更上一層楼
先日、体験作文の書き方についての指導方法を、「関西ネタ研」でお話しさせて頂いた。
「作文で、『書け』『思った通りに書け』『丁寧に書け』というのは、指導でしょうか? 私は命令ではないかと思っています(^^)。例えば、家庭科の先生が調理実習で、『さあ、今日は調理実習でカレーライスを作りますよ。作れ』とは言わないですよね。でも、なぜか国語の作文では『書け』なんですよね。私はこれはおかしいと思うのです」
と話した。
そしたら、びっくりしたことに家庭科の先生が受講されていて、感想を頂いた。
引用開始 ーーーーーーーーーー
作文は、料理に似ている?
ということですが、私は家庭科の教師ですので、調理実習を指導する時の事を思い出しました。
まず、作るメニューに使う材料に含まれる栄養や、選び方、調理実習に必要な持ち物、心構え、手順、準備,購入についてと、実習に至るまでに指導や準備する事が本当にたくさんあります。
クラスで気軽に感想文や体験分を書かせていた事が、かなり無謀な事だった事が良くわかりました。
引用終了 ーーーーーーーーーー
私の仮説は証明された事になるf(^^;。
◆
中学生の頃、私は文章を読むのが得意であった。声に出して読むと言うのではなくいわゆる読解である。作者が何を言いたいのかなんてことは、割と良く当てていた。
だが、入試問題等を解いているとき、
(うーん。何を言いたいのか分からない)
と思える文章に時々であった。
そのときの私は、
(あー、流石に大人の文章は難しいなあ。理解できないんだなあ)
と思っていた。
◆
が、問題を解説してくれる先生から衝撃的な台詞が出た。
「あー、これは非常に良くない文章ですね。何を言っているのか分かりませんねえ」
(え? オレが悪いんじゃなくて、文章が悪いの?)
純朴な中学生であった私は、悪いのは私という固定概念が出来上がっており、文章が悪いなんてことを疑う事もなかった。
◆
子どもは往々にして私のような傾向にあるかもしれない。
以前、親の離婚を経験したことのある、成人した芸能人が言っていた台詞だ。
「親が離婚したのは、自分の所為だ。自分が悪かったから離婚したんだと子どもは思いがちなんです。だから、そんなことないよ。親には親の事情があって離婚したんであって、君の所為ではないよというメッセージを送ってあげないとダメなんですね」
子どもは、できないのは自分が悪いからだと思うことが多いように思う。大人もできないのは子どもが悪いからだと思うことが多い。確かにそういう場面もある。しかし、私の経験では「子どもが悪いから出来ない」となったときに、
(いや待てよ。もう少し工夫できないか?)
と考えたとき、工夫できる余地は結構ある。
子どもを甘やかすのではなく、出来るものとしての大人が、子どもに考えることを求めつつ、その子どもが持っている力を出せばなんとか出来るようにするような工夫がある。
ここをあれこれ考えるのが、プロとしての教師の仕事なのだという誇りを持ちたいと思ってきた。
◆
今年も後少しで終わる。
今年度の大学での残りの授業も、あと3回程度だ。
引用開始 ーーーーーーーーーー
登鸛鵲楼 かんじゃくろうにのぼる
王之渙
白日依山尽
黄河入海流
欲窮千里目
更上一層楼
白日山に依って尽き、
黄河海に入って流る。
千里の目を窮めんと欲っし、
更に上る一層の楼。
引用終了 ーーーーーーーーーー
そんな自分でありたいと思う。
今年もお世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。
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コメント
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今年もありがとうございました。
来年も何度かお会いできると思っています。
そのときにはいろいろお話をお聴かせ下さい。
良いお年を。
投稿: フルニシ | 2007/12/31 13:27
おめでとうございます。
今年は、春の成蹊大学、夏の東北福祉大学でネットワークの大会ですね。今年もよろしくお願いいたします。
投稿: 池田修 | 2008/01/03 09:42