できないことをする
できないことをする。
これが人生でやること、人類がやることの大きな目標のひとつであると思う。鳥が空を飛ぶのを見て、
(うしゃあ、飛んでやる)
と何人もの挑戦者がチャレンジして、時には命を失ったりしながら、空を飛ぶということを手に入れてきた。
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若い頃の無鉄砲さというか、好奇心の強さは「今、自分に出来ないことを出来るようにする」ことに力を注いでいたように思う。
ギターのFコードが弾けないのを直し、音痴を直し、ひらがなが上手く書けないのを直し、モトクロスでジャンプが決まらないのを直し、家に帰ったら手を洗ってうがいするのが出来ないのを直しとそんなことの繰り返しであったと思う。
ところが、最近違うなあと思うことがある。
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「今、自分に出来ないことを出来るようにする」と字面は似ているのだが、「今しか、出来ないことを出来るようにする」である。これをどう思うか。
一見すると逆のことのようにも見える。思いついた当初はそう思っていた。しかし、よく考えるとそれも少し違う。
実は、「今しか、出来ないことを出来るようにする」の延長に「今、自分に出来ないことを出来るようにする」があると思うのだ。
生きると言うことは、過程の連続であって、結果の連続ではないと思うようになったこともあるかな。結果の連続と考えると、今の自分との変化の差を常に意識することになるが、過程の連続と考えると、変化は結果でしかない。そして、過程を重視しなければ変化はない。
その過程も「湯船の法則」のように閾値を念頭に入れたものであるから、安心して「今しか、出来ないことを出来るようにする」ことに集中できる。
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私の感覚では、これは「コツコツ努力をする」ということとはちょっと違う感じである。これは勉強と学びの違いにも通じる話だろう。これについては、もう少し考えてみよう。
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