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2007/09/02

そういう意味では人生は

朝早く起きて大学へ。一日大学の仕事があるのだ。重要な仕事だけに、昨日のお酒が残っているわけにはいかない。シャワーを浴びてひげを剃って、アイロンをかけたシャツにズボン、ブレーザーで向かう。

            ◆

心地よい疲れとともに一日の仕事を完了。
そうか、今日から九月か。
今日は土曜日か。

飲み屋で、とある人の、とあることのお祝いをしながら思う。

            ◆

(ああ、もうあと一週間、いや三日で良い、夏休みが長ければなあ)
と思いながら過ごした中校時代。宿題を閉め切りすぎて持っていくなんてことは考えられなかった。自分の計画性のなさを恨みながら、右腕の筋肉がけいれんを起こすギリギリまで宿題をやっていた。

ところが、中学校の教師をやっているとき宿題の提出日を遅れても平然としている子どもがいて、驚いた。中学校の時にこれで、大丈夫なのか? 遅れて何か悪い?と言う顔すらする。確かに考えてみれば中学校の夏休みの宿題を出さなかったところで、その時の君に大きな問題はないだろう。せいぜい評定が一つか二つ下がるだけだ。

だが、問題はそこにあるのではない。

このぐらい良いじゃんと言って、小さい問題を適当に処理する習慣を自分に植え付けてしまうことなのだ。それが5年、10年と経つとちょっとやそっとでは取り返しのつかないほどの聡なって現れ、問題が起きた時には修復が難しいようになっているのだ。

だから、怒るのである。

            ◆

先生方のブログを読んでいると、夏休み明けに向けて会議会議というものが多い。そうである。会議である。九月は会議をしない。そのために八月のうちにやっておくというのだろう。それは、まあそうだろうなあと思う。

だが、どうなんだろうか。

私が教師になった頃は、このあまりにも長い夏休みの時間を目の前にして
(どうしてくれよう)
と思ったものだ。そして、本を読み、旅をし、研究会に参加し、美味しいものを食べと研修を行った。「研修」とは「研究」と「修養」のことを指す。たっぷり研修できた。

そして、新学期が始まるこの直前は、
(あー、また始まってしまうねえ)
という思いも当然ある一方で
(あの話もしてあげよう、この話はどうだ?)
とたっくさん話して挙げたいことだらけで、新学期を迎えた。そんな夏休みが迎えられる新人の先生はどのぐらいいるのだろうかとも思う。

            ◆

飲みながら懐かしい声も聞いた。
電話で地元に就職した教え子の声だ。

『無理せず、一日五分で良いから、自分の好きなこと、大切にしていることをやり続けるんだよ。その五分の積み重ねが十年、二十年後には大きな実を結ぶ。そういう意味では人生はなかなか上手くできているからね』

そんなことを話した。
しっかりね。

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