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2007/09/30

" Don't think. Feel!"

急に涼しくなった。
寝る前は琵琶湖から吹いて部屋を通り抜けていた風が、朝起きたら比叡山から吹き下ろしていた。昨日の天気図を見ると、まさに古今和歌集の夏の巻の最後の歌のような天気図であった。

朝起きて外を見ると曇り空。
空が青い。
ちょっと思い立って、キャンドルに火をつけてみる。
ベランダにキャンドルスタンドを置いて、海鞘をかぶせて点ける。
なかなか良い。

昔に行った、マレーシアのアンダマン海を思い出す。

            ◆

午後、大学に寄ってから、糸井先生の小学校の運動会を見に行く。伺うと歯医者の予約にぎりぎりになってしまうかとも思ったが、高速を乗り継げば何とかなると思い行く。

五年生と六年生の組体操を見るのが目的だ。遠くから見ていようと思い、関係の先生にちょこっと挨拶をしてみていたら、糸井先生がTシャツをを持ってきてくれた。なんだろうかと思っていたら、これを着て本部辺りにいてほしいとのこと。そうすると子どもが踊りに誘うと言うのだ。

周りを見ると、校長先生はじめ全ての教職員がこのTシャツを着ている。これって実は凄いことだということを保護者の方は分かっているのかなあ。このTシャツだって自腹で作っているわけで、それだけ職員がきちんと有機的に繋がっているということなんだけど。凄い先生たちだ。

ダンスが始まった。どこが即興なのかが良くわからないぐらいに一致していた。糸井先生の指示は、一カ所の笛だけ。これも凄いことなんだけど、見ている保護者には分かりに下ろうなあ。

タワーの時に、先生たちが補助に入った。子どもたちも先ほどのTシャツを着ている。補助に入った先生たちと同じTシャツなもんで、補助の先生たちが目立たない。これは大事なこと。先生が活躍しているように見えては良くない。

ダンスの最後に、子どもたちに呼ばれて一緒に踊る。最後の最後だけアップテンポの曲で、緊張を爆発させるような構成。なるほどである。久しぶりにちょこっとだけ踊って気持ちよかった。

ありがとうございました。

            ◆

ダンスの後、挨拶もそこそこに車に戻り、歯医者に向かう。
高速に乗って、大山崎の辺りの急カーブをゆっくりと走らせながら、ふとダンスのことを思った。

つい二、三年前のことなのに、しっかりと感じたのは、
(ああ、もうここには戻ってこないんだなあ)
という感覚だった。
いや、私の人生のことだ何があるか分からない。戻るかもしれない。でも、あの瞬間は総感じた。

そして、それが寂しいとか嬉しいとか、そういうのではなくただ、(ああ、もうここには戻ってこないんだなあ)という感覚であった。

それが何を表しているのか、良くわからないままであったが、こういう感覚は無理矢理分かろうとすることではなく、感じるままにしておくのがいいのだと、ブルースリーも言っている。

" Don't think. Feel!"

だったっけ。なんか違う気もするが、流れる景色の中にこの感情を置いてみよう。

            ◆

歯医者を終えて、夜は読書など。
秋の夜長は、読書だ。

2007/09/28

「竹内常一ワールド」を旅する

久しぶりに恩師の本を読み直している。『おとなが子どもと出会うとき 子どもが世界を立ちあげるとき 教師のしごと』(竹内常一 桜井書店)である。後期のキャリア開発演習2で取り上げている教科書である。

特に先生の著作を意識したのではないが、結果的に『教師になるということ』という本を出したことで、先生の著作に繋がりのある本となった。先生はご迷惑かもしれないが不肖の教え子としてはちょっと嬉しい。

            ◆

この『おとなが子どもと出会うとき 子どもが世界を立ちあげるとき 教師のしごと』は、切なく、かつ心地よい本である。
(そんな読み方で良いのか?)
と突っ込みがあちらこちらからありそうだが、実にそう感じるのである。

私の本は自分の実践を取り上げて、それを語っているのだが、先生の本は日本中の優れた実践を取り上げて、それを研究者の視点で、
「ほーら、ここにはこういうことが実現されていたんだよ」
と、語られる。これに参ってしまうのだ。

実践者は、それこそ実践なので待ったなしの中にいる。これを実践記録にまとめることで、自分の実践の意味や価値を確認して、次の実践に向かう。書くことでこれが可能になる。私も学生たちが教職に就いたら、実践記録をまとめることを強く勧めたい。それは、学級通信でも良いし、事件簿でも良い。であるが、事実の流れを丁寧に追ったレポートも書いてほしいと思っている。

それは、そうすることで「教育は、文脈の上で成立する」ということを実感できるからである。

            ◆

教育に関する事務作業は、ある程度マニュアル化することが出来る。そして、そのことで効率も生み出す。私は比較的早くコンピュータで仕事を始めたが、
「いやあ、池田さん。よくコンピュータを使えるねえ」
と言われる度に
『いいえ、私は、コンピュータを使わないで仕事ができるほど、力がありませんから』
のように答えていた。本当にそう思っている。

さらに言えば、(なんでわざわざ面倒くさいウインドウズを使うのかなあ。私には分からない)とも思っていたがf(^^;。

ところが、子どものとの関わりに追いてはいくつかの切り口を提示することは出来るかもしれないが、マニュアル化することは難しい。難しいではなく不可能だし、やってはいけないことだとも言える。

それは、子どもの文脈が違うからである。もちろん、今の日本、そしてその地域の学校という大きな文脈では同じであるが、そんな簡単にはいかない。

            ◆

で、その教育が文脈の上で成立するということを、学生たちにいくつかの場面で実感させたいと思っている。私は、竹内先生に出会う前に、林竹二先生の『 教育の再生をもとめて―湊川でおこったこと』でショックを受け、教育は文脈の上で行われるものであり、その一点において、教師教育には文学教育が必要だなあと思うようになった。

そんなことがこの授業を通して多少なりとも実感させることが出来れば、良いなと思っている。

            ◆

今日の授業では、『おとなが子どもと出会うとき 子どもが世界を立ちあげるとき 教師のしごと』というタイトルの吟味をあれこれ30分近くやった。テキストを読み、読み開くためには、書かれている事実から何が読み取れるのかというレッスンをしなければならない。

少人数なので、ほとんどゼミのようにして語句を吟味しながら読める。私がしている授業の展開の方法などの種明かしをしながら、つまり、授業とは何ぞやということも織り込みながら、進める。指定したテキストの読みは少ししか進まないが、そういう読みの授業もまた良いものだ。

私も学生たちと一緒に、久しぶりに「竹内常一ワールド」を旅することを楽しみにしている。

成功するまで失敗する

後期は木曜日が研究日となる。朝からあれこれと進める。だが、会議も入ってしまいちょっと大変ではあった。本当は、一つの研究のために大阪に行く予定だったのだが、それはキャンセル。

            ◆

授業の準備をしながら過ごす。あれやこれやと気分転換に食器洗いとかしていると、突然降ってきた。授業のアイディアである。慌ててPCに向かい打ち込む。ふう。

考えて考えて、考えて考えて。そして、その状態のまま他のことをしているとアイディアが降りてくるというのは、私の場合良くあることだ。問題は、この「考えて考えて、考えて考えて。そして、その状態のまま他のことを」する時間がない場合だ。考えただけで取り組む時、キレのないプランになってしまうことがある。なんとかこれは避けたいなあ。

            ◆

来年度の研究についても少しずつ動き出している。現在、複数の研究のプランを立てて、実行に移している。その結果が少しずつ結果になりつつあるが、なにぶん研究者としては新米。あれやこれやをやって、上手く行くのを大事に育てたいと言う思いもある。

「成功するまで失敗する。これが研究」

のようなことを先日のNHKの番組で広島大学の先生が話されていたが、そうなんだろうなあと思う。折角、研究と言う仕事をしても良いという職種についたのだから、これも大事にしなければなあと思う。

            ◆

事務仕事をあれこれこなして、帰宅。
本日中秋名月。しかし、曇り空だ。
時々見える満月を味わう。

ま、それもまた良いだろう。

2007/09/27

「逸題」 井伏鱒二

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逸題  
      井伏鱒二


けふは仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

春さん 蛸のぶつ切りをくれえ
それも塩でくれえ
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿

ああ 蛸のぶつ切りは臍みたいだ
われら先ず腰かけに坐りなほし
静かに酒をつぐ
枝豆から湯気が立つ

けふは仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

            ◆

去年も書いたなあ、この詩。
でも、いいんだよな。

こんな詩は書けないが、こんな詩を知っていて味わうことが出来るのは、
幸せだ。

写真は、昨日の月。14番目の月だ。
今宵は少し曇っているから、ちょっと心配だ。

2007/09/26

名前の規準

娘が生まれて20日が過ぎた。
ちょっとした心配があったが、大丈夫そうだ。
良かった。本当に良かった。

この繰り返しをしながら子どもは育っていくのだろう。いや、私の子どもだけではなく、ほとんどすべての子どもにこういう思いを親が注ぐのだろう。そして、注げる社会でありたいと思う。

            ◆

子どもの名前をどうするか。これは、親になるときに考えなければならない大きな課題だ。学生たちは、
「先生、娘さんのお名前はなんて言うのですか?」
と聞いてくる。
私は
『ひみつ』
と答えるf(^^;。
そして、
『君たちだったら、どんな名前をつける? それを聞いてみたい』
と言ったら
「すだち!」
と訳の分からんものが出た。
聞いた私がおろかであった。

            ◆

私達は、子どもが男か女か予め聞くのは止めていた。なんというか、人類が誕生して1万年として、生まれる前に男か女か分かるなんてのは、この2、30年のことだと思う。立ち会い出産も同じようにここ2、30年のことではないだろうか。

人類が今までやってきたことには、何らかの理由があると思い、男か女かは事前に聞かなかったし、生まれる時は人類の男として「正しく」、産室の前でうろうろした。

            ◆

で、名前である。
男か女か分からないと言うことは、どちらも考えると言うことである。これは悩んだ、考えた。あちらこちらから、国語科の教師の付ける名前だからねえ、というプレッシャーも受けたf(^^;。

私が考えるために名前の規準としたものは、以下の4点である。

1)男か女かすぐ分かる名前
2)読み間違えのない名前
3)過去の教え子にいない名前
4)親の願いが込められる名前

である。

さらに言えば、赤ちゃんでも、子どもでも、大人になってもかわいい名前、おばあさんになっても可愛い名前であるのが良いなあ。外国のニックネームにも使えるのが良いなあ。

なんてとっても欲張りでした。

            ◆

1)と2)は、教員を経験すると良くわかる。例えば、(関係者には申し訳ないが)「池田学」という名前を付けたとする。これは、男だと分かるが、「まなぶ」か「ガク」かちょっと分かりにくい。
「いけだまなぶ君」
と読んだら
「ガクです!」
なんて嫌な顔をする子どもを何回も見てきた。
(確かに事前に読んでおくことはするが、そもそも読み間違いの可能性のある名前なんだから、そんなににらむなよ。親に文句言えよ)
と心の中で少し思っていた。

もし私が親なら、
『いいか、お前の名前は読み間違いがされやすい。だから、「まなぶが正しいです。ガクっていうと勉強させるためにまなぶってつけたのに、成績がガクって下がる感じがするので、父はまなぶと付けたと言っていました」と言うんだよ』
と覚えてもらえるような小話を子どもに伝えるだろう。

実際、私の母親は
「いいかい、おさむ。お前のおさむはどういう字ですか?と聞かれたら、「修身の修です」と答えるのですよ」
と私に教えてくれた。ま、実際は『修身の修です』と言っても分からない人が増えてきているので、『修学旅行の修です』と私は答えているけど、そこまでやるべきだろう。

そして、それをしないのであれば、どう読んでも読み間違いのないものにすべきだと思う。読み間違いは一生のことを考えれば、もの凄い無駄な労力を子どもに課すことになると思う。

だから、1)と2)は、大切にした。

            ◆

3)も、教師なら分かってくれると思う。実際、「そうそう!」と言ってくれる教員仲間は多い。どうしても過去の教え子とイメージが被ってしまうのだ、悪いイメージは良くないし、さらに良いイメージであっても自分の子どもに競わせてもなあと思ってしまうので、なにがなんでも過去の教え子にいないものにしてあげたかった。

教師を目指すのであれば早めに結婚して、教え子の少ないうちに名前をつけるのが良いと思う。

            ◆

4)これは、まあ、そうだろう。いろいろな思いを込めて、名付けた。

            ◆

娘の場合は、すぐに決まった。息子の場合は、これは大変だった。最終的に二つが残って、生まれたとき、息子だったら顔を見て決めようと思った。

ああ、姫で良かった。

で、名前?
そんなネットには書けませんよ。
本人の許可も得ていませんしf(^^;。

お会いしたら、具体的に延々と話しますので付き合ってやってください。

2007/09/25

のようにも変化(進化?)する

週末は、奥さんと娘に会いに東京に向かう。いやあ、自分がこんなに新幹線に乗る生活になるとは、中学生の時に思ったであろうか。新幹線に乗るということだけで興奮していた私が可愛く思える。

そして、あっという間に京都に戻って授業をしている私を、私は不思議な感覚で思っている。3時間ちょっとでここにいるんだなあ。車内で一仕事をしていたら、もう京都だ。新幹線の中でトイレに行こうと思っていたのに、それすらできなかった。ひょっとしたら新幹線通勤も出来ちゃうかもねと思ったりもする。

            ◆

娘は、可愛い。
うーん、誰がなんと言っても可愛い。
「赤ちゃんにしてはびっくりするぐらいの目鼻立ち」
「目が大きい」
とか病院では言われたが、他人と比較したことがないので良くわからない。が、確かにすっきりはしている。

私の父親は、
「あれで歩き出したらお釈迦さんだな」
と爺バカ丸出しであったが、実は私もそう思っている。

ではあるが、一方で赤ちゃん特有の顔もする。

「土偶 → ガッツ石松 → 朝青龍 → オラウータン」

のようにも変化(進化?)する。オラウータンが上位に来ているのは、ある意味申し訳ないとは思うが、実際そのように感じるので仕方がない。それでいて可愛いのだから、もうどうにでもしてくれいという感じだ。

            ◆

嬉しいことに、
「娘さんの御祝いを差し上げたいのですが、何が良いですか?」
と言ってくださる方がいる。実に有り難く御願いすることにしている。

私が御願いしたいのは、二つである。

1)0歳から7歳までに出会う絵本、音楽CD、オモチャ

今までに自分や自分のお子さんで出会ったもので、「あ、これはいい」というものがあったら戴きたい。「○歳で使ってください」として頂ければ、その時まできちんと保存して、娘の誕生日に、『これは、○○さんから戴いたんだよ』と言って使わせたいなあ。

2)中学生の娘への手紙

思春期に入った時に、娘に何を語るのか、私には良くわからない。幸いにしてうちの大学には女子学生が多い。
「あのね、○○ちゃんのお父さんは、××だけど、〜〜は結構いいよ」
とか
「〜〜の時は、こうしたらいいよ」
とかいうことを12年先の娘に書いてほしい。
これも封をして閉じておきます。そして、中学生になった娘にあげます。
『この手紙はね、○○というところでお世話になった人からだよ』
というように渡してあげたいなあ。

タイムマシーンは、過去には戻れないけど未来には行けます。娘に玉手箱をあげたいと思っています。私は、娘が生まれた日と翌日の新聞を8紙ずつ買いました。テレビガイドも買いました。お祝いメールやブログのコメントも一緒にプリントアウトしています。それも一緒に仕舞っておきます。

もし、ありがたいことにそんなことを考えてくださる方がいらっしゃいましたら、そんなことを考えていますので、よろしくお願いいたします。

            ◆

大学では、国語科教育法2が始まった。
夏休みの課題を元に、お互いの作品を評価するのだ。評価の規準と基準について実際に評価する中で体験してみることにした。

学生たちは、またもやショックを受けている。そりゃあ、そうだろ。先生たちは評価を適当にやっていると思っているだろうからなあ。今までは出された評価に関して文句を言っていれば良かったんだけど、教師になるってことは自分が出した評価に責任を持つと言うことだからなあ。

後期は、実際にやることがどんどん出てくる。しっかりとやりきっていけよ、学生諸君。

第七回 明日の教室 ご案内

第七回 明日の教室のご案内です。
申し込みは、こちらから。

 
           ◆

いじめ、学級崩壊、教育格差、低学力問題。
今、様々な教育に関する問題が山積しています。
このような中で、私たちは、子ども達に、どのような学びを提供していけばいいのでしょうか?
少なくとも、漢字、計算といった学習の繰り返しだけで、いろんな問題が解決するとは思えません。

今回、お招きする講師、砂連尾理(じゃれお おさむ)さんは、プロのコンテンポラリーダンサーです。創造的な表現や新しい価値を生み出すことに生涯を捧げているアーティストです。

アーティストと教育?、アーティストと子ども達?と思われる方も多いでしょう。
アーティストと子ども達が出会うことによって、子ども達に、どのような学びが展開されるのでしょう?
私は、子ども達が、ワークショップという活動を通して、「互いの違いを認め合い、周囲と共生していくことの大切さ」を頭ではなく、身体で理解していくことにあるのだと考えています。

実際、砂連尾さんは、この数年、何度か学校現場に入り、そのような活動を展開されているのです。
アーティストとの授業では、「表現の自由」ということが何よりも尊重されます。活動の中で、子ども達は「開放感、安心感」を感じ取り、受け入れられる喜びを体感します。そして、自分の言った言葉、演じた動きが、必ず次の表現に活かされる経験を通して、表現する楽しさを学ぶことができるのです。

コンテンポラリーダンスでは、日常の様々な動きをダンスにしていきます。ですから、いわゆるヒップホップに代表されるようなリズムに合わせて振りをするといったものとは全く違った感覚のものです。
ダンスはちょっと苦手で・・・と尻込みする必要は全くありません。是非、この機会に、新たな学びの方向性を学んでみて下さい。

体を動かしやすい服装でお越し下さい。

日時:10月13日(土)  13:30~17:00

会場:京都橘大学児優館 
http://www.tachibana-u.ac.jp/official/information/access.html

講師:砂連尾理(じゃれおおさむ)さん@コンテンポラリーダンサー

内容:身体表現・ワークショップなど

会費:一般2000円、学生1500円
なお、会の後、蓮行先生を囲んで懇親会を予定しています。自由参加で3000円程度です。

昼食:大学の生協食堂が開いております。安くて美味しい本学の生協の食堂をご利用ください。


申し込みは、こちらから。


講師紹介
砂連尾理(じゃれおおさむ)
1984年 同志社大学入学と同時にダンスを始める。
1988年 劇団ONE-PROJECTを共同で設立。その殆どの作品に振付・出演を行う。
1989年 石井潤、石井優子にバレエを師事。
1990年〜91年、91年〜92年、93年〜94年、三度にわたり渡米。
1993年〜94年 リモン・テクニックをアラン・ダニエルソンに師事する。
1994年〜 ダンス・パフォーマンス・ワーク (DPW) (主催…京都市中京・東山青少年活動センター) の講師を務める。
1995年〜 アレクサンダー・テクニックを芳野香に学ぶ。
2002年 3月「第一回TORII AWARD」 大賞受賞。
7月「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2002」において、「次代を担う振付家賞」「オーディエンス賞」 を受賞。
2002年 10月〜 京都造形芸術大学 (映像・舞台芸術学科) にて非常勤講師を務める。

*「砂連尾理+寺田みさこ Official Site」 http://www4.airnet.ne.jp/jaremisa/


申し込みは、こちらから。

2007/09/22

私が仕事をしてきた年代

いやあ、頑張って半日かけて部屋の大掃除。床と言う床をすべてモップをかけて水拭き。さらに、洗濯にゴミ出し。良い運動になった。

            ◆

午後から新しい企画の打ち合わせ。久しぶりに会う先生、原稿では良くお会いしているのに初めての先生も、最近よく会う先生もいて、なかなか面白かった。良い作品になりそうである。

            ◆

この夏の頭に「ドラゴンボール」を読むと言っておきながら、めげている。その代わりと言っては何だが、「課長 島耕作」「部長 島耕作」をすべて読み終わった。年齢も仕事も違うが、私が仕事をしてきた年代が描かれていて、それぞれに私にも思い出があり、結構感動だ。

この次は「取締役 島耕作」だと思うのだが、実はその先が分からない。株式会社に勤めたことがないので、会社の役職の順番が分からない。ま、ネットで調べれば良いのだろうが、一般常識がないなあと思う次第である。

            ◆

夕ご飯は時間があったので、餃子を作ることにした。小麦粉と肉と塩と野菜。餃子は完全食であると言われている。しかも、ひき肉を使い、野菜も細かく刻んである。治療中の歯にはちょうどいい。

久しぶりに、きれいな部屋でゆっくりとした食事であった。
さ、明日は東京だ。久しぶりに娘に会えるぞ(^^)。

明日の教室 12月までの予定

明日の教室の今年中の予定が確定しました。
予定表に印を御願いします。時間はすべて基本的に、13:30~17:00で、その後懇親会があります。

10月13日 砂連尾理さん コンテンポラリーダンス
11月11日 糸井 池田  学習ゲームなど
12月15日 青山新吾先生 特別支援教育 


すべての申し込みは、こちらからどうぞ。

ちょっと気になった言葉

いちいち気にしていたらやってられないのかもしれないが、まあ、ちょっと気になった言葉があったので、メモ程度に書いておくことにしよう。

【これぐらい厳しいことをしないと】

舛添厚生労働大臣の昨日の発言である。彼は、比較的言葉を選ぶ政治家だなあと言うのが私の印象であったが、この言葉は良くわからなかった。これは年金の掛け金をがめてしまっていた職員への処分についてである。そう、市区町村職員による国民年金保険料の横領問題である。

これは、犯罪であり、横領なんてことがあれば逮捕されて起訴されてというのは、「当たり前のこと」である。それを「厳しいこと」という言い方をするのは、なんか違うよなあと思うのであった。

【家庭と同じくつろぎを味わって頂きたいのです】

これはNHKの朝の連続テレビ小説「どんど晴れ」の中で何回も出てくる台詞。有名な老舗旅館の女将があちらこちらの場面で言う。

変だなあと思う。みなさん、思いませんか?

いえね、家庭と同じくつろぎだったら、家にいれば良いじゃないですか。なにもわざわざ高いお金を出して、家庭と同じ物を味わいにいかなくてもねえ、と思う私はやはりへそ曲がりなんだろうなあ。

(私だったらなんていうかなあ)
と考えるのが面白い。

さあ、後期が始まった

さあ、後期が始まった。
授業の準備もばっちりしたし、気持ちよくスタートを切ろう。

            ◆

学内を歩いていたら、立ち止まっている一群を発見。
「おはようございます!」
前期に担当したクラスの娘たちだ。立ち止まって挨拶をする。大事なことだ。

『はい、おはよう』
「先生、おめでとうございます」
『あ、ありがとうございます』
「赤ちゃんの名前はなんて付けられたのですか?」
『ん。何だと思う?』
「ブルーベリーちゃん」
『あほか(^^)』

ブルーベリーは、私のクラスが植樹した記念樹である。
良い顔をしている。充実した夏休みだったのだろう。

            ◆

3限は「日本語コミュニケーション技術1」という授業である。主にディベートを学ぶ。意外なことにディベートを今までに習ってきている学生が少ない。ま、その方がいいな。

今日は授業オリエンテーションと、シナリオ方式のディベートが開発されるまでの15年間の指導と研究の概略、さらに、ディベートとは何かについての解説。次回からは、実際にシナリオ方式のディベートに取り組むことになる。

教室が涼しくなってくると良いなあ。ディベートは暑い時期にクーラーのない教室でやるのは大変だ。だが、寒い教室でやるには暖房代の節約になる。

            ◆

もう一つの授業は、「キャリア開発演習2」である。が、私、何を勘違いしたのか「教職総合演習」の授業のつもりで資料を用意して休み時間に教室で待っていた。

(なんか、いつもと違うメンバーがいるなあ)

と思っていたら、
「先生、教室を間違えられていませんか?」
と声をかけられる。
(へ?)

教務から配られた出席表を確認する。確かに教室は、ここである。そして実施の時間も4限で間違いない。しかし、実施する曜日が違っていた。がーん。

慌て正しい教室に走り、詫びを入れてから研究室に戻ってその授業の用意を持って教室に戻る。信じたくはないが、今日の私の占いは最低だった。ショック。大学に移って初めてである。何を勘違いしていたのだろう。

            ◆

「キャリア開発演習2」では、理想の教師像というものを考える授業を展開していきたい。テーマが大きいだけにその山の麓で終わってしまうかもしれないが、この先に頂上があるということを意識させることが出来れば、それはそれで大成功だと思う。

本日は、自己紹介とその意味。なぜ、教師になりたいのかスピーチとその評価をメインとしてやった。そこに隠されている評価の規準を開陳すると、学生諸君はびっくり。
「こわ〜〜〜〜〜〜い」
というのが学生たちの評価だった。

そうだよ。大人はそういうところを見ているんだよ。
はははははは。

とまあ、授業を間違えていた私が偉そうに言える問題でもないがf(^^;。

2007/09/21

研究室で打ち合わせ

朝からちょっとした問題があってその対応に取り組む。まあ、大丈夫だと思うが、念には念を入れて。よろしくお願いします。

            ◆

昨日会うことの出来なかった方と、研究室で打ち合わせ。ちょっと大きな仕事になりそうな気配。大学の先生は時間があると思われているようだが、さて、実際は全然違うなあ。ただ、自分で仕事をマネージメントできる幅が広がったことが、この忙しさを充実させてくれているのかもしれない。年齢的なことから生まれるものなのかもしれないけど。

生協でランチを取りながらさらに打ち合わせ。
(え、そんな、そうなの!)
という話題も踏まえて、いろいろと打ち合わせ。

途中、学生たち何人かに声をかけられる。課題の質問の言葉と娘の誕生の御祝いの言葉。いよいよ後期が始まる感じがする。

            ◆

授業の準備をしつつ、一方で体のメインテナンスをする。基礎工事が終わった歯の治療。本格的な治療に取りかかる。一日も早い完治を期待して通う。

そこにまた別の方面から、お仕事のお電話。
もちろん、御引き受けいたします。
これも楽しみ。

            ◆

夜、朝のことについて確認。最悪の事態は免れたが、ちょっと気になることも。慌ててインターネットで検索する。良い時代になった。こうしてすぐに情報が入る。素人には簡単に判断できる問題ではないが、私が調べた限りでは、大きな問題にならなくてすみそう。一安心だ。

さて、明日から後期が始まる。
週末娘に会えるのを楽しみにして、良い授業をしよう。

2007/09/20

「笑顔病」

「笑顔」が気になる。
野中先生の最近のブログにあった、「楽しんで」にもちょっと関係があるかもしれない。

            ◆

なんとういか、若者の間に「笑顔病」が流行っているのではないかと思うことがあるのだ。

「笑顔には自信があるのです」
「笑顔が私の原点です」

のようなことを最近学生から聞いた。
私は一瞬
(こいつ、何をいっているんだ?)
と思った。

私の感覚では、それは自らが口にする言葉ではなく
『きみは笑顔が素敵だね』
のように、他者から言われる言葉であって、自分から口にする言葉ではないと思うのだ。

            ◆

本来評価の言葉として使われる言葉を、自分で勝手に使っている若者が増えている気がする。
「はい、一生懸命頑張りました」
なんてことを平気で言う。一生懸命頑張ったかどうかは、きみが言うのではなく
『を、きみは頑張ったねえ』
と、評価する側が使う言葉である。自分で言うのを聞けば聞くほど、
(お前は本当は何もしていないんじゃないか)
という思いを持つ。

私の経験では、本当に頑張った時は「頑張りました」という言葉は出ない。
「終わりました」とか「ふう」とか「・・・」ということが多い。自分で自分のことを評価するってのはないなあ。事実を呟くだけである。

            ◆

笑顔が醜い人やおかしな人ってのは、そうはいない。それをわざわざ言うのってのは、たしなみがないという思いもする。

さらに、笑顔でなければならないという考えにとらわれているのではないかとも思う。喜怒哀楽。すべての感情と表情を持っているのが、人生を豊かに生きることだと思うし、それが教師に必要なのだと思う。

今日、歯医者で見たテレビでは「笑顔度」を測定するプログラムが開発されて、それをデジカメに載せようと思っていると開発者は言っていた。集団を撮影するとき、その笑顔度の%が高い瞬間に自動的にシャッターを切るということだ。

            ◆

なんか間違っていない?

子どもは敏感だから、無理して作った先生の笑顔は受け入れない。それよりも、悲しい時に悲しい顔をしている先生の方がいいと思う。頭に来た時は頭に来たの顔で良いのだと思う。

無理矢理の笑顔なんて、竹中直人のギャグのようだ(って分かるあなたは、お仲間です)。

公的に家族の一員になっていく

睡眠時間が少ないなあ。5時間だ。朝起きてしまうのだから、まあいいか。昼に10分でも昼寝をすると随分違うから、そうしよう。

            ◆

大学に行く前に部屋の片付けを続ける。掃除機の音があまり好きではない私は、モップで床のゴミを取った後、雑巾がけをする。床のべたべた感が取れてさっぱりする。日頃の運動不足も解消。一石二鳥である。

ベランダの掃除も一気にしてしまう。朝から窓ガラスに光が当たっているので、網戸も一緒にごしごしと洗ってしまう。通常窓や網戸と言うのは年末の大掃除で洗うことが多いと思うのだが、私は夏に洗う。その方が寒くないし、水遊びをしている感覚で出来るからだ。拭き掃除はしていても、半年で結構汚れるものである。

風呂にどぼんと飛び込んで汗を流し、大学に向かう。

            ◆

今日は、会議が三つあった。
その合間を縫ってあれこれ。夏休みを取っている間にいろいろとご迷惑をかけていたところの処理をして回る。丁寧にやったつもりだったが、まだ大学での動き方が分かっていない部分があって、そこでちょっとご迷惑をかけてしまった。

            ◆

事務手続きでは、娘が生まれたことでいろいろと書類を書く。こうして公的に家族の一員になっていくのだなあと思う。時々娘の写真を見ては、
(今頃は授乳か? それともぐずっているか? ぐっすり寝ているか?)
などとも思う。

大学には後期の授業開始21日に合わせて、学生たちが戻ってきた。少しずつ活気が出てくるな。授業の再確認をしよう。

            ◆

家に帰ると市役所から二通の通知。一通は私に、一通は娘に。私へのは、娘の今後の検診とか児童手当とかの案内。これは分かる。もう一通は、娘の住民コードの案内である。びっくりだ。確かに生まれたし、人間だけど、なんか違和感がある。どちらかというと物として数字を付けられた感覚だ。なんだかなあ。

人間てそんなんで良いのか?

            ◆

夜に人と会う予定になっていたが、上手いこと都合が付かずにキャンセル。ま、こういうこともあるさ。

2007/09/18

暑く美しい日

1

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暑い一日でした。
美しい一日でした。

4

東の空に見える夕焼けというのは、実に切ないものです。30分ぐらいで消えてしまいます。
今日のその東の空の夕焼けは、なんか火の鳥のようにも見えました。

しばらく暑く美しい日が続きそうです。

            ◆

明日の京都新聞に、ちょっとした原稿が載ります。文化面です。手にすることが出来る方、良かったらご覧下さい。

DVD 「句会」「たほいや」

新しいDVDが出ました。ディベート指導DVDに続く、第二弾の「句会」第三弾の「たほいや」です。どちらも、大きな枠でくくると「学習ゲーム」です。

            ◆

俳句の指導はどうしても鑑賞が中心になってしまいがちですが、実際に作って鑑賞する。その方式として句会があるのですが、なかなか句会までは指導する機会がないと思います。しかし、是非その句会を開催してみてください。非常に面白いです。

句会は、作者と作品を切り離して、作品だけでその優劣を決める方式です。(○○さんが作った作品だから)という規準で選んでしまう思春期の子どもたちにとって、一度作品を作者を切り離し、作品だけで鑑賞するという経験を積ませることは大事だと考えています。

また、この句会を知っておくと、句会方式でさまざまな指導が出来ます。私は「こんなタイトルなら読んでみたい作文コンテスト」「人生名言集」などの実践で活用していました。

            ◆

「たほいや」は、それこそ今を去ること20年ぐらい前のフジテレビの深夜番組で行われていたゲームです。あの当時は「カノッサの屈辱」など非常に面白い深夜番組がありました。簡単に言えば、辞書に書いてある単語の意味を当て合う集団ゲームです。

テキストでルールを理解するには、ちょこっとルールが複雑なので、ビデオ化できて良かったなあと思っております。これなら一発で分かります。

私はこのゲームをよくパーティでやっていたのですが、よくよく考えてみると「読む」「書く」「話す」「聞く」の、国語の四要素が入っていることに気がつきました。ならば、辞書に親しむことと四要素を鍛えることを目的として授業として組み立ててみようと言うのが、最初です。

東北福祉大学の上條晴夫さんによると、日本の教育の文脈にたほいやを持ち込んだのは、私が最初だと言うことです。責任を果たせて良かった。

            ◆

ディベートのDVDに比べれば、今回は随分と廉価になっております。個人ではそれでも高いと思いますので、もしどこかに予算が余っていたら御買い求めくださいf(^^;。

どちらも、子どもたちは非常に喜び、力の付く実践です。

自分の中に住まわす者

琵琶湖には、ブラックバスを釣ろうとする舟の数が多い。
世の中は連休である。
私はいつも通りに起きて、風呂を沸かして洗濯をして、朝ご飯を用意してと一日を始める。昨日はのんびりしたので、今日はいろいろとするつもりであった。

            ◆

が、結局大学に向かったのは昼過ぎであった。家にいれば家にいるですることが出てくる。そこのところを、エイやっと乗り越えて大学に向かった。今日は書かなければならない原稿が二本あるのだ。

一本は「NEW 教育とコンピュータ」の連載。学級担任の仕事について書き続けている。11月号の原稿。もう一本は「授業づくりネットワーク」の原稿。中学生の作文指導について。こちらも11月号だ。

            ◆

このごろの私は、原稿の依頼を貰った時に、大体のことを書くようにしている。キーワードやら参考文献やらを思いつくままに書いておく。そして、小見出しもいくつか書き出しておく。それで一ヶ月ぐらい寝かしておくことが多い。

で、なんとなく原稿のテーマのことを頭に入れておきながら過ごしていると、関連する本とかニュースとかが相手から飛び込んでくる。これをまた書き留める。そうして締切の直前になってそれらを校正し直して、一気に書き上げるという感じである。

こうすることで、自分の中にプロデューサーとディレクターとライターの三人を抱えることが出来るような気がしている。さらに、コーディネーターやADやらも住まわすことがある。この感覚を上手くコントロールできると、順調に進むのだが、ま、いつもそうとも限らない。ただ、この方法は、この5年ぐらいの私には良い感じである。

            ◆

夜、テレビ電話で娘の顔を見る。ぐずらないで寝ている姿、呼吸している姿を見るだけで幸せになれるなあ。奥さんはこれからまだ授乳があり、いろいろと大変なのだがありがたい。

さ、明日はもう少し研究的な生活を送りたいものである。


2007/09/17

残暑か

移動と明日の教室の疲れもあって、ちょっと寝すぎた。9時に起床。
風呂に入って、さっぱりして朝から素麺。
いやあ、暑いなあ。
残暑か。

            ◆

さっぱりしてもまた汗が出てくる。
もう一回風呂。

そして、昼寝。
夢の中に奥さんと娘が出てくる。
いやあ、父親になったんだと思う。

空が奇麗だ。

Rimsora


            ◆

夕方、大学に向かおうとしたら大雨。
凄く奇麗な空だったのに、大雨。
そういえば、逢坂の関辺りがさっき白くなっていたなあ。
今日は天気が良く変わる。琵琶湖の変化が激しい。

            ◆

大学でちょこっと明日の教室の後片付けやら、事務仕事やらをして明日から始める、夏休み明けのあれやこれやの準備。

夜は、読書。
秋の夜長は、読書だなあ。
まだ暑いけど。

2007/09/16

気がついたら京都駅だった

(しまった、東京駅にすれば良かった)

品川から新幹線に乗ろうとして後悔した。
品川は、通過する新幹線が思ったより多く、30分近く次の新幹線が来るのを待つことになってしまった。しかも、指定席を押さえようとすれば1時間も次のになってしまう。

仕方がないので、一番最初に来る新幹線の自由席で京都に向かうことにした。今日は第六回明日の教室があるのだ。娘にさよならをして、京都に戻るのだ。

            ◆

3号車に乗るように列に並ぶ。3号車の後方のドアの前に並んだ。ここに並べば通過した車内を見ることができるので、どこが空いているのかを確認することができる。足許のブロックを見ると、禁煙車になっている。よしよし。

ところが、その禁煙車は新型の新幹線のみで、私が乗る新幹線は喫煙可能の車両と言うことが、到着間際に分かった。
(そ、そんな)

            ◆

ところが、これが良かった。
1、2号車は兎に角満員。通路や連結部にも人があふれている。3号車は喫煙可能ということで空席が3つぐらいあった。私は座れた。

辛いと言えば辛いが、換気は結構良いみたいで、隣で吸われなければなんとか大丈夫であった。指定のチケットを持っているのに、自由席で立つのは何とも切ないですからね。

新幹線の中では、娘との一週間を書き続ける。この一週間でノート一冊になったからなあ。毎日万年筆のインクを一本使い切るぐらい書いていた感じだ。今書けることを今書いておきたいという思いで書き続けた。

気がついたら京都駅だった。

            ◆

直接大学に行こうかとも思ったのだが、タバコ臭いのが許せないし、家の植物に水をあげなければならないと思ったので、一度家に戻る。水をあげて、シャワーを浴びて、車に飛び乗る。久しぶりのMINIだ。心地よいなあ。

            ◆

だが行くに着いたらもう会場準備が始まっていた。すみません。

今回は、事前の申し込みの出だしが鈍っていて、ちょっと心配だったが当日は27人の参加。気持ちは分かる。新しい学期が動き出したばかりで仕事はたまっているだろうし、疲れも溜まる頃だから当日ギリギリにならないと申し込めないんだろうなあと思っていた。

運営する側からすると、一週間前ぐらいに参加者が8割ぐらい確定していると安心なんだけど、これは無理だからねえ。でも、もうちょっと前に申し込みを戴けると嬉しいなあf(^^;。

            ◆

ワークショップは、充実していた。
私の問題意識にどまんなかの答えを投げ返してくれて、満足。

教師の武器である、声。そしてそれを支える呼吸と体。自分の体に合った無理のなく説得力のある声。それを自覚して使えるように、今の自分を理解してトレーニングすることの重要性を実感してもらえたのではないかと思う。

            ◆

夜は、例によって大盛会な懇親会。
私は娘の誕生も祝ってもらった、研究会にいらっしゃった方からお祝いの品まで貰ってしまった。ありがたいことです。

さあ、また京都での生活が始まります。
うしゃあ。

2007/09/14

明日、第六回「明日の教室」

いよいよ明日、9.15に第六回「明日の教室」が行われます。

今回は、会場を児優館の二階の多目的教室に移して行います。劇団衛星の蓮行さんによるワークショップです。

教師と言う仕事は、子どもを受け入れ、包み、向き合い、拒絶する体が必要です。さらに、すっくと立ち、後ろ姿を見せる体を持っている必要があるのではないかと思われます。

教師は言葉と体で子どもとコミュニケーションを取っていきます。その時に、自分の体がどのようになっているのか、自分の体は自分の言葉とどのような関係になっているのか、他人にはどのように映っているのか等を考えることは、とても意味があります。

ですが、この自分の体に気づくと言う作業は、鏡を見ると言うようなことだけではなかなか難しいのです。

声が生徒に届く、教師の体。
子どもが声を届けたくなる教師の体。

そんな体のきっかけを掴めるのではないかと思います。
まだ、多少余裕があります。
私も明日、午前中の新幹線で東京から京都に向かい参加しますf(^^;。

どうぞ、お越し下さい。

詳しくは、
http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2007/08/post_5f71.html

申し込みは、
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P2213754
からどうぞ。

一緒に退院することができました

本日無事、奥さんと娘は一緒に退院することができました。

メールでお祝いを戴いたみなさん、コメントを下さったみなさん、ブログを読んでくださっているみなさん。ありがとうございます。母子ともに健康で、順調です。

            ◆

寝て、泣いて、飲んで、笑って、おしめを取り替えて、寝て、沐浴して、飲んで、寝て。

これだけの生活から、娘の人生は始まるんだなあと、隣で寝ている娘を時々見ながら、明日締切の原稿を書いている私です。

明日の午前中に京都に向かいます。
新しい家族としての生活が始まるんだなあと実感しています。

            ◆

【人生は、思う通りにならない。良いようにも、悪いようにも】

私の作った箴言です。
この数年、自分で作っておきながらなんですが、本当だなあと思っております。

今後とも、よろしくお願いいたします。

池田さんは、やっぱり人間なんよ

9/13

沐浴指導を受けた。
「お風呂はお父さんの仕事ですよ」
と良く言われるが、その意味が分かった。あれは大変だ。首が据わっていない娘を重力とてこの原理を考えながら、さらにはこちらの腰と腕力を考慮しながら行わなければならない。

            ◆

なるほどと思ったことがある。沐浴布という一枚のガーゼである。沐浴は、赤ちゃんは大好きだと言う。お母さんのお腹の中を思い出すからだという。

ただ、違うのはお腹の中にいる時は手足を伸ばせば母親の体に触ることができたが、沐浴ではできない。だから、一枚のガーゼを体に乗せることで安心するのだと言う。足をベビーベッドに触れさせるだけでも違うと言う。

            ◆

去年まで使っていた研究室の周りに苺の苗を植えたのは、秋の初めだったろうか。順調に育ってくると山から下りてくるイノシシか狸にその芽を食べられてしまい、結局は実はならなかった。

『まったく、夜だって言うのにどうして苺の苗が分かるのでしょうねえ』

今年着任された自然科学担当のS先生に、何となく話した。すると、

「池田さんは、やっぱり人間なんよ。目で見ようとしている。動物は、目より鼻の方が利くから夜でも関係ないんだわな」

と言われた。なるほどである。

            ◆

赤ちゃんを見るとき、私は娘の顔を見て、目を見て
(を? 笑った?)
なんて喜んでいるが、実はそれよりも体に触れることの方が大事なんだろうなと改めて思った。視力が十分に育つよりも先に、触覚が大事なのだと改めて思った。
そして、聴覚やら嗅覚やらも。

人間の大人の感覚で判断すると、ずれることがあるんだろうなあと実感。

2007/09/13

富士山も見える

午前中は、原稿書き。ibookと無線LANの御陰で何処ででも原稿が書ける。ま、その割には遅れているのは、言い訳できないが。今日の原稿は、そのうち京都新聞に載ります。

            ◆

退院を明後日に控えて、今晩はお祝い膳が病院から用意された。もちろん、入院費から出ているのだが、嬉しいもんだ。久しぶりに奥さんと二人で食事。でもこれからは三人なんだなあと、感慨深いものが。

朝からの雨も上がり、もの凄く奇麗な夕焼け。
富士山も見える。

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関西に行くと富士山を見るチャンスがガクンと減る。以前は毎日マンションから見えていたのにねえ。

            ◆

明日は朝早くから沐浴指導を受けるので、本当は今宵は病院の近くのホテルに泊まる予定だった。で、ネット等であれこれ探したのだが、なぜか普通の平日なのにどこも満室。なんだ?

理由が分かったのは、そのお祝い膳を食べている時である。病院の最上階にあるレストランからは神宮外苑がばっちりと見える。そして国立競技場も。
(ん、なんで聖火台に灯がともっているんだろう?)
と思った瞬間、
(ああそうか、今日はオリンピックに向けてのサッカーの試合だ)
と理解した。

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娘の御陰で、美味しいものが食べられて、美しい夕焼けを見ることができて、ちょっとだけサッカーも味わえて、嬉しい限り。

しかも、娘が自分に似てきているのも実感できて、これまた嬉しい。ありがたい、ありがたい。
ま、娘は喜んでいるかどうかはかなり疑問ではあるがf(^^;。

2007/09/11

「こども」 室生犀星

次から次へと思い出します。
室生犀星の詩です。

引用開始 ーーーーーーーーーー

こども

こどもが生まれた
わたしによく似てゐる
どこかが似てゐる
こゑまで似てゐる
おこると歯がゆさうに顔を振る
そこがよく似てゐる
あまり似てゐるので
長く見詰めてゐられない
ときどき見に行つて
また机のところへかへつてくる私は
なにか心で
たえず驚きをしてゐる

引用終了 ーーーーーーーーーー

一日ごとに顔が変わっていく娘を、驚きつつも嬉しく眺めています。

今日は廊下で面会の時間を待っていたら、娘の隣でお乳を与えていたという別のお母さんに、
「池田さんのお父さんでしょ?」
と言われました。
『はあ』
「やっぱり。そっくり。お母さんにもそっくりだけど、お父さんにもそっくり!」
と言われました。

さて娘は、人様にどんな顔をしているというのでしょうか(^^)。

「私の子どもたちへ」 笠木透

娘を見ていると、思い出す歌がある。

http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/kodomotachi.htmlより
引用開始 ーーーーーーーーーー

私の子どもたちへ

【作詞・作曲】笠木 透

1.生きている鳥たちが
  生きて飛びまわる空を
  あなたに残しておいて
  やれるだろうか 父さんは
   目をとじてごらんなさい
   山が見えるでしょう
   近づいてごらんなさい
   コブシの花があるでしょう

2.生きている魚たちが
  生きて泳ぎ回る川を
  あなたに残しておいて
  やれるだろうか 父さんは
   目をとじてごらんなさい
   野原が見えるでしょう
   近づいてごらんなさい
   リンドウの花があるでしょう

3.生きている君たちが
  生きて走り回る土を
  あなたに残しておいて
  やれるだろうか 父さんは
   目をとじてごらんなさい
   山が見えるでしょう
   近づいてごらんなさい
   コブシの花があるでしょう 

引用終了 ーーーーーーーーーー

私が高校生ぐらいの時に歌っていた歌だ。父になると言うことはなんてシンプルで、なんて大変なことなのだろうと思った。

名曲だ。
学生たちは知っているだろうか。
こんどゼミの学生たちに歌ってやろうかなあ。

9/11にいろいろな思いを込めて、書いている。

本日大安吉日

暦を調べました。
9/10 本日大安吉日。

娘が生まれて私が東京にいる間で、大安は今日ともう一日。
善は急げ。
本日、娘の出生届を出しました。

            ◆

東京に来る前に、大津の市役所で出生届を貰っていました。
どこの病院で生まれるかは分かっていましたが、貰いました。
市役所の職員は、
「病院で貰えると思いますけど」
と言っていましたが、私は貰ってきました。

見ると、いろいろなことを書くようになっています。場合によっては最悪のことも書くようになっています。生きるってことは、生きはじめることから始まるわけで、そこにいることが当たり前のように思えていることが多いのですが、実はそんなことはない。

            ◆

「花屋の店先にならなんだ〜」

というスマップの歌を私が受け入れられないのは、みんなどれも良いと歌っておきながら、実はエリート意識を隠している歌であるということ。だって、冷静に考えれば、オンリーワンは、ナンバーワンでしょ。でも「ナンバーワンはならなくていい」って歌は変でしょと思うわけで。ということは、この歌に陶酔してる人たちは隠されたエリート意識を理解せずに、実は・・・。まあ、いいか。

生まれてくることの厳粛さってのは、表に出ないことも含めて色々あるのだということをちょっとは感じろよ、とこの歌を聴く度に思っていました。

            ◆

一生で一回しか書けない出生届。練習もしないで書くのか!っと思うわけです。私は大津市から貰ったものに練習して、病院から貰ったものに本番として書きました。

「そんな書類は、裏に隠れるものであって、入力されたら意味のないもの」

と言われるかもしれませんが、私は下書きをして体を清めて、正座をして書きました。人の目に触れないものというのは、立場や条件によって触れないだけで、これが変われば思い切り目につくものとなることを知っています。

その時に、適当であることは良いとは思いませんし、こういうところで手を抜く習慣をつけるとその後にもとに戻らないことを、だらしのない私は知っています。

そして、これは私のことだけに関わることならば、別にどうでも良いのですが、私のことではない出来事に関わってのことです。娘のことに関わってのことです。

私は、自分のことはどうでもいいやとやってきたことであっても、(自分で言うノモなんですが)教え子の書類に関しては、丁寧にやってきたつもりです。進路の書類、学級通信、教科通信。
(お前の先生は、こんなものなの?)
と彼ら彼女等が関わる様々なところで思われたら、生徒が可哀想だと思ってやってきたつもりです。

ならば、娘のためにも丁寧にやっても良いと思うわけです。
モンブランのロイヤルブルーで書いたものを届けてきました。

            ◆

本日、大安吉日。
娘は、無事、戸籍に載りました。

写真は出生届を出したビルから見えた広い空です。

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2007/09/10

【御礼】

多くの方から娘の誕生を祝うメールを戴いております。ありがとうございます。

お返事をと思いながら、まだ誕生日にいただいたメールの御礼が終わったあたりでございます。返事が遅れているのをお許しください。

ベビーベッドを組み立て、出生届を書こうとし、娘専用のハードディスクを購入・設定し、思いつくことをノートに記録し、そして、写真を眺めてはホゲーッとし。なかなか前に進みません。

通常のモードに戻るのはいつになるのか、ちょっとわかりませんが、よろしくお願いいたします。

写真は、娘が生まれた日の朝、琵琶湖から昇ってくる朝日です。

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2007/09/09

親バカスイッチ、オン

この三日間は、なんだか分からないうちに過ぎた。
ただ、娘を見て奥さんの傍にいて、お祝いのメールに返事を書いて、家に帰って写真を見て。いろいろ思いつくことは、娘との大切な思い出として手書きでノートに書きまくっている。

その中から抜粋。

9/6

娘の誕生。
お父さんスイッチ、親バカスイッチ、オン。

9/7

三人ではじめて一緒の写真に収まる。

9/8

はじめて、授乳する。
目を開けてしっかりと飲む。
ゲップもしっかり出る。よしよし。

私の両親と弟夫婦(甥っ子も)とご対面。
それぞれの感想。

父 : 大きな声だなあ。元気がいいなあ。
母 : 奇麗な赤ちゃんだね。
弟 : へへへへへ。
妻 : 小さーい。
甥 : たくさん電車に乗ったよ。

            ◆

今日も会いにいくぞ。

2007/09/06

【ご報告】

みなさま。池田修です。
本日9/6、我が家に赤ちゃんがやってきました。
姫です。
母子ともに健康です。
すでに親ばかモード全開の私です。

長生きしなくっちゃと思っております。
きちんと仕事をしなければと思っております。

いろいろとご心配、ご迷惑をかけたみなさま、かけているみなさま。
しばらく赤ちゃんと奥さんのためだけに過ごす私をお許しください。

ありがとうございます。
ありとあらゆるものに感謝します。

特別活動と特別支援教育

特別活動論二日目。

一時間目は、旅行・宿泊行事の説明である。かつて私が計画を立てて行った野尻湖移動教室を忠心に「計画 → 実行 → 記録 → 評価」の流れで説明していく。中学校に二年生にパラグライダーなどをさせた、あの移動教室である。

野尻湖移動教室はその学校で久しぶりに、スキー教室からグリーンシーズンの移動教室に変更した最初の移動教室であった。なぜ、変更したのか、どのように変更したのかなどの事情も解説する。

            ◆

かつて移動教室は登山や遠泳などの活動が多かった。私が中学生の時もたしか福島県で登山であった。しかし、スキー教室が多くなった。いろいろな理由があると思うが、表側の理由とは別に裏側の事情があることはほぼ間違いない。それは教員の高齢化である。

スキー教室は、インストラクターが面倒を見てくれる。その一方で登山は教員が全員配置に付いて一緒に上る。地上本部で待っているのは管理職ぐらいである。これが大きな違いである。スキーであれば、指導についても事故の対応にしても教員が走り回ることは少なくて住む。変な話スノーモービルで搬送してもらえる。しかし、登山の場合は違う。山で体調が悪くなった生徒がいた場合、その生徒を担いで下山せねばならない。

かつて若い先生が多い頃には、それでも良かった。しかし、若い先生がいなくなったとき、この登山と言う活動をするのは、極めて困難でかつ危険になったのだと考えている。

これを学生に話すと、教員の手抜きでスキーが無くなったと意味を取る者もいたが、これは違う。生徒を安全に活動させるために必要な変革だったのである。

            ◆

この実践の記録は、「移動教室の改革 〜 分宿の試みとインターネット無料掲示板を活用した事前学習 〜 授業づくりネットワーク 2003/10」に詳しく記した。その資料を配布し、流れを説明。そして、ここに書かなかった、実踏、報告書、緊急時事故対策計画などの書類をプロジェクターを使ってみせた。

この資料には、学生たちもかなり驚いていた。そりゃあ、そうだろう。まさか緊急時事故対策計画に「マスコミ対応」なんて項目があって、その対応まで移動教室の事前の計画にあるとは思ってもみないだろう。

彼らは行動班を作って、宿の部屋割りをして、生活のルールを決めてと、まあやっては来ただろうが、実踏がこんなにも詳しく行われているとは思わないだろう。学生の感想を見ても「先生は下見で二回も旅行にいけていいなと思っていた」とあったが、そんなもんであろう。教育を受ける側と、教育を提供する側では全然違うのである。

ま、素直が取り柄のうちの学生たち。「中学校、高校の時の先生たちに生意気を言っていてすみませんでしたと、手紙を書こうと思います」なんて感想文も割と多くあった。教師を目指すなら、それは良いことだと思う。

            ◆

2限と3限は青山新吾先生に、「特別活動と特別支援教育」というテーマで講義していただく。集団を前提にして個に迫る私のスタンスと、個を通じて集団につながる青山先生のスタンスは、それぞれ対象とする子どもが違うことから、当然の違いとなる。しかし、その違いがあるにもかかわらず同じ教育の匂いを学生は、しっかりと嗅ぎ取ってくれたようだ。

自閉症、ADHD、アスペルガー症候群・・・。看護学部の学生は特に詳しくこれらのことを学んで入るが、それが学校教育現場ではどのように現れていて、さらにどのような指導が行われているのかは良くわかっていない。これらについて、理論と実例、さらにはロールプレイングによる事例学習までもしていただいた。

            ◆

4限は、青山先生と私の対談。学生の感想が面白い。「対談なんて形式の授業を受けたことはない。もともと、対談で授業が成立するのか?と思っていたけど、とても面白かった」というものがかなり多くあったのだ。

シンポジュームに参加したことのない学生たちは、対談が授業になるという発想はないのだろう。しかし、面白いに決まっている。自分で言うノモなんだが、学校教育現場で事例を分析して、言葉で記録して語ることを長年続けてきた二人である。打ち合わせ等しなくても、いや、しないほうが良いと判断して対談に突入した。

私が青山先生の授業で学んだことを述べつつ、その学びの中で感じた違和感、または疑問点を提示し、その疑問に青山先生が答えて下さるという、非常に贅沢な時間である。この対談に入る前に私が考えていたこと(ねらい)は、以下のことである。

1) 同じ本を事前に読んで授業を受けることの意味。
2) 同じ授業を受けた自分と池田の見方の違い。
3) 質問をすると言うこと、質問を展開するということの実例の提示。

1)学生たちは、事前に青山先生の『特別支援教育を創る!』(明治図書)を読み、質問内容をまとめて提出する課題を課してある。このことで問題意識を持って授業に臨むことの大切さを実感させようと考えていた。きちんと事前に学習したものが得をするような授業を実感させたいと思っていた。

2)同じことを学んでいても、学ぶ人によって学びの内容や質が変わることを示したかった。その人の持っている基礎知識、関心のある問題領域、見る角度などによって違ってくる何かを感じてほしいと考えていた。

3)1)と2)を踏まえて、では実際にどのように質問が行われるのか。そして、その質問に正対して答えてくださる青山先生の答えを、さらに私が、授業の他の場面で出た話とリンクさせながら展開していこうとする学びの連鎖を見せてあげたいと考えていた。

ねらいは、ほぼ上手く行ったと思う。学生たちは知的に興奮していた。私も青山先生も授業が終わった後は、対談のグルーブ感を心地よく感じていた。そして、私達も学びが深まったと感じていた。ありがたい。

            ◆

夜、山科でクールダウン。そして、お見送り。
明日はお仕事に戻る青山先生である。長居は迷惑である。
また、是非こういう機会を持てればとお願いして、失礼した。
ありがとうございました。

良い時間であった。

2007/09/05

特別活動論が始まった

集中講義の第三弾、特別活動論が始まった。この授業は、今までに私の授業を受けている学生と、初めて受ける学生とが混在する。登録は110人。私の担当する授業の中では一番大人数の授業である。

講義科目ではあるが、講義だけしていてなんていうのは、する方は良いが受ける方が大変。かの宇佐美寛先生は、5分以上話すのはダメと指摘した。私はなかなかそうはいかない。学校の事例を話しはじめると、つい長くなってしまう。また、学生が失礼な所作をすると、つい説教をしたくなる。伸び、あくび、足を組むなのである。

110人いてもこちらには丸見えである。110人なんて中学校で言えば3クラスの学年の集会の規模である。見えないはずがない。ところが、そんなことが分かっていない学生たちには、私がいちいち指摘するのが驚きのようでもある。

            ◆

午前中は、特別活動とは何ぞやという話を教員の仕事の全体図の中から示すことから始めた。そして、授業や生徒指導などと絡めながら、担任の仕事として行うことが多い特別活動を、「計画」「実行」「記録」「評価」の観点から具体的な資料を使って、説明と実習を行った。

担任の仕事がこのように展開されているということを、学生たちはほとんど理解していない。ファーストフード店で食べる側と、売る側では全く違うように、学校も受ける側と授ける側では全く違うのである。

学生たちにまず理解させたいのは、この点である。

            ◆

90分×2の午前中は、あっという間に過ぎた。昼ご飯もゆったりと食べられないのは、私も学生も同じ。私はタイ式の春雨スープでお仕舞い。急に食べるとお腹を壊しやすい私は、このスープだけを食べて後は、ゆっくりと過ごす。

が、このタイ式のスープ。辛かった。汗びっしょり。
午後の授業が心配なまま、昼休を過ごす。

            ◆

午後の90分×2は、演習を大目に。そのままにしておくと寝てしまう学生が増える。席を移動するワークを入れる。睡魔に教われそうになっていた学生が堂々と大きな伸びをする。
『こら、堂々と伸びをするな。授業中だ』
午前中に注意してもそう簡単に直るものでもない。だが、直さねばならぬ。

で、予定通り終了。

            ◆

これで終わらないのが、大学の仕事。あるところに出向いていって30分程度仕事。ふう。

            ◆

夜は、明日の講義をして頂く青山新吾先生と食事。
先生の『特別支援教育を創る!』(明治図書)と私の『こんな時どう言い返す』(学事出版)の関連性についてなどを話す。いやあ、そんな視点でこの本を見てくれるのは、青山先生だけだろうなあf(^^;。

さて、明日も楽しみである。

2007/09/03

日帰りは辛い

ということで思い切って沖縄に行ってきました。日帰りは辛い。
日差しはまだまだ強く、結構焼けた。

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というのは勿論冗談である。
行ったのは琵琶湖である。
しかし、まあ本当に奇麗である。

我が家から30分ちょっとでこの景色である。ま、それでもなかなか行けないのだが、ちょっと確認しておきたいことがあって思い切って行ってみた。琵琶湖の中をちょっとでもいいからきちんと見ておこうと思ったのだ。新入生キャンプの時に説明を受けたのだが、本当かなあと思うことがあって確認したかった。

びっくりした。水うち際から急に深くなっているのだ。本当だった。海とは違って明るい色の魚はいないので、その深さは本当に吸い込まれるように感じた。

魚は結構いた。
大きな魚としては、ニゴイかな。悠々と泳いでいた。

作っていったおにぎりを湖の畔で食べつつ、改めてその美しさを目に納める。

さあ、明日から最後の集中講義だ。

『教師になるということ』

0041
新刊がいよいよ書店に並びます。単著としては三冊目、新書サイズの本としては初めての本になります。出版社のひまわり社は家本芳郎先生のご縁でお世話になるようになりました。とても丁寧に本を作ってくださるので、安心して全力を注ぐことができました。

『教師になるということ』

* 池田 修 著
* 本体価格 860 円(税別)
* 新書 ・ 184 頁
* 2007年9月10日 発行
* ISBN4-902232- 41-7

http://www.himawari.or.tv/cgi-bin_database/database.cgi?tid=list7&keys11=0041

            ◆

私が教師になった頃に比べると、今といろいろと違うことがあります。大きく違うなあと思うのは、授業の指導方法などはかなり整理されてきているということです。指示、質問、発問などの行い方、授業の展開の方法、ワークシートの開発などなど。

これはこれで素晴らしいことだと思います。私の頃なんてディベートを教えるためにアメリカの高校生の教科書を買って翻訳しながら指導していましたから。

            ◆

ですが、その一方でなぜこれを行うのか、という部分が重視されることが少なくなってきたのではないかなと感じるようにもなってきました。

技術や道具は、ある考えを具現化するために使われるものです。なんのためにこの「指示、質問、発問などの行い方、授業の展開の方法、ワークシートの開発」をするのかという部分を語ること抜きに、教育と言う営みは行われないはずだと私は考えています。

ところが、教員の超多忙化は、この「なんのために」という部分を考えさせることを許しません。そして、上から与えられた考えだけに基づいて、指導の技術を重視して教育を進めるようになりつつあるのではないかと感じています。

しかし、目の前の子どもたちの事実から教育を始めるには、この「なんのために」を幅広くじっくりと自分の頭で考える必要があるのです。

            ◆

私はディベートのワークシート、学習ゲーム、学活のコピー資料集の開発などをしてきました。つまり指導の技術に思い切り携わってきています。それは、私が教育を学んだ頃は「なんのために」が重視されていて、「技術」が弱かったということが理由の一つです。だからそこに力を注ぎました。

当たり前ですが、教育は哲学(基本的な考え方)と圧倒的な知識と指導の技術が必要な営みです。今回の本は、私が今まで実践してきた経験をベースにして語ってみました。そのことから、
(教育に関わるってどういうことなんだろうねえ)
ともう一度自分なりの教育に関する哲学を確認してもらうきっかけになってもらえればいいなあという思いで書きました。

            ◆

私が一緒に「明日の教室」を主催している糸井先生の書評です。

http://susumu.exblog.jp/6079010/
より 引用開始 ーーーーーーーーーー

「いやあ、参った!」
本を読み終えた時、思わず、叫んでしまった。
その本とは、池田修先生(京都橘大学文学部准教授)の新書「教師になるということ」(池田修著・ひまわり社)のことだ。
この本は、今、流行の(?)ハウツー本などとは違う。
池田修という一人の優れた教育者が、教育を真正面から語った哲学書とも言える本である。
この4月から、教育サークル「明日の教室」を共に立ち上げたこともあって、池田先生と話をさせていただく機会は多く、学ぶ点は多かった。
しかし、しかしである・・・・ここまで、理路整然と教育について語れるのだという事実を突きつけられ、「参りました」となった次第・・・・なのだ。
「まえがき」の書き出しは、こうだ。

この本でみなさんと一緒に考えてみたいことは、教師になるということ、教師であるということは、どういうことなのかということです。

そうなのだ、そのことを是非、教師をめざす学生に、若い教師に考えてほしいと私も思う。
そして、この本には、池田先生が考える「教師になるということ」「教師であるということ」が、真正面から語り言葉で書かれている。
まさに、現場からの提言である。
これが、現場で必要な力だと思う。

この本が、今後、真の教師をめざす若者のバイブルになることを願う。
まだ、読まれていない方!本屋に急がれることです!
(あっ、まだ、本屋には並んでいないかも・・・)

引用終了 ーーーーーーーーーー

ちょっと誉め過ぎだとは思いますがf(^^;。

新学期が始まり毎日の実践が次から次へと襲ってきます。そんな中でちょっと立ち止まって考える時間になれればと思います。

多くの方に読んで頂けますように。そして、子どもたちとの豊かな関係が生まれますように。

2007/09/02

夏の名残を味わう

ん? あ、今日は日曜日だ。どうりで琵琶湖に釣り船が多いわけだ。

なんだかもう曜日の感覚がないなあ。それに九月なんだよな。昨日は土曜日だ、九月になったんだなと思ったばかりなのに、一晩経ったらもう忘れている。つくづくいい加減な私。

比叡山から吹き下ろしてくる風がひんやりし始めたなあ。朝はしっかりと布団をかけなければいかんな。

            ◆

昼前に大学に到着。MacのACアダプターを研究室に置いてきてしまったので取りにきた。取りに来たつもりだったが、そのまま仕事に突入。火曜日から始まる特別活動論の準備である。今年度の夏の集中講義の最後だ。

あれやこれやと資料を確認して、準備をする。気がつけば三時じゃないか。ふう。

            ◆

日曜日の大学は静かだ。
時々野球部の練習の掛け声が聞こえてくる。頑張れ。私も頑張る。大学に来てから、前にも増して曜日の感覚と言うか、休日の感覚が無くなってきているなあ。一週間に一日ぐらいは、何もしないオフの日が必要だな。

だが、準備の手を抜くと授業がとんでもないことになるのは、新人の先生であっても私であっても同じ。もう一踏ん張りである。

            ◆

太陽が赤くなる前になんとか準備を終える。ふう。
帰ろうと思ったらメール。
なんと良いお知らせ。友人がふむふむなのである。
急いで返事のメールを書く。
上手く行くと良いなあ。

            ◆

熱めの風呂に入り、餃子とビールで夏の名残を味わう。
今日もよく働いた。
Photo

そういう意味では人生は

朝早く起きて大学へ。一日大学の仕事があるのだ。重要な仕事だけに、昨日のお酒が残っているわけにはいかない。シャワーを浴びてひげを剃って、アイロンをかけたシャツにズボン、ブレーザーで向かう。

            ◆

心地よい疲れとともに一日の仕事を完了。
そうか、今日から九月か。
今日は土曜日か。

飲み屋で、とある人の、とあることのお祝いをしながら思う。

            ◆

(ああ、もうあと一週間、いや三日で良い、夏休みが長ければなあ)
と思いながら過ごした中校時代。宿題を閉め切りすぎて持っていくなんてことは考えられなかった。自分の計画性のなさを恨みながら、右腕の筋肉がけいれんを起こすギリギリまで宿題をやっていた。

ところが、中学校の教師をやっているとき宿題の提出日を遅れても平然としている子どもがいて、驚いた。中学校の時にこれで、大丈夫なのか? 遅れて何か悪い?と言う顔すらする。確かに考えてみれば中学校の夏休みの宿題を出さなかったところで、その時の君に大きな問題はないだろう。せいぜい評定が一つか二つ下がるだけだ。

だが、問題はそこにあるのではない。

このぐらい良いじゃんと言って、小さい問題を適当に処理する習慣を自分に植え付けてしまうことなのだ。それが5年、10年と経つとちょっとやそっとでは取り返しのつかないほどの聡なって現れ、問題が起きた時には修復が難しいようになっているのだ。

だから、怒るのである。

            ◆

先生方のブログを読んでいると、夏休み明けに向けて会議会議というものが多い。そうである。会議である。九月は会議をしない。そのために八月のうちにやっておくというのだろう。それは、まあそうだろうなあと思う。

だが、どうなんだろうか。

私が教師になった頃は、このあまりにも長い夏休みの時間を目の前にして
(どうしてくれよう)
と思ったものだ。そして、本を読み、旅をし、研究会に参加し、美味しいものを食べと研修を行った。「研修」とは「研究」と「修養」のことを指す。たっぷり研修できた。

そして、新学期が始まるこの直前は、
(あー、また始まってしまうねえ)
という思いも当然ある一方で
(あの話もしてあげよう、この話はどうだ?)
とたっくさん話して挙げたいことだらけで、新学期を迎えた。そんな夏休みが迎えられる新人の先生はどのぐらいいるのだろうかとも思う。

            ◆

飲みながら懐かしい声も聞いた。
電話で地元に就職した教え子の声だ。

『無理せず、一日五分で良いから、自分の好きなこと、大切にしていることをやり続けるんだよ。その五分の積み重ねが十年、二十年後には大きな実を結ぶ。そういう意味では人生はなかなか上手くできているからね』

そんなことを話した。
しっかりね。

2007/09/01

鴨川は流石に秋の気配

オフ。

折角の、久しぶりのオフなので琵琶湖で泳いでやろうかと思ったのが、朝から雷雨。悲しい。天気予報では降ったりやんだり晴れたりの一日とのこと。

気分転換に部屋の掃除をすることにした。台所のレンジ周りを外して磨く。床の水拭きなどに勤しむ。ふう。気持ちがよい。そうこうしているうちに、外は青空が見えてきた。

            ◆

午後からは、食事の後近くのイングリッシュガーデンに向かう。そこで寛いでからプールに行く予定とした。しかし、寛ぎすぎてガーデンのベンチで寝てしまった。にわか雨で目が覚める。いかん。これではプールに行けない。

予定を変更して自宅の隣にある天然温泉施設に行き、寛ぐことにする。本当に今日は寛ぐことばかりである。会員価格は500円。これで2時間たっぷりと温泉に入る。ふやけては甲羅干し、ふやけては甲羅干しの繰り返し。読書をしながら過ごす。

ふう。

            ◆

夜は京都市内へ繰り出す。生協の教員採用試験講座のK先生と食事。K先生の教え子で枚方で小学校の先生をしているO先生も一緒。あれやこれやと教育のことを話す。

鴨川は流石に秋の気配。
涼しい風が吹いていた。
でも、あつく教育の話。
私の本も誉めて頂いて、ありがたや。

(明日は、大学の仕事が朝からあるんだよなあ)
と思いながらも、京都の夜は熱く更けていくのであった。

オフであった。

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