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2007/01/05

三人の先生に叱咤激励を頂いた

大学では教師に必要な力として、家本芳郎先生が纏められた三つの力を学生たちに教えている。即ち、管理の力、指導の力、人格の力である。

このうち、前の二つはある程度そのトレーニングの仕方は分かって来たのだが、三つ目の人格の力のトレーニングの仕方は、いまひとつと言う感じがあった。

ただ、一つの思いはあった。もし、人格の力が「徳」によるものであるならば、考えられる方法が一つあると思ったのだ。それは、徳の傍に居ようと心掛けることである。

            ◆

「徳は孤ならず」と言う言葉がある。本来の文言と意味は、

「—は孤ならず必ず隣あり〔論語{里仁}〕徳のある人は孤立することなく、必ずよき協力者にめぐまれる。」(大辞林)

と言うものだが、ここにヒントを得てのことである。

徳のない私が、徳を身につけることができるかもしれない方法は、徳の傍にいればいいのではないかと思ったのだ。

至極当たり前のことだが、人間は習慣の生きものである。世の中にあるすべてのものを一つ一つ、その是非を判断しながら生きていたら、とてもじゃないが生きていけない。今までやってきたことを繰り返しでやり過ごしてきたことがたくさんあるから、スムーズに動いて行くことも多くある。それが習慣だ。

そうだとすれば、その習慣の中に自分を置けばいいのではないかと思うようになったのが、十数年前のことだ。「朱に交われば赤くなる」「笑顔の人の周りには、笑顔の人が集まる」ということだ。これは、恩師やいい仲間たちに恵まれたことから出会えた考えである。

            ◆

当時私は、月に一回自分の実践を文章にしてサークルの仲間たちに見てもらうと言うことを繰り返していた。自分の実践を批判的に見てもらおうなんてことは思っていたかどうかは分からないが、サークルの先輩の先生たちは私の実践を楽しんで批評してくれた。それが楽しくて文章にまとめては、参加していた。

これが、私にとっては当たり前のことであった。そして、今から考えるとこれが凄いことであったと思う。

何が言いたいかというと、外側から見ると厳しいことであっても、それが当たり前になってしまうと、良循環に乗ってしまうとなんでもないということを教師になって最初の頃に実感できたことが、今となってはとんでもなく大きな財産を手に入れていたと言うことなのだ。

            ◆

人間は、習慣の動物であるがそれは環境の動物と言うことでもある。この環境に関しては、

環境に染まる・・・朱に交われば赤くなる。
環境に染まらない・・・掃き溜めに鶴。

という二つの諺がある。私が体験したのは、前者の方だ。そして、その赤は一見大変に見えるのだが、やってみれば結構出来てしまうと言うことであった。だから、何か自分に足りないものを手に入れる時には、この環境に染まりやすい私、流される私を、その良い環境におくことで、自然に育ててもらえるように出来ないかと考えたのである。

            ◆

私に徳がないのであれば、徳の傍に身を置く。そしてその徳によって私を感化してもらい、あわよくばそれが私にとっても当たり前のこととなるのを待つ。私にとっては極めて自然の方法である。

徳の傍に身を置く方法は二つ。一つは、読書である。読書によって古今東西の徳の傍に身を置くことが出来る。さらにもう一つ。それは、徳のある人の傍に行くことである。

正月の帰省で恩師の自宅を回っているのは、この徳の傍に身を置きたいということも理由の一つである。

            ◆

今日は、15年ぶりに学生時代の私を叱り続け、鍛え続けてくださったもう一人の恩師、吹野安先生のご自宅まで行くことが出来た。2時間ほどの再会であったが、懐かしい学生時代の話に、これからの私に対して過分な期待の言葉まで頂いて、身の引き締まる思いであった。先生に褒めて頂く日が来るとは思わなかった。

さらに、先生は相変わらずバシバシと世の中を批判されており、口が悪いと感じる言い方さえもあった。が、学生時代には思わなかったことを思った。
それは、
(先生の口が悪いのは、先生が悪いのではなく、悪い世の中を正確に描写するから悪くなるのではないか。先生は純なんだなあ)
ということである。先生をそんな風に思う私になる日が来るとも思わなかった。

            ◆

ご自宅を後にする時、先生はバス停まで見送りにきてくださった。
『先生、来年また伺います。お元気で』
「おう、嬉しかったよ」
それならばと、
『先生、憎まれっ子は世にはばかりますから、来年もお会いできますよね』
とは、やはり怖くて言えなかった。
来年こそは、言おうと固く決意をした。

            ◆

バスが来たとき、昔のあるシーンを思い出した。
私がとある先生を見送っている時、深々とお辞儀をしてお別れをして踵を返したら、怒られた。
「馬鹿たれ、見送ると言うのは相手が見えなくなるまでするから見送るっていうんや。最後まで見送れ」
ああ、そうであった。

バスに乗り込み、私はバスの一番後ろの席まで走った。
先生は、バス停でずっと見送ってくださった。
私は、バスの一番後ろで頭を下げていた。顔を上げて御礼を言ったら良いのか、それともずっと下を向いているほうが良いのか、分からなくなったのでちょっと頭を上げ、また、頭を下げを繰り返していた。

バス停からの道は直線が続き、先生の姿はいつまでも手を振っていらっしゃった。
ちくしょう、先生はやっぱり有言実行だ。
負けられないぞ。

            ◆

時は流れ、そろそろ環境に染まるでもなく、染まらないでもなく、別のことをも考えなければならない年齢に私達の世代はなってきたかもしれない。それは、

環境を変える
環境を作る

である。環境そのものを対象とするということである。これは、「隗より始めよ」なのかもしれない。

これは先生方から指導を頂いたものを元に、次の何かを育てる時期が来たのだということなのかもしれない。過分な期待を頂いた私は、正月気分も抜けないまま、うおううおうと心の中で吠えている。

          ◆

人格の力、どうやって鍛えれば良いのか。これで本当にいいのか分からないが、私にはこの方法があっているのではないかと思う。

藤野先生、竹内先生、吹野先生の三人の先生に叱咤激励を頂いた良い正月休みであった。

4日は恩師の家に

4日は恩師の家に伺う。
卒業生で集まれるものが集まる。もう20年である。
この間の教育を巡る情勢の変化、私達卒業生の変化は凄いものがある。

大体からして4日は、日直でない限りは自宅研修や休暇を取っていたのが普通であったが、今は学校で仕事ということになっている仲間が多い。私はこの一日を学校で仕事をするよりも、先生の家であーだこーだと仲間たちから文句を言われ、先生に解説をして頂く方がとても勉強になるので、こっちに参加をするが、それが許されない仲間たちもいるかと思うとうむむと思ってしまう。

            ◆

そう「あーだこーだと仲間たちから文句を言われ」なのである。このゼミにおける私のポジションは仲間たちから文句を言われというところにある。ゼミの仲間たちは私が何かを言うと、
「池田、お前本気でそれ言っているのか?」
とさんざん言われた。そして、今でも言われている。

私としてはそんなに荒唐無稽なことを言っているつもりはないのだが、そして実際にそういう実践をやったりしてきているので実現不可能でもなく、意味のない実践をしてきているわけでもないと思う。

しかし、基本スタンスは「あーだこーだと仲間たちから文句を言われ」なのである。学生時代はまあ、
(ふ・ざ・け・る・な)
と思うこともあったが、今ではそれをきちんと説明できれば良いのだとか思うと同時に、まずは否定してくれる仲間がいることがありがたいなあと思う。

            ◆

学生は授業と担任をするつもりで、先生になるのが一般的であろう。それは私達の時代も今の時代も変わらないだろう。もちろん、クラブで自分のチームを育てたいというのもあるかもしれないが、それも十分に分かる。

だが、実際に教師になってみるとその仕事の量の多さと、種類の多さに面食らう。授業と担任とクラブなんてのは、出来て当たり前。それ以外の行事の指導や校務分掌やららで時間を奪い取られる。

そんなことをしながら、仕事を覚えて学校の波に乗れたかと思うと、転勤が待っていて新しい学校のしきたりを覚えつつ、また1から始める。もちろん、授業等は今までの積み重ねがあるから1からとは言えないが、まあそんな感じだ。

これを繰り返し、いつの間にか教師としての力量を身につけて行くというのが私達の時代の教師であったが、さてこれからはそれでいくのだろうか。いろいろな学校のいろいろな事情を聞きながら考えている。

もちろん20年前には私が大学に行くとは思っていなかったように、仲間たちの人生にもいろいろな展開があり、そこから紡ぎ出される言葉に
(いやあ、人生ってすげーな)
と思う私である。

            ◆

「私が大学時代に思っていたように育ったな」
「立派になったよ、いや本当に」
「良い授業をするようになったな」

お年玉にしては多すぎる言葉を先生からも頂いた。
また、課題も頂いた。
うっしゃあ。

2007/01/04

正月三が日の私

1/1

あけましておめでとうございます。
うららかな春の日差しに包まれたいい元旦になりました。

なんとなく
ことしはよいことあるごとし
元旦の朝晴れて風なし

石川啄木の短歌であります。
私も好んでこの歌を短冊に書きましたが、今年初めて帰省した奥さんの実家の床の間には、書家だった奥さんのおじいさんの色紙が飾られてました。こういうのを縁と言うのでしょうか。

            ◆

さて、年頭所感と言うのでしょうか、今年のことを考えましょう。私は三つのカテゴリーに分けて自分のゆく方向を考えるようにしています。

1)やりたいこと
2)やらねばならぬこと
3)やってはいけないこと

です。もう一つ、やったほうがいいことというのもありますが、まあ、この三つのカテゴリーで考えて、それぞれを10個ぐらい書き出して、その内の上位の二つをやればいいとしています。いわゆるパレートの法則ですね。

正月はじっくりと考えてみたいですね。

            ◆

午後から私の実家に行き新年のご挨拶。
弟家族が来るまで年賀状書き。
半分ぐらいは完成かな。

今年こそは、年内に年賀状を書かねばと、2)の候補を思い出す。割と身近な目標である。

            ◆

甥っ子がやってきたので顔を出す。
すると、もの凄い泣き声。
なんだ? 誰があやしてもダメ。
虫の居所が悪いのか?

買い物から帰ってきたら少し直っていた。
まったくねえ。
2歳ってのは人生の中で一番王様でいられる時期だからなあ。

甥っ子と言うのは、おじさんに似るというがこの甥っ子も、私の小さい頃に似ている。特に下を向いているときが似ている。横を向くと、私の従兄弟に似ている。面白いなあ。

風呂も好きだから、いつか温泉にでも一緒に行くか。

            ◆

この日は、久しぶりに私の実家に宿泊であった。
読書、風呂、酒、会話、食事、そして寝るという極めて落ち着いた元日であった。

1/2

二日目は、奥さんの実家で新年の会。
なんだかんだで10人が集まる。子どもたちが走り回る。凄い勢いだ。

お屠蘇を飲んで食事をして、百人一首をして、今年は書き初めをした。一人一言何かを書く。年に一度ぐらい墨をすって筆で半紙に書くと言うのも良いもんだ。

私は「芽」と書いた。
これからいろいろと伸びて行ってほしいものがあるからね。

気がついたら、酔っぱらい。
そのままおやすみなさいであった。

1/3

三日は、午後から私の卒業生の新年会。
聖蹟桜ヶ丘の中華料理店で行う。

この新年会の前に、以前住んでいたマンションにいらっしゃる敬愛する先生のところにご挨拶に伺う。歴史学の重鎮中の重鎮の先生である。

来年80歳になろうとしている先生は、お元気そのもの。嘗ては都立高校に勤められていて、高校教員の研修日を法的に獲得し、戦後初の論文博士になられた先生である。矍鑠として研究の姿勢についてお話をしてくださる。

私の分野や仕事の質とは全然違うが、学校現場で10年近く活躍され、それから大学に進まれたということでは、大先輩に当たる先生だ。

年に一度、30分でもこうしてお話を伺えるのは、とてもありがたい。先生も、私のことを子分のように思ってくださっているので、私も嬉しい。たくさん学ばせて頂いた。

            ◆

集合場所の駅に向かうと、懐かしい顔が揃っていた。
お店の時間にちょっと間があったので、遠回りして河原を見てから店に向かう。
久しぶりの聖蹟桜ヶ丘の河原は、相変わらず気持ちがよかった。深呼吸。

店に行くと、広い会場に通される。50人ぐらい入りそうな部屋だ。今日は20人弱集まるが、そりゃあ広い。

おなじみの顔、久しぶりの面々と楽しく近況を語り合う。
塾で、中学校でと教えた子どもたちが成長し、こうして年に一度顔をあわせながら近況を語り合う。良い時間だ。ここにやがて大学で教えた学生たちも入って来るんだろうなあ。

いくつかのサプライズもあったが、ここには書けない。うーむ。
にしても、年上のメンバーの方が良く動くのはどういうことであろうか。
若者よ、腰を上げて動けよ。

       ◆

二次会はカラオケに。
ここでの状況は、さらに書けないf(^^;。
ただ、演歌の神様、ロックの神様、フォークの神様、ディスコソングの神様などいろいろな神様があの部屋には舞い降りてきて、そりゃあとても上着なんか着ていられない。
記念写真禁止令を出して、思い切り楽しむ。

そして、・・・・。うーむ、書けない。
ただ、とっても新年会になっていたとだけ書いておこう。

さらにあちこちに行きラーメンも食べ、私は帰路につく。
意気投合したメンバーは、もう一件(もう二件?)行くと言っていたので、私は改札口で別れた。

成長するものを見続けることが出来るのが、教師の仕事の楽しみだが、ここまで楽しめるとは、私は幸せだ。

来年、また元気に会いましょう。

2006/12/31

良いお年を

年賀状を書いて印刷してという実に私らしい大晦日である。
自慢じゃないが、夏休みの宿題を8/31前に終わらせたことなんて一度もない。

ではあるが、今年はうっかりと締め切りを間違えていたもの以外の原稿は、きちんと締め切りまでには書けたと思う。人間は、少しずつ成長もするのだ。

            ◆

嬉しいことが続いて起きている時は、その幸せの感情を色々な人にお裾分けすることが大事。自分だけで独占しようなんてふうに思っていては、ダメ。嬉しさの感情の流れを作るようなことが大事。実にそのように感じるこの一年であった。

京都・滋賀というのは、まあ神社仏閣の多いところで、桜と紅葉を見て歩いた今年は、今までの人生でお参りしたのと同じぐらいの神社仏閣にお参りしたのではないかと思う。

そんなんであれば、宗教についても考えることが多くなる。
今、凄いなあと思っているのは仏教である。
これは行動のための哲学のように感じている。

特に浄土真宗の他力という考え方は、「人の力に任せる」ではなく、「宇宙の意志に乗る」というようなものであって、そういうのがあるかもしんないなあと感じさせる何かが、京都・滋賀にはある。

            ◆

「科学的に考えたら、それはありえない」
というのは科学的ではなく、「科学的に考えたら、それは今のところよくわからないが、あなたの人生とそれがどう関連しているのかを話してみて」と言えることが科学的であると内田樹先生は言う。

そうやって科学は人と重なり合いながらアウフヘーベンし、いよいよ宗教もそのアウフヘーベンの領域に取り込もうとしているのかもしれない。いや、宗教がいよいよ科学に挑戦してきているのかもしれない。

遠藤周作さんは、「21世紀は科学と宗教の融合の世紀になる」と予言してこの世を去ったが、実にそうなのかなあと思う。

            ◆

さて、これから年越し蕎麦を頂いて、いつもとはちょっと違った大晦日だ。
来年も、みなさんにとって良い年になりますように。

追伸:
http://homepage.mac.com/ikedaosamu/thisyear.mov
に今年であった風景をまとめた小さなムービーを載せました。
正月だけの限定です。興味があったら見てみてください。

七味五悦三会 2006

一年を振り返るわけであるが、こういうのは来年の今頃になってやっても出来ない作業なので、取り残しがあるやもしれないが、年内にやっておくことにする。

私が好んでやるのは、七味五悦三会(しちみごえつさんかい)である。簡単に言うと、一年間に出会った七つの美味しいもの、五つの喜び、三つの出会いを思い出し、「良い一年だったね」と確認する江戸時代の庶民の振り返り方である。

悪かったことをカウントアップせず、良いことだけを思い出し、良い一年だったと振り返る。なんともすばらしい振り返り方である。

中学校から大学へ、東京から京都・滋賀へと移った区切りの年である。記録しておこう。

            ◆

ということで順不同ではあるが、

七味

・ 「王将の餃子」

いやあ、京都の楽しみはやはりこれでしょ。時々ある一人前105円のときにごっそりと買ってきて、冷凍庫に保存。麦酒と餃子。ああ、美味。

・ 「京乃一滴(きょうのひとしずく)」

京都に引っ越してきて最初に住んだ三条東山にあるそば屋で飲んだ日本酒。白川を見ながらテンプラそばの「ぬき」を頼み、ぬる燗でちょびちょび。あ〜、京都に来たんだなあと思った。

・ 「京料理」

藤や:京都の日本料理は、数が多すぎて何処に入ったら良いのか分からない。紹介してもらえないと分からない。が、ここは紹介してもらって通った。あまりに美味しかったので、二週間連続で通ってしまったこともある。ショウガご飯が絶品であった。


いし田:これも紹介。祇園で食事なんてありえないと思っていたのだが、決行。一つ一つの料理が食べてしまうのがもったいない造り。時には奮発も良いものだと思った。

・「京都橘大学生協 野菜炒めライス」

わが大学の学食の野菜炒めライスである。塩加減が絶妙である。今年の最後の生協の昼食のメニューもこれにした.私を待っていてくれたかのように、最後の一皿であった。続けて「あ、私もこれを下さい」と頼んでいた森○くん、すまん。人生は厳しいのだよ。

・「刺身」

「大津は、サバ寿司ぐらいしか魚はない」と東京の知り合いに言われて、がっかりしていたがなんのなんの。それは江戸時代の話。今は、凄いことになっている。敦賀・小浜などから日本海の魚、津などから太平洋の魚、明石などから瀬戸内海の魚と三つの海から新鮮な刺身を味わえる。こんな土地は、日本中でもなかなかないんじゃないかな。明石に昼間あがったサバが、夕方には私の家の食卓に並ぶのですから。
その中でも、小浜は二回通ったが、凄かった。「赤ちょうちん」というなんの変哲もない店で食べたサバの刺身は、衝撃的であった。ああ、来年は岩ガキを食べに行こう。筑田さん、一緒にね。

・「すぶる」

西大津が誇るタイ料理の店。いやあ、うまい。ランチ980円のバイキングがお得。でも、本命は、ワタリガニの卵とカレー炒め、2300円。絶品。

・「和菓子」

なんというか、変なしつこさがないのが京都の和菓子。和三盆を使っているとかなのかもしれないが、京都駅の駅ビルの地下で売っている蓮根を使った黒いお菓子(ああ、名前が出てこない)が上手い。もちろん、一緒に頂くお茶も美味。一保堂のほうじ茶、さらには玉露の粉茶。美味。

みなさん、京都にお越しの際はご案内しまっせ。

            ◆

五悦

・「BMW MINI COOPER S」

言うまでもない。
新型が出るが、私は敢えて現行型で行きたい。
1600CC,170馬力。スーパーチャージャー付き。
細かい不満はないわけではないが、それを上回るすばらしさがある。
毎日イグニッションキーを回すのが、こんなに楽しいとは。
移動するではなく、走る、操縦するというのがクリアに分かる車である。

・「桜・紅葉」

京都・滋賀のこれには参った。たくさん回ったつもりだが、まだ京都の西の方や北の方は見てない。これは来年。だが、東と南。さらに滋賀県の湖西は随分楽しんだ。これで地方からのお客さんもご案内できまっせ。お仲間のみなさん、来年は一番いい時期にお越しやす。ご案内しまっせ。

・「びわ湖」

東京から引っ越しをする時に、一番こだわりたいと思ったのが住環境。東京の家は多摩川のすぐ側で電線のない広い空と、夏の大花火があった。これをなんとか捜したいと思って見つけたのがびわ湖のほとり。塩分を含んでいないべたつかないびわ湖からの風は、ほんとうに心地よい。読書にぴったり。

・「授業」

大学の授業、教職を目指す他大学の学生への授業、高校生への模擬授業、先生方への校内研修会と、たくさんの授業をすることが出来ました。私はやはり授業や授業づくりを通して、いまここにいるんだなあと改めて思いました。私の授業が、人の役に立つのであれば、それは悦びです。


・「読書」

今年は例年よりもちょこっと多い200冊ちょっとぐらいかな。研究と授業の資料の本を買い直したり、買い足したりしていたので、多くなっています。じっくりと読む本と速読で読む本の住み分けをしたいのだが、結局読んでしまうなあ。読み直しも含めて印象に残っているのは、

『1985年の奇跡』
『マネジメント革命』
『不道徳教育』
『夢のつかみ方教えてやる』
『ダッセン』
『授業入門』
『マスターキートン』

ちなみに、繰り返しになるが『こんな時どう言い返す』が、学事出版で瞬間的に売り上げ一位だったのは、嬉しい。

            ◆

三会

・「京都橘大学のみなさん」

仕事を支えてくださる教職員の皆さん、研究室を掃除してくださる用務の方、休日に研究室に行くと冷暖房のスイッチを入れてくれる警備員さん。美味しい食事を出してくれる生協のみなさん。ありがとうございます。あ、頑張っている学生も、まあ、がんばれ。

・京都の先生たち

今村先生、糸井先生、土作先生をはじめ、京都に来て今までよりももっと交流が深まった先生がた。ありがとうございます。教職を目指す学生、若い先生たちを盛り上げて行こうという思いが共有できる仲間がいることを嬉しく思います。また、来年からもよろしく。

・吹野安先生

問題児だった私のことを覚えていてくださって、「何かやる学生だと思っていたよ」と言い、「な、池田先生」と呼んでくださいました。恐縮です。これからも厳しくご指導願います。

            ◆

ということですが、あとは自分のメモのためにもちょこっと「印象に残った仕事」をあげておきます。

・「よのなか」科のワークシート完成
・富山の中学校で飛び込み書写の授業
・守るんじゃーの顧問になる
・楢原中学校の修学旅行生徒に、学生が模擬授業
・夏の集中講義の集中
・京都橘大学児童教育学科開設記念シンポジューム
・シナリオ方式によるディベート指導方法DVD発売
・「児童心理」に執筆

いやあ、よく遊んだ。
よく仕事をした。
感謝感謝。

来年もよろぴく。

彼女に最初に会ったのは

12/30

彼女に最初に会ったのは、私が高校三年になる春休みだった。四月から使う教科書を買いに高校に行ったときであった。

そのとき、仲間から凄いことを聞いた。なんと薬師丸ひろ子が、いま「翔んだカップル」の映画撮影でここにいると言うのだ。しかも、サインを貰えると言うのだ。

慌ててサインをしてもらえるものを探す。が、ない。
ないので、教科書にしてもらうことにした。ということで、私の現代国語三の教科書には、薬師丸ひろ子のサインがあるのだ。楷書体のかちっとした字だった。

特に彼女に興味があったわけでもなかったので、正直そのサインを手にしても、
(フーン)
であった。人気のある人のサインを貰ってみたかっただけかも知らない。今からだとそう思う。

で、そのときに初めて彼女を見た。「翔んだカップル」の杉浦(村?)さんの役をやる女の子だと言う。サインが書かれた教科書を受け取りに行った、いつもは私達が授業を受けている教室の「控え室」に彼女はいた。薬師丸ひろ子のサインのある教科書の別のページに、サインをしてもらい握手をした。

とっても小さくて、とっても柔らかくて、とてもあたたかい手であった。
太い眉毛に柔らかな瞳。
(いや〜、芸能界って凄いのね。こんな子がいるのね)
いたく感激した。

彼女の名前は、石原真理子である。

            ◆

それから彼女のことを何とはなしに追いかけるようにテレビも見ていた。ドラマでも
(を、出ているな)
(ん、少し大人びたな)
なんてぐらいである。

それからいろいろなスキャンダルに巻き込まれたり、巻き込んだりして、彼女はどこかに行ってしまった。写真集を出したが、買うこともなかった。そして、今年は例の暴露本である。ああ、あの時の彼女はどこに行ってしまったんだと思った。

芸能界なんかに巻き込まれなければ、彼女は彼女のままでいたんじゃないかとも思った。

            ◆

で、その彼女に昨日会ってしまった。
所用があって渋谷の街を歩いていたのだが、渋谷のロフトの前の交差点で信号を待っている時である。

渋谷のみそかである。そりゃあ、凄い人であった。が、私はその信号待ちの人ごみの中に彼女を一瞬で見つけてしまった。で、バシッと目が合ってしまった。ほとんど、織田哲郎の名曲、「ルーシーマイラブ」である。って、誰も知らんだろうけど。

その瞬間彼女は、その信号待ちの人ごみとは反対方向に歩き出していた。
(ああ、なんか用事でも思い出したのかな)
と思ったところ、彼女はそこに立ち止まり信号が変わるのを待ち続けた。
(ん?)
と思ったときに信号が変わった。私は駅の方向に坂を下って行くつもりであったが、彼女のことがちょっと気になり見ていた。すると、彼女は信号が青にならなくて行ける方向、駅に向かって右側、スペイン坂方面に向かって、一人で、歩いて行った。

その間30秒ぐらいであろうか。
あんなに人が多い中に、白い帽子、白いコート、少し短めのスカートを履いてロフトの黄色いビニール袋を持っている彼女が、その渋谷の人ごみの中に隠れてしまっていること、周りの人がまったく気がつかないことに、驚いたり、当たり前のように思ったりしながら、一人で、歩いて行く彼女を見ていた。

            ◆

それは、彼女のオドオドした瞳が気になったからである。誰かに見つけてほしい、だけど、大声をあげられたりしたら困る。一人で時間を過ごすのは嫌だけど、普通の一人として扱われるのは嫌。私は特別な人間なの。そんなことを訴えているような瞳、体の固さが気になったのだ。

そりゃあ、年齢がくれば変わる。人は変わる。
だけど、残酷だなあと思った。
あのあとの20数年がこんなふうに人を変えるのか。

年末の渋谷の街で、目が合った一人のオジさんが、実は、あなたがデビューした時に握手をしたことのあるオジさんであるなんてことは、彼女はまったく分からない。
彼女はこれからどうやって過ごすのかなあと思いながら、私は新宿に向かった。

人生は味わい深い。

450KMを一気に走る

12/29

朝6:00に起きる。
風呂を沸かし、朝ご飯の用意を始める。まだ、外は暗い。

風呂の後朝ご飯を食す。だんだん、そらが光に包まれてくる。
ああ、いい天気だ。

            ◆

なのに、なんだよ。
ベランダの花木に水をあげようと思ったら、雪じゃないか。しかも、結構な雪。
今日は東京に車で戻る日だぞ。

ガソリンを満タンにし、タイアの空気圧を確認し大津ICから名神に飛び乗る。しかし、関ヶ原まではどうしょうもなく動かない。
(ああ、これが今年はやりのノロウイルスか)
と、くだらないことを思う。

            ◆

関ヶ原を越えて、長野県に入るぐらいでやっと道路の雪はなくなる。ところが、融雪剤が飛び散って車は汚れ放題。これは参った。

参ったと言えば、中央道の山々である。南アルプスと中央アルプスの間を走る中央道であることは分かっていたが、こんなに見事に山並みを見るドライブは初めてだ。すごいの一言である。

車に流れる音楽を消し、エンジンの音を楽しみながらその雄大な景色を堪能する。そうか、こうなっていたのか。すんごいなあ。

            ◆

昼ご飯も食べずに運転していたので、諏訪SAでモスバーガーを購入。諏訪湖もきれいだ。八ヶ岳もきれいだ。そうとなれば、以前からなんとかしようと思っていた、あそこに行くしかない。「諏訪SA温泉」である。

サービスエリアの中にある温泉と言うのは、ここだけかもしれない。いつも入りたかったのだが諸般の事情で入れなかった。今回はあの美しい景色に誘われるままに、入った。

二つの浴槽があり、熱いのとぬるいのがある。熱い方が景色がいい。できればぬるい方に切り替えてほしかった。

            ◆

短い時間ではあったが堪能して、温泉を後にする。
風呂上がりは気持ちよくなるので、いつもより多めに休憩を取って、人生初めての帰省を果たした。いやあ、450KMを一気に走るのは、気持ちよいものだ。

二つの醤油差し

12/28

この十年ほど、我が家の醤油は決まっている。
醤油は日本料理の土台であるため、これが定まらないとその家の料理は定まらないと言えるだろう。

我が家の醤油は「キッコーゴ丸大豆しょうゆ」である。東京の秋川で作っている醤油で、原材料は「大豆、小麦、食塩」という至極当たり前のものである。

京都には京都の醤油があるが、こればかりは変えられないなあと思い、買いだめしてこっちに持ってきてある。

            ◆

通常は1リットルのガラスの瓶に入っているのだが、それを小さなガラスの醤油差しと、瀬戸物の醤油差しの二つに移し替えて使っている。

これが非常に心地よい。

通常はガラスの方を使うのだが、ガラスの方は小さいため中身の回転が早い。だから、新鮮な醤油を味わえる。一方瀬戸物の方は少しずつ水分が蒸発するので、味が濃くなって行くのが分かる。

            ◆

こんな小さなことの変化を楽しめるようになったのが、私は嬉しい。

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