のようにも授業は展開できる
ぐっと冷えてきた。
研究室の足許ヒーターを入れ始めた。
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国語科教育法2の模擬授業に向けて学生たちは準備を進めている。研究室での事前指導の他に、自分たちで集まってアイディアを出して、練って、整理してとしていかないと作れない。
自分がその教材で、子どもたちに何を学ばせたいのかということが明確でないと、授業は作れない。そして、そのためにはどんな教材、指導方法でなければならないのかと考える。
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今日相談に来たグループは、古典で『枕草子』を扱う。暗記をさせることが指導に入っている。それは良い。だが、「暗記をさせる」だけでは指導とは私は考えない。
「暗記しなさい」「暗記しておきなさい」
は、指導ではなく命令である。
・どのようにしたら、暗記はできるのか。
・暗記にはどのようなやり方があるのか。
・記憶のメカニズムはどのようになっているのか。
こういうことを話して、その上でやりやすい方法を示す。そして、やらせる。これなら指導だと思う。
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さらに、暗記がゴールになってはいけない。
暗記したものだけが参加できる授業展開を考えるべきである。
たとえば、
『枕草子の第一段には、漢字は同じなのに、読み方が違うものがありました。それは何でしょう?』
『正解は、「音」(おと・ね)です』
『では、なぜ「音」は(おと・ね)と読み分けるのでしょうか。違いは何でしょうか?』
のように授業を展開すれば、暗記がゴールではなく授業を受けるための必要条件になる。そして、
『さあ、みなさん。みなさんもこの枕草子の第一段を使ってクイズを作ってみましょう』
という展開がある。
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また、
『ここに橋本治さんという人の書いた「桃尻語訳」の『枕草子』があります。今から黒板に一部を書きます。それはみなさんが暗記した部分だとどこになるでしょうか。考えてください』
のようにも授業は展開できる。
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この授業をする彼女等は三週間後が本番。
ちょっと出足の遅い京都の紅葉も、奇麗に色づく頃であろう。
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