論理的思考の初期条件
いやあ、初めて入った。
京都橘大学文学部児童教育学科の校舎である「児優館」(じゆうかん)にだ。
四月から使うことになる新しい研究室にも入った。
武者震いがしたな。
三月末に研究室の引っ越しを行い、新学期の準備を行う。
この校舎を使っていろいろな研究会も開くことになると思う。
丁寧にたっぷり使おう。
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今年度の研究費の申請締め切りが今月末ということで、残りの研究費の最終的な使い道を確定する作業を行う。大学教員一年目なので何をどのように使えば良いのかと言う見通しを立てにくかったので、節約しながら使っていたのだ。
三月に読む分の本も沢山買ったので、他に使っても大丈夫だろう。
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奥さんが、大津の広報をパラパラ見ていたら、三月三日、耳の日を記念して、耳の健康診断・相談会を専門医が無料でしてくれるというので、慌てて予約を入れる。気になっていると発見するものだ。ありがたいありがたい。
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今日の高校での模擬授業は、なんと三十分間だけ。これで教育の何たるかを説明してくださいというのは、無理です。無理ですが、やらざるを得ない。あれこれ準備をしていたのだが、途中で止めた。通常50分から90分かけて話す内容である。これからどれを話そうかと考えていたのだが、止めた。
思ったのだ。
(私があれこれ考えるより、高校生に直接聞いた方が良いだろう)
と。
つまり、話をする予定の項目を6つほど出して、この中から二つ選んでもらうことにしたのだ。私が伝えたい内容よりも、生徒が聞きたい内容を話した方が良いだろうとの判断である。
この判断は良かったようだ。しかし、三十分というのはねえ。
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夜は、東京から私のライティングの先生がくるというので、一緒に食事をした。パラグラフライティングの倉島先生である。京都で明日講座があるというので前泊。折角だから一緒に食事をしましょうとのお誘いを受けて、喜んで。
祇園のとあるお店に行きました。相変わらず美味しい。
その美味しい料理を頂きながら、刺激的なお話も沢山。
その中の一つが、論理的思考はどのようにしてその人に芽生えるのかということである。なんで、論理的思考が得意な人とそうでない人とに別れるのであろうかということ。鍛えて伸ばすではなく、もともとの始まりは何か?ということである。
おそらく自分で自分を鍛えることができていた人が、論理的思考を手に入れることができたのだろう。だとすれば、それはなにか?
取りあえずの結論は、「考え続けることをするかどうか」である。
これができていることが、論理的思考を行う人かどうかの大事なポイントではないかと思うのだ。いかがであろうか。
楽しい話を沢山して、京都駅でお別れした。また、お待ちしております。
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