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2007/05/08

授業の感想に答える20から26

続いて、5/1の授業に関する感想への答え。

S1 小学校から今まで授業を受けてきた中でメモを取りながら受けるといったことはした記憶がない。しかし今日メモの意味について学んだことによって今までの授業を少しばかり後悔した。
“記憶ではなく記録”することで私も少しは“頭のいい人”に近づけたかもしれない。以後がんばる。
そして初めて聞いた言葉ではあるがノンリニアというものを大事にしたい。人間が人間であるBig Pointをこれからの世界を生きていく上で最高の武器にしたい。

T ノンリニアの発想を持てると、随分楽になります。私の経験上では、ノンリニアで出てきたアイディアは、かなり使えるものの場合が多いです。

S2 今日の授業の中で一番印象に残っているのが、「大人と子供では物の見え方が違う。それを伝えていうのが、教師の仕事だ」という池田先生の言葉でした。この言葉を聞いて、生徒の長所を活かすも活かさないも教師の腕次第だ、ということに気づきました。
知識のある大人が子供に教えることは簡単です。しかし子供が大人のことを考えることは、教師がその機会を与えてあげない限り自発的に行えるものではありません。「教える」ということは、時に子供の「考える」という能力まで奪ってしまう、ということを念頭におきながら授業に臨まないといけないのだと思いました。
かつての「頭の良い」とは、記憶が良い何でも知っている人という意味でしたが、今は「ナゼ」と問いをたてれる人が「頭の良い人」です。頭の良い人に一歩でも近づけるように、授業の中でひとつでも多くの「?」を見つけていこうと思います。
今日の「自主練習会」は5限に授業があった為、参加することが出来ませんでした。また次回「自主練習会」という形をとって頂けたら嬉しいです。

T 「「教える」ということは、時に子供の「考える」という能力まで奪ってしまう」とあります。まさにそうですね。子どもは「勉強する」と「学ぶ」の二つの活動をします。そこで教師は子どもが今はどちらの活動をしているのかを判断して、「教える」と「支援する」を使い分けます。これが出来るといいのですが、なかなか難しいんだなあ。

S3 「教師が枠を与えることで、子どもは安心して自由にすることができる」という言葉が印象的でした。
ただ「自由にしなさい」という指示を出すだけなら誰にでもできるし、それは学習にはつながらない。しかし教師が何らかの意図をもって子どもに枠を与えることで、初めて子どもの能力を引き出すことができるのだろうと思いました。
そして、「頭がいい人は、疑問を持つことができる人」ということに、深く同感しました。どんなことに対しても「疑いの目」を持ち、そして生まれた疑問に対してきちんと答えを見つける。このような子どもを育てることこそが、真の教育の意味なのではないかと思いました。

T 「教師が何らかの意図をもって子どもに枠を与えること」とあります。これを「活動の目的」と考えてみてはいかがでしょうか。

S4 メモの技法の話を聞き、「まず書きなさい」→「発表しなさい」という方法や、「思いつきメモ」の話が印象に残りました。
また、メモの種類の中にある、記録のメモ・思考のメモ・まとめのメモは授業を受ける上でとても重要なメモの方法だと思いました。その中で、思考のメモにある、「疑問や質問」は、頭のいい人=「なぜ?」と思える人に繋がる大きな鍵だとも思いました。
ただ授業を聞くではなく、先生の話に「なぜ?」と思えて、自分なりに「Q」を探していける思考力を付けていきたいです。

T 大学の授業は90分です。理想としては、5分に一つの「Q」がメモできると良いなあと思います。20個出れば見事です。

S5 今日の授業ではマンダラートが一番印象に残りました。説明を聞いたときは簡単そうに思えたのですが、実際にやってみると意外と言葉が思いつかなくて、予想より書けた言葉が少なかったです。自分にはあまり発想力や思いつきの力がないのだと知り少しショックでした。少しも考えることなく次々と言葉を思いついていかないとマスを全部うめることは無理なんだと思いました。


S21 今までは意識しながらメモをするのではなく、ただメモする、というだけだったように思います。そして、授業中、集中していたつもりでも、別のことを考えてしまうと「いけない、集中できていなかった」と思っていました。
しかし、それはいけないことではなく、集中しているからこそなるのだということには驚きでした。
自分は「メモを取る」ことに必死で「考える」ということが出来ていなかったように思います。
これからは、フとした瞬間の思い付きや疑問もメモし、後々に生かせるようにしたいです。
そして「コンピュータにできないことは考えること、疑問に思うことだ」と「記憶することではなく記録すること」ということばがすごく頭に残っています。
きちんと考えられ、記録できる人間になりたいと思います。

T ノンリニアの発想を封印して生活してきた人たちは、いると思います。ノンリニアの発想は、ちょっと間違えると不真面目に取られることがあるからです。トレーニングしてみましょう。この発想を使えないのは、人生の半分を活用していないことになるかもしれませんよ。

S6 私はメモを取るのがとても下手です。高校までは先生が板書してくれたことを写していて、大切だと思ったことを少しだけメモする程度でした。どちらかというと美しいノート作りということばっかりにこだわっていたと今になって気づきました。そのせいだと思うのですが、大学に入ってからのノート作りは最初は大変でした。板書をしてくれる先生は少ないから、メモを取ることがとても苦痛でした。自分の字が汚いとか読みにくいとか思いました。しかし、メモを取り、そしてそれをまとめる事は考える力になると思うと、先生の話したことに加えて、どんどん思ったことや急に頭の中に浮かんできたと思うことをメモしたいと思いました。まだまだメモの取り方は下手ですが、整理して要領よくまとめる力をつけていきたいと思いました。
また、私は先生の話を聞いているのに、なぜか皆と違うことをしてしまうことがあります。例えば今日の授業で『「きく」には3つあって、「聞く」と「聴く」とあと1つわかる人』と先生がおっしゃった時、私は「効く」と答えてしまった、ということです。もっと頭の中で理解する力をつけなければならないと思いました。

T その程度の間違いは、愛嬌です。大丈夫大丈夫。
高校までの授業では、先生は君たちが理解しやすいように概念を咀嚼し、構成し直して提示してくれます。板書にしても生徒諸君が分かりやすいように先生がまとめてくれます。しかし、世の中にあるさまざまな情報は整理されて提示されているわけではありません。バラバラにあるわけです。人にその情報を伝えるためには、そのバラバラなものを記録し、整理していく力が必要になります。そのトレーニングが大事です。
私の授業では、板書はほとんどしませんが、ナンバリングやラベリングなどを使って、話の構造は示しているはずです。ですから、「高校までの板書」→「私の話」→「世の中の情報」という風に位置づけています。これに時々ノンリニアな私の思い付きがスピーチに加わり、多少メモを取る側からすると混乱するという仕掛けになっているはずです。そういうつもりで授業をしているのだと分かれば、理解しやすいでしょう。

S7 私が今日の授業で一番印象に残ったのは、頭がいいってどういうこと?という話です。疑問を持つことの素晴らしさを初めて知りました。
人間は疑問を持つことができるがコンピューターにはそれができない、と池田先生がおっしゃった時、人間だけの特権を最大限に使わなければと思いました。ぜひ授業中のメモにQを取り入れていきたいと思います。
これからは話を丸飲みするだけでなく、疑問を持って勉強していきたいです。

T 今は「人間は疑問を持つことができるがコンピューターにはそれができない」であるが、これも可能になるのではないかと思っています。擬似的に疑問を持つというのは、もうすでにアイボで可能になっているからです。そこから先はどのような世界が待っているのか、私も興味を持ちつつ考え中です。

S8 今まで受けた授業のなかで国語科教育法の授業が1番メモをとっていて、1番頭に入りやすくわかりやすいです。疑問に思ったのですが、国語の授業の際、この授業のように先生が話すことを生徒に記録させ、板書はせず、次の授業の時にメモ(記録)をまとめたノートを提出させるというような授業方法は私達大学生だから成立するのでしょうか?やはり中学校や高校でこの授業方法をとるのは難しいですか?

T 可能です。むしろするべきだと私は考えます。ただし、いきなりは難しいと思います。中学校では三年間かけて少しずつ伝えて行きます。なぜ、このような方法をしているのか、また、どうやってメモを取るのかの両方を、少しずつスモールステップで行います。

S9 授業中にメモを取り、家に帰ってからノートにまとめるという作業は、大学に入ってからし始めました。記録を元にすると、授業中の記憶を辿りやすくてどの授業でもしています。が、思いつくことや疑問に残ったことはあまりないか、あってもそのまま通り過ぎてしまっています。マンダラート、イメージの花火で思いつきの力を鍛えたり、常に疑問を持つ心を意識していきたいと思います。
また、「頭のいい人とは」という問題も印象的でした。頭がいい、賢い、分かっていたはずなのに、その定義では人である必要はないと言われ、ショックを受けました。今日は、殊更考えることの多い授業でした。

T 君たちが社会に出るこの数年は、売り手市場の就職活動になるでしょう。その点ではラッキーですね。ですが、入りやすいということと仕事がしやすいということは別でしょう。あなたが他でもないあたなであることを、自分や仲間が理解して、社会から必要な人間になるためには、人類から必要だと言われる人間になるにはどういう学びをしたら良いのでしょうか。たまには、大きな問いを立てて考えてみるのも、大学には必要だと思います。

S10 「メモは記憶ではなく記録である」そのとおりだと思いました。もし、メモをとらないで話を聞き、記憶することに専念すれば後にどれだけのことを思い出せることができるのでしょうか。私は半分も覚えている自信がありません。記録し、あとで見なおすことによって考えることができるのだと授業を通して感じています。
でも、「話を聞くときは先生の目を見なさい」と言われたことがありました。先生の目を見ることで、話を聞いているという態度を示すことも必要だと思います。池田先生のように「前に注目するとき」「メモを取ることに集中するとき」など、切り替えを上手くしなければならないと思います。

T 子どもをよく見ることです。教師の出した指示に従って子どもが作業をしている時に、その指示を否定するかのような次の指示を出しては駄目です。これを続けると、子どもたちは、
(なんだ、指示はやらなくてもいいんだ)
と思うようになります。ひとつの指示は責任を持って出し、やらせきる。すると切り替えのタイミングが分かるようになります。

S11 今回の講義で一番印象に残っているのは、メモを取るということは記憶から解放されることだということです。ぱっと思いついたことを後でやろうと思っていてもすぐ忘れてしまいます。授業中に何かを思いついて書いておこうと思っても、その場に授業のノートしかないとメモするのをためらってしまいますが、なんでも書ける物があれば残しておくべきだと思いました。

T 人間のワーキングメモリーは大きくないので、このワーキングメモリーに短期記憶として情報を溜め込んでいると、ノンリニアな思い付きが出にくくなります。重たい荷物を持って旅をしているとき、珍しそうなものがあっても見に行こうとは思いませんが、手ぶらだと行ってみようと思うではありませんか。それと同じでしょう。
他にもメモを取ることは、意識や記憶を外化させることで短期記憶から長期記憶へと導くきっかけを与えることにもなると思います。

S12 私が今回の授業で印象に残ったことは、「20歳の時に考えた事は25の自分には書けない。」ということである。だからこそ、今疑問に思ったこと、感じることを記録していくのは大切なことだと思う。私は毎日ではないが、気が向いたとき、日記帳にその日感じたことを書いている。引き出しの中にしまってあるので、たまにしか見ないけれど、過去の日記を見てみると今の自分では考えないであろうことがずらずら書かれており、気恥ずかしさと共に自分の成長が感じられる。これからも是非続けていきたい。また、日々感じた事は手帳などになんとなく綴っておきたい。メモは些細なことでも、読み返した時、当時の情景が鮮明に思い出されるので良いものであると感じた。

S13 メモを取ることの大切さ。小中高と、私は「メモを取る」ことは授業の中でほとんどせず、書くことといえば板書内容をノートに写すことだけでした。私の知る限り、周りもそんな感じで、メモを取り始めたのは大学に入ってからでした。
でも、今日の授業で改めてメモを取ることの意味を再確認しました。
断片だけでもメモを取ることによって、その周囲の記憶が呼び起こされるのです。
また、意見を聞くときにまずメモを取らせてそれを読ませる。簡単なことだけど、とても有効だと実感できました。

T 今の学生が良いなと思うのは、ちょこっとしたことでもエクセルにメモしておけば、後で簡単に見ることが出来ることです。大事なことはメモしなくても思い出すかもしれません。しかし、ちょこっとしたことは忘れます。ちょこっとしたことはいいや、と思うのでしょうが、このいいやと判断しているのは、まだ勉強の足りない若い貴方です。そのいいやと思ったことが実はとても価値のあることというのが、分からないかもしれません。だから、今はメモをしておくのです。

S14 今日のメモの方法のうち、マッピングメモが印象に残りました。実は数日前、まったく同じ『イメージの花火』のプリントを見つけました。プリントの整理をしていたのですがそれを見つけた際、配布されたのが昨年度の特別活動論の授業だということはわかりました。しかし、いったいどこで使用したのかまったく覚えていませんでした。またそれを見てもいったい何の教材なのかも解らず、ノートを見ても解りませんでした。そして今日、その内容をメモの技法を学んで思い出しました。
 そのため、今日自分自身で『メモすること=記録・人の記憶を呼び覚ますもの』だと実感しました。また、メモをすることが日々身についてきたので、昨年度の特別活動論よりもメモの取る速さも早くなり、聞き取れる情報の量も多くなりました。続けることで身につき、自分の力になっていると感じました。
 また、「Q」を持つことの意味を再確認しました。このことも昨年度の先生の授業で教えていただいたのですが、その時の疑問や感じたことをメモすると教わり、それ以降何度か自分の中で意識してをいました。しかし、実際にはそれをすることはあまりなかったです。今日改めて、なぜ「Q」が必要なのかを知り、これからの授業に取り入れるようにしたいと感じました。

「きく」の違い 
聞く:hear:自然ときこえる
聴く:listen:まともに耳を向けてきく
訊く:質問をする

なぜ国語を学ぶのか?の問いに対して、「ことば(=超能力)を使って考えてみる・使ってみる・上手くなる(4月10日の授業)」と学びました。しかし最近私は次のようにも考えられると思います。特に古典に対してですが、やらなければならないと感じています。はっきり言って、現在、書道をやっていて私自身が必要だとも感じていることも原因のひとつですが、それ以前に中学・高校生でも必要だと感じます。
最初は、これから古典を学びたいと感じる人がいないから、学ぶ必要があると考えましたが、今は、古典への関心がなくなればなくなるほど、古典が必要だと感じます。例えば、パソコンが浸透したら浸透したほど、習字・書道などの手書きの良さが再確認されてきました。それと古典は同じなのではないかと思えます。
そういった時に、もし、古典を学ぶ者がいなかったら、古典は衰えていくだけです。今の若者の中には古典に関心のある子も少なからずいます。そういった子のためにも衰えさせてはいけないのでは…と感じました。
さらにそうすることによって、関心のなかった子に興味を与えるきっかけにもなると思います。

国語側から考えさせるためにはどうすればよいか?の問いについてはまだわかりません。これからじっくり考えてみようと思います。

T なぜ古典が大事なのか? これを小学校4年生にもわかるたとえ話を使って、話し言葉で説明できれば、あなたが本当に理解しているということだと思います。上記の文章は、ま、大人は(そうね)と思ってくれるかもしれませんが、子どもは(よくわかーんないー)だと思います。語れること。これが教師です。

S15 私はメモをとることが苦手です、
何故なら、メモであっても(きれいに書きたい!)という意識が働くからです。
だから、時には肝心なことを逃してしまいます。
それではメモをとる意味がないと感じます。

しかし、今日の授業を受けて、考えが少し変わりました。
記憶を引き出すために記録のメモをとるのなら、キーワードを押さえれば多少汚くて読みにくくてもいいのではないかと思ったからです。
そう考えられるようになったこれからは、どんどんメモをとりたいと思います。

(記憶の引き出しの取っ手は、自分で作らないといけない)と感じた授業でした。

T 文字を書くとき、奇麗に書いている人たち、書ける人たちは「奇麗に書かねばならない」という考えにとらわれがちです。ですが、状況によって変えればいいわけです。今は、スピード優先なのか美しさ優先なのか。使い分けが出来ると便利です。

S16 記録のメモは、最近少しずつ出来るようになってきたなと思います。でも、思考のメモはまだまだ出来ていません。というよりも、忘れてしまっていました。「なぜ」と思うこと、「こうだ」と考えること、それが人間をより人間らしく豊かに成長させるのかもしれません。
教育法の授業は、なかなか早くて「なぜ」と思う暇がないのですが、頑張って意識的に取り組んでみたいと思います。

T スピードの中で考えることもやってみてください。じっくりと考えなければ思いつかないというのだけでは、駄目で走りながら考えるということも出来るようになった方がいいですね。

S17 コンピュータと人間との違いで「人の心が分かる」について「勿論コンピュータはできない。人間とは違う」と言い切ったあと、先生に「本当に人の心がわかるの?」と返されてしまったときは、目から鱗状態でした。論文についてのお話も、卒論で悩んでいる今の私には目が覚める思いでした。
思考がひっくり返されたときは、本当になんというか世界がちょっと違って見えてきますね。先生の授業ではそれを毎回体験させて頂いています。
「なぜなのか」考えることは人間しかできないこと。国語を勉強する理由に繋がるように気がします。まだモヤモヤして掴めませんが、常に心において自分なりの答えを導き出せたらと思います。

T 大きな問いは心の中で持っていて、暇があれば取り出して考えてみるといいですね。そして、答えが出たら自分でも(本当か? 逆じゃないの?)と疑ってみることです。なかなかただひとつの答えというものは見つかりにくいし、おそらくいくつものの何ものかの間にバランスよくあるものが、大事なような気がしています。 

S18 今まで先生の講義を聞き、私なりにまとめてメモを取っているつもりでしたが、今日の講義を聞いて考えが改まりました。
疑問や思いつきは不意に頭をよぎっても今まで記録されることなく、頭を流れて行っていましたが、これからはきちんと記録していきたいと思います。
記憶の呼び覚ましや、思いつきがスムーズに出来るようこれから取り組みたいです。
また今回の授業で行ったマンダラードはとても面白かったです。漢字を考えてしまい、あまり数は書けませんでしたが、これがどんどん早く書けるようになったら嬉しいだろうと思います。

T 自分の思い付きを捨てるのがもったいないと分かってくれたのであれば、嬉しいね。他の人の考えも大事だけど、自分の中から浮かんできたものも大切にしてほしい。

S19 自分は日常的にメモをよくとります。
それは、学習的なことではなくても、約束や自分がしたいこと、スケジュールなど、忘れっぽいので、とりあえず、書きます。
今日、メモの話でメモは短期記憶の容量を増やす働きをしていると聞いて、なるほどと感じた。
メモを書かなければ、あいまいで変化しやすい記憶でしか保存されないので、その引き出したい情報を出力するときに不確かなものとなってしまう。メモを取ることによって、記憶でなく記録=事実として書き留めておけるので、出力する際、正確な情報を引き出せるので、思考や学習の手助けになると分かった。

T やりきったことを消して行く快感もメモにはありますね。

S20 自分の思い付きをメモしてあとでゆっくり考える、というのは昔の方が出来ていた気がします。特に高校までは、周りに不満ばかりあったので、そうやって自分の考えを膨らますのが好きだったのだと思います。
大学に入ってからは先生方の話すこと全てが珍しくて、聴き取ることと書き残すことが得意になりました。しかしその代わり、そういえば「考える」ということを全然しなくなってしまっている!と今日の授業を受けて気付きました。
先生の話が面白ければ面白いほど、ためになればためになるほど、意見を鵜呑みにしすぎて自分で新しいことを考えなくなります。もっと先生が言う事にも疑問を持たなくては、常に考える立場にいなければ、と思いました。「否定的な聞き方」は自分にとってしばらくの課題になりそうです。
前回からの声や板書で先生がおっしゃった「あえて書かない・言わない」ということがどれだけ大事か自覚できたし、「頭が良い人は問の立てれる人」と聴いて自分もそうなりたい!と思いました。
書く時間を与えてから発表させる、ゆっくり呼吸をしながら書写をさせる、などの池田先生の実践的なテクニックを授業で教えていただくたびに、思うことがあります。
「教師になりたい、子どもたちにこんなことを知って欲しい」と情熱的に思っていても、それだけでは駄目なのだな、「どう教えるか・どう授業を進めるか」の工夫を考えることが大事なのだな、ということです。
過去の授業で先生が「教師はプロデューサーでありディレクターだ」とおっしゃっていたのが思い出されます。教師の仕事が人相手なのだということをもっと意識して勉強していかないと、教育実習のときに気持ちだけ空回りしそうだと思いました。
今日の板書練習では、「自分の字はどうしようもない」と思っていたところから一歩抜け出せそうな気がしました。今下手くそでも、練習すればもっと上手くなれそうだ、もっときれいな字が書きたい!と気持ちが溢れました。
字は人に見せるものであること、「他者に向けて読みやすくわかりやすく」を大事に、地道に練習していきます。

T 「否定的な聞き方」とありますが、これは違います。「否定的な聞き方」ではなく「批判的な聞き方」です。「否定的な聞き方」は、(これは駄目だ。間違っている)と聞くことで、「批判的な聞き方」は、(これは本当だろうか?)と聞くことです。で、違っていれば正しいものを受け入れ、合っていればそのまま受け入れるわけです。
子どもに力を付けて上げたい。まずは、そう思うことです。そして、そのためにはどう指導したら良いのかを考える。調べる。考える。その繰り返しです。教育の世界では指導の技術について、未だに否定的な考え方を持つ先生もいますが、私は「思い」と「技術」と両方とも必要だと思っています。おいしい料理を作りたい!と思っているだけで出る分けない。技術も必要です。ですが、なぜか教育の話になると技術が軽視される傾向にあります。私は君たちにどちらも身につけてほしいと思います。

さてと、これでひとまず国語科教育法1、2の授業全体のガイダンスを終える。

30回の講座の4回、1割ちょっとを使って、国語の教師を目指す諸君にこの授業を受けるための基礎的な約束事や技術をガイダンスしたことになる。次週からがいよいよ国語科に固有な内容に入ることになる。

君たちは教師になったとき、このガイダンスで苦労すると思う。ガイダンスは、その授業の受け方を提示することで授業のルールを確立し、この授業を先生の言う通り受けて行けば力が付くと思わせられなければならないからだ。それも子どもたちに媚びることなく、教師と生徒としての適切な距離感を保ちつつである。

今、若手の教師が悩んでいることで良く聞かれるのが、この距離感である。友達感覚というのが「親と子」にしても「先生と生徒」の関係にしても良いような感じで広まっているが、これは非常に危険である。なんとなれば、「親と子」にしても「先生と生徒」は友達にはなれないからである。

大人である親と先生は、あるときは友達であるときは友達を止めることが出来るが、子どもにはこれが無理。一度友達になったと思った先生が、急に叱り出したり指示を出したりするようになると、子どもたちは
(裏切られた)
という気持ちになる。だから、距離感なのである。近くなったのは離れにくい。子どもに裏切られた感が残る。ある先生は「教師は子どもにとって優秀な上司になるべきだ」と言われたが、私は「憧れられる先達」というのも含めておきたい。

教育と言う営みは、長丁場である。少なくとも一年はその子どもたちを担当する。そんな営みに向けて、ルールを示しつつ学ぶ意欲を持たせ、ゴールの姿をイメージさせてというのが、授業のガイダンスである。じっくりとやるのが良いと私は思っている。

そんなものを踏まえてのガイダンスだったわけである。さすがに二十歳を超えた君たちと中学高校生へのガイダンスとは、私も多少やり方を変えた。簡単に言えば中高の方がもっと丁寧である。

諸君は中高の国語の教師になる。もっと丁寧に的確に子どもたちを国語の世界にガイドしていく力を身につけてほしい。

メモとして記しておく。

国語科教育法1、2通信『修学』NO21~NO27より

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