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2007/10/31

再び京都駅に出向く

というわけで、昨日は授業後、翌日の授業の準備を手短に済ませて急いできたく。
それから再び京都駅に出向く。

東京からK島さんがやってくるのだ。K島さんは私のパラグラフライティングの師匠。ディベートで知り合いになった。K島さんがいなかったら、私の修論は完成しなかったと思う。とても恩のある方。

「一緒に夕食をどうですか」というお誘いを受け、ありがたくお受けする。

            ◆

京都駅近辺で食事となると、まあ、色々とあるのだろうが、知る人ぞ知る飲食店街に向かう。思い切り昭和の雰囲気である。その中の一軒に腰を据える。大学の食通の職員さんから紹介された店だ。

家で奥さんに話したら、その店は京都テレビでも紹介されていたとのこと。それならなおさら行ってみなければ。

            ◆

店は10人も入れば満員のカウンターだけの店。だから、ここには詳しく書けないf(^^;。だっって、いっぱいになって私がこれから座れなかったらねえ。

で、何を食べても美味しかった。値段もそんなにバカ高いと言うこともなく、満足。娘の誕生祝と言うことでご馳走になってしまいました。女の子の育て方やらなんやらもたくさん教えてくれました。K島さん、ありがとうございました。

いいお店を紹介してもらいました。

あ、もちろん、みなさんから「京都駅近辺で食事をしましょう」とお誘いを受けたら、真っ先にご案内いたします。ただ、大人数はダメですね。入れませんf(^^;。

2007/10/30

11/3に近江神宮で、流鏑馬

11/3に近江神宮で、流鏑馬(やぶさめ)がある。

http://www.bbweb-arena.com/users/oumijing/myweb1_022.htm

流鏑馬と言えば、鎌倉が有名である。一度は見てみたいと思っていたが東京にいる時は腰が上がらずに行かなかった。

ところがである。我が家から歩いて15分程度の近江神宮で行われているのである。昨年見に行ったのだが、これは凄かった。

基本的に観覧は無料。
だが、お勧めは無料講座を受けて、有料席に座っての観覧。有料と言っても500円である。

私は今年は赤ちゃんがいるので、観覧は控えたいと思うが京都滋賀の方は、お勧めですぞ。

2007/10/29

食欲の秋にお勧め

秋である。読書、スポーツ、食欲、学問、恋。
ま、いろいろあるだろうが、私はいよいよ食欲の秋を迎える。歯がもうそろそろ治る(^^)。

まだ、完全ではないので柔らかいものを食べる。基本的に肉ではなくて魚。
まるで娘の離乳食の事前学習のようでもある(嘘)。

            ◆

たまたま見たテレビ番組で、これは作ってみたいというものがあった。そういう時は、すぐに作る。良い時代だ、ちらっと見ただけだが、その番組が「きょうの料理」だと分かれば、あとはネットで調べることが出来る。さらに、レシピも簡単にプリントアウトできる。

私がハマったのは、「秋さけのトマバタしょうゆ風味」だ。

http://www.kyounoryouri.jp/index.php?flow=recipe_detail&rid=4778

引用開始(ただし一部省略) ーーーーーーーーーー

レシピ名:秋さけのトマバタしょうゆ風味
カリッカリッに焼いた皮の香ばしさは、さけの醍醐味。弱めの中火でじっくりおいしさを引き出します。

講師:脇 雅世
放送日:2007年10月25日(木)

エネルギー:380kcal
調理時間:25分
難易度:1

<材料>
(2人分)
・さけ(切り身) 2切れ(300g)
・トマト (小)2コ
・にんにく 1かけ(みじん切り)
・クレソン 1/3ワ(ザク切り)
(塩・こしょう・オリーブ油・バター・しょうゆ)

<作り方>
1. トマトは皮つきのまま、約1cm角に切る。

2. さけは軽く塩、こしょうをふり、しばらくおいて、出た水けを紙タオルでふき取る。

3. フライパンにオリーブ油大さじ1を熱し、2のさけを1切れずつ、皮側を下にして並べ入れる。
焼きはじめの1〜2分間、軽くフライ返しなどで押さえると、さけの身が反らない。

4. さけの色が下から半分くらい変わるまで、弱めの中火でじっくりと焼いたら、裏返してサッと焼き、取り出す。

5. フライパンを紙タオルで軽くふいて、新たにオリーブ油大さじ1とにんにくを入れ、弱火にかける。香りが出たら1のトマトを加え、強火にする。

6. バター大さじ1、しょうゆ大さじ1+1/2を加えて混ぜ合わせ、なじんだら、器に広げる。4のさけをのせ、周りにクレソンを添える。

引用終了 ーーーーーーーーーー

非常に簡単である。私はクレソンの代わりに、水菜を使った。これはこれで美味しかった。

この料理のポイントは、「さけの色が下から半分くらい変わるまで、弱めの中火でじっくりと焼」くというところ。皮からの熱がじっくりと上に上がってくるのを辛抱強く待つ。これをすることで、鮭がジューシーに焼ける。

嘗て父親に「【魚は大臣に焼かせよ、餅は貧乏人に焼かせよ】という言い方がある」と教わったことがあるが、これもそうかもしれない。

実は二日続けて作ったのだ。
美味しいなあ。
この秋、食欲の秋にお勧め。

娘をMINIに乗せて近くを走る

筋肉痛である。上腕と背中が痛い。
理由は分かっている。娘の抱っこである。昨日は一日中抱っこしていた。

            ◆

昨日は、弟のところから借りたチャイルドシートをMINIに取り付け、義妹のところから借りたベビーベッドを組み立てと午前中を過ごした。ありがたいことに、娘はあちらこちらからものを借りられる。いろいろな人と縁をもらいながら生きていくことができそうで、嬉しいものだ。

娘をMINIに乗せて近くを走る。助手席の後ろに後ろ向きに座るため、運転席からはみることができない。走り出した時は泣いていたのに1キロも走らないうちに泣き止んでいる。
(ん? チャイルドシートに絡まって呼吸困難か?)
慌てて車を止めて確認。
娘はぐっすりであった。
ふう。
娘もMINIのエンジン音を気に入ってくれたようだ。

走り出すと静かになると言うのは、振動と音が調度お腹の中にいるときと同じようになるのかなあ。

            ◆

ただ運転中見えないのは心配だ。
調べてみると色々とあるのが分かった。

http://directory.rakuten.co.jp/rms/sd/directory/vc/s1tz407014/
手頃なものを一つ買うか。

            ◆

予定通り娘は抱っこを要求するようになってきた。授乳の後しばらく機嫌良く一人遊びをしたり寝たりするのだが、むずかり出す。そして、抱っこをしてあげようと顔を近づけるともう、ニマーである。

しばらく抱っこをしてあやして寝かせようとすると、またフギャーである。こちらもあれこれ考えて、体重の移動を調整して抱っこしている時の重心と変わらないようにしてベッドに寝かせるのだが、これがなかなか敏感ですぐに気がつくのである。

そして、分からないのが外出するとずーっと寝ていると言うことだ。ま、静かで良いのだが、大きな音がしても外にいる時は寝ている。さて、寝る子は育つのか?

2007/10/28

顔つき、顔構え

台風一過。気持ちの良い朝、というよりも暑い。
ま、でも清々しい。

朝の授乳を終えて、朝風呂に入る。
外から声が聞こえる。
大学のヨット部が琵琶湖に艇を進めるための掛け声だ。

            ◆

清々しいとは反対のことを考えている。
このところ、いつもと違う視点でニュース番組を見るのだが、気になるのが事件を起こした人たちの顔である。正確に言うと顔つき、顔構えというのであろうか。特に防衛省がらみの不祥事関連を見ていて、思う。

おそらくこれからますます整形の技術は向上し、顔を作り替えることは今よりももっと簡単になるだろう。整形しなくとも、メイクでもオッケーかもしれない。

だが、顔つき、顔構えというものは外側から作るものではなく、内側から作るものだと思っている。そうだとすれば整形やメイクをすればするほど、差が出ることになる。

            ◆

これは少しずつしか変化の出ないものであろう。
毎日に鏡に映る自分の顔。顔を洗ったり、ひげを剃ったり、髪型を整えたり、化粧をしたりして毎日見ている。

昨日の顔と今日の顔が違っているとは誰も思わない。しかし、10年前の顔とは確実に違う。ここが怖いところだ。そして、はっきりとした差が出てしまった時には、それを元に戻すのはとても大変である。

自戒せねばなあと思う。

2007/10/27

いいねえ。お風呂に入って飲んで

毎日娘に変化があるのは、楽しい。

この数日、名前を呼びかけると振り向く。
音に反応すると言うよりは、名前に反応する。
さらに、喃語も出てきている。

慌ててインターネットで確認する。
(うーん、ちょっと早いぞ)

            ◆

「這えば立て、立てば歩めの親心」
というが、私は
(そんなに慌てなくてもいいよ。もっとじっくりと赤ちゃんの時期を過ごしてね)
という感じなんだがなあ。

人間は、その時にその時のことをしないと、あとからそれを取り戻そうとして、大変な目に遭うと私は思っている。

ゆっくりと赤ちゃんから子どもに育ってほしいなあ。

            ◆

大学は大学祭。ちょっと寒いのであたたかい食べ物が売れている。
午前中から顔を出し、児童教育学科のクラスのやっている食べ物を食べて歩き、昼食完了。今日は午後から京都大学コンソーシアムの主催のフェスティバルもあり、私はここで模擬授業をするのだ。だから今日の大学祭は少しだけ参加。

模擬授業は、いつもの話。漢字指導の話を中心に行った。高校生対象の模擬授業は、あと数個レパートリーがあるが、これが一番安定している。ではあるが、そろそろ他のものもやろうかなあ。生徒指導をテーマにしたのもいいなあ。

            ◆

帰りにちょっと大学に顔を出して、学生たちの健闘ぶりを確認。余っていたら買ってあげようかと思ったが、思ったよりも悲惨な様子ではない。良かった。

それでもちょこっと大変そうだったクラスに行って買って帰ろうと思ったら、その時に空に大きな虹。大学の体育館の上に出ていた。みんなで撮影。いやあ、奇麗奇麗。

いい気持ちで家に帰る。

            ◆

家で娘と遊んでいたら、外でポンポンと音がする。
花火だ。
今日は浜大津と南草津辺りで上がっていた。
娘を抱えてベランダに出る。
人生初花火だ。
いやあ、奇麗奇麗。

            ◆

その後、風呂にいれて授乳。
『いいねえ。お風呂に入って飲んで』
と語りかけたのだが、
(あ、オレも風呂に入って飲んでいるか)
と照れる私であった。

大学祭、明日もやっています。

極めてご機嫌である

夜中4時の授乳のあと、通常ならすぐに寝るのだが、今宵は寝ない。
ぐずっているわけでもなく、極めてご機嫌である。

仕方なしに、リビングに連れてきて相手をする私。
娘よ、ご機嫌なのは嬉しいが、あと2時間ぐらいはねないかf(^^;。

2007/10/26

なぜ出てこないのかを考えた

日本語コミュニケーション技術1では、いよいよ第二反駁のあるディベートに入った。シナリオディベート、改良シナリオディベートとやってきて、今回は論題を変えて第二反駁のあるディベートである。ま、立論が2分だし、参考にするシナリオもあるのでそれほど大変ではないはずだ。

しかし、そう思って準備の手を抜くと大変なことになるのがディベートである。かなりしっかりとディベートの授業に取り組んでいる学生でも、混乱してる。高校時代にソフトボールをしていた学生の感想である。

>今日は初めての経験ばかりでとても焦りました。まるで、キャッチボールをするのに、どちらの手にグローブをつけて、どうボールを投げたらいいのかわからないぐらいの勢いでした。使う道具はわかっていて、それをどう活用したらいいのかわかりませんでした。

的確に自分の混乱している様子を描写している。良い感想である。来週からはいよいよ団体戦のディベートに入る。

            ◆

キャリア開発演習2では、時事ネタをどう扱うかという授業をしている。ボクシングの切腹問題から端を発したこの課題は、今日は全国学力テストの結果、ミートホープの事件へと話が進む。

実際にこれらの新聞記事を使って、朝の学活で担任としてどう話すのかということを演習としてやるのだ。これは面白い。

自分に膨大な知識、物事を見る観点、クラスの課題が見えていないと、語れない。これに気がつく演習となる。

キャリア開発演習2では、事件の文脈を読むというレッスンもしている。一つの出来事からはさまざまな考え方が導き出される。一つの事件は一つの事件ではあるが、どの文脈で語られるかによって全く違う様相を示す。

それを考えてみようと言うのも、この授業の一つのポイントだ。子どもの起こす「事件」には、どのような解釈が可能なのかを『おとなが子どもと出会うとき 子どもが世界を立ち上げるとき』(竹内常一 桜井書店)を読み開きながら追いかけているのだが、同時進行で今起きている事件も、文脈を見つけるというレッスンとして取り上げているのだ。

            ◆

その全国学力テストの結果、ミートホープの事件の演習の前振りに、私の方から今日の会見のことを話題にした。なんで父親が会見に出てこないのかと言うことである。父親が出てこないのはおかしいと言うことでは一致した。そこで、なぜ出てこないのかを考えたのだ。

学生たちに聞いてみた。すると、

1)反省していないから
2)出てくると余計もめるから
3)反省しているからこそ
4)喋りすぎて反感を買う、失敗するから
5)自分を守るため

など意見が出た。5)はひどいと思うが、1)から5)まで、まああると言えばあるだろう。
で、私の意見は、このどれとも違う。

6)子どもを守るため

である。

            ◆

父は前回の会見で、謝罪をしていないとさんざん叩かれた。今回出て行ってもまた叩かれるだろう。そして、叩かれる父を見て長男は反論するだろう。そうすると長男も叩かれる。この構図が見える。

もし、父親が出て行かなければ?

会見のはじめは長男がぼこぼこに叩かれるだろう。しかし、ここを乗り越えて父親を守れば? 弟を守れば? 

判官贔屓(ほうがんびいき)のある日本である。
(ちょっと、マスコミ叩き過ぎじゃない?)
(本当に悪いのは、父親やテレビじゃないの?)
という意見が出るだろう。
そして、
(お兄ちゃん、頑張れ)
(次は、リングで頑張れ)
という流れになるのではないだろうか。

            ◆

そのストーリーを構成作家が設定して、とあるところで打ち合わせをして、
「これでいきましょう」
と会長に伝え、
「ここはこのように答えるんだぞ」
と想定問答集をして・・・、なんてのは考え過ぎだよなあ。

ただ、父親が顔を見せないというのは、父親が悪役に徹することで子どもを守れるという考え方は、なくもないかなと。

            ◆

それにしても、NGワードは決して話すことなく、あのように受け答えたお兄ちゃんの会話の力はかなり高いと感じた。20歳であれだけのバッシングの中で、あのように答えられる若者は、そうはいないでしょ。分かっていても出来ないでしょう。

もちろん、だからといって一連の試合で行ったことが良いとは思えません。むしろ、あれだけの能力をあんな風にしか使えなかったのは、もったいなかったなあと思うわけです。

            ◆

学生諸君に、実際に言葉に出して語らせてみると、いやあこれがなかなか。ま、今からそう簡単にはできないだろう。しっかりと新聞を読んで力を蓄えるんだよ。

2007/10/25

以下、これを数回繰り返す

本日研究日。自宅で昨日発表された全国学力テストの結果等について、あれこれ調べたり考えたり。さらには、学生たちへの課題を作ったりしながら過ごす。

今週末は大学祭。中学校の教員であれば、クラスのことにあれこれ関わり、さらには学校を回すことにも関わり(というか動かしか)、いまのような時間の使い方はしていなかった。いや、出来なかった。あたりまえである。そして、今は嘗てのようには関わらないようにしている。

彼ら彼女等は、大学生である。今日は大学にいないことを予め伝えてあるし、緊急のことがあればメールでも来るだろう。

            ◆

それから今日は、出産からずーっと娘の面倒をみていた奥さんに、一人の時間を持たせてあげたかった。夕方から大事な会議があるので大学に行くのだが、それまでの時間私は家で仕事をしている。だから娘の面倒を見ることが出来る。

なーに、おしめの取り替えとミルクとぐずついたらあやすだけ。そのぐらいならできる。奥さんは、おでかけ。気分転換になるといいなあ。

            ◆

おしめの取り替えとミルクがすめば、娘はぐっすり眠るはずだった。しかし、なかなかそうはいかないのが人生。

ゲップを出して寝付いたところで、寝床にそーっと寝かす。
(よしよし)
と自分の昼ご飯を食べ始めたら、ふぎゃーである。
あわてて抱っこすると、にまーである。
で、再び寝付いたところで、寝床にそーっと寝かす。
(よしよし)
と自分の昼ご飯を食べ始めたら、ふぎゃーである。
あわてて抱っこすると、にまーである。
(よしよし)
と自分の昼ご飯を食べ始めたら、ふぎゃーである。
あわてて抱っこすると、にまーである。

以下、これを数回繰り返す。
しかし、これで頭に来ないのが親ばかの証拠である。むしろ喜んでいる。

            ◆

可愛いことに抱っこしていれば寝ているのだ。
(そういえば、娘が生まれてから二人っきりで過ごすのは、今日が初めてだ。記念すべき日だ。をを、今宵は満月の夜だ。かぐや姫みたいだ)
バカである。

ではあるが、仕事にならない。そこで、左手で娘を抱っこして寝かせつつ右手でワープロを打つ。慣れると結構打てる。このブログも全て右手だけで打っている。

今度は左手だけで打ってみようか。そうすれば、右手でメモを取りながら打ち込むと言うこともできるな。もちろん、メモの代わりにビールもありかもしれないが。

            ◆

琵琶湖の上にはちょっと厚めの雲。
十五夜は今宵は無理かな。

いや、見える見える。
乾杯。


2007/10/24

これで少しは注意深く

国語科教育法2では、スピーチのテストを行う。高校入試でも出題されるようになってきているのであれば、中学校の教師を目指す学生、高校の教師を目指す学生共にできなければならない。

学生たちは、「京都のお勧めのお店」というテーマで3分以内で語ることを課題として示されている。それを元に小グループでのスピーチである。

            ◆

であるが、これが主たる目的ではない。それは仕込みである。私が学生に考えさせたかったのは、スピーチの評価の部分である。後期に入って、評価の部分を何回か取り上げている。作成を指示された作品を持ち寄り、それを評価するのである。

規準と基準の違いが分からなかった学生たちに、これを教えることから始めた。今回は、スピーチのテストを評価させた。

            ◆

学習指導要領にある「話す・聞く」に関する部分を抜き出し、これを資料として自らが規準を設定し、その規準に基づきスピーチを聴いて基準で評価を下すのだ。なかなか難儀していた。

自らが評価するポイントを立てる規準は、学習指導要領を理解することも必要だが、自らの教育の理念や子どもの実態把握も必要である。三回生の学生には厳しい課題であろう。しかし、これができないことには評価は出来ない。

            ◆

私は、言語技術系の指導は、以下のように進めることが多かった。

1)学習目標の提示
2)学習方法の説明
3)訓練
4)テスとの規準の提示
5)訓練
6)テストの予行演習
7)訓練
8)テスト
9)評価
10)評定

である。
この流れはそんなに珍しいものではないと私は思っているのだが、4)と6)を省く指導者がいるのを見たり聞いたりするにつけて、驚くようにもなった。

4)を示さなければ、子どもたちは何が出来るようになれば良いのかがわからないだろう。4)は1)と重なるところが多いが、1)の中で子どもたちの実態に合わせて作り上げるものである。何をいつまでに身につけるのかを示さないで、「さあテストだ、頑張れ」は指導ではないと考えている。

また、6)は新しいことを学習させる場合には大事だ。子どもたちは新しいことをやろうとすると、大概失敗する。意欲を持って取り組んでも、新しいことが故に失敗する。だから、予行演習なのである。これをやることで、準備すれば失敗しないことを理解させるのである。「もう一回やれば上手く行くのに」という思いを抱かせて、本番までに努力させるのである。

            ◆

はじめから、全部上手く行くのは、おかしい。全部上手く行くのは、目標の設定が合っていないのだ。分かったけど出来ない子どもたちが、訓練を重ねることで出来るようになるように指導する。これが大事なわけだ。

そのためには、規準をどう設定するかが大事になる。その訓練であったのだ。これで少しは注意深く学習指導要領を読むようになるだろう。ははは。

            ◆

その学生たちのお勧めのお店です。
良かったら何かのときにご活用ください。

カフェ・アンデパンダンHP
http://www.cafe-independants.com/

キルフェボン HP
http://www.quil-fait-bon.com

高粋舎HP
http://www.haikaraya.ne.jp/
ホットペッパー 高粋舎 四条店
http://www.hotpepper.jp/A_20100/strJ000019019.html

創作居酒屋料理「餐間」
http://r.gnavi.co.jp/k715200/

茶寮都路里URL
http://www.giontsujiri.co.jp/saryo/

さがの温泉 天山の湯
http://www.ndg.jp/tenzan/

「和カフェちゃらん」
http://www.charan.jp/

GOLF GALLERY J-FLAG
http://www.j-flag.net

ラケル新京極三条店
http://www.rakeru.co.jp/

「レストラン嵐山」
http://www.r-arashiyama.com/

イノダコーヒー
http://www.inoda-coffee.co.jp/shop/honten.html

もとしろ
http://tanpopo-tane.com/detail.asp?id=9416

○ 同志社大学今出川キャンパス 学生食堂 “アマーク ド パラディ 寒梅館”
http://www.balnibarbi.com/shop/kanbai/index.html

輝庭(かがやきてい)
http://r.gnavi.co.jp/k378000/

京都万華鏡ミュージアムにあるミュージアムショップ
http://www.k-kaleido.org/index.html

2007/10/23

夜中の三時前後に

小学生の頃は、夜の8時に寝て朝7時30分に起きるという生活をしていた。8時になると寝るというよりは、眠たくて仕方がなかったのだ。

だから、剣道の練習に通っていた曜日と「八時だよ全員集合」のある土曜日は必死に起きていた。あとは、8時に寝て7時30分に起きる生活である。目が覚めると言うことはなかった。というより、毎朝起こされていた。

そんな私が、夜中に目が覚めるようになった。夜中の二時や三時に目が覚める。それは、飲んでいて喉が渇いて目が覚めるのだが、加齢によるという面もあるかなあと思っている。

            ◆

しかし、その夜中に目が覚めるのがメリットになるとは思っていなかった。今は夜中の三時前後に娘の授乳となる。

川の字になって寝ている娘のぐずりと同時に、私は私で目が覚める。そして授乳。まさか、こんな風に役に立つとは思わなかった。

年を取ってからの子どもというのも、いいこともあるもんだf(^^;。

2007/10/22

語りかけた

朝起きたら、晴れて琵琶湖は輝いていた。
娘を抱きかかえ、日本一大きな琵琶湖を見せた。
大きな目を細めて、琵琶湖を見たような見ていないような。
(さあ、ここでの生活が始まるんだよ)
心の中で語りかけた。
秋の風が心地よかった。

聞き取りテスト

もう10年ぐらい前になるかな、この聞き取りテストを始めたのは。
授業で話す、聞くの指導をしているのにそれを定期考査で行うことがないのはおかしいだろうと言うことで行った。

テスト問題を全て作り、それを朗読のボランティアをしていた奥さんに頼んで全部録音してもらい、テストではカセットテープで流した。

生徒は、
「先生、印刷するよりも楽した?」
なんてバカなことを言った。手間が二倍以上かかっていることに気がつかない。さすが、子どもである。

            ◆

ではあるが、これが一部に問題になっていたようだ。なぜならば、入試問題に出ないからである。
私は
(???)
であった。

入試問題を目指して義務教育は行われているのではない。目の前の子どもたちが10年後20年後に社会でバリバリ中心になって活躍する時に必要な力を育てる。平成3年の学習指導要領にもある項目である。ちょっと詳しく見ると、

中学校一年生の国語の内容の「表現」領域では、「ケ 自分の考えや気持ちを整理し、言葉遣いに注意して話すこと。」「コ 話合いの話題や目的をとらえ、的確に話すこと。」
とあり、
「理解」では「ク 話合いにおけるそれぞれの発言を注意して聞き、話合いの方向をとらえて自分の考えをもつこと。」
とある。
さらに、言語事項では「国語の表現と理解に役立てるため、次の事項について指導する。」として、「ア 話す速度や音量、言葉の使い方などに注意すること。」
とまである。

老婆心ながら教員採用試験を目指している学生諸君は、学習指導要領の変遷をたどってみると面白いよ。昔の試案の辺りの項目の具体的なこと!

ここを見よ。

            ◆

おかしいと言えば、書写もおかしい。同じく平成3年の学習指導要領には、

「エ 書写の指導に配当する授業時数については、第1学年は35単位時間程度、第2学年及び第3学年は各学年15〜20単位時間とすること。」
とある。35時間と言えば、週に一時間である。私は書写をこの時間どおりやっていたのだが、これも「他の学校は文法や作文をやっているのになんで書写をやるの?」
というクレームも来ていた。

うーむ。ま、こういうクレームは知らないでするクレームと、知っていて他のことが気に喰わないから知らんふりしてするクレームがあるんだろうが、
(やらなければいかんことをやっているオレに文句を言うなよな)
とも思っていた。

思想信条に関わるところを学習指導要領などの法律で縛るところには問題はあると考えているが、指導の内容に関しては、ま、指導時間や内容に少ないとか多いとかの違いがあっても、やるべきだろう。

            ◆

で、本論。
やっと広まってきたなあという思い。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news2/20071022wm00.htm?f=kから引用開始 ーーーーーーーーーー

千葉県立高校入試、国語の学力検査に「聞き取り」(千葉)

 2008年度の千葉県立高校入試から、国語の学力検査に導入される「聞き取り」。まとまった文章を音声で流し、内容理解を問うもので、すでに中国・九州を中心に7県で実施されているが、関東では千葉県が初の試みとなる。

 中学国語の学習領域には「書く」「読む」のほかに「話す・聞く」があり、スピーチや討論などで実践されているが、入試の際の学力検査には反映されてこなかった。

 今回の「聞き取り」導入には、「話す・聞く」力の重要性を見直し、より的確に国語の実力を測ろうとの狙いがある。

 「中学校生活で、人の話によく耳を傾け、伝え合う力を高めることにつながることを期待したい」と県教委指導課。実施にあたり試行期間は設けず、導入初年度から得点化する方針だ。

 「聞き取り」導入の先駆けは、1979年に始めた青森だとされる。その後沖縄、佐賀、山口と続き、2002年4月に現在の指導要領が施行されて以降、島根、鹿児島、岡山でも始まった。

 このように実施のすそ野が拡大していることについて、文部科学省は「コミュニケーション能力の不足が指摘される中で、話を聞き取り、それをどう表現できるかを問いたいのでは」と見る。読み上げられる題材も物語や小説から、会話文などへも領域が広がってきた。

 設問は、内容や趣旨の理解をみるもの、自分の意見を書かせるものなどが一般的で、所要時間は長くて10分程度。千葉県でも、国語の検査時間全体の50分間のうち、英語のリスニングと同程度の約10分間となる見込みだ。

 今回の「聞き取り」導入を受け、県内の中学校では定期試験に採り入れたり、また学習塾でも、他県で過去に出題された問題を生徒に解かせたり、といった動きが広がっている。

 千葉市若葉区の学習塾「青葉学院」では、中学3年生が夏季講習から「聞き取り」対策を始めた。9月以降も月に数回、模擬テストなどの機会に耳を慣らしている。今月3日の授業では、「ボランティア活動」に関する随筆文(約2分30秒)の聞き取りに挑戦。まず文章を放送し、その後で解答用紙を配り、続いて問題が読み上げられるという形式で、生徒たちは慣れた様子で要点をメモしていた。

 解答時間は約5分で、問題は、話のテーマを選択肢から選ぶものや、文の書き取りなど計4問。要約の問題には多少手こずった生徒もあり、「時間が足りない」との声も漏れた。

 佐久田昌知塾長(37)は「日ごろ人の話を聞く習慣がついている生徒は点を取れている。そうした習慣を身につけさせるためには(「聞き取り」導入は)良いこと」と話していた。

(2007年10月22日 読売新聞)

引用終了 ーーーーーーーーーー

もちろん、これにより新たな問題が生まれるという危惧はあるが、ことばというものを考えるとき、「読む書く話す聞く」の4領域を意識した指導は必要である。

10年一昔と言うことか。

『寝ながら学べる構造主義』

学研の「NEW 教育とコンピュータ」では、私が提唱する大人論の連載が続いている。詳しくはそれを読んで頂くことにして、大人とは何かを考えることは教師であるためにはとても大事だと考えている。

私達教師は、子どもを大人にすることを仕事としている。親も、子どもを大人にすることを担っている。社会もそうである。それなのに、「大人ってなに?」と聞かれて、これに明確に答えることの出来る人は少ないのではないだろうか。

辿り着かせるゴール、目指すゴールがなんだか分からないままに指導をするというのは、これは無謀だ。決定的な答えを手に入れることが出来ればそれはいいが、そうでなくても仮説でも良いから自分の指導の指針として「大人とは〜である」というのを、少なくと教師は持つべきであると私は考えている。

            ◆

『寝ながら学べる構造主義』(内田樹 文春新書)を読んだ。このなかに、ラカンの主張としての大人になるとはどういうことなのかの記述がある。これに関連して、人間とはどういうものなのかの記述もある。面白いなあ。

非常に偉そうなことを言うと、私の考えている大人のフレームの中の一つを丁寧に、すっごく深く考察しているなあと思う部分があって勉強になった。でも、新しいフレームはなかった。半分悲しくて、半分嬉しい。

            ◆

ポストマルクス主義として現れ、また、サルトルの実存主義を批判したものしての構造主義の考え方を丁寧に説明していて、分かりやすい。この構造主義の向こう側に何があるのか、これを考えるのもまた面白い。

私は
(あれかなあ・・・)
と思いながら読んでいましたが。読んだ皆さん、どこかでこっそり話し合いませんかf(^^;。

2007/10/21

滋賀にやってきました

先ほど無事に、奥さんと娘が滋賀にやってきました。
迎えにいって、一緒に帰ってきました。

娘は本当にいい子で、3時の授乳の時間以外はずーっとおねんね。
空は晴れていて、暖かな日差し。

さて、新しい生活が本格的に始まります。
いろいろとありがとうございます。
また、これからもよろしくお願いいたします。

それから、御祝いを戴いた方、すみません。
これから内祝いを始めたいと思います。
よろしくお願いいたします。

2007/10/19

interestingであった

朝、娘の様子をテレビ電話で見る。

私の声に反応するのか、寝ているところから起きたりする。
そして、辺りを見回し、何を見ているのか笑ったりする。

(おい、父さんはこの電話の声の向こう側にいるんだぞ)
と思いながらも、娘の名前を読んでいる。
あほだな、オレ。

(まったくいったい何を考えているのか?)
と思いながら、
(そもそもこの子は考えているのか? 考えるって何だ? 単に感じているだけか? それとも反応しているだけか? 感じると考えるとを同時で脳で処理しているのか?)

なんて思いながら、昼ご飯の準備をする私であった。
このところ、昼ご飯の弁当を作っているのだ。

            ◆

ディベートの授業は、初歩の段階をクリアして第二反駁のあるディベートを次回行うところまで来た。シナリオ方式、改良シナリオ方式と来て、いよいよだ。

学生たちもディベートの奥の深さを少しずつ理解してきている。このメンバーから日本語ディベートの大会に出る学生、またディベート甲子園のスタッフとして活躍する学生が出るともっと良いなあ。世界は広いぞ。

            ◆

教職総合演習では、他の授業ではメールの課題にしていることを、実際にやらせてみた。『こんな時どう言い返す』の大学の授業版の演習である。どこかに発表しようと思っているので、詳しくは書けないが、非常に面白かった。interestingであった。それでも内容を知りたい方は、明日の教室で声を掛けてくださいね。たぶん、ぺらぺらしゃべると思いますf(^^;。

やっぱり大学は小さい方が良い。一人一人の演習を10分もかけて検討することが出来るなんてね。もちろん、教員側に取っては大きい方がいい。学内の仕事が少なくなるからねf(^^;。

でも、このぐらいの少人数できちんと指導できるのとを比べたら、やっぱりこちらを取るかなあ。

            ◆

さて、よく働いた。
帰って準備だ。

11/10 第八回 明日の教室

第八回の明日の教室のご案内です。

糸井先生のブログから、そのままご案内を引用します。
お申し込みは、こちらからどうぞ。

引用開始 ーーーーーーーーーー

「第8回 明日の教室」を以下の日程で実施します。

日時  11月10日(土) 13:30~17:00
場所  京都橘大学 児優館
講師  池田修@京都橘大学准教授  糸井登@宇治市立平盛小学校教諭

二人で講師役をするのは、4月以来、2回目です。
池田先生は、持ちネタ授業の一つ「たほいや」を紹介されるようです。
池田先生はご自身のブログで、「たほいや」を以下のように紹介されています。

句会と並んで学習ゲームの王道は、なんと言っても「たほいや」である。今日はこれを行った。私が中学校の教師をしている時に、中学生に指導したときも非常に盛り上がったが、大学でも盛り上がる。

この「たほいや」というゲームは、

1)調べる
2)文を書く
3)読む
4)話す
5)聞く(メモする)
6)推論する

などの要素を、ゲームをすることで行うことになる。コミュニケーションの能力も高められる。是非、学校で子どもたちに楽しませてあげたい。楽しませて、上記の要素をトレーニングさせてあげたい。

で、私は、何をやろうとかなあと・・・ずいぶん悩んだのですが、「教育助成金の申請の仕方」を演習という形で、取り上げてみようかなと思っています。
以前、池田先生からは、「教育助成金申請書の書き方のノウハウを本にまとめたらいいのに」と助言をいたただいたこともありました。
実際、私が、教育助成金の申請書を書き始めたのは、ここ7年くらいです。
以来、毎年、何かの教育助成を受けながら、自分自身の研究を進めています。

どのようにして、新しいアイデアを絞り出すのか?
そもそも、教育助成金申請書を書くことに、何の意味があるのか?
実際に様々な例を紹介し、また参加される方に、実際に書いていただこうなどと考えています。
何も難しいことではありません。

というわけで、今回の「明日の教室」、盛りだくさんの内容で実施しようと思っています。
御参加、お待ちしております。

引用終了 ーーーーーーーーーー

お待ちしております。
お申し込みは、こちらからどうぞ。

2007/10/18

ロングインタビュー

研究室で3時間のロングインタビューを受ける。

わざわざ東京から二人いらっしゃる。自分の考えを刺激してくれる質問は非常に嬉しい。今回のインタビューに導かれるようにして、一つの概念をまとめることができた。

心地よい疲れがあった。御礼にインタビューアーの方を琵琶湖にご招待。MINIに乗って頂いて、移動。大学から琵琶湖まで20分ちょっとで行ける。琵琶湖を見る人はなかなかいない。さらに、琵琶湖に触るなんてのもなかなかない。

京都駅から二駅で琵琶湖に来れるのにねえ。ま、私も東京にいたときはこんなに近いとは思いもしなかったけど。

            ◆

駅までみなさんを送った後、スーパーで買い物。

いやあ、キリンビールの新商品が美味しい。「スパークリング・ホップ」である。これ発泡酒なんだねえ。安い。そして、発泡酒独特の臭みがない。雑味もない。果物のようなホップの香りが残る。しばらくハマりそうだ。ただ、惜しむらくはこれが秋に出たことだ。夏に飲みたかったなあ。

            ◆

さ、明日も授業だぞ。

2007/10/17

いい、三日月であった

(太陽は東から昇るが、月は西から昇る)
実は、私は結構な年になるまで、このように思い込んでいた。おそらく小学校五年生ぐらいまでそう思っていたと思う。

「西から昇ったお日様が、東に沈む」

と天才バカボンの歌を聴く度に、
(そんなバカなこと信じている奴がいるのか。月は西からだけど)
と思っていた。

            ◆

本日、奇麗な三日月。
子どものころの私にとっての月は、三日月である。

遊びに遊んで、家に帰る頃。
夕焼けが終わった空に浮かんでいるのは、いつも三日月であった。

私の印象に残っているのは、この絵である。
まるで太陽が、
「じゃ、次は頼むね」
と言って、三日月が
「おうよ」
と言って交代で出てきているのだと思っていた。
水泳のターンのように、太陽から月へと変わるのだと思っていた。

            ◆

子どもは、子どもの生活の文脈の上に子どもの論理を作っている。そして、子どもは子どもなりに自分で論理を作って納得している。

そこを理解できるかどうかってことは、教師にとって大事な「読み取り能力」だと思う。

            ◆

いい、三日月であった。

「とりあえず」

ボクシングの問題で、会見があった。
実に気になった言葉がある。

「とりあえず」

である。

http://jp.youtube.com/watch?v=THqCwYdqQv8

            ◆

三省堂の「大辞林 第二版」によると、以下の意味である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

(副)
〔取るべきものも取らずに、の意から〕
(1)いろいろしなければならないものの中でも第一に。さしあたって。まずはじめに。
「—これだけはしておかなければならない」「—お知らせ申し上げます」
(2)すぐに。直ちに。
「取るものも—かけつける」

引用終了 ーーーーーーーーーー

である。これを見ると「真っ先に」という意味であることが分かる。しかし、最近の用例、さらにこの会見での使い方は、「真っ先に」という感じで使われているとは思いにくい。

(ま、いろいろと面倒くさいから、やるだけやって、やったということをアリバイとして残しておくか?)

という意味で使われている感じがする。

下を向いて言っているのもこの感じを強めているのではないかと思う。
みなさんは、どう感じたであろうか。

            ◆

私の感じ方が違うのかなあ。

2007/10/16

「たほいや」というゲームは

大学祭が近づいてきた。
大学も授業モードを維持しつつ、文化モードも並走する。
文化政策学部の織田先生が関わってできた、花魁道中。昼休の大学の中庭だ。

Rimg0043


            ◆

秋は夕暮れ。
研究室から見える夕焼けは美しい。
昨日と、今日の夕焼けだ。

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因に朝日も奇麗だ。

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朝顔も奇麗だ。

Rimg0106


            ◆

国語科教育法2では、学習ゲームを扱っている。ゲームの中に学習内容を盛り込み、ゲームのルールによって規律と意欲を作り出すということが可能なのが、学習ゲームである。

句会と並んで学習ゲームの王道は、なんと言っても「たほいや」である。今日はこれを行った。私が中学校の教師をしている時に、中学生に指導したときも非常に盛り上がったが、大学でも盛り上がる。

この「たほいや」というゲームは、

1)調べる
2)文を書く
3)読む
4)話す
5)聞く(メモする)
6)推論する

などの要素を、ゲームをすることで行うことになる。コミュニケーションの能力も高められる。是非、学校で子どもたちに楽しませてあげたい。楽しませて、上記の要素をトレーニングさせてあげたい。


ちょっと宣伝になるが、下記に私の授業の様子のDVDがある。指導の様子を理解するためにはこれを見て戴くのがいいと思う。

http://www.japanlaim.co.jp/shop/A357/Pcv6lq6Qe/syolist/26

なお、次回の明日の教室(11/10)は、この「たほいや」をやる予定である。実際に体験して戴くのが、指導には一番良いと思う。お越し下さい。

FOMAは偉い

FOMAは偉い。

昼間、奥さんから電話があった。
『どうした?』
「いま、笑っているのよ」

どうも娘の機嫌がいいらしい。
慌てて、テレビ電話に切り替える。

笑う娘の姿が、そこにはあった。
それだけで、幸せになれる。

FOMAは偉い。
通信料が安ければ、もっと偉いf(^^;。

教材研究の仕方

ボクシングの問題に関わって、思いついた。
教師を目指す学生を鍛えるいいレッスンの方法である。

            ◆

先日
「池田先生は、どうやって教材研究をするのですか? いつするのですか?」
と質問されたのだが、
『うーん、まあ、特にしないなあ』
と答えた。

学生はびっくりしていたが、特にしないというのは、特別に時間を設定してすることはあまりないということであって、逆に言えばいつでもしているということでもある。

            ◆

子どもたちの文化は、多岐にわたる。だから、子どもたちを指導する教師はほんとうに幅広くさまざまなことをカバーしていなければならない。そして、そこをきっかけとして授業のレベルに引き上げることが大事になる。

雑談をするのだって、生徒の方から見れば雑談かもしれないが、私は「雑談」は、本時のテーマに関わる重要な話としていろいろ考えて話している。

テーマそのものを説明することも大事だが、テーマを理解させるためにその周辺情報を伝えることで、子どもたちはストーリーとして記憶をするようになる。こうすると忘れにくくなる。だからするのだ。だから、「雑談」ができないとダメだと思うし、「雑談」を支える雑学が必要になるのだ。

            ◆

雑学の中にいることで、授業の流れを浮かび上がらせることが出来るというのが、私の教材研究かなあ。指導方法の開発の仕方かなあ。

さ、ボクシング問題からの新しい指導方法は、後期の授業で随所に使っていこう。
楽しみ楽しみ。

2007/10/15

重心は感じるものではなく

明日の教室の翌日は、心地よい披露に包まれることばかりである。
頭と体を丁寧に使う。
今回はコンテンポラリーダンサーの砂連尾(じゃれお)理さんの講座だった。

            ◆

いろいろなワークをする。
私は他の急なメールが入っていたり、事務局の仕事をしたりしてすべてを体験することは出来なかったが、それでも体を意識するには充分なワークショップだった。

今回は、体の重心というものを考えていた。
私は自分では体の重心がどこにあるのか、かなり分かるようになっていると思っている。疲れないで一日中立って授業をする体の位置というものが、ここではないかというのが分かっているからだ。

で、ワークをやってみたら、見事に大丈夫であった。
体を二人一組になって、ある姿勢で押し合うのだが、一発でオッケーを貰った。

若い先生たちは、これが見事に出来ない。
力の抜き方、入れ方が、周りから見ていても違うなあと分かる。
あの体で一日授業をしていたら、かなり疲れるんじゃないかなと思う。
指導の内容で疲れるのではなく、自分の体に疲れるのである。

            ◆

私はこの重心を感じるワークをしながら、書道と同じだなあとも思っていた。
筆を動かす時の呼吸、重心と非常に似ているのだ。

砂連尾さんが言われるには、書道、茶道、合気道などは、この重心が共通しているというのだ。ウーム面白い。

さらに、重心は感じるものではなく、作るものだと言うお話もあった。確かに、感じられる人はそこに作っているから感じるのかもなあ。

            ◆

今回のレッスンは、土曜日にやって月曜日に教室ですぐに実践できると言う、「明日」ではない。3年とか5年とか先の「明日」に向かって体が獲得していく、内容だったと思う。自分の体に、心地よい変化が生まれていくことを、楽しみに待ちたい。

            ◆

さて、来月の第8回の明日の教室は、11/10である。久しぶりに、糸井先生と私が講師を行う。私は学習ゲームの理論と実際。糸井先生は、教材研究の仕方や教育助成金申請の仕方などをレクチャーしてくださる予定です。

大きなお世話だと思いながら

「切腹はしないのですか?」
という記者の質問が試合後にあったとのことだ。
例のボクシングの件に関してだ。

「負けたら切腹する」

と言い放ったときのビデオは試合後あちらこちらで流されている。

            ◆

この「切腹はしないのですか?」という記者の質問についても、賛否両論があるようだ。私は大きなお世話だと思いながら、
(私が記者だったらなんて質問するかなあ)
と考えていた。

            ◆

私だったら

「負けたら切腹するという発言は取り消しませんか?」

と聞くかなあ。言葉の間違いの訂正を促すような質問の方が良いと思う。まだ18歳だからねえ。

            ◆

今回の騒動で流石と思ったのが、平川さんのブログだ。
前半の押さえに押さえた怒りと、内藤への賛辞。
そして、最後の6行。素晴らしい。

こういう文章が書けるようになりたいものだ。
御堪能ください。

http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/diary/200710130000/

2007/10/13

本日 第七回明日の教室

Asa


朝だ。

今日は明日の教室がある。
また、多くの学びが得られるだろう。

楽しみだ。

まだゆとりはあります。
時間に都合のつく方はどうぞ。

マグロの一匹喰い

とうとうやってしまった。
マグロの一匹喰いである。
贅沢の極みである。

しかも、自分で下ろして食べた。
包丁を嗜むものとしては、一度はやってみたいものであった。

Maguro


まぐろは、キハダマグロ。
敦賀に上がったものである。
これを捌いた。

味は格別であった。
しかし、満腹にはならなかった。

なんとなれば、これは幼魚だからである。
大きさにして30cm程度であろうか。
近くのスーパーで300円しなかった。

しかし、私の公式記録には、マグロ一匹を下ろしてまるごと一匹食したと記録してもいいだろうf(^^;。

ああ、美味しかった。

2007/10/12

早く寝よう

うーん、眠い。
なんだこの眠さは。

明日は午前中、雑誌の取材があって午後は「明日の教室」だ。
これは早く寝よう。

娘は、助産師さんの訪問を受け、急激に大きくなっていると言われたそうだ。
ま、お腹の中にいた時の成長、0.1mmからの成長に比べれば、比較にならないが大きくなったとのこと。大きな問題はなかったとのことで、安心だ。

それで眠くなったのかなあ。

朝早く起きて、仕事をしよう。
おやすみなさい。

2007/10/11

「HERO」

小田和正の歌う中島みゆきの「化粧」が良いと書いたことがあったが、今宵はずっと小田和正の歌うMr.Childrenの「HERO」である。ituneに入れて繰り返し聞いている。ひんやりした夜の空気を感じながら、聞く。

小田和正の声はやはり卑怯だろう。あの声で歌われたら、Mr.Childrenの名曲がさらにブラッシュアップされてどうにも溜まらなくなる。

どこからともなく微かにキンモクセイの香りもする。
これもまた実に切なくて良い。


            ◆

最初にこの「HERO」を聞いた時は、多くの人が思うように彼女に向けての歌だと私も思っていた。ではあるが、小田和正の歌うこの歌を改めて聞いてみて、これは父親が子どもに対して歌う歌なのだということに気がついた。

まさか、そうやって娘が生まれたこの時に、この歌に出会い直すとは思わなかった。そして、もう一度Mr.Childrenの歌うものも聞いてみる。いい。

世の中の父親たちは、これを聞いていたんだろうなあと思う。

            ◆

自分が人類の流れの小さな一部になったと言う、切なくて嬉しい自覚、あきらめと希望。命の有限性と無限。これらがしっかりと持てるようになったことを歌い上げている。

(そうか、ヒーローか)

何回も呟いた。

2007/10/10

やはり書くことは考えること

コナン型と古畑型の授業構成の仕方のブログを書いていたら、いやあ、来ました。新しい授業のアイディアが降ってきました。今日の研究入門ゼミでの学生たちとの議論を後から振り返る中で、古畑型の授業のアネックスとして思いつきました。やはり書くことは考えることです。

これは小中学校でも充分出来ると思いますが、まず大学でやってみましょう。そして、学生たちがおもしろがったら、教師になったときに自分でもやってみるといいかな。最初に大学でやるのが面白いなあ。

授業に関して言えば、私の場合あまり中学校と大学でもその作り上げ方は変わらない感じなのですが、ここにきて少しずつ大学での授業に触発されて、大学での新しい授業方法を生み出すことが増えてきました。

これがどう展開しようか。
まだ書けないけど、さあ、楽しみ。

名刺入れが戻ってきた

名刺入れが戻ってきた。

いやあ、娘が生まれたとき嬉しくて、新宿のとある店でシミジミ飲んでいた。おそらくその近辺で紛失したのであろう。東京から滋賀の実家に戻って郵便受けを見たら、はがきが届いていてそこには新宿駅で保管していると書かれてあった。

慌てて電話をすると、すでに品物は警視庁の遺失物センターに回されてしまったとのことであった。飯田橋だ。
(う。それが分かっていれば新幹線に乗る前に立ち寄って取ってきたのに)
と琵琶湖の畔でうずくまった。

            ◆

この名刺入れは、結構年季が入っている。
教師になった時に買ったものだ。革製のシンプルなもので、とても気に入っている。そして、それはブレザーやズボンに入れあり、取り出す度に布にこすれていい感じで磨かれて艶が出ていたのだ。

その名刺入れが紛失していたのでちょっとショックであったのだが、見つかったのは良かった。

            ◆

何回も遺失物センターに電話をかけるのだが、常に話し中。参った。仕方がなしに、葉書に要件を書いて、自分の携帯電話の番号を書いて送った。そしたら、数日して電話があった。
「先生の名刺入れはどのようなものですか」
『はい、こういうものです』
などと言う会話。

(あ、名刺を見れば私が先生って分かるか)

ばれてしまえば、何処にいても先生と呼ばれるのがこの仕事。なんともはやである。

            ◆

でも、戻ってきた。嬉しい。

閉じたり開いたりして、
(新しい出会いのために役立ってくれよ)
と思う私であった。

自主ゼミを開くことにした

今週から学生たちのリクエストにより、自主ゼミを開くことにした。去年国語科教育法を受講していた学生たちが中心となって、模擬授業を行うことを中心とした自主ゼミである。

私はいま専門ゼミを担当していない。専門ゼミは、三回生から始まる。児童教育学科は一回生だけなので、専門ゼミはない。

大学では、結構委員会を担当したり、授業も詰まっているのだが、専門ゼミの始まるまでの一年半は面倒を見てあげようと始めた。なんといっても大学の醍醐味の一つは、あんなに勉強したのに単位にならない自主ゼミにあると私は思っているからだ。

私も大学四年生の時に、恩師に自主ゼミの面倒を見てもらい、その良さを実感している。それを自分だけ経験して、学生たちにさせないというのもなんだ。まず、期間限定で引き受けてやろうと思った次第だ。

            ◆

その一回目が昨日あった。中学校三年生の教科書にある長田弘さんの詩を扱っていた。二人の学生が同じ教材で、二本の授業を作る。それぞれ15分ずつ授業をして、それぞれ30分の検討会を行うという構成である。

四回生の行う模擬授業ということもあり、指導案等はそれなりに形になっていた。が、まだまだだなあというものも多い。

・自分で発問や質問をしておきながら、自分でうなずいて答えてしまう。
・指示の言葉が統一されていない。
・発問の意図が分からない。または、バレバレ。

そんなことが見られる。

            ◆

さらに、どうしても授業がコナン型になってしまうのだ。古畑型に展開したらいいなあと思うところで、コナン型になってしまう。

コナン型とは、読者が探偵と一緒に、最後に犯人を当てるタイプの推理番組。古畑型とは、読者には最初に犯人が分かっていて、探偵には分かっていない。そして、なぜ犯人なのかを証明していくタイプの推理番組である。

この「犯人」を「本時の目的」と置き換えると、授業の構成の二つのタイプと考えることが出来る。コナン型は、一つ一つの緻密な授業の進め方が必要であるし、子どもたちがそれに付いてこないと失敗する。一方古畑型は、犯人であることの根拠を捜していくので、取りかかりの幅が広い。やりやすいと考えている。

たとえば、「この詩の主題はなんですか?」と聞くのがコナン型で、「この詩の主題は、絶望です。その理由を本文から求めなさい」といのが古畑型である。

            ◆

古畑型にすることで、話し合い活動もしやすくなると考えている。国語科を実技教科にしたいと考えている私は、この方法を勧めている。

ま、まだ始まったばかりだ。二月までやると言うからじっくり指導しよう。ちなみに、本学の学生諸君であれば、見学・参加は可能なので、希望者は私のところにどうぞ。

2007/10/09

朝からぼーっとしているのである

一気に気温が下がった。朝の空気がひんやりである。朝起きて一杯の野菜ジュースを飲むのが、つい先日までだったのに、今朝は何のためらいもなくあたたかい紅茶である。

こんなこともあろうかと、東京に行く前に気に入っているノリタケのカップを漂白していったのだ。ボーンチャイナではなくファインチャイナの一品だが、茶渋が奇麗に取れたそれはとても奇麗に紅茶を映す。秋の色である。

            ◆

東京に行く前に郵便受けを見たら、一切の本が届いていた。『学び合う国語  国語をコミュニケーションの教科にするために』(西川純/片桐史裕 編著 東洋館出版社)である。昨年度書いた原稿がまとまったのだ。これを朝から読む。

私も「相互評価に基づく作文指導」ということで第六章を担当した。お分かりの通り、本書は上越教育大学の西川純先生が提唱される「学び合い」をその基本哲学にして実践を重ねた、国語科の記録である。

私の記録は、厳密に言えば西川純先生の「学び合い」とは違う。そもそもこの実践をやっていた時に、西川先生のこの理論は存じ上げていない。しかし、その後この「学び合い」を学ぶに連れて、授業の基本哲学は非常に近いものがあると感じていたが、ご縁を戴いて原稿を書くことになったのだ。

            ◆

この学び合いについては、西川先生のブログあべたかさんのブログに詳しい。西川先生のことを思うと、ニコラウス・コペルニクスのことを思い出す。授業をつくる、指導するということを臨床的に研究を重ねて行ったら、研究の結果が、どうしてもパラダイムの転換を要求するようになってしまった。そして、それを真摯に訴えたということだ。

だって、授業では先生が「教えない」というのだから、そんなの授業なの?ということになる。しかし、授業なのだ。

ここで大事なのは、「教える」と「学ぶ」と「学び合う」ということは違うと言うことである。もっといえば、「勉強する」と「支援する」も違うということである。私は自分でこれらの用語をこのように整理していたし、教室を「座」と捉えて座の文学を構成する。または、学級集団作りも実践の土台にしていたので、西川先生の考え方はすっと入った。

            ◆

しかし乍ら、大学での教育法では、この「学び合い」はなかなか教えることが難しい。そして、採用試験ではこの「学び合い」を使った模擬授業等はほとんど評価されないだろう。それは採用試験では、指導という言葉の定義が狭義で使われるからである。西川先生ご自身であっても、学部の授業では学び合いの方法で授業を行っていないということである。

だから、授業では紹介するに留まるであろう。いつの時代でも、最先端は少数から始まるものだ。あれこれ言われて理解されずに始まるものだ。理解されていないから広がっていないのだ。ディベートでもそうであった。

ただ、私は自分が今まで学びつづけて実践してきた指導方法が、コペルニクス的転回をしつつ、アウフヘーベンをしているのを感じている。ポストモダンの社会に突入し、情報化社会の中で生まれて育っている子どもたちに学校で授業を行うということの意味を考えたとき、学び合いは重要な意味を持つだろう。

            ◆

そんな私がいまぼんやり考えているのは、学び合いの限界はどこにあるのかということである。西川先生のような実証的な研究が行えるかどうかは別にして、この辺りに限界があるのではないかとぼんやり考えている。

限界を提示することは大事だというのは、ディベートの指導をするときに私が学んだ事柄の一つだ。万能ということを人は求めるが、そんなものはないだろう。何に向いていてい、どんな限界があるのか。それを理解した上で活用するというのが大事であると考えている。

だから紅茶を飲みながら、朝からぼーっとしているのである。

2007/10/08

「勝ちましたなあ」

週末は、娘のお宮参りのために東京に戻っていた。女の子の場合は生後31日目にやるのが一般的だそうで、その日に行うことが出来た。

娘の現住所は滋賀県になっているが、両家の両親のこともあり、本籍地は東京都多摩市ということもあり、府中の大国魂神社で行った。

            ◆

娘は、奇麗な白いおくるみと涎掛けを身に纏い、私の母に抱っこされて赤い着物を上からかけられた。うーん、実に可愛い。

遅い子どもにも関わらず、両家の両親が健康で健在と言うのは、実にありがたいことだ。こうしてお宮参りに揃ってもらえると言うのは、嬉しいことだ。

義理の父が声を掛けてくる。
「勝ちましたなあ」
『ええ』
何のことかと言えば、あちらこちらにいるお宮参りの赤ちゃんと何気なく見比べてみてしまうのだが、すべての赤ちゃんに可愛さでは勝ったということである。私もすぐに『ええ』と答えるところが、爺バカに親ばかである。

その横では私の父が、
「ば〜〜」
とかやっている。ここにももう一人いた。
実に平和だ。

もちろん、どの家でも(うちが一番)と思っているのだから、我々もそう思っていいだろう。
でも、結構あちらこちらで
「まー、可愛い赤ちゃん」
と見ず知らずの人に声をかけられたんだから、まんざらでもないだろう(^^)v。

            ◆

しかし、驚いた赤ちゃんもいた。眉毛がくっきりしているのである。あまりのくっきりさによく見たら、描かれているのである。母親が自分と同じ眉毛にメイクしているのである。これには驚愕。

だって、お宮参りってのはまだ生まれてばかりの赤ちゃんだし、眉毛なんてなくてもいいのに、描いているのだ。化学物質やらは気にならないのか? 眉毛がないのがそんなに変か? ないのが赤ちゃんらしくていいのに。これは流石に親ばかではないだろう。

            ◆

折角なので、記念写真を撮ることにしていた。子ども専用の写真館である。気合いを入れて撮影に挑む。しかし、だ。これがびっくり。娘が熟睡なのである。くすぐろうが、声を掛けようが、コットンで頬に水を湿らそうが、ダメである。

残念ながら、大きな目をぱっちりと開けた写真を撮ることは出来なかった。ふーむ。一歳の記念までお預けか。

御祝いの膳を一族でとって、ありがたく一日を過ごした。

            ◆

10/8はハッピーマンデーの影響でつぶれまくっている月曜の授業のために、本学では通常授業。まったくなんという法律だ。

午後の4限に間に合うように、東京を出た。
(また、しばらく会えないなあ)
と思い、寝ている娘を朝の間ずっと膝の上に乗せていた。

東京は、すっかり秋の気配。
娘の体温が、心地よい。
すやすやすやすや。
そんな娘を見ているだけで幸せになる私。

(うしゃあ、仕事スッゾ!)

学問の秋でもある。

2007/10/07

メリーを作った

メリーを作った。

いやあ、工作なんて数十年ぶりである。工作と呼べるかどうか分からない代物であるが、作った。メリーと言うのは、赤ちゃんのベッドの上でくるくる回るあれである。

            ◆

赤ちゃんの玩具をあれこれ調べてみると、メリーは結構いいと書いてあるものが多くあり、それならば買うかと思って、赤ちゃん用の品物が売っているところを数カ所見て回った。

がっかりである。

なんとも毒々しい色使いや、変な電子音に光。こんなのが娘の頭の上で回るのは、私は許せなかった。しかも、いかにも日本のものではないキャラクターばかり。私は機関車トーマスのどこが可愛いのか全く分からない者である。あれは可愛いではなく、気持ち悪いである。そんなのが可愛いと思うような感性に育っては、ゆくゆく大変である。

そこで、作ったのである。

            ◆

最初は、モーターを買ってきて洗濯を干す回転式のハンガーを回そうかと思った。そこに、いろいろなものを挟めばオッケーだろうと。ところが、モーターの回転数が結構早い。ギアを噛ませてゆっくりとさせてとも思ったが、何しろ数十年ぶりの工作である。そんなに凝らないで出来るものから始めた方が良い。没。

そこで、動力をモーターからゴムに変えることにした。ゴムの動力で飛ぶオモチャの飛行機があるぐらいだから、なんとかなるだろうと思ったのだ。

簡単な設計図を描く。自分でもびっくりである。こんなことにこんなに熱中しているなんて。で、描いてみると、イメージが固まり必要な部品が見えてくる。この図を元にホームセンターで部品を調達する。さらに、店の人にアドヴァイスを貰いあれこれやる。木とゴムを使ったメリーの完成である。

数十年ぶりの工作にしては、結構満足。制作費も800円ぐらいか。市販のものの1/6ぐらいの値段です。これはキットにすると、お父さんたちが喜んで作るんじゃないかな。きっとそうだろうf(^^;。

さらに、あれこれとバージョンアップできるのが、手作りの良さだ。ぶら下げるものを変えたり、音が鳴るように工夫をしたりと、ちょっとお父さんも楽しめそうである。

            ◆

滋賀からわざわざ持ってきて、早速娘のベッドの上に取り付ける。
娘は、なーんの関心も示さない。

ま、そういうもんだ。

「美人はん」

本当なら朝一番の新幹線で東京に向かうつもりだったのだが、昨日のうちにクリーニングを取りにいけなくて、昼前の新幹線となった。

折角富士山の見える側の窓際を指定できたのに、富士山の見える地点では熟睡してしまっていた。残念。ではあるが、途中は収穫を控えた稲の波。そして、その周りには曼珠沙華。日本の秋であることよ。雲も早く流れる。そりゃあ、そうだ。新幹線が速いのだから。

と、本を読む間もなく東京駅に到着。

            ◆

久しぶりの娘は、いやあ大きくなっていた。一ヶ月で700gぐらい大きくなっている。目鼻立ちも、ますますしっかりしてきている。

寝ていたのだが、もう、我慢できなくなって手を洗ってうがいをして、抱っこする。いやあ、重い。健康的な重さだ。そして、あたたかい。ああ、赤ちゃんの匂いだ。

順調に成長している。感謝だ。

            ◆

学生たちに娘の写真を見せたら
「先生、目が大きいですね。美人はん決定ですね」
「美人はんですね」
と言われる。

お世辞でもなんでもいいのだが、「美人はん」というのがいかにも京都らしいなあと思う。

おい、娘よ。美人はんだそうだ。
ガッツ石松でもあるが。

2007/10/06

今朝は、奇麗な朝焼け

Asahi

一ヶ月前の今日は台風だったなあ。
今朝は、奇麗な朝焼け。
生まれて一ヶ月か。
お宮参りだ。

2007/10/05

本日一ヶ月検診

10月5日である。いやあ、明日で娘もこの世に生を受けて一ヶ月となる。
本日一ヶ月検診。これも無事に終了したとの電話を奥さんからもらった。
(一ヶ月前は、特別活動論の集中講義の二日目だったんだよなあ)
と思う。げに、時の流れるのは早い。

大学の構内には曼珠沙華が咲き、ハナミズキは紅葉を始めた。
ちょっとスタートが遅い気もするが確実に秋は訪れてきている。

            ◆

秋と言えば大学祭である。
本学も10/27、28と行われる。児童教育学科の学生は先輩がいないので、他の学科よりも手をかけて学園祭を作ることを指導していくことになる。

しかし、流石に教育を目指そうとする学生たちである。指示が通る。実行委員会の副委員長には、全体を見渡すことの出来るスケジュール表を作ってくださいと指示を出し、クラスの実行委員には、クラスの当日までのスケジュールを作ってくださいと指示を出す。すると、ある程度のレベルで良いものが作られる。

私は自分が作った学習発表会の時のスケジュール表などを見せながら、足りない部分を指摘するが、どんどん吸収する。いいねえ。

残念ながら大学祭の前半は、私は京都の大学のコンソーシアムでの授業があるので、しっかりと見ることは出来ないが、楽しみである。

            ◆

夕焼けが奇麗になってきた。
まさに、秋は夕暮れなのだなあ。

2007/10/04

本日研究日

Rimg0022
本日研究日。どっさり買い込んである本を次から次へと読むつもりであったが、これがなかなかどうして面白い本というのは、なかなか先に進まない。読み飛ばすことが出来ず、書き込むことが多いのが一般的な理由。なれど・・・。

だいたいからして、『寝ながら学べる構造主義』(内田樹 文春新書)を、きちんと内田先生の指導の通りに、ベランダで足を伸ばして寝られる椅子に寝ながら読んでいたのだが、そしたら、寝てしまったではないか。面白いのだけれども、このところ溜まっている疲れの方が勝ったと言うことだろうか。ま、そうは言いつつ第三章の途中までは読み終えたが。

最新号の「ブルータス」の特集は「言葉の力」だ。まさに力のある言葉が羅列している。夜、寝る前にパラパラめくっていたら寝られなくなってしまったので、眠たい時に読むと良いのかと思い、そんなときに読むが、眠たい時には何を読んでもダメなのかもということも分かる。

            ◆

『くたばれ学校』(今村克彦 アスキー新書)は、三日前に読み終えている。今村先生から学ぶ点は多いと思う。子どもの事実から教育を語ることが出来るというのは、大事なことである。歌の師匠が河島英五さんだったと聞かされたことがあるが、この本ではさらにその辺りの細かい事情や、教員に対するいじめの話等かなり書いてある。出る杭は打たれるとは言うものの、もっと明るく教育は出来ないかと思う。

『叱り方の極意』(池上公介 ファーストプレイス)は、北海道で英語の専門学校を立ち上げ、その後中学校浪人のための塾、不登校の子どもための塾を立ち上げて教育に邁進されてきた池上先生の実践の記録がまとめられた本。池上先生の学校に火曜子どもたちには、ピアス、茶髪をきちんとダメだと指導している。私もそう思う。まして、教師を目指そうと思っているものが、茶髪にピアスというのはやはりおかしい。

『文字講話 1』(白川静 平凡社)は、なんと言っても白川先生の学問が、ご自身の言葉で語られている本である。人類最古の字書である「説文解字」の成立以前に作られた文字の発見から、「説文解字」の間違いを指摘し、漢字の成立過程を丁寧に論究された。一生を研究に捧げる。そして、前人未到の成果を残す。こんなのは本人の気の遠くなるような努力、さらにこの努力に結果を与えようとするなんらかの力が働かなければなし得ることは出来ないだろう。しかし、白川先生はそのどちらも自らのものとされた。94年の人生によって、これが完結された。それをたった2200円で読めるなんてのは、信じられない安さである。頭がすっきりしている午前中に読むのが良い。

            ◆

とまあ、最近読んだ本、再読している本、読みかけている本を少し並べてみた。もちろん、「島耕作」も順調であるf(^^;。現在「ヤング 島耕作」を読み終えて、「常務 島耕作」まで進んでいる。

            ◆

さらに、自分でもびっくりだが、今までの私にはあり得ないことも始めて仕舞った。これがどうなるかは、ちょっと楽しみ。大したことではないが、今までの自分では考えられないこと。たぶん、奥さんはひえ〜と驚くだろうなあf(^^;。

さ、週末は娘のお宮参りだ。


2007/10/03

大学の本格的な学びの世界へようこそ

(二ヶ月間と言うのは、長いなあ)
と始まる前は思っていたと思いますが、あっという間に夏休みが終わり後期が始まったというところでしょうか。後期のクラスアドヴァイザーを担当する池田修です。よろしく。

            ◆

先週の児童教育学科後期の授業ガイダンスでは、私は採用試験に向けての話を担当しました。補足しながら、簡単に振り返りましょう。

(1)哲学はあるか

なぜ、教師・保育士になりたいのか?きっかけではなく、理由はあるか? 自分より年上(40歳ぐらいの人)の他者に簡潔に述べられるか?
『教師になるということ』(ひまわり社)は、私の例。君たちのヒントのためにも書いたつもりだ。参考にしてほしい。

(2)勉強はしているか

「トイレと歯医者と風呂は変わってあげられない。そして、勉強も」私の母親の名言です。「学問に王道なし」を庶民の言葉で言い換えていると私は思っています。

大学での授業は、合格した後の、教師・保育士になってから活躍できるための授業が多く、合格のための試験勉強は、各自がしなければならないということです。受験勉強から遠ざかり、ゆったりと勉強している今、実はゆったりではなく手を抜いているだけ、甘えているだけということはありませんか。

私は、入試や採用試験に落ちて泣いている人の気持ちは、実は良く分からないんですね。落ちたら、恥ずかしがるか(こんなに勉強させておいて落とすか?)と怒るかのどっちかだと思います。うれし涙なら分かるけど、悔し涙は分からない。入試や公務員の採用試験ほど、公平な試験はないと思う。やった人は合格し、やっていない人は残念というのが、採用試験です。

ボランティアや人生経験などは、教師になるために必要です。しかし、当然だがそれだけでは受かりません。経験や人物を重視するというが、ペーパー試験に合格するための実力も必要です。

中学校の教科書の内容が頭にきちんと入ってる?

ただ、一人で学ぶ必要はない。仲間と一緒に学べば良い。生協の講座などですばらしいものもある。去年今年と現役で合格している学生はみんな受講している。勉強を一緒にする仲間は大切。採用試験に向けて勉強会をしている他の大学の大学生は多い。学外でも勉強して人脈を育てている人も実は多い。以下に、情報を載せます。

火曜の5限は、国語の教師を目指す学生たちの自主ゼミがある。
「明日の教室」に参加する学生たち。
11/17、18に橘大学教職2dayセミナー
11/24、25にall関西教職フェスタ
11/25に京都教育大学付属小学校でセミナー

採用試験のための勉強は、2000時間が一つの目安。2000時間と言うのは、一日に4時間やるとして、500日必要になる。4年の7月に受験となると、大学三年生になる3月ぐらいから始めて間に合うかどうかです。

私は、塾の講師をしながら中学校の入試問題を4年間教えていた。夏の講習会、冬の講習会、通常の授業をいれるとざっと3500時間程度教えつつ勉強していたことになる。あとは、採用試験の前に、教職教養と一般教養をやればよかった。

いまは、都道府県ごとにご当地問題が出たり、一般教養がなかったり、実技教科に特色があたったりする。それぞれ受験する都道府県の問題を調べましょう。因に、池田の時は、倍率は25倍でした。

            ◆

丁寧に学びましょう。自分の勉強もしっかり。

10月 3日 後期研究入門ゼミ通信『運筆』NO. 1 より

60点未満は不認定

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007100300237より
引用開始 ーーーーーーーーーー


2007/10/03-10:29 60点未満は不認定=教員免許更新制で評価基準案−文科省

文部科学省は3日、2009年度に導入される教員免許更新制について、更新講習の内容や修了認定・評価基準の素案を中央教育審議会(文科相の諮問機関)のワーキンググループに示した。講習の修了認定に当たっては、筆記または実技試験による5段階評価を行い、100点満点中60点に満たなかった受講者のみを不認定とする。

引用終了 ーーーーーーーーーー

さて、これは実現するのだろうか。基準は分かった。しかし、規準はどうなるのだろうか。

学校教育現場を締め付けて、教員を締め上げる方向に動いているが、そんなことをしてみても無理だと言うことにそろそろ気がつかないかね。

やることは、他にある。しかし、政治家や官僚はそこに触れることが出来ないのかなあ。

会議の多い水曜日だが

本日も嬉しい知らせ。神奈川県の中学校国語で現役で合格者が出た。いやあ、嬉しい。自分が合格するよりも嬉しいかもしれない。やっとスタートラインに立つことが出来た学生たちであり、これからが勝負であるが、今は素直におめでとうと言ってあげたい。

            ◆

うちの大学では、一年生の研究入門ゼミは前期と後期で担当するクラスが変わる。今日、その後期のクラスの授業が始まった。

みっともないことに、最初の授業で教室を間違えてしまった。研究入門ゼミを行っている教室はみんな同じ校舎にあると思っていたし、そのように教えてもらったのだ。が。実際にいってみたら違っていた。授業開始に2分遅れてしまった。すまん。

後期のクラスもやる気が満ちていて、こちらも
(こりゃあ楽しみだわい)
と思える。

            ◆

前期のクラスには夏休みの宿題を出していた。「自分新聞」である。夏休みの写真日記である。A4一枚でまとめるのだ。今日、そのまとまったものを学生たちが持ってきてくれた。一気に読んだ。良い夏休みを送ったようだ。

中でもクラスの男子7人は、富士山に登っていた。大学の学科の学会に補助金を申請して補助金をもらい、夏の富士山を征服してきたようだ。幸い天候にも恵まれ、ご来光を浴びることが出来たようだ。写真が良い。

大学は、学問を手に入れるきっかけを作らなければならないが、その一方で充実した青年期を過ごすことも大事である。中には、琵琶湖を自転車で一周したものとかも他のクラスにはいるようだ。いいぞ、これが良いことなんだな。人間としての基礎体力をつけること。それが教師としての基礎体力にも繋がっていくはずだ。

            ◆

会議の多い水曜日だが、嬉しいことも多かった水曜日だ。

2007/10/02

狙ったのかNHK

いやあ、いいのかNHK。
狙ったのかNHK。

            ◆

今日の夜のNHKのTVで、以下のようなニュースが流れた。

「北朝鮮を訪れたノムヒョン大統領が、町の中心部に行くに従って、集められた人民の数が増えてきました」

私は、思わず吹き出してしまいました。
だって、

「集められた人民」

ですぜ。

「集まった人民」なら、歓迎によって出てきているということになるけれども、「集められた人民」ですからね。

            ◆

何気ない言葉の中に、思わず
(やるな)
と唸ってしまいました。

学習ゲームの理論と実際

久しぶりに奇麗に晴れた朝だった。
ベランダの花に水をやり、ベランダが熱くならないように打ち水をしてから、リビングで仕事に取りかかる。時々琵琶湖に目をやり、ぼーっとあれこれ考える。

二冊ほど本を読み終わったところで、お昼になる。
昼ご飯も食べずに大学に向かう。
途中100円ショップで、今日の授業に使うものを買い込む。小物が沢山あって便利だ。

            ◆

今日の授業は、国語科教育法2。学習ゲームの理論と実際である。理論の部分はちょっと薄めになってしまったが、なにぶん学習ゲームは体験してみるのが一番。大学生でもかなり盛り上がった。

学習ゲームに入る前に、後期の授業の流れに従って、準備をあれこれさせる。相手が大学生だから、本当なら
「〜ということをやるので、決めておくように」
で済むのだが、この授業は国語科教育法である。決め方にはどのような手続きや方法があるのかということを教えていく必要がある。だから、授業内に決めさせて、その活動の意味を説明している。

タネも仕掛けもある授業の、タネ明かしをしながら授業を行うということである。

・メディアリテラシーに関する授業のための準備
・模擬授業のための準備
・後期の日直の役割分担確認

などをあれこれしたのであった。

            ◆

授業後、研究室で学生たちと来年度の受験に向けてあれこれと話す。平成20年度の受験は、当然ながら始まっている。

学生たちに気合いが入り始めた。いいことだ。

教職総合演習の授業が始まる

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いやあ、久しぶりに青空だ。奇麗奇麗。

            ◆

教職総合演習の授業が始まる。集中講義でも行った授業であるが、後期のこの授業は文学部のさまざまな学科の学生が集まっている。主に三回生。

この授業では、現代社会にある諸問題に関わり、討論などを通して理解を深めることを目指す。つまり、ディベートと小論文を通して学ぶ。

「ディベートを学ぶ、小論文を学ぶ」ではなく、「ディベートで学ぶ、小論文で学ぶ」ではあるが、まずは「を」の部分も確認のために扱う。

昨日もそれを行ったのだが、どうも学生たちが高校までに習ってきたディベートは、ディベートではなく、ディスカッションやバズセッションである。相手を言い負かすということを目的としていたり、兎に角話すということが目的になっている。

ディベートは、「ジャッジを説得する討論ゲームである」と定義して授業を進める。説得力は、家本芳郎先生によれば、教師が身につける指導力の中で一番大事なものであると言う。教師を目指す学生たちは、この説得力を身につける必要がある。

主張とそれを支える根拠。これを考えさせたい。

            ◆

学生たちには、このように話してある。

『この授業は、通常の授業と少し違うかもしれません。往々にして授業に参加する諸君は、ウオッチャーとして参加している場合があるかもしれませんが、この授業ではプレーヤーとして参加していくことになると思います。授業に際して、見学はあり得ないと思ってください』

『さらに、私は授業中の飲食は認めませんが、飲み物を持参することは許可します。授業内で時間を取って飲み物を取る時間を設定することもあると思います』

学生たちは、この説明を受けて非常にやる気になっている。

面白い授業になりそうである。

2007/10/01

祝合格である。

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祝合格である。

本日、私の大学での教え子が、現役で中学校の国語科の教師として合格した。和歌山県である。本年度の一人目である。嬉しいねえ。
「先生の御陰です」
と言ってくれるが、それは違う。君の努力が実を結んだということだ。努力してもまだ実を結ぶことの出来ていない人がいるが、君の場合はその努力が実を結んだと言うことだ。

ここからがスタートではあるが、実に嬉しい。地元に戻って教師を始める。ご両親もさぞかし喜ぶことだろう。

さらに、メールで合格の知らせも届く。「明日の教室」に良く通ってくる学生からだ。これも嬉しい。成長した姿を見ることが出来ると言うのは、嬉しいものだ。教師の醍醐味である。

10月は発表の季節でもある。
一次合格している人は、二次も通ると良いなあ。

あちらこちらからの、吉報を待つ。

人生は有限なのに、教育は切りがない

朝は、5時台に起きる。
日曜日だと言うのに、ま、起きたらそれに従うか。

            ◆

午前中は、読書と漫画。「取締役 島耕作」を読み進めている。おそらく今日中に最終卷まで読み終わるだろう。いやあ、いろいろな意味で面白い。この面白さは、二三年前には感じることが出来なかったものかもしれない。

かつて、そう、随分昔の中学校一年生の時に、夏目漱石の『坊ちゃん』を読んだことがある。夏目漱石のユーモア小説ということで、それなら私でも面白いだろうと思って読んだら、全然、面白くなかった。

ところが、教師になって一年目に読み直したら、これがもの凄く面白かった。自分の立つ位置によってこんなに作品が違って見えるのかと思ったものだ。

それに近いものがあるのかもしれない。

            ◆

昼過ぎから、空き地の会のメンバーで会う。
空き地の会は、私が学芸大学の大学院に通っている時にお世話になった山田雅彦先生が声を掛けて集っているMLである。

大阪から、もう一人。関西支部のS先生と三人で、たっぷりと話す。というか、今回は私は主に聞き役だった。話すよりもS先生のお話が面白い。この日のために、教材を作ってきてくれて「銀座ライオン」で、講座が始まってしまった(^^)。

あれやこれやと落語、教育、お酒、文化と話は続く。切りがない。

            ◆

山田先生の東京への新幹線の時間が迫ってきたので、もう一軒、本屋に行く。
本屋に行って、制限時間10分でそれぞれがそれぞれに本を一冊ずつプレゼントすると言う企画を私が提案したところ、そりゃあ面白いと言うことになり、即実施。

大人の遊びとしては、良い遊びではないかと思う。

            ◆

その後S先生とさらに、もう一軒と繰り出し、喫茶店でも楽しむ。本当に切りがない。人生は有限なのに、教育は切りがない。いいなあ。

「取締役 島耕作」も読了した。良い週末だった。

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