レシピの法則
「茎わかめ饂飩の法則」を思いついた私は、更なる冒険を進めていた。思考実験である。
(茎わかめ饂飩が、そうだとすると、あれはどうなるんだ?)
と言う具合である。
◆
以前、授業で「いわゆる神の降ろし方」ということについて、学術的考察をしていたところ、きときと君に「先生、そんなところまで分析するんですね」と言われてしまったが、まあ、そういうのが面白いし大事だと思うのだが。
なんでもかんでも「調べてみないと分からない、実験してみないと分からない、教えてもらわないと分からない」と決めつけるのはおかしいと思っている。
私が閃いたということは、その隣接する領域に私がまだ閃いていないものが、接しながら存在していると考えた方が良い。また、閃いたのは私の中の何かが、きっかけを得て結びついたのである。調べることや実験することを前提にしてはいない。だとすれば、さらに調べるよりは、見つめるだろう。
◆
そんなことをしていたら、来ましたね。新しい法則が。
まさに、降りてきたんだな、これが。
「レシピの法則」
である。
なんだか食べ物の話ばかりで我ながら恥ずかしくなるが、降りてきたものは仕方がない。
これがうまく整理できれば、来年の国語科教育法の授業は、もう少し安定したバリエーションを出すことが出来るであろう。
なんのことだか分からないと思うが、自分のメモとして。
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