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2007/05/24

批判的思考の入り口

授業では、批判的思考というものの入り口を追い続けている。批判であって、非難ではない。

この違いは何か。一言で言うと、「相手の主張の根拠の確からしさを確認しながら読もうとする姿勢のこと」を批判的思考と言い、「相手の主張の主張そのものを気に食わないと反対する」のが、非難である。

簡単に言えば、主張とは「言いたいこと」であり、根拠とは「なぜならば、〜である」の部分である。「今日は午後から雨になる。なぜならば、天気予報で言っていたからだ」という形で語られる時、それは主張と根拠がセットになっていると言う。このセットを議論と呼ぶこともある。

この議論を考えるとき、「雨なんか降らねーよ」と言い続けるのが、非難であり、「なぜ天気予報で降ると言えば、降るのか。そもそも、この天気予報はいつの時点で出た予報か? どこの地域の予報か?」と考えられるのが批判的思考である。

私達の研究入門ゼミは、いま、この批判的思考を獲得するレッスンの入り口にいる。

            ◆

残念ながら、どきどきした結果は、あまり良いものではなかった。だが、君たちの感想から見ると、

今日一番「あっ!」って思ったことは、いつも感想で〜できるようになりたい。とか〜を知りたい。とか書いておきながら全然行動にうつせてなかったという事です。口ばっかりじゃだめだなとすごく感じました。

先週、感想掲示板に書いた疑問の答えは授業中に出てくるのではと期待してしまっていた。相手にまかせっきりでいるのではなく、自分が行動しなければならないとわかった。

とある。これに気がついてくれた諸君が多くいた。ああ良かった。とても嬉しい。

授業中にも話したが、人間は習慣の動物である。要は同じことをダラダラと続けやすいということである。であるとすれば、そのだらだら続けることを利用すれば良い。悪いことをだらだら続けるのではない。良い子をとだらだらやるのだ。たとえば、

「大学を後にする前30分は必ず、図書館かパソコンルームに行って今日の疑問を調べてみる」

と決めてしまう。ま、一日一回が理想だが、週に一日でも良い。これを続けるのである。だらだらと続けるのである。習慣になってしまったら、なんの違和感もなく続く。「湯船の法則」の水道の水の部分である。半年後には、やっている人とやっていない人の差は、とんでもないことになるはずだ。

            ◆

ただ、嬉しいこともあった。授業中に

『君たちは大学生である。大学生であるということは、大学で学ぶということであるが、大学の中だけにいてはならない。大学の外、社会と繋がりながら学ぶことも必要である。そのためには、名刺を持とう。なければ作ろう』

と話したところ、早速作ってきた諸君が何人かいた。良いことである。良いと思ったことは、その根拠を確認し、それでも良いと思ったら行動だ。

            ◆

折角なので、感想にコメントしよう。感想は全員分ではありません。また、全部でなく、一部のものもあります。

S1 高校までは問いと答えは一対になっていた。しかし、大学では答えと思っていた説は多くの学説の中の一つでしかない。

T 君たちが学んできた国語の文法でも、あれは橋本進吉先生という先生が唱えられた学説であり、他にも有名どころだけでも山田先生、時枝先生などの文法もあります。
動詞を学ぶとき活用形の種類ってのを学んだでしょう。ほら、「未然、連用、終止、連体、仮定、命令」ってやつですね。でも、学者の中には「日本語の動詞は活用はない」という人もいるんですよ。その中で根拠の確からしさを確認して、高校までは教えているというというところでしょうか。

S2 今日自分が学んだ事は根拠を否定するということだ。主張を批判するには根拠を批判しなければいけないというのは、言われてみれば当たり前の事だが自分は気づいていなかった。だから今日の授業は本当に勉強になった。
今日の授業の時池田先生が「大人の方が楽しい」とおっしゃったが自分はみんなと一緒に学ぶ事が出来る今が一番楽しい。というか自分は何歳になってもその時を楽しむ自信がある。

T ま、感想文だからいいのだが、私はこの文章を読んで(なんで自信を持てるのか。その理由が抜けている。これは根拠がないと言われるな)と思ったわけである。(みんなと一緒に学ぶことが出来ているようだ。それも楽しくやれているようだ。けど、だからといって何歳でもこれができるということには大きな論理の飛躍があるぞ)と思うわけだ。
もちろん、書いている本人にはその論理の飛躍を埋めるだけの根拠があるのだろうが、もしあるのならそれをきちんと書いてほしいなあ。そこを読みたいのであるから。

S3 今回の授業で子供か大人かどっちがいいかという質問がありましたが、私は絶対こどもがいいです。確かに海外旅行に行ったりなどの大人の遊びも楽しいと思います。でも、それはやろうと思えばお金があれば子供にだってできます。一方体力がなくなった大人にとって、子供と同じように体を動かす事はできません。だから思いっきり運動ができないのです。私はスポーツが大好きなので、やはりこのまま子供でいたいです。

T なるほど。それも一理ある。しかし、この大人問題はなかなか難しいのだよ。まず、大人が良いか子どもが良いかというのは、子どもには判断できにくいということだ。大人は子どもと大人の両方ともを体験しているが、子どもは子どもの体験しかしていないからね。さらに、体が自由に動かなくともスポーツが大好きな人はいくらでもいるし、動くけれども苦手な人もいる。そしてポイントは、大人になりたくなくても大人にはならざるを得ないということだ。さあ、どうする?

S4 名刺を今週中に作りたいと思った。そして、出来あがった第一号は池田先生と交換したい。四年間でたくさんの人と出会い、交流の輪を広げていきたい。何かあったときのために、今からコツコツ交換したいと思っている。

T 名刺ありがとう。有言実行でしたね。偉い。

S5 今日の授業で決めたことが2つあります。1つめは、生んでくれと頼んで生まれてきた人は誰一人いないということです。当たり前のことなのかもしれない。けれど、この話を聞いた時、不思議な感情で胸がいっぱいになりました。このこみ上げてきた感情がなんなのか、今はわかりませんが、毎日少しずつ考えたいです。

T ここにヒットか、なかなかだ。そのこみ上げてきた感情を丁寧に見つめてみてください。ひょっとするともの凄い発見があるかもしれませんよ。

S6 「何のために生きているか」という問いに対して、自分は何を考えたか。
人生に興味がない自分としてはこの答えが見つかるかとても不安だ。子供に聞かれたらなんと答えればいいのか?4年間のうちに少しでも糸口を見つけたいと思う。

T 人生に興味がないなんて、なかなか言えませんよ。正直ですよ。なんで興味がないのか、考えてみたことがありますか? 教育の文脈で言えば東井義雄(とういよしお)先生のいくつかの本を読むとヒントがあるかもしれません。

S7 今日は二つのことが心に残りました。まず1つ目は、大学は何かをする場所である。自分で学ぼうと思い、疑問に思ったことは自分から調べる。学ぼうと思わないと折角大学に入ったのだからもったいないと思いました。

何かをする、何かをしない。これをある程度自分の意志で出来るのが高校との大きな違いでしょうね。私は大学に入った時に、自分との感覚感性が違う人がいる、そしてその人たちはその人なりに幸せに生きているというのを具体的に知るようになり、衝撃を受けた覚えがあります。そして、世の中は私ではなく私が(ちがうなあ)と思っている人を中心に動いているのを見て、さらに衝撃を受けました。ですが、人まねをしても意味がないと思っていたので、人様とは違うことをしていました。わざわざ違うことをしているつもりはありませんでしたが、結果的に違ってしまうのは、まあしょうがないかと。無理に回りに合わせれば、自分が辛くなるのは分かっていましたから。ああ、なんて我侭な私。でも、それができるのも大学生ですね。

                             研究入門ゼミ通信 起筆 NO.9,10

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コメント

>大人が良いか子どもが良いかというのは、子どもには判断できにくいということだ。

私はここにヒットしました。
大人論について昨年度以来考えていますが、未だに(これだ!)という答えは見つかりません。そう簡単には見つからないなということが、今もっている答えでもあります。
そんな中、最近気づいたことがまさに先生の言葉です。
私は今(おっ、大人っておもしろいかもしれんぞーウキウキするぞー)と思っているところなので、子どもからの脱皮中なのかもしれません。
あくまでも、(かも)ですが^^

社会に出たことで、今までとは違う視点で物事を見ることを求められるようになり、実際そのようになっていくわけです。すると、見ていたものが違うように見えてくるんですね。今までも見ていたはずなのに、別物に見えるんです。この感覚が面白い。
大人は面白いですよ。

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