合同ゼミで保育に触れる
合同ゼミで、青山先生と安藤先生のお話を聞くことができた。君たちの感想を読んでも非常に充実した学びができたようだと感じている。
私の感想を端的に述べれば、
(やっぱり保育と学校教育は文化が違うなあ)
というものであった。なんというか、上手く言えないし、誤解のある言い方かもしれないが、保育と言う仕事は子どもの社会化を前提としていないように感じた。
子どもの成長をそのまま促すという感じだ。保育と学校教育。違うなあ。でも、この二つをきちんと使い分ける、またはアウフヘーベンできるような先生になれたら、それは強いだろうなあとも思った。
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で、諸君はこのお二人の先生の共通項を発見したであろうか。もちろん、お二人とも保育の仕事をされているという共通項はある。その他にもいくつか合ったと思う。
私がなるほど、と思ったのは、仕事に関わる部分である。
青山先生は「幼稚園と保育園の両方の免許を持っていて、何が何でも保育園と言うことではなかったのだけど保育に」
と話されていた。
安藤先生は「老人介護がいいかなあと思っていたけど、男性初ということもあって、いいかなっと思って保育に」
と話されていた。
ここに仕事と言うものの面白さがあるなあと思うのである。
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私は中学校の教師をしている時は、進路指導主任という仕事もしていた。仕事とは何かということを考え、さらに具体的に自分の新をロ決めていく時のサポートをする仕事である。
この進路を決めるときに、一般的に行われていた指導方法は、自分の好きなことは何かを考え、自分の適正を考えてみるというものであった。簡単にいうと好きなことを仕事にしようと言うものである。この流れに乗って出版された『13歳のハローワーク』という本は爆発的に売れた。私も持っている。
だが、進路を決めると言うのは、この「好きなことを仕事にする」というのだけではうまくいかないのである。
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先生と言う仕事は、基本的に自分がなりたいからなる仕事である。私も、なりたくてなった。もちろん、中には(本当はバイオリニストになりたかったけど、なれなかったから音楽の先生になった)というような先生もいるが、多くは先生になりたくてなったのである。
だが、私も高校の国語の先生か高校の書道の先生になろうかなあと思っていたが、中学校の国語の先生になった。そして、そのまま担任をし続けると思っていたら、大学の教員になった。
もっと言ってしまえば、浪人をしていなければ、留年をしていなければ今の人生はなかったと思う。
人生は、良いようにも悪いようにも思い通りにならないというのが、私の実感である。
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そして、このお二人の先生も「保育」という仕事にどうしても就きたくてついたという感じではなかった。就いた時に、安藤先生は邪魔だとまで言われていたわけだし。
君たちは、教育をすることを仕事として選んだ。この先コース選択があるがわけだが、もし、自分の希望通りのコースにならなかったとしても、そんなに大きな問題ではないと、実は私は思っている。自分の希望通りの就職をしたって、ダメになる人はいくらでもいる。
要は、目の前にある自分がやるべきことをやるかどうかだ。それをやり続けてきた結果、お二人の先生方はあんなに素敵な笑顔を手に入れることができたのだと私は思う。
二つある。好きなことを仕事にする。もう一つは、仕事を通して、その仕事を好きになるだ。
研究入門ゼミ通信「起筆」NO.23
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