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2007/02/09

『ウェブ人間論』

『ウェブ人間論』(梅田望夫・平野啓一郎 新潮新書)からの雑感をメモする。

【「すっくと立つこと」の重要性】

これは、もう随分前から私の基本的な行動指針になっていることだ。去年の卒業文集の言葉にも書いた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

夢を実現させる方法を3つ伝えます。
その1。すっくと自分として立ってください。まず、あなたがあなたであることが大事です。そしたら、その両手を広げてください。あなたの手は仲間に届きます。あなたに価値があるかないかなんてことは、誰も簡単には決められません。ただ一つ、まず、自分て立ってください。そしてそのとき、あなたが多くの仲間に支えられていることを自覚できれば大丈夫です。

引用終了 ーーーーーーーーーー

私が私であることが、誰かのアウフヘーベンになるような生き方が、これからは大事なのではないかと、最初に考えたのは高校3年生ぐらいの頃だ。だが、これは尊大なのでは?とか、単なるわがままでは?と考えることもあった。

しかし、やっぱりそうなのだと今は思う。自立と言うのは実は共立なのだということ。これが分かってきたのも大きい。

ウェブを通して繋がるには、まずその繋がるためのポイントとしての自分が、すっくと立っている必要がある。良いか悪いかは、取りあえず問題ではない。私の存在が誰かにとっての対立点になるにしても、共有点になるにしても、これが大事。改めて確認した。

【meでいられることの是非】

私だけの世界でいられることのと心地よさ。この是非はこれからますます問われなければならない。梅田さんはこれを良いと捉え、平野さんはいかがなものかと捉える部分がある。もちろん、お互いの良さを理解しつつのことではあるが。

meであることは、社会との繋がりを持たないということが大前提であった20年前。しかし、今ウェブにより、meでありつつけえても繋がりを持つことが出来る。いや逆にすっくと立つと言うことはmeであることなのかもしれない。

自分がmeでいることは、ourを含んでいるのだと言う感覚がどこかで持てるようになれば、自立は共立であるというところに繋がると思うのだが。

【オープンソース】

これは
『情報は使ってもらって初めて価値が出る』
と私が言い続けていることと極めて関連が強いのではないかと思われる。

情報はある。
あるけど、使われないのはなぜか。
使いにくいから、使えないから、意味が分からないから、面倒くさいから・・・。

オープンソースは、それを使ってもらうということに価値を置いて成立している部分もあるのではないかと思われる。

また、最大のオープンソースは、母国語でありその母国語を手に入れた恩恵を、どのように返すのか。それが次世代への社会貢献なのだと改めて思う。

【共有の発想】

インターネットには実に様々なものが「転がって」いる。映画も、テレビも、音楽も、写真も、文章もである。そして、簡単にその転がっているものを手に入れることが出来る。現在の著作権法では、それは違法であろうが、こんなに簡単に手に入るとなると、
(ひょっとしたら、法律の方がおかしいんじゃないの?)
と考えるようになってしまう。

アメリカの著作権の有効期限がどんどん伸びるのは、ディズニーの著作権んが切れそうになると法改正をしているという噂は、あまりにも有名である。となると、著作権ってその程度のものなのねと思ってしまう人も増えるわけである。

そもそも、私達が使っている言葉は、人類が作ったものを「使わせてもらっている」訳であって、作った人が著作権を主張したら、エライことになってしまう。

ではあるが、著作権はある。

            ◆

が、やはりこのように進んで行くと、所有と言うものの考え方も変わって行くかもしれない。所有が大事なのではなく、共有が基本になっていくという考え方に移行するかもしれない。

ネット上に、誰かの「ファイル」が一つあればそれで良いと言うことになる。

ということはもう既に20年前に言われたことだが、これが本当になってくる感じがする。実際に完全にこのようにならなくても、所有から共有へと意識が動くとなると、ひょっとしたらリアルの世界での所有という概念にも変化が出るかもしれない。

そして、それは人類が同じ地球を共に有しているという実感への、新たな一歩になるのかもしれない。

            ◆

それが平和の世界なんだろうなあ。

【インプットの質の向上】

良いものを入力するようになるのだから、頭が良くなる。
その良いものにたどり着くのに、嘗ては時間がかかったが、今はその気とちょっとした検索の技術があれば、あっという間にたどり着ける。

だから、ちょっとの差がとんでもない差になる可能性がある。

【おっちょこちょいの大人】

新しいものを楽しもうとする大人の出現が、世の中を楽しくする。
これが大人の流儀であるのが、いまのシリコンバレーだと言う。「授業づくりネットワーク」もそうであると感じて私は10年もいるんだなあ。

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コメント

体調のすぐれない様子を知り心配していましたが、快方へ向かわれていることを知りひと安心です。いつも前向きなお人柄が、ストレスの原因に対してもポジティブなスタンスでいるからかもしれません。体の声をゆっくり聞いて、ゆっくり休養なさってください。

池田さんの紹介してくださる本は興味深いです。
『「すっくと立つこと」の重要性』
いいですね。

「ウェブを通して繋がるには、まずその繋がるためのポイントとしての自分が、すっくと立っている必要がある。良いか悪いかは、取りあえず問題ではない。私の存在が誰かにとっての対立点になるにしても、共有点になるにしても、これが大事。」

まさに!

お見舞い、ありがとうございます。

「耳を澄ませば」は、私の街、聖蹟桜ヶ丘が舞台になっているにもかかわらず、自分の体の声に耳を澄ませていませんねえf(^^;。

こういうときに限って、面白い本が怒濤のように襲ってくるので、その世界に潜り込んでおります。まあ、本に集中すれば、耳鳴りも気にならなくなると思いますので、それも良いかと。

>『「すっくと立つこと」の重要性』
いいですね。

ありがとうございます。
これは、この本にあった言葉ではなく、私がこの本から得たものを日頃使っている言葉で表したものです。ですので、この本にこの言葉を捜してもありませんf(^^;。

まず、自分であることをこんなにも許される時代に生きられるのですから、これを楽しまないことにはと思うわけです。

六年生のお仕事、大変だと思います。kuraさんも五ゆるりとした三連休を!

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『ウェブ人間論』梅田望夫・平野啓一郎著(新潮新書)は、池田さんのブログに紹介されていて、さっそく読んでみました。 あとがきに梅田さんが書いているように、この対談ではお二人の立ち位置の違いが浮き彫りにされます。 平野さんは「社会がよりよき方向に向かうために、個は何ができるか、何をすべきか」と思考し、「人間一人ひとりのディテールをミクロに見つめること」によって「個の変容」を考え、その集積として「社会の変容」を考えよう... [続きを読む]

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