重心は感じるものではなく
明日の教室の翌日は、心地よい披露に包まれることばかりである。
頭と体を丁寧に使う。
今回はコンテンポラリーダンサーの砂連尾(じゃれお)理さんの講座だった。
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いろいろなワークをする。
私は他の急なメールが入っていたり、事務局の仕事をしたりしてすべてを体験することは出来なかったが、それでも体を意識するには充分なワークショップだった。
今回は、体の重心というものを考えていた。
私は自分では体の重心がどこにあるのか、かなり分かるようになっていると思っている。疲れないで一日中立って授業をする体の位置というものが、ここではないかというのが分かっているからだ。
で、ワークをやってみたら、見事に大丈夫であった。
体を二人一組になって、ある姿勢で押し合うのだが、一発でオッケーを貰った。
若い先生たちは、これが見事に出来ない。
力の抜き方、入れ方が、周りから見ていても違うなあと分かる。
あの体で一日授業をしていたら、かなり疲れるんじゃないかなと思う。
指導の内容で疲れるのではなく、自分の体に疲れるのである。
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私はこの重心を感じるワークをしながら、書道と同じだなあとも思っていた。
筆を動かす時の呼吸、重心と非常に似ているのだ。
砂連尾さんが言われるには、書道、茶道、合気道などは、この重心が共通しているというのだ。ウーム面白い。
さらに、重心は感じるものではなく、作るものだと言うお話もあった。確かに、感じられる人はそこに作っているから感じるのかもなあ。
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今回のレッスンは、土曜日にやって月曜日に教室ですぐに実践できると言う、「明日」ではない。3年とか5年とか先の「明日」に向かって体が獲得していく、内容だったと思う。自分の体に、心地よい変化が生まれていくことを、楽しみに待ちたい。
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さて、来月の第8回の明日の教室は、11/10である。久しぶりに、糸井先生と私が講師を行う。私は学習ゲームの理論と実際。糸井先生は、教材研究の仕方や教育助成金申請の仕方などをレクチャーしてくださる予定です。
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コメント
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今度は大勢集まる気がします。
いや、きっと、集まる気がします。
「教材研究の仕方」という言葉に・・・・。
投稿: ながたく | 2007/10/15 20:57
待っていますよ(^^)。
投稿: 池田修 | 2007/10/26 08:00