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2007/05/01

授業の感想に答える13から20

なんだか半分意地になってきていますが、まだ書き続けます。

S1 生徒に見えるように書くポイントが分かってきました。今日、文章を前で書いたとき、まず間違えて写してしまった時点で論外なのですが、字のバランスの悪さと速さが特に気にしなければいけないポイントだと思いました。また、生徒への意識と板書の意識を6:4にしなさいというのも、板書がしっかりしていない今の段階では、どちらもできなくなってしまう可能性が大きいので、とにかく板書の練習はどんどんするのみだと思います。
それから、板書について質問があります。前回の詩の板書などのとき、私は「詩の一行を分けて書いてはいけない」と思って書きました。でも、一行をそのまま黒板に書いてしまうと、文字を下まで書くことになるので、生徒からは見えないと思います。こういった場合、どうしたらいいのでしょうか?

T 良い質問です。
来週授業中に質問し直してください。その答えは教室でやらないとやりにくいので、そこでやります。
そのとき質問がなければ、スルーします。

S2 今日の『走れメロス』の板書は、この前課題で板書したときと違って、後ろに何人もの人がいるんだ…という緊張感や、一番後ろの人までこの字で見えるのかな?と心配になりながら書きました。
そんな緊張感から、6:4の視線のことをすっかり忘れてしまっていて、実際の場面になったら、わかっていてもできなくなったしまうんだなと実感しました。
また、『話す技術』の中の、「話さない」というのは、私も生徒として前にいる先生が5秒も黙ったら、あれ?と思い、つい自分のしていたことを辞めて、先生の方を見てしまうと思った。それによって、生徒を自分に集中させるというのは、すごく活用的な方法だと思いました。 
生徒に自分でまとめる力をつけさせるために、「今日は、授業内容のキーワードだけ言っていくので、自分なりにまとめてみましょう。」と話し、まずは内容を生徒にまとめさせる。後日板書としてまとめたプリントをしっかり配布する。という授業をたまに行ったら、自分でまとめるという力が少しづつついていくと思いました。

T とても良い学びをしましたね。「分かると出来るは違う」ということを理解したことです。この差を埋めるのがトレーニングなんです。簡単に言うと練習ですね。教師はつい、
「分かったのなら何で出来ないの!」
と言いたくなるのですが、分かったって出来ないのが子どもです。いや、むしろ分かったことをちゃんとやろうとして失敗するのが子どもです。そんな子どもの前に立った時
「こら!」
という貴方が
(そうそう、そういうこともあるよね。これから鍛えるからちゃんと付いてらっしゃい)
という温かい目で見ているのか
(なんでこの子は分からないの)
という目で見ているかでは全く違います。
繰り返します。「分かると出来るは違う」。そして、その差を埋めるのがトレーニングであり、教師の指導なのです。

S3 今までの経験の中で板書をするのは限られた時しかなかった。チョークに種類があること、メモに種類があること、何気なく受けてきた授業に隠された技術をしっかり身につけたい。
私は教育実習に行くんだという意識をもう一度高め、練習に励みます。

T 物事には目的があり、目的があればそれを達成しようとする方法があります。良い授業をしたいと思えば、それを行うためにいろいろと工夫するわけです。その一つが板書であり、チョークであるのです。あれこれと工夫してみてください。

S4 『5秒間黙る』だけで、重苦しい雰囲気が流れ、威圧感がありました。
実際の授業でも先生が話さなくなった瞬間、生徒が黙るということは多々あるのでなるほどな、と感じました。
板書については去年はほとんどできなかった6:4の構えを意識してやりたいと感じました。
教育実習まであまり時間がありませんが、何度も何度も練習して、早く正確に書けることを目指します。

T 教師が黙ると子どもも黙り、いろいろと考えるものです。それも大事なんですね。しかし、教師はなかなか黙れない。空白、沈黙の時間が怖いのは教師なのかもしれません。黙るに挑戦してみることをお勧めします。

S5   今日の授業の中で一番印象に残っているのは、「分からない事を分からないと言う」ということです。先生も人間です。知らないことがあって当然だと思います。その「分からない」ことを「分からない」と生徒に向かって言えないことは、勇気がない自分自身の責任だと思います。
 重要なことは、「分からない」というその状況で、生徒に対してどう対応するかにあると思います。池田先生がおっしゃったように、「先生も分からないから次回までの先生の宿題な」と言い、「分からない」で済ませるのではなく、何らかの対応を教師側がするということです。
 その様に対処することは、生徒の不満を解決し、知識習得にもつながります。大切なことは、生徒に何を伝えるかということです。このことをつねに念頭に置きながら、これからの授業に望みたいと思います。

T 子どもたちは、学ぼうと努力を続けている先生たちは、受け入れます。成長するのが仕事である子どもたちは、成長に憧れています。成長し続けようとする先生を尊敬します。言葉では上手く言えない子どもも居ますが、そうなんです。先生にもわからないことがある。そして、その先生も学んでいる。学ぶ姿を見せることが、子どもの指導にはとても大事なんです。

S6 今日の授業で一番印象に残ったのは「話さない技術」と「書かない技術」のことでした。
今まで授業を受ける立場でいた時は、どうして先生はきちんと書いてくれないのだろう、急に黙ってしまうのだろう、と不満と疑問に思っていました。
しかし、それが実は私たちのためを思っての技術だということを知り、驚くとともに、教師というのは本当に一歩以上の先を読んで物事を進めているのだ、ということを知ることができたように思います。
他にも、板書する時の立ち位置や、視線の位置、チョークの種類についても、教える側に立とうとして改めて気付かされることばかりでした。
今後どんどん増えていくであろう、そういった事柄をひとつひとつきちんと身に付けていきたいと思います。

S7 今日の授業で、先生がXXXXXXXXXXXXXXX(注:一子相伝の技のため、非公開)のにはびっくりしました。こんな風に生徒を驚かせ、楽しませて引き付けるやり方は、すごいし、真似出来たらなと思いました。
また、板書は立ち位置や文字の大きさ、書く速さなど、色んな事に気をつけてしなければいけないのだなと分かりました。

T 子どもの状態、授業の目的、教師の指導力の力量によって授業はさまざまに変化します。だから、いろいろな技術、いろいろな道具を持っていることは大事だと思います。教室の教卓の向こう側とこちら側では、おなじ教室でも全く違うんですね。

S8 あんなに太いチョークを見たのは初めてでした!
もちろんXXXXXXXXXXXXXXX(注:一子相伝の技のため、非公開)先生を見たのも初めてです。
チョークに補助軸をつけて、書かれる先生はよくいらっしゃったのですが、チョークに種類があり、用途も違うなんて考えてもいないことでした。

教師になったら黒板全面に読みにくい自分の字が並ぶのかと思うと、今のままではだめだと感じます。
今日も早速、練習していましたが、なかなか思うように書けず、消してばかりです。
練習中に先生からアドバイスをいただいたので、心がけながら練習して、着実に上手くなりたいと思います。

S9 今日、『走れメロス』の板書をみていて、書き順が気になりました。
どの書き順が正しいのかわからなくなるのです。
それは、自分の書いている文字に自信が持てていないのではないかと感じました。
自分のやることには自信を持ちたいと思います。
そのために必要な努力は惜しまずに実行したいです。

T 「天才ほど努力をする」「自分に才能のあると分かっているものほど、自分を磨く」という言葉があります。悔しいけど事実です。天才が年間に100冊本を読むのであれば、私のような凡才は150冊、200冊と読まなければ太刀打ちできないと思うようになったのが、大学三年生の頃でしょうか。
いまその時の天才を上回るような私になっているかどうかと問われれば、疑問です。しかし、あの時の私と今の自分を比べてどちらが成長しているかと言えば、今の私だと言えます。
天才であれば努力をしています。ということは、努力をしていない人は天才ではないということかもしれません。であれば、天才になりましょうw。

S11 今日の授業で特に印象に残ったのは「老人ホームにいる老人は二種類の人間に分かれる」という話です。
子供の大人を見る観察力の鋭さに本当に驚きました。それと同時に自分は今、笑っている人間なのか怒っている人間なのか考えさせられました。明るく前向きに失敗をおそれず笑って生きていける人になりたいと思います。
子供は瞬時に教師の人間性を見抜くということを今回の授業で学び、子供を育てていく教師という仕事のすごさを改めて感じました。

S18 今日和歌を黒板に書いたのですが、自分の席に戻ってみてみると、思っていたより字が小さくて驚きました。これでは後ろの方の席の子が見えないなと感じました。見る側への配慮が欠けていたと反省しました。
また、筆順ですが、和歌を書いているだけで二度も指摘されてしまったので、日頃から気をつけて直していきたいです。生徒を指導することから考えると、最低限当たり前のことは当たり前にできるようになりたいです。
今日の授業で一番印象に残ったことは老人ホームでの『笑って過ごす人・怒って過ごす人』の話しです。ほとんどの人が人生の最後は笑って過ごしたいと願っているのではないでしょうか。ちょっと嫌なことがあっても、次には笑い飛ばすくらいの強さとおおらかさをもって生きていきたいです。人生は楽しく、そして自分に正直に。

T だからなるべく嘘をつかないで済むような生活をすることをお勧めします。子供は教師の失敗は許してくれますが、ウソは嫌います。ウソをついて指導していると、そのうち指導が入らなくなります。

S12 林竹二先生の朝礼の話から(池田注:これは蛭田先生ですね)『プロとは?』という題をもとに、ほんの数分で道徳の授業が出来るなんて池田先生はすごいなぁ…と思いました。ただでさえ国語の授業案を考えるだけでも一苦労だと思うのに、すごいです…。
国語の教師といえども担任を持てばHRもあるし授業以外のところでも生徒に指導する場が山ほどあるだろうし、どんな場面においても対応できる力が必要だとすごく感じました。そしてチョークを飴とかえて生徒を楽しませたりと、ちょっとした工夫で生徒の興味や関心を引き出せるような技なども池田先生の授業からたくさん盗んでいきたいと思いました。

T もちろん、その場で考えたのではなく、そのことを折に触れて考えていたから出来たわけです。義務教育の教師というのはしんどい仕事で、生徒に質問されたらとにかく何かを答えなければならないのです。それは自分の専門と違うとか言い訳は出来ません。そして、その答えは「先生が言ったから正しい」と子どもたちに理解されます。これに耐えられる力量をつけるには、本を読むのが一番だし、読まないでいて教師を続けられる程私は賢くはなかったわけです。

S13 『どのように書くのか』の話で、6:4ということでしたが、実際今日『走れメロス』を板書した際、実行することができませんでした。三分という時間制限に焦っていたのもあり意識できていなかったです。
でも、黒板に全ての視線をむけていると、どうしても自分と黒板だけの世界になってしまい、やはり言われたように書き終わるまでは生徒が取り残されてしまうと感じました。板書をしている間も休憩時間などでなく、授業時間の一部であるということを意識しなければと思いました。

T 一つ、板書をするという行為だけでも授業の中での位置や、授業そのものの重要性が見えてくると思います。授業を受けると、授業をするでは同じ教室にいて同じ時間を過ごすのでも、全く違うということが分かり始めてきたことだと思います。

S14 活下調音が楽しかったです。こんなに口にまわりが疲れるとは思いませんでした。言葉をはっきりと話すことは意識をしないと話せないなぁ、と思いました。普段いかに口にまわりの筋肉を使っていないかということを実感しました。
板書の字の大きさに目安ができたので次から書きやすくなるような気がします。書道という武器が生かせられるよう、チョークが筆のように使えるまでたっぷり練習したいと思います。同時に六四の構えができるように訓練したいと思います。やらなければならない事が多すぎてパニック状態です。
必ずXXXXXXXXXXXXXXX(注:一子相伝の技のため、非公開)ネタを教壇に立ったらやりたいと思います。一気に生徒のアイドルになれそうです。

S17 今日、走れメロスを板書しました。3分という時間内に書くことができなかったし、6:4の構えを意識して書くこともできませんでした。席に戻って自分が書いたものを見たときに、行の歪みや自分の字が読みにくいこともショックでした。早く正確にわかりやすい字が書けるようにこれから本当にたくさん練習が必要だと実感しています。
あと、今日はXXXXXXXXXXXXXXX(注:一子相伝の技のため、非公開)がとても印象的でした。そういうものがあることを初めて知ったし、生徒の前でXXXXXXXXXXXXXXX(注:一子相伝の技のため、非公開)ときの反応がすごく見てみたいと思いました。

T 勘違いしてはなりません。教師が生徒のアイドルになる必要はありません。教師に必要なのはアイドルになることではなく、生徒を指導する力を持つことです。
確かに、XXXXXXXXXXXXXXX(注:一子相伝の技のため、非公開)をしてアイドルになれば指導が通りやすくなるということもあるでしょうが、そんなもの一瞬でなくなります。あっという間に手に入ったものは、あっという間に無くなるのが世の常です。じっくりと身につけたものは急には悪くなりません。
生徒の受けに力点を置いて、自らの指導力を高めることを怠れば、若さが無くなった時に、とても辛いことになります。
君たちがやることは、「濃く太く大きく」字を書き、「適切な声量、活舌、表現」で説明できる声を持ち、つまらないを面白くし、分からないを分かるに、出来ないを出来るに導く指導力を身につけることです。勘違いしてはなりません。

S19 「のど自慢に出演していたご当地歌手」の話が印象的でした。

1対1→全体というように視線と体勢を変化させることで、子どもの注意をひくことができる。池田先生に実演していただいて、納得しました。

自分が中学校や高校で受けてきた授業について、今まで漫然としか考えていませんでしたが、思い返せばそこには実に多くのヒントがあるのだと感じました。

T それが分かれば、学校教育現場に入ってボランティア等をしながら先生方がどのような配慮をしているのかを、少しずつ見ることが出来るようになって行くでしょう。
そして、その次は自分で出来るようになって行くためのトレーニングをすることです。

S15 今日の授業を受けて、板書は本当に難しいものなのだと感じました。
そして学校の先生があんなに細かく気をつかって板書をしているなんてぜんぜん気がつきませんでした。
思い返してみるとほとんどの先生は色分けを二色でしていたし、赤色は使っていませんでした。
様々な人が集まる学校ではあらゆる配慮や気遣いが必要なんですね。
先生の「板書はきれいな字で書かなくてもいい。読みやすい字で書け」という言葉を心がけたいと思います。

T 先生たちは、児童・生徒の個人情報を元にしてさまざまな配慮をしています。それは児童・生徒であるときには分からないのです。なぜならば、その個人情報が他の生徒に伝わることで、虐めが発生したり不利な立場に立たせてしまうことが内容にするために隠すわけです。
だから、教える側に回ると、その気の使い方に驚くことになるでしょう。赤のチョークを使わないなんてのは、ほんの序の口です。

S16 書くにしても、話すにしても、常に相手の気持ちを考慮することが最優先事項なんだと思いました。
授業はただ一時間ずっと先生が講演をする場ではないのだから、「確認」を怠らないことが大切なんですね。
また、あえて「話さない」「書かない」というのは、すごく難しい技術だと思いました。
板書の際の「6:4の構え」も難しそうですが、今回の課題から早速実践してみようと思います。

T 相手の気持ちを考慮するというよりも、現状を確認するというのが正しいかな。いま、指導の対象にいる子どもがどんな状態にあるのかを理解していないと、方針は立てられないし、指導もおかしなものになってしまいます。だから、子どもをよく見て理解することです。

S20 今日の授業ではチョーク一つ、板書の仕方一つでも生徒たちの集中を促す技術、方法があることを知りました。
自分の学生時代を思い返してみても、先生たちは板書の合間、私たちに背を向けていたことはほとんどなく、また背を向けた際には友人と話していたことを覚えています。
6:4の構えは意識が行かないとなかなか出来るものではないと思うので、漢詩を書く際に一度やってみたいです。
友人に先生から頂いたXXXXXXXXXXXXXXX(注:一子相伝の技のため、非公開)何だか変な感じがしました。

T 自分が生徒の時に、どういう先生の授業は集中していて、どういう先生の時はさぼっていたか。それをまず考えてみることです。別に怖い先生だけ集中(ま、この場合は緊張ですが)していたわけではないと思います。怖くない先生で、集中していた授業には何が隠れていたのかを考えてみましょう。

S21 今日の授業で二つのことが印象に残りました。一つ目は視線についてです。先生の目線に注意して見ていました。すると、Z目線になっており常に教室全体を見ていました。そのため、一瞬のあくびも直ぐに注意することができたのだなと思いました。
 また教卓に置いてある、本日の授業の指導内容のプリントを見る際も、顔は下げず、目線だけを下に下ろし一瞬だけ見ていました。私だったらきっとジッと見てしまうだろうと思いました。先生の凄さを垣間見た気がしました。
 二つ目は、声の向かう大きさの加減についてです。先生が声の向かう方向の違いについて実践してくれましたが、私が実践しても先生のようにならないなと思いました。今はまだ講義形式なので、先生が言うことのほとんどが知識として吸収していますが、自分がそれらをできるのかと考えるとまだできないものがほとんどだなと思います。なので、本当の意味で様々な技術・知識を吸収し、実践できるようにしたいと思いました。

T いやあ、出来ていてほっとしていますf(^^;。
この授業が私にとってしんどいのは、
(言っていることとやっていることが違っていたらまずいよなあ)
ということがあるかも知れないことなのです。
この授業では私が出来なかったことも君たちには教えるつもりでいます。オリンピックの選手を育てるコーチは、自分が現役時代に出来なかったことを選手に教えますよね。若者を育てるということは、自分に出来ないことであっても正しいと思ったことは教えるということでもあると私は思っています。ですが、あまりにも出来ないと子供は信じませんからね。
いやあ、良かった良かった。

S22 今日は帰ってから「笑いながら怒る」の表情を鏡を見ながら練習してみました。難しい。確かに難しい。色々試しましたが、何か企んでいるような恐ろしい顔になってしまいます。訓練しなければ…。
 板書については、やはり背の低い人は三脚などが必要なのですね。私は教師が三脚や踏み台などを使って書いたら、生徒たちは冷やかしそうだなと思っていたのですが、先生の「教師が一生懸命であればそんなことはない」という話を聞いてやる気が出てきました。
 読みやすい字で板書する、これから心がけていきたいと思います。

T そう、そうやってまずはやってみることが大事です。やることを強制する教師が、まずは自分がやってみることを習慣づけることが大事です。
「先生の「教師が一生懸命であればそんなことはない」という話を聞いてやる気が出てきました。」とありますが、これは基本的にはその通りです。ですが、中には笑う子供もいるでしょう。そのときは、思い切り怒りなさい。
「真剣にやろうとする人を笑うのは失礼だ」
とね。そこが怒れないと教育は成立しにくくなります。また、
「本人が努力すれば直るところを文句言うのは良いが、本人が努力しても直らないことを茶化すのは、人間として最低だ」
とね。でないと、クラスに真面目が育つ空気ができません。

S23 とても印象に残ったのは『立ち位置』でした。横の席に座る0さんに対し話す先生の位置の違いを見て、全然印象が違いました。又Sさんと話している先生の話し方は、先生もおっしゃっていたように七里さんと話しているのにクラス全体に話しかけているという印象を受けました。実習では少しでも違いを意識して行動していきたいと思います。他にも、Zの視線、全体に届く声を意識したいと思っています。
 『6:4の構え』も意識しないと忘れてしまいそう・・・。学んだことがどこまで実習で出来るかと考えると不安ですが頑張って来たいと思います。

T 課題はたくさん与えた。どーんとやっておいで。

S24 今日の講義を受けて、中学のときに弁論大会の練習中、視線について注意されたことを思い出しました。私は話すときにどこを見て良いのかわからなくて視線がきょろきょろしていました。それでは聞いているほうも落ち着かないし、内容も伝わりにくくなると言われました。
そこで先生から教わった方法が視線をZに動かすと言うことでした。実際にそうしてみると、聞き手がどのような状態で聞いているのかを把握できることができ、とても話しやすかったです。聞いていない人の注意を自分に向ける、というところまではできなかったのですが・・・。
話すということはその人の人間性が出ると言っておられましたが、その通りだと思います。技術ばかりでなく、自分の人間性も磨いていかなくては思いました。

T 「問うに落ちず、語るに落ちる」「うわさ話は、人のうわさ話をしているようでいて、実は噂をしている人の人間性をうわさしているのだ」ということです。厳しいですけど、私もその通りだと思います。

S25 「先生の話を聞く、メモを取る」という作業に慣れてきたせいか、授業がとても楽に感じました。90分の授業も長く感じず、時計を一度も見ることもありませんでした。私にとっておもしろくない授業は、時間が過ぎるのが遅く感じるし、とてもしんどいです。それに比べ、池田先生の授業は自然に集中でき、とても楽で楽しいのです。
私もこのような生徒にとって楽な授業ができたらいいなと思いました。

今日の授業で印象に残ったのは、「正直にわからないことは、わからないという」ということです。でも私はこれを聞いて、自分が「わからない事だらけの先生」になってしまうような気がしました。「わからない」と言う事を避けるためには、自分の持っている知識を増やさなければならないことに気づきました。

黒板の板書はとても難しいです。何回も練習が必要だと思いました。6:4の構えもうまく出来るように意識しながら、課題に取り組もうと思います。

T 教師になりやすい時代に君たちは生まれてきました。教師になるのが夢であれば、その夢は実現しやすい時代です。ですが、残念ながら学校教育現場は私が教師になった教師になりにくかった時代とは比べ物にならないほど厳しくなっています。
もし、君たちが本当に教師になりたいのなら、そして教師として仕事を続けて行きたいのなら、きちんとした基礎的な指導の力を学生時代に身につけなさい。そのための授業です。

S26 XXXXXXXXXXXXXXX(注:一子相伝の技のため、非公開)にとても驚いたのでとても印象に残っています。
板書って簡単そうに見えてけっこう難しいと思いました。チョークの使い方に早く慣れるためにたくさん練習が必要だと思いました。
教師が頑張って喋れば喋るほど子供たちは聞いてくれるのかと思ったけど、逃げていってしまう。しかし5秒ほど話さなかっただけで視線を集めれる。確かに今まで授業を受けてきた中で、先生が喋っていたのに急に話さなくなってしまったら「あれっどうしたんやろ?」と先生の方を向いていました。でも、先生の長い話を聞いているのはつまらないと思うことがありました。前回から学んでいる声の大きさや技術の面を研かないといけないのかなぁと思いました。「声」って難しい。何から何まで難しいことだからだけど、努力していこうと思います。

T 少なくとも国語科教育法1の最初の3回は、多くの大学では扱っていない内容だと思います。教科教育法の内容に入る前に、授業をする教師の体、基礎的な技法を確認しています。分かったらすぐにできるものであれば、教育実習の直前に指導します。しかし、そんな簡単に出来ないから教科教育法の内容の前に説明しています。君たちは実習までにまだ1年あります。1年あればなんとかなる、いや、なんとかしていく時間的な余裕はあるはずです。分かったら、つぎは「できる」あなたに成長してください。

S27 チョークの書き方ひとつにしても教師は注意しなくてはいけないんだなと、教師の仕事の技術の細かさを感じた。この生徒に気づかれない小さな技術の一つ一つが、教師にとって重要な仕事・技術なんだなと思った。
あと、板書で、気になったのが漢字の書き順でした。
私が習った時と、書き順が変更になっているものもあるときいたことがあるので注意しなくてはならないと思った。

T チョークの書き方などは、大したことないと思っている学生諸君が多いと思うのだが、やってみればわかるでしょ、その難しさと重要性が。教育実習に行ったとき、初めて教室に入り、黒板に自分の名前を大きく書く。この間1分間。この1分で
(を、この実習生は何か違うぞ)
と思わせることが出来るのが、板書の字です。
そこが勝負です。

S28 「マッピングメモ」がどんなものなのか、去年の夏期集中講義で教えてもらっていたにも関わらず、今日の今日まですっかり忘れていたことにびっくりしました。今までの三回分の授業、何の疑いもなく箇条書きでメモしていたのですが、次からは真ん中の丸を活用してメモを取ろうと思います。

教師が説明したがり、という話の中にあった「話したがっている生徒を見極める」ことに興味を持ちました。自分も先生に当ててもらいたがりであったり、先生が欲しい答えを考えたりする子どもでした。でもそればかりでは駄目ですよね。
勉強は誰かのためでなく自分のためにするものなはずです。そういうことも子どもに教えていけたらいいなと思います。

T 「勉強は誰かのためでなく自分のためにするものなはずです。」では不足です。これで教えて行くと世の中はますますおかしくなります。私は
『勉強の「できる」諸君。もっともっと勉強をしてください。君には勉強に向いている才能がある。そして、その才能を社会を良くすることに使ってください。君が社会を少しでも良くすることが出来たのなら、君は本当に勉強ができると認めましょう』
と話していました。自分のためだけにする勉強なんて、自己中じゃないですか。自分が生きている社会、これから生まれてくる人類が活躍する社会を良くする。そのための土台を作る。これが勉強の醍醐味でしょう。人間にしか出来ないことです。

とまあ、いろいろと感想に対する私の考えを書いてきているわけである。納得する部分もあるだろうが、違うんではないかと思う部分もあるだろう。それは全く構わない。いや、むしろ違うと思う不部分があるのが当然であろう。それは君たちの若さと私の経験の差であろう。

私は君たちに、
「若者よ、生意気であれ。そして謙虚であれ」
という名言を贈りたい*1 。

だいたいからして10年、20年経験してみてやっと分かることだってある。私が学生時代、または新卒の頃に考えていたことと、今の考えが全く変わってしまったことも珍しくない。
(ああ、見えていなかったなあ)
と思うことだ。

しかし、その一方で小学生の頃に感じていた大人のおかしさ、先生の授業の下手さなどで、いまだに(あれは先生がおかしいだろう)
と思うものもある。

つまり、経験がないと実力がないと見えない世界がある一方で、素のままで感じられることがあるということである。

(んなこと言ったって、池田先生間違えているんじゃないの?)
と思うことがあるのなら、君たちは自分で代案を考え、その考えの元に学問を進めれば良い。それが「生意気であれ」の意味である。

そして、
(でも、ひょっとしたら私が間違っているかも)
と聞く耳を持ってその方向でも学問をしてみる。これが「謙虚であれ」の意味である。

その比率はその人の性格やら、学んできた事柄によって違うのだろうが、どちらも持つことが大事だと私は考えている。

*1 もちろん私の作った名言である。

国語科教育法1、2通信『修学』NO14~NO21より

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