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2006/11/25

こっちは、オールスターです

久しぶりに家にいる週末。この一ヶ月以上は週末に家にいなかったというのは、我ながら凄い。特にこの数週間は、外に泊まっていた。

しかし、御陰さまで体は順調。秋の花粉症も治まり、風邪を引くこともなく肉体的な疲れが多少ある程度で過ごしている。なんでも美味しく食べることができるように育ててくれた親に感謝だな。

            ◆

で、午前中はゆっくりと家で過ごし午後から大学へ。
送ったつもりの原稿が送れていなくて、メールアドレスを確認するために出かける。
そして、その後は野球観戦。

なんのことはない。私が顧問をすることになった学内の新しい野球サークルの初試合があったのだ。やっている野球場がどこにあるのかちょっと分からずにうろうろして、やっと探せた。

最終回の攻防だけ見ることができたのだが、得点シーンも見ることができ、守りきって一点差で初勝利を得ることができた。

相手は立命館の野球サークルで、ユニフォームもバッチリであった。
一方、こちらはバラバラのユニフォーム。高校時代に来ていたユニフォームである。
「こっちは、オールスターです」
と学生は明るく言っていたが、その言い方が良いねえ。確かに、全国から集まってきている学生たちだ。オールスターズだ。

            ◆

試合後、一気にグランド整備をする。
それもこちらのチームだけで、細かい指示などないのにタッタカと整備していた。
高校時代にかなりやっていたんだろう。見ていても気持ちがいい。

このサークルにいる学生たちを見ていると、教職を選んでいる学生も多い。この中から中高の野球部の監督になったり、中には甲子園を目指す監督も出て来るのかもしれないなあと思った。

そんなことを思えるのも共学になった大学での楽しみの一つだ。

            ◆

試合後、研究室に戻って仕事。
来週の広島のことをつらつらと考える。
少し、構想がまとまったかな。

さて、たまには早く家に帰りますか。
久しぶりに我が家の週末ですから。

訓読みと音読み

春夏秋冬
春夏秋冬

字面は同じだが、違う。
もちろん、「はるなつあきふゆ」と「シュンカシュウトウ」である。
京都の春と秋という二つのシーズンを体験して思うことは、訓読みと音読みの二つがあって良かったなあということである。

なんというか、一つの読み方では表しきれないものがここにあるということなのだ。一つの読み方だけでは、言いきれずもどかしく感じてしまうものが、もう一つの読み方がある御陰で救い取れるという思いがする。

訓読みと音読みで、そんな風に感じるなんて思っても見なかった。

2006/11/24

23日は会議で目黒にいた

それでもって、23日は会議で目黒にいた。何の会議かは今はここに書けない。ただ、プロジェクトのボスに聞いてみたら、文章に残さなければ良いとのこと。何の会議か気になる人は、会った時に聞いてね。

その会議にはすっごいメンバーが集まっている。
その内の一人に北川達夫さんがいる。もちろん、今話題のフィンランドメソッドの北川さんだ。

メールでのやりとりはこの会議のメンバーでやっているのだが、北川さんと直接お会いするのは初めて。4時間半に渡る熱い会議をやり通し、会議の後、目黒のいつもの場所でお酒を飲みながらたっぷりとお話をした。

あれやこれやと話題は飛んだが、初対面とは思えないぐらい楽しく話は進む。京都の中学校の授業にも関わっていることや、東京の住まいが私の東京の家の隣の駅だったことがあったり、さらにいろいろと繋がりがあることを発見。いやあ、びっくり。

学生たちよ、喜べ。
北川さんが京都に来る時に、大学で授業をして頂くことを約束してもらったぞ。

楽しく飲んで楽しく学ぶ。
あれ、逆か?
ま、いい。

            ◆

翌日は(そう、今日ね)、朝風呂を浴びる。

昨日たくさん楽しく飲んで、久しぶりにマジカルミステリーツアーをしてしまった。大井町のホテルを予約しておいたのだが、大井町が山手線にあると思い込んでいた私は、乗っても乗っても大井町に着かないので、
(ありゃ、反対に乗ったか?)
と反対側に乗り換えて、それでも着かないので
(うーむ、品川から3分で着くとあったが、ここはどこだ?)
を繰り返していた。

何のことはない、大井町駅は京浜東北線でした。
終電ギリギリの京浜東北線に乗ることはできたが、風呂の時間は終了。
それで夜の風呂は諦めて、朝風呂にしたのである。

            ◆

これが凄かった。
東には東京湾を望み、西には富士山を望むのである。
東京湾には羽田に離発着する飛行機が見え、富士山はきれいに雪景色をしているのである。

それを見ながら、昨日の会議とその後の食事会を思い出していた。
(いやあ、勉強になった。このプロジェクトに参加できて良かったなあ)
心から思い、風呂に浸かっていた。

            ◆

新幹線に飛び乗り、京都にとんぼ返り。
午後からは南禅寺の近くの高校で模擬授業があるからだ。

で、南禅寺も通ることになる。
すっごい、人。
すっっっっっごい、紅葉であった。

模擬授業後、高校の先生が
「この廊下の窓から、永観堂の紅葉を見ることができます」
と教えてくださったので、見る。

すっっっっっごい、紅葉であった。

            ◆

その後、とあるところに出かけて行き、ちょっと研究モードに突入。
糸井先生、あべたか先生から始まって、東京での会議、紅葉と触れることで高まっている知的興奮を使わない手はない。

ふう、充実した時間だった。

さて、次は来週の広島の学校の校内研修会の資料作りだ。
牡蠣よ、待っていろ!

紅葉狩り

11/23

ということで、東京に向かう新幹線を待っているところである。
今日は午後から集中して会議である。
予定していた新幹線に乗ろうと思ったら、新幹線のホームに至る改札口が混みすぎていて、一本次の新幹線になってしまった。こういうときに限って次の新幹線のぞみ号は20分も待つ。

それにしてもすっごい人だ。
まあ、この祭日を含んだ週末が京都の紅葉のドンピシャのタイミングではある。一斉に目指して来るのは分かるが、ちょっとずらした方がいいんじゃないの。兼好法師も「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」って言っているじゃないの。

            ◆

新幹線の窓越しに見る滋賀の風景は、なかなか見事である。
低い山が全体が紅葉している。それが次から次へとつづくのである。

ちょっとずらすだけで、全然違う環境で同じようなものを見ることができるのに。
京都の紅葉を楽しみに行く人は、紅葉とか京都の紅葉を楽しみに行くのではなく、
京都の紅葉を見に行く自分を大事にしたい人が多いのではないだろうかと思う。

            ◆

私がいま住まいする西大津近辺は、比叡山の東側にある。この比叡山の西側は京都の東山あたりになる。つまり、南禅寺とか銀閣寺とかがあるあたりだ。だから、紅葉を見に来る人たちで大渋滞、大混雑している場所である。

ところが、この西大津近辺の皇子山公園は、紅葉の見事さは京都のそれに遜色ないのに、人が本当に少ない。朝の時間などは皇子山公園の紅葉を独り占めすることもできる。実に贅沢な時間を過ごすことができる。

もちろん、人ごみの中でわさわさしならが紅葉を見るのが本当の紅葉狩りだと思っている人には、何をとやかく言うこともない。人それぞれの楽しみ方があるわけだから、それはそれでいい。

しかし、私は一人か二人。または、自分たちのグループだけで味わうのが好きだ。
日常生活の贅沢ってそういうことだと思う。

            ◆

ま、ただ一つだけキチンと言っておけば、京都の紅葉は見事である。
恐ろしい美しさを持っています。サクラと同じです。

そして、もう一つ情報を付け加えておけば、滋賀西大津の紅葉は午前中と夜のライトアップがよろしい。(滋賀のライトアップ紅葉は無料のところが多いのです)そして、京都の紅葉は午後がよろしい。午前と午後の違いは、太陽光線の当たり具合の関係です。

「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」ではありますが、
京都滋賀の紅葉は、今週末がピークの中のピークですよ。

そして、私は東京で会議だ。

スポイトも作れなければダメなのだ

糸井先生のことを知らない小学校の教員はもぐりだと思う。
忙しい先生の、少なくとも三人分ぐらいの仕事を淡々とされて、いる。
そして、それは多くの挑戦を含んだものである。

斎藤喜博の『授業入門』(国土社)には、授業作りの話の中で湯川秀樹博士の文章の、次の部分を引用している。

引用開始 ーーーーーーーーーー

未知の世界を探求する人々は、地図を持たない旅行者である。地図は探求の結果としてできるものである。

引用終了 ーーーーーーーーーー(「旅人」)

糸井先生は、まさにこれだなあと思う。

「演劇で算数」に取り組んで、今日の授業は一つの「旅」のゴールを見せて頂いたと思った。これから地図を作る作業に入るのだろう。そして、その地図を元に若者は新たな旅に出るのだろう。

授業の詳しいところは、あべたかさんのブログに見事にまとめられています。

            ◆

昨日の宇治市立平盛小学校の校内研修会は、あべたか先生によるIT講座。プロジェクターの活用方法と、私のコミュニケーション向上に関する方略という二本立てで事後検討会が行われた。

もちろん、当日の授業は糸井先生の「演劇で算数」というものがあり、この検討をするのだが糸井先生はこの研究授業を支えている、プロジェクターの活用と、コミュニケーションということについて研修を深めることが大事だということで、あべたかさんと私の出番になったのだ。

            ◆

あべたかさんのプロジェクター講座は、それは分かりやすくて見事であった。
あまりにも簡単に使っているので、みんなもホイホイとできてしまうのではという錯覚を与えてしまうぐらいの凄さだった。

本人は簡単に使えると話されているし、その通りなのだが、前提条件が問題になるなと私は思った。糸井先生もこれを話していた。つまり、

「プロジェクターを使って授業ができる先生は、チョーク一本で行う授業も上手い」

ということである。プロジェクターがあれば授業が上手くなるというのではない。授業の上手い先生が、プロジェクターによってさらに上手くなるというのが正しいのではないかと思う。

            ◆

今大変なことになっているムツゴロウさんの著作は、私の青年時代の愛読書であった。その中に、「私が大学院時代には、ガラス管からスポイトを作ったりするところから実験をさせられた」という記述があった。

それはスポイトを買う予算がないからではなく、「スポイトがないから実験ができないというのではダメで、何処に行っても実験ができるようになっていなければ研究はできない。だから、スポイトも作れなければダメなのだ」という教官の考えに基づくものであった。

私は今改めてこのことを思い出している。

            ◆

プロジェクターを使える先生は、プロジェクターを使う前にさまざまな工夫をしてきている。あべたかさんも、糸井さんも資料を提示するのに一枚500円のカラーコピーを使ったり、その前は一枚1000円でカラー写真を焼いて授業の資料に使ってきている。それだから、プロジェクターが使いこなせるのだということだ。

私レベルであっても、高校時代から自分でフィルムをつめて現像して焼き付けまでやってきたことが、今のデジカメを使うのにも生きてきていると思うのだ。

だから、私は大学では学生にプロジェクターの使い方を、今のところは授業作りのツールとして教えることは考えていない。
「プロジェクターがないから、授業ができない」
なんてことにはしたくない。
「大丈夫。黒板とチョークと辞書があるじゃない。あとは、何とかなる。いや、なんとかして授業をつくろう」
という教師を育てることが先だと思っている。

            ◆

大切なことに気づかせて頂いた糸井先生と阿部先生に感謝。

2006/11/21

本日は、推薦入試日

本日は、推薦入試日。
晩秋のキャンパスは一気に紅葉も深まり、この秋、一番きれいな日となったかもしれない。その景色をちょこっと見て、私は試験監督をして、採点に突入である。

試験監督をしていたら、私が行った児童教育学科のガイダンスの時に参加していた生徒がいるのに気がついた。向こうも気がついたらしく
「あっ!」
と小さく叫んでいたが、まさか試験会場でその生徒だけに
「頑張れよ!」
ということもできませんので、笑顔で挨拶するのみ。
まだ名前も知らんが、合格すると良いなあ。

試験監督をしながら、
(この中から私の授業を受ける学生が生まれるんだなあ)
と思っていたら、なんと授業に関するアイディアが湧き出してきた。
休み時間に慌ててメモしまくる。

やっぱり私は、目の前に学生がいる方がアイディアは浮かんでくるようだ。さあ、面白いことになりそうだ。

            ◆

明日は糸井先生@平盛小学校での研究授業に参観。福島からあべたか先生も来るし、楽しみだ。

私の分担はコミュニケーション指導に関するところ。どうしようかと思っていたのだが、方針がまとまった。シンプルなものにしよう。25分の持ち時間である。これから教材を作るぞ。

そうすれば、明日の午前中は、明日締め切りの原稿の修正に時間が取れるはずだ。怒濤の11月もあと1/3でお仕舞い。はあ、もう一年が過ぎて行くのねえ。

これを充実していると言うのだろうなあ(^^)。
感謝感謝。

2006/11/20

多分全部

教職総合演習の授業では、本格的なディベートの試合に入った。ディベート甲子園の高校のフォーマットを採用して、今回は「死刑制度を廃止すべきである。是か非か」での試合である。

今日は二試合やる予定であった。が、その一試合目が非常に良い試合であった。
大学ではシナリオ方式のディベート、さらに改良シナリオ方式のディベートとマイクロディベートで指導して、立論の作り方反駁のやり方はさっとしか指導せずに試合に挑ませたのだが、想像以上に良い試合であった。

これは、指導者がいいのか、学生がいいのか、指導方法がいいのかわからないが、多分全部であろうf(^^;。

            ◆

二試合目を予定していた学生にジャッジをさせたところ、見事に肯定側と否定側が50%ずつで判定が割れた。それで、なぜ割れたのかどのような点が勝敗を決めたのか、今後何をすれば良いのかなどについて解説を詳しくした方が良いと判断して、二試合目を来週に回し丁寧に解説を加えた。

丁寧といっても、40分しか解説ができなかったが、解説が終わった後初めてディベートを学ぶ学生が、小さな声、無声音で
「おもしろ〜い」
と顔を紅潮させて呟いていたのだから、かなり彼女らには届いたと思う。

こうして学ぶことの大変さ、そしてその向こう側にある楽しさを学生に実感させてあげたい。それが、彼女らが教師になったときの自信に繋がるのだと思っている。

「大変でしょ。でもね、この大変さの向こう側に、すっごく良いものが待っているのよ」

と生徒に自信を持って言える教師になるために、今、学生である彼女らに経験をさせることが大事なのだと思う。

さ、来週も楽しみだ。

2006/11/19

「学級担任論」を開講する予定

教職を目指す学生が100人宿泊で集まる。
スタッフも入れると130人という規模だそうだ。
まあ、凄いねえ。

会場は、大阪の国際ユースホステル。

音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ

百人一首の歌の舞台になった高師浜のすぐ近くである。
こんなところでご縁があるとは。

            ◆

私はオープニングの講座と学級経営講座を担当した。
担任の仕事は、採用試験に受かって教師になったら必ず受け持つ部分である。校長にならない教諭はいるが、担任を持たない教諭は、まずいないだろう。

にもかかわらず、教員養成大学には学級担任の仕事を教える授業がない。
今回参加した学生たちに聞いてみると、やはりそれぞれの大学には担任の仕事を教える授業はないとのことである。これはおかしいと私は何回も言ってきた。由々しき問題である。

掃除の指導、遅刻の指導、忘れ物の指導、いじめの指導、学級レクの指導、通信簿の書き方、学級通信の書き方、行事作文の指導、学活の仕方、班編成、席替えの仕方などなどざっと書き上げただけでも担任が指導しなければならない項目は出てくる。

これを学ぶことなく学校現場に出て行くなんて、今の時代にするなんて、丸腰で最前線に送り込まれるようなものだと思う。

確かに大学は学問の場であり、それはそれで極めて重要なものである。
しかし、教育の場でもある。

確かに担任論は、担任学にするのはまだ難しいかもしれない。学問ではないものを大学で扱うのは難しいのかもしれない。しかし、それは学校で担任をしようとしている先生の卵には関係ないことである。少なくとも私の講座に参加していた先生の卵たちは、学級担任の仕事を学ぶ講座を欲していた。

大学で教えるべきである。
私の大学では、再来年「学級担任論」を開講する予定である。
一つの挑戦をするつもりだ。

            ◆

今回の学級担任の仕事の講座は、50分。これを3回行った。
前半30分で話して後半20分に質問に答えようと思っていたのだが、50分話つづけてしまったf(^^;。

再来年やる予定の私の学級担任論の授業でも、前期15回で扱う内容であるから、それを50分でやるなんてのは無理なのは分かっているんだけど、折角だから目次項目としてだけでも説明してあげたいなと思ってやった。

            ◆

ユースホステルと言うこともあり、夜遅くまで会場で飲み明かすと言うことはできなかったが、就寝の時間が過ぎても各部屋で熱く教育について語り合っている大学生がたくさんいた。
(日本の教育に少し、風穴が空くといいな)
と思いながら、私は部屋に戻った。

そして講師の先生たちと、あやしい話をしながら気持ちのよい夜を過ごしたのでした。
この企画5年つづけると結構良い感じになるんじゃないかな。

ここから巣立った教師が学校現場で実力をつけて、ここで講師を務める。
いいんじゃないの。

そして、授業づくりネットワークの関西青年教師塾とも繋がり狩りを作りつつ、やっていけたらいいんじゃないかなあ。

楽しみ楽しみ。

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