どか雪が根雪を作る
学生が前向きに取り組んだ授業の後は、心地よい疲れが残る。昨日の授業もそうであった。
私の授業はウォッチャーとしての位置ではなく、プレーヤーとしての位置を求める授業が多い。だから、学生たちは授業の準備や授業中の取り組み、まとめは通常の授業よりも多くなる。分かると出来るとの差を埋めるためにトレーニングを重ねることが、学問をする者の基礎を作ると考えてのことである。
急にできるようになるものではない。少しずつである。少しずつ振る雪が一晩で待ちの景色を一変させるのである。ではあるが、どか雪が根雪を作るということもある。私は教職関連の授業を行っているが、大学の授業は、後期だけであればたかだか15回である。この15回のうちに学問の、教師の力量の根雪になる何かを築くことが、大事だと考えてやっている。
昨日の授業では、
「卒業論文よりも、こちらに力を注いだと思います」
などという発言も出てきた。
ま、卒論の方に力を注いでほしいとは思うが、卒論後にこちらに必死だったと言うのでよしとしよう。
この授業が、彼ら彼女らの根雪になっていることを願う。
写真は、晩秋の大学裏の空
« ディベートを教科の授業に | トップページ | メディア断食 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント