« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »

2007/12/31

更上一層楼

先日、体験作文の書き方についての指導方法を、「関西ネタ研」でお話しさせて頂いた。

「作文で、『書け』『思った通りに書け』『丁寧に書け』というのは、指導でしょうか? 私は命令ではないかと思っています(^^)。例えば、家庭科の先生が調理実習で、『さあ、今日は調理実習でカレーライスを作りますよ。作れ』とは言わないですよね。でも、なぜか国語の作文では『書け』なんですよね。私はこれはおかしいと思うのです」

と話した。
そしたら、びっくりしたことに家庭科の先生が受講されていて、感想を頂いた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

作文は、料理に似ている?
ということですが、私は家庭科の教師ですので、調理実習を指導する時の事を思い出しました。
まず、作るメニューに使う材料に含まれる栄養や、選び方、調理実習に必要な持ち物、心構え、手順、準備,購入についてと、実習に至るまでに指導や準備する事が本当にたくさんあります。
クラスで気軽に感想文や体験分を書かせていた事が、かなり無謀な事だった事が良くわかりました。

引用終了 ーーーーーーーーーー

私の仮説は証明された事になるf(^^;。

            ◆

中学生の頃、私は文章を読むのが得意であった。声に出して読むと言うのではなくいわゆる読解である。作者が何を言いたいのかなんてことは、割と良く当てていた。

だが、入試問題等を解いているとき、
(うーん。何を言いたいのか分からない)
と思える文章に時々であった。

そのときの私は、
(あー、流石に大人の文章は難しいなあ。理解できないんだなあ)
と思っていた。

            ◆

が、問題を解説してくれる先生から衝撃的な台詞が出た。
「あー、これは非常に良くない文章ですね。何を言っているのか分かりませんねえ」
(え? オレが悪いんじゃなくて、文章が悪いの?)

純朴な中学生であった私は、悪いのは私という固定概念が出来上がっており、文章が悪いなんてことを疑う事もなかった。

            ◆

子どもは往々にして私のような傾向にあるかもしれない。
以前、親の離婚を経験したことのある、成人した芸能人が言っていた台詞だ。

「親が離婚したのは、自分の所為だ。自分が悪かったから離婚したんだと子どもは思いがちなんです。だから、そんなことないよ。親には親の事情があって離婚したんであって、君の所為ではないよというメッセージを送ってあげないとダメなんですね」

子どもは、できないのは自分が悪いからだと思うことが多いように思う。大人もできないのは子どもが悪いからだと思うことが多い。確かにそういう場面もある。しかし、私の経験では「子どもが悪いから出来ない」となったときに、
(いや待てよ。もう少し工夫できないか?)
と考えたとき、工夫できる余地は結構ある。

子どもを甘やかすのではなく、出来るものとしての大人が、子どもに考えることを求めつつ、その子どもが持っている力を出せばなんとか出来るようにするような工夫がある。

ここをあれこれ考えるのが、プロとしての教師の仕事なのだという誇りを持ちたいと思ってきた。

            ◆

今年も後少しで終わる。
今年度の大学での残りの授業も、あと3回程度だ。

引用開始 ーーーーーーーーーー


登鸛鵲楼 かんじゃくろうにのぼる

            王之渙

白日依山尽
黄河入海流
欲窮千里目
更上一層楼

白日山に依って尽き、
黄河海に入って流る。
千里の目を窮めんと欲っし、
更に上る一層の楼。

引用終了 ーーーーーーーーーー

Photo_2


そんな自分でありたいと思う。

今年もお世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。

2007/12/30

抱きしめてくれ

(せ、背中が痛い)
左側の肺の裏側が痛いのだ。
うーん、娘の抱っこのし過ぎか?
どうも変な格好で寝たのが原因で体が寝違えていたようだ。

年末の忙しいところだが、午前中もう一度寝直すことに。
娘も付き合わせる。
グーグー。

内臓に痛みが来ているのかもしれないと思ってちょっと心配だったが、起きたら随分痛みがとれていたので、一安心。

            ◆

それにしても、さすがに今日はメールの数が少ない。
スパムメールは届くが、メールソフト「サンダーバード」の迷惑メール機能で、あっという間に消えて行く。

一瞬、
(ああ、私の人生にもこの迷惑メール機能があれば良いのになあ)
と思う。
そして、
(いやいや、面倒くさいことを乗り越えてきたからこそ、面白い人生になっているのだ。人生のスパイスになっているのだ)
と思い直す。

その面倒くさいところ、辛いところの渦中にいる時は、そんなことはとても思えない。が、モガキきってみるとそれが力を付けていたことに気がつく。だから、人生の「迷惑メール機能」があったらつまらない人生になるんだろうなあと、理屈では分かる。

            ◆

遠藤周作さんのエッセイにあったとおもう。

■□■

旅人が、歩いていると一人の乞食がいた。
乞食が旅人に、
「寒い。抱きしめてくれ」
と言った。
旅人は、黙って抱きしめた。
乞食は、
「まだ、寒い。もっと抱きしめてくれ」
旅人は、さらに抱きしめた。
乞食は、
「まだまだだ。もっともっと抱きしめてくれ」
と言った。
旅人は、さらにもっともっと抱きしめた。
そしたら、
乞食は、神になった。

■□■

遠藤さんは、これが人生であるというようなことを書かれていた。
たしか、この本を読んだのは高校生ぐらいの時で
(そんなこと、あるか?)
と思っていたが、これが分かるようになってきたということだ。

            ◆

夕方から、年末年始に向けての買い物。
大津の街をあれこれ車で動く。
娘は、あちこちをきょろきょろ。

私はあるものを気にしながら運転。
奥さんに言われていたのだが、たしかに、○○がない。
関東では当たり前のようにある、正月を迎える○○がない。

門松である。
こちらではやらないのかなあ。

            ◆

我が家では奥さんが錦市場で買ってきた「根付き松」を玄関に飾る。
根っこがついている松だ。
二本の松だが、種類が違う。
向かって右と、向かって左にそれぞれ飾る種類があるのだそうだ。

まあ、日本は広い。
明日こそ、大雪かな?

2007/12/29

"The Koln Concert"

Keith Jarrett "The Koln Concert" である。
年末、寒い日。
曇り時々雨。
こんな日は、"The Koln Concert" である。
今日も半分飛行船である。

            ◆

娘の寝顔を見ながら、年賀状書きの準備。
食洗器の規則的な水流のリズムが、娘の寝息とシンクロする。

Earl Klugh "Julie"。
晴れた日曜日の午前中の曲かと思っていたら、なんとこんな日にも合うもんだね。

寝ていると起こして抱っこしたくなる。抱っこしてぐずると寝かせなければなと思う。この子の頭の中はいま、どうなっているんだろうなあ。せめて、良い曲を流し続けてあげよう。

抱っこももう良いだろうと思って、ベビーベッドの方に歩き出すと、「ふぎゃー」っと泣き出す。す、鋭い。私が寝かせようと思っているのを歩く角度で理解している。うーん、賢い。

はいはい、もう少し抱っこしながらEarl Klughを聞きましょう。

            ◆

明日は雪の予報。
琵琶湖は、日本海の気候なので北陸の予報を見なければならない。大雪。

どうしようかと思っていたが、良い機会である。スタッドレスタイヤに履き替えることにした。ブリザックをチョイス。アスファルトの上では特にカーブでグニャリとする感じがあるが、ここが雪に絡むのだろうなあ。直進安定性ではサマータイヤと特に違いは感じられない。

さて、明日の雪が楽しみである(^^)。

大津は大雨

私は「お笑い教師同盟」に参加している。参加しているメンバーは、漫才系と落語系に好みが分かれている。現在の主勢力は漫才系だが、私は落語系だ。「タイガー&ドラゴン」は勿論十分に楽しんだが、いまは「ちりとてちん」である。

ドラマ開始時は、和久井映見の演じる母親がベタベタすぎてちょっと見る気がしなかったのだが、このところ面白い。というか、泣ける。いろいろな事件があるのだが、その解決の際の台詞がいかにも落語っぽくて、泣ける。

昼ご飯を食べながら、再放送を見て
(うーん、やっぱり落語はいいなあ)
と思うのであった。

            ◆

昨日買った嫁入り道具だが、深刻なことに気がついた。

(嫁入り道具に持たせたら、うち等のものはどうなる? それに上手く成長しなかったらどうする? さらに嫁に行って無くなったら悲しくなるよな)

ということに気がつき、もうひとつ買いに行った。バカである。
しかし、これで安心だ。やはりバカである。

            ◆

午後から研究室で論文の仕事を進める。

ほぼ、最終段階に入っているのであるが、論文なんてそこから豪快に崩れることもあるから慎重に慎重に進めるしかない。プリントアウトして、これから最終校正である。授業の始まる前になんとかしたいなあ。

            ◆

大津は大雨。
車のウインドウを叩く大粒の雨。

年末の夜の大雨は、なんとも切なくなる。
雪になるのかならないのか。
何かをし残したのではないかと、思わず帰路を急いでしまいそうになる。
いかんいかん。こういう時こそ安全運転だ。

            ◆

明後日は雪になるとの予報。

2007/12/28

ああ、たしかに近代は後期に

朝起きると、琵琶湖には一面の霧。青空と雲の琵琶湖も奇麗だ。が、対岸の全く見えない琵琶湖は、空に浮かんでいるようで奇麗だ。少しずつ太陽が差してくるが光は霧の中で乱反射して、ますます霧。

琵琶湖を巡る客船に乗っているかのような我が家だが、飛行船であったことも発覚。この光景は珍しかったらしく、夜のNHK9時からの全国版のニュースでも放映されていた。

            ◆

授業が終わったので、頭をリフレッシュするために軽い本を読んでいる。「2ちゃんねる新書」である。下らない話も多いが、笑える話やちょっとジンと来る話も載っている。

嘗て、私が中高生の時にあれだけ盛り上がったラジオの深夜番組。いまは、聞く意欲も湧かないが、たまに聞くとあの時のエネルギーが感じられない。「あおい君とさとう君」「たむたむたいむ」ときて、セイヤングにするかオールナイトニッポンにするかと悩みながら、曜日と時間帯でチューニングしていたのが懐かしい。

あの時代の深夜番組は、おそらく当時の大学生が文化を創っていたのではないかと思う。まだ大学進学率が20%に届くか届かないかの頃である。ブラックジョークは中学生には分からなくて、でもスタジオは大笑いで。そんな文化格差がはっきりと感じられた番組だった。

その深夜番組のエネルギーは、どこにいったのだろうか。私はその一部は2ちゃんねるに流れていると思っている。そして、この「2ちゃんねる新書」などを読んでいると、

(ああ、たしかに近代は後期に移ったんだよなあ)

と思うし、だから「学び合いは」成立するんだよなあとも思う。
近代後期、またはポストモダンの大学全入時代における教員養成とはなんだろうかなんてことを、あれこれと考える。

            ◆

午後から、年末年始のお買い物である。奥さんと娘と一緒に京都市内に出掛ける。寺町通りで車をとめたところ、見覚えのある姿。なんと本学の猪熊先生である。びっくり。慌ててご挨拶。なんかご縁があるなあ。

先生は嘗てこの辺りに住まいされていたとのこと。そして、美味しいお店を教えてくださった。グルメの猪熊先生なのである。

さらに、今年の福玉も購入。娘の生まれ年の福玉だ。
何が入っているかなあ。

            ◆

そして、嫁入り道具も購入。
実に気の早い私である。
いやなに、前から欲しいと思っていた生活必需品があったのだが、これが異様に高い。2人のために買うのはもったいないと思っていたのだが、ふと閃く。

(そうだ、これを嫁入り道具にしよう)

その道具は使い込めば使い込むほど、良くなる。
だから、これから二十数年間使い込んで、良くなったところで娘に嫁入り道具として持たせようということになったのだ。

時間をかけて道具を育てようと思ったのだ。
娘と一緒に育つのを楽しみにしたいと思ったのだ。

            ◆

年賀状のデザインもやっと決まり、印刷。
大津市内でさらに引っ越ししたので、その住所をお知らせしなければならないし、中には娘が生まれたのを知らない方もいるはず。サプライズの年賀状になるだろうなあ(^^)。

            ◆

京都市内、祇園辺りはすっかり新年の準備が整っておりました。

2007/12/26

『痛くありませんように』

朝のミルクのあと、私は少し娘のお相手をする。その後、娘はもう一度眠りにつく。なんとも言えず平和だ。平和なのはいいが、流石の読書の量が減っているので朝風呂につかりながら本を読む。うーん、贅沢。

Bluel


            ◆

研究室に向かい、あれやこれやと事務仕事。
本当は論文に取りかかりたいのだが、それをする前にすることがあれこれ。でも、これを終わらせてしまわないとねえ。

研究室の大掃除はいつになるやら。

            ◆

研究室の前の教室では、学生が私の出した課題をやっている。教育実習1の課題である。簡単な課題である。「実習校の時間割に従って、一日中立っていること。その内、2時間は実際に授業をする教科の教科書を声を出して読むこと」である。

大学生の若さの持つ体力と、授業で使う体力は別のものである。立っているのがどのぐらい体力が必要なのか、さらに、楽に立つとはどのようなことなのかを、体を持って体験する課題である。教育実習は、これが最低2週間続く。授業に即した自分の体に気がついておく必要がある。

            ◆

娘は本日予防接種。BCGだ。家を出がけに
『痛くありませんように』
とお祈りをしてきた。バカである。

でも、このお祈りが聞いたのかどうか非常に上機嫌で完了のこと。
良かった良かった。

            ◆

で、息抜きに年賀状を作る。今年の主役は当然、娘。だが、娘だけの写真はやめようと奥さんと話していた。私が年賀状を出す相手は、私との関係で年賀状を出しているのであって、娘との関係で出しているのではない。娘は主役であるが、本来脇役なのである。だから、娘だけの写真はやめようということにしている。

9月から撮り貯めた写真を改めて見直して、ため息が出た。
(こんなに成長していたんだ)
と。

あんなに可愛いと思った写真が、
(おい、これは人間か?)
と思わず言ってしまうようなものもあって、大変であった。
(ああ、大きくなったんだなあ)
と言う思いと、
(ちょっと待て。いま可愛いと思っていても半年後には・・・)
とかね。

とまれ、なんとか出来上がりそうだ。

            ◆

しかし、論文はいつ仕上がるのか。

竹内ゼミだったみなさんへ

国学院大学文学部、竹内ゼミだったみなさんへ

お世話になりました竹内常一先生が、今年度で大学の授業をすべてご勇退されることになりました。当時も有り難い教えを頂きましたが、今になってもやっぱり有り難い教えを頂いている先生に、最後のお願いとして私達に授業をして頂けることになりました。

詳しいことはご案内のはがき等でお知らせいたしますが、私のブログを見ていただいている関係者には、いち早く日程をお知らせいたします。

日時:平成20年2月16日(土)の午後
会場:国学院大学新館 有栖川記念ホール

を予定しております。
スケジュールを空けておいてくださいね。
よろしくお願いいたします。


明らかにここに違いが

「明らかにここに違いがありますね。いつからなのでしょうかね」

            ◆

関西ネタ研の懇親会で、京都教育大学の学生さん一人と、澤田先生とD高校の先生と私で飲んでいる時に、澤田先生が呟いた。

何かと言うと、京都教育大学の学生さんが、
「京都橘大学の学生さんは、いいですね。こんなことを教えて頂けるのですね。うちの大学にもあれば良いのに。なんで教えてくれないのだろう」
という話をした時に、
『え? 教えてくれなければできないと思っているの? 教えてくれなければ自分で学べばいいじゃん。教わるのがいいなら、教えてくださる先生をよんでくれば良いじゃん』
と私が言ったときに、言われた台詞だ。

            ◆

京都橘大学の教員としては、「京都橘大学の学生さんは、いいですね。こんなことを教えて頂けるのですね」と言われるのは、ま、嬉しい。だが、教師を目指そうとする学生がこう言い切ってなにも不思議に思わないのが、ちょっと恐ろしい。

世の中に存在することは、教われば全て身に付くと思っているのだろうか。教わることよりも学ぶことの方が多いと言うことは分かっていないのだろうか。こうなると、
「私が勉強を出来ないのは、教えてくれない先生が悪い」
ということになる。

確かに先生の仕事は教えることでもあるが、もっと大事なのは自らが学ぼうとする人間を育てることである。「私が勉強を出来ないのは、教えてくれない先生が悪い」という価値観を持ったまま教師になると、子どもや保護者に「私(私の子ども)が勉強を出来ないのは、教えてくれない先生が悪い」
と言われたら、切り返す言葉を持てない。「そうです。私の教え方が悪いのです。すみません」となる。

            ◆

私達の時代は、教師に対して半分尊敬、半分反抗というスタンスでいたと思う。もちろん、表立って反抗しないが
(本当は違うんじゃネーの)
と思って、自分であれこれやっていた。

新しいものを習わなくたって、今まで習ったことや自分で考えたことでなんとか新しいことをやっていた。音痴だった私が音痴がを直したのも、誰に教わって直したんじゃない。自分で練習方法を考えて直した。

目の前に現れる子どもたちは多様である。理論を十分に学んだ上であっても個別に対応しなければならないことが山ほどある。その時に、そのやり方を教えてくれる人は、まあ、運が良ければ同僚がいる。サークルに行って聞くこともできる。しかし、まずは担任である自分が考えなければならない。そのために、自分で学ぶということを手に入れていないと大変なわけだ。

            ◆

冒頭の澤田先生の呟きは、教えてもらえなければ自分でやれば良いと当たり前のように思っている人たちと、教えてくれなければ出来ないと思っている人たちに違いがあり、いつのころからかこの差がはっきりとしてきているというのだ。私もそう思っていた。

教えてくれなければ出来ないなんて、自分の人生は教わるもんだと思っているのだろうか。作り出すものだと思っていないのだろうか。前者だとすればもったいないなあ。

紅茶で小さく寛ぐ

午前中は、学科の会議。
今年の今までの成果とこれからの方向性の確認。
あれこれと語りながら、自分たちがやってきたことの意味と、これからの課題を見つめ直す。
ひえ〜と考えるか、うしゃあと考えるか。
うしゃあである。

            ◆

午後は、大学の全教職員が集まって今後の大学の進む方向性の確認を行う。非常に勉強になる。そして、京都橘大学で仕事をすることについて、うしゃあという思いになる。今はどこの大学も大変な時代である。だからこそ、きちんとした仕事をしようということなのだが、新理事長の明確な方向性の提示で、うしゃあとなる。

その方向性に向けて、よりよい授業を作りたいなあと思うのであった。

            ◆

研究室の大掃除や事務の仕事をしようと思っていたら、学科の先生から声がかかった。
「学科のお疲れさまの会をしませんか?」
とのこと。
クリスマスケーキを買ってきてくださっていて、紅茶で小さく寛ぐ。これが大事だよね。年末年始の予定等を話して、駆け抜けてきた8ヶ月の労をお互いにねぎらう。

            ◆

さ、明日からは正月の準備だ。

Rimg0336_2_2

2007/12/25

「明日の教室」今後の予定

「明日の教室」今後の予定

Jiyuukan


さあ、みなさん、大変です。
「明日の教室」ですが、来年は1月を休んで、2/2にお年玉企画で、上越教育大学の西川純先生にお越し願います。

これからの日本の教育を支えて行く若手の教師の皆さんに、必須の考え方「学び合い」について西川先生にたっぷり語って頂きます。みなさんの質問に答えて頂きます。

            ◆

さらにみなさん、大変です。
3月は、3/15に糸井先生と池田でやりますが、その後の4月と5月は、「明日の教室」二年目突入記念ということで、平田オリザさんと野口芳宏先生にお越し願います。

平田オリザさんは、4/19。野口芳宏先生は、5/10です。スケジュールを空けておいてください。

            ◆

「明日の教室」に参加されているみなさん、私のブログを見ていてくださっているみなさんに、事前のお知らせです。申し込みは年明けになりますが、ご期待ください。

「クリスマス断食」

家族で過ごすクリスマス。

日中は、近くのレストランのガーデンまで娘を抱えて散歩。
時雨れた空模様は、奇麗な虹をプレゼントしてくれた。
ランチとディナーの間の時間値だけに、お気に入りのガーデンにはお客さんはいない。
貸し切りである。
琵琶湖を目の前にして、ひなたぼっこ。

夜は娘に、初めてのプレゼントを渡し、生まれて来てくれたことに感謝。
当然娘は、なんのこっちゃという顔をしている。
ただ、抱っこをしてくれることを一番の喜びにしている。

            ◆

サラリーマン、家族、恋人、友人と、日本のクリスマスの対象は変わって来た。今は、仲間なのだろうか。私の青春時代は、ユーミンによる恋人のクリスマスが全盛であったが、バブルの崩壊とともになくなっていったなあと感じている。

思うに、クリスチャンではない私がクリスマスを楽しむのは、美味しいものを食べられる、プレゼントをもらえるということがメインであった。そして、それを楽しむのだから固いことを言わずにやればいいと思っていた。

が、このごろ思うのは
(クリスマスがなかった頃の,日本の年末はどんなんだったかなあ)
ということだ。

今は、25日になると一気にスーパーは年末、年始の模様に変わる。昨日までジングルベルだったのにだ。だけど、嘗ての日本は、クリスマスがなくて、じわじわと年末が過ぎ、新年を迎えることになったのだろう。それを、私は実感どころか、イメージすることもできない。

どんなんだったのかなあ。
「クリスマス断食」でもやってみっか。

            ◆

日本の文化をもう一度考えている年末である。

2007/12/24

それでも爽やかな顔

大阪は上本町にある「たかつガーデン」で開かれる、関西ネタ研究会で講演をと言われて出掛けて行く。三連休の中日にも関わらず、70人ぐらいの先生方参加。

久しぶりに国語の話をしてくれとのご依頼。「漢字と作文の指導」について話す。『こんな時どう言い返す』のイメージが強いのか、国語の教師ということよりも生活指導、または特別活動の教師という思われ方をしている最近の私である。あ、最近でもないかf(^^;。

「わくわく授業」で作文の授業を行ったが、その時も
「え? 池田さんて作文の授業もできるの?」
と数カ所で言われた。誤解される私である。

でも、会場にいらっしゃったガハハさんにはお褒めの言葉を頂いた。
ね、わたし、国語の教師でしょ(^^)。

            ◆

この研究会では、久しぶりに昔の仲間とあった。もう10年以上前にであった吉水先生である。当時彼は、大阪教育大学付属天王寺中高で社会科の先生をされていた。ディベートで知り合った先生だ。私と、彼と、筑田先生は同じ年と言うこともあって、ディベート関係では仲良くしてもらっていた。

その後、彼は岐阜の大学の先生になり、いまは兵庫の大学の先生になった。私も京都の大学の先生になったので、一緒に食事でもという話をしつつ、思った以上に忙しい大学の仕事に追われて、なかなか合う機会も作れないでいた。

            ◆

久しぶりに会って、いきなり昔に戻る感じであれこれと話した。大学での授業の仕方、生徒指導のあれこれ。いやあ、同級生っていいなあ。同じようなことに対して同じように厳しく指導している大学の先生がいる。

彼も元が中学校なので、授業や学生に対する視点や角度が、私と同じ部分が多く
『そうだよね。やっぱり、それでなくちゃダメだよなあ』
と意見が合う。読んでいる本も同じだったりして大笑いであった(^^)。

いいなあ、有り難いなあ。またこういう時間が作れたら嬉しいなあ。

            ◆

そして、もう一人澤田先生。私が出た「わくわく授業」を作ったディレクターさんが、京都でもう一本「わくわく授業」を作ったのだが、その巻の先生である。現在京都市教育委員会に勤務されている。

澤田先生とも、私が京都に来てからとあるところで出会って、楽しい時間を過ごさせてもらっている。

その澤田先生のご発表も伺う。
何回お話を伺っても凄い先生だと思う。
(オレには出来ねーな)
と思う。
そして、
(じゃあ、オレに出来ることは何か)
とも思う。
(しょうがねーじゃんか、オレはオレとして生まれて育ってしまっているんだから。他の人がやっている凄いことは、その人に任せてオレができることをやるしかないよな)
とも思う。

本当に、つくづく人から学ぶことの出来ないオレだと思う。だけど、
(オレだったらどうする)
と考え、
(オレはこのやり方をする)
とすることの方が、私には合っていると思っている。凄い実践を見ながら、読みながらそんなことを考えてきたし、これからも考えて行くのだと思う。

            ◆

お二人に共通していることがある。
お二人とも、良い顔をしているのである。もともと良い顔なのだが、修羅場をくぐってきてそれでも爽やかな顔なのである。かくありたいと思う。

            ◆

それにしても。

特に何かおまじないをしていることもないが、こうして自分にいろいろなご縁が広がって行くことに、喜びを感じるなあ。五年前には考えることもできなかったが、しかし、五年前にあれこれやっていたこと、十年前にあれこれやっていたことが、今のご縁を産んでいるのは間違いない。

そう思うと、いまあれこれやっている面倒くさいことも、かったるいことも、しんどいことも、もうちょっとやって見ようかと思う。それがこの先の五年後、十年後のご縁に繋がるのだろうなあと思うからだ。

            ◆

楽しいお酒も飲んで、良い一日だった。

娘のあたたかさを抱きしめる

一日自宅で娘の面倒を見て過ごす。出来る限り、一週間に一回は私が面倒を見て奥さんが自由に使える時間を半日でも設定してあげたいなあと思うわけである。奥さんは、クリスマスと正月の準備。ありがたいことだ。

何をするわけでもない。ミルクをあげておしめを替えるだけである。そして、泣いたらあやし、眠そうになったら一緒に添い寝をする。それだけである。ちなみに昨日は随分一緒に寝た。寝ながらアヴァンティを聞いて
(ん、取手さんは上手く行ったのね。ジョンレノンの曲が掛かっているなあ)
なんて思いながら、うとうとしていた。

            ◆

娘はこのごろ随分と喋るようになった。
相変わらず喃語だが、音素数が明らかに増えている。そして、突然大きな声で叫ぶこともある。何事かと思うのだが、嬉しそうに私には見えない何ものかに向かって、一生懸命お話をしている。

その姿が可愛いので、読みかけの本をテーブルに置いて娘のところに歩いて行く。すると、娘は私に気がつき、満面の笑顔で迎えてくれる。思わず涙が出そうになる。

『よーし、じゃあ抱っこだな』

と抱っこをする。と、私なんかすっかり忘れて部屋の中をきょろきょろ。目に見える全てのものが珍しいのだろう。まあいい。娘のあたたかさを抱きしめるだけで、私はいいと思う。

            ◆

明日は、大阪で90分の講演。
これで、年内の外のお仕事はお仕舞いである。

ま、年明けすぐにまたお仕事がありますがf(^^;。

2007/12/22

「未来の歌」

車を家に置いて、京都駅に向かう。
小さな忘年会をやるためだ。
吹上中学校時代の教え子と、ディベート関連の教え子のような仲間と飲んだ。店は、最近とても気に入っている駅前の怪しい店。ぎりぎり3人が入れたのでやったー!であった。

            ◆

教え子は、このたび目出たく博士号を習得。脳科学の学者としての一歩を踏み出した。ディベートの教え子は、関西のとある大学院で教え始めた。2人とも私より一回り以上年下だが、優秀なことで何よりである。

当たり前だが、二三年前にはここ京都で、彼らと一緒にこうして杯を酌み交わすことなんて想像だにすることはなかった。それが、こうして終電まで楽しく杯を交わし、美味しい物を食べる。人生の不思議さと有り難さを思う瞬間だ。

そして、自分の人生を賭けるものとして、教育を選んで良かったと思わせてもらえた瞬間だ。

            ◆

「未来の歌」
                 ルイ・アラゴン

人間だけが 夢をもつものなのだから
自分の抱いた夢が ほかの人たちの手で
自分の歌った歌が ほかの人たちの唇で
自分の歩いた道が ほかの人たちの足で
自分の愛さえが ほかの人たちの腕で成就され
自分の蒔いた種を ほかの人たちが
摘みとるために ひとは死をも辞さない
人間だけが 明日の日のために生きるのだ。

わが身を忘れて尽くすことこそ 人間の道だ
人間とは みずからすすんで すすめる者だ
ほかの人に 自分の酒を飲むように
人間とは つねにその身を差し出す魂だ。
おのれに みずから打ち勝つものが
また わが身の血を 人に与えるのだ
その苦しみの報いなど 何ひとつ求めずに
そしてやがてやってきた時のように 裸で出てゆくのだ

人間は わが身を粉にして 力をつくし
めざしただけ おのれを越えて進むものだ
おのれの辿りついた空には飽きたらずに
みずから作り出した火に みずからを焼ながら
やってくる朝に 席をゆずる夜のように
消えてゆく自分には こころもとめず
おのれの運命の その深淵のうえに
ひらいた扉にむかって 嬉々として

            ◆

こんなにかっちょええことを常々思っているわけではないが、でも、年に一回か二回はこんな思いになっても良いだろう。

大切な、
思い出深い、
この一年が終わって行く。

Rimg0612_2

2007/12/21

研究室の大掃除は後回し

今年の授業が全て終わった。これでやっと個人的な年末モードに入っていく。

本学は来年度のシラバスの締切が早くて、もう既に書き終えているが、細かい打ち合わせ等はこれからもしなければならない。来年度は、オムニバスで行う授業が二つほどありそうだ。

            ◆

この冬休みにしようと思っていることはいろいろあるが、なんと言っても学術論文の出版が大きな山である。修士論文を元にした「ディベート入門期指導」に関する一冊を出すことにしている。一月中になんとかまとめる。

他に、原稿が2つほどあったり、一月に行う講座や新しく関わることになる○○○の仕事の準備やらとある。ぬはははは。正月「休み」だわい。

            ◆

ディベートの授業では、はじめてパーラメンタリー形式のディベートを行った。15分の準備で、ディベートをさせた。立論は2分という短いものだが第二反駁までさせた。90分で三試合させた。

これがまあ、なんとかディベートの形になっていた。彼ら彼女らの成長を嬉しく思う。

この授業を受けているメンバーの中から、教職サークルを立ち上げたいと言う声が出てきている。今日
「顧問になっていただけませんか?」
と言われた。
『おう、まず一年間なってもいいぞ』
「え?」
『私もこの先の専門ゼミやらなんやらのことが、まだ良くわかっていないのだ。だが、来年はまだ専門ゼミは持たないので、大丈夫だと思う。君たちがどんな活動をするのか分からないが、まず一年やってみよう』
「はい」
のようなこととなった。

学ぶことが楽しくなってきている学生を見るのは、嬉しいことだ。

            ◆

もうひとつのキャリア開発演習2の授業では、「学び合い」に関する私の仮説を大胆に説明してしまった。いずれ、このブログでも書きたいと思っているが、あれこれ考えているけど、
(やっぱりこうだろうなあ)
と思うのです。

さて次は、12/23に「関西 ネタ研」で行う講演の詰めだ。原稿はできたが細かい詰めがまだ。研究室の大掃除は後回し。たぶん、二月末まで後回しf(^^;。

1/3の卒業生新年会はまたの機会に

年の瀬ですね。後一週間ちょっとで新年です。

さて、毎年1/3に行っていた池田卒業生の新年会ですが、来年は娘を連れて帰るのが大変なため、聖蹟桜ヶ丘で行うのは、ちょっとごめんなさい。

もちろん、こちらに来る時には声を掛けてください。部屋を片づけて日程を調整しますf(^^;。京都滋賀の名所をご案内しましょう。

みなさん、よいお年をお迎えください。

2007/12/20

『誰だってズルしたい!』

『誰だってズルしたい!』(東海林さだお 文芸春秋)

私は、授業のあるオンシーズンでは、基本的には楽しみとしての読書はしない。楽しみの読書は、授業のないオフシーズンにするようにしている。もう十年以上そうしていると思う。

楽しみとしての読書の本は、買っておいてオフになった時に読むようにしている。それまでは積読だ。だが、後少しで授業が終わると言うところでこの本を読んでしまった。

いや、なんというか体と心が疲れていたので、東海林さだおワールドに浸ってリハビリをしようと思ったのだ。

            ◆

いやあ、さすが東海林さんである。
面白い。
そこまで拘るかというところまで、拘っている。

            ◆

そして、巻末にはあの土屋教授との対談。さらに、解説は養老先生となっている。
ここで東海林ワールドの笑いの秘密に迫っている。
もう、読んでもらうしかない。

ああ、気持ちよかった。

自信はなくても胸を張って

(オレも年取ったなあ)
と思うことが、このところ年に数回ある。
そして
(人生は思ったよりも短いなあ)
とも思う。

だからと言って焦って何かをするってのも変なので、出来ることをコツコツやるしかない。ま、この考え方そのものも年を取った考え方だよなあf(^^;。

            ◆

「明日の教室」では、超一流の教育関係の講師に来て頂いていろいろな学びを深めている。その一方で横の広がりも私は考えたい。

学生でありながらこの研究会に参加している彼ら彼女らに、さらなる勉強の場を提供したいと思っているのだが、先日ひとつその結果が出た。

明日の教室に参加されている、京都の小学校に勤めている先生のクラスで、学生たちが書写の授業をさせていただいたのだ。

本学の文学部日本語日本文学学科書道コースは、この4年間連続で、全日本全日本高校・大学生書道展の最優秀校に輝いているのである。自信はなくても胸を張って行け!ということである。

その時の記録が、本学のブログに載りました。見てやってください。
http://www2.tachibana-u.ac.jp/t_blog/2007/12/15-081833.php#more

            ◆

こうして、若者が成長していくのを見て喜ぶなんてのは、まさに、(オレも年取ったなあ)なのである。ま、悪くはないがf(^^;。

研究入門ゼミの年内の授業も

研究入門ゼミの年内の授業も終える。

この授業では古典を読むということを各クラス共通で行っている。共通のテキストは、『エミール』である。この古典を、私は作家論的に読むアプローチと、テキスト論的に読むアプローチの入り口を指導している。

とてもじゃないが、全部を扱うことは出来ない。ただ、これから彼ら彼女らが挑んで行く、学問への道のりを考えると、本文を好きなように読むということだけは止めさせなければならない。少し伝わったかな?

授業中に、関連事項として娘の成長についてちょこっと話したら
「先生は、娘さんのことを話す時は顔が全然違います」
と感想。

当たり前だ。授業の顔で娘に接するわけないだろう(^^)。

            ◆

午後は、会議が二発。
年内にあと二つはあるな。

            ◆

中学校の教員をしているころは、そろそろ来年度の人事が気になり出すころだったな。どの学年を担当するのかは大体分かるが、誰と組むのか、または、どの分掌に入るのかによって随分と一年間の過ごし方が違ってくるのであれこれ心配する。

が、心配してもあんまり意味がないと分かってくるようになる。仕方がないのさ、宮仕え。振ってくる仕事をこなして行くしかないんだよなあ。

にしても、仲間たちは長期研究生として来年一年間は現場を離れるとか、教職大学院を目指すとかいろいろだ。世界が変わると見えるものも変わるから、楽しみですねえ。

            ◆

大学では学内の行政に関わる委員会は、通常2〜3年は続けることになっているようであり、来年担当する授業も、急にこれやってというのはほとんどないので(少しはある)、この人事については、まあ大学では平穏だな。

この方が安定した授業や指導が出来る。システムがいじられるとそのシステムを身につけるのに時間がかかる。エネルギーが割かれる。新しいシステムを吸収して自分の役に立てるように整著させるには、ちょっと時間がかかるからね。ま、ヴァージョンアップなら歓迎なんだけど。

大学は、立ち上げなのでヴァージョンアップの連続。面白いなあ。

            ◆

金曜日に二つの授業をして、年内はお仕舞いである。

2007/12/19

続々年内の授業が終わる

続々年内の授業が終わる。
昨日は、国語科教育法2と自主ゼミの「模擬授業研究」が終わった。

国語科教育法2では、一人5分で得意な分野で模擬授業を作る。この前半が終わった。たかだか一人五分であるが、これが実に良くわかる。五分でその授業者の力量が良くわかる。

授業を作ると言うことはどういうことなのか。この理論と知識を身に付け、一回は模擬授業に関わってきている学生たちなので、結構出来るようになっているかと思いきや、そんな簡単には行かない。

思っていること、理解していることと、出来ることの差は明らかに大きい。前期に多少書けるようになったかと思った板書も、ぼろぼろ。課題を出さないとやらないのは、私の学生時代と同じ。書けるようになっていない。

ではあるが、理解したことをやろうとする姿はそこかしこに見ることが出来た。それが大事。

            ◆

自主ゼミの方も、一定の成果を出せるようになってきたかもしれない。数回に一回は、
(ん、これなら4月から教壇に立っても大丈夫かな?)
と思える授業をすることがあった。

ま、もちろんそれを毎日やらなければならないし、授業以外の仕事がどーんとあるのが学校教育現場だから、このぐらいではまだまだなのだ。が、自主ゼミの模擬授業も、あと彼女等が卒業するまでで言えば3回でお仕舞いだし、数回に一回ぐらい授業らしい物ができてきたことをよしとしよう。

            ◆

その他、学生の指導や相談に乗ったりしながら一日が過ぎて行った。
ここに書けないこともいろいろとあるが、いやあ実にいろいろとあるが、一年は過ぎて行く。

歯がほぼ治った

歯がほぼ治った。
一ヶ月調子を見て、最終調整をしてお仕舞いだ。
うれしい。
蟹喰うぞ。
焼き肉喰うぞ。

でも、
「治ってバリバリ食べて、一ヶ月ちょっとで7キロ太った女性がいますから、注意してくださいね」
とのこと。流石に7キロは太れないと思うが、歯の治療中は体重が減っていたのは事実。慎重に行こう。

半年ぶりにきちんと話が出来る。食べることが出来る。
ああ、嬉しい。

歯は一生ものという。
私は、ダメにした歯を治した。

ということは、ここから先は、二度目の人生か。
ラッキーである。

2007/12/17

その夢ではブレザーの

いやあ、参った。
5万円入った封筒を、なくしてしまっていたこの数日間であった。

(たしか、あそこに仕舞ったはずなのに)

と思っていたのだが、ない。あれこれ捜しても、ない。

夢の中にまで出てきた。
そして、その夢ではブレザーの胸ポケットから出てきた。

慌てて、捜してみる。
良くわからないスーパーのレシートが出てきた。

            ◆

本日、がっかりしながら研究室の片付け。
このところあれこれ忙しくて、片付けが出来ていなかったのだ。

(ま、社会に寄付したと思うことにしよう。誰か喜んでいるだろう)

そんなことを思いながら、片づけていた。
そしたら、書類の間から出てきました(^^)v。
私が喜びました。

ああ良かった。
まったく心臓に悪い。

自らを伸ばそうという人たち

週末は、明日の教室と全国教室ディベート連盟近畿支部秋季大会ですごす。風邪が治っていないので、無理はしないつもりで参加するが、参加して良かった。

やはり、自らを伸ばそうという人たちと一緒の時間を過ごすのは、刺激的で心地よい。

            ◆

さ、今週で年内の授業はお仕舞いとなる。
風邪を治して、乗り切ろう。

2007/12/14

副鼻腔炎ですね

うーん、風邪である。
午前中に近くの耳鼻科に行って診てもらった。

「副鼻腔炎ですね」
『ということは、風邪ですね』
「はい」
『インフルエンザではありませんか?』
「その所見は見られません」

ああ、良かった。
インフルエンザであれば、授業は出来ない。
私の恩師は氷嚢を頭に乗せて39度の熱でも授業をしていたという逸話があるが、それはまあ、いまは無理である。

ただ、そこまでしてやる先生のインフルエンザであれば、掛かっても仕方がないかなあと思っていたのは、大学時代の私だ。今の学生たちにはそういう思いは理解できるだろうか。

            ◆

授業を二つ終えた。
事務的な仕事をしてさっさと帰ろう。

明日の「明日の教室」のために今日はなんとしても体を休めなければ。
みなさん、明日お会いしましょう。

明日には、アルコール消毒が出来る体になっていたい私です。

本格的に風邪を

いかん。
本格的に風邪を引いてしまった。
何年ぶりだろう。
間接が痛くなっていないので、37度なのでインフルエンザではないと思うが、鼻と喉が痛い。

幸いなことに本日は研究日。授業がないので研究は諦めて大人しく寝ていることにした。
が、首が据わりかけた娘は、無謀にも寝返りを打とうとしている。
気になって寝られない。
奥さんは内祝いの品を買いにいってくれている。

            ◆

娘が寝ている瞬間に、寝る。
泣き声で起きる。
そして、安全を確認して、寝る。

            ◆

明後日12/15(土)は、今年最後の「明日の教室」。
治っていますように。

2007/12/13

学んで問う

研究入門ゼミでは、ルソーの『エミール』を読むことになっている。

学科の全てのクラスで読む。私は、テキスト論的読み、作家論的な読み、読者論的読みを説明した上で、まずは作家論的な読みの土台として、ルソーの履歴書を書かせた。これで少しは、ルソーのなんたるかが分かり、分からないところが分かる。

履歴書の書き込み回覧をさせて、履歴書を書かせたもうひとつの意味を話す。それは、学習と学問の違いである。学んで習うと、学んで問うの違いである。

            ◆

言うまでもなく、大学は学問の場である。児童教育学科はその進路として教育者を目指すことを目標とする。そしてそのためのライセンスの取得も行う。しかし、それはそれ。学問を修め、人間的な成長を求めるのが主である。

学問を修めるための方法として、論文を書くということがある。この論文とは何か。これについても論じた。小論文との違いを論じようと思ったが、これは時間切れ。また改めてやろう。

            ◆

午後は、出張。
学生の就職に関して、学生部の委員として出張。
この辺りから、ちょっと調子がおかしくなってきた。

昨日の夜もそういえば、変だったし、一週間前ぐらいからお腹の調子も。
風邪である。
手を洗ってうがいをしていたし、喉にタオルを巻いて寝ていたのだが。

            ◆

家に帰って、風呂にも入らずに厚着をして寝る。
平熱が低い私は、37度近くになると結構辛い。
娘から離れて寝る。

しばらく抱っこしてはいかんだろうなあ。
これも辛いf(^^;。

2007/12/12

学ばねば子どもの前に立てない

研究入門ゼミは、合同でコース別に行われた。私は児童教育コースに参加した。

現在、児童教育コースの一回生は、近くの小学校でボランティアをさせて頂いている。まさに、「させて頂いている」のである。

本学には、付属小学校はない。それをメリットとして考える。

国立や私立の付属小学校ではなく、通常の地域にある小学校でボランティアをさせて頂いて、教育の現場では何が起きているのか、教師になった時に自分は何をすれば良いのか、そして、今の自分には何が足りないのかを、このボランティア活動を通して学ばせたいというのが、ねらいである。

なんとなれば、諸君のほとんどは地域の普通の公立小学校に就職するからである。

            ◆

ここで数回のボランティア活動が終わった。このタイミングで、月に一回提出が義務づけられているレポートをもとに、合同ゼミでボランティアの振り返りを行った。

まずボランティアの意義、ルール、合同ゼミの意味を確認した。その後、諸君のレポートから学科通信を作成したものをベースにして、インタビューをし、グループに分かれてディスカッションをし、まとめのコメントを与え、事務連絡をしてで90分の授業が終了。

これらを学科の教員が分担して、担当して授業を「作って」いるのである。ある意味、理想のチームティーチングである。

君等もやがて授業は作るものであることを理解するようになるであろう。そして、どのように作ったら良いのかという課題に、直面するであろう。

            ◆

学校教育現場で起きていることは、学校教育現場に行かないと見ることが出来ない。当たり前である。諸君は、足を運び自分が頭の中に描いていた、子どもの姿、教師の指導、学校の現実を見て愕然としたであろう。

自らの勉強不足を猛烈に感じたであろう。

なかには、自分に出来るのであろうかと落込むものもいた。

しかし、一回生だからいいのだ。
二回生の観察実習、三回生の本実習に向けての第一歩を、自分の力不足と感じられれば良いのである。

最初から上手く行く人は、偶然か自分の力でなかったか、勘違いかのどれかと思って良いだろう。そんなに教育は簡単ではない。

だから、ボランティアを受け入れてくださっている学校には、感謝をしなければならない。

はっきり言って、大学生なんて受け入れるのは面倒くさいと思っている先生も珍しくないだろう。子どもの面倒だけで精一杯なのに、なんで大学生の面倒まで見なければならないのだと思っている先生は、私が中学校の現場にいた時も珍しくはなかった。

そんな中で

(よし、私達の後輩になろうとする大学生の面倒を見てやろう。鍛えてやろう)

と思って指導してくださる先生方がいることに、感謝して、残りのボランティアを続けてほしい。そして、学ばせてもらいなさい。自分には何が足りないのか、自分の何を活かせば良いのか。

            ◆

しばらくすると、大学生協には諸君が来年度のゼミで使用するであろう「教科書」や「参考書」が並びます。今回の授業で参考書として提示した本も並びます。通常10%オフのところ、15%オフで並ぶはずです。

頑張って1万円ぐらい貯めておくといいだろう。そのお金で買う。本は買っておくもの。その内、読むようになる。学ばねば子どもの前に立てないことを諸君は理解したはずだ。

研究入門ゼミ通信「運筆」NO.9 より

冬の食材が身近になってきた

冬の食材が身近になってきた。
昨日の夕食の一品。
石川県から届いた(といっても近くのスーパーだけど)甘エビである。
これで400円である。

Amaebi


卵を抱えている甘エビである。
この新鮮な青緑の卵が全てを語っている。
なんの魚臭さもない。

ただただ、食感と甘さだけが口腔に広がる。

大津は、日本海から車で90分でやってこれるのである。
ああ、新鮮だ。
安上がりの贅沢だ。

メディア断食

国語科教育法2では、久しぶりに私が話す授業であった。模擬授業が四回あったから、一ヶ月ぶりと言うことになるか。今日は、メディアリテラシーの授業である。メディアリテラシーとジェンダーの問題を扱った授業例を元に、行った。

学生たちには事前に「メディア断食」を課題としてさせてある。この実体験をもとにレポートを書かせ、メディアとは何ぞやということを考えさせてある。今日はそのレポートの回覧から開始。

引用開始 ーーーーーーーーーー

課題 メディア断食


現在われわれは多くのメディアに囲まれて生活をしている。国語科では、そのメディアとの付き合い方を指導するメディアリテラシーについて扱うことが増えてきた。

そこで、指導者である諸君はメディアの本質を理解する必要がある。その一つの方法として、メディア断食を行う。メディアを取り除いた生活がどのようなものなのかを知ることが、メディアの本質を理解する手助けとなるからである。

【方 法】

① 任意の二泊三日を決める。

① 今回は12/14の授業に間に合うように設定。
② お勧めは大学の授業の無い二泊三日。
③ 事前に友人に所定の日程でメディア断食をすることを伝えておいてもよし。ただし、伝えない方が面白い結果になる。

② この二泊三日は、メディアを断つ。

① イメージとしては、家族全員で無人島に漂流したものである。
② であるから、家族等との会話は許される。
③ 生命に関わる事態が突発的に起きた時は、この課題を中断すること。

③ 終了後1200字程度の報告文を書く。

① 事前の予測、途中の様子、事後の感想・考察の構成で書くこと。
② A4でプリントアウトし教務に提出。メールでも提出のこと。ファイル・件名は共に、「メディア断食 氏名」とすること。
③ レポートは、表紙を付けずに書く。レポートの最初には、次の三点を書く。
(ア) 学科
(イ) 学生番号
(ウ) 氏名


学生によるレポート 実例

日本語日本文学科 NT

メディア断食をするにあたって、まず日程を組むのがとても大変だった。メディアを断つということは必要な連絡も携帯電話やパソコン、電話を使ってすることはできない。レポートや課題もパソコンを使うし、手書きしてもそれはメディアとなってしまう。事前の予測としては、メディア断食をすると絶対に不便で困ると思っていた。また、人との連絡や課題だけでなく日常生活でも大変だろうと予測した。家にいる時はほぼ毎日テレビを見るし、CDを聴いたり本や雑誌を読んだりするのが楽しみである。何か忘れてはならないことがあればメモを取るし、手紙を書くことも多い。こういったことが一切できなくなる、となると何もすることがないように思えた。そして、メディアはなくてはならないものであるというふうにも考えた。やった後にもこのくらいの感想しか持てないのではないかと思っていた。

 しかし、メディア断食をする前にたまたま模擬授業でマスメディアを取り扱った。何も分らないまま仲間とマスメディアやメディアについて調べながら授業を作った。メディアは毎日触れるもので、身近な存在なので学ぶには入りやすいかもしれない、というのが動機であった。けれども、それは間違いで調べれば調べるほどメディアが分らなくなっていった。教える立場である私達にとっても、想定している生徒にとってもメディアが身近すぎたのである。

 そういう中でメディア断食を行った。やりながら案外、外との連絡は取らなくても全然苦痛ではないということが分った。後で返事を出せなかったメールの処理については少し面倒ではあるかもしれないとは思ったが、自分から連絡を取らなくてもたいして困らないと感じたし、楽だとさえ思った。さらに、メディア断食中は部屋がとてもきれいになった。できることが制限されているので、家ですることと言ったら家事くらいである。掃除、洗濯、料理などに集中していると時間はすぐに過ぎてしまい、メディア断食ということも意識の外にあった。反対につらいと感じたのは本や雑誌が読めない、文字が書けないことである。立って作業をしているときは平気だが、休憩に座るとどうしても何か読みたいと思ってしまった。

 メディア断食を行ってみて予想外だったのはこの断食が苦痛ではなかったことである。自分が事前に思っていたほどメディアがなくても困らないという感想を持った。予想通りだったのは本や雑誌が読めない、文字が書けないことに苦痛を感じることであった。しかも、これは予想以上に度々感じた。できることが制限されるので座るとどうしも考え事をしてしまう。しかし、考えたことをメモすることもできない。何度かその考えてはメモできないということを繰り返してしまった。

 予想外だったこと、予想通りだったことを合わせて考えると、それだけメディアというのは私達の生活の中心だったのだということが分った。家事に専念できたのもメモを取れなくて困ったのも、それは普段の生活がメディア中心だからということである。メディアが身近すぎて意識しないというのは模擬授業でなんとなく感じていたが、身近というより現在の生活の中心であり、生活の一部であると考えた。また、私が本を読みたい、メモを取りたいという欲求を感じたように、今までの多くの人の記録するということに対しての欲求が今までメディアを発展させてきたのではないだろうか。それは必要に駆られてということもあるだろうし、理由は様々あると思う。しかし、根本的にはメディアは相手に伝えたり自分に残しておくためにできたもののようにメディア断食を通して感じられた。

 私達は常にメディアと共に生活している。生活の中に入り込みすぎて見えなかったメディアをこの断食のおかげで考えることができた。現代の生活でメディアはなくてはならないものだが、そのためメディアに振り回されることもある。忙しいときはまたメディア断食をして考えてみるのもいいと思った。

引用終了 ーーーーーーーーーー

            ◆

なぜメディアリテラシーがこれからの国語の授業として重要なのかについて、あれこれ解説。そして、私が書いた「CMの分析」と「男女混合名簿」でジェンダーを扱った2003年9月の「授業づくりネットワーク」の実践記録を元に、あれこれと考察を進める。

大学で他の授業でもメディアリテラシーのことは学んでいるようで、それを思い出しつつ新しいことを学び、自分の身近なところのジェンダーを振り返りということで進めた。

            ◆

メディアリテラシーやジェンダーについての考察を深めることもさせたいが、私がもうひとつ学生に伝えたかったメッセージは、
「授業は作るものであり、進化させるもの」
であるということだ。

「授業づくりネットワーク」の実践記録に至るまでに、私がどのように授業を思い付き、改良していったのかを話した。模擬授業であれ、授業をつくった彼ら彼女らであれば理解できると思ってのことである。

            ◆

さて、来週と年明けの第一週は一人5分の模擬授業である。一年間学んできたことを五分間で実際に出来ているかどうかのチェックをする。楽しみである。

2007/12/11

どか雪が根雪を作る

学生が前向きに取り組んだ授業の後は、心地よい疲れが残る。昨日の授業もそうであった。

私の授業はウォッチャーとしての位置ではなく、プレーヤーとしての位置を求める授業が多い。だから、学生たちは授業の準備や授業中の取り組み、まとめは通常の授業よりも多くなる。分かると出来るとの差を埋めるためにトレーニングを重ねることが、学問をする者の基礎を作ると考えてのことである。

急にできるようになるものではない。少しずつである。少しずつ振る雪が一晩で待ちの景色を一変させるのである。ではあるが、どか雪が根雪を作るということもある。私は教職関連の授業を行っているが、大学の授業は、後期だけであればたかだか15回である。この15回のうちに学問の、教師の力量の根雪になる何かを築くことが、大事だと考えてやっている。

昨日の授業では、
「卒業論文よりも、こちらに力を注いだと思います」
などという発言も出てきた。

ま、卒論の方に力を注いでほしいとは思うが、卒論後にこちらに必死だったと言うのでよしとしよう。

この授業が、彼ら彼女らの根雪になっていることを願う。

写真は、晩秋の大学裏の空

Tsora


2007/12/10

ディベートを教科の授業に

朝9:00から、ディベートの研修会で講師を務める。一般相手のディベート講習である。3時間でディベートの大枠の理論とゲームを数試合行う。シナリオ方式のディベートである。

一般と言っても参加者は理系のマスターは出ている皆さんなので、短時間の説明で頭の中に入っていく。ではあるが、やはり分かると出来るは違う。この分かると出来るの差を埋めるのがトレーニングであるが、流石に3時間では無理。自分にどのような思考や話し方の癖があるのかを確認し、気がついたものを今後の生活に活かしてもらうことを主眼とする。

            ◆

講座修了後、
「先生、国語とか数学のように、ディベートを教科の授業にしてください」
と受講生の方に言われた。
『ええ、私達もそうした方が良いと思っているのですが、そうならないのですよ』
と話す。
(あれ、最近どこかでこれと同じことがあったな)

そうだ。
日本語コミュニケーション技術1でディベートの授業をしているが、そのファイナルが終わったとき学生の感想にあった。この日本語コミュニケーション技術1の授業は、選択ではなく必修にするべきだというもの。私も教職課程での必修にするべきだと思っている。

ディベートを体験すると、大変だ。
しかし、この大変さの向こう側にある有用性も理解できる。
教師を目指す若者は、ディベートの指導ぐらいなんでもないとなってほしいものだ。

ちなみに、12/16にディベートの大会が膳所高校であります。良かったら見に来てください。


            ◆

で、本日は奥さんの誕生日。会場になったホテルで、ホテル特製のパウンドケーキやら何やらを購入。忙しくてプレゼントを用意する時間はないと思っていて、
(そうだ、あのホテルで買えば良い)
と思っていたので、購入。

良かった良かった。

            ◆

午後は、昼ご飯を食べて、娘の相手をして、遊び疲れた娘をそっとベッドに寝かしつけてから、自宅でメールの返事などに勤しむ。子守りである。

甘えん坊泣きを覚えた娘は、抱っこしてほしい時に甘えん坊泣きをする。こっちは
(これは甘えん坊泣きだな)
と分かるのだが、
(抱っこしてとサインを出しているのに、無視したらこのサインが通用しないと思って混乱するかな。それはいかん。抱っこせねば)
と相変わらず娘中心の考え方。

甘えん坊泣きをしている娘の傍に行くと、一瞬泣き声を止め、こちらを見る。
そして、泣き声を弱めて抱っこしてくれても良いよと言うような体勢を作る。はい、父さんの負けです。抱っこします。

            ◆

このごろは、横抱っこをするとぐずり、立て抱っこをすると落ち着くようになった。立て抱っこの方が見える世界が広いのだ。そして、あれこれ興味を持ってみる。部屋の中に飾られたクリスマスツリーの点滅を不思議そうに見ている。その娘をだらしなく嬉しそうに見ている私が、ツリーのガラス玉のオーナメントに映る。情けないやら嬉しいやらである。

床に置いてはいはいの格好をさせたり、なんやかんやして、結局一緒に昼寝であった。

            ◆

夕方、部屋の片付けをしようと思うと、また泣き出す。
うーん。
『あのね、10分間だけ我慢してくれる? 父さんは部屋の片付けがあるのね』
と話しかけてタイマーをセットして始める。娘は、分かったような顔をして我慢(のように見える)。
食洗器に食器を入れてスタート、食卓の周りのものを片付け、洗濯物を部屋の中に入れて・・・。いやあ、意外と10分でいろいろな古都が出来るもんだ。

10分後にまた抱っこ。
約束を守るのも大変だ。
だけど、この顔で待たれたら抱っこするしかないしなあf(^^;。

写真は、夜の噴水。
やはり、Caplio R7の描写力の方が向上しているように思われる。

Funsui

2007/12/09

Caplio R7に

ミルクをあげて朝風呂に入る。琵琶湖からの朝日が奇麗な季節である。エネルギーを充電する感じだ。

歯医者にMINIで向かう。高速道路は一時期の紅葉渋滞もなく、快適である。しかし、快適だけに眠たくなる。うー、眠たい。途中、5分間寝てさらに安全運転で歯医者に向かう。

            ◆

なんとか次回で終わりになりそうだ。8月に通い始めて12月だ。あっという間だなあ。でも、正月前に治りそうで良かった。胃腸の調子がちょっと落ち着かないが、これを整えて治った歯でバリバリ食べるぞ。

            ◆

Caplio R6の調子がちょっとおかしくなった。普通に撮影する分には問題がないのだが、空を撮ると何か変なものが映る。どうも毛のようだ。筐体にまぎれこんでいる。

空を撮影するのが好きな私ととしては困る。なんとかしようと思ったのだが、このカメラを買ったのは八王子のヨドバシカメラ。そこまで持っていくわけにはいかない。さらに、保証書が見つからない。

それで、八王子のヨドバシカメラに電話をしたら、確認の上領収書を再発行してくれた。これで、大阪のヨドバシカメラに持っていって手続きをして大丈夫だと言う。うーん、便利。

            ◆

歯医者の帰りに大阪のヨドバシカメラに立ち寄る。修理なのか初期不良なのか分からないので、店員に聞く。すると、確認を取ってくれて初期不良の対応をしてくれる。ところが、交換するにもCaplio R6は生産中止。Caplio R7になっている。

Caplio R6を一度預かって、新しいCaplio R6と交換してくれるとの話だったが、それだと数日間使えなくなる。私としては差額を払ってCaplio R7にしてくれたら助かるということを話した。

そしたら、マネージャーが、そのままCaplio R7で交換すると言うではないか。びっくりした。すごいぞヨドバシカメラ。

            ◆

ということで、新型Caplio R7を使うことになった私である。新型は有効が素数が100メガピクセル向上しただけかと思っていたが、いやあ、明らかに質が向上している。画質が鮮明である。暗いところでの撮影も良くなっている。

なんとも、災い転じて福となすである。

2007/12/08

ファイナルであった

ディベートの授業は、団体戦のファイナルであった。ジャッジをどうしようかと考えていた。私はある時期から生徒の試合については、極力ジャッジをしないようにしてきている。

生徒同士のジャッジが終わった後、
「それでは池田先生のジャッジです」
というガイドに従って、ジャッジをするのは結構気持ちがよかった。
『諸君の判定では、〜だが、私は〜だ』
というのも気持ちがよかった。

だが、ある時に気がついた。
これって、水戸黄門じゃないかと。

            ◆

私たちは、民主主義の時代に生きている。封建時代ではない。自分の意見をしっかりとだし、それを真剣に聞く人がきちんとその評価を下し、行動の方針を決めるという討議を大事にするのが民主主義だ。

ある人の価値観、判断で物事を決める時代に生きているのではない。だとすれば、先生が生徒の授業での試合に入っていって、ジャッジをするのは違うのではないかと考えるようになり、それからは本当にしていない。

            ◆

だが、そうすると私のジャッジを見せる機会もなくなる。ジャッジの見本を見せにくい。ディベートのビデオで瀬能さんのジャッジを見せることもできるが、やはりライブの試合でジャッジを見せたいと言う思いもある。

で、今回は考えた末、梅本先生にお願いした。
ファイナルに相応しい試合であり、素晴らしいジャッジをして頂くことが出来た。これで学生諸君は、ジャッジのなんたるかを理解することもできたはずだ。

さらに勝っても負けても、実力をつけることができたと学生は実感していた。なかには、これは必修の授業にするべきだという学生もいた。私もそう思うf(^^;。

このあと、今までの議論を小論文にまとめ、授業は終わる。

            ◆

来年度のシラバスを一応書き終えて、夕刻から、学科の忘年会を行う。
三条に繰り出して、和食で楽しむ。

いやあ、いいなあ。
教育の専門家集団の交流。
「池田さんは、〜がまだ足りないと思う」
なんて話をしてくださる。

私は
(へ? やっているけど)
と思うのだが、ベテランから見るとまだまだとのこと。

昔の私だったら、ここで喧嘩だ。が、今の私は、そういって名指しで指摘してくれる人の意見は大概正しいと言うことを理解しているので、ありがたく
(んじゃあ、しばらくその観点を注意してやってみよう)
と思えるようになってきたので、喧嘩よりは感謝になっている。

            ◆

さ、年末に向けてもう一仕事、二仕事だ。

2007/12/07

ジンと胸に来る

次の日曜日に行われるディベートの講座のテキストと資料をやっと作り終えて、午前中に主催者に送付。ふう。3時間のディベートということで、基礎の基礎しか扱うことは出来ないが、ディベート的なものの考え方と、いくつかのスキルを学び取ってもらえれば嬉しいなあ。

            ◆

午後は、家で研究に勤しむ。本を読む。
そして、休憩もかねて娘と奥さんと近くの近江神宮に参拝。地元の神社にまだお参りをしていなかったのだ。

近江神宮は、天智天皇を祀っている神社で、時計とか百人一首大会にも関係する神社である。
まだ、紅葉が残っていて美しい景色の中で、祝詞をあげてもらった。
「すこやかに、心直く、若竹のように」なんてことばが祝詞から聞こえてきた。東京では大国魂神社で多くの赤ちゃんたちと一緒だったが、この近江神宮では、私達だけ。

しーんとした祭殿で、厳かにこの土地での初宮詣を行った。
ジンと胸に来る。

            ◆

そろそろお喰い初めだなあ。


2007/12/06

いやあ、大人になったものだ

研究入門ゼミは、コース別に合同ゼミ。幼児教育コースも児童教育コースも現場にボランティア実習に行っているので、その報告会。さらには、それを元にしてディスカッション。

私がいうのも何だが、保育・教育の現場に出掛けていくことで、学生たちは自分の力不足を感じ、勉強しようと言う気持ちになっているのが、良くわかる。一回生のボランティア実習、二回生の間接実習、三回生の本実習と確実に力を付けていってほしい。

            ◆

授業後は、会議が3つ。その後、事務仕事を集中してやって、大学互助会による忘年会であった。流石にこの時期に忘年会というのは、どうも実感がわかないが、年に二回でも大学の教職員が一堂に会して、親睦を深めると言うのもいいことである。

お腹の体調が悪いことと、仕事が終わっていないこともあり、おしとやかに忘年会に参加して、今年は一次会だけで失礼した。ここで翌朝までということになると、次の日の午前中がつぶれてしまうので、これは避けようと言う思いが働いた。

いやあ、大人になったものだ。

2007/12/05

ディベート大会観戦のご案内

ディベートの大会のご案内をします。観戦希望の方は、どうぞ足をお運びください。

            ◆

【近畿地区 2007年冬季交流大会】

主催 全国教室ディベート連盟近畿支部

日時:12月16日 10時〜17時(予定)
会場:滋賀県立膳所高等学校(京阪膳所本町駅下車徒歩1分 山科駅から最短で19分。かかっても26分)
論題:

<高校>
「日本はODA(政府開発援助)を廃止すべきである。是か非か」
・付帯文
※「ODAを廃止すべきである」は「全面廃止」とし、「部分廃止」は認めない。

<中学>
「日本はたばこの自動販売機を撤廃すべきである。是か非か」
・付帯文
※すべての事業者に自動販売機撤廃を義務づける
※2010年までに撤廃を完了する。

なお、観戦は無料です。

2007/12/04

模擬授業の全四回が終わった

国語科教育法2で行っていた模擬授業の全四回が終わった。
学生たちは、この模擬授業を作ることが、私の国語科教育法2でのひとつの山となっている。

今回は、小説、詩、評論、古文と4つのジャンルで模擬授業に取り組ませた。だいたい4〜5人でグループになり、指導案を考え準備して挑む。実際の中学校の国語の教師になれば、一人でこれらのジャンルを担当することになる。他にも文法や書写なども指導する。その前に、グループでひとつのジャンルを担当させたのだ。

教育実習では、ジャンルはひとつだが準備も一人でやることになる。

            ◆

多くの学生は、グループで準備することの大変さと有り難さを実感している。大変さは準備の時間が合わないこと、意見が一致しないことに起因し、有り難さは自分では出てこないアイディアに接することが出来たことと自分だけでは粘りきれないことを粘れたことに起因する。

学びを続けること、学び合うことで自らが高まっていく実感を得ると言うことは、非常に気持ちの良いものである。それを実感させることができて良かったと思う私である。

            ◆

四回の模擬授業を見ていて、本学の国語科教育法を受講している学生たちの懸命さが伝わってきたことがある。それは、一回目の授業で指摘したことを、次に行う二回目の学生が直そうと挑戦し、二回目の学生に指摘したことを三回目の学生が直そうとしていくという、良い連鎖が生まれたことである。

であるからして、四回目の学生はプレッシャーも大きいが、指導案のレベルでは随分と良くなった。これは小さく自慢して良いことである。

            ◆


さて、来週からはまた私の講義に戻る。
あと4回でこの授業は、お仕舞いである。

早いなあ。

my home

授業を終えて、久しぶりに我が家に戻る。
手を洗いうがいをしてから、娘を抱っこする。

私の顔とか声とかは、娘の長期記憶に入っていたようで、嬉しそうな顔をする。
抱っこと言うのは、される側だけではなく、する側にも喜びを与えるものだと改めて思う。

            ◆

我が家という言葉が、以前には my house であった部分が大きい。だが、このところは、my home になってきているなあと思う。

            ◆

日本対台湾の野球の試合を見る。
久しぶりに、野球の面白さを実感させてもらった。

星野監督は凄いなあと素直に思う。
60歳か。
最近この年齢の人たちですげーなーと思う人たちに出会ったり、学んだりしている。小田和正さんも60歳で自己ベスト2がオリコン1位だ。

「池田さん、男の仕事は40代、50代だよ」

と嘗て30代の前半の時にご指導頂いた校長先生はおっしゃっていた。
(そうか、そろそろなんだなあ)
と思う。

150000は?

今日中に150000ヒットが出ますね。
ヒットした方、前後の方。
書き込みをお待ちしております(^^)。

2007/12/03

岡山へ 2

12/2 岡山二日目。

教職希望の学生に向けてのパネルディスカッションと岡山政経塾での勉強会であった。
パネルディスカッションのテーマは、「面白くて力がつく授業」「これからの道徳教育」というもの。岡山政経塾では、教育分科会のメンバーの方の取り組んでいるテーマに絡めて、今の教育が抱えている問題について話し、質疑を行う。どちらも、3時間以上たっぷりと行う。

夜は、懇親会で沖縄料理を堪能し、ワインも堪能する。

            ◆

12/3 岡山三日目

憧れの「直島」に向かう。
いやあ、凄かった。地中美術館にベネッセミュージアム。さらに、夕日。
ここに一週間ぐらい滞在して、この風景、風、そしてアートを感じていたいなあと思う。

良い時間だった。

夜は、懇親会で魚料理を堪能し、ワインも堪能する。

            ◆

書き出すと切りがないので、メモ程度の記録とする。
いやあ、ありがとうございました。
お世話になりました。
いい三日間でした。

岡山へ 1

12/1

金曜日の授業を終えて、岡山に向かう。本当はMINIで高速を走っていく予定だったが、つかれと睡眠不足が分かったので、急遽新幹線に切り替え。これが正解だった。新幹線のなかで30分ほど熟睡。疲れが少し取れた。

            ◆

岡山では教師を目指す若者にむけて、教職対策講座を開かれている河野先生にお招きを受けて、講座をすることに。講座は40人ぐらいの参加。21:00から24:00までの講座であった。時間帯も時間帯なら、やるほうもやるほうである。

しかし、こういう努力をしている学生や、非常勤講師の人たちがいるのであれば、お招きを頂いたのであれば、やれることをやろう。

            ◆

講座修了後に、「軽い」飲み会。どうやら岡山では「軽い」の定義が、私の理解とは違うようであるf(^^;。 ま、でも楽しく飲めました。私のこのブログを既に読まれている方や、知り合いの先生の教え子であった方などもいて、世間は狭いと思うのでありました。

ただ、三日間も断酒した割には、お腹のちょうしがあまりよくなくて、量は控えめに過ごす懇親会でした。私も大人になったものだ。

« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »

2022年3月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31