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2007/03/29

さて新学期までに

久しぶりに滋賀の家に帰る。
またまた少しずつ部屋が奇麗になっている。ありがたいことだ。奥さんに感謝。
テラスに置いたブルーベリーの鉢。たくさんの花が咲き始めた。今年は大量収穫が期待できそうである。

            ◆

家の隣のヨットハーバーには、なぜか浚渫船のような船が。新たなピアを作るような感じ。折角の静寂さが台無しになってしまう。はあ、入居前に工事を終わらせてくれよ。

西大津はマンションの建築ラッシュなので、あちこちで工事が行われている。工事の音はまあある程度仕方がないのではあるが、ゆったりしたいもんねえ。

            ◆

締め切りが迫ってきている原稿を書き進めなければと、研究室にこもろうと大学に向かう。去年の今頃は電車で京都市内から向かっていたので、いやあ、こんなにここにもかしこにも桜があったとは思わなかった。いよいよ京都も咲いてきました。

大学では、見たことのない学生たちの群れが、見たことのある学生たちと何やらゲーム大会をしている。
(なんだ?)
と思ってその場にいたTくんに聞いてみた。すると、大学生協主催の新入生親睦会だと言う。へーっ、生協はそういうこともしているんだ。

研究室の窓から学内を見たら、なんとほとんど目の前で桜が咲き出していた。ああ、ここも春なのね。でも、私はここから5時間書き続けるんだもんね。

            ◆

重たいものを運んだり、高いところのものをやっつけたりしながら新居を整えて行く。さらに旧居の片付けをしながら、頭の中では四月から始まる授業の流れを追いかけている。

(ってことは、ここをこうアレンジして)

と自分で書いたシラバスを元にあれこれいじる。来年度は授業モードだけでなく、研究モードにも入らねばならぬと思うが、やっぱりまずは授業からだなあ。

体を動かしながらアイディアを練るってのは、結構色々出てくるものである。
だけど、読みかけの本は溜まってくるし。

さて新学期までになんとかせねばなあ。

募金活動の前を通った

募金活動の前を通った。
石川県の地震の被害に対する募金活動である。
財布から小銭を取り出して寄付する。

「必ず石川県のみなさんにお届けします」

といって受け取っていた。

            ◆

確かに世の中には、募金活動のふりしてだまし取るような輩もいる。明らかに怪しいときには私も募金を使用とは思わない。わざわざ詐欺に遭いに行くようなものだからだ。

だが、ちょっと怪しいかなぐらいであれば募金はするようにしている。というのは、騙されるのが嫌だからと募金しないことによる損失は、結構大きなものではないかと思うからだ。

いや、私が募金する金額なんでたかが知れている。それで救われる人が大きく楽になるなんてことはない。だから私が募金しなくとも金額による損失はほとんどない。私が心配する損失は、私自身の問題である。

         ◆

騙されることを恐れて募金をしなくなると、私は他人のために身銭を切るという習慣をなくしてしまうことになると思うのだ。こんな理由で募金するなんて確かに非常に利己的だなあと思うのだが、そんな気がする。

自分のことばかり考えやすい私だからこそ、多少騙されることがあったとしても、何処の誰かは分からないその他人のために、少しだけど役立つだろう募金をすることが、生きて行くための授業料だと思っている。

母親の誕生日

今日は母親の誕生日。
東京に住んでいた時は、年度末ということでとても忙しくて顔を見せに行くことはできなかったが、今年の誕生日は実家にいるので直接、
『お誕生日おめでとうございます』
と言うことができた。

            ◆

母は元気である。もともと体を動かすのが好きということもあるが、いまでも体操をし、水泳をし、良く歩いている。私よりも元気かもしれない。

座っているところからさっと立ち上がることができるので、
『いやあ、元気だねえ』
と言ったところ
「こんなことできるよ、修できるかい?」
と言ってやってみせた。

1)お尻を床につける
2)足の裏を合わせる
3)そのまま立ち上がる

のである。
もちろん、その歳に手を床につくことなどはしない。私も挑戦してみたが、絶対無理であった。足をあぐらの状態にして立ち上がることはできるが、母の状態では無理である。なんて体が柔らかいんだ。恐るべし、母である。

            ◆

お祝いの昼食を父、母、私の三人で取ってから京都に向かう。父の作った米をお土産に、たっくさんの注意事項を言いつけられ、駅まで送ってもらった。
『あのう、私、一応、大学で学生を教えているんですけど。しかも、教育だったりするのですが』
「何言ってんの。子どもはいつまでたっても子ども」
の母の一言でお仕舞い。
はい、その通りです。

また週末にお邪魔します。

            ◆

モノレールに乗って立川駅に向かう。
少し西日になった日差しを受けて、町中にはたくさんの桜の花が輝き出していた。
ああ、春なんだなあ。

            ◆

で、このまま帰らない。もう一人会う仲間がいる。
最初の学校の時に非常勤講師で体育を教えていたK先生だ。二年ほど一緒に仕事をしたがとても面白くて、いい奴だった。ただ、連絡ができない奴でf(^^;、やっとこさタイミングが掴めてこれも15年ぶりぐらいに会うことになった。彼はいま都立の有名進学高校で体育の教員をしている。東京駅で仕事を終えた彼と待ち合わせである。

久しぶりに会う彼は、相変わらずいい顔をしていた。実践に全力を注いでいる教師の顔だ。ただ、蓋周りぐらい太ったか。ま、私も人のことは言えないが。

麦酒一杯の予定だったが、数杯を楽しみあれやこれやと自分のことを話し、相手のことを聞く。ああ、なんて楽しい時間なんだ。あっという間に新幹線の予定の時間になり、慌てて予約していた新幹線を変更する。

十五年、それぞれがその場でがーーーーーーーっと実践してきた。そのことをお互いに詳しくは知らない。でも、お互いにちょっと太ったけど、ただただ熱かったあの時とは違い、今は冷静に熱くなっている互いを確認することができた。

奥さんが京都に連れて行けと言っているとのこと。
お待ちしてまっせ。
今度は一晩中教育のことを話そうぜ。

さあ、三日ぶりの京都だ。

2007/03/28

社会人としての成人式

今日は耳の治療に向かった。お世話になっていた整体の先生に見て頂く。
よく解らないのだが、先生曰く、治りそうな感触があるとのことで、一週間以内にもう一度行くことになりました。週末は教え子の結婚式があるので、また東京なのです。その時に向かいましょう。

で、東京でする仕事を片付けつつ、過ごす。実家は私の自宅より先に無線LANなのでそこに乗る。すると大学から何本か重要なメール。そうですか、そうなりますか。

            ◆

夜は、新宿へ。
かつての仲間と会うことに。

実はこの三月一杯で、私は仕事を始めて二十年になる。仲間たちは、二十年前に一緒に塾の講師をしていたメンバーだ。仲間たちなどと言っているが、とてもお世話になった先輩たちだ。当時この中で私だけが学部生で、あとはみんなマスターやドクターであった。

文学の遊び、音楽の遊び、日本伝統の遊び、くだらない遊びなどよく楽しんだ。そして、塾での指導というものを学んだ。その仲間たちとちょっとしたことがあって会うことにしたのだ。

            ◆

二十年なんて実にあっという間である。社会人としての成人式ということになる。集まったメンバーは私を含めて4人。

K先生は国語のボスであった。今も都内の私立高校に勤務しスキー部の指導にコンピュータの指導に学年主任と大忙し。激務のため20年前よりもスリムになっていた。

I先生は数学担当であった。二十年の間に主に外資系の会社を8つ変わり、社長になったりもしている。海外にいた時間も長い。今でも教育に熱い思いを抱いている。

T先生は、小学校の国語担当であった。仮面ライダー一号俳優さんに似ている。大手の印刷会社に勤務していて、年度末ということでちょっとだけの参加。

そして、私である。

            ◆

当然,子どもの話しや健康の話などもでてくるが、一番は教育の話であった。おじさんたちは、見た目と違って熱いのである。

K先生は毎日5時に起きて学校に向かっている。ということで、10時には終了となる。が、そのあとI先生ともう一件バーに行く。ここで飲んだジントニックが美味しくて、結果的に撃沈してしまった。

この年になって親に駅まで迎えにきてもらうのも恥ずかしいものだが、車で迎えにきてもらって家で、撃沈。ひっさしぶりであった。

だけど、楽しい夜だったなあ。
今度はK先生のご案内で、京都ツアーをすることになった。私は運転手。これも楽しみである。

仲間は有り難いものだ。


2007/03/27

教員免許更新

http://www.asahi.com/edu/news/TKY200702210314.html
から。

引用開始 ーーーーーーーーーー

教員免許更新、管理職は講習免除 教育2法案ほぼ固まる

2007年02月22日06時05分

 文部科学省は21日、文科相の諮問機関の中央教育審議会(中教審)に、政府が今国会への提出を目指している教育関連3法の改正案の概要を示した。教員免許更新制では校長ら管理職の講習免除を盛り込んだ。この更新制や義務教育の目標、副校長や主幹の新設には大きな異論が出ず、2法案の内容がほぼ固まった。一方、教育委員会のあり方をめぐっては意見が対立したままだ。

 文科省は同日、3法案について意見募集を実施すると発表した。通常の「パブリックコメント」は30日間で締め切るが、今回は22日から1週間のみ。突貫ぶりが改めて浮き彫りとなった。

 教員免許の更新制導入は教員免許法の改正案に盛り込まれる。免許の有効期間を10年とし、更新には講習を受けなければならないとする内容で、06年の中教審答申とほぼ同じになった。講習は30時間を想定し、校長や教頭など勤務実績を考慮して「必要性がない」と判断された場合は、講習の必要がないとした。指導力不足教員対策として、同時に教育公務員特例法も改正し、認定された場合は研修を受けなければならず、研修中は免許更新の対象にしない。

 学校教育法の改正では、これまで学校種別に設けていた教育の目標のほかに「義務教育の目標」を新たに設定。教育基本法の改正で入った「公共の精神」や「我が国と郷土を愛する態度」などを盛り込む。また、これまでの中教審の議論を踏まえ、学校の自己評価とその公表の義務化や、副校長や主幹、指導教諭の新設も提案している。

 この二つには、21日の会議で大きな異論は出ず、このまま法案となる可能性が高い。しかし、地方教育行政法の改正では、政府の教育再生会議が提案した、教育委員会への国の是正勧告・指示権を盛り込むことを中心に21日も反対意見が出ている。

引用終了 ーーーーーーーーーー

教員免許更新の目的は何か。この記事を読みながら家で父親と話していた。そしたら、見事に一致してしまった。うひゃあ。

これ実施されることになるのだろうが、分からないことがいくつか。

1)誰が講師をするのか
2)費用は誰が負担するのか
3)私はどうなるのか

1)これは、主に教育委員会の指導主事か大学の教員養成課程の教員が行うことになるのかなあ。そうなると夏休みはどうなるのだろうか? 現状でも大学は集中講義などがあり、私だって来年度も3つの集中講義がある。ここにさらに免許更新のための講座が入ってきたらかなり忙しくなるぞ。研究できるのか?

2)税金からまかなうということはないだろう。運転免許の更新だって自腹だからね。30時間以上の講習ってことはかなりの費用になると思うが、自腹ね。

3)もし、私が講座を担当するとしたら、私の教員免許はどうなるのだろか? 折角専修免許まで取ったのに、そのまま失効ってのは納得いかないしねえ。

卑近な疑問でなんともみっともないが、気になるんだよな。

今日は結婚記念日

3/26

今日は結婚記念日。
昨年の今日は、結婚して初めて二人して結婚記念日を忘れていた。京都に向けての準備をしていたので、忙しくころっと忘れてしまっていた。

今年は東京で「授業づくりネットワーク」の春の大会があり、講座の講師をしつつ、参加を楽しんだ。会場は吉祥寺の成蹊大学。開会式の15分ぐらい前に到着。いやあ、もう桜の花が咲いていた。

いいニュースも入ったし、良かった。

            ◆

今回の講座は、国語の分野で、「体験作文の指導方法」についてである。授業づくりネットワークでは、ディベート、生活指導、学級経営の講座を担当することが多く、国語で講座を担当するのは、随分久しぶり。

20人程度の参加者と2時間たっぷりと、体験作文の指導法の理論、実際の映像、実作のワークショップという三本立てで行った。感想を拝見する限りでは、及第点を頂いたようで良かった。

その後、土作先生の理科の授業、鈴木先生の国語の授業と受講。楽しいなあ。授業の上手い人の授業を受けるのは本当に楽しい。学ぶってことはこんなにもわくわくするものなのかと感じられる。嬉しいなあ。

            ◆

ネットワークの大会の最後は、成蹊大学の一番高い校舎の最上階にあるバンケットでの懇親会。12階だと思うが、武蔵野の平野が一望できる。だんだん沈んで行く太陽を見ながら麦酒を飲み、食事をして歓談する。

半年ぶり、一年ぶりに会う方たちと楽しく会話を交わす。みんな耳のことを心配してくださる。しばらくして講師のメンバーからの一言タイム。
私は司会が
「今日はアルファベット順にいきます」
と言われたので、
(を、池田はiだから結構後ろになるぞ)
と思っていたら、
「では、口座番号Bの池田先生お願いします」
とトップバッターになってしまった。なんでい、講座のアルファベット順かい。
慌てて話しながらスピーチを考える。

耳を心配してくださる方が多いので、そのことも話した。
そしたら、スピーチ後に
「実は私も耳鳴りが、」
という人が多かったのには驚いた。

今年は特にこのスピーチが良かった。
耳の聞こえない講師の先生のスピーチ、講座の内容を少しやってくれた講師、面白い話しで相変わらず楽しませてくださった高橋俊三先生と。
やはり、このパーティまで参加しないと研究会というのはダメだねえ。

            ◆

そして、駅前まで移動してさらに土作さんや赤坂さん、その他若い先生方と飲み続ける。
楽しかった。
でも、今日は終電にはなりませんでしたf(^^;。

東京に着いた

3/25

東京に着いた。いやあ、改めて思うが人が多い。これはストレスだなあ。そこに住み続けていればそんなもんだろうと思うが、久しぶりにくれば多い。

今日は全国教室ディベート連盟、関東甲信越支部の春の大会であることは知っていた。だけど、オープンキャンパスもあり、時間が確定できなかったので、仲間たちに東京に行くことは知らせないでいた。

が、なんとか試合後の反省会で、二次会があれば行けそうだったので京都駅でK氏に電話をした。んでもって、吉祥寺で反省会の二次会に合流。

            ◆

いやあ久しぶりに会うみなさんであった。あの頃中学生、高校生だったのに、いまでは立派にオジさん予備軍になっている面々。みんな貫禄ついたなあ。って単に太っただけね。どちら様も運動しましょう。

途中で気がついたのだが、なんと私この反省会の際年長者であった。いつの間にかそういう年回りになったんだなあ。そして、年下の彼、彼女らがこうして試合を回していることに喜びを得る私でした。

(ああ、ラグビーボールはパスされた)

とね。

            ◆

ディベートの大会の反省は、反省会の一時会で終わっていたようで、二次会は妙に教育の話題で盛り上がる。ディベートのコーチとして母校に関わる彼。塾の教師として(そこから教え直すの?!)と驚く経験を話している彼女。

全国教室ディベート連盟のディベートは、教育の文脈の上で行われるきょう。だからスタッフとして関わっているみんなは、教育とはなんぞやということを自問自答しながら、前に進んでいる。

そして、教育の道へ向かって行こうとしている。そんな気がする。
うれしいなあ。

なわけで、終電のモノレールを使って実家に帰宅した私であった。

2007/03/26

切ない

今朝のびわ湖は、雲の中にいるようであった。
対岸が消えてしまっているのだ。
目の前は確かにびわ湖なのだが、そのびわ湖を目で追いかけて行くと、それが空になってしまうのだ。

湖なのか、空なのか。
騙し絵ではないかと思うような景色であった。

こんな時、韻文の才能があれば素晴らしい、詩や俳句を紡ぎ出すことができるのであろうが、最近はやっていないからなあ。来年度の課題にしよう。

ただ、ただ見つめていた。

            ◆

午後からオープンキャンパスでガイダンスを担当しているのだが、午前中から行く。ALL関西教育フェスタと大教大の講座に参加していた国語の先生を目指す非常勤講師の先生が、私のガイダンスを聞きにくるというので、それならちょっと早めにきてもらって、お話でもしましょうかということになっていたのだ。

その先生は四月から産休代替で一年間仕事をされるということだが、担任の仕事以外はすべて行うとのことで、そりゃアー大変だなあと思った次第なのであった。

            ◆

研究室であれやこれやと話をする。
私は基本的に国語の教師を目指す、しかも中学校の教師を目指すということを聞いてしまうと、切なくなってしまう。

(ああ、これからあのしんどい坂道を上って行くのだなあ。でも、その坂道は堪らなくいい坂道だなあ。でも、私はもう二度と登りたくないなあ。でも、いいよなあ)

なんて思ってしまう切なさだ。
少し参考になれば嬉しい。

            ◆

ガイダンスへの参加人数はいつもよりも少ないが、足許の悪い中この時期に来る生徒諸君は、気持ちが前向きの諸君である。気合いを入れてガイダンスを行う。

結果、予定の時間を3分オーバーしてしまった。
すんません。

            ◆

研究室に戻り、後片付けをして出たところ、児童教育学科の校舎「児優館」の見学会が行われていた。急遽私はガイドになる。「臨床教育実践スタジオ」の説明をする。さて、生徒諸君の学習意欲は高まったかな?

            ◆

伊勢丹で夕ご飯とお土産を購入し、慌ててホームに向かった。
京都駅はかなりの混雑であった。
先発の新幹線が、安全確認ということで6分遅れて到着。私の乗る新幹線は定時。ということで隣接するホームに一分間隔でのぞみ号が入線するという状況であった。

            ◆

発車後、窓から景色を眺めていた。
すると、本学が見えてきた。勢い込んでさらに見ていると、なんと我が研究室も見えた.当たり前である研究室から新幹線が見えるのだから、見えて当たり前。でも嬉しい。

さらに、夕日が見たくなり連結部に移動。すると、比叡山、比良山が見事に見えた。その上を夕日が占めている。

夕日は切ないなあ。
何で切ないかは、今日の場合は良くわかる。生きて行くって切ないなあと感じることがいくつもあったからだと思う。

瀬田の唐橋を見て、さらにホゲーッと夕日を見ていたら、なんと新居が見えたのである。新幹線から見えるんだ。今年度も、一年間駆け抜けてきたなあ。幸せだったなあと思ったら、やっぱり切なくなった。

いろいろな方に感謝。

気がつけば後一時間で東京かあ。

            ◆


あと8分乗れば品川というところで、なぜか新幹線は緊急停車。
おい、こんなの初めてだぞ。業務連絡で車掌長を呼び出している。
うーむ。なんだ、なんだ。

急病人の発生だとのこと。
止まらない新横浜で停車だ。
大丈夫でありますように。

を、無事に新横浜で降りたようだ。
良かった良かった。11分遅れならたいしたもんだ。

さあ、これから夕食だ。

2007/03/25

この間違いのお陰で

夜は、奥さんと奥さんの両親と市内で食事。高瀬川のある木屋町へ。高瀬川沿いの桜は蹴飛ばせば花開くのではないかと思えるほど、桜のつぼみが膨らんでいました。

今日の食事は、引っ越しのお礼を込めてバリバリの京料理。ついでに今度の月曜日にやってくる私達の結婚祝いもかねてしまう。現地集合ということで、大学にギリギリまでいた。

            ◆

大学を出る時に、休日出勤をしていた教務の事務方に声をかけられる。来年度の時間割編成のことで相談を受ける。あれこれ話していたら何を間違えたか、帰る場所を以前の自宅を思い込んでしまった。

以前の自宅は駅前だから予定していた電車に十分間に合うと思ってしまった。この間違いで、店には遅刻してしまったのだが、この間違いのお陰で懐かしい人に会えた。

            ◆

山科駅で地下鉄に乗ろうとJRの改札口を出たら、大きな人影が目に入った。そして、その人を見たら、なんと一昨年全国教室ディベート連盟の研究開発委員会でお世話になった京都大学法学部のT教授である。

D教授は私よりも若い。いかにも切れるという感じのする先生であるが、温厚でもある。本人だと確信した私は、思わず声を掛けてしまった。
『D先生』
先生も私のことを覚えてくださっていたようで、しばし驚きのまま会話を交わす。
「そういえば、京都橘大学にいらっしゃるとおっしゃっていましたよね」
瀬田にお住まいとのことで、ここで地下鉄からJRに乗り換えるタイミングだったとか。

いやあ、縁のある方っているものだなあ。
『今度市内の美味しいお店を紹介してくださいね』
「ぜひ」
と約束して別れる。楽しみである。

            ◆

京料理は、これでもかっというぐらい春の食材ばかりであった。義父がカメラを持ってきていたので、私は撮影せず。ただ食べることを堪能。

『う〜ん。美味しい』

とだけ言って食べる。食べ続ける。一つ一つ味を解説せねばならない食のレポーターは大変な仕事だなあと思う。

お値段もそれなりのものではあったが、十分堪能できて、御礼もできたのではないかと。美味しかったなあ。お腹いっぱい。

2007/03/24

新年度モード

原稿を書いたり、新年度の準備をしたりしながらして研究室で過ごす。
その合間にネットワーフィン。

さまざまな先生方のブログで、小学校、中学校の終業式の話題が出ている。一年間走り抜けてきて、ほっと一息つく間もなく新年度の準備に追われるという苦しさも同様に書かれている。一週間ぐらいは切り替えの時間が欲しいよなあと常に思っていた。中学校三年間担当して卒業させたら一ヶ月は休みが欲しいとも。

切り替えと仕込みの両方がないまま、新しい年度に突入するなんて、今まで教えてきた子どもにもこれから出会う子どもにも失礼だと思う。仕込みをしないでステージに立つ役者なんて考えられないが、教師はこれを求められるわけだ。ふむ。

            ◆

事務仕事が好きではなかった私も、この時期はヒーヒー言っていた気がする。まあ、最後の頃には通知表と要録を同時進行で行うとかさまざまな方法を身につけて行ったので随分楽になったと思ったら、今度は学校全体の仕事をしなければならなくなり、これもまたヒーヒー言っていた。

たとえば、通信簿を学校オリジナルで作ることになり私が責任者となった。Macでやればレイアウトは特に難しいものでもなく、それ自体はひょいひょいなのだが、そこに至るまでに何を通信簿に載せるかとか、この欄がもう少し右にあると良いとか、色々と注文を受けるわけである。

(全くもう、だったら自分でやれよ! 自分ではパソコン触らないのに!)

と口に出して言いたいことも何度もあったが、それをぐっと我慢してやり通すことで、その仕事をやる前には気がつかなかったことに気がついて、自分が成長していたりするんだから仕事ってのは侮れない。

            ◆

大学の方は、卒業式を境にして一気に新年度モードである。
学生たちは、来年度の履修の登録を澄ませ、キャンパス内には新しい東屋が造られている。

と、書いて思ったのだが、私が学生の時は履修届は新年度が始まってからだった気がする。ということは二ヶ月近く履修届けの締め切りが早いのか。

シラバスを追いかけながら、自分の学びをデザインするってのは、学問の入り口だからなあ、頑張れよ。

            ◆

このシラバスってのも難儀だなあと思う。
文字になってしまうとかなりの拘束力を持つ気がするが、実際去年の授業でもシラバスを途中で調整しながら行う授業は沢山あった。

学生の実力、要望、新しい学問上の成果などがシラバスを作っている時には分からない部分があり、実際に授業が動き出してからでないと確定できないところがあるわけだ。だから、私はシラバスというのは、方向目標であり達成目標とは考えていない。

達成目標になってしまったら、学問とは違うもののような気がする。

            ◆

で、明日は本学の今年度最後の、というか新年度一発目のオープンキャンパスとなる。私はこのオープンキャンパスで行う児童教育学科のガイダンスで、今年度のガイダンスの仕納めとなる。

年間で30近いガイダンスや模擬授業をしたことになるだろう。良くやったなあ。来年度はスタッフがドンと増えるので、私が出向くことも少なくなるだろう。お疲れさま、私である。

ちなみに、明日は
http://www.tachibana-u.ac.jp/official/admission/07touch/program.html#touch_a

となっていて、私は
児童教育学科ガイダンス 13:30〜14:30
でやります。どなたでも参加できます。
私はこの後すぐに東京に向かいますので、終わった後お話しする時間はないと思いますが、良かったらお越し下さい。

教育研究サークル「明日の教室」の申し込み

教育研究サークル「明日の教室」の申し込み方法について、もう一度お知らせします。下記のメールフォームからお申し込みください。

日時  : 平成19年4月14日(土) 13:30〜17:00  受付 13:15〜
申し込み: 池田 修  http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P2213754 まで。

◆ メッセージ欄に「明日の教室申し込み」として、所属や今抱えている課題等を書いて頂ければ助かります。

なお、詳しくは下記のリンクにあります。

http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2007/03/414_ac8c.html

『図解 よくわかる 授業上達法』

『図解 よくわかる 授業上達法』(上條晴夫 学陽書房)を贈って頂いた。
上條さんの新刊である。
早速拝読した。
さすが、上條さんという本である。

上條さんとの出会いはかれこれ15年も前になると思う。ディベートの講座を一緒に受けたのだが最初だ。そのころの私は「授業づくりネットワーク」なる団体そのものも知らなかった。それがいまでは私の研究と修養の中心の団体になるわけで、もし、この団体に出会わなかったら今の京都暮らしは全く考えられなかったと思う。ちなみに、上條さんもディベートに出会わなかったらこの本はなかったと思われる。

            ◆

そう、本の話である。
勉強家の上條さんがこの20年間に学んできた内容をコンパクトにまとめている。授業の技術に関して大きく二分してそれぞれ30種類提示している。教師の指示系列の技術を「タテ力」、生徒の交流を支える技術を「ヨコ力」である。こんなにどーんと出してしまっていいのか?と思うぐらい内容の濃い本である。

特徴的なのは一つ一つの授業の技術・考え方を「図解」していることにある。実は、私にとっては非常に懐かしい図解である。上條さんがいろいろな講座で説明をする時に使っていた図解も随所にあり、それを見て懐かしく思っている。もちろん、初見のものもあり勉強しながら読んだ。

            ◆

読後の感想を誤解を恐れずに言えば、この本は「中級者以上」の本である可能性が高い。というのは、この本を読んだだけで初心者がすぐに授業が上手くなるとは考えにくいからである。というのは、ここで提示されている授業の技術・考え方が実感として伝わってこないのではないかということがある。

しかし、逆に授業経験が5年ぐらいあり、なおかつある程度授業上達に関して意欲を持っている教師が読めば、もの凄い武器になることばかりである。自分の授業で上手く行かなかった時に、何が不足しているのか、どう手だてをすれば良いのかが分かるからだ。

授業の技術を中心にまとめている本ではあるが、その実、技術から入り、それを支えている授業観に迫ろうとしている本ではないだろうか。もしそうだとすれば、授業初心者もこの本を傍において授業を作ることから、やがて自分の授業の観を高めるための入門書になるのかもしれない。

            ◆

私が期待したいのは、合計60のそれぞれの技術に関して50分のワークショップをやってくれないかなあということである。それが完成して新人の教師が初任研や三年以内に「授業づくりネットワーク」などで受けることができれば、その教師の人生は変わるだろうなあと思うのだ。上條さん、よろしくお願いいたします(^^)。

教師なら手元に置きたい本である。

空の国

静かだ。
新しい住まいは、本当に静かである。
いまの私の場合、静かになると耳鳴りを意識してしまうのだが、その耳鳴りすらもこの空間に佇むと、静けさを表す擬音語ではないかと思えるぐらいである。

            ◆

昨日のパーティで引っ越しのことをある人に話した。
「先生、滋賀県はお気に入りですか?」
『はい、とても気に入っています。兎に角びわ湖は奇麗ですし、電線のない広い空が良いです』
「そういえば、滋賀は湖の国、湖国(ここく)と言う言い方をしますが、私の知り合いは違うと言っていました」
『なんですか?』
「空の国だということです」

            ◆

空の国かあ、いやあそれは分かる。
この広い空というのは、なかなかありえない。
昼の空も、夜の空も良い。

義理の父は、この景色を見て
「船のデッキにいるようだね」
と言った。なるほど、そうかもしれない。

夜、風呂から換気されるその空気の音を聞きながらテラスにいると、なんか飛行機で夜の空を飛んでいるかのような気持ちにもなる。

            ◆

滋賀県は空の国。
なるほどなあ。

2007/03/23

「え〜、面倒くさい!」

会議三連発の間に文章書き。
これが終わるようで終わらない。
明日は、なんとか引っ越しの作業に関わらなければならないと思っているが、さて、うーむ、すみません。一応、京料理の店は予約しました。ご堪能ください。

            ◆

大学は新年度の学生の受け入れ、授業の準備に向けて一番忙しい時期の一つを迎えています。学生数の増減、急な変更をも見越していくつものプランを作って対応できるようにして行きます。

今日は新入生キャンプについて業者の担当者から説明がありました。その席に私も参加したのですが、いろいろなプランを考えてその先に訪れるたった一つの動きに対応するプランだけ採用して、後はバッサリ捨てるのだということを、学校の具体例で話しました。

学生たちは
「え〜、面倒くさい!」
と素直に反応するわけです。

そうですねえ、面倒くさいですね。
でも、こうしてあれこれを想定して行くことが仕事ですし、その想定をきちんとできることが子どもたちの安全管理、そしてその先にある指導に繋がるわけです。

仕事とか教育とかいうものは、元来面倒くさいものなんですね。でも、この面倒臭さを乗り越えないと、その先にある喜びにはたどり着けないんですね。

            ◆

京都の街は春霞に包まれています。
思った以上に暖かく始まる新学期になりそうです。

電話が止まります

引っ越しに関わって、電話を光電話にするために工事の順番待ちをします。
開通予定は4/3となります。その間、自宅の電話は繋がりません。
携帯電話の方にお願いします。

2007/03/22

年度末の会議の日だ

年度末の会議の日だ。
非常勤講師の先生方との懇談、児童教育学科に来られる先生方との打ち合わせ、教授会、来校者との打ち合わせ、全学懇談会、退職者を祝う会と立て続けに会議であった。

夜はパーティもありみなさんは麦酒で乾杯であったが、私は車ということもありぐっと我慢。一杯数千万円のお酒は飲みたくない。

こうして私の大学一年目は過ぎて行く。
明日も会議が三つ。

引っ越しの片付けはなかなかできないが、仕事なのですんません。

さあて、帰ろう。

現場が支えているのだ

結局、引っ越しが終わったのは11時近かった。朝の8時過ぎから始めてこの時間である。車で5分の距離での引っ越しである。この時間に終わるのはある種噴飯ものである。損害賠償請求だって辞さないというものかもしれない。

しかし、そんな感じにはほとんどならなかった。
それは、スタッフの動きである。

            ◆

荷物の積み残しが出たのは、見積もりのミスである。荷運びをする彼らのミスではない。また、荷造りをするスタッフから
「この件は荷物が多いから、トラックが6トンでは足りない」
と事前に伝えておけば防げたかもしれない。

だが、これらはすべて行われず、現場の作業に突入し、そして事件は発生した。

            ◆

計画立案者のミスは、常に現場がかぶる。
去年までの自分を少し思い出していた。

コロコロと方針の変わる文科省、教育委員会、それに振り回される学校現場。さまざまなクレームが吹き出してくるが、これに対応するのは現場であった。

私達は、さまざまなものを笑い飛ばしながら仕事をしていた。

            ◆

引っ越しのスタッフは、自分たちの責任ではないのにそれを被って、黙々と仕事をする。荷物を持って丁寧に駆け足で運ぶ。若いのに立派だなあと思った。
現場が支えているのだ。

            ◆

御陰さまで、気持ちのよい朝を迎えることができました。

2007/03/21

そこに知らせが

朝から引っ越し。新居の床のぞうきんがけをして、荷物を待つ。旧居では昨晩梱包した荷物をどんどんトラックに積み込んでいるはずだ。

            ◆

荷物が到着。何もない部屋に家具が入り、どんどん我が家になって行く。私はネットの設定に取り組む。しばらくはwillcomのAirEdgeで乗り切ろうと思っているのだが、どうも上手く行かない。

HDを増設し、ドライバーをもう一度インストールし直したのだが、うまく設定できない。頭に着たので、増設前のHDから立ち上げてAirEdgeを使ってみると上手く行く。おかしい。willcomに電話で確認してその通りにやってみるのだが、ダメ。前のシステムから設定を書き出して、新しい方に読み込ませてもダメ。うーむ。

            ◆

そこに知らせが。
部屋の荷物が多すぎて、トラックに乗らないと。
一回荷物を新居に入れてからもう一度やるのかと思ったら、午後は大阪で別の引っ越しがあるとのこと。ひえ〜。

結局大阪の引っ越しが終わってから、再びやってきて積み込み。
私は旧居の荷物確認として確認の仕事をしながら、ブログを書いている。

    ◆

今日は花粉が凄くてくしゃみの連発。
私は早くシャワーで花粉を落としたいが、いつになることやら。

がんばれ、引っ越し屋さん。

【連絡】 メールが止まります

引っ越しに伴い、各種設定の見直しのためしばらく家庭からのメール環境が不通になります。大学からは見ることができますが、レスポンスが悪くなります。申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

2007/03/20

引っ越し

ふう、なんとか研究室の引っ越しが終わった。
途中で野球サークルの学生が、私のユニフォームを持ってきてくれたので、助っ人を頼んだりしてなんとか終わった。

これで原稿の執筆に取りかかれる。
今月末までに三本ある。
頑張るぞ、おー。

            ◆

ではあるが、実は、我が家も引っ越しなのである。

なんと申しましょうか、片付けのできない私は奥さんと奥さんの親御さん、つまりは私の義理の父さん母さんに家の方をお願いして、もちろん業者にもお願いして。

今日が詰め込み。明日が荷物の運び出しである。
ああ、有り難く申し訳なく思っております。

            ◆

新居は、いまよりももっとびわ湖に近くなります。
ほとんど、信長の野望ですf(^^;。


学研の「NEW教育とコンピュータ」四月号

学研の「NEW教育とコンピュータ」四月号に、記事が載りました。


http://www.gakkenpc.net/new/0704naiy.htm

新学期、担任としての仕事を順調に始めるための原則や、ノウハウをイラスト入りで解説してあります。良かったらご覧下さい。

「濱田と言えば?」『金吾でしょう』

心地よい筋肉痛は、ぐっすりとした眠りに私を誘ってくれた。耳鳴りも少なく感じる。で、朝起きてメールチェックをしていたら、いきなり目が覚めた。

ブログのコメント欄である。濱田金吾さんご本人からの書き込みである。参ったなあ、とても嬉しい。一度はライブに行きたいと思っていながら行けなかったご本人からの書き込みである。「誰も知らない」ではなく、「知っている人しか知らない」でした。そして、知っている人は猛烈に好きであるのです。

            ◆

教師になってからのことだから1990年前半だったろうか。新潟県の湯沢スキー場に出かけて行って、夜、お土産売り場をうろうろしてた。そしたら、濱田金吾さんの「sunset -sunrise」が流れていた。私は思わず、

『え〜、なんでこの曲が流れているの!』
と叫んでしまった。有線放送で流れることは考えられない。明らかにこの曲を知っている誰かが、店に流しているわけである。すると、
「え〜、お客さん知っているの?」
とレジから叫び声。
スキー場の温泉宿で、見知らぬ男二人が固い握手を交わし、
「濱田と言えば?」
『金吾でしょう』
という濱田金吾さんのアルバムのコピーを叫んでいたのを思い出す。

本当に名曲ばかりなんだよなあ。

            ◆

お勧めは、「midnight cruisin」というアルバム。私、CDになっているのを知らなかったんだよなあ。後から知って捜した時にはもう売り切ればかり。いまアマゾンの中古で見ると7〜8000円になっている。名盤なのだよ。

1. 抱かれに来た女
2. 横顔のタクシー・ドライバー
3. SO,I LOVE YOU
4. 街のドルフィン
5. ほのかなイリュージョン
6. MIDNIGHT CRUISIN’
7. せめてからりと晴れてくれ
8. シャワールームのある風景
9. 真夜中のテニスコート

とても20年前のアルバムとは思えない仕上がり、そして一瞬にしてあの時代に戻してくれる曲たちです。

うわああ、書いていたら「横顔のタクシー・ドライバー」を聞きたくなった。
テープが見つからないから、ギターで弾こうっと。

金吾さん、もう一度販売してください(^^)。

2007/03/19

新入生キャンプの下見

午前中にちょこっと仕事を片づけて、午後から学生たちと下見。来年度の児童教育学科の新入生キャンプの下見である。

            ◆

最近は何処の大学でも、新入生に一泊二日でキャンプを行い、大学のオリエンテーションを行うことが多いと思う。いや、何処の大学でもというのは語弊があるか。大規模の大学ではできない。中規模、小規模の大学でしかできない。本学は大規模ではないので、できる。

学科ごとにキャンプ地を決めて行くのであるが、児童教育学科はびわ湖である。びわ湖にあるウォータースポーツを中心とした施設でいろいろとやるのだが、そこで新入生に体験させるために、まずはその指導者である学生の代表たちに体験させる会を今日したのだ。

            ◆

びわ湖は結構寒かったのだが、アクティビティーをすると熱くなって楽しめた。これであとは学生たちに企画を練り込ませて、当日を迎える。

さあ、頑張れよ、学生諸君。君たちの企画にかかっているからね。

            ◆

アクティビティーには、私も参加した。体を使う。学生にやらせるためには、ちょこっとばかり学生よりも真剣にやる。ま、私の場合楽しくてそんなに強く意識をしなくてもやってしまうのだが。

十分に準備体操をしたはずなのに、やはり体が固い。そして、終わった後は怠くて辛い。ううう。痛みを引きづりながら、山科駅でお好み焼きを食べて結成式をする。よろしく頼むね。

            ◆

さあ、明日は研究室の引っ越しだ。
明日も体が痛いぞ。

2007/03/18

「新幹線!」

(娘たちは、新しいそれぞれの住まいにたどり着いたかなあ)
なんぞと思いながら、私の方は一日中研究室で引っ越しの準備。
去年の三月末に段ボールで、でーんと届いた荷物をもう一度段ボールにつめ直す。

一年間だけ使う研究室ということは最初からわかっていたので、なるべく荷物を増やさないように増やさないように使っていたのだが、本だけはどうしようもなかった。段ボール三つ分ぐらいは増えてしまったかな?

             ◆

新しい研究室は、5階だ。
今の研究室よりも広くなった。
引っ越し会社に頼む荷物は段ボールにつめて、その他の水回りのものや、筆記用具等を自分で研究室に運び、部屋のレイアウト等を少しいじる。

だんだん夕日が山の向こう側に落ちて行くのを感じた。
西日が少し、研究室の窓に入るのだ。
そして、その灯りが弱くなったと感じた時振り返ったら、もう沈んでいた。

200703181810000


それにしても広い空だ。

今まで中学校を4つ、大学を1つ回ってきたことになるが考えてみると、このうちの一つだけ広い空を感じることのできない学校であったが、その他はみんな広い空だったなあ。

            ◆

さらに驚いたのは、研究室から「新幹線!」を見ることができるのだ。
なんと申しましょうか、新幹線や富士山を見ると妙に興奮するのは、昭和生まれの悲しい性でしょうかf(^^;。遠くを走る新幹線を見て、ときには目を休めることにしましょう。

            ◆

さあ、明日は新入生キャンプの下見だ。新年度に向けてゴーである。

ご卒業おめでとうございます

卒業式が終わった。
娘たちは、それぞれの道を歩き始めた。
おめでとう。

            ◆

大学での授業が終わり、入試があり、突発性難聴になりと、卒業式までに盛りだくさんの内容があったためか、なんか突然卒業式と言う感じであった。

中学校では、ぎりぎりまで子どもたちと一緒にいるので、最後の最後に空に向かって行く風船を手放すと言う感じだったが、大学では一ヶ月も前に会わなくなったメンバーと、久しぶりに会ったら卒業式であったと言う、実に妙な感覚であった。

しかし、卒業式は卒業式である。
(別れなんだなあ)
と式を見つめていた。

            ◆

今年卒業する世代は、まだ女子大の世代であり、式は華やかであった。晴れ着、袴が中心で他に民族衣装などでの出席。髪型はエクステンションにラメということで、これでもか!って感じである。中学校の卒業式ではまさに考えられないf(^^;。

P316016


それでも驚いたのは、これだけ女子学生がいるにもかかわらず、会場が臭くないことである。これだけいたら香水臭くてたまらんことになるかと思ったら、それはなかった。このあと謝恩会でもなかった。流行っていないのか、節度があったからなのか、良いことである。

            ◆

式後、中庭で娘たちと記念撮影。保護者の方も参加されていて、シャッターを切ってくださる。
「お世話になりました」
と言ってくださるのは、とても嬉しい。私も
『いえ、こちらこそ』
と答える。本当である。
良い授業は、授業者だけではできない。授業を受ける側の積極的な参加が必要である。良い授業ができていたとすれば、彼女たちの力は大きい。

            ◆

その後、会場をホテルにして、卒業を祝うパーティ。私はいつも思うのだが、謝恩会で良いと思う。先生にお世話になりましたで良いと思うのだが。卒業するまでに、お世話になりましたと言われるような指導がなければならないと思うのだが。

卒業式から2時間後というのに、娘たちはお着替え。ドレスである。華やかから艶やかへと装いを変えるわけだ。
(いや〜、大変だ)
私は思う
(親御さんは、大変だ。娘が三人いたらとんでもないことになるぞ)
と思う。

            ◆

会場は、ゼミごとにテーブルが決まっており、ゼミのない私は教職員というテーブルで参加。それでも守るんジャーの娘たちと会話をしたりしながら楽しく参加。
「日本語日本文学科の先生たち、ステージの上にお願いします」
と言われ、私も行くことに。そしたら、私にも花束が用意されていた。うれしいねえ。
花束には、スイートピーが入っていた。
このスパイシーな香りは、私の記憶の「卒業式」のスイッチをさらに強く押す。
卒業の時にもらう花束には、ほとんどこのスイートピーが入っているからだ。

          ◆

パーティー後は、守るんジャーの追い出しコンパ。
木屋町まででかける。
ここからが本当の卒業であったかもしれないなあ。

元気で、色々な人と一緒に、良い人生をつくって行ってください。
ご卒業おめでとうございます。

2007/03/15

研究室の引っ越しの準備

午前中は、本年度最後の高校での模擬授業。滋賀県内の高校で行う。余裕を持って出かけたのであるが、車にちょっとしたトラブルがあり、到着がギリギリになってしまった。間に合って良かった。

今年度は、児童教育学科の開設準備のために他の児童教育学科の先生方よりも一年早く本学に着任したのであるからして高校への模擬授業は、私の本務の一つである。しかして、結構回ったなあと思う。

高校生に授業をするのは、今の私にとって苦ではない。どちらかと言えばやりがいのある仕事だ。大阪、兵庫、福井、滋賀、京都と高校を回り、それぞれの土地の雰囲気を感じ、教育を目指そうと本格的に思った最初のタイミングの高校生に授業をするのは、面白い仕事である。

が、ちょっと回数が多かったかなf(^^;。
来年度は、児童教育学科のスタッフが増えるので、私の担当する数も減るだろう。取りあえず、お疲れさん>オレである。

            ◆

午後からは研究室にこもり、研究室の引っ越しの準備をする。研究室にある本棚、その半分の本が段ボールに収まった。引っ越しの日は20日。土日で何とかなるだろう。

この作業をしていて色々なことに気がつく。

久しぶりに体を使って重いものを持って移動するので、筋肉が張る。私は右足を支点にして動く体であるのが良くわかる。

段ボールを組み立てるときに、どのような手順で行えば効率が良くて上手く行くのかを考えながら行っている自分がいた。ルーティンワークのはずなのに、どうにかして効率よく、つまり「手を抜いて」できないかと考えている私がいた。

作業、実技。これらは人間の本音の部分をあぶり出してしまう。口でいくら偉そうなことを言っても、ばれちゃうんだよね。怖い怖い。

            ◆

さて、明日は卒業式だ。
晴れると良いなあ。
娘たちは晴れ着だろうからなあ。

捲土重来の諸君

本学も明日が卒業式である。

中学校の卒業式は何回も経験してきたが、大学は初めてである。楽しく厳しくやってきた教職の娘たちとも、明日でお別れである。自分の希望通りの進路を手に入れたもの、多少不本意であるが納得の行く進路を手に入れたもの、捲土重来を期すものといる。

私は20日の研究室の引っ越しに向けて準備を始めた。本当は卒業式前は研究室を触らないでおこうと思っていた。ま、良くわからないが卒業式前後に彼女らが研究室にやってきたときに、研究室が変わっていたら悲しむかなあと思っていたのだが、私の年度末のスケジュールを確認すると、そんなことは言っていられないことが分かり、昨日のFD学習会の後から片づけに入った。

            ◆

で、本棚一つ片づけただけで
「よし、今日はこのぐらいにしておいてやろう」
と体の痛みからの訴えに応じて止めた。

止めたのだが、どうせ研究室の雰囲気が変わるのならば思い切り変えてやれと、今までに書いていた書道の作品を卒業祝いをかねて、研究室の前と中とに、ダーーーーーーっと掲示。なんか凄いことになった。文字のパワーってのは偉大だ。

            ◆

卒業は、おめでとうなのだが、私は捲土重来を期す学生にエールを送りたい。

自慢じゃないが私は、「勉強が好きだったので」大学を五年やっている。同期に教育の自主ゼミ生は30人いたが、一発で教師になったのが27人。そのうち、なれなかった、ならなかった3人のうちの一人が私だ。

当時聞いていた歌、歌っていた歌が、以下のもの。

引用開始 ーーーーーーーーーー

あの頃のまま 
         ブレッド&バター

6時のタ−ミナルで 振り向いた君は 板に付いた 紺色のス−ツ
今でも気まぐれに 街をゆくぼくは 変わらないよ ああ あの頃のままさ

去りゆく若い時間を ひとり止めているようで
羨ましいやつだよと 初めて笑ってくれた

  For yourself for yourself
  そらさないでおくれ その瞳を 人は自分を 生きてゆくのだから

ネクタイ少しゆるめ 寂しげな君が 馴染みの店に 腰すえる夜は
陽焼けした両足を 投げ出してぼくも " Simon & Garfunkel " ああ 久し振りに聴く

人生のひとふしまだ 卒業したくないぼくと
たあいない夢なんか とっくに切り捨てた君

  For myself for myself
  幸せ形に こだわらずに 人は自分を 生きてゆくのだから

  For yourself for yourself
  そらさないでおくれ その瞳を 人は自分を 生きてゆくのだから

引用終了 ーーーーーーーーーー

研究室の片付けをしながら、ipodで流していたら、この曲がかかった。
「For myself for myself 幸せ形に こだわらずに 人は自分を 生きてゆくのだから」
本当にそうなんだなあと、今改めて思う。
やはり名曲だ。

捲土重来の諸君、大丈夫だからな。
しっかりともう一度頑張れ。
私も次の年には教員になれたぞ。
今の経験が、教師になった時にとても大切なものになるからな。
弱い立場、辛い立場にいる生徒の傍に寄り添うことのできる教師の資質を手に入れたのだよ。これを活かして、良い教師になれば良い。財産にすれば良いんだからな。

            ◆

ちなみに、翌年の卒業の時に聴いていた曲は " Good bye school days " by Hi-Fi Set これはこれで泣ける名曲なんだなあ。

明日、晴れると良いなあ。
ご卒業おめでとうございます。

「宙ぶらりん」

とういことで、先生方を対象としたFD学習会は終わりました。来年度からは文科省からの指示で、大学の教員にも授業方法の研修が必修化されるということで、この手の研修はますます盛んになっていくものと考えられます。

確かに、大学の先生は自分が学生時代に教育方法などは習っていないことも多く、結局は自分が大学のときにその専門の先生の授業で学んだ方法で行うしかないという場合が多いようです。

昨日参加されていた先生方も、そんな中で
(こりゃあ根本的に指導方法を学ばないとまずいぞ)
と思われている先生もいらっしゃいました。

以下が、その内容です。一時間で行いました。

引用開始 ーーーーーーーーーー

京都橘大学FD学習会 レジュメ
〜 学生をひきつける授業づくりの基礎基本 〜

ガイダンス

学生はどう変わったのか
3つの教育力
授業づくりの基礎技術3つ 「授業は話し言葉で行われる」

授業例 「漢字指導のあり方」を通して、私語のない授業環境を考えてみる

指導の重点となる生徒の実態
考察
まとめ

Q&A

引用終了 ーーーーーーーーーー

            ◆

なんで嘗ての大学の教員は指導方法を知らなくても、大学での授業が成立したのでしょうか。私はこんな仮説を持っています。それは、学習者が「学習方法」または「授業の受け方」を、大学に入るまでに身につけてきたからだと考えています。

大学に入るまでに、いろいろな先生に授業を受けてきて、「この先生の場合にはこう。あの先生の場合にはこう」と授業に応じた受け方を身につけていたのだと思います。

ところが、今は高校までにそれが身についていない。だから、大学の授業で教員が授業方法を身につけていないと、学生が授業にならないわけです。

            ◆

この「授業の受け方」ってのは結構大事なことだと思っています。授業では、生徒・学生にとって興味のないこと、分からないこと、できないことを扱います。まあもちろん場合によっては興味のある物事もあるでしょうが、ないと思って始めた方がいいでしょう。

その状態にあるところから、面白くて、わかって、できる状態に仕上げて行くのが授業です。ということは、学習者はこの状態に至るまでに「宙ぶらりん」の状態でいるわけです。この「宙ぶらりん」の状態を、学習者がしばらく受け入れなければなりません。そして、自らの努力で安定した状態へと導いていたわけです。

ですが、彼らがお客様として学習者の位置にいる場合、この「宙ぶらりん」は許せません。投げ出すか、文句を言うかということになります。おそらく投げ出してきている学習者が多くなってきており、嘗ては投げだしてきた学習者は、大学へは進学しなかったし、できなかったのでしょうが、今大学全入時代を迎えて押し寄せてくるということになっているのでしょう。

            ◆

学習会に参加された先生方からは
「良かった」
「勉強になった」
という声を沢山頂きました。良かった(^^)。

ただ、まだ「授業に関する指導の技術」という言葉に抵抗のある先生方もいるのも事実だと思います。もちろん、正当的周辺参加(LPP)のような学習スタイルもあるのは事実ですし、指導の技術だけでいけるとは思っていませんが、知っておいて多少はできるようになっているのも大事だと思っています。

取りあえず、終わって良かった。
ふう。

2007/03/13

研究会「明日の教室」第一回のご案内 4/14(土)

糸井先生とあたためてきた教育研究会発足のご案内をいたします。まず、一年間続けてみようと思います。PDFファイルは「TC.pamph1.pdf」をダウンロード


にあります。以下は、テキストです。

引用開始 ーーーーーーーーーー


これから教師を目指す学生さん、
学校教育現場での指導の幅を広げたいと考えている若い先生へ


教育研究サークル「明日の教室」のご案内


「学校教育の現場を知って、豊かな教育実践をしたい。もっともっと力を付けたい」。
そんな思いを持っている「あなた」。京都で一緒に学びませんか。

                                  代表 糸井 登(すすむ)


教師になりたい、教師としてしっかりとした指導をしたい。だけど、子どもを見る目・関わり方、授業の作り方、担任の具体的な仕事、これからの教育の考え方、子どもとの遊び方はどうやって身につけたら良いのか良く分からない。

今までは学校に入ってから先輩の先生に聞きながら教えてもらうこともできたらしいが、ベテランの先生が退職し、教育に対する要求が高まっている今、若い教師であってもすぐに授業と担任を持たなければならないようだ。うれしいけど、不安だ。

            ◆

教育は「ラグビー」に似ています。先生は、「ボール」を受け取り集団の先頭を走ります。しかし、その歪なボールは前にパスすることはできません。後ろから走ってくる子どもを信頼して、後ろにパスするしかありません。

この「ラグビー」は教室だけではなく、教師と教師の間にもあると感じています。この研究会を主催する私達も、かつて先輩教師たちから「ボール」を受け取りました。そして走り続けています。ですが、そろそろ次の世代にパスする時期が来ているのではないかと感じるようになりました。

パスを出したくても、受け取る相手がいなければ困りますし、その逆もまた困ります。教育研究サークル「明日の教室」では、若い教師と教師の卵の皆さんが、これから直面するであろう具体的な教室の場面での指導を、一緒に考えてゆきたいと思います。

教育をめざす若い人のエネルギーと、ベテランの教師経験が奇麗に織りなす時、学校教育現場には豊かな実践が生まれるのではないかと、私達は考えています。

            ◆

教育はたった一つの方法、一つの正解があるわけではありません。
理論と具体的な指導力を身につけた先生が、その子どもと子どもを取り巻く関係の現実を踏まえて、彼らを自らと社会が求めるより良い変革へと一歩を踏み出すことができるように、指導し支援する営みではないでしょうか。そうだとすれば、その為に教師は学ぶことがたっっっくさんあります。

京都で一緒に学びませんか。
以下に、「明日の教室」第一回研究会のご案内を載せます。


日時: 平成19年4月14日(土) 13:30〜17:00  受付 13:15〜
テーマ: まだ間に合う、今年の学級作りのスタート
       講師 糸井 登(代表・宇治市立平盛り小学校)、池田 修(副代表・京都橘大学)
会場: 京都橘大学 児童教育学科棟「児優館」 5F 臨床教育実践スタジオ
定員: 30名
アクセス: JR山科駅からバス15分、地下鉄東西線椥辻(なぎつじ)駅から徒歩15分。
http://www.tachibana-u.ac.jp/official/information/access.html
参加費: 1500円
懇親会: 研究会終了後、山科駅近辺で交流しましょう。実費です。
申し込み: 池田 修  http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P2213754 まで。メッセージ欄に「明日の教室申し込み」として、所属や今抱えている課題等を書いて頂ければ助かります。

今後は: 5/19, 6/23, 8/25を考えています。豪華講師陣を予定しています。

引用終了 ーーーーーーーーーー

お待ちしております(^^)。

耳のMRI検査

念のために耳のMRI検査を行った。耳鳴りが脳の腫瘍などから発生することもあるということだからだ。その場合は体がめまいがあったりするということ。

「めまいはありますか?」

と言われると、気の弱い私は

『んーん、ないと言えばないし、あると言えばあるかな?』

となってしまう。
MRIの検査をしたこともないし、これも経験と思ってやってみた。

            ◆

強烈な磁気で体の断面図を取って行く。体をスライスされるわけだ。どういう仕組みでなっているのか私には全く分からないが、狭いところに入れられて、なおかつかなりの音が鳴り響く場所に20分以上いる。閉所恐怖症の人にはダメだろうなあと思う。

私と言えば、初めての経験にわくわくしていたのは最初の5分ぐらい。あとは、なんと寝ていた。寝返りを打つと始めからやり直しなので、それだけは注意して寝ていた。ぐーぐーぐー。

結果は御陰さまで、腫瘍は「なし」でありました。

            ◆

はじめて自分の体の断面図を見たわけだが、なかなか面白かった。
多少の誤差もあるのであろうが、右脳がでかかった。

右脳と左脳の働きは、世間で言われている程厳密ではないという説も最近はあるが、それにしても興味深かった。

思わず先生に聞いてみた

『先生、これ、どうなんですか?』
「いやあ、特に問題ないですよ」
『問題があるとかでなくて、この大きさの違いって結構あるんですか?』
「そうね。あるよ」

ふーん、そうなんだ。
大きさが違っても上手く行くのね。人体の神秘。

            ◆

夕方から教授会。良い教授会だったなあ。
みんながそれぞれの立場を慮りながら、京都橘大学をいかにしてより良い大学に作り上げて行こうかという話をし続けた。

今の大学は何処の大学であっても色々な意味で改革をしなければならない。そんな中で今日の教授会は、それぞれの立場の人が、少しずつ痛みを背負い、大きな意味でよりよい方向を目指して行こうということを話す教授会であった。

私は、切なさの中にもやる気の出る教授会だなあと思った。
流石、文学部教授会である。

            ◆

さて、明日はFD学習会。本学の先生方の前で「授業方法の改善プラン」についてご説明申し上げなければならない。この準備も事務方のT川さんのご協力で、なんとか完了。

さて、研究室の引っ越し準備はいつになったら始められるのであろうかf(^^;。
書かなければならない文章があるので、なかなか本を片づけられないのよねえ。

2007/03/12

この5センチを自分が認めることができれば

研究室の机の上には、PCの音を出すためのスピーカーを設置してある。
私が真ん中に座り、二つのスピーカーに一つのウーハーを置いてある。
もちろん、私から左右のスピーカーの距離は均等である。

            ◆

この均等にこだわるのが、私である。
自分から左右同じ距離においてあるスピーカーから聞こえる音が、同じように聞こえる。これが当たり前である。というのは、問題のない耳を持っている人の発想。というか、そういう人にとってはそれが当たり前。

であるからして、私もそれでやっていた。
しかし、その均等の位置では、音が均等に聞こえない。

            ◆

目が悪くなれば眼鏡をして、歯が悪くなれば差し歯、入れ歯をしてということは、まあ当たり前のようにするが、髪の毛が薄くなったら鬘をし、足が悪くなったら杖をするというのは、なんとなく抵抗がある。体の弱くなったところを用具で補強するということには変わりないのだが、抵抗がある。

このスピーカーの位置もそうであった。
右耳のスピーカーを前にズラスと言うことに抵抗があった。だって、もう治らないことを自らが認めているような感じがするじゃないですか。

他人はそんなこと全然気にしないでしょうが、自分が認めるということはこれは結構大きな問題な訳です。

            ◆

でありますが、今日、エイヤッと右のスピーカーをほんの5センチ前に持って来てみた。なんのことない、結構奇麗にバランスが取れる。曲によって多少の差はあるが、5センチから10センチの間で調整すればなんとかなる。

この5センチを自分が認めることができれば、新しい生活が始まるんだなあと思う。
たぶん、人生のさまざまな場面で、自分が自分のできなさ加減を受け入れる瞬間がやってくる。そのとき、どうやってそれを甘受するか。
そして、それでも
(ま、いっか)
と次に向かっていくこと。

これが生きて行くってことなんだろうなあと思う。

今回の熱はあの日が原因です

良い子の私は、一晩で熱を下げてしまいました。

小学校の時は、6年間で夏休みのプールまで入れて2日間しか休まなかった私です。大体土曜日の夕方に熱が出て、日曜日にかけてぐっすりと寝ると月曜日には元気になっているとうい分かりやすい子どもでした。

それを思い出して昨日は枕元に水をたっぷりと用意してもらい、首にタオルを巻いて床暖房を少しつけて寝てしまいました。途中で床暖房を切ってもらい、水分を補給し、ぐっすりです。すると、熱は下がっていました。

たぶん、今回の熱はあの日が原因です。

            ◆

糸井先生のコンサートに向かう日、車の中で音楽をかけていました。大音量でかけると耳鳴りは気にならないんですね。なもんで、かけていたのです。

歌の音楽をセレクトしてipodで流していたのですが、何気なく歌ったら音のズレが緩和していました。片耳が聞こえにくいと音程が取りにくいのです。だから、歌を聴かない歌わない日々を続けていたのですが、久しぶりに挑戦したら音のズレがかなり緩和していました。

嬉しくなって歌ったら、なんとあなた、オフコースの音程が出るではないですか。高校生の時にもなかなかでなかった小田和正さんの(今年還暦なんて信じられない)音域が出るのです。これは嬉しくなって歌うわけです。

            ◆

例年の三月のこの時期の私と言えば、ディベート甲子園の論題発表を受けてリサーチのサポートをしつつ、学期末の授業、事務処理とてんてこ舞い。さらに花粉症で声はガラガラなわけです。

ところが、今年は花粉症は相変わらずですが、大きな声を出す場面がこの時期にない。喉が温存されていたんですね。それで、声が出たわけです。嬉しくなって歌ったら、次の日に喉に異変が。うがいをしてやり過ごそうと思ったのですが、体の方は点滴による通院疲れがあったようで、力が入らずダウンとなってしまったのではないかと。

            ◆

ああ、なんて分かりやすいんだ。
だったらそうならないようにきちんと生活を送れば良いのにと思うが、そうならないのが私なんだなあ。

今日は京都橘大学文学部児童教育学科校舎「児優館」の竣工式があります。
私はこれにちょっとだけ参加して、大阪で模擬授業です。

さあ、張り切って行きましょう。

2007/03/11

そろそろ体のメインテナンスを優先

大津市のやっている耳の健康診断・相談会に参加する。おそらく最年少の参加者である。
問診と聴覚検査をしてドクターにじっくりと話を聞く。これで無料なのだからラッキーである。

今までの治療の経緯を話し、今後の治療方針について相談する。結論からすると、セカンドオピニオンを頂いた先生の方針と同じであった。

右の耳の耳鳴りは、今後自然治癒力を高めて行くことで改善の方向に向かうことが多いとのこと。気がついてみればもう、一ヶ月半も前に発病していたことになる。長いなあと思うが、医者の目からは、まだ一ヶ月半とのこと。三ヶ月、半年とかけて治ってくるとのことだ。

            ◆

どうしても人間は自分と他人を同じようには考えられない。医者であったって、先生であったって、相手のことを思っていてもそれは「他人事」である。これは仕方がない。フーテンの寅さんじゃあないが、
「早い話しが、オレが芋食ったって、お前が屁をこくか? 他人ってことよ」
ということである。

まあ、それは分かっていること。それだから客観的に治療の方針も立てられるし、教育での指導もできるのである。

幸いなのは、耳鳴りの高音域がかなり改善されたことと、中音域の耳鳴りは吐き気を催すようなものではないということである。集中して仕事をしていれば、かなり気にならなくなれる。しかし、集中をほどくとこの音がする。リラックスしたいときにこの音がするというのは、ちょっと困る。

            ◆

研究室に立ち寄り、万年筆のインクを補充する。
昼時だったので、生協でお昼ご飯を食べようと思っていた私。
今日は土曜日と思い込んでいたのね。うーむ。

仕方なしに、研究室に置いてある非常食を捜す。
卵スープ発見。
ポットのお湯投下。
あれ? ないじゃん。2、3滴で終了。
まったくついていない時はついていないもんだ。

お湯が湧くまでの時間で、4/14(土)に糸井先生と立ち上げようとしている研究会のご案内のパンフレットの確認をする。これから教師を目指す若者。すなわち大学生、非常勤講師、仕事について5年未満の先生を主な対象にして「明日の教室」について考えて行こうという研究会にするつもりだ。

今、大学の新しい校舎の使用願いを出しているので、この許可が下りましたら、正式に告知をしようと思っています。

ご関心のある方、4/14(土)の午後は空けておいて下さいね。30名の定員でスタートするつもりです。

            ◆

今日は、京都教育大学付属小学校で野口先生の講座があったのだが、耳の健康診断・相談会を優先させた。残念ではあるが、そろそろ体のメインテナンスを優先させなければならないかなあと思う私であった。

しかし、そう思う傍から、あれ?風邪引いちゃったかなあ。
明日は大阪で模擬授業ダア。

2007/03/10

「有であるA」と関係のない「有であるB」との中に

芸術家というのは、何もないところに優れたものを作品として提出するというイメージがあるが、それはやっぱり違うなあと今日のワニバレエコンサートを見てしみじみ思った。

いくつもの有を体に溜め込み、その有と有の間にある無、または無関係をつなぎ合わせるものや方法を生み出す、その部分が常人には考えつかないものや方法であるが故に、芸術家とか天才とか言われるのだろうと思った。

出演者は基本的に全員キーボードが使える。歌手であろうとパーカッショニストであろうと関係ない。だから、一見関係のないハチャメチャなことをしているのにもかかわらず、つながれるのである。

            ◆

「職人にもなれないやつが、芸術家になれるか」
と言ったのはピカソだったか。まず基礎的な技術がなければならない。そして、その先だか、上だか、はたまた別次元だかに芸術が生まれる。

今日のコンサートを作る様子を見ていても、圧倒的な音楽のスキル、センスを芸術家は持っている。その圧倒的なものをベースにして、子どもたちの事実を並べ、つなげて行く。関係のないものではあるが、見る人が見ればそこに繋がりがあるのである。

この見る人に、教師はなる必要があると感じている。

            ◆

子どもたちは、目の前でさまざまなことをするが、これは三つのことを示している。

1)教師の目に見えること。
2)教師の目に見えているはずなのだが、見えていないこと。
3)教師の目に見えないはずなのだが、教師に見えていること。

一般的には、経験の少ない教師ほど、子どもからは1)しか感じることができない。または2)であることも多い。だが、教師は3)に成長する必要がある。3)はまた、表出している子どもの姿から、表現に導き出す指導にも繋がって行くと思われる。

            ◆

では、どうやってこの「有であるA」と関係のない「有であるB」との中に関係性を見つけて、それを教育の文脈の中に位置づける力を身につけたら良いのであろうか。

(これについてのレッスンは、どうするのだろうか?)

と考えながらコンサートの後半戦は見ていた。
すんません、そういうことを考えはじめると止まらないのですf(^^;。

で、分かりました。
うーん、来年度、授業でやるぞ。

            ◆

エキサイティングなコンサートでした。

2007/03/09

「カレー作りませんか?」

午前は入試の採点。思ったよりも早く終わったので、いろいろと調整をして糸井先生の小学校に出かけることにした。http://susumu.exblog.jp/5165617/に案内があるものだ。

明日が本番ということ。ならば、今日はゲネプロかと思いきや、まだ作り出している段階であった。これが凄かった。

小学校4年生の二クラスが、ワニバレエコンサートを作り上げるのだが、今日見たのは5、6時間目の練習。以下、箇条書きで。

1)子どもたちをあたためるのに、30分もかけていた。
2)子どもたちが暖まると、その上を行く切り返しで進んで行く。
3)「静かに!」を言わない。
4)いくつもの小集団が一見無関係に動いているのを捌く。
5)授業後の音楽。

            ◆

特にすごいとおもったのが、4)と5)だ。

4)はどういうことかというと、二クラスが一つの授業を受けているのだが、子どもたちはさまざまなことをしている。段ボールハウスの中に入るもの、机の下に隠れるもの、机の上に乗るもの。もちろん、音楽に合わせて歌ったり、踊ったりもする子どももいる。

これらの子どもたちは、一見バラバラに見えながら、実はギリギリのところでリンクしている。そのリンクは、子どもが大人を信頼していることで成り立つ、リンクだ。それが証拠に関係ないことをしているように見えて、リズムはきちんと追いかけている。なんか、猫が耳だけをご主人の方向に向けて反応しているようにも見える。

ここで「静かにして」とか「こら、関係ないことをして」と言ってしまうと、この流れで作って来た音楽劇は崩壊してしまう。それを目に入れながら、一つの流れを作り出して行く展開であった。

これは非常に難しい導き方だと思う。それをギリギリのところでやっていた。

5)がどういうことかというと、6時間目の授業が終わった時に、バラバラと子どもたちが教室に帰って行くのだが、前にある楽団が使っていた楽器をどんどんいじり回すのだ。これが本当に凄くいじり回すのだ。音楽の先生が見たら
「やめてーーーーーーー!!×15」
と言うぐらいいじり回すのだ。

それはいかん、と大人は思うが、もし自分が子どもだったらやってみたいことをする。はっきり言って羨ましいf(^^;。そして、楽団のメンバーは、その子どもたちの音を広いながら即興で楽曲に仕上げて行く。教室の後ろにいた子どもたちが、この時間は真っ先に楽器に飛びつき、楽しそうに戯れていた。この参加ぐあいが良い。

突然のお客さんということで子どもとの距離を比較的遠目に取っていたわたしも、この時間はもう体を楽にして、その楽曲に体を乗せてふらふらして遊んだ。こういうのが良いんだよな。

なんというかパレードが去って行く時の切なさが、授業の後の15分に残るような感じであった。

            ◆

その後、楽団は体育館で明日のリハーサルをする。しばらく見ていたのだが、糸井先生が
「カレー作りませんか?」
というよく分けのわからないお誘いをして下さる.楽団の夕食を作るというのだ。そうこちゃくっちゃ(^^)。私は野菜カレーを担当する。そうであるなら、マイ包丁持って行ったのに(^^)。

皆さんに食べて頂き、私はこれで失礼した。
明日のコンサートが楽しみである。

2007/03/08

事実の記録から

食事をブログに公開して、ダイエットするというダイエット日記があるじゃないですか。なんか最近の私は耳鳴り日記に鳴って、ちがう、なっていますね。

ためしてガッテンのHPを見たら日本人の4人に1人は耳鳴りを持っているとか。それなら、私が書いていれば誰かの役に立つかなと思いますね。ご同病の方、頑張りましょうね。

            ◆

で、これでも研究者の端くれですから、現象の記録をエクセルにすることにしました。耳鳴りには高音、中音、低音と三種類があるのですが、私は低音はありません。低音の方が治りやすく高音の方が治りにくいとか。うーむ。

で、高音が響くとこれは結構辛い。冷蔵庫が頑張って活躍する音に混じって蝉が一斉に鳴き出し、時には秋の虫の音も混じると言う様相を呈します。

ところが、これらの音が単独で聞こえたり、それぞれが小さーくなるときもあるのです。どういう状況の時にこれらの症状になるのかを記録しておき、対応を考えてみようと思います。事実の記録から対策を考える。

うーむ、目的ができると耳鳴りも意味を持つぞ。
を、なんで今は音が変わったんだ。私の何が変わったんだ?と考えるのは、面白いかもしれません。うーん、学者っぽいf(^^;。

脳天気に産み、育ててくれた親に感謝。そして、育ってしまった私にも感謝です。もちろん、支えてくれている奥さんや、みなさんにもです。

            ◆

本日は本学の最終入試日でしたが、静養させてもらっていました。ありがたいです。で、夕方に鳴って(だから、なってだって。もうそちらで学習しているのね、ことえり)大学に出向き、3/14に行う大学のFD学習会についての打ち合わせをしました。

なんと授業方法の基礎基本について、本学の先生にお話をしなければならないのです。60分の持ち時間で、30分がお話、30分がワークショップです。これは大変なことです。

ですが、教育方法を教えているのですから、逃げるわけにも行きません。何かおかしなことがあったら、FD担当のT川さんの責任ですf(^^;。T川さんよろしくね。

            ◆

さて、今日もきちんと寝ましょう。

2007/03/07

Isn't She Lovely

あれ? 耳鳴りが弱くなった?
流石に一ヶ月ぐらい鳴り続けているので、あの音に慣れてしまって来ているのか音がある程度あってもそんなもんだと思うように体が慣れて来ているのかもしれない。

いや待てよ。
でも、明らかに高音の響きが違うよな。

今日の耳の検査では、明らかに出ないかもしれないが、不快感は減じられているぞ。
昨日の整体で効果が出たか?

            ◆

しかし、活動を始めるともとに戻ってしまうなあ。
一週間続けた点滴でも、耳鳴りは取れない。
がっくし。

しかし、さらに待てよ。
ということは、まだ症状が悪いままで固定されていないということだ。可塑性があるということは、治る可能性もあるということだ。

うしゃあ、落込んでいる場合ではない。

            ◆

仕事の調整をあちこちにお願いして、さらに新しい病院に行く。セカンドオピニオンを貰うためだ。1時間30分かかってたどり着いたら、
「2時間は、お待ち頂きます」
とさらりと笑顔で言われてしまった。
はい、この花粉症の時期はそうでしょうね。人気のある耳鼻科はそうでしょうね。待ちます。これは読書量は増えますねえ。

            ◆

セカンドオピニオンで、勇気もらう。まったく気弱い私であることよ。
「まだ治療は始まったばかりだからね。初期の治療はオーソドックスにきちんとやっているし、効果もでているわけだからね。半年ぐらいまずはその薬を飲みながら様子を見るのがいいと思うよ」
うーし。

あと一カ所、病院に行って最終的な方針を決めよう。

            ◆

病院から帰る車の中で、ipodをかけた。
参った。突然、S.ワンダーの「Isn't She Lovely」が流れた。

目の見えない彼が、愛娘のことを歌った歌だ。
見えない彼が、娘は可愛いだろうと自慢する。
(チクショウ、いま多少聞こえなくたってなんだい。がんばるぞ。これからだい)

さあ、ゆったりと寝よう。

3/26 授業づくりネットワーク2007春

春休みの講座です。
今回は久しぶりに国語の教師に戻りますf(^^;。
ネットワークでは、ディベートか生徒指導の講座が続いていましたからね。
行事の後に担任が生徒に書かせる作文の指導方法について行います。

もちろん、私のではない講座にご参加頂いても結構です。
私も出たい講座がありますし。

会場の成蹊大学は、井の頭講演のある吉祥寺にあります。
満開の桜の頃でしょう。

お待ちしております。

            ◆

授業づくりネットワーク2007春

 「授業成立の基礎技術」
 〜学ぶ「からだ」を育てるワークショップ20〜

  主催 NPO法人「授業づくりネットワーク」
  後援 東京都教育委員会(予定)
     武蔵野市教育委員会(予定)

 「安定した草原」から「不安定な湿地」へ、現在の教育現場は大
きな変化の途上にあります。その変化の中で、子どもたちの私語・
立ち歩きなどが発生し、授業が成立しにくい状況が増えてきていま
す。
 この現状を乗り越えるための提言として、上條晴夫(教育研究団
体「授業づくりネットワーク」理事長)は、次の二つの方向性があ
ることを指摘しています。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃A:統率・規律を重視して学力をつけていく。    ┃
┃B:発見・表現を重視して学びを紡いでいく。 ┃
┃(「いまこそ表現の授業に注目を!〜岩下修氏に聞く〜」 ┃
┃ 『授業づくりネットワーク』2007年1月号) ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 このうち「発見・表現」を重視した授業を学ぶ機会を作りたいと
考えました。「学びからの逃走」「腰の引けた状態」にある子ども
たちに対して、なによりも、学ぶ「からだ」を育てること、そのた
めの表現教育が必要です。いま、授業を成立させる大きな鍵を「発
見・表現」の授業がにぎっていると考えました。
 以上の認識をもとに、表現の授業を中心にして「授業成立の基礎
技術」を考える講座を集めてみました。20講座の中から、お好きな
ワークショップを体験していただきます。ぜひ、ふるってご参加く
ださい。

■日時 3月26日(月) 10時〜16時30分(受付は9時30分から)

■会場  成蹊大学8号館
 http://www.seikei.ac.jp/university/
 東京都武蔵野市吉祥寺北町3-3-1
 〈アクセス〉
  JR中央線・総武線(東京メトロ東西線)・京王井の頭線
  吉祥寺駅下車
  ・吉祥寺駅北口バスのりば1・2番より関東バスで約5分
   成蹊学園前下車
  ・吉祥寺駅より徒歩約15分

■日程
9:30〜10:00 受付

10:00〜10:20 講演「いまこそ表現の授業に注目を!」
 講師:上條晴夫(東北福祉大学)

10:30〜12:30 「授業成立の基礎技術」ワークショップ1
A:フリートークで語り合う関係をつくる
 講師:桂聖(筑波大学附属小学校)
B:体験作文の指導法入門
  〜担任として、遠足などの行事後にどう書かせるか〜
 講師:池田修(京都橘大学)
C:子どもの発見と表現を引き出す読書へのアニマシオン
 講師:黒木秀子(アニマドール)
D:授業改善のためのハンズオン・マス
 講師:坪田耕三(筑波大学附属小学校)
E:安心して表現できるプロジェクト・アドベンチャー
 講師:高久啓吾(神奈川・寒川町立一之宮小学校)
F:みんなで楽しむ劇あそび・表現あそび
 講師:林久博(成蹊小学校)
G:教師のための勇気づけワークショップ
  〜子どもとのよりよい関係の構築のために〜
 講師:赤坂真二(新潟・新潟市立曽野木小学校)

12:30〜13:30 昼食

13:30〜16:30 「授業成立の基礎技術」ワークショップ2
H:朗読・群読で子どもたちと教室を活性化
 講師:高橋俊三(前群馬大学、NPO日本朗読文化協会顧問)
I:音楽を「からだ」いっぱいに感じさせる授業
 講師:高倉弘光(筑波大学附属小学校)
J:子どもの表現を促すフェルトワーク
 講師:清水千絵(フェルト作家)
K:コミュニティ・ダンスに学ぶ身体表現
 講師:南村千里
    (コミュニティ・ダンス講師、振付家、ダンサー)
L:インプロゲームに学ぶ身体表現
 講師:絹川友梨
    (インプロワークス代表、俳優、インプロバイザー)

13:30〜14:50 「授業成立の基礎技術」ワークショップ3
15:10〜16:30 「授業成立の基礎技術」ワークショップ4
M・Q:聞く力を育てる国語科ワークショップ型授業
 講師:鈴木啓司(千葉・浦安市立見明川小学校)
N・R:子どもたちが喜び力がつく算数指導
 講師:竹松克昌(神奈川・茅ヶ崎市立緑が浜小学校)
O・S:子どもたちをやる気にさせる
     理科ミニネタベストコレクション
 講師:土作彰(奈良・広陵町立広陵西小学校)
P・T:楽しく思考力が身につく
     小学校社会科ワークショップ型授業
 講師:阿部隆幸(福島・大玉村立大山小学校)

17:00〜19:00 懇親会(希望者のみ)

【参加費】
 一般   3000円
 会員   2500円
 一般学生 2000円
 会員学生 1500円

【懇親会費】
 3500円(希望者のみ)

●申し込み方法
 下記についてHP、Eメール、郵便、FAXでご連絡ください。
  (1)氏名
  (2)一般・会員・一般学生・会員学生の別
  (3)〒・住所
  (4)電話・FAX番号
  (5)Eメールアドレス
  (6)勤務先名
  (7)希望するワークショップ
    10:30〜12:30 1(A〜Gを選択):(  )
    13:30〜16:30 2(H〜Lを選択):(  )
    または
    13:30〜14:50 3(M〜Pを選択):(  )
    15:10〜16:30 4(Q〜Tを選択):(  )
  (8)懇親会参加の有無
 *参加費、懇親会費は当日払いです。
 *当日受付も行いますが、希望する講座に参加できない場合もあ
  ります。(各講座の定員30名前後)
 *各講座の詳しい内容は次のアドレスをご覧ください。
  http://www.jugyo.jp/nw2007haru/
 *申し込み後、連絡が全くない場合はトラブルが予想されます。
  恐れ入りますが、再度ご連絡ください。

●申し込み先
 (HPの場合)
  http://www.jugyo.jp/nw2007haru/
 (Eメールの場合)
  nw2007haru@jugyo.jp
 (郵便・FAXの場合)
  〒162-0814 東京都新宿区新小川町6-12
         授業づくりネットワーク事務局
  TEL&FAX 03-3269-3715

2007/03/06

『鴨川ホルモー』

ふう、あと一日で一週間の再点滴も終わる。
今日はその後、整体の先生のところに行って体の調子も整えてもらった。血流を整えれば少し良くなるのではないかと思ってである。体は軽くなったが、耳はねえ。明日も検査の結果は良くないんだろうなあ。

            ◆

再点滴は血管を広げる点滴で、実は痛い。腕を締め付けられるような、内側から広げられるような痛さが2時間ある。
痛いのと怖いのと詰まらないのが私は苦手である。もちろん、下らない、下品も苦手だが、ちょっと下品は嫌いではないf(^^;。

まあいい、だから、早起きして点滴中は寝ているようにしているのだが、今日は普通に起きたので寝られなかった。

そこで『鴨川ホルモー』(万城目学 産業編集センター)を読みながら点滴の時間を過ごした。京都の大学生たちが主人公で、出てくる土地の名前も馴染みになったものが多い。三国志や安倍晴明などの陰陽道の世界を使って描かれているのだが、これが面白く読むことができる。鬼や式神を使って大学生が戦争ごっこをするのだが、きちんと青春小説になっている。

さらに、その時々に出てくるギャグが、私の世代のネタであることが多く、うっかり笑ってしまう。そしたら、
「大丈夫ですか?」
と看護婦さん(やっぱり看護婦さんのほうがいいなあ)が、声をかけて来て
「なんだ、本で笑っていたんですか?」
と言われてしまった。

すんません、変な心配をさせて。

            ◆

合唱コンクールで子どもたちによく話した言葉は、

『努力すれば勝てると思っていたか? 努力したって負ける時は負ける。努力すれば必ず勝てるではない。努力すれば勝てることもあるだ。ただし、勝った奴は必ず努力しているんだな。だから努力するんだ』

ということである。
まさに、今の自分に言い聞かせている言葉である。治った人は必ず努力をしているはずである。

『鴨川ホルモー』を読み終えた今、ちょっと清々しい思いになっている。
京都にいる学生諸君、読んでみると良いかもよ。

さあ、私も、ふぁいと、おー!である。

2007/03/05

『パパとムスメの7日間』

『パパとムスメの7日間』(五十嵐貴久 朝日新聞社)を読み終えた。久しぶりに楽しみの読書である。後半は、まあ、予想通りであった。五十嵐さんの『1985年の奇跡』に見られたどんでん返しは、さほどでもなかった。でも、それがまあそれで良かったりもする。安心して読めた感じだ。

私と同じ世代の父親で高校生の娘がいる人が読んだら、泣いちゃうかもしれない。今の高校生も今の高校生なりに、いや私たちの世代よりも大変なんだろうなあと改めて思うことも多かった。

もし、神がいて、
「青春時代に戻りたいか?」と問われれば、
私は
「もう十分です、勘弁してください」
と答えるはずだ。まあ、青春は恥ずかしく面倒くさいからねえ。
だけど、こんな風に七日間ならいいかもなあと思った。

そうか、今度一週間だけ自主的に高校生に戻るなんてプランを立てて、高校時代にやっていたような生活してみるってのもおもしろいかもしれない。今の高校生をやってもいいし、あのときの高校生でもいいなあ。

2007/03/04

思考のための文房具

遅ればせながら、インターネットをAirMacに変えた。ベースステーションは新型ではなく旧型。有線の接続もできた方が良いし、まだインテルMacではないのでこちらにした。

まあ、便利だ。
折角のノート型のMacなのだから欲しいなあとは思っていたのだが、なんとなく使ってなかった。年度末のMac調整を受けて、PCにはカードを入れてベースステーションも設置して目出たく開通であった。早さも十分。

それにしても、Macの設定って本当に簡単だな。インターネットは使いはじめればほとんど考える必要もないが、設定だけは面倒くさいというのが私の感覚であった。しかし、設定アシスタントが、本当にアシスタントをしてくれるのでパスワードを決めるぐらいしかやることはない。

この快適さを手に入れてしまったら、もう戻れないなあ。ますます「思考のための文房具」になっていく私のMacであった。ちょっと遅いスタートだけどf(^^;。

春は曙

P3020058_2


矢橋帰帆島(ヤバセキハントウ)染める曙の光です。
画像をクリックすると、大きくなるはずです。
ご鑑賞ください。

このまま春か

一進一退とはこのことである。

朝は割といいのだが、時間が経つと音が高音域で鳴るようになる。点滴を打ち、薬を飲む。他にもインターネットで手に入れた情報や何やらをあわせてやっている。心なしか聞こえる音域は増えてきていると思うのだが、いかんせん耳鳴りがね。

さあ、新学期までには何とかするぞ。

            ◆

病院での点滴、今のものは筋肉の痛みを副作用に持つため、時間をかけて行う。だいたい二時間ぐらいだ。事前にトイレに行って、椅子かベッドに体を預ける。いまの病院のベッドは狭いので椅子があれば椅子にする。

今日は日曜日だったため、空いている。椅子に腰掛けて本を取り出す。

こう見えても私は計画性がある。二時間も点滴でホゲーッとするのはつらいので、朝は早起きをしている。こうすることで点滴の最中に寝ることができる。さらに、本も用意している。

昨日読んでいたのは、小浜逸郎さんの『人はなぜ死ななければならないのか』である。小浜さんの「なぜ〜?」シリーズの三冊目で、いつも通りにかって読んでいたのだが、どうも視線が痛い。さすがに病院で、しかも点滴を受けながらこの本を読むのはかなりブラックである。やっぱり計画生はないか。半分ぐらいまで読んだのだが、今日は続きを読むのはやめた。

今日の本は久しぶりに楽しみの読書。『パパとムスメの7日間』(五十嵐貴久 朝日新聞社)。前半まで読み終わる。前半は『転校生』と同じような展開。後半もこのままであったら許さないが、まさか『1985年の奇跡』『ロケットボーイズ』の五十嵐さんが、このまま終わるはずはないだろうと思いながら、読み進めた。さて、どうなるかな。

            ◆

大学に立ち寄って、薬を飲む。研究室にいくつか置いてあったので、昼ご飯の後の薬を飲みに立ち寄る。

大学は人もいない。その中で春が確実にやって来ているのを感じる。早いなあ、今年の春は。

            ◆

家に帰ったら第62回びわ湖毎日マラソンのゴールの時間が近いことが分かる。慌てて奥さんと一緒に、見物に出かける。Biwakoma


いやあ、暑い。半袖のTシャツで良いだろう。この条件でマラソンはきついなあと思っていたら、結構途中リタイヤをしている選手が出たそうだ。分かるよ。見ているのは良いけど、これを走るのはねえ。

            ◆

表彰式まで見た後、近くの公演まで散歩。
いつも161号バイパスに行く途中に見る満開の梅が気になっていたので、近くで見ようと皇子山をダラダラと登って行く。

近くで見てみたら、なんと、桜であった。なんとも信じられない光景。Sakura

梅も満開であったが、馬酔木も満開。おい、馬酔木って五月の花じゃなかったか?

これはやっぱりおかしい。おかしいが、きれいなので鑑賞する。うーむ。

            ◆

夕食を食べに大津の方に出かけて行った。が、もうほとんど「春宵一刻値千金」の言葉通りで、夜桜見物のころよりも暖かであった。満月が出ていた。

もう、このまま春なのだろうか。

メインテナンス完了

年度末ということで、メインPCのメインテナンスをしていたのだが、昨日やっと完了。塩沢さんのブログにあったものを参考にして、さらにいまアメリカにいるご本人までメールを出して確認して返事を頂いて、完了した。ありがたいことだ。

御陰さまでHDを増設し、ほぼ同じ環境で動いている。いくつかのソフトが動かないのは痛いなあ。今まであったソフトを削除し、新しくソフトをインストールしようとするも「操作をすることができません。なにもインストールできません」のようなアラートが出る。

慌ててそのソフトの名前で検索し、関係ありそうなファイルをすべて捨てて再起動してやるのだが、何回やっても同じ結果。ふーむ。まあ、本業務に使うソフトではないので、しばらく様子を見ることにしよう。

            ◆

本日は、第62回びわ湖毎日マラソンがある。皇子が丘陸上競技場をスタートするのだが、これが私のいまの家のすぐ近くである。

耳と鼻の調子が良かったら、ゴールの瞬間でも競技場まで見に行こうかな。みなさんもお時間があれば、テレビでご覧下さい。私の生活圏の一部があらわになりますf(^^;。

2007/03/03

『新卒教師時代を生き抜く 心得術60 ーやんちゃを味方にする日々の戦略ー』

『新卒教師時代を生き抜く 心得術60 ーやんちゃを味方にする日々の戦略ー』(野中信行 明治図書)を読んだ。

北海道の堀さんは、野中先生の一冊目を読んで感動のあまり北海道から横浜まで出向き、
「野中さん、世の中に出てくるのが15年遅い!」
と叫んだとか、叫ばなかったとか。
この気持ちはとてもよく分かる。
ではあるが、雌伏15年であったればこそ、雄飛の本著があるとも言える。

ご自身の失敗談をエピソードに盛り込みながら、単にテクニックだけではなく担任教師としての、社会人としての哲学にまで触れられている。「人生の大事なことは半泣きしながら身につけるものだ」と山田先生@学芸大学は言われるが、この言葉を思い出す。

1)失敗するパターン
2)どうしたらいいか
3)さらによくするにはどうしたらいいか

のフォーマットで60のトピックを纏められている。
非常に読みやすい本である。

この春から小中学校の教師になる学生、非常勤講師の先生たち。ラッキーだなあ。この本があるんだもん。

もちろん、「人生の大事なことは半泣きしながら身につけるものだ」から、あなたも半泣きしないとこの本の本当の良さは分からないかもしれない。でも、スタートを切るまでにあと一ヶ月ある。まずは、熟読だ。そして、職員室の引き出しの中に入れておこう。この本のすごさが分かるはずだ。

学級は始まってから三日で一年間の方向がほぼ決まることが多い。教師という仕事は四十年近くやるのだが、実は最初の三年でその方向がほぼ決まる。変な癖を身につけず、先達が半泣きしながら身につけた「日々の戦略」をありがたくいただこう。定価は?2000円? 安っすいなあ。

私の仕事は、野中先生がここに纏められた「日々の戦略」をレッスンに落とし込んでいくことだな。
野中先生、相談させてください。よろしくお願いします。

2007/03/02

明日も楽しみな一日に

野中先生から新著を頂いた。
『新卒教師時代を生き抜く 心得術60 ーやんちゃを味方にする日々の戦略ー』(野中信行 明治図書)
三部作の最後の本である。

前書きには私のつぶやきも収録されていて、ちょっと恥ずかしいが、いやあ、これは良い本だ。

まだ全部は読めていないが、明日、読み切れるはずだ。
明日も楽しみな一日になりそうだ。

『なぜ勉強させるのか? 教育再生を根本から考える』

『なぜ勉強させるのか? 教育再生を根本から考える』(諏訪哲二 光文社新書)を読む。
点滴を受けながら読み、研究室にこもりながら読む。
良かった。

教育再生を学力向上にだけ求める現在の政策や風潮を批判し、なぜ勉強をしなければならないのかを語っている本である。私がスマップの『世界に一つだけの花』を受け入れることができない理由も、改めてよく分かった。

諏訪氏はもちろんあの名著『オレ様化する子どもたち』の著者である。かの本では日本の子供たちが1975年を境に、農業社会化、産業社会化の先にある消費社会化に突入した近代日本を生きていることを前提に、学校教育の現状を説いた本である。本書は現状の教育改革の政策、アイディア、指導方法、風潮に批判的な検討を加えて、その先の世界を提示していく。

批判の対象とされているものは、多岐にわたる。たとえば、お受験キッズ誌、学校と塾の関係、ゆとりの教育(これは擁護)、陰山メソッド、親野智可等、Tossなどにも触れ、どこに問題があるのかを丁寧に説明する。

圧巻は、最後にある「エピローグ」である。このエピローグのために本書はあるといってもいいかもしれない。本書の最後にある7pを楽しみに読み進めるのが良い。できれば、声に出して読むといい。諏訪氏の語りが聞こえてくる。「この私」と「人類」との関係から勉強するとはどういう営みなのかを語っているのが分かるであろう。

本書と対話しながら読むことができたおかげで、私もかなり自分の意見をすっきりとまとめることができた。そして、教育ということ、学校教育ということ、親ということの難しさとやりがいを改めて感じることができた。

感謝したい。

2007/03/01

年度末は

病院を変更して、新たな治療を受けることにする。
これから一週間毎日二時間の点滴を受ける。
スケジュールを調整しつつ行きましょう。

            ◆

私の体もそうだだが、Macの調子も整えてあげよう。
HDを取り替えて増設し、もともとのものをケースに入れてバックアップ用にする。
カードを入れて無線対応にするなどなど。

OS9で動く最後のMacなので、それはそれで使いやすくしておこうという思いである。明日、本格的にセットアップである。

            ◆

研究室には、新しい研究室に引っ越しをするための段ボールが届き始めた。
研究室の本を、ここに詰め込む作業が待っている。
ふう。

            ◆

年度末は、いろいろと整える日々である。

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