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2007/11/30

書写の授業をさせて頂いた

私が高校で校内研究会の講師をしている同時刻に、指導している学生2人は京都の市内の小学校で書写の授業をしていた。

「明日の教室」に参加している先生の学校で、書写の授業をさせて頂いたのだ。小学校の書写の指導は、なかなか難しいと思う。私も今後、小学校の国語の授業のための授業を行うが、15回ではなかなか教えられないだろう。

そこでということでもないが、「明日の教室」に来ていたうちの書道コースの学生に話をしてみた。
『書写の先生として学ばさせて頂いたらどうだ?』

幸いにして、このことを校長先生も快諾して頂き、学生は半日書写の授業を体験させて頂くことが出来た。ありがたい。

時間があえば私も見学に行きたかったのだが、私は私で大事な仕事。だから、前日に指導案の指導であった。

上手く行ったとのメールが学生から来た。
本当かどうかは分からないが、授業をさせていただいた小学校に感謝である。

「明日の教室」をベースキャンプにして、実践の輪が広がると良いなあと思う。

分かりやすいと分かる

研究日。
いつものように家で仕事ということにはならない。本日は、校内研究会の講師を務めるのだ。学校は同じ法人の京都橘高校だ。以前、京都橘高校の国語科の研修会に講師として呼ばれ、顔を知ってもらっているので、多少やりやすい。3時間目の授業を拝見して、放課後の検討会となる。

            ◆

授業はすべて録画され、検討会はストップモーション方式。ひとつひとつ授業の事実から検討を行う。授業はこれから留学を控えた高校生たちに、「説明する」「伝える」ということはどういうことなのかを考えさせ、力をつけることを目的としたものであった。

文章と会話。文脈と記号。これらの観点から「説明する」「伝える」ということを取り上げていた。

            ◆

私は授業を拝見しながら、分かりやすい授業と分かる授業の違いや、分かる授業ってどこまでやっていいのだろうかなどと考えていた。

分かりやすい授業を行うことは大事だが、分からせてしまっていいのかという問題があると思っている。分かってしまったらそこで子どもたちは、学びを続けない。分かるのではなく、分かりそうだというところで終わらせる。または、自分が何も分かっていないということを理解させるという辺りにゴールを設定するのが、高校や大学の授業ではないかと考えている。

じゃあ、この授業でどこいらが「分かりそうだというところで終わらせる。または、自分が何も分かっていないということを理解させるという辺り」なのかというと、これは私が「ここです」と簡単に言えるものではない。というか、言えない。

これは授業者が設定するものである。私は、なぜ「分かりそうだというところで終わらせる。または、自分が何も分かっていないということを理解させるという辺り」に授業のゴールを設定するのが良いのではないだろうかの理由を述べることが役割だと考えた。

今回の研究授業の検討会では、ここをきちんと述べきれなかったかなあと、反省。ただ、コーディネート役の先生にはここについては検討会の前の打ち合わせで話せたので、やがて伝わることを願いたい。

            ◆

オーラルで説明をする時の指導ポイントや、概念の粒の揃え方について解説し、これを踏まえたワークショップをやってこの日はお仕舞い。

娘の待つ家に急ぐのであったf(^^;。

メールも会話も禁止

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071125-00000945-san-soci
ったく、本当?

引用開始 ーーーーーーーーーー

メールも会話も禁止 都教委、個人情報で新基準作成へ

11月26日0時0分配信 産経新聞

 児童や生徒のテスト結果など個人情報を教員が学校外に持ち出し、紛失するケースが相次いでいることから、東京都教育委員会が個人情報の扱いを詳細に定めた独自のガイドラインづくりに乗り出したことが25日、分かった。新たな管理基準は、教員に個人情報を含むメールの送信を禁じるほか、学校外で児童・生徒の情報を話題にした会話も禁止するなど厳格化した点が特徴という。違反した場合、厳しく処分する方針で検討している。

 都内の公立学校で今年4〜10月、児童・生徒や卒業生の個人情報を紛失するミスが5件も発生。いずれも個人情報が入ったメモリーやパソコンを入れたかばんを電車内や飲食店などに置き忘れる不注意が原因だった。

 都教委は、これまで断続的に注意喚起や再発防止を指示してきたが、ミスが絶えない原因を「個人情報保護に対する教員の意識が必ずしも高くない」と分析し、個人情報管理の厳格化が必要と判断した。

 新たな管理基準には、(1)個人情報の入った電子メールの送信禁止(2)個人情報を記録したメモリーや書類は必ず鍵のかかる引き出しなどに保管(3)私物パソコンの学内使用禁止(4)個人情報が記された書類の裏面をメモ用紙に使用しない−などを盛り込んだ。また、学外で児童・生徒の個人情報を含む会話も慎むように求める。

 緊急時の保護者の連絡網など、校長の許可で持ち出せる個人情報の種類まで定めるとしており、「個人情報の取り扱いをここまで詳細に定めた基準は全国でも例がない」(教育関係者)という。

 都教委は管理基準作成のため、教員の個人情報管理の実態を把握する調査を開始。19日には全教員に個人情報管理について23項目の「自己点検票」を配布し、意識レベルを細かくチェックする。

 都の公立学校の教諭が個人情報を紛失したケースとしては、都立拝島高校の男性教諭(54)が10月下旬、定期試験の結果や調査書など生徒ら1087人分の個人情報を保存したUSBメモリー4本が入ったバッグを、JR中央線武蔵境駅の公衆電話に置き忘れたほか、4月に都立広尾高校の男性教諭(40)が、調査書など生徒ら2757人分の個人情報が入ったメモリーを無断で持ち出し、電車内で紛失したものなどがある。

引用終了 ーーーーーーーーーー

北海道の堀さんがこれについて、文章を書いている。

http://www.doblog.com/weblog/myblog/75380/251#251

これ、どうなるの?

メールが禁止になれば、保護者からのイチャモンにも答えなくて済むようになるから、
(良かった)
と思う先生もいるかもしれないが、あまり現実的ではないなあ。

でも、先生の教育に関するブログは書かせないということになるかもしれないな。ここが狙いかなあ。それっていいの?

二倍の記念日だね

家の玄関を開ける。
娘が泣いているのが分かる。

娘の名前を呼びながら近寄る。
すると、泣き止む。
私の顔も見ていないのに、泣き止む。

いやあ、嬉しい。
バカみたいだが嬉しい。

            ◆

風呂に入る前に自分の体重を量る。
そして、娘を抱っこしてもう一度量る。

を? そうか。
娘の体重が生まれた時の二倍になった。
いやあ、そうか。
おめでとう。二倍の記念日だね。

            ◆

『小さいのに大きいのはなーんだ?』
娘に話しかけた。
『正解は、・・・』
当然娘である。

            ◆

いつもなら寝る時間に、今日はご機嫌で寝ない。
ベッドで寝かせ付けているのだが、なかなか寝ない。
『ごめんね。ちょっと向こうの部屋の様子を見てくるね』
と言って娘のところから離れたら、あんなに元気ではしゃぎ、ときにはぐずって泣いていたのに素直に聞く。大人しくなる。

向こうの部屋で、明日から始まる講座の資料の作成の追い込みを行う。
で、思った。
(あ、いかん。ウソをついてしまった)
向こうの部屋の様子を見てくると言っておきながら、仕事をしている。
慌てて部屋に戻って
『ごめんね。仕事が残っていてもう少し掛かるんだよ』
と言う。すると、娘は静かにうなずいてくれた(と思う)。
これで大丈夫。一気に仕事を片づけた。

今日もバカである。

2007/11/29

図書館で本を探す

図書館の使い方について、学んだ。諸君は物心がついた時には、インターネットが家の中にある時代に育っているから、何かを捜すとき調べる時はインターネットでというのが大方であろう。

通常の調べもののレベルであれば、それでも構わない。私もそうしているし、これはこれで便利である。

余談開始

何が便利かといって、料理である。冷蔵庫に残っている食材をグールグルの検索窓に打ち込み、最後に「レシピ」または「作り方」と入れれば、その食材を使った料理の例が検索される。これで冷蔵庫の中の残り物の食材を使った一品料理が出来る。

余談終了

ではあるが、学問の世界はこれを許さない。

私の知り合いの京都大学の准教授が言っていたが、東大のある教授は、卒業論文に引用する本や論文は、全て本物を持ってこさせ、コピーや打ち込んだ文章は認めないとのことである。

            ◆

インターネットは、即時性に優れている。しかも文章で書かれるし、なんとなく正しいように思える。出典が2ちゃんねるであれば最初から話にならないと思えるが、wikiなどであれば正しいと思いがちである。

でも、本や論文とは信憑性が違いすぎる。本や論文は、執筆者がいて、それが本当かどうかを確かめる編集者や専門の学会の研究者がいる。そうやって公の場に出てくるものである。

インターネットは、ある個人が特定の思いでブログに書き綴ってあるものもある。「ヘイトサイト」というものすらあるのだ。

百科事典や辞書、専門書、専門の雑誌などにある情報から自分の考えをまとめるようにしないと、一発で論文の価値はなくなる。

その下準備として、いや基礎的な力としての図書の検索能力が必要になるのである。

            ◆

今日は、大学の図書館での検索の仕方についてレクチャーを受けた後、大学のPCで私が課題として示した本の在処を捜し、図書館で実際に捜すことをしてみた。私の出した課題は二つである。

1) 池田修の書いた文章を本学の図書館から捜す。
2) 去年の日本の小学校教員の数の分る本を捜す。

            ◆

一つ目の課題はさほど難しくなかったであろう。何冊課私が書いた本は本学の図書館に寄贈してある。だが、私は「本を捜す」とは言っていない。「文章」だ。実は、雑誌の中にも論文を書いている。これがある。これを見つけてくる人はいなかったなあ。

雑誌の中の検索は、また違うスキル(技術)が必要になる。これは来年度指導を受ける予定だが、どんどん図書館の人に聞くと良いぞ。

それにしても、「池田修」で「アラビアンナイト」の翻訳本を探し出して持ってくるとは(笑)。そりゃあ、同姓同名だわな。私にアラビア語を翻訳するような能力は、流石にない。

二つ目の課題は、ちょっと難しかったようだ。でも、これも検索のキーワードを思いつけばそれほど難しくはないのだよ。

となると、物事を捜すには、「キーワード」を持っているかどうかと言うのが、非常に大事になる。キーワードを持っていること、さらに言えば、キーワードを思いつくことである。

知識と連想の力である。この二つが必要なのである。

            ◆

ちなみに、課題1を発見出来た人は、発見順に、M君、Yくん、Yくん(同姓同名本)、Mくん、Y君でした。おめでとう。

研究入門ゼミ通信「運筆」NO.7より

2007/11/27

嫌われても言うってのが

またもや朝から仕事開始。5時台だとまだ真っ暗だ。一人ワープロに向かう。
ちょっとお腹が痛いのが気になる。今日は珈琲を飲まないでおこう。

            ◆

昼に会議をひとつ終わらせて、溜まっていた事務仕事をどんどん行う。4限の授業前には終了。さて、4限は模擬授業の3回目である。国語科教育法2もすでに10回。あと5回だ。

三回目の模擬授業は、古典。「枕草子」である。さまざまな箇所に工夫をこらし、なかなか授業らしくなってきてはいる。清少納言を登場させたり、板書に工夫を凝らしたりと面白い部分もある。

ではあるが、改めて日頃が大事だと感じた。
今日、授業を行った学生は声も良く通るし、板書の文字もなかなか良い。しかし、残念ながら歩き方がダメであった。古典の世界を作り出してほしいのだが、歩き方がドタバタでヒールの音がかなり目立っていたのだ。

最後のまとめで私が言おうと思ったら、学生の講評の中から出てきた。そこで、
『気になった人いる?』
と聞いたら、ほとんど全員が手を挙げた。

            ◆

授業をした学生は緊張していたのだろう。
しかし、緊張すると恐ろしいことに日頃が出る。または、日頃は隠している本質が出る。これが怖い。だから、日頃が大事なのだ。

日頃がきちんとできていれば、緊張した時にそのきちんとした日頃の姿が出るのであるから、問題はない。

スポーツでも、練習をきちんとするのは、練習の姿が本願で出てくれれば良いがためである。

            ◆

なんか、小言ばかり言っているようだが、こんな私でも教師をやれてきたのは、小言を言ってくださった先生方の御陰だからなあ。
あの時は、
(まったく、五月蝿いなあ)
と思っていたが、実に小言の御陰なんだなあ。

嫌われても言うってのが教師の仕事ね。
ああ、なんでこんな仕事を選んだのだろうと、この時ばかりは一瞬は思う私であった。

            ◆

ああ、週末の講座の準備が終わらない。
うーん。
帰って娘をお風呂に入れよっと。

仕事の秋

朝から研究室に籠る。
うーん、仕事がたまっている。授業以外の仕事が結構たまっているのだ。弁当を持ち込んで、食べにいく時間も節約してやっている感じ。

            ◆

午後は、模擬授業の事前指導を二つ。もう少しで形になりそうだ。頑張れ。
その後、教職総合演習の授業を行って、さらに児童教育学科の児童教育コースの会議。それでもってその後も研究室に籠る。

            ◆

仕事の秋である。

2007/11/26

午後から動き出す

二日間の疲れが出て、午後から動き出す。
奥さんと娘と近くのガーデンにお散歩。
風もなく心地よいお散歩日和。
歩いて10分もしないところにお庭があるのは、いいもんだ。

            ◆

芝生の上にビニールシートを敷いて座る。
琵琶湖に上がる噴水を見ながらお茶。
クッキー等を食べる。

ガーデンを持っている会館で結婚式があったようで、御祝いをしている。空に向かって風船を放っていた。どんどん青空に向かって飛んでいく。

その風船の上を飛行機が横切る。
(あれは、九州に向かう飛行機だろうなあ。沖縄に行く飛行機は太平洋上空を飛ぶが、九州に向かう飛行機は富士山の脇を通り、遠州灘の脇を通り、琵琶湖の上空を通っていくからなあ)
なんてことを思いながら空を見上げていた。

「生まれたところや皮膚やめの色で、いったいこの僕の何が分かるのと言うのだろう」
ブルーハーツの「青空」を思い出したりしていた。

            ◆

夕方から、研究室に向かう。
仕事がたまっているので、三時間だけと決めて向かう。
集中してひとつの仕事を終えた。

さ、明日からまた授業再開である。

2007/11/25

三連休の前半二日

三連休の前半二日は、濃い二日であった。

            ◆

初日は「ALL関西教育フェスタ2007」に参加。去年に引き続きに二回目である。関西の教育者を目指す学生たちが、自分たちで一泊二日の学習会を企画しているのだ。すばらしいことだ。140人ぐらい集まったという。

講師陣が凄い。私が関わった初日の講座には、赤坂真二、今村克彦、西川純の各先生。私はオープニング講座で行ったパネルディスカッションの司会を担当。このパネルディスカッションには、稲田塾登美ケ丘校校長の前田先生も参加された。

単独の講座のない私は、三人の先生方の講座を順番に受ける。すごい。そして、今村先生の生徒指導を中心としたお話と西川先生の学び合いのお話の中に、とんでもないものを見つけて喜ぶ。

それにしても、当たり前だが講師の先生方の「語り」の上手さである。それぞれがそれぞれの語りを持っている。赤坂先生のどっかんテンション、今村先生のブルース、西川先生のエネルギーの噴出。もちろん、これはこの語りの一部を述べているのであり、語りは50分なら50分の講座全体を通して様々な様相で現れるものだ。だから、上記に表したものはその一場面ということも言える。が、兎に角ここだ。

夜は、学生が独自企画をしている間に講師陣で「大人の会」を行う。糸井先生とか平井さんとかもご一緒。そして、その後懇親会で朝の3時過ぎまで延々と教育について話す。さらに、講師の先生と話す。

と、私は非常に良い時間を過ごしたのだが、少し、気になることもあった。
これだけ素晴らしい企画を行っているのだが、学生としての甘えがなかったとは言いきれない。学生でありながらこれだけの企画をしていると言うことは、学生として許されることではなく、社会人として普通のことを求められる。

これについては、帰り際に責任者に話をしたが、彼らもきちんと勉強しなければならないことだろう。折角、良い企画をしているのだから。

10年続けば、日本の教育はここから変わる可能性がある。まるで松下政経塾のように
「君は、ALL関西の何期生?」
ってな感じで。

それを期待している。だから、きちっと総括して次回に引き継いでほしい。

            ◆

二日目。朝ご飯を食べて、阪和高速道路、名神高速道路と乗り継いで自宅に一度戻る。高速道路は、京都の紅葉を見に来た車で京都南は大渋滞、京都東は出口で京都市内方面が渋滞。凄いことになっていた。京都はこの時期車で来ても何の良いことはないのに。

ALL関西教育フェスタ2007は、まだ二日目もあるのだが、もうひとつ参加したい講座があったので失礼して帰った。「とっておきの授業&学級づくりセミナー」http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2007/08/post_f0f3.htmlである。娘に会って抱っこしてから、会場の京都教育大学付属小学校に向かう。

土作先生の授業が終わりかかっているところに到着。相変わらずの土作節。いいなあ。その後、深沢先生の授業を見て、いよいよ野口芳宏先生である。

            ◆

授業開始と同時に、子どもたちの背中がシュッと伸びるのが分かる。(付属小学校の6年生が授業を受けにきていた)そこから濃密な学びの時間が展開されていた。

非常に失礼な言い方になるかもしれないが、古典芸能を見ているかのような格調と奥深さを感じた。多くのことを学ぶ。

いやあ、眠い目をこすって来て良かった。

さらに、授業の振り返り、総括の講演と先生のお話は続く。記録のメモ、思考のメモを取りながら、知的興奮を楽しむ。楽しむなんて書いたら失礼かもしれないが、でもそうだった。

            ◆

その後の懇親会では、野口先生の横に座らせて頂く。そして、日本教育新聞の書評欄に『教師になるということ』が掲載された時に、同じ紙面に野口先生の書評が違う本に書かれていたことを申し上げ、小書を受け取って頂く。先生は、書評を読まれていたそうで嬉しく思う。

その後、野口先生に授業中に出た疑問に答えて頂いたり、先生の今後のお仕事のことを伺ったりしながら濃密な時間を過ごす。

さらに、凄いことに
「池田先生、一緒に仕事をしましょう」
と、あることについて言われてしまった。感激である。

そして、なんと「明日の教室」に来て頂けることに成りました。万歳!!!。

            ◆

終電で帰って来て、娘にこの二日間を報告して、爆睡であった。

変な夢を見た

変な夢を見た。
私の背中を小鳥が飛び跳ねて歩いていくのだ。
トントン。トントン。トントン。トントン。

調度イシビタキのような小鳥が私の背中を飛び跳ねていくのだ。

なんだ?
と思ったところで目が覚めた。

すると、娘が私の背中をトントンと手をばたつかせながら叩いていた。


2007/11/22

比叡山と虹

研究日。家で仕事をしていた。
奥さんが買い物に行くので、お留守番。
そしたら、傘をとりに帰って来た。

(ん? 晴れているのに)

外をよく見ると細かい雨。時雨だ。

「いま、比叡山の方に虹が出ているわよ」

            ◆

虹が大好きな私は、玄関に向かう。
すると、確かに比叡山の方に出ている。

慌ててカメラを持って、我が家の最上階に登る。

            ◆

Hieiniji


5分の間、ただ、息を飲んで見ていた。
時々シャッターを押していた。

(なんだ、この美しさは)

滋賀は時雨の多いところと聞いていたが、ということは虹の名所でもあるのだなあと思った。柿本人麻呂、紀貫之、松尾芭蕉。彼がこの地を好んだのが分かる。

写真は、比叡山、比良山、琵琶湖。そして、虹である。

光の琵琶湖

娘が琵琶湖の畔にやってきてから一ヶ月が経った。
生活が少しずつ安定してきた。

私の実家から新米が送られてきた。近くのスーパーでボッタルガ(唐墨)が半額の1000円で売っていた。奥さんがバーニャカウダーを作ってくれた。歯が治ってきたので美味しく食べることができるようになった。

うれひい。

            ◆

いま、京都市内は紅葉に満ちあふれている。
神社仏閣にある紅葉の名所もさることながら、山々の紅葉が美しい。

美しいと思いながら、一方でこの美しさは何かと思う。
京都は、「テーマパーク京都だ」と言ったのは私の奥さんである。
なるほど、これは名言だと思う。

紅葉の美しさということで、これを自然の美しさと捉えがちであるが違う。これは明らかに人工の美しさなのだ。ただ、この人工が1000年も経ったので自然と思われているだけのことである。

万葉の美しさとは違う、古今集の美しさを求めて作り上げられた美なのである。

            ◆

そして、この美を作り上げたのは、普通の人であろう。時の権力者に命令を受けて山に登り、一本ずつ植えたのだろう。

その積み重ねが今の美しさを作り出してくれているのだろう。このことと同じテーマで、中国の万里の長城のことを歌い上げた、長谷川きよしさんの「城壁」を久しぶりに聞きたくなった。

どっかにテープがあると思うが、捜すのは面倒だ。CDを注文し直そう。インターネットでピョン。便利な時代だ。

            ◆

琵琶湖は冬の空になりつつある。その空から光が差し込み、美しく輝いている。
光の琵琶湖である。

Jpg

2007/11/21

人の皮膚から「万能細胞」

本日、本学は推薦入試の試験日。
試験監督と採点だ。
大学に向かう前に、チェックしていたらとんでもないニュースが。
これが追試されて本当になれば、すごいことだ。
いやあ、すごい。

引用開始 ーーーーーーーーーー


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071121-00000000-kyt-l26

人の皮膚から「万能細胞」 京大グループら作成成功

11月21日9時9分配信 京都新聞

人の体細胞からできたiPS細胞=山中教授提供
 京都大物質−細胞統合システム拠点の山中伸弥教授らの研究グループが、体細胞を遺伝子操作してさまざまな細胞になる能力を持たせた多能性幹細胞「iPS細胞」を、人の細胞で作ることに成功し、米科学誌「セル」電子版で20日発表した。
 患者自身の細胞を用いた脊髄(せきずい)損傷などの細胞移植治療の実現に向け、大きな一歩となる成果。同日、米国の別の研究グループも米科学誌サイエンスでヒトiPS細胞の作成を報告、研究競争のさらなる激化は必至だ。
 山中教授は昨年、世界で初めてマウスでiPS細胞の作成に成功した。今回、マウスで用いたのと同種の4つの遺伝子をヒトの皮膚の繊維芽細胞にウイルスを使って導入したところ、さまざまな細胞に分化可能なES(胚(はい)性幹)細胞と、形態や増殖能、遺伝子発現パターンそれぞれで極めてよく似たヒトiPS細胞の作成に成功した。この細胞を培養すると、神経や筋肉組織などのほか、鼓動する心筋細胞や、腸管様組織になった。
 作成に受精卵を用いるES細胞と比べ、iPS細胞は自分の体細胞から作ることができ、倫理的問題や他人の細胞で起きる拒絶反応も少ないことから、再生医療への応用が期待されている。脊髄損傷や心不全、糖尿病などの治療のほか、病因の解明や新薬開発のための実験用細胞としても期待を集めている。
 山中教授は「今回の報告で、さらに研究のスピードが上がるだろう。ウイルスを使わない作成手法や、ES細胞との比較研究を進め、ES細胞に代わることのできるiPS細胞を作りたい」と話している。

 ■臨床応用へ 安全性が課題
 世界の研究者が先陣を争っていた「ヒトiPS細胞」の作成に、山中教授と米国のグループが成功した。体細胞由来の万能細胞の実現が有望になり、再生医療への応用に向け研究が加速しそうだ。
 ヒトiPS細胞ができたことで、次の目標は、ES細胞との比較や導入遺伝子の検討によりES細胞と同等の能力を実証することと、遺伝子導入に用いるレトロウイルス以外のより安全な作成法の開発になる。ES細胞を神経や心筋などに分化させる研究は成果を積み重ねており、iPS細胞の分化の研究も急速に進みそうだ。ESからiPSへ、研究の重心は確実に動くだろう。
 臨床応用が目標の研究もすでに始まっている。山中教授と慶応大の岡野栄之教授らは、脊髄損傷モデルマウスにiPS細胞を注射すると機能の一部が回復することを確認した。安全性が今後の大きな課題となる。
 日本の幹細胞研究のあり方も問われている。山中教授と同時にサイエンスで発表したのは、世界で初めてヒトES細胞を作ったウィスコンシン大のジェームス・トムソン教授ら。「世界初」を独占させないよう、急きょ発表が前倒しされた。競争の激しさが分かる。
 米国は国や州が幹細胞研究に多額の資金を投入、主要な大学には幹細胞研究センターが設置され、多様な分野の研究者が集まっている。ES細胞よりも制約が少ないため、iPS細胞の研究者はさらに増えるという。
 山中教授も今年七月に米国の大学内に研究室を開設し、日本では認可が難しく実質的に不可能なES細胞との比較研究を進めているが、「個人ではどうにもならない。iPS細胞は日本で生まれたのに、このままでは全部持ち去られてしまう」(山中教授)と危機感を抱く。日本の研究者が切り開いたiPS細胞研究を日本で進められるのか。中核組織や研究事業の立ち上げなど、国の機動的な対応が問われている。

引用終了 ーーーーーーーーーー

私の人生のうちに実用化は間に合うかなあ(^^)。

2007/11/20

【結論】

娘を抱えて、私は考え込んだ。
(目に入れるっていったって、いったいどこをどうやって入れれば良いんだ?)

            ◆

入れやすいのは、指である。これなら入れることは可能である。しかし、これは娘を入れたと言うよりは娘の指を入れたという方が正しく、かわいい子を目の中に入れても痛くないというのとは、かなり違うと思えた。

それなら、足の指から入れるか。足からなら全身を目で受け止めるとういイメージとしても「あり」である。幸いにして娘はまだまだ軽い。十分に持ち上げることが出来る。しかし、持ち上げると乳児特有の原始歩行の名残か、はたまた嬉しいのか足をばたばたさせて、入れることは難しい。

            ◆

そこで、一番入れやすい方法を採ることにした。私は右手でお尻を抱えて左手で首を押さえるようにして娘を抱える。だから、私の目に近いのは、娘の顔、おでこである。そこで娘のおでこに狙いを定めて、私の目に入れてみることにした。

そーっと、そーっと近づける。
娘は嬉しそうに、また何があるのか分からないままきょとんとしている。
一瞬
(ん? これは児童虐待か?)
とも思った。
それは拙い。

そこで「児童虐待の防止等に関する法律」を確認する。

引用開始 ーーーーーーーーーー

(児童虐待の定義)
 第二条
 「この法律において『児童虐待』とは、保護者がその監護する児童に対し、次に掲げる行為をすることをいう。
  一 児童の身体に外傷が生じ、又はおそれのある暴行を加えること。
  ニ 児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること。
  三 児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置その他の
    保護者としての監護を著しく怠ること。

引用終了 ーーーーーーーーーー

「児童の身体に外傷が生じ」とあるが、外傷が生じる可能性はむしろ私の方にあるわけで、大丈夫であろうと判断した。

            ◆

さあ、いよいよである。
娘のおでこを私の目の中に入れる。
そーっと、そーっと。


あれ?
痛くない。

            ◆

痛くないのである。
何回かやってみたが、痛くないのである。
当初の予測では、痛くて痛くて、やはりこの言葉は、間違っているということになるものだった。ところが、痛くない。

うーむ。

娘を良く見た。
分かった。
娘のおでこには、産毛が一定方向に向かって横に生えており、その産毛がクッションとなって目に触れていたのだ。

【結論】
「かわいい子は目に入れても痛くない」は正しい。
そして、この言葉は、私にとっては諺ではなくて、故事成語となったのである。

できないことをする

できないことをする。

これが人生でやること、人類がやることの大きな目標のひとつであると思う。鳥が空を飛ぶのを見て、
(うしゃあ、飛んでやる)
と何人もの挑戦者がチャレンジして、時には命を失ったりしながら、空を飛ぶということを手に入れてきた。

            ◆

若い頃の無鉄砲さというか、好奇心の強さは「今、自分に出来ないことを出来るようにする」ことに力を注いでいたように思う。

ギターのFコードが弾けないのを直し、音痴を直し、ひらがなが上手く書けないのを直し、モトクロスでジャンプが決まらないのを直し、家に帰ったら手を洗ってうがいするのが出来ないのを直しとそんなことの繰り返しであったと思う。

ところが、最近違うなあと思うことがある。

            ◆

「今、自分に出来ないことを出来るようにする」と字面は似ているのだが、「今しか、出来ないことを出来るようにする」である。これをどう思うか。

一見すると逆のことのようにも見える。思いついた当初はそう思っていた。しかし、よく考えるとそれも少し違う。

実は、「今しか、出来ないことを出来るようにする」の延長に「今、自分に出来ないことを出来るようにする」があると思うのだ。

生きると言うことは、過程の連続であって、結果の連続ではないと思うようになったこともあるかな。結果の連続と考えると、今の自分との変化の差を常に意識することになるが、過程の連続と考えると、変化は結果でしかない。そして、過程を重視しなければ変化はない。

その過程も「湯船の法則」のように閾値を念頭に入れたものであるから、安心して「今しか、出来ないことを出来るようにする」ことに集中できる。

            ◆

私の感覚では、これは「コツコツ努力をする」ということとはちょっと違う感じである。これは勉強と学びの違いにも通じる話だろう。これについては、もう少し考えてみよう。

2007/11/18

かわいい子は目の中に入れても

「急がば回れ」という言葉は、諺だと思っていた。しかし、これは故事成語であった。
http://gogen-allguide.com/i/isogabamaware.html

それを知ったのは、去年のことである。いくつになっても新しいことを知るというのは楽しい。それも自分が正しいと思い込んでいた内容が違っていたのに気がつくのも楽しい。

            ◆

娘が生まれたということで、多くの方から言われる。
「池田さん、かわいい子は目の中に入れても痛くないでしょ」
私は、
『いやあ、流石に入れたら痛いでしょう(^^)』
と答えていた。

            ◆

所ジョージさんの名曲「春二番」には、以下の歌詞がある。ぼーっとしていると頭の中に流れてくる曲である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

角の小池さんちにお嫁さんが来て
挨拶回りでうちにもやってきた
「つまらないものですが受け取ってください」
「つまらないものでは受け取れません」
その日小池さんは笑っていたけど、
次の日ゴミ置き場を見て泣いていた
心の片隅に春が来て
ついでに頭の片隅がコブラツイストの弓矢固め
まして春は山に来た野にも来た

引用終了 ーーーーーーーーーー

名曲だ。
で、「つまらないものですが受け取ってください」「つまらないものでは受け取れません」が秀逸なのだが、果たして本当に「かわいい子は目に入れても痛くない」のであろうかという疑問が、この歌とともに浮かんできた。

            ◆

東海林さだおさんの『たこの丸かじり』という珠玉の名エッセイには、「キャットフードを食べる」というものがあった。グルメで名文家の東海林さんの全エネルギーを注いだ文章がある。

東海林さんがどのようにしたのか。もちろん実験したのである。

            ◆

さて、私は文章修行の身である。国語の教師でもある。諺なのか故事成語なのか、試さなければならないと、心の中の何かが叫んだのだ。

(かわいい子は、目に入れても痛くないのだろうか?)

以下、次号に続く。(をを、初めてのパターンだ)

みなさんも、実験をどうぞ。


命の洗濯であった

本日大津市民は、市の文化財の入場料がタダになる日である。
私は、比叡山に登った。

こちらにきて、実はまだ比叡山に行ったことはなかったのだ。情報によると紅葉もいいとのこと。午前中、出掛けてきた。

            ◆

根本中堂は、たぶん二回目だと思う。
一度比叡山に来たことがあるなと思った。
あの坂道を見て思った。

根本中堂は、参拝者の位置よりも読経をあげるお坊さんの位置の方が下にあると言う非常に珍しい配置。この季節は寒いだろうなあ。

文殊菩薩を祀っているところにも出向いて、しっかりとあれこれお願いした。
やっぱ大事だからねえ。

            ◆

紅葉は思ったほどでもなかった。やはり、京都市内の方が見事である。
しかし、この比叡山から見える景色は絶景であった。
琵琶湖と京都市内の両方が見えるのだ。

比叡山ドライブウエイはちょっと値段が張るが、あの見晴らしを思えば許せる。
さすがのCaplioR6の広角でも収まりきれず、動画に収めた。
下にあるのは、琵琶湖の風景である。

「frommthieibiwalake.AVI」をダウンロード

            ◆

命の洗濯であった。

2007/11/17

ときどき届く卒業生からのメール

このところ急にかつての教子からメールがくるようになった。
今朝もメールをチェックしていたら、一本のメールが届いていた。

国立学院の聖蹟桜ヶ丘校で教えていたときの、最後の教え子だ。
ちょっと変わった名前だったし、良く努力を重ねた生徒だったので覚えていた。

しかし、教え子から来るメール来るメール、同じように
「今でもあの時の授業は忘れられません」
とある。

嬉しいと思う反面、今から思えば雑な授業だったのを覚えていられて、赤面でもある。

メールを読むと彼ら彼女等が人生の転機を迎えた時に、ふと私のことを思い出してくれているようである。そして、なにげにネットで私の名前を検索したら、ヒットして、メールをくれたと言うのだ。うれしいことだ。

            ◆

しかし、くれた以上は瞬間的に先生と生徒に戻る私。メールの中に変な言葉遣いがあったら訂正をしている。

嘗て国学院大学にいらっしゃった折口信夫先生は、教え子から届く年賀状に赤を入れて新学期に返却したと言う。学生時代には
(なんて嫌みな奴だ)
と思っていたが、いま自分がその立場に立つと
(なんて丁寧で厳しい先生なんだ)
と思う。

            ◆

そこまで丁寧に、そして厳しく指導できているだろうか。
ときどき届く卒業生からのメールを読みながら、反省する。

ちなみに、今日メールをくれた彼はさすがだった。
何処も直すところはなく、清々しさだけを届けてくれていた。

やはり欧米系は足が長い

浪人時代だと思う。夜の山手線だったか中央線だったか。
私の座った席の隣に若い欧米系の若いお父さんがいた。
なんでお父さんだと分かったかと言えば、太ももの上に乳児を乗せていたからである。

膝をくっつけて二本の太ももで赤ちゃんが寝転がるスペースを作り、そこに仰向けに赤ちゃんを寝かせて、自分は本を読みつつ時々赤ちゃんを見ていた。

(ほー、すげえ。オレも子どもが出来たらこうしよう)

            ◆

で、まずは家の椅子でやってみることにした。
ところが、上手く出来ない。
なんのことはない。膝から下の長さが足りなくて、膝の側が下がってしまい娘が向こう側に落ちてしまいそうになるのである。

ああ、やはり欧米系は足が長いのだ。

            ◆

しかし、あるときには私にもこれができることが分かった。
うれひい。
満足。

娘を太ももの上に起き、その顔を見ながら本を読める日も近い。

第九回 明日の教室のご案内

第九回 明日の教室のご案内

4月から始めた「明日の教室」も第九回、今年最後のご案内となりました。12/15(土)です。

二ヶ月に一回のつもりで始めましたが、いやあ、始めて見ればほぼ毎月でした。毎回エキサイティングな学びを得ることができ、仲間も増え、教育の今と明日についてじっくり語ることが出来る会となりました。参加者のみなさまと講師の先生方の御陰です。ありがとうございます。

さて、その第九回ですが12/15(土)に、特別支援教育について岡山県教育委員会から、青山新吾先生をお招きすることになりました。

青山新吾先生は、長く小学校の現場でご活躍されており、今年度から岡山県教育委員会で指導主事としてご活躍されております。

特別支援教育は、現在の「教育改革」大波の中でじっくり学ぶ必要を感じつつも、なかなか学ぶ機会を得ることが出来ないでいる部分になっている可能性はないでしょうか。

ベテランの先生は、学生時代に理論を学んだことはなく、若い先生たちは教員の仕事を覚えるのに必死でそれどころではないということを私は感じています。今回は青山先生の確かな理論と豊かな実践から特別支援教育の入り口を、きちんと学べればと思います。

多くの参加者をお待ちしております。

なお、今回の懇親会は忘年会も兼ねています(^^)。

            ◆

日時:12月15日(土)  13:30~17:00

会場:京都橘大学児優館 
http://www.tachibana-u.ac.jp/official/information/access.html

講師:青山新吾さん@岡山県教育委員会

内容:特別支援教育 理論と実践の入り口

会費:一般2000円、学生1500円
なお、会の後、蓮行先生を囲んで懇親会を予定しています。自由参加で3000円程度です。

昼食:大学の生協食堂が開いております。安くて美味しい本学の生協の食堂をご利用ください。


申し込みは、こちらから。

            ◆

講師紹介

1989年 大学卒業と同時に小学校教員に。
      ことばと情緒の教室勤務。
1994年 備前市内通級指導教室勤務。
      言語障害、情緒障害、自閉症教育、学校教育相談等を中心に実践。
2002年 岡山市内通級指導教室勤務。
2005年 『自閉症の子どもへのコミュニケーション指導』明治図書出版。
2006年 『特別支援教育を創る 子どもを見つめる確かなまなざしと暮らし支援』明治図書出版
2007年 『特別支援教育 学級担任のための教育技術』学事出版出版。岡山県教育庁指導課特別支援教育室勤務。

申し込みは、こちらから。

お待ちしています。

2007/11/16

おいおい。これって駅の近く

3限の授業を終えて、4限の授業に向かうために研究室に戻る。何気なくニュースを見ていたら、とんでもない事件が目に飛び込んできた。

http://www.asahi.com/national/update/1116/TKY200711160034.htmlより

引用開始 ーーーーーーーーーー

警察官が発砲、包丁で切りつけた男死亡 京都

2007年11月16日12時00分

 16日午前1時すぎ、京都市山科区東野八反畑町のコンビニ店「セブンイレブン京都山科東野店」前の路上で、包丁を持った男が客のタクシー運転手(67)を切りつけ、店内で男性店員(53)にも切りつけて逃走した。店に駆けつけようとした山科署員(44)にも近くの路上でけがを負わせた。約10分後、別の同署員3人が店から約400メートルで男を発見。足に拳銃を1発発砲した。同署は殺人未遂と公務執行妨害の疑いで現行犯逮捕したが、男は病院で約1時間後に死亡した。運転手は背中、店員と警察官は顔などに1〜2週間のけが。

写真:警察官が刺された現場付近を調べる京都府警の捜査員ら=16日午前2時26分、京都市山科区で

 山科署によると、男は同区音羽千本町の無職香山正秀容疑者(42)。男性署員(25)が拳銃を構えて「ナイフを捨てろ。捨てんと撃つぞ」と警告したが、同僚に切りつけてきたため発砲したという。弾は左太ももを貫通し、右太ももに入っていた。香山容疑者は発砲後も包丁で抵抗したため、数人で取り押さえた。福多亘副署長は「現段階で判明している事実によれば、適正な拳銃の使用だと考えている」との談話を出した。

 香山容疑者はコンビニで店員を脅してたばこを奪うなどしており、強盗致傷の容疑でも調べている。

 発砲を目撃した高校生によると、包丁を持って走って逃げる香山容疑者を、複数の警察官が数メートル離れて取り囲んだ。スピーカーで説得したが、「お前ら殺されたいんか」などと叫んでいたという。直後にバーンという発砲音がして、「うぎゃーっ」という叫び声が聞こえたという。

 現場はJR山科駅の南約2キロの住宅地。交通量の多い市道付近にある。

引用終了 ーーーーーーーーーー

おいおい。これって駅の近くじゃないか。
慌ててプリントアウトして、授業に向かう。そうである。このシチュエーションを教材にしようと思ったのだ。

            ◆

犯人はまだ捕まっていないという状況に変えておいて、以下の指示を出した。

『あなたは、担任です。教育委員会から児童・生徒は十分に注意をして集団下校するようにという指示があり、学校独自の集団下校のルールに従って子どもたちは帰ることは理解しています。その下校の前の、最後の1分であなたは、クラスの子どもたちになんて言いますか?』

実際は、集団下校となるかは微妙なところだが、この設定でやらせてみた。5分考えて1分で実際にやるのだ。

全員にやらせたが、一番良かった学生は、不安の子どもたちに
「先生たちが一緒に帰って見守るから大丈夫だよ」
と言えた学生。この学生は
『翌日、犯人が逮捕されたという状況だったら、最初に何を言う?』
という問いに
「みんな、無事で良かったね」
と言うと答えた。
合格である。
子どもたちの不安を取り除こうとし、無事を喜び合える先生であることが、大事だ。説教や教訓は、その後で良い。

            ◆

教師の視点で考えられる学生が出てきたことを、嬉しく思った。

もう少しだけ

明け方、娘が珍しくぐずったのでミルクをあげる。このごろ夜はぐっすりと寝る。多少ぐずっても手を握ってあげれば寝るのだが、昨日は日中随分寝ていたから、その分夜の眠りが浅いのかもしれない。

ミルクを与えてからも、しばらくぐずる。抱っこしてリビングをうろうろする。落ち着いてきたので、膝の上で抱える。背中をとんとんと叩いていたら、少しずつ眠りに落ちていった。

すると、微笑むのである。

            ◆

これは、新生児微笑と言われるものだ。生後数ヶ月の人間赤ちゃんにだけ見られる現象だと思われていたが、最近はチンパンジーの赤ちゃんにも確認された現象である。

眠りに入る際に片笑いをするのである。口元が片方微笑むのである。親はそれを見て
「お、いま、オレを見て笑ったぞ!」
と感動するのである。

            ◆

しかし、残念ながらこの笑いは、何かをおもしろがって笑うのではない。顔の筋肉が緩んで笑っているように見えるだけである。でも、可愛い。「天使が笑わせている」とかいう言い方があるようだが、「げにまっこと」である。

新生児微笑というだけに、生まれて3ヶ月ぐらいの間にこの微笑みは消えて、その後「社会的微笑」へと変わっていく。成長といえばそれまでだが、ちょっと寂しい。

もう少しだけ、その微笑みを見ていたい父さんであった。

2007/11/15

休憩に娘を抱えて散歩

久しぶりに大学に行かないで、家で仕事。
休憩に娘を抱えて散歩。
実は、家からお気に入りのガーデンまで琵琶湖畔を歩いていける道を発見したのだ。

湖畔のきらめきに眩しそうに目を細める娘が可愛い。
風がちょっと強く吹くと、髪の毛が揺れる。
そういうのを見ていると、本当に女の子だなあと思う。

年末に向けて、大学の授業、運営、さらには外での講演や講座が通常より多くなる。息を抜ける時は息を抜いて、やっていこう。

批判的に学ぶための、なぜ?

教えるということ。
実に奥が深いなあと改めて最近考えている。

            ◆

教えると言う行為は、動物だってしている。吾が子に餌の取り方を教えるなんてことはする。その姿に慈しみすら感じることがある。

ものいはぬ四方の獣すらだにも
 あはれなるかなや 親の子を思ふ

鎌倉幕府3代将軍 源実朝 『金塊和歌集』に載っている名歌だ。もちろん動物は本能として教えている。そして、家庭で親は子どもにいろいろなことも教える。それは愛情からであろう。

            ◆

では、諸君が目指す教師・保育士はどうか。何で教えているのか? 何のために教えているのか。私の今の考えは『教師になるということ』(ひまわり社)に書いたので、それを読めば大体分かる。君たちの答えはなんだろうなあ。

考えた? もういい?

では、それを踏まえた上で、今週の研究入門ゼミの外部講師のお話を考えてみよう。

            ◆

素晴らしい講義だったなと思う。教師を目指す大学一年生のためにあの短時間で、初対面の諸君を引きつけ、端的にポイントを説明する。凄い力量だなあと思った。

だが、私はその一方で、
(学生諸君は気がついているかなあ)
と思っていた。そこであのガイダンスの後のゼミで聞いてみた。
『○○先生の講義に、疑問や反論のある人?』
誰一人として手を挙げなかった。

            ◆

私も学生時代に塾の講師をしていた。そこでは、いつも時間を延長して「熱心に」指導していたつもりだった。他の専任やベテランの先生たちは、時間が来るとさっさと終わり、さっさと帰る。そして、「池ちゃん、早く食事に行こうよ」と誘う。
(まったく、「熱心」じゃないなあ)
と私は思っていた。が、これは大間違いだった。

子どもたちは、塾が終わったらその後生活もあり、乗って帰るバスや電車の時間もある。先輩の先生たちは、試験に出るところを子どものレベルに合わせて、今やるべきところを、与えられた時間の中で丁寧に教えていた。

延長して教えていたのは、熱心だからではなくて、私に教える力量が足りなかったからであった。生徒にとって、何処が必要なのかを見抜く準備が足りなかったのである。○○先生の講義は、まさに私の先輩たちの授業のような的確な講義であった。君たちは○○先生が指導してくださった方針で勉強を続ければ、合格の可能性は高くなるだろう。

だが、私が君たちに問いたいのはその先である。

            ◆

出るところを効率的に学習するのは合格のためには必要である。しかし、それだけでは合格は出来ても教師として仕事を続けることは出来ない。君たちが目指すのは、合格でない。合格はあくまでも過程である。

何回も言うが、「膨大な知識・豊かな経験・確かな指導力」。これが教師には必要である。採用試験はその一部を判定するのであり、そしてその採用試験を効率的に通過するための、的確な学習方法を講義して頂いたのである。

大学は学問を身につける場所である。素直に学ぶことは大事。だけど、批判的に考えることも必要。

本当に本当なのか。
根拠は何か。
限界は何か。
例外はないのか。
例外ではないのか。

メモを取りながら、自分の違和感に向き合い、考えながら話を聞くのだ。ここから学問は始めることが出来る。合格の先、教師になる道もここからだ。

後期研究入門ゼミ通信「運筆」NO6

調査なくして発言権なし

いい大学祭だった。
京都橘大学の児童教育学科のスタートとしてちょっと胸を張っていい。

今日のゼミやゼミの感想で、いくつか思いついたこと等を書こう。

            ◆

書き込み回覧作文は、私が開発した。これの開発秘話はまたどこかで話したいと思うが、実際にやってみて良かったでしょ。あれをやるとクラスがなんともしっとりするんだな。ただ、子どもにやる時は、事前に
『この課題の作文は、みんなで読み合います。ですから、読まれても良いことを書いてください』
指示することを忘れないように。でないと、中には「え〜、読まれたくない」とだだをこねる生徒もいます。ま、一度味わうとそれも多くの場合なくなるのですが。

「書くということは、考えるということだ」と話した。教師と言う仕事は本当に書くことが多い仕事だ。文章を書くことが苦痛な人は、早く書くことに慣れること。兎に角、読むと書くをリンクさせて、いろいろと書いてみることだ。

45秒で今回は回覧した。訓練された中学校三年生であれば、1200字の作文を、1分で読んでコメントを書き込める。教師も子どもの作品にさっとコメントできることが大事だ。30人のクラスを担任して、一人一分宿題を見ても、30分かかる。このことを理解すべきである。

また、短い時間で読むとなると、読みやすい文章が好まれることが分かるだろう。手書きだと、これが如実に分かる。文章は、読まれてなんぼです。読まれる文章を書けるように訓練である。

            ◆

「調査なくして発言権なし」の言葉を大事だと理解した諸君が多くいて、心強く思った。指導する前に本当かどうか確認するのです。

実際に見てみる。または、子どもにどうしたの? と聞いてみる。すると意外なことが理由になっていたりすることもある。

できれば、子どもの納得する方法で指導をしたいものだ。(できればというのは、子どもには納得できないけど、大人になれば当たり前ということもあるので、できればだ)

頭ごなしに決めつけられると、反発しかしない。自分が子どもの時には嫌だったのに、大人になって教師になるとその嫌だったことをやろうとしている自分に気がついて愕然とする.ことがある。

子どもからの視点だとどのように見えるのか。これは、勉強する必要がある。

            ◆

家本芳郎先生の本から練習問題を出し、諸君に考えさせることもした。教育の現場では日々、瞬間的な判断が求められる。それを少しシミュレーションさせた。
「私は、すぐに判断することが出来ない」
という感想が多くあったが、んなもの今から出来るわけがない。出来ると思うこと自体が、変である。教育の深さ大きさを舐めてもらっては困る。「膨大な知識」「豊かな経験」「的確な指導力」が揃っての教育である。二十歳前後の君たちにできるわけがない。

だから、しっかり学ぶのだ。家本芳郎先生なら『<教育力>をみがく』(寺子屋新書)から始めるのが良いだろう。

君たちの教育者としての学びは、まだ始まったばかりである。

後期研究入門ゼミ通信「運筆」NO5

2007/11/14

池田修の書いた文章

研究入門ゼミでは、図書館の使い方を学ぶ。本来なら前期に行うことだが、諸般の事情でこの時期になった。はじめに図書館の職員の方に、検索の仕方の基礎を習う。その後、私から課題を提示。

私が出した課題は、2つ。

1)池田修の書いた文章を本学の図書館から捜す。
2)去年の日本の小学校の教員の数を示している本を捜す。

である。

            ◆

1)では、私の書いた本は発見できたが、「文章」が見つけられなかった。雑誌にも結構書いているんだけどね。

面白かったのが、『アラビアンナイト』という本を発見して持ってきた学生。
「先生、アラビア語ができるのですか。すごい」
『ん? まあね。ちょっと趣味でアラビア語を嗜んでいるのだよ。はははは』
なんてことは言わない。この池田修は、同姓同名のアラビア語の専門家である。因に裁判官にも同姓同名はいるし、東京の中学校の国語の先生にもいるはずである。

ま、課題としては「池田修の書いた文章」であるから、オッケーとしたf(^^;。

2)はまた別のスキルが必要なので、これは学習課題とした。

            ◆

OPACやNACSIS-Webcatは、高校までの図書検索では使ったことがない領域だろう。これを使って自分の勉強や研究を進めることが出来るという見通しが立った学生たちは、非常に喜んでいた。

良かった良かった。


2007/11/13

最初の模擬授業

さ、いよいよゴールが見えてきたぞ、歯の治療。
次回でかなり目処が立つぞ。
いやあ、結構時間がかかったが、娘の歯が生えるまえには何とかなりそうである。うれひい。

            ◆

さ、いよいよ模擬授業が始まった。国語科教育法2である。今日の授業は「ちょっと立ち止まって」である。説明文の授業だ。最初の模擬授業にしてはなかなか良かった。こういう授業をしたいというのが、伝わってくる授業であった。

説明文の授業では、説明文を説明してしまうことが多いのだが、今回の模擬授業では、説明とは何だろうか?ということを考えさせる内容になっていた。それに挑戦しようとしていた。

「ちょっと立ち止まって」では「ルビンの壷」が出てくる。これは白地で見るか黒地で見るかで、見えるものがAとBに分かれる。しかし、私も何回か授業でやったが、この教科書が指摘するようにAかBかの二つにならない。必ずその他が出てくる。

そうだとすれば、その他を前提にした授業の作り方の方が良いのではないかと事前にアドヴァイスをしておいた。その他に見えるのであれば、その他に見えた理由を、見えなかった人に「説明」」する授業にした方が、説明文の授業になる。

となると、説明のためのセオリーを考えなければならない。
私は「全体から部分へ」というセオリーを事前指導で教えたりしたのだが、それもまあある程度活用して授業をつくっていた。

            ◆

授業後、検討会の席で授業者は、
「授業をしていて気持ちがよかったです」
と言っていたが、まあ、準備をした分が報われたのだからそのぐらいは言っても良いだろう。

だけど、毎回全部自分で作るとなると大変よ(^^)。
それに、まだまだ課題があるんだからねえ。

来週の諸君もしっかりね。

            ◆

研究室の前の教室では、自主ゼミの学生が模擬授業をしている。私はちょっと外せない会議があって、今日はパス。ちらっと見たら、生徒役の学生が増えてきている。良いことだ。そうして、仲間たちと力を蓄えていくことが大事だ。

先輩が頑張っていれば、後輩にもそれは伝わるはずだ。
たのしみたのしみ。

2007/11/12

のようにも授業は展開できる

ぐっと冷えてきた。
研究室の足許ヒーターを入れ始めた。

            ◆

国語科教育法2の模擬授業に向けて学生たちは準備を進めている。研究室での事前指導の他に、自分たちで集まってアイディアを出して、練って、整理してとしていかないと作れない。

自分がその教材で、子どもたちに何を学ばせたいのかということが明確でないと、授業は作れない。そして、そのためにはどんな教材、指導方法でなければならないのかと考える。

            ◆

今日相談に来たグループは、古典で『枕草子』を扱う。暗記をさせることが指導に入っている。それは良い。だが、「暗記をさせる」だけでは指導とは私は考えない。

「暗記しなさい」「暗記しておきなさい」

は、指導ではなく命令である。

・どのようにしたら、暗記はできるのか。
・暗記にはどのようなやり方があるのか。
・記憶のメカニズムはどのようになっているのか。

こういうことを話して、その上でやりやすい方法を示す。そして、やらせる。これなら指導だと思う。

            ◆

さらに、暗記がゴールになってはいけない。
暗記したものだけが参加できる授業展開を考えるべきである。

たとえば、

『枕草子の第一段には、漢字は同じなのに、読み方が違うものがありました。それは何でしょう?』
『正解は、「音」(おと・ね)です』
『では、なぜ「音」は(おと・ね)と読み分けるのでしょうか。違いは何でしょうか?』

のように授業を展開すれば、暗記がゴールではなく授業を受けるための必要条件になる。そして、

『さあ、みなさん。みなさんもこの枕草子の第一段を使ってクイズを作ってみましょう』

という展開がある。

            ◆

また、

『ここに橋本治さんという人の書いた「桃尻語訳」の『枕草子』があります。今から黒板に一部を書きます。それはみなさんが暗記した部分だとどこになるでしょうか。考えてください』

のようにも授業は展開できる。

            ◆

この授業をする彼女等は三週間後が本番。
ちょっと出足の遅い京都の紅葉も、奇麗に色づく頃であろう。

2007/11/11

そこで抱っこしたまま

昨日「明日の教室」に向かう時、家の周りにやけに警察の姿が多いなあと思っていたのだが、この準備のためであったか。会場近辺の警備であろう。

引用開始 ーーーーーーーーーー

http://www.asahi.com/national/update/1111/TKY200711110049.html
天皇皇后両陛下 海づくり大会式典に出席

2007年11月11日13時49分

 天皇皇后両陛下は11日、大津市で開かれた「全国豊かな海づくり大会琵琶湖大会」の式典に出席した。

 天皇陛下は式典のあいさつで、外来魚などの異常繁殖で琵琶湖の漁獲高が激減していることにふれ、「永(なが)い時を経て琵琶湖に適応して生息している生物は、皆かけがえのない存在です。かつて琵琶湖にいたニッポンバラタナゴが絶滅してしまったようなことが二度と起こらないように、琵琶湖の生物を注意深く見守っていくことが大切と思います」と話した。

引用終了 ーーーーーーーーーー

今日、NHKを見ていたら、この時の様子が放映されていた。我が家の対岸の琵琶湖ホールとその近辺が会場であった。テレビにはしっかりと我が家も映っていた。

そういえば、東京のマンションもテレビに映ったことがあったなあ。多摩川花火大会の大雨の時だったな。これで両方ともテレビに映ったことになる。
ま、大したことではないが。

            ◆

娘を抱えて午後を過ごす。ベッドに置くと泣き出す。そこで抱っこしたままとなる。

秋のスッキリとした空気は、娘を抱っこしているにはちょうど良い気温である。体重も増えたが、娘も私も抱かれることと抱くことに慣れてきて、重心の取り方が上手になった。なもんで、抱っこしていてもお互いに疲れが少ない。

時々目を覚ます娘を見て、笑ってしまった。
目が開くと私の顔を見て、あちらこちらを見回す。
娘の脳みそに私の顔は記憶されているのかどうかは分からないが、不思議そうにあちらこちらを見回す。
(ここはどこ? 私はだれ?)
というようなことを繰り返しているのだ。

(目が覚めるたびにこれだと大変だよなあ)
と思って笑う。そして、
(ま、酔っぱらって寝て、目が覚めたときのオレも、これと同じ状態か)
と思ったらまた笑ってしまった。

            ◆

寝る子は育つ。
抱っこしている娘は、ぐっすりと寝ている。

教育助成金申請書をどう書くか

第8回 明日の教室は、非常に良かった。いつも良いなあと思うが、今回も良かった。わたしの「たほいや」も良いとは思うが、なんと言っても糸井先生の講座が良い。

「教育助成金申請書をどう書くか」

なんて講座は、糸井先生にしか出来ない。そして、なるほどの連続。ワークショップまであった。具体的な内容は、糸井先生の企業秘密だからここには書かない。参加された方、お得でしたねえ。

私も、いくつもの今後の授業や研究に関するアイディアを頂きました。ありがたいことです。

その後の懇親会も、いつも通りに盛会。楽しい時間はあっという間に過ぎ、タクシーで帰宅。大学と家が近くて良かったf(^^;。

来月は、12/15です。特別支援教育に関して青山新吾先生をお招きいたします。乞うご期待。

2007/11/10

2001年度決勝

模擬授業の事前指導。学生たちは、やっと授業をつくると言うことの緒に就いた感じだ。出来合いの授業を持ってきて、それをやってみるのではなく、自分の頭で考えて自分たちで検討して作り上げていくのである。

さあ、あとは時間との勝負だね。

            ◆

日本語コミュニケーション技術1では、ディベート甲子園の決勝ビデオを見た。いくつかのビデオの中から学生のリクエストで、私が指導した子どもたちが出演した2001年度決勝のものを見せた。

学生たちの感想である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

中学生のディベートに圧倒された。まず、話すスピードの速さに驚いた。速くしかもしっかりと聞き取りやすく読んでいることがすごいと思った。時間ぴったりにあれだけ読めるようになるには、相当トレーニングを積む必要があると思った。質疑も端的に聞き出したいことをついていた。相手に時間を取られないように、短く切ったりしていた。反駁は、反駁の四拍子をきっちりとやっていた。あのスピードで、相手の主張を聞き取ってターンアラウンドをしていた。聞いて理解する力もすごいと思った。論題の争点を試合中に捉えて、まとめていた。その中で自分達の主張の方が上回っているとジャッジに伝えていた。情報収集・分析・伝達能力などあれだけの試合でも課題があるのだと分かった。試合にあたって、色々な角度からの情報を集めたり、勉強する必要があると感じた。
本格的なディベートを見て、自分がしているのは基礎の基礎ということを改めて感じた。基礎ができるように頑張りたいと思う。

引用終了 ーーーーーーーーーー
引用開始 ーーーーーーーーーー


今日は実際行われたディベート甲子園のビデオを見ました。正直すごい驚きました。始め流された一瞬の映像で私たちのやっているディベートとは違うと感じさせられました。読むスピードがとにかく早かったです。ジャッジに真剣になり、相手の表情や表現を全く見ることが出来ませんでした。メモを取ってる間にも話はどんどん進んで行き、混乱状態でした。発生過程,深刻性といったポイントもしっかりメモ出来なく質疑や反駁の時、どこの場所を言っているか分からなく、線で結ぶことが出来ませんでした。最も印象的だったのが否定側立論です。始めはゆっくり読み、だんだん早くしていくという読み方。大事な所は2回繰り返して読む方法。ジャッジからしたらすごい聞きとりやすかったです。ディベーターはジャッジに分かりやすく伝えなきゃいけないので、来週試合をする時は否定側立論の喋り方を参考に喋っていきたいなあと思います。これから試合するにあたってすごい勉強になりました。

引用終了 ーーーーーーーーーー
引用開始 ーーーーーーーーーー

今日はディベート甲子園(中学生の部)の決勝のビデオを見た。
感じたことが2つある。
1つ目は、スピーチがあまりにも速かったということだ。
そもそも今日は、そのビデオを見ながらジャッジをするというものだったのだが、あまりの早さに驚いた。
今までの僕達のディベートとは、比べ物にならないぐらいのスピードでスピーチしていた。
あんなのどうやってメモをとれって言うんだよ、と思った。
しかし、いずれはあのようなスピードのスピーチでも、メモ出来る様になりたいと思った。
2つ目は、ジャッジ(瀬能さん)の判定がとてもうまかったということだ。
ビデオの中でのジャッジ(瀬能さん)は、肯定側と否定側の両方をまんべんなく良い面や悪い面で指摘していた。
正直、僕は最後の判定までどちらが勝つか分からなかった。
こういうのがジャッジなんだなぁと改めて思った。
僕も少しずつでも瀬能さんに近付けていけたらいいなと思った。
最後に、来週の団体戦は頑張りたいです。

引用終了 ーーーーーーーーーー
引用開始 ーーーーーーーーーー

今日の授業はただただ笑うしかなかった。
まさか、中学生のディベートの全国レベルがあれほどのものとは思ってもみなかった。
今回のビデオを見ると予告された時は「オーッ!!」と大きなリアクションで驚くだろうなとは思っていたが、ここまで驚き、言葉を失い、苦笑するといったことになるとは全く考えていなかった。
あれほどのスピードであの長い立論の文章を読み上げ、質疑の時もズバズバと相手の意見の様々な部分を突いて、反駁の場面でも自分たちのようにあたふたしながら意見を探して発言するのではなく、きちんと発言することを決め、なおかつ発言の重要な部分に強弱をつけたり、ジェスチャーもつけれている姿を見て、ジャッジに言い聞かせるというのはこういうことなのだなと思った。
特に肯定側の第二反駁を行なったディベーターの姿が印象に残った。
今回のビデオは終始驚かされてばかりだった。

引用終了 ーーーーーーーーーー

他にもあるが、すべて「衝撃」を受けていたと言うことが分かる感想文であった。
訓練を重ねた中学生を舐めてはいけない。

私は、試合もそうだが瀬能さんのジャッジを聞かせたかったと言うのもある。(いやあ、瀬能さん若い(^^))。ジャッジというのは何をするのかを見せたかったんですね。

かなりインパクトがあったようだが、良いインパクトになったようだ。来週の試合が楽しみである。

            ◆

上記の試合に至るまで、そしてその後の記録は、
http://homepage.mac.com/ikedaosamu/debate/01kiroku.html
にあります。

長いんでプリントアウトせずに読まれることをお勧めします。
教育は文脈で語るってことを学生たちに話していますが、こういう記録を通してそれを感じさせたいなあと思っています。

2007/11/08

明日の授業は大丈夫です

ご心配をかけました。
なんとか復活しています。
今日一日体を休めていました。
明日の授業は大丈夫です。

2007/11/07

昨日は一日に四つの授業

昨日は一日に四つの授業があった。久しぶりに中学校のような時間割であった。
その内二つは、一種のサービスである。

            ◆

一時間目。模擬授業事前指導。国語科教育法2で模擬授業をさせるが、その事前指導である。学生たちの書いてきた学習指導案の一部を元にあれこれ。熱心さが本番に出ると良いなあ。このグループは『父の詫び状』をやる。その中の「字のないはがき」だ。向田邦子さんの他の本『眠る盃』『夜中の薔薇』なども読んだ方が良い。さらに、彼女の趣味の料理の本等もあることを話す。膨大な知識が必要である。

四時間目。国語科教育法2。課題にしてあった共通の授業の学習指導案を元に、小グループに分けてディスカッション。同じ教材でありながら、異なった指導案になる。さらに、「しっかり」などの副詞で説明している部分が多く、具体的な指導になっていないことに気がついてた。「生徒の予想される反応」の予測がまだ弱い。

五時間目。自主ゼミ。去年国語科教育法を受講した学生が行っている自主ゼミである。二週間に一度模擬授業を作ってくる。それを自主ゼミのメンバーでもみ、私も指導する。昨日は「走れメロス」であった。あまり問題にされることのない箇所を取り上げて、面白い読解の授業を作っていた。四月から教壇に立つ彼女であるが、ここにきて授業らしくなってきたのは心強い。

六時間目。教育実習2。教育実習に行く学生たちに事前の指導を行う。学校教育現場で起こるさまざまな事件について、教師はその場で適切な判断をしなければならない。「とっさの判断」である。もちろん、学生は学生として実習校に生き先生として仕事をするのだから、最終判断はできない。というか、してはいけない。だが、教師が何をしているのかは知っておいて良い。学生が行う判断と教師が行う判断の違いはどこにあるのかを、事例を元に考察した。「朝の連絡事項で一番伝えなければならないもの」「先生が破っていい約束は何?」などをする。本当は5つ事例を用意してきたが、学生の白熱した議論が続き2つしか出来なかった。それはそれで良い。

            ◆

研究室に戻ったのが8:00。
娘をお風呂に入れるために、急いで家に帰る。

娘を風呂に入れながら、
(いやあ、やっぱり授業は良いなあ)
と思う。

10:00にはリビングで寝ていた私であった。

2007/11/06

で、悩んだ

参考にするということは、どういうことなのか。

宇佐美寛先生は、「参考にします」という言い方を相手がした場合は、怒ったと言う。参考にすると言うのは、(お前の意見は、まあ、聞いておいてやるよ)という意味になると言うのだ。年下の者が年上の意見について「参考にします」というのは、確かにそういう意味になることが多いだろう。

だが、学生が先行実践やネット上に公開されている指導案を参考にする場合はどうであろうか。参考にすると言いながら、実際は丸写しのことがある。つまり、参考は丸写しの意味になっているのだ。

この丸写しをした指導案で授業をしたところで、その指導案のような授業ができるわけがない。なぜならば、その指導案を作った先生の実力と、学生の実力が違いすぎるからである。

指導案に使われている用語、考え方、展開のダイナミズムなどはその実力に達していないと理解できないはずである。そして面倒くさいのは、理解できたものは学ぶ必要がないということなのだ。だから、本来の意味での「参考」ってのは、考える主体を刺激するという営みなのかもしれない。

自分の知識、経験、指導力に応じた指導案。んーんん、応じたと言うとそこまでだな、「少し背伸びをした指導案」で、授業をしないと授業は上手く行かない。

でも、出来るのかなあ。

            ◆

ところが、その一方で「追試」という考えがある。これは真似をすることで、自分に足りない指導の力を身につけるトレーニングだと私は考えている。

これは、うちの大学の書道コースの学生には非常に分かりやすい学習方法である。書道には「摸書」というものがある。書道の摸書は、お手本の上に半紙を敷いて写し書きをするのだ。絵画にも「模写」がある。絵画の模写は、それを見ながら描き移す。これは書道では臨書という。そのぐらい書道の摸書は徹底してやるのだ。

だから、筆の毛先一本の違いや、手首の微妙な動かし方の違いまでも体得することになる。なんとなれば、全く同じように書くにはそのお手本の作者が動かした毛先、手首の動きまでもが同じでないと同じ時にならないからだ。それは書き写しだからこそ言える。

この摸書と同じ系列にあるのが、追試だと思っている。同じ授業にならないのを生徒のせいにするのではなく、自分の力量のせいにしながら、その差を型に従って埋めるようにするのが、このトレーニングである。

            ◆

で、悩んだ。学生にはどちらをやらせるべきなのだろうかと。

そして、考えて一日経って答えが出た。
「学生にはどちらをやらせるべきなのだろうか」という問いが悪かったのだ。

そんな問いを立てるのではなく、
「二つの方法がある。諸君はどちらもやれ」
である。

あまりにも単純な答えに、自分で笑ってしまった。
学生諸君、頑張れ。

今週末、第八回明日の教室です

今週末、第八回明日の教室です。

今日までに参加のメールを頂いた方の特徴は、いつもにと比べると社会人の方が多い、つまり現場で先生をされている方が多いということです。「教育助成金申請書の書き方」となると、学生の皆さんはじゃあいいやということになるのかな?

私はいつも思うのですが、これは逆です。

ダイヤモンドやプラチナに価値があるのは、数が少ないからです。みんながやることをやったって面白くないし、評価の基準は高くなると言うことがどうも理解されませんねえ。

オリンピックだって競技人口の多い種目より、少ない種目の方が出場の可能性が増えますし、メダルの可能性も高まります。

学生だと誰もやっていないことを学ぶことに価値はあるのです。それから、今一回学んでおくと、実際に書く段階になった時ゼロから始めなくて済むので、非常に楽なのです。一度体験しておくと言うのは、非常に意味のあることです。

明日の教室代表の糸井先生は、「教育助成金申請書の書き方」に関して日本の先生で5本指に入ると私は思っています。か苦だけでなく、採択率ももの凄く高いわけです。その糸井先生から直接教わることが出来るなんて、凄いなあと思うわけです。

どうぞ、ご参加ください。

ちなみに、私が行う「たほいや」は、私が中学校の教師をしていたときに行った授業の中で、子どもたちが好きな授業のベスト5に入っているものです。一度やり方を覚えれば小学生でも充分楽しめますが、ルールがちょっとややこしい。文章を読むだけでは理解しにくい面があります。そこで、実際にやってみます。私の予測では、あまりに面白くて懇親会でもやりだすメンバーがいるのではないかと思っております(^^)。

お待ちしております。

写真は琵琶湖と逢坂の関のある山です。

Afusaka

2007/11/05

おやすみなさい

土日に大学に行かなかったのは、何日ぶりぐらいだろうか。
いつもなら土日のどちらかは大学に行って授業の準備や片付けをしている。
うーん、研究室が紙だらけになってきたぞ。
片づけなければ。

            ◆

国語科教育法2では、いよいよ模擬授業に入る。指導案を作り実際に行うわけだが、その前に指導案の指導を行う。最低一回は模擬授業の三日前に私のところで指導を受けることにしてある。

だが、学生たちは二回ぐらいやってくる。そして、自分たちでリハーサルを数回行い当日を迎えることになる。

教育実習前に指導案が書けるようになっており、模擬授業が終わっているようにはしておいてあげたい。もちろん、大学生相手の模擬授業である。授業を受ける側は気を遣ってそれなりに答えるし、そもそも騒がないし教室にいる。そんなんで意味があるのかと言うことも言えるが、やるとやらないでは全然違うだろう。

自分の思い、考えが体の動きや言葉と出てくる瞬間を実際に体験しておくと言うことは大事だ。そんなの毎日の会話でやっているじゃないかというかもしれないが、授業と言う公共の空間で行うのと一緒に考えてはダメである。

今読み始めている『大学出は学べない教師学 現役教師が活用する仕事術』(小林正幸 大熊雅士 ぎょうせい)には、あるスーパー教師は9種類の笑顔を使い分けると書いてある。自分の笑顔をコントロールできる学生がどのぐらいいるだろうか。ま、学生のうちから出来ても気持ち悪いが、授業場面で「微笑み」と「大笑い」ぐらいの使い分けが出来るようにはなって実習に行かせたいものだ。

            ◆

うーん、ここにきて大学の仕事が溜まってきたな。
が、ちょっと熱っぽい。
いかん。
今日は一人娘から離れて、寝よう。
お酒も飲まないで寝よう。
おやすみなさい。

相談会の紹介

古くからの仲間で、いまは大阪府の教育委員会に勤めている岡本先生から、ご案内を頂きました。魅力的な講座ばかりです。


http://www.osaka-c.ed.jp/karinavi/teacher/soudan_shien.html

大阪の先生になろうとしている諸君も、そうでない諸君も、機会を見つけて自分に必要な講義に出てみましょう。

秋の終わりに桜

昨日書き上げた原稿、それからインタビューを受けて記事になった原稿の校正をして一日を過ごす。

          ◆

教師になって赴任した最初の学校で担任していた生徒からメールが入る。ミクシーで発見したとのこと。本名でないのに良く見つけるものだ。つい最近もあった。もう30歳か。私が君たちを担任していた年よりも年上だぞ。

彼女の参加しているコミュニティをふと見たら、教師になって赴任した最初の学校のコミュニティがある。なんか凄いなあ。

みんな元気か。

          ◆

昼過ぎ、再び昨日と同じガーデンに娘を抱えて散歩にでかける。4キロを抱えて歩くのもなかなかの運動量である。

昨日も確認したのだが、やはり咲いている。
桜だ。
この季節に桜と言うのは変だが、「ジュウガツザクラ」という種類の桜が咲いている。
満開に向かっているようである。
秋の終わりに桜と言うのも、妙だが、それはそれで面白い。

10sakura


          ◆

家に戻ると、やはり娘はすぐに目を覚ました。
そして、抱っこをもとめてぐずる。
はいはい。
抱っこを求めるようになれましたか。

今日は何時間娘を抱いていたんだろうなあ。

2007/11/04

明日も晴れそうだ

午前中は原稿を書いていた。『こんな時どう言い返す』(学事出版)に関連した原稿だ。

この本はひょんなことからできた。今から5年も前になるだろうか。「授業作りネットワーク」の会員版に1pのスペースが出来たから、何か書いてくれないかという依頼があった。何か生徒指導系のものが良いという話だった。なんとなく奥さんに話したところ、あれが良いと言われた。

「あなたは、生徒の屁理屈にもすぐにその場で言い返せるけど、それができなくて困っている先生多いと思うわ」
『そうか。できるだろ』
「できないの。それを書いてみたら?」

と言われて、半年間の約束で書き始めたのであった。ところが、好評で4年半も続いたのだ。
会員版なので、原稿料はない。ではあったが、この原稿を書けたことは私にとって大きな意味があった。

それは自分の生活指導を見直すきっかけになったことである。全生研のサークルで学んだり、現場で鍛えられたりしながら生活指導は身につけていったが、それを自分の言葉で書きながらまとめるという作業を通して、言語化することで自分の指導のスタイルを確認することが出来たということである。

「書くは、考えること」

まさにその通りである。大学の授業でも、教師を目指す彼らには機会があることに書かせている。毎週の授業の感想やいくつかの課題。国語科教育法2では教科通信も書かせている。10年後ぐらいにその意味が分かると良いなあと思う。

            ◆

午後からは、奥さんと娘と三人で近くの公園に出掛ける。
うちの娘は、外に連れて行くと良く寝る。
スリングの中に入れてよいしょと抱え、3分も歩けば寝ている。

うーん、せっかく奇麗な花を見せようと思ったのだが、おねんねしているのを起こすわけにもいかない。奥さんと二人で久しぶりのガーデンの花を愛でる。

Photo


琵琶湖を吹き抜ける風も心地よい。
今日は、全日本学生ヨット選手権が行われているようで、多くのヨットが湖面にいる。
うちの大学にもヨット部があれば良いのになあと思う。

家の玄関を開けたら、娘はぱっちりとその大きな目を開けた。
確かに授乳の時間でもありますがねえ。
そのタイミングの凄さに思わず笑ってしまった。

明日も晴れそうだ。


2007/11/03

テキストの中に求めていく

このところの授業で拘っているのが、文脈である。

教育は瞬間で行うものではなく、文脈の中に浮かび上がってくる事実に対して行うものだという考え方を持っているからである。

            ◆

キャリア開発演習2では、この文脈を読み取るということを一つのテーマにしている。子どもの生活、その上に立った言動、そしてそこにある心の動き。これをテキストの中に求めていく。

だが、これはなかなか出来ない。テキストに引っかからないのだ。ちなみに使っているテキストは、『大人と子どもが出会うとき 子どもが世界を立ち上げるとき』(竹内常一 桜井書店)である。

授業では、障害を持つ子どもが、ひまわり級に通いつつ普通級との交流をする場面を読んでいた。そこには、普通級の授業の「国語と給食」には参加したとの記述があった。

ここに学生は引っかからない。なんで、多くの教科がある中で「国語と給食」を交流するために選んだのかと言う発想がない。

私は引っかかることを求めた上で、その引っかかりに隠れている意味、種明かしをした。

            ◆

一度家に帰って、all関西教育フェスタ2007の打ち合わせに向かう。

この企画は凄いと思う。関東にはない。というか、日本に他にはないだろう。大学の授業では学び足りない学生が、自分たちでこの先生に学びたいと言う先生を直接口説き、来てもらって、全国から150人の大学生を集めて学び合うという企画である。

私は去年呼ばれて今年も参加。
しかし、私は別にしても凄い先生を呼んでいる。

http://blog.canpan.info/festa2007/

ですからね。
私自身が講座に参加したい先生方ばかりだ。

ここでも文脈について考えるきっかけを得るだろう。楽しみだ。

2007/11/02

成人年齢引き下げ

成人年齢引き下げ、民法改正案など09年秋にも提案へ

11月1日21時7分配信 読売新聞

 政府は1日、「年齢条項の見直しに関する検討委員会」(委員長・二橋正弘官房副長官)の第2回会合を首相官邸で開き、成人年齢を引き下げる民法改正案など関連法案を、2009年秋の臨時国会か、10年の通常国会に提出する方針を決めた。

 憲法改正手続きを定めた国民投票法で投票権者が18歳以上とされたことに伴い、同検討委員会は、成人年齢引き下げに向けた法令改正を検討している。

 会合では、関連法令として、法律191件、政令40件、省令77件の計308件で見直しが必要であることが報告された。今後は各省庁ごとに、有識者を交えた審議会や研究会などの検討態勢を整備する。

 国民投票法は今年5月に成立し、10年に施行される。

最終更新:11月1日21時7分
読売新聞

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071101-00000415-yom-pol

            ◆

ありゃ、いきなりこれですか。
この夏のディベート甲子園の論題は、

高校: 「日本は18歳以上の国民に選挙権・被選挙権を認めるべきである。是か非か」
* 公職選挙法で定めるすべての選挙を対象とする。

だったが。ディベートの論題になると取り上げられるぞという噂が流れるが、実は逆でなりそうなものを取り上げていると言うのが事実だろう。それぐらいタイムリーな話題を論題にしているわけだ。

しかし、国民投票法がらみで改正かあ。

琵琶湖の上で踊る

諸般の事情で11/1は記念日となる。娘と二人きりで日中を過ごす初めての日となった。少しぐずってはすぐに抱っこしていた。抱っこぐせがついたなあ。

            ◆

ipodからずっと音楽を流していた。

Glenn MillerのMoonlight Serenadeが流れている時に娘を抱えてあやしていると、なんか一緒にチークダンスを踊っているようであった。

ところが、Herb AlpertのMore and More Amor Tequilaがかかると、知り合いに頂いた赤いtongaにくるまっている娘は、まるでアルトサックスのようであった。

私もついノリノリであやしてしまう。すると、娘は娘でウーとかアーとか喜ぶ。もちろん、揺さぶられっこ症候群にならないように私だけノリノリで、娘には軽い振動だけが伝わるようにしていたのだが、それでも喜んでいた。

            ◆

リビングのガラスに映る娘と二人の姿を見て、琵琶湖の上で踊るってのはすげーなーと思うのであった。

2007/11/01

小さな勇気

諸君には、学ぶと言うことにもっと貪欲になってほしい。君たちが身につけなければならないことは、もの凄くある。本当に、もの凄くある。大学の四年間で間に合うのかと、思うほどある。

生きていく上で考えておくことはいくつかあると思うが、私はまずは次のことを考えると良いのではないかと思っている。

1)やりたいこと
2)やったほうがいいこと
3)やらねばならないこと
4)やってはいけないこと

嘗て中学生ぐらいの私は、「やりたいことだけをやるのが人生だ」と思っていた。しかし、それは違うということが分かった。人間は学ぶことで成長する者である。他の観点も理解したのだ。

さらに、上記の4つは、主語が「私」である。しかし、これは「私達」と考えることもできる。また、上記の4つではない観点もある。ではあるが、私が言うのではなく、自分で考え見るのも大事だ。考えてみるが宜しい。

ちょこっと努力すれば出来ることをやらないでいる諸君に、私は厳しく注意をした。諸君は指導をする者、守る者として子どもたちの前に立つ。

子どもたちは、大人のずるはさっと見抜く。そして、そんな人の注意や意見など聞かないものだ。諸君が嘗てそうであっただろう。

悪い癖はすぐに身に付くが、良い癖はすぐには身に付かない。悪い癖のまま子どもたちの前に立つことは、諸君にとっても子どもたちにとっても何も良いことはない。時間をかけて治すべきである。

治すためには、小さな勇気を持つことだ。

引用開始 ーーーーーーーーーー

小さな勇気をこそ  東井義雄

人生の大嵐がやってきたとき
それがへっちゃらで乗りこえられるような
大きい勇気もほしいにはほしいが、
わたしは
小さい勇気こそほしい。

わたしの大切な仕事をあとまわしにさせ、
忘れさせようとする小さい悪魔が
テレビのドラマやマンガに化けて
わたしを誘惑するとき、
すぐそれをやっつけられるくらいの
小さな勇気でいいから
わたしはそれがほしい。

もう五分くらい寝ていたっていいじゃないか、
今朝は寒いんだよと、
あたたかい寝床の中にひそみこんで
わたしにささやきかける小さい悪魔を
すぐやっつけてしまえるくらいの
小さい勇気こそほしい。

明日があるじゃないか、
明日やればいいではないか、
今夜は もう寝ろよと、
机の下からささやきかける小さい悪魔を
すぐやっつけてしまえるくらいの
小さい勇気こそほしい。

紙くずが落ちているのを見つけたときには、
気がつかなかったというふりをして、
さっさといっちまえよ。
かぜひきの鼻紙かもしれないよ。
不潔じゃないかと呼びかける 小さい悪魔を
すぐやっつけてしまえるくらいの
小さい勇気こそ わたしはほしい。

どんな苦難も乗りきれる
大きい勇気もほしいにはほしいが、
毎日 小出しにして使える
小さい勇気でいいから
それが わたしは たくさんほしい。
それに そういう小さい勇気を軽蔑していては
いざというときの大きい勇気も
つかめないのではないだろうか。

引用終了 ーーーーーーーーーー

諸君の大先輩の東井先生の言葉だ。

後期研究入門ゼミ通信「運筆」NO4

悩むと考える

大学祭が近づいてきた。実行委員、各係の担当者を中心にして、準備が少しずつ本格的になってきた。全体の進行スケジュール、各担当のスケジュール、打ち合わせのための時間確認、MLの設置等がどんどんされていく。いいことだ。君たちがどんなものを作り上げていくのかを楽しみにしている。

Fクラスは、焼き鳥とストラックアウトを行うことになっている。限られた予算とマンパワーでクオリティの高いものを行うには、十分な準備が必要である。

本日の研究入門ゼミでは、その準備のための打ち合わせが行われた。私はそれを見ながら、ちょっとアドヴァイスをしたが、実はさらに気になっていることがあった。口を出していいものかどうか考えていたのだが、私はここで言うのは止めて、通信で書こうと思った。ので、書く。

君等を見ていると、
(を〜、悩んでいるなあ)
という思いがする。代表者が原案を出し、仲間に説明をして意見を貰い、それを元にさらに悩んでいるように見える。

実際のところ、良い意見がたくさんでてきてどうしたらいいのかと思うのであろう。しかし、私はそれを見ながら二つのことを考えていた。

その1 目的は何か

教育活動には、すべて目指す目的がある。ある目的を達成するために、いろいろな方法が存在する。今回の文化祭では、焼き鳥とストラックアウトという方法が先に示されているように感じる。

では、これらはどんな目的のために行われるのであろうか。ここの議論が少し弱いのではないかと思いながら見ていた。

ゼミの後、何人かの委員さんと話したのだが、ストラックアウトでは「子どもたちを楽しませる」ということが目的であるということであった。そうであれば、どうすれば楽しませることができるのか、と考えていくことが重要になる。

もちろん、安全性が土台にある。その土台の上に、子どもたちが楽しむと言うことはどういうことなのかと、考える必要がある。
君たちは、今まで「楽しませてもらう → 楽しむ」という過程を経てきたはずだ。そして、これからは「楽しむ→ 楽しませる」というところに移行する。

相手のことを考えなければならない。考えても分からない場合は、どうする。それが二つ目の問題である。

その2 考えても分からなければ

これにも二つの道がある。一つは、調べるであり、もう一つは実際にやってみるである。考えると言うのは、この二つを含んでいる概念だと私は理解しているが、君たちを見ているとここが弱い。

子どもがどのぐらいの重さのボールを投げられるのか。どのぐらいの距離を投げられるのか。専門家に聞いてみれば良い。

焼き鳥にどんなものをトッピングしたら美味しいのか、売れやすくなるのか。考えても分からなければ、やってみれば良い。

悩むと言うのは、その場で自分の影を追いかけてぐるぐると回っているようなもの。考えるとは、仮説を立ててその仮説が正しいかどうかを証明することである。やってみて、上手く行けば良し。ダメならばもう一度やる。これを日本語では、試行錯誤というのである。英語ではトライ&エラーである。

多くの知識を持ち、理論を理解し、さらに試行錯誤の習慣をきちんと身につけることは、子どもを相手にして具体的に仕事をする教師、保育士という職業には大事な資質であると私は考えている。

教育にはただ一つの正解はない。ただ、より良いものを求めるだけである。だから、試行錯誤が大事なのである。

後期研究入門ゼミ通信「運筆」NO3

メモ.読書.子ども文化

後期の授業の最初に、授業の受け方を確認した。改めて言うまでもないことだが、メモをきちんととるようにと言う話をした。

君たちには、「記録、思考、まとめ」の三つのメモを教えた。授業では、「記録 → 思考 → まとめ」と段階を追ってメモを取るようなイメージを持ったかもしれないが、実際はこの三つが渾然一体化して進む場合もある。

しかし、君たちにはこの三つを分けて説明した。というのは、メモという作業の中にはいくつもの要素が入っていると言うことを理解させたいがためである。

子どもに何かを指示するとき、教えるとき。大人である私達はいとも簡単に教える内容をやってしまえることがある。しかし、子どもの側から見ると
(そんなたくさんを、同時になんてできない)
ということがある。だから、指導者は指導している内容に何が含まれているのかを分析し、それを小さな段階にして、順番に指導できるようになっていることが望まれる。これをスモールステップの指導と言う。

今日のメモであっても、ひょっとしたら思考を重視して、大事なところだけ書き写すことが出来るようになっている諸君もいるかもしれない。しかし、私はまずは「記憶ではなく、記録」の段階を全員に経験させる必要があると思い指導した。君たちが指導者になるときに、子どもたちに指導する内容を経験しておくことはとても大事だと考えているからである。

しっかりと、メモをするように。

「本を読め」というのも何回も言うが、今日の授業、そして感想を読む限りでは、諸君は誤解しているようである。「本は、難しくて分厚い本を読まなければならない」と。

そんな指示は一つもしていない。「薄くて簡単で、読みやすい本」を読めば良い。君たちはまだ大学一年生である。もちろん、今から専門的な本を読むことも止めはしない。しかし、今までさほど読むと言う経験をしていない諸君には、無理だ。

何のトレーニングもしていない人が、いきなり冬の富士山に登れるはずがない。本だって同じである。専門的な本を二回生以降は読むことになる。そのためには、本が諸君の身近な存在になっていなければならない。

・自分の好きなジャンルの本を読もう
・文字の大きい本を読もう
・薄い本を読もう

良いじゃないか、これから始めれば。あっという間に100冊読んでしまいなさい。そうすると、おそらく本屋に行った時に、授業中に話したような現象を体験するであろう。すなわち、本が本棚で「読んで、読んで」と言いはじめるはずだ。

ちなみに、私は文学部の先生であるが、学生時代に小説はほとんど読んでいない。読んでいたのは、ドキュメンタリーとエッセイばかりである。それで良いのである。

『ムシキングのルールを説明できる人?』
と確認したら、誰もいなかった。諸君は、残念ながら、子どもたちから見ればもう、すっかりと、しっかりと、オジさんとオバさんである。

諸君は子どもの時代にポケモンやセーラームーンで遊んでいたろう。中高では「スラムダンク」や「ドラゴンボール」「NANA」で興奮していたろう。それは諸君の少年時代、青年時代のリアルタイムであるから入ってきている情報である。

しかし、これから諸君は、子ども文化としてそれらを勉強していくことになる。子ども文化を理解した上で、学校文化、地域の文化、大人の文化、日本の文化などを学習させていくことになるのだ。

信じられないかもしれないが、諸君がコンピュータゲームをやることは、これからは単なる遊びではなく、子どもを理解するための「教師としての勉強」にもなるのだよ。

誰か、「甲虫王者ムシキング」のルールと、なぜ子どもが熱中するのか分析してみないか。面白いと思うよ。

後期研究入門ゼミ通信「運筆」NO2

5時間近く会議

研究入門ゼミでは、大学祭の総括を行った。私のクラスでは、各自がA4一枚に文章をまとめ、それを書き込み回覧作文をして、行った。

引用開始 ーーーーーーーーーー

各自、学べたことをこのように総括し、配布することによってそれをみんなで情報交換しあう。このようなことは初めてしたのですが、とてもいいもので何で今までなかったのだろうと不思議に思ったくらいでした。

引用終了 ーーーーーーーーーー

大学生にも好評である。書き込み回覧作文はやり方が簡単なので、学校教育現場でもすぐに取り入れることが出来ると思う。これをやると、クラスがしっとりするんだよなあ。

            ◆

授業後、午後からは会議を二つ。
研究入門ゼミの今後の指導内容について、担当の先生たちと意見交換。教材研究と指導方法、今後の展開についてあれこれと話し合う。これが面白い。小さな研究会のようになる。

児童教育学科後期の、研究入門ゼミの方向性が決まった。

その後は学科の会議。ここではさらに色々なことを話して方向性を決める。気がついたら5時間近く会議をしていたことになる。いやあ、充実。

            ◆

会議終了後5分後には、研究室を出る。
さあ、娘の風呂だ。ミルクだ。

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