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2007/07/06

命の縁を重ねて過ぎていく

誕生日と言うことで、みなさんから、お祝いのメッセージを戴いている。ありがたいことだ。「誕生日は本来は母親にありがとうを言う日である」のを読んだことがある。この世に自分を生み出してくれた母親に感謝する日だというのだ。「生きる」ということをプレゼントしてくれたわけだ。それはそうかもしれないなあと思う。

誕生日は、雨のイメージが強い。梅雨の中にあって雨。そして、一学期の期末考査のど真ん中という記憶も。今日の琵琶湖は、晴と薄曇り。爽やかな風が吹いている。

            ◆

急な知らせで両親が山形の実家に戻ることになった。
朝、その電話があり、帰郷のための飛行機や宿の予約を私がしてあげることに。

ネットを使って飛行機と空港までのバスの使い方、さらには互助会関係のホテルを押さえる。いやあ、便利だ。多少の親孝行はできたかなと。

            ◆

夕方、大学で会議をしているところに電話。
山形の伯父が亡くなった。
会議を途中で失礼して研究室に戻る。山形行きの方法をネットで捜す。改めて思ったのだが、西大津からは日本海を一気に駆け上れば山形は酒田に着くのであった。

私が小学校の3年生ぐらいの夏、ずっと一人で山形の伯父のところにいさせてもらったことがある。蝉だらけの山、蛙だらけの田圃。毎日部屋の中に飛び込んできたオニヤンマ。都会から来た子どもというだけで珍しがられた夏の小学校のプール。そんな思い出をプレゼントしてくれた伯父である。

            ◆

雷鳥と寝台特急を乗り継げば、翌朝6時には酒田にいることが分かった。自宅に戻る。そこに、親から電話。お通夜は7/7で、告別式は7/8だという。7/6が友引なので、こうなるという。ああ、7/7に用事のある私は行くことはできない。

家で静かに、献杯をして偲ぶことにする。

            ◆

今日は、自分の誕生日である。
が、当たり前であるがそれは誰かの命日にでもある。
実際7/5は、奥さんのおじいさんの命日でもある。

365分の1の偶然に、命の縁を重ねて過ぎていく誕生日であった。

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