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2007/07/31

やりきった感

充実した時間を過ごせた前期であった。

時には歯がぐらぐらになり、(明日の授業は話せるか?)というピンチもあったが、歯医者さんに助けられ、聞き取りにくい活舌を懸命に聞こうとする学生諸君に助けられ、なんとか厳しく指導し続けることができた。ありがたい。

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びわ湖には奇麗な月が出ている。
月の光を受けながら、糖度12.5%の完熟桃を、贅沢にも丸ごと一個入れた桃ビールを味わいながら、心地よい疲れに浸っている。

月の光りが湖面に揺らぎ、何かメッセージのようなものを発しているように感じる。この光を紀貫之も見たのかと思うと、時の流れなんてあるのかないのか分からない気持ちになってくる。

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今日は朝の8:30から会議。会議が二つ続いて終わったのが12:00。昼ご飯を食べて、事務の仕事を三つほど片づけて、急な打ち合わせの前に買い出し。

今日の夕方から夜に掛けて、我がクラスの一学期の打ち上げが生協食堂である。折角の打ち上げだから、赤い魚の尾頭付きで祝ってあげたいと思い、急遽一品、スペシャル料理を作ってあげることにした。

私の家に飲みにきたことのあるみなさんなら、食されたことがあるあのスペシャル魚料理である。

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事務仕事を終えて、買い出しに出掛けた。赤くて大きくて尾頭付きの白身の魚を探す。ところが、ないのだ。五軒回って見つけたのは一軒だけ。いつもならすぐに手に入るのに。そうです、今日は土用の丑の日です。いつもならとれとれの敦賀の魚が置いてあるスーパーのそのコーナーには、うなぎの蒲焼きが所狭しと並べられていました。

本当なら、鯛か甘鯛を食べさせてあげようと思っただが、ないものは仕方がない。やっと見つけたイトヨリで行くことにした。実はこの魚も美味い。

ところが、店で鱗とはらわたを取ってほしいと依頼したところ、頭まで斬られてしまった。これでは、お祝いの意味がない。仕方なしに、もう一回違うイトヨリでやってもらう。

ああ、打ち合わせに間に合わないじゃないか。

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打ち合わせを終わらせて、クラスの打ち上げに参加。
今日は私を喜ばせる会でもある。私がキョンキョンが好きだと言ったので、会場のBGMはもちろん「学園天国」から始まる。

そして、メインは餃子である。なんとなれば、私が餃子が好きだからである。
各班でスペシャル餃子を私のために作り、それを私が審査する。もちろん、私も池田スペシャル餃子で参加する。

学生同士で楽しむと、他者が弱くなる。私のように年齢の違う人間を喜ばせるためにという課題を付ければ、どうしても他者を息しなければならなくなり、尚かつ、準備もしなければならない。教師は子ども、保護者、同僚という他者とどう手をつないで行くかと言う能力が必要になる。そのレッスンでもあるのだ。だから私を喜ばせるのである。

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私のイトヨリのグリルが出来上がった。
イトヨリは、さぞ嬉しかったろう。大きな歓声とともに提供されて、5分経つか経たないかという時間で、骨だけ残してあとは奇麗に無くなっていた。私も満足。

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餃子の審査は、厳粛に行った。味、見栄え、面白さを規準にして、5段階評価で合計15点満点で付けた。もちろん、作品にはタイトルをつけさせた。

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カレーソース(カップヌードルカレー味)に付けて食べるキムチ餃子と、ジャガリコをお湯で戻して、シュウマイのように包み梅干しをトッピングしたところにマヨネーズをかけた餃子。この組み合わせがなかなか美味で、これが優勝であった。でもタイトルは覚えていないf(^^;。

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食後のレクリエーションも異様に盛り上がった。
出題された内容を絵に描くと言う単純なゲームだが、これが爆笑。「画伯」も生まれたりして、久しぶりに顔が引きつるぐらい笑った。

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片付けをして、中庭で写真を撮り、最後の話。
新入生キャンプの時からすれば、ちょっとは大学生らしくなった彼ら、彼女らの顔を一人一人見る。

更なる成長を期待しているという内容を話して終わる。

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やりきった感というのがぴったりの言い方だ。この感覚を何回味わえるかで、人生の質が結構決まるのではないかと感じたのが、高校二年生のときだ。そう一年間掛けて音痴を直したあの一年間だ。

今は、音痴に生まれて良かったなあと思えるほど、音痴改造に挑戦した一年間は、充実していた。もちろん、やっているときはそんなことは思わないのだが、振り返ると実に充実していて、やりきったと言う思いが生まれてきた。

これが人生で大事な感覚だと言う思いは、その時にはさほど感じなかった。だが、今は分かる。大事だ。教師になった以上は、このやりきった感を受け持った生徒、学生たちに持たせたいと思うようになった。

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今週の授業、課題はやりきった。そしてそれを積み重ねて前期はやりきった。そんな思いを彼ら彼女らが抱くような授業を作り出したい。そして、それが私のやりきった感に繋がるのだと思う。

実にありがたいことである。

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さて、明日も会議と教員採用試験の一次試験を突破した学生の模擬授業を指導するぞ。

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コメント

「やりきった感」大事ですね。
茂木健一郎さんも、人生の中で何度感動するかで
人生の質が変わるというようなことを言っていましたよ。

そうでした。そんなことを言っていたのを微かに思い出しました。そして、これは自信の作り方でもあると私は思っています。

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