鮭を思い浮かべる
第一稿を書き切った余韻をちょっとだけ楽しむ研究日。宇佐美先生の本を続けて読む。読みつつ、思いついた授業プランをふむふむと反芻する。宇佐美先生と対話している雰囲気にもなれる。
実際は、一度だけ研究会の後に直接お酒を交わしながらお話を伺ったことがある。文章のイメージとは違って非常に穏やかで優しい先生であった。いいなあ。文章で厳しく、直接の人には優しい。そういうのはいいなあと思う。
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第一稿の校正も進める。2/5ほど終わったところで一息ついていたら、教育実習に行っていた学生が報告にやってきた。
かつて私はディベート指導で、授乳、牧場、放牧の三段階の指導を提案した。
今年、教育実習から帰ってくる学生を見ると、放流して帰ってくる鮭を思い浮かべる。いや、学生たちは嫌がるかもしれないが、結構そんな気がする。
というのは、力は付けていると感じられるのだが、顔はほっそりとしているのである。4年後に遡上してくる鮭も、体は立派になっているが、顔はほっそりしているのである。
ある学生に聞いたら、
「話していたので顔の周りの筋肉を動かしていたからかもしれません」
と言っていた。
ということは、顔がほっそりするぐらい事前に話をする授業をせねばならんのかなあとも思った。
さて、このブログを読んでいる学生諸君、びっくりしたか。
君の顔のあごの周りはどのようになっているか、のう(^^)。
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写真は大学の敷地内で発見した蛇いちごと、今日の琵琶湖の風景。気持ちの良い風でした。
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