学生が(あ、わからない)という顔をした時
ディベート甲子園の近畿大会が行われた。
私はジャッジとして3試合に参加した。高校2試合に中学校の決勝の合計3試合。主審は2試合行った。
高校では、一昨年度全国優勝を果たし滋賀県立膳所高校が僅差で全国大会出場を逃すなど波乱があった。良い議論を組み立てていたが、ジャッジにきちんと届いていなかったためジャッジの解釈の介入を導いてしまったこともあったようだ。
初出場の高校もあった。
凄い。
その場で立論や反駁を考えていた。
『君たちは、その場で考えていたろ。凄いな。それは普通は準備してくるもんだぞ。準備してくれば、来年は強くなるな。その場で考えることはもう出来ているのだから』
と話した。期待の持てる一年生集団である。
中学校の決勝は、良好とも全国大会の出場を決めているため、ぴりぴりした空気はない中でのびのびとディベートを行っていた。特に、否定側の神戸大学付属明石中学校の議論は奇麗であった。対戦中学校の京都教育大学付属桃山中学校の立論は、かなりインパクトがあった。あのプレゼンを全国大会でもしてほしいと、私は個人的には思っている。
◆
大会終了後、打ち上げに。ちょっと人数は少なかったが,楽しい時間をすごした。ディベートをやる学生たちとの飲み会は楽しい。会話の流れがきちんとしていて、尚かつ話題が豊富である。私の間違いもきちんと指摘してくれる。
私の間違いについては、ありがとうと言って直すが、誤解や勉強不足からの発言は、厳しく指摘する。飲み会であってもそれは授業と同じ。その方が面白い。
「先生、先生をしていて嬉しいときってどのような時でしょうか?」
という質問があった。
『それは、中学校の先生のとき? 大学?』
「大学です」
中学校の教員の時と大学の教員の今では、「嬉しいとき」が変わってきているなあと思っているのだ。
『んー、学生が(あ、わからない)という顔をした時かな』
「え? 分かった!ではないのですか」
『それは中学校の時は、分かったの顔の方が嬉しいが、大学は違うかな』
「それはなぜでしょうか」
『んー、分かったつもりでいる学生が、実は良くわかっていなかったということが分かることの方が、勉強するでしょ。学びはじめると思うのですね。だいたいからして、君、分かっていることを改めて勉強しようと思う?』
「いいえ」
『でしょ。中学生ぐらいまでは、分からないことにコンプレックスを持っている子どもが多いから、そのわからないを取り除くことが、勉強にやる気を出させるけど、さすがに大学生はわかったをするよりは、分かっていなかったを分からせる方が大事でしょ。基本的に、学問は最終的には独学にたどり着くわけですが、そのためには自分が分かっていないことを自覚することから始まると思うのです。(やっばい。こんなことも分かっていないのか、オレ)と思うところから始まることが多いので、そういう顔をすると嬉しいんだな』
「なるほど」
酔っぱらいながら話し続けた夜であった。
気持ちの良い学生たちであった。
◆
さ、各地で全国大会出場の切符を手に入れた学校が出始めている。
また、今年も暑い、熱い夏が待っている。
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