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2007/01/31

レシピの法則

「茎わかめ饂飩の法則」を思いついた私は、更なる冒険を進めていた。思考実験である。
(茎わかめ饂飩が、そうだとすると、あれはどうなるんだ?)
と言う具合である。

            ◆

以前、授業で「いわゆる神の降ろし方」ということについて、学術的考察をしていたところ、きときと君に「先生、そんなところまで分析するんですね」と言われてしまったが、まあ、そういうのが面白いし大事だと思うのだが。

なんでもかんでも「調べてみないと分からない、実験してみないと分からない、教えてもらわないと分からない」と決めつけるのはおかしいと思っている。

私が閃いたということは、その隣接する領域に私がまだ閃いていないものが、接しながら存在していると考えた方が良い。また、閃いたのは私の中の何かが、きっかけを得て結びついたのである。調べることや実験することを前提にしてはいない。だとすれば、さらに調べるよりは、見つめるだろう。

            ◆

そんなことをしていたら、来ましたね。新しい法則が。
まさに、降りてきたんだな、これが。

「レシピの法則」

である。

なんだか食べ物の話ばかりで我ながら恥ずかしくなるが、降りてきたものは仕方がない。
これがうまく整理できれば、来年の国語科教育法の授業は、もう少し安定したバリエーションを出すことが出来るであろう。

なんのことだか分からないと思うが、自分のメモとして。

2007/01/30

茎わかめ饂飩の法則

午前中はいくつかの文章と格闘。

こういう時に限って学生から急なメールが入る。
「文章と格闘中につき、30分待ってほしい」
と伝え、仕事を進める。

京都大学にいらっしゃった数学者の森先生は、
「本日頭脳明晰のため、休講」
という伝説の張り紙を出したということだが、私とて一度ぐらいこうしてみたい。
が、森先生と私を比べるのも烏滸がましい。
「ちょっと待って」
のメールが関の山である。

            ◆

ではあるが、そんな私にも閃きがあった。
それはお昼ご飯の「茎わかめ饂飩」を食べている時のことである。

茎わかめの炒め物は、このブログでも以前紹介したが、あれは一度食べると癖になるので、無くなっては作り、無くなっては作りをしている。

で、今日の昼は塩を抜いた茎わかめをちょっと手に取ってザクザクと切り、饂飩の中に入れて食べたのだ。
(ああ、美味い)
と思う一方で
(ん? 思ったよりも茎わかめの感触が無いな?)
とも思った。そして、閃いたのである。
(あ、これが学習行為か)
と。

とある高僧は、アリが歩いて行く姿を見て悟りを得たということだが、そこまでは凄くなくても、いっぽうでそれに近いなあと思う私であった。

            ◆

「授業で教えきることは可能のだろうか」
ということは、つい先日西川先生へのコメントで問題にしたものだ。私の結論は不可能である。しかし、授業者は教える精度を高めなければならないとも思っている。

問題は、どこまでその精度をあげるかなのだ。
茎わかめ饂飩を食べながら、私はこの精度問題には二つのポイントがあると気がついた。

1)伝える技術の精度は、できるだけ高める。
2)どこまで伝えるかは、判断による。

ではないかということをだ。

            ◆

茎わかめは、ご存知のようにわかめの茎であり、細長く固い。この茎わかめを食べごろのサイズに刻んで、食す。だから、切るための技術は優れているほどよい。これが、1)である。しかし、どのぐらいのサイズで切るのかは考えなければならない。これが2)である。

今日、茎わかめを食べていて(ん? 思ったよりも茎わかめの感触がないな?)と思ったのは、2)を失敗していたのである。私が楽しみたいと思っていた「噛み締めの総量」よりも、細かく刻んでしまっていたのである。だから、感触が足りなかったのだ。

そして、これは感触だけの問題ではない。
お腹を壊した時に食べるお粥が思いのほか消化に悪いことがあると言う話を聞いたことがある。十分に柔らかくなっているので、噛まないで飲み込む。そうすると唾液が混ざらないので、消化がしにくいと言うのである。

そうだとすれば、今日の茎わかめ饂飩における茎わかめは、噛まなくても飲み込めると言うことと同じになる。

            ◆

んで、これを学習行為に展開して考えれば、

「理解しやすいようにするための教師の技術の向上は、とても大切である。しかし、なんでもかんでも分かりやすいようにとしてはダメなのである。ある程度、理解の手応えを学習者に残すように学習内容を用意し、学習者が自らの咀嚼で内容を手に入れるようにしなければならないのだる」

ということになるのではないだろうか。
だから、どの程度の噛みごたえを残すのか、つまり、自らが学ぼうとちゃんと手に入れることが出来ないような学習課題の設定するのかということである。その設定の具合が授業のある種の質を決めるのだろう。

うーむ、恐るべし「茎わかめ饂飩」である。

これからこのことを「茎わかめ饂飩の法則」と呼ぶことにしよう。

2007/01/29

うるい

スーパー評論家の私としては、一日に一回スーパーに行かなければならない。
疲れた体を引きずり、今日も出かけて行った。一件目は特に問題なし。値引きも無し。
そこで、二件目に突入。すると、あった。今シーズン初の「うるい」である。

うるいとは、オオバギボウシと呼ばれるユリ科ギボウシ属の植物である。私のイメージでは関東ではなく上信越、または東北の食べ物である。それを西大津のスーパーで見かけた。これは買うしかない。

            ◆

レジで清算をしていたら、レジのオバさんに
「うるいってなんですか?」
と聞かれてしまった。
何と言われても
『ギボシの一種です』
としか答えられない。というか、お客さんに聞くか? まあ、面白いけどf(^^;。

            ◆

基本的には、おひたしにして食べるのが美味い。
うるいの調理方法をネットで見ると、「茹でてから切る」という記述が多いが、私はこれではない。「切ってから茹でる」である。

というのは、根っこに近いところと葉っぱの先で同じ茹で時間と言うのは、いかがなものかという思いがあるからである。根っこに近いところが茹で上がる直前に葉っぱの部分を投入すると、出来上がりが同じような茹で具合になる。これがいいのだ。

            ◆

醤油やマヨネーズで食べるのも良い。が、今シーズン初であれば、そのまま頂きたい。ほんのり苦みのあるその向こう側に甘さが広がる。春の味わいだ。

ああ、美味い。

はい、それでは良い春休みを

本日、「大人とは何か」の小論文提出締め切り日。メールでの提出も求めているので、深夜から明け方に掛けても提出が続く。

小論文を書き終えた後に、書き終えての感想も書かせている。振り返りが大事だと考えているからである。その中で比較的多かった感想は、

・ 改めて大人と言うものを考えてみて、面白かった。
・ 先生の定義に納得してしまい、自分で定義し直すのに苦労した。
・ 頭の中では分かっているのに、文章にしようとすると難しかった。

というものである。特に三番目の「文章にしようとすると難しかった」が面白い。

            ◆

考えると言うことは、書くと言うことである。

このことを学生たちが実感できると良いなと思い授業をしている。私の授業は書く作業が多い。感想の文章と、考えの文章の両方ともを求める。

うんうん悩みながら、筆を進めて行く作業が、その人間を作って行くのだと思う。
頑張れ。

            ◆

昼過ぎに、昨年ALL関西教育フェスタで知り合いになることができた、映像プロデューサーのHさんと大学で会う。学生たちが作ったデジタルストーリーテリングの作品を見てくださると言うのだ。まあ、最初の作品なので完成度はそんなに高くないが、プロに見て頂くことで私も勉強になるし有り難いことである。

私がどのような考え方に基づいてこの授業をつくり、この作品を作らせるまで指導をしたのか等を話しながら、見て頂いた。

学生たちの作品の質に、驚いたり感動してくれたりしたので、私も嬉しかった(^^)。ここから一つ新しい何かが生まれるかもしれない。

            ◆

で、今日は教職総合演習の授業の日であるが、シラバスで予定していた15回は先週で終わっているので、やらなくてもよい。ではあるが、折角小論文を提出に来ているので、本格的な授業と言うことではなく、お茶会でもしようかということになり、する。

各自がちょこっとしたお菓子とお茶を持参して、振り返りをすることにした。私の授業は、机の上にペットボトルを置くことも認めない。ではあるが、柔らかくする時は柔らかくである。中には手作りのケーキを持参する学生までいる。うれしいねえ。

この会には先ほどの映像プロデューサーさんにも参加して頂く。実際に作った学生たちを見て頂くのも良いかなと思ったからである。

            ◆

お茶会では、ディベートと大人とは何かの二つの件について触れながら、学生が一人ずつ振り返りを行った。まあ、出る出る。いかに私の授業が大変だったかという、嘆き、愚痴、叫び。とても涙なしには語れず、聞けないf(^^;。

ではあるが、乗り越えた喜び、力がついた嬉しさも同時に語っていた。なんかこれで学生たちと授業ではお仕舞いかと思うと、やはりしみじみするねえ。最後の2、3分を使って私もまとめのスピーチをした。

『一見なんでもないような言葉を定義することの難しさ。そして、定義の切り口によって分かりやすさが違って来ることの面白さ。なんでもありということは、理由付けで勝負が決まるということ。

他にも君たちの振りかえりで論点は出たけど、そういうことを文章を書きながらくぐり抜ける経験が、来年の教育実習や卒業論文に繋がるのですね。使う言葉を選ぶというが、こういう経験をくぐり抜けてこないと、見えてこないものがありますからね』

私らしくなく、チャイムと同時に終わった。

『はい、それでは良い春休みを』
「ありがとうございました」

とのやり取りをして、一年間を締めくくった。

            ◆

そのまま帰ろうかとも思った。がまだ、明後日の高校の授業の準備が終わっていないので、映像プロデューサーさんを駅まで送ってから研究室に戻り、最後の調整。それも終わり、明日印刷すれば完了のところまできた。ふう。

あとは、研究費の確認、入試業務、1/31締め切りの本の原稿、評定、大阪教育大学講座のシラバス作り。まあこのぐらいやれば、プライベートのことは別にして、今週は終わっても良いだろう。

もう、一月も終わりだああ。


2007/01/28

マイブーム

マイブームというちょっと古い言い方があるが、今の私はまさに「文字と戯れる」のがマイブームである。でっかい紙に、ガウガウ、ダウダウ、フンフンと書き続けている。

真っ白い紙に黒の墨で、存在を残して行く。まぎれもなく私の文字である。こういう楽しみを味わえるんだな、書道は。作品を作り上げるということではなく、あくまでも文字と戯れているだけなので、楽しいのかもしれないが、ガウガウ、ダウダウ、フンフンである。

書道をやらない人にはこの面白さを理解してもらえないかもしれないが、格闘技のような短距離走のような。時にはダンスのようなマラソンのような。楽器の演奏のようでもある。これが、ガウガウ、ダウダウ、フンフンだ。

このところ一日に30分から一時間はこれをしているものなあ。
生産的な行為のように見えて、全然生産的でない。ただ、文字と戯れる。

これ、何に繋がっているのかなと、ちょっと楽しみ。
別に何にも繋がっていなくても良いのだが。

            ◆

昼過ぎから、cooper-sのメインテナンスのために車屋さんに行く。
もう一つのマイブームのcooper-sである。

cooper-sの基本性能は何も問題ないのだが、ちょこちょこっと気になるところがあるので調整をしてもらおうと思って出かけて行ったのだ。

私の車の整備を担当してくれるオジさん(って、私もオジさんだが)と、コーヒーを飲みながらゆっくりと車談義。なんかどこかで見たことがあるなあと思っていたが、
(ああ、これは『GT ロマン』の世界だ)
と思ったのである。

この漫画を好きな人は、多分『万歳ハイウェイ』も好きだろうが、なんつーか、馬鹿な人たちの話ですよ。憎めない車好き、バイク好きの話ね。

私はそこまでではないので、ド・ノーマルの車、バイクで楽しむので十分。あとは、これらの物語で楽しめば良いと思っていたのだが、cooper-sの御陰で『GT ロマン』の世界に足を突っ込みそうになっている。まさか、日曜日にこんな風に過ごす自分がいるなんて、一年前には思いも寄らなかったなあ。

楽しい時間を過ごし、宵の迫る湖岸を走る。ただし、代車。ま、それも良いだろう。
一週間ドック入り。十分に調整してもらってきてください。

            ◆

さあ、明日中には高校の授業の準備を終えたいものだ。

2007/01/27

教材研究の旅へ

午後から教材研究の旅へと出る。
と言ったところで、片道30キロぐらいであるが。

            ◆

まずは、嵐山にある任天堂の「時雨殿」に向かう。
百人一首を任天堂DSを使いながら楽しめるところである。

入場料800円を払って入る。

DSを借りて遊ぶゾーンにまず行く。京都市内を上空から見下ろした画像が足許にある。DSで行きたい場所を示すと、足許の画像に鳥がガイドとしてその場所に連れて行ってくれる。面白いねえ。来年度の児童教育学科の学生たちを連れてきても面白いかもしれない。

ただ、画像が揺れているのでちょっと船酔いしたような感覚になる。体調が悪い時は注意だな。

            ◆

つぎは、百人一首をテーマにしたお煎餅を買いに行く。ちょっと気になったのだ。

http://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/hyakunin01.html

これ、本当だろうか? 藤原定家は本当にこんなことを考えて百人一首を選んだのだろうか。このお店に行って確認したいと思ったのだ。

買い物をしてから伺ってみたところ、担当の方が出てきて丁寧に教えてくださった。この絵は後から描かれたもので、歌全体の解釈を行うとこのようになるのではないかという、林さんの説から作ったものとのこと。

真偽のほどはまだ私には分からないが、凄いなあとは思う。

            ◆

で、実際のこの場所は何処なのかとお店の方に伺ったところ、サントリーウイスキーの山崎工場のある辺りで、水無瀬神宮にいけば良いのではないかとのこと。ただ、風景は全然違うとのこと。

いい。それでいい。大事なのは、そこを感じてみることだ。
兎に角行ってみることにした。

            ◆

駐車場に車を止めて周りを見渡すが、建物が多くてよくわからない。
まあ、これは予想していたこと。
でも、その土地に立つことがポイントなんだな。

で、なぜか、水無瀬神宮から帰って来る人はポリタンクを持っている。
(あ、湧き水だ)
そう思った。私も慌てて車に積んであるエマージェンシー用のペットボトルを取り出して、境内に進む。

すると、予想通り地下水をくむ場所があった。
「一人ペットボトル3本まで」と書いてあるが、そんなことを気にせずに汲んでいる人たち。
でも、私が小さなペットボトルを持っているのに気がついて
「お先にどうぞ」
と言ってくれた。私、1リットルも汲まないからねえ。

一口飲んでみる。
スッキリとして気持ちのよい水であった。
明日、これでコーヒーか紅茶を入れてみよう。

            ◆

帰りは高速を使わないで下道で。
自宅に向かっていたら、17:00になった。
その頃ちょうど山崎のサントリーウイスキー工場の近くを通った。そうである、「アヴァンティ」である。

車で行っているので当然味見は出来ないが、アヴァンティを山崎工場で聞くってのは、乙でしょ。駐車場に車を止めて、ジェイクではなく、スターンと教授の会話を楽しむ。面白いなあ。

            ◆

良い一日だったので、冬の珍味を食すことにする。
カワハギの刺身である。石川県産。
ああ、胆が上手い。
魚臭くなく、ただ、ただ、胆の美味さが白身のカワハギを引き立てる。

            ◆

土日に時間があることの幸せを感じながら、一日を過ごしたのであった。

ガウガウ書く

朝からガウガウ文字を書いている。
内の大学には書道学科があるのだが、四回生は卒業作品展ようの作品を書き終え、引っ越しに向けて準備をはじめている。そして、余っている紙を研究室に持ってきてくれた。

『まだ、使うだろうに』
「新しい紙にしたので、使ってくれたら嬉しいです」

と言われて、
(来年他の学生が使うかもしれないから預かっておくか)
と思って預かった。
が、
(どんな書き味の紙かな?)
と少し自宅に持ってきて書いてみると、なかなか面白い書き味の紙である。

そこで、朝からガウガウ書いているのである。

            ◆

私の場合は特に作品展やコンテストがあるわけではない。
ただ、筆の趣くままに書いている。

息を吐ききり、腹筋を緩める。
小鼻の周りの空気を自然と体に入れる。
この繰り返しをすることで体の重心は下に下り、
テンションはあがって行く。

すると、ふと、言葉が出てくる。
書きたい言葉だ。

            ◆

で、ガウガウ書く。
うーん、気持ちがいい。

2007/01/26

結局ずーっと研究室

今日は大学ではないところで仕事をしようと思っていたのだが、資料が研究室にあるのを思い出し、午後から研究室に。うーむ。

            ◆

来週行う高大連携の授業の指導案作りである。
50分の授業を2時間連続で行う。
領域は古典。
対象は高校2年生ということである。

いつも行っている高校での模擬授業とは違うので、最初から組み立てなければならない。まあ、授業をつくるのは好きなので良いが、一回限りの授業のために結構な時間がかかるな。自分で言うのもなんだが、そして高校生諸君は分からんだろうが、実に贅沢な授業だ。

            ◆

授業の目的やらアウトラインやら、使う資料の整理をしながら実際の動きを想定して作って行く。生徒諸君の実態がよくわからないので、どの程度の内容まで掘り下げるのがいいのかは分からない。ここの部分がやっぱりしんどいなあ。

そういう場合は、教材研究に限る。
どういう生徒であっても対応できるように、事前の教材研究が大事である。これは学生諸君にも話していること。私とて同じことをするわけだ。

で、結局ずーっと研究室にいることになるだなあ。
まあ、そろそろ帰るか。

            ◆

幸いにして、明日、明後日に大きな用事はない。
だから、この二日間を使えばなんとかなるだろう。

折角京都にいるのだから、教材の現地等も見てくるかな。

2007/01/25

ちょっと感無量

やった、これで一安心。

            ◆

午後から、旺文社の教育雑誌の取材を受けて、2時間弱話す。
来年度の大学情報雑誌に掲載されるはずだ。

インタビューを受ける時は、なるべくニュートラルな私で答えるようにしている。引き出すインタビュアーの力量でどのような私になるのかを楽しんでいるところがあるなあ。

今日はたのしく話すことが出来た。むしろ話しすぎたかもしれない。これをまとめて原稿に落とすのは大変だと思うけど、どんな原稿になるのかを読ませてもらうのは楽しみだ。

            ◆

国語科教育法2の最終授業である。
学生たちはよく頑張ってきた。
今日は授業を振り返ってのスピーチである。

何を学んで、何を課題としたのかを2〜3分のスピーチにまとめるのである。

            ◆

そして、その授業が終わった。
大学に移って一年目の授業がすべて終わった。
ちょっと感無量。

私が心がけてきたのは、

1)この授業を受けなければ決して身につくことのなかった何かをプレゼントすること。
2)課題をやりきった者には必ず力がついてる課題を出すこと。
3)学習集団を構成しつつ、学生同士の学び合いで互いを高みに導く授業であること。

である。
これらの基本的な考え方を元にして、授業を構成し、内容を提示してきたつもりだ。今日の学生たちのスピーチでも、そのことを受け止めることが出来たと思われる内容のスピーチがあり、嬉しく思った。

授業内容、方法の入り口は出来た。
が、これで固めることはせず、改善しながらだな。

一年目の授業はすべて終了。
うしゃあ。

あとは、評価だ。

『スラムダンク』

「スラムダンク」を今頃読み始めた。そして読み終えた。
子ども文化を理解するために読まなければなあと思っていたのだが、誰かの絵に似ているがどうもその似具合が私にはぴったりとこなくて、だから絵柄が今ひとつ入ってこないのと、バスケットボールそのものにさほど興味がないことがあって、読まないでいた。

だが、児童教育学科もできるし、いまの学生たちはこの「スラムダンク」にビンゴの世代だし、31巻一気読みしてみるかと思って挑戦した。

ちなみに、この絵柄は小林まこと(「1、2の三四郎」「What's マイケル」の作者)さんの絵柄に似ている。ひょっとしたらアシスタントをしていたのかな?

            ◆

5巻まで読んだが、今の印象は
「面白いが、これでいいの?」
というものだ。

ここまでで出て来る中心登場人物は、基本的に身長が高く運動神経が優れいている。高校一年生で身長が180cm台の後半が揃うなんて、それだけで私は興ざめである。もちろんフィクションだから良いのだが、それをすんなりと受け入れることはできないなあ。

だって、収入があって、遺伝的に賢くて、環境が整っていて、という高校生が良い大学を目指すということとあまり変わらないじゃないですか。そういう漫画って読む?

それだけ才能がある人間たちが集まっているんだから、出来るだろと思ってしまう。うーん、面白いんだけど、入って行けないなあ。

物語は大きなウソはついても構わないが、小さなウソはついてはダメというのが定石だが、私にとってここの部分は大きなウソではなく、小さなウソに感じられてしまう。

ではあるが、この物語を子どもたちは受け入れている。それはなぜなのかは、読み切ってみないと何とも言えないが、ちょっと「これでいいの?」という思いになっていることは事実である。

            ◆

が、物語を読み進めて行くと、その初期設定を忘れてしまうような展開がある。スラムダンクの物語性が語り出しているな。初期設定の小さなウソが、どうでも良いって感じになって行く。恋や友情、挫折を乗り越えて行く、資質はあっても努力を重ねてこなかったものと重ねたものの違い。こういうところが良いんだろうな。

そして、先生か。
今の大学生辺りの先生の理想像は、この先生にあるのかなあ。今の大学生が先生になったときに安西先生を目指すのだとしたら、ちょっと教育界は面白いことになるかなあ。

ただ、それはすっごい大変だけどね。

そのジャンルのことを分かっていて、説教しない。
それでいて方向性だけはきちんと示す。
指導者として、挫折の経験も持っている。
生徒が徹底的に教えてほしい時には、徹底的に教える。
生徒が自分で頑張らなければならない大切な時は顔を見せない。彼らに任せる。
(ま、病院で寝ているということになっているが、これが大事)
まるで、「長老型マネジメント」だ。
これが出来るようになるには、10年はかかるからな。

この漫画を先生の視点から読み直させると面白いことになるだろうなあ。たしか、齋藤孝さんが安西先生のことで何か本を書いていた気がするけど。

桜木花道は寅さんなんだなあ。
いや、先生との関係で言えば孫悟空かもしれない。
自分の好きなことをやり放題しているのに、先生の手のひらの中からは出ていない。
こういうとき、美しい師弟関係の一つが出るのかもしれない。

            ◆

絵柄のことで言えば、小林まことさんの絵柄の良いところが、話の展開に連れて出てくる。「1、2の三四郎」の志乃ちゃんの瞳に似ているアップの表情なんかがそれだ。

そうなると、この「スラムダンク」は、漫画界の連句とも言えるのではないかと思った。いや、本歌取りの要素もあるかもしれない。

松尾芭蕉がつなぐことを求めて行った俳諧連歌。「1、2の三四郎」から「スラムダンク」への「俳諧連漫画」なのか。

いや、そうなるとやはり、師匠選びは大事だ。

            ◆

あり得ない設定から始まったが、十分楽しめた。
「素質があっても、才能があっても努力をしなければ意味はない」
そんな風に簡単に言葉でまとめる必要もないだろう。

エピローグ的な連載の終了もいい感じだった。
このあと第二部があるのかないのかわからないが、これはこれでいい終わり方である。

私としては、さらにこの「スラムダンク」を引き継いだ、本歌取りまたは連句のような漫画が出ることを楽しみにしたい。

さて、次の一気読みは何にしようかね。

応援しているぞ

昨日も模擬授業。ちょっと遠くまで出かける。
その高校の名前がどうも頭に引っかかっていたのだが、思い出した。ノートルダム清心女子大学の田中 宏幸先生から頂いた年賀状にあった名前だ。奥様が勤められているという。いやあ、奇縁。早速事前のご挨拶メールをして伺う。

            ◆

校長先生の事前の挨拶がなんか良かったなあ。
本当に、生徒をよろしくお願いいたしますという気持ちが伝わってくる話だった。

実際に授業をした生徒は高校一年生だった。背筋をピンと伸ばして授業を聴く姿は、なかなか良かった。校長先生の子どもたちに対する思いが伝わっているんだろうなあと思えるようなものがあった。

私は話をするとき、生徒の背筋に筋を通そうと話す傾向がある。林竹二先生の「湊川高校でおこったこと」の事例が強烈にインプットされていて、姿勢が悪い生徒を見ると、そうしたくなる。ここの生徒たちにはほとんど必要なかったが、話が背筋に入って行くのを見るのは、授業者として気持ちのよいものである。

(去年和田中で教えていた中三の子どもたちもこのようになったかなあ)

とちょっとシミジミする。

            ◆

模擬授業後、田中先生の奥様の先生とちょっとお話。いろいろと高校の実情を伺う。なるほどなあと勉強になる。再会を約束してお別れ。

            ◆

夜は、これまたヒッさしぶりの人と会う。

15年前の瑞雲中学校の時の教え子である。ミッチーくん、sayuriくん、君らの同級生だよ。サッカーをやっていて清水商業にいった晃くんと言えば分かるだろう。
いま関西にいると言うので、一緒に食事をしようということになったのだ。

ヒッさしぶりに見た彼は、中学校の時とは違い(当たり前か)、がっちりとした体で良い男になっていた。

焼き肉を食べながら、近況を聞き、近況を話し、これからの夢を聞いた。自分の夢を追い続けるってのは、なかなか難しいが、社会人になったということは学生時代にはちょっと無理かなあと思うようなことも、逆に出来たりすることがあることなどを話す。

まさか、私が関西に住まいするということになるとは思っていなかったが、そこに教え子がいて、こうして一緒に焼き肉を突くとも思わなかった。うれしいことだ。

晃、頑張れよ。
応援しているぞ。

2007/01/23

大人とは何か?

教職総合演習の授業が終わった。半期、15回の授業であったが学生諸君はなかなか大変だっただろう。って、先生の授業で大変ではないものがあるのか!という学生からの突っ込みが四方八方から飛んで来るのを感じつつ、ブログを書いている次第である。

            ◆

この授業の最後は、「大人とは何か?」の私の定義を述べる講義。
私は教師になるには、この「大人とは何か」という問題をしっかりと理解しておくことが重要だと考えている。

それは、教師として児童・生徒に接するとき、児童・生徒は子どもで教師は大人であるからだ。そして、子どもを大人に育てるのが教育の仕事の一つだからだ。しかし、その子どもと大人の境目を、教師が自覚していないと言うのでは、指導は難しいと私は考えている。

            ◆

長田弘さんの『深呼吸の必要』という詩集には「あのときかもしれない」という作品に、
「子どもになったのは二本の足で立ち、言葉を話せるようになったとき、赤ちゃんになった時は時間まで分かる。しかし、大人はなったではなく、なっていただ。不思議だ。自分のことなのにいったいいつ大人になったのかが分からない。」
のようなことが書かれている。

この詩を読むことで学生たちに問題提起を行い、学生の取りあえずの定義を批判的に検討し、私の思考過程を提示し、授業を進めてきた。

最後に私の「大人」の定義を受けて、学生たちは自分たちの大人の本格的な定義を小論文で行うことになる。一週間後に提出だ。どんなものが提出されるか、非常に楽しみである。

            ◆

中には、この授業を受けていても教師にならない学生もいるだろう。しかし、それでも良い。実はキャリア教育というのは、この大人とは何かという問いに対して、自らが答えを出すところから始まるのではないかと考えている。教師にならなくとも、学生は大人にはならざるを得ない。その時の指針の一つになれば良いなあと思う次第である。

            ◆

で、池田の大人の定義は何かって?
それはまあ、来年度授業にお越し下さい。
ええ、企業秘密です。

って、いいからそれで論文を書けという突っ込みも飛んできているような気もしておりますf(^^;。

ディベート甲子園出身者が

ミス日本になりました。
私、去年の夏に一緒に東海大会でジャッジをして、
一緒に食事にも行ったなあ。20070123_2322411


http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20070123-OHT1T00046.htm

これはすごいことだ、目出たいことだ。

引用開始 ーーーーーーーーーー


ミス日本グランプリに萩美香さん
グランプリに選ばれた萩美香さん

グランプリに選ばれた萩美香さん

 女優の藤原紀香(35)らを輩出した「第39回ミス日本グランプリ」の07年度決定コンテストが22日、都内のホテルで行われ、2432人の応募の中から立教大学大学院・法学研究科1年の萩美香さん(23)がグランプリに選ばれた。

 発表の瞬間、両手で顔を覆って感激した萩さんは、3度目の挑戦での戴冠。約1400万円相当のダイヤモンドティアラなどを贈られ「夢の中にいるような気持ちでいっぱい。信じられない」と驚きを語った。

 「いろいろな可能性が広がりました」という今後は「ボランティアとか福祉に何らかの形でかかわっていきたい」。紀香のような女優には?の質問には「あこがれてるんですよ~」と笑顔を見せていた。

(2007年1月23日06時00分 スポーツ報知)

引用終了 ーーーーーーーーーー

2007/01/21

忙しく切ない年度末が始まる

久しぶりに、休日。
お習字に勤しむ。
『礼記碑』
をひたすら全紙に書く。
うーむ、気持ちがよい。

午後からは、山中越えで京都市内に向かう。
一保堂のお茶と書道用品を買いに寺町通に向かう。

市内は空いていた。
今が一年で一番空いている時期なのかな。
京大病院の横を通り抜けすいすいと走る。
気持ちよい。

研究室で飲んでいるお茶と、家で飲むためのお茶を購入。
お習字用品を少々となんやらを手に入れて満足。

冬の京都を通り抜けるのも良いもんだ。

            ◆

午後からは、来年の四月からの準備で大津市内をうろうろ。
落ち着いて部屋にいれば良いのだろうが、まあ、うろうろ。
これでもプライベート関連でも忙しいのである。

ではあるが書店に立ち寄り、面白そうな本を5cmほど購入。
来週の前半分ぐらいにはなるだろう。

            ◆

大学の授業は、来週で後期も終了。
私はペーパーテストではなく、課題で評価をするので最後の最後まで授業。
学生たちはそれを受けて、最終レポートの作成となる。

私は成績をつけ、高校の模擬授業を行い、入試の仕事、そして四月からの児童教育学科の最終準備と年度末を過ごすことになる。

大学でも、忙しく切ない年度末が始まる感じだ。

当たっていたら怖いが

メディアリテラシーを扱っている教育関係者は、今回のこの「あるある」の「納豆問題」をどのように教材にしようかと考えているのではないだろうか。なんとも見事にウソで番組を作っているのがわかる。ディベートであれば、データの信憑性を学ぶためのの事例として良い教材になるだろうなあ。

私が中学校にいたら、すぐにこれらの教材にするだろうなあと思う。そして、「ココア問題」や「紅茶キノコ問題」までを取り上げ、情報リテラシーの授業を作るだろうなあ。

後期の大学の授業では、メディア断食をしてみてメディアの本質を考えさせた。そして、CMの分析を通して、マスメディアが触れることの出来ない領域について、自分たちの頭で考えてみるという経験をしてみた。

内田樹先生は、「新聞そのもの、テレビそのものというものは、それぞれが自らを批判することが出来ないのであるから、自分たちが何を批判していないのかを視聴者側が見る必要がある」のようなことをブログで書かれていたが、私がCMの分析で学生諸君に考えてほしかったことも同じ文脈にある。

            ◆

ためしてガッテン、おもいッきりテレビ、あるある大辞典。
この三つに取り上げられたものは、スーパーから姿を消すということになってから久しい。コンスタントに買っていた人からすれば大迷惑だが、それが現状だ。

しかし、ちょっと考えてみれば分かると思うのだが、
(そんなに毎週、大発見があるのか?)
とは思わないのだろうか。

確かに、ためしてガッテンの唐揚げの作り方は革命的であった。あれは揚げるのではなく、衣に包んで蒸すのであるという指摘は、鋭い。そういう常識の見直し、定義のし直し的なものはあるかもしれないが、あるわけがない。ということは、作っていると考えるが素直ではないか?

            ◆

もちろん、番組全体でウソを流すのが良いとは思わないが「あるある」に単純に文句を言っている人は、番組を作っている人たちも大変だろうなあと、思わないのかな。

繰り返すが、納豆業界にインサイーダー情報を流しているのを許しているわけではない。が、毎週毎週、彼らは高視聴率を確保するために作業をしなければならない。私だったらしんどいなあ。

業績主義の導入が日本をこれだけダメにしているってことは、もうソニーの例を出すまでもなく明らかであろう。テレビ業界はその業績主義の最たるところにいる。しかし、世の中の才能と資本は今はテレビ業界には集まらない。それでいて、結果を出せというのは、厳しい。

新しい人間は採用しない、予算は削られる、労働環境はどんどん悪くなる、新しい仕事だけはどんどん上から振ってくる。どこかの業界と同じである。

私の知り合いのテレビ関係者は
「今やテレビ業界は、明るい斜陽産業です」
と言っていたが、そういうことなのだろう。

            ◆

『「あるある」は、新しいちょっとした流行を生み出すためのシステムとして、スポンサーが設定した番組である』

という合意がひょっとしたら内部では暗黙の了解としてあったのかもしれない。そして、その新しいちょっとした流行から得た利益の部分を、スポンサーたちが少しずつ分け前として手に入れるようなシステムであったのかもしれない。

当たっていたら怖いが。

日本史B

ふう、試験監督終了。
私は自分のことに関しては大概のことでは緊張しないのだが、人様のことはダメだな。自分のことは失敗しても自分が受け入れれば良いだけだし、やり直せば良いのだが、人様のことはそうはいかんからな。

左の上腕二等筋がプルプル震えている。
まだ震えている。

            ◆

しかしまあ、受験写真と試験当日の本人の顔が、こんなに違っていいのか? メイクである。高校ではそれを許しているのかな。
一瞬、
(え? 本人?)
と思うような生徒もいるのが事実。

入試はそこらあたりから始まっているという感覚がないんだろうが、そういう感覚では緻密な勉強は厳しいんじゃないかなと思うけどねえ。

            ◆

入試を指導するとき、良く言うのが、
「出来るところから、点数が取れそうなところから始めなさい」
である。私もこれを徹底していた。

難しい問題を解いて5点であるのと、簡単な問題を解いて5点であれば、そりゃあまず簡単なところで5点を解くのが、受験の方法としては正しい。さらに、部分点が狙えるなら、部分点を狙えという指示も正しい。

だが、繰り返すがこれが「受験の方法としては正しい」のである。

            ◆

生きて行くには、「出来なくても、やる」「出来ないことを、やる」とうこともあれば、「結果を出すこと」「やりきること」を求められるものもたっくさんある。

私は入試が終わった時にはこの話をするようにしてきた。

『君たちに教えてきたのは、受験の問題の解き方として正しい方法であって、人生においては間違っていると言う場合もあるから、よく考えて行動するようにね』

と。
さて、今日明日の受験生は、そこのところは理解しているかな。

            ◆

地歴科の日本史Bの問題で弥勒菩薩の写真が出ていた。Mirokubosatu

問題は、
「この写真の仏像は何を表しているのでしょうか」
のような問題である。

正解は、瞑想する姿を表現しているの(1)である。
が、私としてはどうしても、
「歯が痛いのを必死に我慢している」
という答えが欲しいなあなんて、くだらないことを考えていた。

            ◆

事前のリハーサルも十分に行ったリスニングのテストも無事に終了。
しかし、「必要のない人はリスニングの時に使ったICプレーヤーを置いて行って良い」と指示があったのは確かだが、あんなに置いて行くか。今の子どもたちだなあ。

記念にもって帰るとか、持って帰って改良して遊ぶとかいう発想はないんだな。
そもそも大学入試センターは、これを使い捨てにすること自体がいまの時代に合っていないと思うのだが。リサイクル、リユース、レデュースの3Rに反しておるぞ。

            ◆

試験はもう一日続く。
生徒諸君、頑張れ。
試験監督の先生たち、倒れないように頑張ってください。

2007/01/19

『教員改革』

今年に入ってから初めての高校での模擬授業があった。
午後の2時間といういつものパターンだ。
2時間目が始まる前に、1時間目を終えた生徒が入ってきた。

「おー、お前さ一時間目何に出た?」
「ん、わからん」
「なんで?」
「寝てたから。一番前で寝てたし」

という会話をしてくれている。次の講師の私が側にいると分かっているくせにである。
言うじゃん。
私にさらにスイッチが入った。
教師をなめたらいけないよ。

当然、一人として寝かすことはなく、びっしりと50分知的興奮に包んであげた。うっしっし(死語)である。

本当は、今日は糸井先生のところの「ダンスで理科」を見に行きたかったが、公務では仕方がない。

            ◆

そこで、研究室に戻り集中して資料漁り。
先日買っておいた『教員改革』(東洋出版 鈴木義昭)を読み切る。いやあ、良かった。

東京都教育委員会の指導主事をして、その後小金井市の教育委員会の指導室長をされた方だが、非常に説得力のある事例と、教員改革への提案をされている。私の主張と重なる部分も多く、
(を、同じ思いを抱いている先生が、東京都教育委員会にもいらっしゃったか)
とびっくりするような嬉しいような思いがした。

中でも驚いたのが、資料編に「こんなときあなたはどうする?」という生徒とのやり取り集があり、まるで『こんな時どう言い返す』であった。

小学校の先生出身の鈴木先生であるので、四月からの児童教育学科での教員の卵の鍛え方に関しても、いろいろなヒントを得ることが出来た。

糸井先生のところに行けなく残念だったが、これはこれで良い時間の過ごし方ができたなと満足。

            ◆

さて、明日はセンター試験の初日である。
私は初の試験監督だ。

都立高校の入試日とセンター試験の日は、なぜか雪に見舞われることが多い。現在の天気予報では明日は曇り。最高気温は9度ということなので、まあ、雪の被害は大丈夫そうだ。

今日は早めに布団に入り、たっぷりと寝て、試験監督に力を注ぎましょう。

2007/01/18

評価と評定

このところ、全紙サイズの半紙(畳でいうと、だいたい一畳分の大きさ)に文字を書いている。一日に一枚か二枚だが、これが気持ちよい。どこに発表するわけでもなく、誰に頼まれているわけでもなく、ただ気に入った言葉を書いている。

趣味と言うものでもなく、かといって勉強と言うのでもなく、ただ紙と筆と墨と文字と戯れているという感じだろうか。そうしながら、アイディアが浮かんでくればラッキーだし、浮かんでこなくとも何らかの生理的な欲求は満たされている感じがする。

気持ちがよい。

            ◆

年度末の作業が始まっている。
昨年の業績のリストを作り終わり、提出完了。昨年は学会等での発表はなかった。本格的な研究は来年度から動き出すことになると思うが、ま、それなりに昨年も研究が出来たと思われる結果があって良かった。

ちなみに、一番新しいところでは『児童心理』(金子書房)の2月号に、「教師の発言に傷つき易い子への対応」ということで載せてもらいました。まさか、この雑誌に書けるとは思わなかった。

            ◆

国語科教育法2も残すところ、今日を入れて後2回。
本日は、デジタルストーリーテリングの後半を鑑賞。なかなか良い作品もある。が、画像とテロップが微妙に合っていないものなどもある。指摘されると理解できるのだが、自分では気がつかない。まあ、作品ってのはそういうことがあるが、それを乗り越えるのが表現するってことなんだよな。

鑑賞会の後は、評価と評定についての講義。前半が理論編。後半はエクセルの評定プログラムを実際に使って説明。絶対評価の観点別評価について具体的に説明。学生たちは
「こんなに細かいことをするのですか」
と驚いていた。

私も今の評価システムは、評価のため、親に説明するための評価システムのような気もしている。そこに使うためのエネルギーを他に使った方が、教育は良くなると思っている。

しかし、これができないことにはどうしようもないからなあ。
今のうちに頑張って評価の実際をエクセルの使い方を学びつつやっておくんだよ。

            ◆

今日の評価の講義の中で特に強調したことは、評価は「子どもを観察し、記録を取る」から始めましょうということ。子どもの事実から始めないことには、指導が空回りして虚しいことになりがちだ。

「こうでなければならない」というところから始めると上手く行かないことがある。指導すべき対象の子どもたちが、そっぽを向くことが増える。
子どもたちは言葉では言わないが、
(なんか、俺たちのためってよりは、先生の自己満足のためのようだよな)
のように思うことが多い。

「子どもを観察し、記録を取る」ことから「計画」「指導」「評価」「支援」と続けることで、評価は意味を持って来るのだと思う。「評価」は、次の「指導」に活かされたとき、意味があるのだ。

『サッカーで言えば、ディフェンダーは相手の攻撃を防ぐだけでなく、防いだ後、味方の攻撃へのパスを出すまでが仕事である。これと同じ』

と説明したが、さて女子学生は本当に分かってくれたかなf(^^;。

2007/01/17

千の風になって

「千の風になって」という曲がオリコンチャート一位になっているというニュースが流れている。紅白歌合戦で歌われた曲だ。

中高年が買っているという。
「私が死んだら風になるから、お墓の前で泣いたってダメですよ」
というような詩である。だから若者ではなくて中高年が買うのか、若者はダウンロードでCDは買わないからなのか理由はよくわからないが、一位である。

            ◆

この歌があることは知らなかったが、この「私が死んだら風になるから、お墓の前で泣いたってダメですよ」という内容は、去年知った。

家本芳郎先生が亡くなられた時に、伝わってきたのだ。
先生は生前、この詩を読んで
「これはいい。私も風になろう」
と高笑いをされたそうだ。

「大学の教員になって、先生の理論をこれから教師を目指す大学生に伝えます」
と、きちんと報告することもできずに先生は亡くなられた。
未だにお墓参りは出来ていない。

でも、風が吹くたびに、先生が様子を見に来てくれているのではないかと思えるのは嬉しい。

「人は、誰もその人のことを思い出さなくなった時に、本当に死ぬのだ」
というユダヤ教の教えは、このことを言うのかなと思った。

            ◆

昨日は滋賀大学の教職サークルからの招きがあり、学級担任論の講座を2時間少し行ってきた。後期のテスト期間前にも関わらず熱心に学ぼうとする学生たちがいた。定員40名のところを54名の学生が来ていた。

学生たちに、家本先生の教育哲学が少しでも伝わったとすれば、私は嬉しい。

2007/01/15

話し言葉の思考から、書き言葉の思考へ

本日は、大人論の二回目。
前回は、学生たちの大人の定義を検証しつつ、「大人とは何か?」の外堀を埋める作業をした。
今回は、私がどのようにして「大人とは何か?」の問題について解決を図って行ったのかについての説明をした。

            ◆

「物事を考える」というとき、教師の出す指示は

・自分でよく考えなさい。
・仲間と話し合いなさい。
・辞書を調べて考えなさい。

などが多いのではないかと思う。それはそれで良いのかもしれないが、私はもう一つ大事な指示があると思っている。それは、「見本を示す」というものである。

もの作りの授業等では、特段変わったものではない。完成品を示したり、作っている途中の作品を示したりして、子どもたちの活動を支える。私の分野で言えば、書写の授業で私が書いた作品を見せたり、書いているところを生徒に見せたりするなんてことは当たり前のことだ。

ところが、この「物事を考える」というとき、「見本を示す」ということはあまりされていないのではないかと思う。

            ◆

この場合の「見本を示す」というのは、何を意味するのかというと、思考の過程を示すことではないかと思っている。多くの場合、それは論文によって示されている。しかし、その論文に至る前の、話し言葉で思考されている部分を、示すことは大事でないかと考えている。

その話し言葉で思考されている部分から、書きことばでの思考へと導くのが特に大学での論文指導には大事だと考えるからだ。私だってなにもいきなり書きことばで思考しているわけではなく、話し言葉での思考から入っていることを示すことは、彼らを同様に書きことばへの思考へと導くプロセスになるのではないかと考えている。

今日の授業は、私がどうやってこの「大人とは何か?」を答えようとしてあれこれ挑戦したことを述べたのだが、そこに意味があると考えてのことである。

・何をきっかけにして考えたのか
・きっかけをどのように展開して行ったのか
・調べるときに押さえるポイントは何なのか

そんなことを学生たちが具体的に手にしてくれればいいなあと思って授業を行った。論文を書くときのヒントになれば良いなあと思って授業を行った。

            ◆

来週は、この教職総合演習の最後の授業である。
私の「大人とは何か?」の定義を示し、学生たちからの質疑を受け、授業全体をまとめて終わる予定である。

なぜ学生は論文が書けないか

はあ、一安心。

            ◆

さて、今週は立て込んでいる。
通常業務の他に、会議が続き、講座も続く。
そして週末には、センター試験の監督がある。
体調を整えて行かなければならないなあ。

            ◆

昨日の風呂の中で、なぜ学生は論文が書けないかということを考えた。
自慢じゃないが、私は卒業論文を二年間かけて書いている。
4年の時に書き終わり、提出の一歩前まで来たのだが、納得がいかなくてもう一年書かせてもらうことにしたのだ。

5年で出した卒論が、4年の時に出すはずだった卒論と比べて良くなったかと言えば、全然良くなっていない。そもそも論文というよりは壮大なレポートだろう。その時は、論文とは何なのかが自分の中で分かっていなかったからである。

論文とは、「問いがあり、その問いに答えている文章」である。

            ◆

ここからなぜ学生が論文を書けないのかを考えてみる。

その1 論文の定義を知らない。

ま、論文の書き方のような本を読めば良いのだが、私は
(なんかズルしているみたいだな)
とガラスの正義感で読まなかったのを覚えている。
きちんと習うか、学ぶかしていないとダメだな。

その2 論文のフォーマットを知らない。

その学問の分野ごとに、論文のフォーマットがある。これは先行論文を読みながら学んで行くものかもしれないが、フォーマットをきちんと習うか学ぶかすれば大丈夫だろう。

            ◆

その3 問いが立てられない。

これにはさらに三種類あると思われる。

1)問いそのものが思いつかない

これは論文を書こうとする領域への理解が足りないのであろう。

2)問いは見つかったが、既に解明されている。

自分では良い問いだと思ったのだが、既に先人が同じように問いを立て、かつ、解明しているというものである。ここまでくれば大したものであるが、結構ショックは大きい。だが、得た答えをさらに批判的に問い続ければ、良い問いを得ることが出来るはずである。

3)問いに答えられない。

幸いにして、誰も論証していない問いを手に入れることが出来た。その問いは答える必要もないほどのつまらない問いではなく、問いそのものにも価値がありそうだ。が、その問いが大きすぎて答えられない、論証しきれないというものである。

論証のための力量が、学生である彼らにはないという言い方をしたら良いのであろうか。これが、論文を書くのが難しいと思われる理由である。ま、学生に限った話でもないが。

            ◆

が、聖蹟桜ヶ丘のご隠居(自分でこうおっしゃっている)である藤野先生は、違った。学生の時にまとめた卒業論文を核にして最後まで研究を続けられた。

そういうテーマを学生の時に手に入れ、それを発展させながら答え続け、学究生活を続けられたわけだ。そういう方もいらっしゃるんだなあと思う。私には真似できないなあと思う。

            ◆

今日の授業では、この前提を元にして、さらにもう一つの問題に挑戦することにしている。

ブシュワラララララ

午前中は、お習字の練習を少し。
正月に奥さんの実家で貰った大きな筆を使う練習をする。
大きな文字を書くのは、やはり気持ちがよい。
でーっ、だーっと書く。
しばらく書き続けよう。

            ◆

午後からは計画通り、ドライブ、温泉、読書をして過ごす。

家から30キロほど離れた「比良とぴあ」という施設に向かう。
時速60kmの制限速度で161号を北上。見事に30分で到着。
これだから田舎は良い。

それにしてもcooper-s君のエンジン音は良い。
折角ipod-suffleを聞けるようにセッティングしたのに、これを使わずただエンジン音のみを楽しみながら走ることも多い。

エンジンはシュワラシュワラとピストンを上下させ、その振動はドロルンドロルンと伝わり、センターマフラーへブシュワラララララと流れて行く。2000回転には2000回転の、3000回転には3000回転の音の良さがあり、そこに繋がって行く時も心地よい。

はあ、こんなにハマるとは思わなかったなあ。それでいて、燃費は10キロを越えるんだから嬉しいねえ。

            ◆

比良山は山頂部が雪をかぶっている。ではあるが、麓は雪なし。やはり暖冬か。
600円を払って、風呂に入る。
室内風呂が二つ。サウナが一つ。露天風呂が一つである。

3時間近くお湯に浸かっていた。
途中で脱衣所に戻り持参したペットボトルの水を飲み、本を読み、また風呂への繰り返しである。

湯船に浸かっている途中、授業のアイディアや論文のアイディアが浮かんで来た時には、ダーッと脱衣所に戻り、本の白紙の部分に書きなぐり、また風呂に戻るということも何回か繰り返した。怪しい行動である。

露天風呂から見る空が夕焼け色に変わり始めたので、あがることにした。
すると脱衣場の外は大混雑。
お客さんが多すぎて入場制限をしているようだ。
こんなに人気のスポットだったのね。

スキー帰りに浸かって行くってのは、確かに気持ちいいだろうなあ。

            ◆

折角びわ湖の北まで来たので、畔まで出てみることにする。
夏は「快水浴場」となる浜辺だ。

ちょうど夕焼けの時間。
見事だった。
草津方面をきれいに染めている夕日。
びわ湖はその夕日に照り輝いている。

そして、右を見ても左を見ても、見渡す限り誰もいない。
貸し切りである。
うーん、なんという贅沢。
なんで誰もいないんだろう。

体は温まったままだったので、しばらく湖からの風に体を当てていても大丈夫。
風景からのエネルギーを体に入れ続けた。

            ◆

さあ、月曜日からはちょっと忙しくなるぞ。
テンポ良くいきましょう。

2007/01/13

もう、一月も半分が

なんか不思議な感覚が続いている。
正月に東京に戻り、いま滋賀にいるのだが、どうも車で10分も走れば聖蹟桜ヶ丘にいけそうな感覚が抜けないのだ。

(そうだ、今日のお昼は亀我楽のラーメンにしよう)

なんて感じで思ってしまうのだ。
なんなんだこの感覚は。

生活の拠点を人生のほとんどの時間で東京の多摩地区に置いてあったわけだから、そこがいろいろな所に影響しているのは分かる。が、この感覚は東京に帰省する前にはなかった。

人生初の帰省を終えて不思議な感覚に包まれている。

            ◆

今週末は久しぶりに、何もない。

書かなければならない連載原稿も、昨日文章の神様が下りてきたので、一気に書くことが出来た。私の場合、文章の神様というよりは正確言うと文字の神様かもしれない。会議等でもその会話の中に出て来る言葉を文字にして書きながら聞かないと落ち着かないぐらいだし。

年賀状の返事も取りあえず書き終えたし、来週の講座の準備も終えた。
となると、ゆっくりと風呂に入り本を読んで、お習字の練習をしてと過ごす。
か、cooper-s君に跨がり、水筒にお気に入りのお茶を入れてドライブに出るかだな。

そうか、ドライブに出かけた先で温泉に入り読書と言う手もあるなf(^^;。
来週は逆に立て込んでいるから、ゆったりと出来る時にゆったりしておきますか。

            ◆

もう、一月も半分が過ぎようとしているのですなあ。


やる気を出すための決め手

久しぶりに書斎でお仕事。
私の場合、書斎と言うのはリビングとなる。
今の家のリビングの前には建築中のマンションがあるのだが、やっとうるさい工事の音が無くなってきたので、ここでも仕事ができるようになった。そこで、使いやすいように片付けを開始。

やる気を出すための決め手は「側座核」を働かせること。このブログの中でも以前説明したことがあると思うが、この脳の中にある一対の側座核がやる気を司っており、これが動くと人間はやる気を出す。

で、やる気を出させる方法は「兎に角やってみる」ということである。兎に角やり始めないと、この側座核は刺激を受けることがなくそのままなのである。だが、一度働きはじめるとどんどんやる気を生み出す。

片付けでこれは十分に実感できる。
ほとんどやる気のない片付けであっても、
(まあ、しゃあない。やるか)
と思って重い腰を上げると、予定していた以上にやりきるなんてことは良くあるだろう。学校の大掃除だって最後になるといつも
(え、もう終わり? もっとやりたいなあ)
と思うのは、これだ。

            ◆

それで勢いに乗って料理も行う。
料理のためには、包丁を研ぐところからである。中砥と仕上げ砥を水に浸しておきその間に水回りをざーっと片づける。これが終わる頃には砥石にいい感じで水がしみ込んでいる。

三徳包丁、菜っ切り包丁、ペティナイフの三本を研ぎ上げ満足。今日の料理は茎わかめのごま油炒め。大した料理ではないが、美味いのだ。P1010001


【作り方】
1)塩抜きした茎わかめをざく切りにする。
2)フライパンに油を引き加熱する。油は癖のないもの。今日の私はグレープシードオイル。
3)2)にニンニクのみじん切りを入れてちょっと色が変わるまで炒める。
4)1)を2)に入れて炒める。そこに、鷹の爪の輪切りにしたものを入れる。
5)後少しで良いかな?というタイミングで、ごま油と醤油をたらして、もう少し炒める。

熱々をご飯かけて食べてもよし.冷めてからでもよし。
今日は冷や飯の上に熱々のこれを載せて、鳥殻スープをかけて頂く。
ああ、美味い。

            ◆

さらに側座核が動いているうちに、本を読み、原稿を書き、書道の練習をし、その後に新年会と忙しい一日であった。

2007/01/11

本当の敗因は

今日は学生との面談やら相談やらが多い日だった。
色々なことにぶち当たっている学生たちがいる。

私になんて相談したところで、たいして意味があるとも思えないが、まあ同じように悩み苦しんできた人間の失敗談を聞けば、多少は
(なんだ、なんてことないな)
と思うかもしれず、それであればまあそれもまたいいかなと思い、話を聞き、コメントをする。
ふむ、長い一文だ。

            ◆

久しぶりの授業では、相変わらず時間が足りない。
時間管理が出来ないでいて、授業づくりの方法を教えていてはいかんなあと思うのだが、あれもこれも話しておいてあげたいと思うと、つい、長くなってしまう。すまん。

今日は、

1)テスト問題を解く。
2)写真と韻文の葉書の鑑賞。
3)「一枚の写真から」の演習。
4)デジタルストーリーテリングの鑑賞。

といつも以上に盛りだくさんであった。

1)は、模擬授業の範囲で定期考査を作り、そのテストを模擬授業のグループで同じだった人に渡して、解いてもらう。採点して素点表に記入するところまでが課題。この素点表を元に、来週は評価から評定への実際を、エクセルに入力しながら体験する。

2)は、いわゆる資料集作り。デジカメで撮った写真に、その写真に相応しい短歌を添えるという課題。ワードのファイルの上に写真を貼付けることすら出来なかった昔を思い出せば、かなりの進歩。

3)街中にある一見なんでもないが、よく見るとおかしなものを撮影し、何がおかしいのかを考えるクイズ。「vow」とは違い、メディアリテラシーの一環として行う。単なる間違い探しではなく、論理的に矛盾しているものなどを捜してくるというもの。ちょっと高度な課題である。当てっこをした。

4)デジカメで撮影した写真から、簡易動画に変更し、音楽とテロップをいれて作品にする。これを鑑賞し合った。時間の関係で半分の作品しか見ることが出来ず、残りは封印して来週見る。

            ◆

確かに盛りだくさんだから時間がかかるのは仕方がないが、本当の敗因は私の指示ミスにもある。1)の問題を「きちんとホチキスで留めて、さっと相手に渡せるようにしておくこと」としておかなかったことに問題があったかな。

問題、解答用紙、模範解答の三枚をワンセットにしておかなければ、さっと相手に渡すことが出来ない。ここの指示が(ま、もう分かるだろ)と出しておかなかった結果、時間がかかってしまったのだ。うーむ。「このぐらいやっておけ」と注意すべきか、指示を丁寧にすべきか。来週時間があったら、学生たち本人に聞いてみよう。

            ◆

ま、でも、だいぶパソコンを駆使して教材やら問題やらを作れるようになったな。
よしよし。

個人的にも良いことがあったし、
よしよし。

必見 ディベート授業ライブ

とうとう始まりました。筑田先生のディベート授業

筑田先生のみならず、国語科の先生たちと学年全体で足並みを揃えつつ、授業を展開して行きます。その予定時数、なんと20時間。

            ◆

ディベート指導初心者の先生のつぶやき・感想が書かれ、生徒たちの反応・様子などが描かれ始めています。

ディベート甲子園ではない、実際の授業がこのように同時進行でネットに公開されることは、なかなかありません。しかも、コメントを書き込むことが出来ます。

            ◆

「これは見逃せませんぞ」
とアヴァンティの教授のように締めくくる私です。
って、分かる人しか分からん。

なお、私の作った「ビデオ版・ DVD版 ディベート入門講座 〜シナリオ方式のディベート〜」
も活用して下さっていて、作者冥利に尽きます。

2007/01/10

とうとう全貌が現れた

久しぶりに天気がよい。
比良山に雪がかかっているのが玄関から見える。
こういうとき高層階に住んでいるのは良いなあと思う。
Mthira

            ◆

こういう日は夕焼けもきれい。
校舎の間、高速道路の上に広がる夕焼けは、息をのむ美しさであった。
Yuukei

            ◆

そして、とうとう全貌が現れた。
京都橘大学文学部児童教育学科新校舎、児優館だ。
工事の足場を取り、作業場を確保していたフェンスを撤去し、灯りも点き始めた。
なんか、ジーンと来る。
Jiuu

子どものころは、新しいものが自分の回りにくるというだけで、ただそれだけのことで嬉しかった。何も考えることなく嬉しかった。

だが、流石にいまはそうではない。新しいものが現れると言うことの色々な意味を受け止める。

            ◆

明日は、今年最初の授業。国語科教育法2でデジタルストーリーテリングで作品を作ってくる。学生たちがどんな名作を発表してくれるかな?

楽しみ、楽しみ。

毎日新聞の携帯電話断食

学生たちに授業としてメディアリテラシーを扱う際に、メディア断食をさせた。
「イメージとして、家族で無人島に二泊三日漂流した感じね」
と言うことを指示して、あとは各自がメディアと思えるものを断つのだ。そして、この断食の後、メディアの本質について考察を行い、授業プランを考えるという流れで行った。

            ◆

普段身の回りにあるものの存在は、当たり前だけにその存在を理解するのは難しい。これを感じるには断食が良い。

私が小中学生のころの修学旅行は、宿のテレビは禁止。または100円入れなければつかない。だから、二泊三日の断食が行われていた。

が、今の修学旅行なんて禁止しているのに携帯電話だって持ってきてしまう。折角メディアから離れてメディアを見直す良い機会なのに。

            ◆

大学生が携帯電話を使わなかったらどうなるだろうか。
ということを実験させる授業は他でもやっているようだ。

毎日新聞の以下の連載の

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/kunrin/news/20070101ddm001040002000c.html

ここにある。http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/kunrin/news/20070106ddm002040054000c.html

私が中学生や大学生で行ったメディア断食と同じような感想が出ている。

            ◆

メディア断食は、メディアダイエットにも繋がるのではないだろうか。私はメディア断食をするたびに、テレビを見る時間が減って行くのが分かる。ま、他のところにシフトしているのかもしれないが。

メディア断食、お勧めである。

2007/01/09

まだ8時40分

1/9

朝早く起きて、風呂に入り、さくさくと仕事を進める。
比叡山の頂上辺りに積もった雪がきれいだ。

郵便受けに溜まっていた年賀状、新聞の整理。
こんなにも長い間、年賀状を見なかったのは初めて。
返事はこれから書きます。
すみません、遅れます。

同じく、メールの返事書きにも没頭。
いやあ、返事が遅れています。すみません。

            ◆

ではあるが、あまりにも快調だったので、そのまま家で仕事を続ける。
東京で仕入れた本を読んだり、授業の構想を練ったりしながら進める。

時間を見るとまだ8時40分。
いやあ、自分の仕事を進める能力に感動してさらに続ける。

さらに数冊を読み、時計を確認する。
まだ8時40分。
よし、続けよう。

ん、まだ8時40分?

あ。
家を空けている間に時計の電池が切れたんだ。
コンピュータの時計を見る。
11時32分。
そりゃあ、そうだ。
年が変わっただけでそんなに仕事の能力が上がるわけがない。
さすが、オレであった。

            ◆

年賀状を見ると
「先生のブログを読んでいます」
という教子からのメッセージが割とあった。
嬉しいねえ。
おーい、たまにはコメントを残せよ。

また、いろいろな挑戦を続けている卒業生からの年賀状も多く、これも嬉しかった。今は苦しいだろうが、それが力を付けるんだぞ。習ったことはその場では力を出すが、自分で学んだことはこれからの人生に大きな力を出すんだ。それがいま辛いってことの証拠だぞ。しっかりな。

教子の子どもの写真を見ると、彼ら彼女らが中学生だったころの顔が思い出されて思わずにんまり。でも、子どもの写真だけじゃつまらんぞ。成長した君らの写真も載せろよ。

            ◆

研究室では、冬休みに地元で買った本の読み込み。
やはり、まだ通い慣れた本屋の方がピンと来る本に出会える。

(あ〜、これみんな買うだろうなあ)
と思ったものと言えば、
『すぐに稼げる文章術』(日垣隆 幻冬舎新書)
購入。

(あ〜、とうとうこんな本も出たか)
と思ったものと言えば、
『教員改革 「問題教員」と呼ばれる彼らと過ごした三年間』(鈴木義昭 東洋出版)
購入。

(あ〜、なんだ。イチャモン研究会の本が出たんだ)
と思ったものと言えば
『悲鳴をあげる学校』(小野田正利 旬報社)
購入。

てな感じで買い進めてしまった。
まだまだあるが、まあ、こんなもんで。

で、この間に、ある電話を待ち続ける。
どきどき。
どきどき。
よし。
何の電話かはまだ書けないが、取りあえず一安心。ふう。

            ◆

その後、明日しようと思っていた授業の準備を一気に行う。
国語科教育法2の「評価から評定へ その1」である。

以前学生が行った模擬授業を元に各自、授業をした部分の定期考査の問題と模範解答を作っておく課題を出してある。これを使って実際に授業中にお互いの問題を解き、さらに得点をエクセルに入力して、評価を出すまでの流れを体験してみる。もちろん、理論的なものも講義では行うつもりだが、実際にどう動くのかをやってみるのだ。

さて、90分の授業でどこまで学生ができるかな?

            ◆

夜、風呂上がりにおそるおそる体重計に乗ってみる。
(をを!)

年末に立てた固い誓い
「暴飲暴食は避ける」
が、ほぼ達成された数値である。

この「暴飲暴食を避ける」という誓いは、「暴飲暴食を避け」たときに達成されると思いがちであるが、それは違う。「暴飲暴食」の両方ではなく、どちらかを守れば避けたことになる(と私は信じる)。

なもんで、私は「暴食」を酒、いや、避け、「暴飲普通食」で正月を過ごそうと心がけたのである。その結果、プラス1キロという近年まれに見る良い結果を達成することができたのである。

身の丈にあった計画を立てることの重要性を痛く確認した次第である。

            ◆

さ、私もあと残り少ない授業をしっかりとまとめて、大学の先生としての一年目を締めくくる準備を本格的に始めよう。

東名高速道路を使って

1/8

東名高速道路を使って、一気に帰省。ん?これは帰省じゃないな。なんて言うんだ、これ? >国語の先生。
中央高速道路だと450キロ、東名高速道路だと470キロ。高速料金は東名の方が安い。つまり、東名高速道路に乗るまでに下を走る距離が長いのだろう。

百草園のガソリンスタンドで満タンにし、聖蹟桜ヶ丘のデパートでお土産を買ってから、厚木インターチェンジを目指す。ここが結構な距離なのだ。

            ◆

高速に乗ってからは快適なドライブ。
途中、富士山が見えたり隠れたりしていて気をもませたが、富士川の手前辺りからきれいに見えてきた。

富士川SAでちょっと遅い昼ご飯。京王デパートの弁当屋で買っておいたものだ。これを食べつつ、富士山を鑑賞する。P1010045

富士川SAにいついている猫が寄ってくる。唐揚げの切れ端をあげつつ、からかう。P1010042


(あとちょっとで雲が切れてきれいな富士山の顔が見られる)
と、多くのドライバーたちがカメラを片手にして待っているのだが、富士山は雲を生み出す山。そう簡単には晴れない。

でも、いいじゃないですか。こうしてじっくりと見ることが出来るのですから。
富士川SAからの富士山はお勧めです。

            ◆

運転していると、道路に色々な表示が出てくる。「東京から200キロ」という表示を見て、何気なく私のトリップメーターを見たら、ちょうど200キロであった。ということは、百草園、聖蹟桜ヶ丘経由厚木インターチェンジの距離とビンゴと言うことである。

なんかこんな小さな一致が嬉しい。

            ◆

浜名湖で休憩をしていたら、雪である。
(これは、うかうかしていると関ヶ原も雪だな)
と思い、気を引き締めて運転を再開する。

ところが、スタートしてすぐ、一宮あたりで渋滞。聞けば故障車で走行車線を一つつぶしているとのこと。
(んなもん、路肩に寄せれば良いのに)
と思って渋滞の列に渋々加わる。

cooper-sは六速マニュアル。なもんで、クラッチ操作がある。しかもスポーツタイプのため、クラッチは重い。渋滞は結構辛い。

で、やっと渋滞の先頭箇所に来てみるとなんと車を運ぶトレーラーが路肩から走行車線にちょっとはみ出す形で停まっている。はあ、これじゃ仕方ないかね。

            ◆

関ヶ原は予想通り雪。
ところが、渋滞の表示はあるものの流れている。80キロぐらいで流れている。これなら十分である。

びわ湖の東側について、あとは大津までひとっ飛びと思いきや、やはりびわ湖は広い。ここからが長いのだ。

浜名湖で充電して、選曲し直しておいたipod suffleをカーステレオにつなぐ。歌の曲ばかりにして、一人カラオケ状態で眠気を飛ばしながら進む。

suffleてのは面白いと改めて、思う。私ならその曲の後にこの曲は持ってこないぞ、という選曲で攻めてくる。これが面白い。で、時に信じられない良い選曲でやって来ることがある。この日がそうであった。

アップテンポの曲を続けたと思えば、バラード。最近の歌を続けていたと思ったら、20年前の曲とやってくる。

(ああ、オレはこういう20年をあゆんできたんだなあ)

とおっさん臭くなりながら、運転。
でも、良い時間。

            ◆

大津インターで最後の休憩を取る。P1010077_2

ま、ここから下りて10分以内なのであるが、これが大事。
かの紀貫之は、旅の最終日に京の都についた時、昼間についたにも関わらず都の入り口で時間を過ごし、暗くなるのを待ってから家に戻ったという。

旅の疲れを落とし、気を落ち着かせ、そして旅づかれた自分の姿を人に見せないようにと夜帰ったという。

私の住んでいる家からは、紀貫之のお墓の場所が見える。
別に義理を立てることでもないが、そういう気持ちは大事である。

事故は、自分の一番知っているところで起きやすいのである。
ここなら大丈夫と言う気持ちが事故を呼び寄せるというのである。

だから、私は自宅と学区の近辺では極めて安全運転を心がけているのだ。

            ◆

そして、ゴール。
まずは、風呂だ。
大きな荷物は、明日運ぼう。

免許外教科担任

創意工夫には限界がある。
きちんと、人、金、時間を用意してやらなければ無理である。
私は、総合的な学習の時間が現場に下りてきた時に、強く思った。

「教育改革? 結構、やってください。どんどん良くして下さい」
って、まるで芸風の変わったマジャコングの台詞のようだが、良くするなら大いに結構である。

んが、自分たちがやってきた政策の失敗は反省することなく、現場の責任にするかのような対処療法だけしてきて良くなるわけがない。

href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070109-00000011-khk-soci">http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070109-00000011-khk-soci

引用開始 ーーーーーーーーーー


免許外教科担任 本年度急増484人に 宮城

1月9日7時2分配信 河北新報

 中学、高校の教員で、免許状を持たない教科の授業を行う「免許外教科担任(免外)」が宮城県内で本年度、484人と前年度の約1.5倍に増加したことが分かった。生徒に必修科目を履修させなかった未履修問題発覚後の補習などが原因となっており、県教委は「非常勤講師の適正配置や講師の学校兼務を進め、解消に努めていきたい」と話している。

 教科別では、中学が家庭科69人、技術47人、美術28人、保健体育26人など技能教科に偏っている。高校は、情報が圧倒的に多く116人。次いで地理歴史22人、公民19人、保健体育17人、農業12人だった。

 ここ5年間では、2002年度368人、03年度390人、04年度346人、05年度321人と推移しており、本年度の急増ぶりがうかがえる。

 未履修問題は昨年10月末に県立高校6校で発覚し、うち5校で、情報の補習を行うため、数学や商業の教科担任65人に急きょ免外許可を与えた。

 少子化に伴う中学校の小規模校化も、免外が増えた背景にあるとみられる。教員の配置数は、義務標準法により「中学校で一学年1学級の場合は8人」(県教委教職員課)と定められている。このような小規模校では、教員数は中学校で履修する10教科を下回り、結果として、実技教科を免外が担当するケースが増えているという。

 免外の解消を訴えている県教職員組合は「子どもたちにしっかりとした教育を与えるには免外では不十分。学校の兼務などで対応せず、必要な教員確保に努めてほしい」と訴えている。

[免許外教科担任]教育職員免許法付則で特例として認められている。条件として「ある教科の教授を担任すべき教員を採用することができないと認めるとき」としている。県教委は、免外申請をした中学校教員に県教育研修センターで2日間、校内で1日の研修を義務付けている。高校教員は校内研修のみ。

最終更新:1月9日7時2分
河北新報

引用終了 ーーーーーーーーーー

東京は講師組合が強いので、こういうことはなく専任は自分の教科の授業を担当することが当たり前であったが、地方はこちらの方が一般的であろう。

>県教委は、免外申請をした中学校教員に県教育研修センターで2日間、校内で1日の研修を義務付けている。

いい加減にしてほしい。
そんなんで授業をやらされる先生も、受けさせられる生徒もたまったもんじゃない。
授業がそんなんでいいのか?

「教育改革? 結構、やってください。どんどん良くして下さい。人、もの、金、時間を学校現場に下さい。それだけで良いです」

多くの学校現場の声だと思う。

宮沢賢治を思い出した

1/7

いろいろなことがあり、予定よりも長く帰省している。本当なら今日高速を使って戻る予定であったが、風が強いというのも帰るのを躊躇った理由の一つ。もちろん、奥さんの実家には申し訳ないと思っているのだが、人生初の帰省と言うことで、甘えさせて貰っている。東京に、京都にと居場所があるのは、実に幸せなことだ。

午後から都心に向かう。会いたい人はまだまだいるのだが、京都にお土産をと思って、向かった。いやあ、これが大変であった。何がって風がである。つくづく今日はキャンセルして良かった。これではゆったりと走ることができないなと思った。

本当は下北沢のとある場所に行く予定であったが、気が付いたら新宿にいた。寝過ごしたようだ。まあいいだろう。

あてもなくブラブラなんて贅沢だ。強い風が吹いている中を歩いていたら、宮沢賢治を思い出した。なんかそれだけでラッキーな気持ちになった。

どっどど どどうど どどうど どどう

である。

            ◆

歩き回って最後には、渋谷の開花屋に向かった。Nec_0002

嘗ては聖蹟桜ヶ丘にも支店があったのだが、いろいろあって本店のみとなる。
ここの魚料理は、絶品。きがらのラーメンとたまぞうのラーメンとともに東京に戻ったら必ず寄ろうと思っていたのだが、チャンスが作れず折角出来た今日を活かそうと向かった。

兎に角一品だけ食べたかった。「雑魚のグリル」である。Nec_0001

ああ、美味い。
今日の「雑魚」はカマスとカサゴの一種。カマスのどこが雑魚なんだという話もあるが、美味いので許して。

駅まで車で来ていたので、開花屋では初めてウーロン茶で頂く。
ああ、それでも美味い。

           ◆

明日の帰省のためのエネルギーをさらに充電。

2007/01/05

三人の先生に叱咤激励を頂いた

大学では教師に必要な力として、家本芳郎先生が纏められた三つの力を学生たちに教えている。即ち、管理の力、指導の力、人格の力である。

このうち、前の二つはある程度そのトレーニングの仕方は分かって来たのだが、三つ目の人格の力のトレーニングの仕方は、いまひとつと言う感じがあった。

ただ、一つの思いはあった。もし、人格の力が「徳」によるものであるならば、考えられる方法が一つあると思ったのだ。それは、徳の傍に居ようと心掛けることである。

            ◆

「徳は孤ならず」と言う言葉がある。本来の文言と意味は、

「—は孤ならず必ず隣あり〔論語{里仁}〕徳のある人は孤立することなく、必ずよき協力者にめぐまれる。」(大辞林)

と言うものだが、ここにヒントを得てのことである。

徳のない私が、徳を身につけることができるかもしれない方法は、徳の傍にいればいいのではないかと思ったのだ。

至極当たり前のことだが、人間は習慣の生きものである。世の中にあるすべてのものを一つ一つ、その是非を判断しながら生きていたら、とてもじゃないが生きていけない。今までやってきたことを繰り返しでやり過ごしてきたことがたくさんあるから、スムーズに動いて行くことも多くある。それが習慣だ。

そうだとすれば、その習慣の中に自分を置けばいいのではないかと思うようになったのが、十数年前のことだ。「朱に交われば赤くなる」「笑顔の人の周りには、笑顔の人が集まる」ということだ。これは、恩師やいい仲間たちに恵まれたことから出会えた考えである。

            ◆

当時私は、月に一回自分の実践を文章にしてサークルの仲間たちに見てもらうと言うことを繰り返していた。自分の実践を批判的に見てもらおうなんてことは思っていたかどうかは分からないが、サークルの先輩の先生たちは私の実践を楽しんで批評してくれた。それが楽しくて文章にまとめては、参加していた。

これが、私にとっては当たり前のことであった。そして、今から考えるとこれが凄いことであったと思う。

何が言いたいかというと、外側から見ると厳しいことであっても、それが当たり前になってしまうと、良循環に乗ってしまうとなんでもないということを教師になって最初の頃に実感できたことが、今となってはとんでもなく大きな財産を手に入れていたと言うことなのだ。

            ◆

人間は、習慣の動物であるがそれは環境の動物と言うことでもある。この環境に関しては、

環境に染まる・・・朱に交われば赤くなる。
環境に染まらない・・・掃き溜めに鶴。

という二つの諺がある。私が体験したのは、前者の方だ。そして、その赤は一見大変に見えるのだが、やってみれば結構出来てしまうと言うことであった。だから、何か自分に足りないものを手に入れる時には、この環境に染まりやすい私、流される私を、その良い環境におくことで、自然に育ててもらえるように出来ないかと考えたのである。

            ◆

私に徳がないのであれば、徳の傍に身を置く。そしてその徳によって私を感化してもらい、あわよくばそれが私にとっても当たり前のこととなるのを待つ。私にとっては極めて自然の方法である。

徳の傍に身を置く方法は二つ。一つは、読書である。読書によって古今東西の徳の傍に身を置くことが出来る。さらにもう一つ。それは、徳のある人の傍に行くことである。

正月の帰省で恩師の自宅を回っているのは、この徳の傍に身を置きたいということも理由の一つである。

            ◆

今日は、15年ぶりに学生時代の私を叱り続け、鍛え続けてくださったもう一人の恩師、吹野安先生のご自宅まで行くことが出来た。2時間ほどの再会であったが、懐かしい学生時代の話に、これからの私に対して過分な期待の言葉まで頂いて、身の引き締まる思いであった。先生に褒めて頂く日が来るとは思わなかった。

さらに、先生は相変わらずバシバシと世の中を批判されており、口が悪いと感じる言い方さえもあった。が、学生時代には思わなかったことを思った。
それは、
(先生の口が悪いのは、先生が悪いのではなく、悪い世の中を正確に描写するから悪くなるのではないか。先生は純なんだなあ)
ということである。先生をそんな風に思う私になる日が来るとも思わなかった。

            ◆

ご自宅を後にする時、先生はバス停まで見送りにきてくださった。
『先生、来年また伺います。お元気で』
「おう、嬉しかったよ」
それならばと、
『先生、憎まれっ子は世にはばかりますから、来年もお会いできますよね』
とは、やはり怖くて言えなかった。
来年こそは、言おうと固く決意をした。

            ◆

バスが来たとき、昔のあるシーンを思い出した。
私がとある先生を見送っている時、深々とお辞儀をしてお別れをして踵を返したら、怒られた。
「馬鹿たれ、見送ると言うのは相手が見えなくなるまでするから見送るっていうんや。最後まで見送れ」
ああ、そうであった。

バスに乗り込み、私はバスの一番後ろの席まで走った。
先生は、バス停でずっと見送ってくださった。
私は、バスの一番後ろで頭を下げていた。顔を上げて御礼を言ったら良いのか、それともずっと下を向いているほうが良いのか、分からなくなったのでちょっと頭を上げ、また、頭を下げを繰り返していた。

バス停からの道は直線が続き、先生の姿はいつまでも手を振っていらっしゃった。
ちくしょう、先生はやっぱり有言実行だ。
負けられないぞ。

            ◆

時は流れ、そろそろ環境に染まるでもなく、染まらないでもなく、別のことをも考えなければならない年齢に私達の世代はなってきたかもしれない。それは、

環境を変える
環境を作る

である。環境そのものを対象とするということである。これは、「隗より始めよ」なのかもしれない。

これは先生方から指導を頂いたものを元に、次の何かを育てる時期が来たのだということなのかもしれない。過分な期待を頂いた私は、正月気分も抜けないまま、うおううおうと心の中で吠えている。

          ◆

人格の力、どうやって鍛えれば良いのか。これで本当にいいのか分からないが、私にはこの方法があっているのではないかと思う。

藤野先生、竹内先生、吹野先生の三人の先生に叱咤激励を頂いた良い正月休みであった。

4日は恩師の家に

4日は恩師の家に伺う。
卒業生で集まれるものが集まる。もう20年である。
この間の教育を巡る情勢の変化、私達卒業生の変化は凄いものがある。

大体からして4日は、日直でない限りは自宅研修や休暇を取っていたのが普通であったが、今は学校で仕事ということになっている仲間が多い。私はこの一日を学校で仕事をするよりも、先生の家であーだこーだと仲間たちから文句を言われ、先生に解説をして頂く方がとても勉強になるので、こっちに参加をするが、それが許されない仲間たちもいるかと思うとうむむと思ってしまう。

            ◆

そう「あーだこーだと仲間たちから文句を言われ」なのである。このゼミにおける私のポジションは仲間たちから文句を言われというところにある。ゼミの仲間たちは私が何かを言うと、
「池田、お前本気でそれ言っているのか?」
とさんざん言われた。そして、今でも言われている。

私としてはそんなに荒唐無稽なことを言っているつもりはないのだが、そして実際にそういう実践をやったりしてきているので実現不可能でもなく、意味のない実践をしてきているわけでもないと思う。

しかし、基本スタンスは「あーだこーだと仲間たちから文句を言われ」なのである。学生時代はまあ、
(ふ・ざ・け・る・な)
と思うこともあったが、今ではそれをきちんと説明できれば良いのだとか思うと同時に、まずは否定してくれる仲間がいることがありがたいなあと思う。

            ◆

学生は授業と担任をするつもりで、先生になるのが一般的であろう。それは私達の時代も今の時代も変わらないだろう。もちろん、クラブで自分のチームを育てたいというのもあるかもしれないが、それも十分に分かる。

だが、実際に教師になってみるとその仕事の量の多さと、種類の多さに面食らう。授業と担任とクラブなんてのは、出来て当たり前。それ以外の行事の指導や校務分掌やららで時間を奪い取られる。

そんなことをしながら、仕事を覚えて学校の波に乗れたかと思うと、転勤が待っていて新しい学校のしきたりを覚えつつ、また1から始める。もちろん、授業等は今までの積み重ねがあるから1からとは言えないが、まあそんな感じだ。

これを繰り返し、いつの間にか教師としての力量を身につけて行くというのが私達の時代の教師であったが、さてこれからはそれでいくのだろうか。いろいろな学校のいろいろな事情を聞きながら考えている。

もちろん20年前には私が大学に行くとは思っていなかったように、仲間たちの人生にもいろいろな展開があり、そこから紡ぎ出される言葉に
(いやあ、人生ってすげーな)
と思う私である。

            ◆

「私が大学時代に思っていたように育ったな」
「立派になったよ、いや本当に」
「良い授業をするようになったな」

お年玉にしては多すぎる言葉を先生からも頂いた。
また、課題も頂いた。
うっしゃあ。

2007/01/04

正月三が日の私

1/1

あけましておめでとうございます。
うららかな春の日差しに包まれたいい元旦になりました。

なんとなく
ことしはよいことあるごとし
元旦の朝晴れて風なし

石川啄木の短歌であります。
私も好んでこの歌を短冊に書きましたが、今年初めて帰省した奥さんの実家の床の間には、書家だった奥さんのおじいさんの色紙が飾られてました。こういうのを縁と言うのでしょうか。

            ◆

さて、年頭所感と言うのでしょうか、今年のことを考えましょう。私は三つのカテゴリーに分けて自分のゆく方向を考えるようにしています。

1)やりたいこと
2)やらねばならぬこと
3)やってはいけないこと

です。もう一つ、やったほうがいいことというのもありますが、まあ、この三つのカテゴリーで考えて、それぞれを10個ぐらい書き出して、その内の上位の二つをやればいいとしています。いわゆるパレートの法則ですね。

正月はじっくりと考えてみたいですね。

            ◆

午後から私の実家に行き新年のご挨拶。
弟家族が来るまで年賀状書き。
半分ぐらいは完成かな。

今年こそは、年内に年賀状を書かねばと、2)の候補を思い出す。割と身近な目標である。

            ◆

甥っ子がやってきたので顔を出す。
すると、もの凄い泣き声。
なんだ? 誰があやしてもダメ。
虫の居所が悪いのか?

買い物から帰ってきたら少し直っていた。
まったくねえ。
2歳ってのは人生の中で一番王様でいられる時期だからなあ。

甥っ子と言うのは、おじさんに似るというがこの甥っ子も、私の小さい頃に似ている。特に下を向いているときが似ている。横を向くと、私の従兄弟に似ている。面白いなあ。

風呂も好きだから、いつか温泉にでも一緒に行くか。

            ◆

この日は、久しぶりに私の実家に宿泊であった。
読書、風呂、酒、会話、食事、そして寝るという極めて落ち着いた元日であった。

1/2

二日目は、奥さんの実家で新年の会。
なんだかんだで10人が集まる。子どもたちが走り回る。凄い勢いだ。

お屠蘇を飲んで食事をして、百人一首をして、今年は書き初めをした。一人一言何かを書く。年に一度ぐらい墨をすって筆で半紙に書くと言うのも良いもんだ。

私は「芽」と書いた。
これからいろいろと伸びて行ってほしいものがあるからね。

気がついたら、酔っぱらい。
そのままおやすみなさいであった。

1/3

三日は、午後から私の卒業生の新年会。
聖蹟桜ヶ丘の中華料理店で行う。

この新年会の前に、以前住んでいたマンションにいらっしゃる敬愛する先生のところにご挨拶に伺う。歴史学の重鎮中の重鎮の先生である。

来年80歳になろうとしている先生は、お元気そのもの。嘗ては都立高校に勤められていて、高校教員の研修日を法的に獲得し、戦後初の論文博士になられた先生である。矍鑠として研究の姿勢についてお話をしてくださる。

私の分野や仕事の質とは全然違うが、学校現場で10年近く活躍され、それから大学に進まれたということでは、大先輩に当たる先生だ。

年に一度、30分でもこうしてお話を伺えるのは、とてもありがたい。先生も、私のことを子分のように思ってくださっているので、私も嬉しい。たくさん学ばせて頂いた。

            ◆

集合場所の駅に向かうと、懐かしい顔が揃っていた。
お店の時間にちょっと間があったので、遠回りして河原を見てから店に向かう。
久しぶりの聖蹟桜ヶ丘の河原は、相変わらず気持ちがよかった。深呼吸。

店に行くと、広い会場に通される。50人ぐらい入りそうな部屋だ。今日は20人弱集まるが、そりゃあ広い。

おなじみの顔、久しぶりの面々と楽しく近況を語り合う。
塾で、中学校でと教えた子どもたちが成長し、こうして年に一度顔をあわせながら近況を語り合う。良い時間だ。ここにやがて大学で教えた学生たちも入って来るんだろうなあ。

いくつかのサプライズもあったが、ここには書けない。うーむ。
にしても、年上のメンバーの方が良く動くのはどういうことであろうか。
若者よ、腰を上げて動けよ。

       ◆

二次会はカラオケに。
ここでの状況は、さらに書けないf(^^;。
ただ、演歌の神様、ロックの神様、フォークの神様、ディスコソングの神様などいろいろな神様があの部屋には舞い降りてきて、そりゃあとても上着なんか着ていられない。
記念写真禁止令を出して、思い切り楽しむ。

そして、・・・・。うーむ、書けない。
ただ、とっても新年会になっていたとだけ書いておこう。

さらにあちこちに行きラーメンも食べ、私は帰路につく。
意気投合したメンバーは、もう一件(もう二件?)行くと言っていたので、私は改札口で別れた。

成長するものを見続けることが出来るのが、教師の仕事の楽しみだが、ここまで楽しめるとは、私は幸せだ。

来年、また元気に会いましょう。

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