【結論】
娘を抱えて、私は考え込んだ。
(目に入れるっていったって、いったいどこをどうやって入れれば良いんだ?)
◆
入れやすいのは、指である。これなら入れることは可能である。しかし、これは娘を入れたと言うよりは娘の指を入れたという方が正しく、かわいい子を目の中に入れても痛くないというのとは、かなり違うと思えた。
それなら、足の指から入れるか。足からなら全身を目で受け止めるとういイメージとしても「あり」である。幸いにして娘はまだまだ軽い。十分に持ち上げることが出来る。しかし、持ち上げると乳児特有の原始歩行の名残か、はたまた嬉しいのか足をばたばたさせて、入れることは難しい。
◆
そこで、一番入れやすい方法を採ることにした。私は右手でお尻を抱えて左手で首を押さえるようにして娘を抱える。だから、私の目に近いのは、娘の顔、おでこである。そこで娘のおでこに狙いを定めて、私の目に入れてみることにした。
そーっと、そーっと近づける。
娘は嬉しそうに、また何があるのか分からないままきょとんとしている。
一瞬
(ん? これは児童虐待か?)
とも思った。
それは拙い。
そこで「児童虐待の防止等に関する法律」を確認する。
引用開始 ーーーーーーーーーー
(児童虐待の定義)
第二条
「この法律において『児童虐待』とは、保護者がその監護する児童に対し、次に掲げる行為をすることをいう。
一 児童の身体に外傷が生じ、又はおそれのある暴行を加えること。
ニ 児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること。
三 児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置その他の
保護者としての監護を著しく怠ること。
引用終了 ーーーーーーーーーー
「児童の身体に外傷が生じ」とあるが、外傷が生じる可能性はむしろ私の方にあるわけで、大丈夫であろうと判断した。
◆
さあ、いよいよである。
娘のおでこを私の目の中に入れる。
そーっと、そーっと。
あれ?
痛くない。
◆
痛くないのである。
何回かやってみたが、痛くないのである。
当初の予測では、痛くて痛くて、やはりこの言葉は、間違っているということになるものだった。ところが、痛くない。
うーむ。
娘を良く見た。
分かった。
娘のおでこには、産毛が一定方向に向かって横に生えており、その産毛がクッションとなって目に触れていたのだ。
【結論】
「かわいい子は目に入れても痛くない」は正しい。
そして、この言葉は、私にとっては諺ではなくて、故事成語となったのである。
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