を発見する → 【ああ、注意は面倒くさいが、仕方がないこちとら教師だ】 → 注意をする

てのが、

指定場所以外での喫煙を発見する → 【ああ、学生の将来を考えるとこれはなんとかしてやらなければなあ】 → 注意をする

と私のブリーフが変われば良いのだが、そう簡単にはいかない。
教育は面倒臭さの積み重ねでもある。

            ◆

今日の授業は、あの事件が頭から離れずに、つい、サバイバル教育学をやってしまった。教育実習をいかに女性の実習生が生き延びるか、教師になった時にどうやっていけば上手く行く可能性が高まるかという、実践というよりは実戦をを中心に語ってしまった。

そのうえ、時間を読み間違えてしまい、中途半端な終わり方になってしまった。
反省。

だけど、サバイバル教育学はもっと真剣に語る時間があっていいなあと思った。

2006/10/25

『ダッセン』(長岡秀貴)

まったくもって、人間は成長しない。

            ◆

前述の吹野先生とは、こんな会話をしたことがある。

『先生、先週の説明と違いますが』
「あほんだら、人間は日々成長するんや」
なるほど。
ところが、その翌週に
『先生、また説明が元に戻っているんですけど』
「あほんだら、人間の本質は変わらないんや」
先生、ひどすぎます。そりゃあないでしょf(^^;。
そんなんだったら何を手掛かりにして勉強すれば良いのでしょうか。
「だからあほんだらなんや、そんなもん、自分で考えろ。お前の首の上に乗っているのは何だ?」
『あ、頭です』
「使え」

いや〜、懐かしい。思い出してしまった。
こんな会話を大学の100人の授業中に、普通するか。
はい、私していました。
御陰さまで少しは、首の上に乗っているものの使い方を習得できました。
まだ、はな垂れですが。

            ◆

で、まったくもって、人間は成長しない。
しかし、それが人間である。
仕事が忙しくなると本を読みたくなる。それもたくさん読みたくなる。そして、そういう時に手にした本は、一気に読めてしまう。

はあ、一気に読んでしまった。

『ダッセン』(長岡秀貴著 HID BOOKS 1200円)

まだ30台前半の、ある一人の男の半生である。教育書である。学校作りの本である。小学校の時に担任にいじめられたことから教師を目指し、出会い別れの中で成長し、教師になり、そして・・・という本である。

初心をもとうとする学生、初心を再確認したい私達のような中堅の教員のどちらにもいける本だと思う。凹んでいる時にお勧めかな。

さ、明日の授業の準備、準備。

なんとも居たたまれない

なんとも居たたまれない。
こんなことがあったのか。
私の記憶では全然報道されていなかったが。
折角夢を実現して教師になったと言うのに。

引用開始 ーーーーーーーーーー

「教諭自殺、学校に責任」両親が公務災害認定を申請

 東京都新宿区立小学校に今春から勤務していた新任の女性教師(当時23歳)が自殺したのは、仕事上のストレスや学校の支援不足が原因だとして、この教師の両親が24日、地方公務員災害補償基金東京都支部に公務災害の認定を申請した。

 心の病で休職する教師が増える中、新任教師の死は学校現場に課題を突き付けている。

 両親の代理人弁護士によると、この教師は4月、2年生の担任になった。保護者と交換する連絡帳の中で、宿題の出し方が安定しない、子どものけんかで授業がつぶれるなどと指摘されるようになり、5月には、人生経験の少なさも批判された。

 このため5月22日、校長に初めて相談。保護者と電話で話すよう指示を受けたが、時間外労働も加わり、過度のストレスを感じていた。自殺を図っていったん未遂に終わったが、同月末にもう一度自殺を図り、翌日死亡した。ノートには「全(すべ)て私の無能さが原因です」などと書き残されていた。弁護士は「保護者からのクレームなどで精神的に追いつめられ、学校の支援も不足していた」としている。
(読売新聞) - 10月25日1時53分更新

引用終了 ーーーーーーーーーー
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061024-00000215-yom-soci&kz=sociより

こんな状況になったのはなぜか?
この問は、実は間違っている。
「なった」のではなく、「した」のである。

教育の責任を一人の、しかも新人の先生に任せてしまうなんて、無理である。それを支えるのが同僚であり、校長であり、教育委員会であるのに。もちろん、学校現場に入る前に力を付けなければならない大学にも問題はあるはずだ。ではあるが、それらをさせない、することができないようにしているものの存在もある。

おーい、教え子で教師をしているみんな大丈夫か。
辛かったら休めよ。
全然問題ないぞ。
教育のすばらしさに出会う前に倒れそうになったら、一度立ち止まるんだぞ、引き返すんだぞ。
先は長いんだから。

2006/10/24

一雨降ってひんやりしてきたな

本当は火曜日は大学以外の場所で仕事をすることにしているのだが、つい、午後から研究室に来てしまった。

すると、たくさんの来訪者。

1)授業の質問の学生
2)お茶会のお誘い by 茶道部
3)お琴の発表会 by 箏曲部

なんで私が今日の火曜日に来ることを知っているのだろうかf(^^;。

            ◆

それから12月に行う校内研究会の打ち合わせのメールに返事を書いて、その合間を縫いながら、今日は新しいプロジェクトの企画書を書き続けていた。

最近は暗くなるのが早いので、
(いやあ、今日もたっぷりと仕事したなあ)
と思っても、まだ、今は18:00台。

だけど、文章は随分書いたぞ。
でも、一番書かなければならない文章が書けてないなあ。ま、これは来年でも良いのかもしれないが。

            ◆

さて、一雨降ってひんやりしてきたな。
帰って温かいものでも食べるかな。

2006/10/23

なんとも、嬉しい今宵

「池田先生、孔子様は良いこと言ったね。【後生畏るべし】だね」
20年前には考えられもしなかった。吹野先生に「先生」と呼ばれるなんて。
「後生畏るべし」なんて言われるなんて。

            ◆

大学の恩師の一人、吹野安先生と今日、久しぶりに電話でお話をすることができた。転職のご挨拶を送ったのだが、連絡をいただけなかったので大学の同窓会に確認したところ、先生から電話を頂いたのだ。先生の話によると、体調を崩されていて連絡ができなかったとのことだった。

吹野安先生にはとても厳しく指導頂いた。
学生の時には
(もう、どうでもいいから単位がほしいよ)
と思っていたが、今になって厳しく指導して頂いたことを心から感謝する。

大学5年生が決まった時に
「池田、5年生やるのか。そうか、じゃあ、この単位は無くすから来年も授業受けろ」
と折角とった漢文概論の単位をあっさりと取り消してくださいましたf(^^;。

指導する側に回れば、厳しく指導することがどんなに大変なことなのかが分かる。
「ああ、いいよいいよ。ん〜ん、いいよ」
なんて流して行けば生徒や学生と衝突することもなく、仏の○○なんて呼ばれて終わるのだろうが、それがどういう人間を育てるのか、今はよく分かる。

世間がどうとか、社会がどうではなく、目の前の学生に自分の価値観でガンガン指導してくださった先生だから、今も懐かしくありがたいのだと思う。

            ◆

「声を聞くと分かるよ。顔が浮かぶよ。声に勢いがあっていいねえ」
20年もお会いしていないのに、先生は、そのように話してくださった。
「若いんだから、社会にガンガン異議申し立てして活躍しなさい」
『先生、私もう、そんなに若くないです』
「なにを、まだ、はな垂れだ!」
そう言い放ってくださる先生がいることに、幸せを感じる。

『採用試験に合格したとき、「先生に30歳で大学院に戻ってこい」と言われました。ありがたく思いましたがいけず、それからさらに時間が経って大学院に戻れました。大学は5年間かかりましたが、大学院は1年で終わらせることができました。遅くなりましたがなんとか約束は果たせました』
「何かやる学生だとは思っていたよ」
『ありがとうございます』
「あの世に行く前に一度会いたいね」
『先生、憎まれっ子世にはばかるですよ』
なんて、恐ろしくて言えなかったf(^^;。

            ◆

「良い先生を育てるんだぞ」
『はい、先生にご指導頂いた厳しさには適いませんが、厳しく指導したいと思います』
「期待してるよ」

20年前にはこんな会話が先生とできるとは思わなかった。
なんとも、嬉しい今宵であることと。

さあ、吹野先生からもご指導頂いた。
厳しく行こう。

もう「学校のことは忘れてほしい」

最近読んでいる本に内田樹(たつる)さんがある。
ブログも発見したので、読んでいるがこの二つが面白い。

連戦連敗し続けてきた文部科学省の教育行政を批判し、
もう「学校のことは忘れてほしい」としている。

http://blog.tatsuru.com/archives/001961.php


http://blog.tatsuru.com/archives/001962.php

みなさんは、どのように思うだろうか。

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