なぜ学生は論文が書けないか
はあ、一安心。
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さて、今週は立て込んでいる。
通常業務の他に、会議が続き、講座も続く。
そして週末には、センター試験の監督がある。
体調を整えて行かなければならないなあ。
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昨日の風呂の中で、なぜ学生は論文が書けないかということを考えた。
自慢じゃないが、私は卒業論文を二年間かけて書いている。
4年の時に書き終わり、提出の一歩前まで来たのだが、納得がいかなくてもう一年書かせてもらうことにしたのだ。
5年で出した卒論が、4年の時に出すはずだった卒論と比べて良くなったかと言えば、全然良くなっていない。そもそも論文というよりは壮大なレポートだろう。その時は、論文とは何なのかが自分の中で分かっていなかったからである。
論文とは、「問いがあり、その問いに答えている文章」である。
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ここからなぜ学生が論文を書けないのかを考えてみる。
その1 論文の定義を知らない。
ま、論文の書き方のような本を読めば良いのだが、私は
(なんかズルしているみたいだな)
とガラスの正義感で読まなかったのを覚えている。
きちんと習うか、学ぶかしていないとダメだな。
その2 論文のフォーマットを知らない。
その学問の分野ごとに、論文のフォーマットがある。これは先行論文を読みながら学んで行くものかもしれないが、フォーマットをきちんと習うか学ぶかすれば大丈夫だろう。
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その3 問いが立てられない。
これにはさらに三種類あると思われる。
1)問いそのものが思いつかない
これは論文を書こうとする領域への理解が足りないのであろう。
2)問いは見つかったが、既に解明されている。
自分では良い問いだと思ったのだが、既に先人が同じように問いを立て、かつ、解明しているというものである。ここまでくれば大したものであるが、結構ショックは大きい。だが、得た答えをさらに批判的に問い続ければ、良い問いを得ることが出来るはずである。
3)問いに答えられない。
幸いにして、誰も論証していない問いを手に入れることが出来た。その問いは答える必要もないほどのつまらない問いではなく、問いそのものにも価値がありそうだ。が、その問いが大きすぎて答えられない、論証しきれないというものである。
論証のための力量が、学生である彼らにはないという言い方をしたら良いのであろうか。これが、論文を書くのが難しいと思われる理由である。ま、学生に限った話でもないが。
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が、聖蹟桜ヶ丘のご隠居(自分でこうおっしゃっている)である藤野先生は、違った。学生の時にまとめた卒業論文を核にして最後まで研究を続けられた。
そういうテーマを学生の時に手に入れ、それを発展させながら答え続け、学究生活を続けられたわけだ。そういう方もいらっしゃるんだなあと思う。私には真似できないなあと思う。
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今日の授業では、この前提を元にして、さらにもう一つの問題に挑戦することにしている。
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