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2007/01/18

評価と評定

このところ、全紙サイズの半紙(畳でいうと、だいたい一畳分の大きさ)に文字を書いている。一日に一枚か二枚だが、これが気持ちよい。どこに発表するわけでもなく、誰に頼まれているわけでもなく、ただ気に入った言葉を書いている。

趣味と言うものでもなく、かといって勉強と言うのでもなく、ただ紙と筆と墨と文字と戯れているという感じだろうか。そうしながら、アイディアが浮かんでくればラッキーだし、浮かんでこなくとも何らかの生理的な欲求は満たされている感じがする。

気持ちがよい。

            ◆

年度末の作業が始まっている。
昨年の業績のリストを作り終わり、提出完了。昨年は学会等での発表はなかった。本格的な研究は来年度から動き出すことになると思うが、ま、それなりに昨年も研究が出来たと思われる結果があって良かった。

ちなみに、一番新しいところでは『児童心理』(金子書房)の2月号に、「教師の発言に傷つき易い子への対応」ということで載せてもらいました。まさか、この雑誌に書けるとは思わなかった。

            ◆

国語科教育法2も残すところ、今日を入れて後2回。
本日は、デジタルストーリーテリングの後半を鑑賞。なかなか良い作品もある。が、画像とテロップが微妙に合っていないものなどもある。指摘されると理解できるのだが、自分では気がつかない。まあ、作品ってのはそういうことがあるが、それを乗り越えるのが表現するってことなんだよな。

鑑賞会の後は、評価と評定についての講義。前半が理論編。後半はエクセルの評定プログラムを実際に使って説明。絶対評価の観点別評価について具体的に説明。学生たちは
「こんなに細かいことをするのですか」
と驚いていた。

私も今の評価システムは、評価のため、親に説明するための評価システムのような気もしている。そこに使うためのエネルギーを他に使った方が、教育は良くなると思っている。

しかし、これができないことにはどうしようもないからなあ。
今のうちに頑張って評価の実際をエクセルの使い方を学びつつやっておくんだよ。

            ◆

今日の評価の講義の中で特に強調したことは、評価は「子どもを観察し、記録を取る」から始めましょうということ。子どもの事実から始めないことには、指導が空回りして虚しいことになりがちだ。

「こうでなければならない」というところから始めると上手く行かないことがある。指導すべき対象の子どもたちが、そっぽを向くことが増える。
子どもたちは言葉では言わないが、
(なんか、俺たちのためってよりは、先生の自己満足のためのようだよな)
のように思うことが多い。

「子どもを観察し、記録を取る」ことから「計画」「指導」「評価」「支援」と続けることで、評価は意味を持って来るのだと思う。「評価」は、次の「指導」に活かされたとき、意味があるのだ。

『サッカーで言えば、ディフェンダーは相手の攻撃を防ぐだけでなく、防いだ後、味方の攻撃へのパスを出すまでが仕事である。これと同じ』

と説明したが、さて女子学生は本当に分かってくれたかなf(^^;。

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