« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »

2007/02/28

二日連続で

二日連続で東京からのお客人を迎える。
ディベートお仲間の臼井さんだ。

こちらに小旅行で来るというので、そこに一泊便乗して二人旅と相成った。私もちょっと調べ者があったしね。魚が好きということなので、筑田さんと大感激した例の小浜のお店にcooper-sで向かうことにする。

最初に大学に寄ってもらい私の研究室で、この一年間にどんな授業をして来たのか等を話す。ちょこっとのつもりがここで結構な時間話し込んでしまい、このまま小浜に行ってしまうとかなりの空腹になるので、生協で軽く食事。
「うちの大学の生協のミートソーススパゲティより美味しい」
とお褒めの言葉を頂く。

            ◆

車は161号から琵琶湖沿いを通って小浜に向かう。途中、琵琶湖の畔で軽く休憩。湖北はとても水がきれいなのでそれを実感してもらおうと思ったのだ。きれいに澄んだ水は、本当に心地よい。

車の中ではお世話になった和田中ディベート部の話や、大学での話、あれやこれやと楽しく意味のある会話を続ける。いやあ、いいなあ。

            ◆

小浜についてまずフィッシャーマンズワーフで地物づくしのお寿司を頂く。いやあ、うれしいことに耳の騒音もほとんどしない。のんびり寛ぐことができているんだなあと思う。

さらにあれやこれやと話を続ける。教育に熱く、酒と魚にも熱い臼井さんとの話は、実に楽しい。

チェックインして後、夕食に行く。あの店である。
この店は、地物の魚しか出さないので、前日の天候が大事である。幸いにして天候は大丈夫。期待して入ると、これがまた大当たり。刺身、干物の両方を臼井さんが持参してくれた千葉の名酒を持ち込みして味わうことができた。ああ、幸せ。

            ◆

「朋遠方より来るあり亦楽しからずや」
このところ、この言葉がしみじみと心に入ってくる。
ありがたいことだ。

論理的思考の初期条件

いやあ、初めて入った。
京都橘大学文学部児童教育学科の校舎である「児優館」(じゆうかん)にだ。
四月から使うことになる新しい研究室にも入った。
武者震いがしたな。
三月末に研究室の引っ越しを行い、新学期の準備を行う。

この校舎を使っていろいろな研究会も開くことになると思う。
丁寧にたっぷり使おう。

            ◆

今年度の研究費の申請締め切りが今月末ということで、残りの研究費の最終的な使い道を確定する作業を行う。大学教員一年目なので何をどのように使えば良いのかと言う見通しを立てにくかったので、節約しながら使っていたのだ。

三月に読む分の本も沢山買ったので、他に使っても大丈夫だろう。

            ◆

奥さんが、大津の広報をパラパラ見ていたら、三月三日、耳の日を記念して、耳の健康診断・相談会を専門医が無料でしてくれるというので、慌てて予約を入れる。気になっていると発見するものだ。ありがたいありがたい。

            ◆

今日の高校での模擬授業は、なんと三十分間だけ。これで教育の何たるかを説明してくださいというのは、無理です。無理ですが、やらざるを得ない。あれこれ準備をしていたのだが、途中で止めた。通常50分から90分かけて話す内容である。これからどれを話そうかと考えていたのだが、止めた。

思ったのだ。
(私があれこれ考えるより、高校生に直接聞いた方が良いだろう)
と。
つまり、話をする予定の項目を6つほど出して、この中から二つ選んでもらうことにしたのだ。私が伝えたい内容よりも、生徒が聞きたい内容を話した方が良いだろうとの判断である。

この判断は良かったようだ。しかし、三十分というのはねえ。

            ◆

夜は、東京から私のライティングの先生がくるというので、一緒に食事をした。パラグラフライティングの倉島先生である。京都で明日講座があるというので前泊。折角だから一緒に食事をしましょうとのお誘いを受けて、喜んで。

祇園のとあるお店に行きました。相変わらず美味しい。
その美味しい料理を頂きながら、刺激的なお話も沢山。

その中の一つが、論理的思考はどのようにしてその人に芽生えるのかということである。なんで、論理的思考が得意な人とそうでない人とに別れるのであろうかということ。鍛えて伸ばすではなく、もともとの始まりは何か?ということである。

おそらく自分で自分を鍛えることができていた人が、論理的思考を手に入れることができたのだろう。だとすれば、それはなにか?

取りあえずの結論は、「考え続けることをするかどうか」である。
これができていることが、論理的思考を行う人かどうかの大事なポイントではないかと思うのだ。いかがであろうか。

楽しい話を沢山して、京都駅でお別れした。また、お待ちしております。

2007/02/26

伏線発見 「スイングガールズ」

昨晩久しぶりに「スイングガールズ」を見た。
この頃の上野樹里ちゃんは好きである。冷静に考えると非常に嫌な女の子なのだが、それでも表情は豊かで見ていて
(ああ、こういう女の子に生まれたら高校生活は楽しいだろうなあ)
と思わせる。

            ◆

以下、ネタばれあり注意

            ◆

野球部の応援に行くシーンがある。一回食中毒になったブラスバンド部が復活して、再び演奏ができることになり、野球部の選手の一人に惚れているトランぺッターの女の子に連れ添う形で、三人で応援に行くシーンである。

試合は九回ツーアウトランナーなし。
そこに、代打で出て来たのはトランぺッターがほれている男の子。

私はここのシーンが良くわからないでいた。
なんで、わざわざストライクを2球見逃すシーンを描いていたのかが。
映画のテンポから言うと妙に無駄に饒舌なのである。
こんなシーンは入れなくても良いと思っていた。

それが、昨日見ていて分かった。

            ◆

2球見逃した後、スタンドから野次が飛ぶ。
「見逃したってダメだ。スイングしなければ意味がない!」
と叫ぶのだ。

(あ、これか)

            ◆

もちろん、バッターとジャズとでスイングにかけているのだ。
この「スイングしなければ意味がない!」は映画後半のキーワードになってくる。

はあ、すっきりした。

また夢の話である

また夢の話である。
いやあ、スケールがでかい。

            ◆

とある重要な研究の結果を狙われる研究者である私。
そのデータをきっちりと手に入れて研究所を飛び出す。
すると、待ってましたとばかりに追っ手が。

しかし、それは十分に予測の範囲内。
BGMが流れる。「シング・シング・シング」だ。
これは明らかに昨日の「スイングガールズ」の影響だ。

私の運転する車は、とても早くて追っ手は付いて来れない。cooper-sは早いのだ。
大方の予測を裏切って、私は飛行場に駆け込み海外への高飛びを決め込む。
後少しで離陸するというところで、追っ手が空港内に入って来たのを知る。

慌てて離陸間際の飛行機に飛び乗る。乗れるのだが、中で待っていた奥さんに
『すまんなあ、こんな人生に付き合わせてしまって』
と謝ると
「仕方ないわ。でも、楽しい人生よ」
と言う。
『ま、お前は全然関係ないから大丈夫だよ。それじゃあ、しばらく不便をかけるけど、後は色々よろしくね』
と言って、私はジャンボジェットから飛び降りる。背中から羽根がはえて、奥さんに手を振りながら大空を滑空して去って行く、というところで目が覚めた。

            ◆

『いや〜、凄い夢を見た』
「な〜に?」
と私のあまりの興奮に奥さんも目が覚めた様子。
事情を話したら、
「あ〜、それはこういうことね」
と簡単に分析されてしまった。
さらに、
「それは、ルパンでしょ?」
とも。
なるほど、そうかルパン三世だったのか、オレ。カリオストロの城かあ。

            ◆

なんだか知らんが楽しい夢ばかりだ。
寝るのが楽しいような、怖いような。

2007/02/25

させていただく

「させていただく症候群」という言葉があるぐらい、この「させていただく」の言い方は、気になる人がいるものの、流行っている。

どうなんかなあ。本音はどうか分からないが、日本人の考え方の根っこのところにあるものが変わらないとこの言い方は変わらないかとも思う。

            ◆

ロサンジェルスオリンピックの時だったと思う。
カールルイスは、スタジアムに詰めかけた観客に手拍子、拍手を求めた。
その理由が振るっている。

「私がこれだけ頑張っているのだ。観客は応援して当然である」

これを聞いて私は、
(ああ、日本は勝てない)
と思った。

            ◆

カールルイスだって、税金でまかなわれている部分もあるだろうに、それは触れずに、自分が努力している部分を先に認めよ、自分がやっているからアメリカは名誉を得られるのであるという発想に、日本人はなれないだろうなあとおもった。

まあ、なれば良いのかどうかは分からないが、スポーツ競技においては勝負にはならないと思ったなあ。

            ◆

私としては、
(まあ、そうなる日本人の心根はそれはそれで良いのかもしれないなあ)
の一方で
(そこまで言うかお前。何か企んでいる?)
とも思うのである。

やっぱりひねくれている、私?

ナイトメア

佐瀬さんのブログを寝る前に読んだのが原因だと思う。実に苦しい夢を見たf(^^;。

中学三年生の定期考査で、自分の出題した試験が終わり回収したところ一種異様な雰囲気。何だろうと思って、答案を確認すると、解答用紙が自分で作った模範解答の入っている解答用紙になっていた。
(が〜ん)
やり直しである。
(こりゃあ親からどーんとクレームが来るぞ。ううううう・・・っ)
で、目が覚めた。ふう。

再び寝るも、また、同じような中学校の生活指導で子どもたちと格闘する夢。うなされて起きる。ふう。当たり前だが、まだまだ体から中学校の教員が抜けないものだ。

            ◆

昨日は病院に行って検査。低音域は聞こえるようになってきたものの、高音域はダメ。さらに耳鳴りも治らず。薬を継続して飲むことに。耳鳴りの根本的な原因は今の医学でも分かっていないとのこと。そんなぁである。

(突然こうなって、そのままかよ)

これが人生だと思いながら、納得のいかない私。でも、目が覚めたら体が動かない人もいるのも人生。まずは受け止めて行かなければなあと思う。

            ◆

学生たちの卒業制作書道展が市内の京都文化博物館で、今日の日曜日まである。私は昨日行って来た。本学の文学部書道科は、大学生の書道展で四年連続金賞を受賞するレベルの高さである。

私が授業で教えていた四年の学生たちも、当然ではあるが作品を出していたので見に行ったのである。

屏風の作品と巻物を主体とした作品が所狭しと展示されていた。屏風は結婚式でも使えるぐらいの大きさ、巻物では三メートル以上。大したものである。◯ 遂良(ちょ すいりょう )の字体で書いてあるものや龍門石窟の字体で書いてあるもの等、私にもなじみ深いものもあった。

作品を仕上げるということへのエネルギーを沢山感じられて、少し元気になる。学生たちはこれでいよいよ卒業である。寂しくなるねえ。

            ◆

その後、カーナビを見たら書道展の会場から近いことが分かったので耳の快癒を祈念して、再び今宮神社にお参り。

帰り道でちょこっと車の後ろをぶつけてしまってショック。
そういうこともあの悪夢に繋がったのかもしれないf(^^;。

2007/02/24

朋遠方より来るあり

朋遠方より来るあり亦楽しからずや

極めての有名な論語の一節である。
京都に引っ越してきて、この一節をつくづく感じる。有難いことに
「そういえば、京都には池田がいるな。ちょっと立ち寄ってみるか」
と西に来る予定のある人が声をかけてくれる。また、わざわざ予定を作ってきてくれる。

昨晩も、全国教室ディベート連盟関東甲信越支部で活躍されていて、今はふるさとに戻って先生をされているY先生が、仲間の先生と出張で京都に一泊で来るということで、久闊を暖めることができました。

お気に入りの先斗町のお店を予約しようとしたところ、金曜日の夜と言うことで満員。そこで系列店を紹介してもらいました。夜の鴨川はまあはっきりとは見えないのですが、それでも窓際の席を確保してもらいゆっくりと食事とお話をすることができました。

さすが系列店だけあって、味は大丈夫でした。私の大学での実践を話したり、高校の授業での相談に乗ったりしながら、お酒とおいしい料理を楽しみました。

説明が足りないようでしたら、学校まで行って校内研修会でお話しさせてもらいますからね。
来週もまた仲間たちが東京から来るので、私はとても幸せだあ。

2007/02/23

『<学級>の歴史学 自明視された空間を疑う』

『<学級>の歴史学 自明視された空間を疑う』(柳治男 講談社選書メチエ)を読み終えた。もちろん、再来年度の講義の準備の一環である。

私が講義で扱おうと考えているのは、学級担任の仕事を通して学級や教師の役割や意味を考えるというものである。学問として成立しているさまざまな教職関連の講義内容を、束ねる役割として学級担任とその仕事を考えて行きたいというものである。

であるので、
(そもそも<学級>とはなんぞや?)
という部分に深く触れることは想定していない。しかし、当たり前のことであるが授業で教える部分だけを用意してもダメなのが授業である。

この本とも対話をしながら読み進めることができた。
面白かった。

            ◆

本書では、学級が海外旅行のパックツアーと類似していることから論を始め、事前制御のシステムを持つ組織としての学級と、教育はかくあるべきであるという教育言説のダブルバインドの中で苦しむ子どもと教師の姿を学級の成立の過程を検証しつつ描き出している。

私は、
(自分が子どもの頃、学級や学校に対して感じていた居心地の悪さを丁寧に説明してもらっているな)
という感じも持った。私は教師になった時もこの居心地の悪さを学校で感じることが時々あった。愉快な職員室仲間とくだらない話をしながら、和気藹々と仕事を進めることができるときであっても、これはぬぐい去ることのできない、居心地の悪さであった。

この居心地の悪さの発生の理由は、うっすらとは感じていた。が、それをどうこうすることは学校教育現場で担任をしている私には手に負えない問題だとも感じていた。

ではあるが、これをあれこれ工夫して担任を続けていた。

            ◆

教師になるには、勉強ができなければなれない。そして、勉強ができるようになるということは必然的に学校のシステムに自分を従わせるということを許したということでもある。なんとなれば、この時代に学校という装置を使わずに勉強を身につけて行くということは、ほとんど不可能であるからだ。

これが適応であれば、まあさほど問題はない。私もぎりぎり適応だったのだろうと思う。問題は学校適応過剰である。学校の求めようとするところを先取りして、それに自ら進んで従おうとする姿勢である。

多くの場合、反抗期が効果的に作用して、この学校適応過剰が揺さぶられて、ほどほどの適応に落ち着くのだが、そうならないで成長してしまう人間もいる。そして、その学校適応過剰のまま教師を目指す学生、なるという先生たちが出てきているのではないだろうか。

            ◆

子どものころの私は、この居心地の悪さを説明する言葉を持っていなかった。ただ、不機嫌であった。
(なんでこんなことに従わなければならないのか)
(なんで「自分で考える子どもになろう」と他人に言われなければならないのか)
(自分で考えるのを強制されるって変じゃない?)
とかである。
あのころは、「考えさせられることは既に自分で考えるということと矛盾している」という言い方をすることができなかったので、ただ不機嫌なのであった。そして、時々説明しようとして大人に、先生に怒られていた。

            ◆

それらの私の不機嫌がどこから発生していたのかなどの説明がされていて、面白かった。そして、その一方で、
(さて、この不機嫌さを持っていない学生たちは、学級担任の仕事をする時に、居心地の悪さを感じている子どもたちに出会えるのであろうか?)
という思いを抱くのである。

学校適応過剰の教師たちからは、教室の中で暴れまくる子どもたちの感情も、論理も見て取ることは難しいだろう。そうしたとき、学級と言うパッケージのなかで担任の仕事を進めることは限りなく難しくなって行くと思われる。

私は学級や学校に対して居心地の悪さを感じたことのある学生が、もっと教師になってほしいなあと思う。それが今の教室で苦しんでいる子どもたちを救うことにもなると思う。

本書が提起している問題は、これから教師になって行く学生たちが確認しなければならない一つの前提になるのではないだろうか。

2007/02/22

なんという偶然

郵便局に用事があって、大学に行く前に立ち寄った。
すると、昔のミニクーパーSが停まっていた。しかも、グリーン/グリーン。かなりいじってあって好きものという感じが出ていた。

用事を終えて車に戻ったら、そのミニクーパーSも駐車場を出るところであった。しかも、方向は同じ161号線。結果的に私がその後を走ることになった。

161号の長良トンネルを一緒に走る。すると、対向車線にグリーン/白の現行ミニクーパーがすれ違った。

旧型ミニクーパーS  グリーン/グリーン
現行ミニクーパーS  グリーン/白
現行ミニクーパー   グリーン/白

なんという偶然。
ほんの一瞬だったが、これは妙にドキドキしてしまった。

そんな気持ちになれる車なんだなあ。
これはこれで病気かもしれない。

見て分かる

会議を挟んで読む読む読む。
5冊を並べて、次から次へと読む。
興味の対象に向かう主体は私なので、一見関係のない本であっても、私の中では重なり合った読みの流れができているはずである。その立ち上がってくる何かを求めて読んでいる。これが気持ちいい。

            ◆

その後、研究室で、ある教育雑誌の取材を受ける。野中先生が紹介してくださったようだ。「学級担任論」についてである。このところ、この話題についての取材が多い。先日もあった。

いまの学校現場を非常に良く理解している編集者さんで、
「このままベテランの先生が退職されてしまったら、新人の先生たちはどうするのかと思うと恐ろしくなる」
という危機感を持つことも、私達と同じである。

2時間ほど話した。4月号とのことなので新学期の準備に忙しい先生たちが、「読んで理解する」ではなく、「見て分かる」ようでないと見てもらえないだろうということで、話をイラストにして載せるとのこと。

私もなるべくイラストにしやすいように話したつもりだが、どうなるのか楽しみ。

            ◆

朝起きたら、差し歯が取れた。
ああ、また病院だ。
今度は本格的に治療だろうなあ。

うう。

2007/02/21

9万アクセス

いやあ、ありがとうございます。9万ですか。
あっという間に今年前半には10万アクセスになりますね。
今後ともよろしくお願いいたします。

2007/02/20

ますます加速する一方通行

本を読み原稿を書いて過ごす。
外はあたたかだ。
琵琶湖は青く輝いている。
春霞のようなものも出ている。

もう京都にきてから一年が過ぎようとしている。
今日は小さな目標を達成することもできた。
実に早く、実に色々なことがあったなあ。
また四月からはさらに公私共々いろいろなことが始まる。

自分の人生の残り時間は少なくなって行くというに、なんか加速している感じがある。スペースシャトルではなくアポロ宇宙船で育った世代としては、一段目のロケットが切り離されて、アポロ宇宙船全体としては短くなったロケットなのに、ロケットそのものはさらに加速をして行く。そんな姿をなんとはなしに重ねている。

違うのは、アポロ宇宙船は月に着陸した後地球に戻ってくるが、こちらは一方通行であるということだ。

            ◆

恩師の竹内常一先生から大学の研究紀要に書かれた論文の抜き刷りを頂く。「語りのポジションを問う ー志賀直哉「正義派」をよむー」である。私が学生時代に国語科教育法で挑戦した志賀直哉の小説「正義派」の読み取りについての論文である。これをウンウン言いながら読み込んでいった。

学生時代に習ったところは、不思議なことに今でも覚えている。
(小説を読むって凄いなあ)
と素直に思ったものだ。

この場合の読むは、楽しみとして娯楽として読むとはちょっと違う。「自分の人生や社会のあり方に問いを発しつつ、小説の描こうとする世界を読み開く」といえば良いのだろうか。

そして、先生はまだこの小説にこだわり、新しい読みを提示している。それだけ提示続ける先生が偉いのか、それに耐えられるこの小説が凄いのか。どちらもだろうなあと思う。

来年度がこの小説を使った大学での授業が最後になると先生はおっしゃる。そして、まだ学生との授業を通してこの小説の「読み」に新たに挑戦を重ねようとされている。

            ◆

先生の、「ますます加速する一方通行」を追いかけるってのは、大変だけど有り難いもんだと思う。

2007/02/19

自分のメモとして

ブログは、書きたいことを書いているように見えて、実は読んで頂いても大丈夫なことしか書けないというメディアである。

今日は、色々あった。MAのこと。SAのこと。KOのこと。MIのこと。はあ、全部大事なことなのに書けない。嬉しかったり、辛かったり、喜びであったり、苦しみであったりすることがあったと、自分のメモとして書いておこう。

他の人のブログを読む時も、こういう自分の状況を考えて、書けないこと、書きたくないことは書いていないんだと思いながら読まねばと思う。

            ◆

全然、関係ないが、思いついたこと。

Q 詩、短歌、俳句などの韻文は、ワープロで作れるのだろうか?

散文であればワープロはオッケーだが、私は、韻文はワープロで作れそうにもない。手書きでないとダメだと思う。これはなんで?

            ◆

本当は、まだのんびりと過ごさねばならないのだろうが、年度末はねえ。

みなさん、体に注意しましょうね。

ICTのチェックリスト

文部科学省からICTに関する教師のチェックリストが出た。

さて、どうなんだろうか。
まあ、出来ないよりも出来た方が良いとは思うし、出来ないと仕事にならないこともあるし、子どもの方が出来ていて先生も辛くなるということもあるだろう。

だけど、その前に

・チョークの使い方
・ワークシートの作り方
・生徒にきちんと伝わる声の出し方

なんてのは、いままであったのかなあと思う。

そっちが先だと思うのだが。
あったら、教えてください>詳しい方。

ホイホイである

プライベートな新年度の準備をして一日を過ごす。
いくつかあるのだが、それをホイホイこなす。
何かしていると耳鳴りも気にならない。
静かなところにいると気になる。
だから、ホイホイである。
ホイホイ。

            ◆

途中、気分転換でドライブ。cooper-sの心地よいエンジン音が、耳鳴りを隠してくれるのである。
制限速度の時速60キロで流すと、ぴったり30分で161号バイパスの終点につく。それでもって、同じように戻ってくると合計1時間で60キロのドライブになる。これが気持ちよい。田舎の道は空いていて良い。

今日は、面白い天気だったので思い立って「琵琶湖バレィ」に行ってみた。下の駐車場のところは全然雪がないので、ノーマルタイヤでも大丈夫。

琵琶湖がとてもきれいだった。
写真を撮ろうと思ったら、電池切れ。まあ、そういうこともあるさ。
また来よう。

山桜がたくさんあった。
お茶のセットを持ってこよう。

            ◆

ブログを読んでいるという京都出身の先生からメールを貰った。京都の今宮神社は病気の神様で、お参りすると耳が治るかもしれませんと。ありがたいことだ。早速お参りしてみよう(^^)。

2007/02/18

私の授業を学生に見せる

ふう、ぐっすり寝た。
時々起きたが、十数時間寝た。久しぶり。

            ◆

昨日の模擬授業は、実はもう一つ新しい試みをしていた。それは、私の授業を学生に見せると言うことである。

学生たちが
「先生が、初めて会う生徒に授業している姿を見せて頂くことは出来ませんか?」
と前から言っていたので、それを実現してあげたかった。

大学の授業で、授業方法を教えている私が、実際どのようにするのかを見てみたいと言うのである。極めて自然な発想である。

            ◆

音大の声楽の先生であれば、レッスンの時にも歌うし、自分のリサイタルで学生に聞かせることもできる。また、医学部であれば手術に立会わせることもできるし、見せる部屋もある。

しかし、教育分野でこれを実現するのは割と難しい。実に不思議だと思う。授業を行う理論が、実際にどのように行われるのかを学生が見るというのは、良い勉強になると思うが。

模擬授業は高校の公式の授業なので、通常なら学生を連れて行くことは出来ないと思うのだが、付属高校ということでちょっと大目に見てもらい、私の授業を録画するスタッフを兼業することで見せた。

            ◆

私は初めて会う子どもたちに授業をするとき、導入は比較的小さく低い声で始める。また、授業の進め方はゆっくりと始める。その進め方に
(子どもたちが乗ってきたな)
と感じることが出来るようになったところから、本格的に授業を展開する。

そこの土台に子どもたちが乗れば、あとは様々な変化を付けても大丈夫である。しかし、ここに乗る前に動き出すと、子どもたちは授業に参加できない。置いてけぼりになってしまう。この辺りの様子を授業で見てとってくれたら良いなあと思っていたのだが、きちんと感じていたようで、をを良かったということであった。

            ◆

いつも出来ることではないが、年に数回はこういう機会があっても良いのではないかと思う。

2007/02/17

3割ですかね

今日の模擬授業は、うちの付属高校での授業であった。付属高校でやるというのは、どうもなんというかちょっと緊張する。別に悪いことをしているわけではないのだが、いつもと違った。

だが、さすが我が付属高校である。子どもたちがしっかりしている。先生方の指導が行き届いている感じがする。授業の最初に挨拶をするとき、
「マスクを外して」
と声がかかる。

まあ、花粉症の辛さは分かるからそのままでも良いと言えば良いのだが、
(まず挨拶からしっかりさせたい)
という先生方の気持ちが伝わる。こっちも、
(おーし、しっかりやろう)
という気持ちになる。つくづく人間は感情の生き物である。

そして、担当の先生も一緒に教室に残っている。私がこれと同じことを中学校で企画した時もそうしたが、実はこのように残って一緒に子どもたちと話を聞くという高校は少ない。最初からいない学校もあるし、出席だけとっていなくなる学校も多い。

もちろん、忙しい学校現場だからわからないでもない。だが、礼儀云々ではなく、子どもと一緒に同じ話を聞いて後で共有するってのは、大事なことだと思うのだが。

            ◆

模擬授業の中で、

『さて、みなさん。教師の仕事が10あるとすると、授業の仕事というのはいくつぐらい、何割ぐらいだと思いますか?』

という問いに、5〜6割という所に手を上げる生徒がほとんどであった。二回授業をしたので、二回とも確認をしたがそうであった。

そこにいた担当の先生に聞いてみた

『先生は、何割だと思われますか?』
「3割ですかね」

私は日頃学生たちに、普通の中学校で3割。荒れていると2割と話しているが、まさにその通りであった。二人の先生ともそうであった。

生徒諸君はびっくりしていた。教育を受ける立場で学校にいるのと、教育をする側で学校にいるのでは、全く違うということが分からない。高校生だもの分からなくても結構。だが、問題は大人である。学校教育を受けるだけの経験で、学校教育をする側に対して分かりきったかのように発言する人が多くなっているのではないだろうか。

残りの7割で何をするのか、分かっているのかなあ。

            ◆

終わってから、慌てて病院に行く。
実は、耳は治っていない。痛くなって耳鳴りがするようになってしまった。これは治らないかなあ。

大学で大事な会議があったのだが、失礼して自宅で静養。
役立たずで住みません。

兎に角いまは、薬を飲んで体を休めるしかない。

2007/02/16

『子どもの荒れにどう向き合うか』

『子どもの荒れにどう向き合うか 〜いま、教師でありつづけるために〜』 (杉田雄二著 高文研)を読む。

一気に読んだ。

全生研の有名な実践家である杉田先生(ペンネーム)の実践記録である。遠目に拝見したことはあるが直接お話ししたことはない。一人一人の子どもを丁寧に指導される先生であることは、実践記録から十分分かっていた。

その杉田先生が退職願を書き残して、修学旅行のあと「失踪」した。
実践の記録はここから始まる。

            ◆

今の中学校の痛み、切なさ、喜び、苦しみ、つまりは現実が語られている。すべての学校がこうではないし、すべての先生がこうでもない。

だが、同じような思いをしながら、毎日学校にいる先生たちが確実にいる。そして、助けを求めている子どもたちもいる。

杉田先生が生徒指導のストレスで、円形脱毛症になって禿げたという記述を読み、
(オレもそうだったよなあ)
と3年前を思い出した。

過ぎてしまえば、
「これも教師の勲章」
なんて言われたのも笑って受け入れることが出来るが、その時はそれどころではなかったなあと思い出した。

            ◆

(今の時代に教師として生きるとは、こんなにも大変なのか)
と思うか
(今の時代に教師として生きるとは、こういうことか)
と思うか意見の分かれることだろう。

できれば、どちらの思いも持って

「さあ、待っていろよ子どもたち」

という思いで、力を抜いて笑顔で教室に向かう教師に育ってほしいと、学生たちのことを思いながら読み終えた。

            ◆

分からないこともあった。携帯電話の指導の場面である。杉田先生は、学年の先生に

「みんなができるやり方にしようよ。私は『携帯をすぐにしまいなさい。十数える間にしまわないと預からせてもらうよ』と言ってカウントダウンするようにしている。そうすると、何とかしまうよ。これなら誰でもできるでしょう。」

と言う。
ダメなものはダメと言って取り上げる指導をする先生の正しさを認めつつ、その指導が出来ない先生でも出来る指導を提案する。実際強い先生がいると、生徒は強い先生には従うが、弱い先生は舐めてかかることが多い。だから、みんなが出来る指導というのだ。

これは、分かる。分かるがこの先が分からない。
つまり、杉田先生の「みんなができるやり方にしようよ。」と言われる、携帯電話の指導は分かるが、本全体を通して貫かれている杉田先生の指導は、「みんなができるやりかた」なのかなあと。私には出来そうにもない。

どうして杉田先生は出来たのだろうか。
そして、それはどうしたら学生に伝えることが出来るのだろうか。
ちょっと考えてみたい。

教師を目指す学生諸君。
とってもいい本です。
読もう。

2007/02/15

今夜、88888が出ますね。

ついこないだ77777だと思ったのですが、御陰さまでまた並びます。
88888ですか。ちょうどの方、近かった方、ぜひ、コメントを残してください(^^)。

では。

保育士中心の話をした

今日は大阪の高校で模擬授業。国語の授業の話をする予定で行ったら、保育園の先生になりたいという生徒がほとんどだったので、急遽話を変更した。子どもの言葉の発達を脳科学が解明した部分と絡めて保育士中心の話をした。

            ◆

『はい、では授業を始めますので、マフラー取りましょう』

開始と同時に、言う。

一瞬教室に厳しい空気が流れるが、それは仕方がない。授業を受ける。しかも、お客さんがきてくれて授業をしてくれるのであれば、そのぐらいのことをはきちんとできなければならない。私はおそらく一回しか彼女らとは縁がないだろうが、それでもそういうことは言わなければなあと思うんだよね。

(きちんとした話をするのだから、聞くみなさんも、ちゃんと聞くんだよ)

という思いを込めて、一つ一つ反応を確かめながら話をした。
途中からは、ちゃんと聞いてくれた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

子どもを教えるのに、保育園とかなら、簡単だと思ってたけど、自分の声で、その子を振り向かすことが出来るかっていったら、かなり難しいなあと思った! 漢字の覚え方はこれから先とても役立つと思いました。凄くためになる話をありがとうございました。

引用終了 ーーーーーーーーーー

というような感想を多く貰ったので、一安心である。

            ◆

しかし、「子どもを教えるのに、保育園とかなら、簡単だと思ってた」というのはあるんだろうなあ。そう思っている高校生が多いのではないかと、今まで模擬授業をしてきた感触や感想で、なんとなく思っていたので、今日は「簡単ではない」ということも話した。

『私は去年まで中学校の先生をしていましたが、中学生なら頭にきた時は「むかつく!」と言えるし、体調が悪い時は「頭が痛い」と言えます。

けどね、君たちが就こうとしている保育士さんが相手にする子どもたちは、まだ日本語が話せない赤ちゃんから始まって、自分をうまく表現できない子ども、子どもを育てる経験の少ないお母さん。こういう人たちを相手にするんですよ。

だから、君たちに子どもを見る目がないと、子どもが危ないんです。きちんと説明する力がないと仕事が進まないんです。だから、たくさん勉強しないとね』

『例えば、君は国語が好き? ん? まあいいや、国語が好きだとしよう。そして数学は嫌い。ま、君がそうであることは君の人生においてはあることだし、それはそれでまあ良い。だけど、君が数学が嫌いだと言うことで、君が相手にする子どもに数学を教えないというのでは困るよね。

君がお母さんになった時、「私はカレーが嫌いだから、私の子どもにも食べさせません」ってのは変でしょ? 先生になるってことは、色々な可能性を持った子どもたちにきちんと対応できるってことなのね。だから、君は、先生になるんであれば、少なくとも高校生が学ぶことに関しては、すべてをきちんとやっていくことが大事なんだね。たっくさん勉強するんだよ(^^)』

高校一年生の彼女らは、感想を見る限りでは分かってくれたようだ。
ああ、良かった。

2007/02/14

糸井先生の母校

今日の高校での模擬授業は、京都の日本海側まで出かけて行った。なんと糸井先生の母校である。

学校の中に入ると、廊下がとんでもないことになっていた。南からの暖かい風を含んだ低気圧のせいで、校舎の中が結露して、廊下が水浸しであった。追いかけっこをしていた男子生徒が滑って転がっていた。バレンタインデーだけに、興奮しているらしい。

子どもたちは、非常に素直で丁寧な感じであった。廊下ですれ違う生徒の90%以上が挨拶をする。学校と言っても実に色々とあるなあと、高校での模擬授業を通して改めて思う。生徒としても先生としても、どこの学校に行くかによって随分違った人生になるだろうとは思う。

もちろん、違うということと、良い悪いと言うことは別問題であるが。

            ◆

昼ご飯は、ネットで調べておいた駅前の定食屋に入る。刺身定食を頼む。税込み1050円。これで刺身が7種類ついている。お値打ちである。海は荒れていたと思うのだが、新鮮な魚であった。冬の日本海の魚は、やっぱり美味い。

            ◆

今日の内容は、幼児教育分野であった。

赤ちゃんが子どもになる時に、脳みそはどのように変化をしていくのか。それが言葉を獲得する時にどのように影響うするのか。どのようなことが指導者としての先生には大事なのかのような話も含めて行う。

その子どもの一生の土台が三歳までに作られるのであるから、とても大事な仕事であり、学ぶことは沢山あるんだと話した。

            ◆

駅前の魚屋さんで、刺身になる魚を手に入れる。あまて鰈、アジ。卸してもらえると言うので、お店のおばあさんに頼む。甘鯛や蟹にも食指が動いたが、これを買って帰ってしまうと大酒になってしまう恐れがあり、それは耳に良くないと我慢。病気になると我慢を覚えるなあ。なる前に覚えろってf(^^;。

駅からは、タンゴエクスプローラーなる列車に乗る。ディーゼルで動き、「二階だけ」列車である。窓が広くとられており、丹後の海を眺めるのに適した作りである。残念なことに転機が良くなく、青々とした海ではなかったが、冬の日本海はそういうものだろう。

大江、由良など百人一首に縁のある地名を走り抜けて行く。
(「大江山いくのの道のとおければ・・・」って、随分遠くまできていたのね)
(「由良の戸を渡る船人と・・・」って、この川を渡ったのかな)
と楽しむ。百人一首の歌枕も結構回ったなあ。

            ◆

はあ、移動に疲れたなあ。
時間だけなら、東京往復の時間だけ列車に乗っていたからなあ。

よし、明日は大阪の学校だあ。

薄れいく意識の中で、目が覚めた

なんだかしっかりした夢を見て、朝早く起きてしまった。

卒業式なのである。
たぶん、中学校。
どこの中学校かなあ。
和田中学校かな。

卒業式が終わり、最後の学活をして子どもたちを送り出し、忘れ物がないか教室の見回りをしていた時に、
「池田先生、ごめんなさいね。仕方がないの」
と言われて振り返ると、私は毒針を刺されて命を狙われるのだ。

そして、それは半分し方がないと思っている私と、ふざけるなと思っている私がいて。校舎の外からは
「池田先生〜〜〜〜〜、早く!」
と娘たちが声を掛けてくる。
(ああ、死んでしまう。でも、卒業式まで無事にやれたからいいか)
なんて思いながら意識が消えて行く。

(あ、しまった。伝えておくことがあった)
と思い出し、廊下の窓の下にいる子どもたちに呼びかけた。
『金吾、金吾はいるか?』

金吾という教え子を持ったことはない。おそらく、というかほぼ絶対に濱田金吾のことである。80年代の日本AORシーンを代表する歌手、作曲家である。しかし、ほとんど誰も知らない。「横顔のタクシードライバー」「真夜中のテニスコート」など、名曲中の名曲である。でも、知られていない。

なんで、金吾だったのかなあ。
耳がよく聞こえないので、このまま聞こえなくなったらという思いが深層心理にあるのかな。だから、濱田金吾の声を聞きたくなったのかな。

薄れいく意識の中で、目が覚めた。
生まれ変わった気分であった。
うーむ。

2007/02/13

『みんなで国語辞典! これも、日本語』

私は言葉の学習段階には、次の三段階があると考えている。

1)覚える
2)使う
3)作る

である。もちろん、3に行くほど高度な学習を要求する。

この三段階に応じて中学生のために作った授業が、

1)対義語でポン
2)ことわざスピーチバトル
3)人生名言集

である。
これらの授業を行う時に、句会や「たほいや」も合わせて行い、言葉の面白さそのものに触れさせたいと思っていた。

            ◆

『みんなで国語辞典! これも、日本語』(北原保雄監修 大修館書店)を読んだ。この本は、私の定義で言えば、「3)作る」を具現化したものである。読者からの投稿で成立した国語辞典である。

作るには、言葉そのものを作る場合と、存在している言葉の意味を新たに作り出すという二つの側面がある。前者は造語であり、後者は新たな定義付けである。この本は、両方ともやっていて、なおかつ所々に北原先生や編集者からの専門的なコメントや注が入っているという贅沢な本となっている。

1300語程度ということなので、一つ一つを読むと良い。学校で先生が
「いくぞ、みんなで投稿するぞ」
と声を掛けて投稿したと思われる作品群等もあって楽しめる。私が中学校にいたら、やったろうなあと思う。

いくつか、気に入ったものを。

引用開始 ーーーーーーーーーー

・コリント人【コリント人】聖書にある「コリント人への手紙」からとったものの意味を変え、何度同じ失敗をしても懲りない人。「やっぱり彼女はコリント人だね」(和歌山県・中2・女)

・なまあたたかくみまもる【生温かく見守る】温かく見守るわけでもなく、冷たく突き放すわけでもない、ちょうどいい温度で見守ること。(大阪府・高2・男)

・にじゅいっせいきわく【二十一世紀枠】2)実力はないが、同情から認められること。

引用終了 ーーーーーーーーーー

            ◆

なぞかけの「ココロ」の部分を上手く使っているような定義や、そのまま辞書の定義としても十分通用する格調の高いものやらあって、十分に楽しめた。

小学校では厳しいと思うが、中学生以上ならこの「辞書づくり遊び」は十分可能である。

2007/02/12

生意気だけど、謙虚である

ということで、昨日は大阪教育大学の教職サークルから呼ばれて講座。朝起きた時は、耳の調子も比較的いいのだが、時間が経つと元に戻ってしまう。そこで、会場に向かう電車の中ではぐっすりと寝る作戦にした。目が覚めれば耳の調子も良くなるだろうというもの。多少は効果があった。

            ◆

講座は、「コミュニケーション 担任のしごと、授業のしごと 〜教師になる、担任になる、教師である、担任であると言うこと〜」

というタイトルで行った。

大きなタイトルであるなあと、自分でも思ったのだが、先様のリクエストに応えて授業をつくったらこのようになってしまった。

ワークショップも入れて2時間ちょっと。途中、体温のコントロールが出来なくなって、ちょっと活舌が上手く行かなかったり、キッチンタイマーを押すのを忘れて、予定していた時間が過ぎてしまったとか不手際もあったのだが、参加していた学生、教師になったばかりの若手のみなさんの熱心な受講で、乗り切ることが出来た。

            ◆

この時代に教師を目指そうというみなさんは、熱いものを持っている。さらに、わざわざ休日に学びにこようとするぐらいだから、さらに熱はある。だが、その熱だけでやっていけるような時代ではなくなってきているのが、今の学校教育の現場だ。

経験のない若手諸君は、知識、理論、方法、技術を身につけることが大事だ。こうして勉強会に参加して身につけることも大事だし、自分の頭を使って自分なりの方法で身につけることも大事だ。

何回も言うが、教育の世界は限りなく素晴らしいものである。その世界を仕事としてかかることの出来る先生という職業もたまならなく魅力的である。であるから、是非、じっくりとやってほしいなあと思う。気持ちのよい彼らだった。私も協力できる範囲で、彼らに協力しようと思う。

            ◆

懇親会では、さらにいろいろと教育のことを。国語の教師をめざす学生や非常勤講師の先生の近くに座り、いくつかの国語の追求ネタを話す。すると面白いことに、国語の教師は当たり前すぎることなので、どこが問題なのかがわからない。理科や数学の教師を目指す学生の方が
「あ〜〜〜〜〜〜、ほんまや。おかしい、おかしい!」
と叫んでいる。

一つだけ例を言えば
「彼の性格を一言で言えば、負けず嫌いということである」
の文。これ、良く考えるとおかしいですよね(^^)。

だんだん、どこがおかしいのかが分かってくるのだが、そこで私が一言。

『家に帰ってすぐにインターネットで、調べては「だめです」よ』
「え?」
『まず、自分の頭を使って、持っている知識を総動員して仮説を立ててください。そして、その仮説が立ったら、ネットに向かってください。そうすれば、ネットでの作業は調べるではなく、検証になります。子どもたちにもこれをさせてくださいね』
「はい。でも、・・・」
『でも?』
「気になります。気持ち悪いです」
『はい。結構結構。それが学ぶことの始まりです(^^)。子どもたちにもその「健全な気持ち悪さ」を、授業で味合わせてあげてください』

            ◆

店を変えて話を進めると面白いことに。
「思うんだけど、みんなな。先生の話にすべてうなずくだけでなく、ここは違うとかいう【噛み付くこと】が大事なんじゃないか」
と話す元気のいい受講生がいる。
『その通り(^^)』

そうこなっくっちゃ学びはない。
(ああ言っているけど、本当のところはどうなの? オレの身近な例ではそうななっていないけど、それはどうして?)
と「我がごと」に引き寄せて考えることが、将来子どもの前に立つときに大切な練習になると思う。先生は、自分の目の前の子どもに具体的に働きかけるのである。

「生意気だけど、謙虚である」

若者はそうでなくっちゃ。

            ◆

朝、起きるとメールが複数届いている。
昨日の受講生からの御礼のメールだ。
こういうことが、できる若者が少しずつだけど増えてきていると私は感じている。折角メールというツールがあるのだから、使わなければもったいない。

さあて、返事を書くか。

2007/02/10

『7歳から「辞書」を引いて頭をきたえる』

「なんのために辞書が買ってあるの? なんのために先生がいるの?」

わからない言葉を母親に聞くたびにいわれた。小学校の低学年のころである。
(ははあ、お母さんはこの言葉を知らないんだな。よし、調べて教えてやろう)
なんて思っていたのが、ご幼少のみぎりの私であるf(^^;。そうして、いわゆる子ども用の辞書を使ってあれこれと言葉を捜すようになっていった。どうも人に教えるのは昔から好きだったようである。

小学校の三年生ごろになって、
(うーん、この言葉調べても載っていないな)
という言葉が増え始めた。それで、四年生の時にやっと大人用の辞書を買ってもらった。小学館の白い辞書だ。これは中学校三年まで使いまくった。ビニール製の表紙と裏表紙は、きれいに取れてしまい、そこをセロテープで補修しながら使っていた。もちろん、紙の箱やビニールのカバーなんて捨ててしまってない。

調べたのにその言葉が辞書に載っていないことのストレスは、思ったより大きい。調べたら調べたなりの言葉が出てくるという快楽が、さらに調べようとする意欲を生み出す。だから、この小学館の辞書を手に入れることがなかったらどうなっていたかなと思う。

            ◆

五、六年生の時の担任の島村先生が
「君たちは辞書を引かないね。先生は、今でも一日に2、3回は必ず辞書を引くよ」
と話していた。
(え、先生。言葉を知らないで先生をやっているの?)
と思う半分、
(じゃあ、僕がわからない言葉を調べていても、別に恥ずかしくないじゃん)
と思っていた思春期の入り口。
丁寧に言葉を確認するためには、辞書は必携だと言うことを島村先生は教えたかったんだろうなあ。先生、すいません。

六年生の時には、辞書に間違いを発見し、編集部に手紙を書いた。そしたら、お礼状とともに図書券を送ってもらった。さらに必死になって辞書を読むようになったf(^^;。

            ◆

「体験と経験」の違いが分からなくて、他の辞書の説明を読み比べて、それでも分からなくて中学一年生の時の担当の西本先生に伺ったこともあったな。そして、その時のあまりにも明快な説明に、
(をを、すげー。国語の先生ってかっこい)
と思ったのが、国語の先生になる一つのきっかけかもしれない。

残念ながら中学校二年生の時の国語の先生は、面白くなかった。教科書の指示語が何を指しているのかなどということを延々と説明し、それを質問する。
(んなの、読めば分かるじゃん)
と思い、私は辞書の後ろに載っている漢字で、画数の多い順に覚えていた「憂鬱」とか「団欒」とか。転んでもただで起きない私。

            ◆

教師になりたての頃に、深夜番組で盛り上がっていたのが「たほいや」。広辞苑を使った遊びである。
(へ〜、こんな遊びがあるんだ)
と仲間と遊んでいたが、
(ん? これ辞書の使い方の授業になるんじゃない?)
と思い、即実践。

そのことをまとめたのが、「授業づくりネットワーク」の「NO.134 1997年 12月 池田修 <文学教育は今のままでは滅びる!>教室だからこそ 座の文学を楽しもう」だ。上條晴夫さんによれば、「たほいや」を教育の文脈で紹介した文章は、これが一番最初だと言うことになるらしい。

当時は学習ゲーム等と言う言葉もなく、「辞書を使って遊ぶことが勉強になる。しかも、学習集団を育てることになる」なんて主張は、とても堂々と言うようなものではなかった。しかし、私には
(これはいける)
という感触はあった。私にとっては今でもとても大切な論文になっている。

            ◆

『7歳から「辞書」を引いて頭をきたえる』(深谷圭助 すばる舎)を読んだ。この本は、子どもと辞書との幸せな出会いを丁寧に書いている本である。

給食の時間に、わからない言葉を一生懸命に捜している小学校の一年生の子どもたちが描かれている。

私の場合は中学校一年生からの辞書指導であったが、辞書にのめり込んで行く子どもたちの姿は何回も目撃している。家庭科の調理実習だろうが、理科の実験だろうが、国語の辞書を持ち込んで授業中に出てきたわからない言葉を懸命に追い続けてていた子どもたちを私も見ている。

「みちはこたえない。みちはかぎりなくさそうばかりだ。」(真壁仁 「峠」)

みちを学びに置き換えてみる。そして、本に辞書に置き換えてみれば、わかる。自らが問いかけなければ、手に入れることは出来ない。それが学びだ。自ら手を差し伸べたものだけが、手に入れることが出来る。そして、新たな誘いを受けるのだ。

辞書指導は、子どもたちをそうして学びの世界へと誘い出す。君がこれから手に入れようとする世界は、この先にあるんだよと教師はそっと示してあげたい。

丁寧に扱いたい分野だ。

その先にある広大な学びの世界に

昨日の夜は、学生たちと授業の打ち上げ。
国語科教育法と教職総合演習の学生たちと一緒に、良く乗り越えた記念で。

久しぶりに木屋町通りに向かう。週末と言うこともあり、なかなかの人出。あと一ヶ月もすると、この高瀬川沿いの桜が咲き始める。すると、またとんでもなく美しい季節が始まるんだなあ。

            ◆

大学の授業は、単位で行われる。
内田先生のブログにもあったが、1単位は90分×15回で認定される。しかし、これはその前に予習の90分。復習の90分もカウントされなければならない。

国語科教育法と教職総合演習は、どちらも2単位である。だから90分の授業で180分の内容がなければならず、予習にも180分、復習にも180分かかる内容であることが国際規準である。

『で、どうだった?』
「十分に国際規準をクリアされている授業でした」
『ん、大儀である』

女学生は謙虚に答える。

一年間一緒に過ごすと、色々な面が見えるが、こうしてリラックスして話すとさらに色々なことが分かって面白い。恋愛観やら男性観、さらには結婚観まで飛び交う中で、少しだけ授業の話等もする。

まあ、納め会だし、野暮な話はしないようにしていたつもりだ。良くやったねという話を基本に会は進んだ。

            ◆

ではあるが、まだまだだなあとも思う。やりきったという思いを持たせる授業は出来たかもしれないが、その次に向かっている学生を育てていない気がどうもする。それは、やりきった自分に満足してしまい、その先にある広大な学びの世界に突入するというところに達していないのではないかというものだ。

学ぶことは、自分が変わること。もっと学びたいと貪欲になること。

これである。私の授業がすべてではないのだから、そんなことを思うのは不遜ではあるが、でも、もうちょっと何か出来なかったかなあとも思う。

自分がやりきったと満足しているのだから、自分は最高であるという、あくまで自分を基準で考える学生。自分がやりきったとしても、基準に達していることとは別のことであるかもしれないという観点で物事を見ることが出来るようになってほしいものである。

過去の自分と成長の比較をするのは良い。だが、規準は別にもあると言うことだ。

            ◆

ではあるが、基本的には私が見てもよく取り組んできたと思う。
小さく自信を持つことを許す。
そして、

(折角ここまでやったんだから、教師にならないともったいない)

という自分に育っていれば嬉しいけどねえ。

春休みは、採用試験の勉強に集中するんだぞ。受験勉強で言うと、夏休みの感覚だぞ。春休みを制するものが、採用試験を制するんだぞ。

充実した良い春休みを。

2007/02/09

『ウェブ人間論』

『ウェブ人間論』(梅田望夫・平野啓一郎 新潮新書)からの雑感をメモする。

【「すっくと立つこと」の重要性】

これは、もう随分前から私の基本的な行動指針になっていることだ。去年の卒業文集の言葉にも書いた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

夢を実現させる方法を3つ伝えます。
その1。すっくと自分として立ってください。まず、あなたがあなたであることが大事です。そしたら、その両手を広げてください。あなたの手は仲間に届きます。あなたに価値があるかないかなんてことは、誰も簡単には決められません。ただ一つ、まず、自分て立ってください。そしてそのとき、あなたが多くの仲間に支えられていることを自覚できれば大丈夫です。

引用終了 ーーーーーーーーーー

私が私であることが、誰かのアウフヘーベンになるような生き方が、これからは大事なのではないかと、最初に考えたのは高校3年生ぐらいの頃だ。だが、これは尊大なのでは?とか、単なるわがままでは?と考えることもあった。

しかし、やっぱりそうなのだと今は思う。自立と言うのは実は共立なのだということ。これが分かってきたのも大きい。

ウェブを通して繋がるには、まずその繋がるためのポイントとしての自分が、すっくと立っている必要がある。良いか悪いかは、取りあえず問題ではない。私の存在が誰かにとっての対立点になるにしても、共有点になるにしても、これが大事。改めて確認した。

【meでいられることの是非】

私だけの世界でいられることのと心地よさ。この是非はこれからますます問われなければならない。梅田さんはこれを良いと捉え、平野さんはいかがなものかと捉える部分がある。もちろん、お互いの良さを理解しつつのことではあるが。

meであることは、社会との繋がりを持たないということが大前提であった20年前。しかし、今ウェブにより、meでありつつけえても繋がりを持つことが出来る。いや逆にすっくと立つと言うことはmeであることなのかもしれない。

自分がmeでいることは、ourを含んでいるのだと言う感覚がどこかで持てるようになれば、自立は共立であるというところに繋がると思うのだが。

【オープンソース】

これは
『情報は使ってもらって初めて価値が出る』
と私が言い続けていることと極めて関連が強いのではないかと思われる。

情報はある。
あるけど、使われないのはなぜか。
使いにくいから、使えないから、意味が分からないから、面倒くさいから・・・。

オープンソースは、それを使ってもらうということに価値を置いて成立している部分もあるのではないかと思われる。

また、最大のオープンソースは、母国語でありその母国語を手に入れた恩恵を、どのように返すのか。それが次世代への社会貢献なのだと改めて思う。

【共有の発想】

インターネットには実に様々なものが「転がって」いる。映画も、テレビも、音楽も、写真も、文章もである。そして、簡単にその転がっているものを手に入れることが出来る。現在の著作権法では、それは違法であろうが、こんなに簡単に手に入るとなると、
(ひょっとしたら、法律の方がおかしいんじゃないの?)
と考えるようになってしまう。

アメリカの著作権の有効期限がどんどん伸びるのは、ディズニーの著作権んが切れそうになると法改正をしているという噂は、あまりにも有名である。となると、著作権ってその程度のものなのねと思ってしまう人も増えるわけである。

そもそも、私達が使っている言葉は、人類が作ったものを「使わせてもらっている」訳であって、作った人が著作権を主張したら、エライことになってしまう。

ではあるが、著作権はある。

            ◆

が、やはりこのように進んで行くと、所有と言うものの考え方も変わって行くかもしれない。所有が大事なのではなく、共有が基本になっていくという考え方に移行するかもしれない。

ネット上に、誰かの「ファイル」が一つあればそれで良いと言うことになる。

ということはもう既に20年前に言われたことだが、これが本当になってくる感じがする。実際に完全にこのようにならなくても、所有から共有へと意識が動くとなると、ひょっとしたらリアルの世界での所有という概念にも変化が出るかもしれない。

そして、それは人類が同じ地球を共に有しているという実感への、新たな一歩になるのかもしれない。

            ◆

それが平和の世界なんだろうなあ。

【インプットの質の向上】

良いものを入力するようになるのだから、頭が良くなる。
その良いものにたどり着くのに、嘗ては時間がかかったが、今はその気とちょっとした検索の技術があれば、あっという間にたどり着ける。

だから、ちょっとの差がとんでもない差になる可能性がある。

【おっちょこちょいの大人】

新しいものを楽しもうとする大人の出現が、世の中を楽しくする。
これが大人の流儀であるのが、いまのシリコンバレーだと言う。「授業づくりネットワーク」もそうであると感じて私は10年もいるんだなあ。

2007/02/08

こんなこともあろうかと

よし。よしよしよし。

            ◆

さあ、明日からは点滴ではなく、飲み薬で良いそうだ。
ステロイド系の薬だそうで、薬剤師さん曰く
「とっても苦いので、頑張って飲んでくださいね」
と言うので
『はい。ありがとうございます。日々、こんなこともあろうかと、麦酒で訓練しておりました』
と言うと
「そういう苦さではありませんよ。もっと凄いですよ(^^)」
と優しくも恐ろしい微笑み攻撃を受けてしまった。

うーむ、明日の朝、どうなるのだろう。
もう既に、胃が荒れてベロが痛くなってきているが。

            ◆

午後からは、京都も久しぶりに雨。
このところずっと乾燥していたらから、少し具合のお湿りは良いだろう。

二月の半ばと言えば京都は底冷えの真っ盛りなのだろうが、今年に限って言えばもうそんな感じはまったくない。底冷えと言うよりは、桜が咲く直前の暖かさが日中あったりする。

            ◆

研究室に籠りながらワープロに向かう。

そして、あれこれ考えている。
「最近の子どもは我慢をしなくなった」
という言い方を私が子どもの頃にもされていたが、今朝方見たテレビでも警察学校の教官が「最近の子どもは我慢をしなくなった」と警察学校に入ってきた学生たちに言っていた。

そもそもなんで我慢するのか。
我慢しなさいと言われるから。それもある。しかし、本当のところはどうなんだろう。多少我慢ができるようになった私から言えば、たぶん

1)我慢しないと手に入らないものが、世の中にはある
2)我慢すると良いことがあることがあると体験した

のどちらかを学習してきたからではないだろうか。

ところが、

1)' 我慢しなくても手に入るものが世の中には、沢山ある
2)' 我慢しなくても良いことがあると体験した。または、我慢しない方が良いと体験した。

『オレ様化する子どもたち』によって示された消費者としての「子ども」は、お子様かと思いきや王様として存在していると思っているわけである。消費者に我慢させないのが、ビジネスである。だから、我慢なんてしないのである。

            ◆

『ウェブ進化論』の次の本は、『ウェブ人間論』である。これを読み終えた。
この『ウェブ人間論』も、いま読み続けている本にどんどんリンクしてくる本であった。

まあ、もともと本を買う時には自分の興味で買うのだから、リンクしてきて当然であるが、耳はボーッとしていても、問題意識がクリアになって行くのは、実に心地がよい。

            ◆

さて、子どもがそういうところにいるのであれば、その子どもを相手にするこれからの教師は、どのように力をつければ良いのだろうか。

このことを、あれこれ考えている。
そして、春からのことも、考えている。

            ◆

さあ、講座の資料もやっと完成。2/11に大阪教育大学の学生教職サークル主催でやるものだ。彼らからコミュニケーションに重点を置いたものにしてほしいというリクエストに基づいて作った、この日だけのための授業。

うーん、贅沢。
でも教育って、厳しく、かつ、贅沢にやらんとダメなんだよなあ。

これでしばらく目を休められるな。
さすれば、耳も良くなるかな。
ふう。


2007/02/07

本当にどうでも良いんだが、昨日、2007/02/07は、
三つの数字しかないなあ。

ただ、それだけ。

2007/02/07

夜のER

教授会が延びて、予約していた時間に点滴を受けられなかったので、またERにお世話になる。が、流石夜のERである。昼間とは違った雰囲気である。

インフルエンザを発症しているのではないかと思われる人。なぜか大声で怒鳴っている人。救急車のサイレンの音。その中で私は、点滴で呼ばれるのを待っている。

            ◆

そんな中でテキパキと笑顔で対応してくれる看護士さんは、やはり頼りになる。
三人の看護士さんが、強く優しく、救急で運ばれてきた患者たちに対応してくれる。

ありがたいなあと思う。
見ているだけで元気が出る。

うちの大学にも看護学部があり、やがてこういう職場に出て行くのだろう。
笑顔で働けるだけの力を付けて現場で活躍してほしいなと思う。

その笑顔だけで、患者は救われるんだよな。

久しぶりに見た日本海

少し耳が良くなってきている気がする。
これも毎日の点滴の御陰である。
完全に治るのはいつだろう。

            ◆

『下流志向』を読み終える。
なんというか、これは読んでおいた方が良いなあ。
『オレ様化する子どもたち』が意味するところを、より丁寧に解釈している。

区切りの良いところまで読んで、
(ああ、いかん。寝るのが今の仕事)
と思い寝るのだが、本の余韻に包まれながら
(え、ということは、あれがそうなると、これがこうなるのか!)
と布団の中で思いついてしまい、
(こうしてはおれん!)
と飛び起きて、再び本に向かい、ワープロに向かうということが何度かあった。

そんな風にして読む読書も久しぶりである。

            ◆

出張で小浜まで行く。
耳の調子が心配であったが、まあ、なんとかクリア。

だが、右の耳が聞こえにくいので、授業をする時に生徒に向かってまっすぐに立てない。
左の耳を生徒の方に向けるようになってしまう。

癖として残るかなあ。

久しぶりに見た日本海は、きれいに晴れていた。
こんな風にきれいに治ってくれると良いのだが。

2007/02/04

こんなの発見

昔は、1ゲーム百円でした。
それを10円玉のように使って遊ぶ人たちがいるということに衝撃を受けました。
高校一年生のころです。

時間が来て店を出る時に、
「池田やる?」
と言われてやってみたところ、すぐに終了。
何のことはない、終わらせるためにやらされていたわけです。

あのとき、ハマっていたらどうなっていたかなあ。
いま、こうして自由にできるわけね。

面白いようにリンク

朝一番で点滴を受けに行く。ER病院なので、そこで点滴を受けられるのだ。これは便利。
だが、簡単には治らない。辛抱辛抱。

            ◆

耳が良く聞こえないと言うのは、集中力が途切れると言うことだということが分かる。上手く言えないが、「ながら族」である私が、一つの時間に一つのことしかできない。これが歯がゆいな。

であるので、本を読み続けている。来年度の授業に関する本を読み続けている。あちこちでお薦めであったりする本や、本屋で買ってくれと飛び込んできた本なのだが、この今読んでいる本が、面白いようにリンクしている。

特にリンクしているのが、

100歳先生の「生きる力」を伝える幼児教育』(昇地三郎 生活人新書)
悲鳴をあげる学校』(小野田正利 旬報社)
『下流思考』(内田樹 講談社)
(あれ、この本はまだアマゾンに出てないや。野中先生も読んでいるのに)

である。

            ◆

今年度の大学の授業は終わってしまった。ああ、学生諸君に申し訳ない。
これらの本をあと一ヶ月前に読み終えていれば、授業の最後の展開はもう少し深みのあるものにすることが出来たのにと思う。

いや、今年だってそれなりに懸命に組み立てた授業のつもりだが、授業をつくってきて最後の最後に乗っける部分をもう一段重ねることが出来たかなあと思うのだよ。ま、ひょっとしたらこのためにあと90分必要になったかもしれないが。

そのぐらい面白い三冊である。私の授業を受けた学生諸君、春休みに三人で三泊四日の旅行しなさい。そして、一人一冊この本を買って、一日で読み終えたら交換するという旅をしなさい。最終日には、それぞれの感想をもとに話し合うのだ。授業の復習になるし、新しい課題も手に入るよ。

って、どんな旅だ。
でも、こういう旅って贅沢な旅だぜ。
なかなかできないよ。

            ◆

特に、「大人とは何か」問題について、新たな研究課題が見つかったのは嬉しい。本当にこの「大人とは何か」ってテーマは、奥が深い。20年も追い続けてきているのに、まだ新しい角度で切り取れる視点が見つかるんだからな。

さて、これをどのような形で授業に落として行くかだな。
耳が治るまでは、アイディアを書きなぐるだけしかできないが、そういうことも大事だろう。

うーん、来年の授業が楽しみ。どうなるんだろう。
今年のものを土台に、新しい展開があるなんて、私が一番得しているのかf(^^;。

もちろん、この本からではなく、今年の授業そのものからも新しいアイディアは生まれてきた。学生諸君、君たちの御陰だよ。感謝する。

            ◆

来年も受ける?

2007/02/03

しばらくは大人しく

ふうむ。聞こえない。
そもそも人の話を聞かない私だが、聞こえないというのとは違うからなあ。
ま、騙しの多い世の中、話を半分に聞くのにはちょうどいいかもしれないが。

            ◆

入試の採点日なのに、朝から病院に行く。
「では、聴力検査をしましょう」
と言われて、やる。
(を、聞こえるじゃん。なんだ、気のせいなのかな?)
と思って検査結果を見る。
すると見事に、右側の耳の高音域が聞こえていない。

都合の悪いことは聞こえず、悪口はしっかりと聞こえる地獄耳の私の耳が、聞こえなくなっている。うーむ。

            ◆

耳が半分聞こえないと言うのは、なんというかバランスが悪い。歩くのにもふらつく感じである。そして、つい左耳を傾けて聞いてしまう。まさに傾聴である。

で、時々聞こえないはずの高音域が右の耳の中で響く。
これはちょっと辛いな。
高校での模擬授業は続くものの、大学での授業が終わっていて良かった。

            ◆

ストレスが良くないと言うことで、体を休めることにします。
すみません、こんなときに役立たずの私です。
しばらくは大人しくしています。

今日は節分で、明日は立春です。
初の関西在住での節分と言うことで、
イワシと恵方巻きをやって、風呂入って寝ます。

おやすみなさい。

2007/02/02

必勝 都立高校合格法

このところ私のブログに来る人の「検索語句」ランキングナンバー1は、「自己PRカードの書き方」である。

去年、和田中学校にいた時に教科通信で書いたものをこのブログに載せてあるのだが、そこにヒットしてたどり着くのだろう。これから都立高校の願書提出ということだよね。

今年の都立高校の願書受付は、2/7と2/8ということは今週末が文章を練り上げる最後のチャンスだね。学校の先生や塾の先生に見てもらいながら書くのだろうけど、自分で考えた文章でないと、面接の時に辛くなるからね。

            ◆

で、まあ、ご縁があって私のブログにきた中学生諸君に、「必勝 都立高校合格法」を一つ伝授しよう。それは、本命の都立高校の受検料*1を自分で払うことだ。

高校の受検料、私立だと高いが都立ならまあ一ヶ月のお小遣いで何とかなるだろう。であれば、自分の小遣いから出すのだ。

高校ってのは、お願いされて行く場所ではない。自分が選んで行く場所だ。なら、せめて受検料ぐらい自分で払ってみてはどうだろうか。みんなが買っているゲームソフトよりも、全然安いはずだが、なぜか妙に無駄遣いをした感覚が出てくるはずだ。

それはなぜかは、追々考えることにして、大事なのはこの「無駄遣いをした感」である。これを「良い買い物をした感」に変えるには、一つの方法しかない。そうだ、合格なのである。

            ◆

自分の進路に対して、自分で挑戦のための切符を買う。
これは、必死になるよ。

そして、これが学ぶことの本質、「身銭を切る」ということにやがて繋がって行くんだな。
ま、やってごらんなさい。

努力した人が報われることを、願っています。
さ、耳のために早く寝るか。

*1 都立高校の場合は、学力検定試験なので、受験ではなく、受検なわけです。

流石、繊細な私である

二日間の入試の監督業務が終わった。
そんなやわではないと思うのだが、今朝方は3時半に目が覚めた。大雪と言う天気予報があり、大学まで遅れてしまってはいかんと思っていたのだろうか。窓の外の雪のつもり具合を確認し、バイパスを走る車の陰を確認し、
(ん、これなら大丈夫だ)
とまた布団に潜り込もうとしたところ、何か変である。

右耳が聞こえないのである。

            ◆

ま、何かの間違いだろうと思ってもう一度寝てしまった。
ところが、朝起きても治っていない。
(うーん、今日の監督は辛いかも)
と思いつつ、
(看護学部の先生たちに、これは何なのかを聞いてみよう。看護学部があると助かるなあ)
と大学に向かう。

            ◆

よくわからないけど、どうやら突発性難聴ではないかとのことであった。過度のストレスによって発症するという。うーむ。流石、繊細な私である。

今晩寝て症状が緩和しなかったら明日一番で病院に行くことを勧められる。確かに片耳だけプールに突っ込んでいるような感覚で、ステレオで音楽を聴いても右耳側のスピーカーからは音がせず、左耳をそちらに向けると音がすると言うのは、あまり気持ちのよいものではない。

            ◆

そのような状態で試験監督をしていたわけで、まあ、音は特に試験監督には関係ないので、良いのだが、じっと見張っていると、あれこれと思うもんである。

今日は、今問題になっている柳沢大臣の「女性は子どもを産む機械、装置」発言のことを思っていた。まあ、第一感で(そりゃあねーよな)(この人が厚生労働大臣?)と思う人が多いだろう。

高市議員や福島議員が猛烈な勢いで抗議するのは当然であろう。だが、私はそれとは別のことを思っていた。

(なんで、柳沢大臣はこういう考えを持つようになったのだろう?)

である。一言で言えば教育なのだろうが、どういう教育を受けるとこうなるのだろうかと思っていた。

            ◆

それから、さらに思ったのは、この発言に対してクレームを述べているのは高市議員や福島議員などの女性の立場からの発言が目立つと言うことである。私はその他はどう思っているのかが気になった。

例えば、宗教関係者である。カソリック系列のクリスチャンはどのように思ったのであろうか。仏教徒はどのように反応したのであろうか.宗教的観点からはど大臣のこの発言はどう捉えるのであろうか。
女性が機械として例えられることにクレームではなく、人間が機械として例えられることに、神との関係でどのようなクレームがあるのだろうか。

また、教育関係者、保育関係者、医療関係者はどうなのだ。
さらにもっと言ってしまえば、機械関係者はどうなのだろうか。
(おい、機械を馬鹿にするなよ)
と思っている機械関係者だっていそうな気がする。

            ◆

いくつかのキーワードで検索してみたが、これらの関係者からの発言を見つけることが出来ずにいる。今回の大臣の発言があまりにも情けないので、クレームもクリアに一つしか出ていないのか、出ていてもマスコミによって扱われていないのか、他の関係者は我がごとと捉えていないのか、どうなんだろう。

そんなことを考えてしまう。
目の前にいる受験生のうち何人かは、四月から私が教えることになる。彼らの顔を見ながら、大臣の発言をきっかけにし、
(うーん、こういう授業はどうかな)
と考えていたのである。やはり顔を見ると具体的なイメージがわいてくるなあと思いながら、試験監督を続けていたのである。

ああ、耳が早く治りますように。
今日こそは、早く寝よう。

2007/02/01

軽い武者震い

昨晩は東京からの客人と、楽しく夕食を味わった。
まだ行ったことのない街、先斗町(ぽんとちょう)に行ってみた。

イメージとしては舞子さんの街で、「一見さんお断り」、「座っただけで数万円」、というものがあったが、実際はちょっと違っていた。

もちろん、学生たちが飲みに行くような居酒屋のチェーン店のような店とは違う。(あ、私も行くか)もっと落ち着いて食事が出来る。お酒が主ではなく、食事が主である。手間がかかっているだろうなあと思わせる料理であった。そして、会話を包むようなフォービートのジャズ。鴨川の夜景。こういう感じであった。

でも、値段はそんなでもなかった。学生コンパの一次会と二次会の金額を足したのより、ちょっと上回るぐらいで楽しめた。

バーなんかも行ってしまい、久しぶりに大人食い、大人飲みをした夜であった。

            ◆

で、本日は本学の一般入試。
私が来年度移ることになる児童教育学科の受験生の教室で、試験監督。
教室責任者ということで、あれこれと説明をする。

生徒の顔つきがキリリとしている者多し。この中の数十人は、確実に来年度一緒にスタートを切るのかと思うと、軽い武者震いがある。

努力を重ねた生徒が合格しますように。

            ◆

途中の休憩時間にメールのチェック。
今日のメールはとても大切なメール。
やった!

            ◆

試験監督の先生たちと、休み時間に中教審の答申の話題になる。
小学校に古典が入るのね。
漢文もやるんだなあ。
来年度からのシラバス作りに活かさなければね。

            ◆

琵琶湖の上には大きな満月が出ている。
きれいだ。

さあて、明日も試験監督だ。メインテナンスに出しているcooper-sも戻ってくる。雪の可能性もあるが、気合いを入れて試験監督しましょう。

高大連携

今日は高大連携事業の一環で、高校生に2時間授業を行ってきた。「古典の世界を」ということだったので、百人一首を中心に、なんで古典を学ぶのか、古典を学ぶとどんな良いことがあるのか、実は百人一首って・・・ような話をしつつ、実際に対戦をしてみた。

             ◆

教室に入るといきなり
「こんにちは!」
と明るい声で迎えられた。
(よし、授業やったるぞ)
という気持ちになれる。

自己紹介は、聖蹟桜ヶ丘が『耳を澄ませば』の舞台で、そこに去年まで住んでいたと言う話から始める。
『を、流石に女子は知っているな、この漫画』
と言いながら
『を、女子なんて言い方するの久しぶりだな』
と呟いてしまう。

            ◆

なぜ、古典を学ぶのか。これについては、去年『月刊 国語教育研究』(日本国語教育学会編 2006.12  NO.416)に「提言 古典の世界にふれる」ということで書いた。これを元に話す。

『高校二年生が理解できる世界と、納得できる世界は違い、理解を元に将来の納得の世界へと進むためには、いま学ぶことが大事で、それがあなたの人生を豊かにするのだよ』

のようなことを話した。ま、他にもいろいろと話をしたのだが、子どもたちは明るさとは別に、真剣に聞いていた。

            ◆

5時間目で、コミュニケーションができたなと感じたところから、6時間目は実際に小さな大会を開くことにする。

ではあるが、6時間目の最初に
「先生、字、むっちゃきれいですね」
と板書の字を褒めてもらったので、お習字の話もする。
摸書の大事さを話す。

で、二試合を行う。
久しぶりに札を読んだ。昨日の酒が影響しているのか、ちょっと枯れ気味の声になってしまったf(^^;。が、必死に読んだのが伝わったのか、真剣に取り組んでいた。

途中で、上の句で下の句が捜せる「あんちょこペーパー」を渡してあげる。
「先生、これすごいやん。あいうえお順で捜せる!」
と喜んでいる声。
『そうだよ。百人一首は五十音順になっていないから捜すのが大変だろ。だから、五十音順に作り直したんだよ』
「これは使える!」
ってな感じで、それを見ながらさらに試合はヒートアップ。
あっという間の2時間であった。

            ◆

最後に感想を書いてもらい、終わりにする。
なぜ古典を学ぶのかの話が、彼ら彼女らに届いたようでほっとした。
「折角京都にいるのだから、もう少し、文化と言うものを学ぼうと思った」とか「大人になるのが楽しみになった」とか、「字を上手くなるようにしたい」などの声もあった。

良い時間を過ごせました。
また、機会があれば会いましょう(^^)。

« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »

2022年3月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31