句会と教育実習報告会
学研の「NEW教育とコンピュータ」の9月号の連載の締切の日。午前中に、仕上げる。ふう。これでいまのところすべて締切は守っているぞ。
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今日の4限の国語科教育法は、句会の方法を教える。先日、「ディベート」DVDの第二弾で「たほいや」と「句会」のDVDを収録したが、大学の授業では、それを実際にやる。
句会という授業方法は、学校で国語を教える時には使える指導方法だと考えている。
思春期の子どもたちは、誰が作った作品かということで作品の善し悪しを判断しがちである。しかし、この句会という方法は、作者と作品を切り離して、作品だけで鑑賞することが可能である。これが非常に面白いのである。
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授業では、句会にいきなり入るのではなく、日本の和歌の歴史を簡単におさらいし、芭蕉の『猿蓑』の「市中」の巻、すなわち、
市中は物のにほいや夏の月 凡兆
あつしあつしと門々の聲 芭蕉
二番草取りも果さず穂に出て 去来
灰うちたゝくうるめ一枚 兆
の部分を解説して、連句の歌仙の特徴を教えて、俳諧の連歌が俳句になったいきさつ、ここから生まれる俳句の特徴を説明した。
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学生に確認してみると、小中学校で俳句を作ったことはあるとのことだが、それは五七五で季語を入れれば出来上がりのような指導で作っていたことがすべてであった。
まあ、仕方がないのだろうが、国語の教師になろうとする学生がそれでは困る。「二物衝突」ぐらいはしっかりと理解して説明できるようでなければならない。
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これらを説明してから、句会を行う。夕立を季語に指定した句、夏の季語から作る句の二つで行う。事前に課題として提出させてあった俳句を私がプリントにしたものを使う。
ここに作られた作品は、私が指導をする前の作品であるので、実を言えばほとんど俳句になっていない。一番多いのが、季重なりの間違いである。俳句では一つの俳句に一つだけ季節を表す言葉を入れて良いのだが、二つ、中には三つというのもあった。
これは日本語にはそれだけ季節を表す言葉が多いとも言えるし、学生が言葉に鈍感だと言うことも言えるだろう。
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句会には私も参加した。名前が出ないのでこれが可能なのである。
一つは選ばれて、一つは選ばれなかった。ふむ。
句会は、参加する人間の俳句の力量を考えて俳句を作らなければならない。選ぶ側の力量に左右されるからである。
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学生たちは、作品を私によってボロボロにこき下ろされた。もう一度来週、句会をすることにする。学んだことを活かす場を設定する。どれだけ良くなるか楽しみである。
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6限にもう一つ授業があった。教育実習の報告会である。
教育実習を終えた4回生が、その体験を3回生に語る会である。私は国語の教育実習の報告会で司会を担当した。
この授業は、昨年の国語科教育法の受講生と、今年の受講生が揃った。なかなか壮観である。
教育実習を終えた学生たちは、それなりに成長していた。学校教育現場を多少でもくぐり抜けてきたわけで、鍛えられたということだろう。
「池田先生の国語科教育法の授業をとても大変だと感じていたけど、あれを受けないで実習に行ったとしたらどんなことになっていたか、恐ろしい」
のような発言が割とあった。
でしょ。
厳しさは、愛情なのである。
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時間を少し延長して、報告会は終わった。
外は大雨。
いよいよ、梅雨の末期か。
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