調査なくして発言権なし
いい大学祭だった。
京都橘大学の児童教育学科のスタートとしてちょっと胸を張っていい。
今日のゼミやゼミの感想で、いくつか思いついたこと等を書こう。
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書き込み回覧作文は、私が開発した。これの開発秘話はまたどこかで話したいと思うが、実際にやってみて良かったでしょ。あれをやるとクラスがなんともしっとりするんだな。ただ、子どもにやる時は、事前に
『この課題の作文は、みんなで読み合います。ですから、読まれても良いことを書いてください』
指示することを忘れないように。でないと、中には「え〜、読まれたくない」とだだをこねる生徒もいます。ま、一度味わうとそれも多くの場合なくなるのですが。
「書くということは、考えるということだ」と話した。教師と言う仕事は本当に書くことが多い仕事だ。文章を書くことが苦痛な人は、早く書くことに慣れること。兎に角、読むと書くをリンクさせて、いろいろと書いてみることだ。
45秒で今回は回覧した。訓練された中学校三年生であれば、1200字の作文を、1分で読んでコメントを書き込める。教師も子どもの作品にさっとコメントできることが大事だ。30人のクラスを担任して、一人一分宿題を見ても、30分かかる。このことを理解すべきである。
また、短い時間で読むとなると、読みやすい文章が好まれることが分かるだろう。手書きだと、これが如実に分かる。文章は、読まれてなんぼです。読まれる文章を書けるように訓練である。
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「調査なくして発言権なし」の言葉を大事だと理解した諸君が多くいて、心強く思った。指導する前に本当かどうか確認するのです。
実際に見てみる。または、子どもにどうしたの? と聞いてみる。すると意外なことが理由になっていたりすることもある。
できれば、子どもの納得する方法で指導をしたいものだ。(できればというのは、子どもには納得できないけど、大人になれば当たり前ということもあるので、できればだ)
頭ごなしに決めつけられると、反発しかしない。自分が子どもの時には嫌だったのに、大人になって教師になるとその嫌だったことをやろうとしている自分に気がついて愕然とする.ことがある。
子どもからの視点だとどのように見えるのか。これは、勉強する必要がある。
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家本芳郎先生の本から練習問題を出し、諸君に考えさせることもした。教育の現場では日々、瞬間的な判断が求められる。それを少しシミュレーションさせた。
「私は、すぐに判断することが出来ない」
という感想が多くあったが、んなもの今から出来るわけがない。出来ると思うこと自体が、変である。教育の深さ大きさを舐めてもらっては困る。「膨大な知識」「豊かな経験」「的確な指導力」が揃っての教育である。二十歳前後の君たちにできるわけがない。
だから、しっかり学ぶのだ。家本芳郎先生なら『<教育力>をみがく』(寺子屋新書)から始めるのが良いだろう。
君たちの教育者としての学びは、まだ始まったばかりである。
後期研究入門ゼミ通信「運筆」NO5
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