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2006/02/25

クラブの同期会

今宵は、高校のときのクラブの同期会があった。高校時代は二つのクラブに参加していたのだが、今宵はその内の一つの文芸部のものであった。

文芸部は何をしていたかと言えば、ソフトボールやバスケットをしながら、読書会や文集づくりに勤しんでいた訳である。私は熱心に参加しているというよりは、遊んでもらっているというような参加の仕方であった。それでも去年から声を掛け合って同期会を開くことになり、今年も会えることになった。

今年は10人が集まったのだが、見事に職業が二分しているのであった。半分が建築関係で、半分が教師である。どうして文芸部がこのように成長するのかは分からないが、こうなったのであった。

久しぶりの仲間との会話は、仕事上でのやってらんないという愚痴に、体の不調についての悩み、さらに家庭の問題に、昔の仲間の消息と実に正当な同期会であった。まさか、高校時代に自分たちが
「お前、太ったなあ」
「あの頃に比べてウエストは30cmぐらい成長したぜ」
なんて話をするとは思いもしなかった。

優秀だった同級生のあいつが亡くなったという話も聞いた。あの先生が退職されたという話も聞いた。顧問の先生が今年ご退職という話も聞いた。新しい仕事を始めるという仲間の声も聞いた。つらい仕事でやめたいと呟いている仲間の声も聞いた。

これをもし、隣の席で若い社会人が聞いたら、がっかりくるのだろうなあと思っていた。だけど、
そう、そうやって人は齢を重ねていくのだろ。

次は夏だという。しかも、教師である仲間が、趣味で大型バスⅡ種免許を持っているのだが、大型バスをレンタルして旅をしようかなんて話をした。そういう旅も良いだろうなあ。

2006/02/23

ジョブズの卒業祝賀スピーチ

知り合いからメールをもらった。マックの最高経営責任者のS.ジョブズの、スタンフォード大学で行った卒業祝賀スピーチである。良い話をしているんだなあ。紹介したい。

引用開始 ーーーーーーーーーー


ジョブズの卒業祝賀スピーチ
(2005年6月12日、スタンフォード大学)
原文URL:
HYPERLINK


"http://slashdot.org/comments.pl?sid=152625&cid=12810404"http://slashdot.org

/comments.pl?sid=152625&cid=12810404


 PART 1 BIRTH

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。
 
本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。
 
 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある 弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外 の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろ ん」と答えました。

 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

               ◆◇◆


 PART 2 COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。

 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。

 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。

 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。

 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

               ◆◇◆

 PART 3 CONNECTING DOTS

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する
大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。

 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。

 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。

 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。

 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。

 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

               ◆◇◆

 PART 4 FIRED FROM APPLE

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。

 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。

 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。

 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。

 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。

 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。


               ◆◇◆

 PART 5 ABOUT DEATH

 3つ目は、死に関するお話です。
 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。

「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。

 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

               ◆◇◆

PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER


 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。

 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。

 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。

 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。


 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。

 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。


               ◆◇◆

 PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、"The Whole EarthCatalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。

 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。

 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole EarthCatalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。

 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry,stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。

the Stanford University Commencement address by
Steve Jobs
CEO, Apple Computer
CEO, Pixar Animation Studios

翻訳 市村佐登美

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引用終了 ーーーーーーーーーー

マックを選んでよかったと思うねえ。

読書新聞を書こう

二年生は、一年間のまとめとして読書新聞を書く単元に入りました。三年生は読書を中心にした卒業文集を書いています。

二年生の授業では、はじめに新聞の要素を確認しました。1)タイトル(日付なども)、2)見出し、3)記事の要約(リード)、4)記事(ニュース、意見、感想、説明、創作)、5)ビジュアル(イラスト、写真、漫画)、6)広告という要素が新聞にはあるのだということを確認しました。

新聞作りは作文と同じで、1)ネタを調べる、2)構成する、3)書く、4)見直すの四つのステップを踏みます。このうちの1)と2)を考えるために、ワークシートを2枚用意しました。ここにこの一年間を振り返って「読んだ本」「学校行事」「社会の出来事」について学期ごとに印象に残ったものを書き出しました。

そして、私たちは驚いたわけです。如何(いか)に私たちは社会の出来事を覚えていないかということをです。この一年に起きた社会の出来事について四つの季節ごとに一つずつ書き出せという指示を出しても、うまく思い出せないのです。

しかし、ひょっとしたらそれで良いのかもしれません。自分から遠い出来事を、事細かに覚えているなんてことをしていたら、私たちは前に進むことが出来なくなるのかもしれません。ただ、あなたはあなたの周りで起こる出来事と全く関わりなしに生きていくことは出来ませんし、その中で様々なことを思い、考え生きていくわけです。思ったり話したりしているだけでは、中途半端なままになることが多いわけです。書くことが考えることになるのですね。

私が、なんでそんなことを思うようになったかというと、きっかけの一つに、ユネスコの一つの宣言があります。

                  ◆

学習権宣言(1985年 UNESCO 国連教育科学文化機関)

引用開始 ーーーーーーーーーー


学習権とは、
読み書きの能力であり、
質問し、分析する権利であり、
想像し、創造する権利であり、
自分自身の権利を読み取り、歴史をつづる権利であり、
あらゆる教育の手立てを得る権利であり、
個人および集団の力量を発達させる権利である。

学習権は、経済的発展の手段ではない。それは基本的権利の一つとして認められなければならない。学習行為は、あらゆる教育活動の中心に位置づけられ、人びとを出来事のなすがままにされる客体から、自分自身の歴史を創造する主体に変えていくものである。

引用終了 ーーーーーーーーーー

簡単この宣言の意味をまとめれば、

「学習するということは、金儲けの手段ではなくて人間の基本的な人権の一つであって、自分で考えて自分で決める、自分たちで考えて自分たちで社会を良くすることが出来る権利で、自分の人生において自分を主人公にし、歴史の一部となることが出来る行為。この中心となることが書くことである」
 
と言うことが出来るでしょうか。

私は、授業を考えるとき、どうしようかと詰まるとこの宣言を読み直すようにしています。そしてヒントを手に入れています。もちろん、これは教師である私が考えれば良いことですが、国連の教育に関する機関がこのような宣言をしていることを知っておくことは、いずれ世界に出て行く君たちにとっても大事なことでしょう。

                   ◆

14才、15才が書く文章は、20才を過ぎてから書く文章には、その技術において、内容において適(かな)わないことでしょう。しかし、14才、15才が書く文章は、20才を過ぎてから書く文章には、書けないものがあります。

14才、15才で感じることの出来る世界というものがあります。14才、15才でなければ思い出に残せないというものもあります。これらはあなたがあなたの人生の一部を書き残すことで、残るわけです。たとえ技術がまだまだ不十分であっても、いまあなたが学んだ結果、出会った世界、そして読んだ本について書くことは、意味がある訳です。残念ながら20才のあなたには書けないのです。

今のあなたがそこにいる、「読書新聞」を期待しています。

(教科通信「志学」 NO. 50 より)

2006/02/22

良い結果を出せますように

いよいよ都立高校の本番が明日です。今ままで学んできたことをそのまま出せば、いい結果が得られるでしょう。落ち着いて試験に臨んでください。

和田中学校では、君たちの学校での生活をきちんと育てています。試験ではあがることもあるでしょうが、大丈夫。日頃からきちんとやっている君たちは、いつも通りにやれば良いのです。特別なことをする必要はありません。いつも通りがちゃんとしているのですから、そのままやれば大丈夫ですし、多少あがったところで多くの他の学校の生徒諸君よりも、まだ余裕があるはずです。大丈夫です。

                  ◆ 

ですが、一応老婆心ながらチェックポイントを確認しておきましょう。

今晩

明日の持ち物をチェックしたら、早めに寝ましょう。寝ようと思ってもひょっとしたら興奮して寝ることが出来ないかもしれません。でも大丈夫です。体を横にするだけで疲れは取れます。寝られなかったら、目をつぶってるだけで大丈夫です。

それでも寝る努力がしたいのならば、頭の中を空っぽにしてリラックスすることです。しかし、頭の中を空っぽにするのは難しい。そこで、お勧めの方法は、1)顔の筋肉を手でほぐす。2)自分の足の裏がどのようになっているか想像する。3)顔は、ホゲーッとした顔にする。こうすることで、一つのことだけ考えて、リラックスした体になります。これで、バカらしくなりながら大体寝てしまいます。

腹八分目にして出かけましょう。30分ぐらい前に学校に着くのが良いでしょう。自分の机を確認したら、校舎を見回してみましょう。そして、四月から始まる自分の高校生活を想像し(うっしゃあ、やるぞ!)とエネルギーを貰いましょう。

テスト開始

国語は、最初の試験です。順調に滑り出したいものです。試験問題を解く順番、解き方についてはを去年の10月に問題集を使って練習しました。それを思い出してみましょう。

筆記用具は、濃いものを使い、「濃く、太く、大きく」書きます。

1)試験開始と同時に、受検番号と名前を書きます。また、テストを受ける際の条件をきちんと読みます。

2)問題の冊子を最初から最後まで見渡します。どこにどのような問題があって、どこから解いたら良いのか、どのぐらい時間をかけるのかと計画を立てます。入試問題では、点数がとりやすいと思えるところから解き始める計画を立てます。

3)問題を解く時には、設問を良く読みましょう。設問の中にある条件がヒントになります。記号ですか、書くのですか? 書き抜くのですか、まとめるのですか? 単語ですか、語句ですか? 正しいところですか、間違ったところですか? 一つ選ぶのですか、二つ選ぶのですか? 条件のところに線を引きながら、確認しましょう。

4)設問を読んだら、出典(作者や本のタイトル)を読みます。何について書かれている文章か大雑把につかめることが出来ます。

次に、本文を読みます。一回目の読みが大事です。一回目の読み方を間違えてしまうと、間違えたまま頭に記憶されてしまいます。落ち着いて読みましょう。

5)試験の途中で35分が過ぎたら一度、軽い休憩を取りましょう。そして、このあとの15分でどう解いていけば良いのかを確認しましょう。今解いている問題を解き続けたら良いのか、それとも新しい問題に取りかかったら良いのかを確認し、残りの15分で得点が取れるように方針を立て直しましょう。

6)残り時間5分で見直しです。見直しは、他人の目を持って見直しが出来ると有効です。そのためには、時間をおいて見直すことです。最初に解いた問題から取りかかりましょう。また、他人になるためには、心の中で性を変えて読むと良いでしょう。つまり、男性は女性の声で、女性は男性の声で読むと他人になりやすいわけです。そして、最後に受検番号と名前を確認します。

テスト終了

終わった問題の答え合わせをする暇があったら、次の時間で一問でも多く解けるように最後まで努力を重ねよう。

心から、健闘を祈ります。

(教科通信「志学」 NO. 49 より)

2006/02/21

大人にはなったのか? なっていたのか?

三年生は、小論文を学んでいる。この小論文をもって、卒業論文としたい。
今回挑戦するテーマは、「大人とは何か?」である。三年間学んできた知識と体験と技術をもとに、あなたの考える大人というものを説明してほしい。

授業では、君たちに大人とはなにかを定義してもらい、それを私が検証し、私が考えた「大人」の定義に至る思考の過程を紹介しする。これを受けて君たちの再定義を小論文にまとめるという流れで行う。

以下に示すのは、授業中に君たちに紹介した詩である。授業中は時間の関係で一つしか読み上げることが出来なかったので、その詩と一緒にもう一つの詩も紹介する。君たちの小論文の参考にしてほしい。

引用開始 ーーーーーーーーーー


あのときかもしれない   長田弘 『深呼吸の必要』から

 きみはいつおとなになったんだろう。きみはいまおとなで、子どもじゃない。子どもじゃないけれども、きみだって、もとは一人の子どもだったのだ。
 子どものころのことを、きみはよくおぼえている。水溜まり。川の光り。カゲロウの道。なわとび。老いたサクランボの木。学校の白いチョーク。はじめて乗った自転車。はじめての海。きみはみんなおぼえている。しかし、そのとき汗つぶをとばして走っていた子どものきみが、いったいいつおとなになったのか、きみはどうしてもうまくおもいだせない。
 きみはある日、突然おとなになったんじゃなかった。気がついてみたら、きみはもうおとなになっていた。なった、じゃなくて、なっていたんだ。ふしぎだ。そこには境い目がきっとあたはずなのに、子どもからおとなになるその境い目を、きみがいつ跳び越しちゃっていたのか、きみはさっぱりおぼえていない。

* 著作権の関係でネット上では以下省略する
引用終了 ーーーーーーーーーー

(教科通信「志学」 NO. 48 より)

小論文の二つの型

小論文は、大きく分けると二つの型がある。一つは、問題解決型であり、もう一つは、定義型である。与えられた論題に対してどちらの型で書き進めれば良いのかを考え、書くことにする。

問題解決型の論題は、「電車の優先席を廃止すべきであるという考えがあるが、あなたの意見を書きなさい」というタイプで、定義型は、「日本人は幸せであるかどうか、あなたの意見を書きなさい」というタイプのものである。

                   ◆

問題解決型の文章は、さらに次の三つのパターンで書くことが出来る。g


(1)は、現状(いまの様子)に問題があり、プランを実施すると、メリット(良い点)が発生するのでプランをしようという流れで書く。たとえば、「現状の学校のトイレは非常に寒い。便座ヒーターを設置すると、安心してトイレを使えるようになり健康にも良い」のようなものである。
(2)は、現状には特に大きな問題点はないが、プランを実施するとメリットが発生するので、プランを実施するのが良いと書く。たとえば、「クラスに大きな問題はないけど、さらに仲良くなるためにレク大会をしよう」のようなものである。
(3)は、ある「目標」を達成するには、このプランを実施するのが一番良いという流れで書く。たとえば、「期末考査では平均点80点以上を目標とする。そのための勉強方法は、以下のものである」のようにする。

もちろん、反対側もある。(1)’は、現状に問題はない。しかし、プランを実施すると、デメリット(悪い点)が発生するのでプランは行わないの流れで書く。(2)’は、現状には特に大きな問題点はないが、プランを実施するとデメリットが発生するので、プランを実施するのは悪いと書く。

                   ◆

初心者は、この問題解決型の時には、(1)の型を使って書くのが書きやすいだろう。なぜならば、現状とプラン後の差がはっきりと出るからである。注意しなければならない点は、「本当にそのプランでないとメリットは生まれないのか」ということである。そのままにしていおいても、問題が解決するなんて場合は、説得力がなくなる。例えば、(1)で、「今年学校の予算を使って便座ヒーターを設置しなくても、来年区の予算で設置される」なんて場合は、ダメだということだ。

                   ◆

もう一つの定義型についても説明する。定義とは、「言葉の意味を定めること」である。「日本人は幸せであるか」と言われて、日本人とは何かと考える人は、まあ、いないだろう。一般的には、日本国に国籍のある人でいい。

しかし、「幸せ」については意見は別れるだろう。例えば、ある人は「一日に三食食べられること」だが、ある人は「体が思い通りに動かせること」かもしれない。また、「一日中本を読んでいられること」「家族に囲まれて生活すること」「自分にあった仕事ができていること」「高収入を得られること」「一人で暮らせること」などなどいろいろである。

このような違いのことを「価値観」の違いというのだが、この部分を自分とは違う価値観を持っている人に
(なるほど、こういう見方もあるのか)
と思わせるような文章を書くことができれば、この定義型の小論文はうまく書けたと言えるだろう。

                   ◆

実際の授業では、この二つの型を使って練習の文章を書き、その後、新たな論題を私の方から提示して、本番として書いてみることにする。

ちょっと頭を使うが大事な部分だ。しっかりやってみよう。

(教科通信「志学」 NO. 47 より)

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