「クリスマス断食」
家族で過ごすクリスマス。
日中は、近くのレストランのガーデンまで娘を抱えて散歩。
時雨れた空模様は、奇麗な虹をプレゼントしてくれた。
ランチとディナーの間の時間値だけに、お気に入りのガーデンにはお客さんはいない。
貸し切りである。
琵琶湖を目の前にして、ひなたぼっこ。
夜は娘に、初めてのプレゼントを渡し、生まれて来てくれたことに感謝。
当然娘は、なんのこっちゃという顔をしている。
ただ、抱っこをしてくれることを一番の喜びにしている。
◆
サラリーマン、家族、恋人、友人と、日本のクリスマスの対象は変わって来た。今は、仲間なのだろうか。私の青春時代は、ユーミンによる恋人のクリスマスが全盛であったが、バブルの崩壊とともになくなっていったなあと感じている。
思うに、クリスチャンではない私がクリスマスを楽しむのは、美味しいものを食べられる、プレゼントをもらえるということがメインであった。そして、それを楽しむのだから固いことを言わずにやればいいと思っていた。
が、このごろ思うのは
(クリスマスがなかった頃の,日本の年末はどんなんだったかなあ)
ということだ。
今は、25日になると一気にスーパーは年末、年始の模様に変わる。昨日までジングルベルだったのにだ。だけど、嘗ての日本は、クリスマスがなくて、じわじわと年末が過ぎ、新年を迎えることになったのだろう。それを、私は実感どころか、イメージすることもできない。
どんなんだったのかなあ。
「クリスマス断食」でもやってみっか。
◆
日本の文化をもう一度考えている年末である。
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