『大学の授業』(宇佐美寛 東信堂)
『大学の授業』(宇佐美寛 東信堂)を読む。
研究日ということで、読書。今日の読書は、書き写しという方法で行った。宇佐美先生の著書を400字詰めの原稿用紙に書き写して読んでいた。
丁寧モードで書き写していたので、一枚当たり二十五分かかっていた。やっぱり時々書き写しながら読むのは良いなあ。スピードを落として読むことで、ただ読んでいるだけでは気がつかないことに気がつく。
宇佐美先生は、原稿をボールペンで書いている、ということを違う本で読んでいた。ということは、手書きで書き写すことは、宇佐美先生の文章のリズムを体に入れられることになる。実際は、推敲を重ねた結果が本になっているので、推敲の過程を経た文章を受け入れることになる。どっしりとした思考が体に入ってくることになる。
この感覚がいい。
上手く言葉にしづらいのだが、私の体に少しずつ刻まれて行く何かがあると感じられるのだ。
当たり前だが、読むスピードと書くスピードでは、前者の方が一般的には速い。そして著者と読者とでは、前者の方が上回っている。宇佐美先生と私では言うのも憚られるほど、この原則が当てはまっている。だとすれば、書く人のスピードよりも遅いスピードで読むぐらいがちょうどいいのかもしれない。
書き写しと言う読書は、これに合致している。もちろん、読書とは「書を読む」であるが、私は最近、いろいろな意味で「読む、書く」が読書ではないかとも思っている。
« 学生が(あ、わからない)という顔をした時 | トップページ | 昨日は、平田オリザさんと »
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
実は宇佐美先生に拙修士論文をお送りしました。
結果は・・・・・・立ち直れないくらいに斬られました。(笑)
先日の全国大学国語教育学会(宇都宮)で直接お礼を申し上げるつもりだったのですが、体調をくずして欠席されてしまったのです。本当に残念でした。
投稿: 門島 伸佳 | 2007/06/23 20:49
なんとチャレンジングな。
でも、そこをきちんと斬ってくださるのが宇佐美先生の優しさなんだと改めて思います。私もお願いしてみようかな。
投稿: 池田修 | 2007/06/24 13:26