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2007/03/15

研究室の引っ越しの準備

午前中は、本年度最後の高校での模擬授業。滋賀県内の高校で行う。余裕を持って出かけたのであるが、車にちょっとしたトラブルがあり、到着がギリギリになってしまった。間に合って良かった。

今年度は、児童教育学科の開設準備のために他の児童教育学科の先生方よりも一年早く本学に着任したのであるからして高校への模擬授業は、私の本務の一つである。しかして、結構回ったなあと思う。

高校生に授業をするのは、今の私にとって苦ではない。どちらかと言えばやりがいのある仕事だ。大阪、兵庫、福井、滋賀、京都と高校を回り、それぞれの土地の雰囲気を感じ、教育を目指そうと本格的に思った最初のタイミングの高校生に授業をするのは、面白い仕事である。

が、ちょっと回数が多かったかなf(^^;。
来年度は、児童教育学科のスタッフが増えるので、私の担当する数も減るだろう。取りあえず、お疲れさん>オレである。

            ◆

午後からは研究室にこもり、研究室の引っ越しの準備をする。研究室にある本棚、その半分の本が段ボールに収まった。引っ越しの日は20日。土日で何とかなるだろう。

この作業をしていて色々なことに気がつく。

久しぶりに体を使って重いものを持って移動するので、筋肉が張る。私は右足を支点にして動く体であるのが良くわかる。

段ボールを組み立てるときに、どのような手順で行えば効率が良くて上手く行くのかを考えながら行っている自分がいた。ルーティンワークのはずなのに、どうにかして効率よく、つまり「手を抜いて」できないかと考えている私がいた。

作業、実技。これらは人間の本音の部分をあぶり出してしまう。口でいくら偉そうなことを言っても、ばれちゃうんだよね。怖い怖い。

            ◆

さて、明日は卒業式だ。
晴れると良いなあ。
娘たちは晴れ着だろうからなあ。

捲土重来の諸君

本学も明日が卒業式である。

中学校の卒業式は何回も経験してきたが、大学は初めてである。楽しく厳しくやってきた教職の娘たちとも、明日でお別れである。自分の希望通りの進路を手に入れたもの、多少不本意であるが納得の行く進路を手に入れたもの、捲土重来を期すものといる。

私は20日の研究室の引っ越しに向けて準備を始めた。本当は卒業式前は研究室を触らないでおこうと思っていた。ま、良くわからないが卒業式前後に彼女らが研究室にやってきたときに、研究室が変わっていたら悲しむかなあと思っていたのだが、私の年度末のスケジュールを確認すると、そんなことは言っていられないことが分かり、昨日のFD学習会の後から片づけに入った。

            ◆

で、本棚一つ片づけただけで
「よし、今日はこのぐらいにしておいてやろう」
と体の痛みからの訴えに応じて止めた。

止めたのだが、どうせ研究室の雰囲気が変わるのならば思い切り変えてやれと、今までに書いていた書道の作品を卒業祝いをかねて、研究室の前と中とに、ダーーーーーーっと掲示。なんか凄いことになった。文字のパワーってのは偉大だ。

            ◆

卒業は、おめでとうなのだが、私は捲土重来を期す学生にエールを送りたい。

自慢じゃないが私は、「勉強が好きだったので」大学を五年やっている。同期に教育の自主ゼミ生は30人いたが、一発で教師になったのが27人。そのうち、なれなかった、ならなかった3人のうちの一人が私だ。

当時聞いていた歌、歌っていた歌が、以下のもの。

引用開始 ーーーーーーーーーー

あの頃のまま 
         ブレッド&バター

6時のタ−ミナルで 振り向いた君は 板に付いた 紺色のス−ツ
今でも気まぐれに 街をゆくぼくは 変わらないよ ああ あの頃のままさ

去りゆく若い時間を ひとり止めているようで
羨ましいやつだよと 初めて笑ってくれた

  For yourself for yourself
  そらさないでおくれ その瞳を 人は自分を 生きてゆくのだから

ネクタイ少しゆるめ 寂しげな君が 馴染みの店に 腰すえる夜は
陽焼けした両足を 投げ出してぼくも " Simon & Garfunkel " ああ 久し振りに聴く

人生のひとふしまだ 卒業したくないぼくと
たあいない夢なんか とっくに切り捨てた君

  For myself for myself
  幸せ形に こだわらずに 人は自分を 生きてゆくのだから

  For yourself for yourself
  そらさないでおくれ その瞳を 人は自分を 生きてゆくのだから

引用終了 ーーーーーーーーーー

研究室の片付けをしながら、ipodで流していたら、この曲がかかった。
「For myself for myself 幸せ形に こだわらずに 人は自分を 生きてゆくのだから」
本当にそうなんだなあと、今改めて思う。
やはり名曲だ。

捲土重来の諸君、大丈夫だからな。
しっかりともう一度頑張れ。
私も次の年には教員になれたぞ。
今の経験が、教師になった時にとても大切なものになるからな。
弱い立場、辛い立場にいる生徒の傍に寄り添うことのできる教師の資質を手に入れたのだよ。これを活かして、良い教師になれば良い。財産にすれば良いんだからな。

            ◆

ちなみに、翌年の卒業の時に聴いていた曲は " Good bye school days " by Hi-Fi Set これはこれで泣ける名曲なんだなあ。

明日、晴れると良いなあ。
ご卒業おめでとうございます。

「宙ぶらりん」

とういことで、先生方を対象としたFD学習会は終わりました。来年度からは文科省からの指示で、大学の教員にも授業方法の研修が必修化されるということで、この手の研修はますます盛んになっていくものと考えられます。

確かに、大学の先生は自分が学生時代に教育方法などは習っていないことも多く、結局は自分が大学のときにその専門の先生の授業で学んだ方法で行うしかないという場合が多いようです。

昨日参加されていた先生方も、そんな中で
(こりゃあ根本的に指導方法を学ばないとまずいぞ)
と思われている先生もいらっしゃいました。

以下が、その内容です。一時間で行いました。

引用開始 ーーーーーーーーーー

京都橘大学FD学習会 レジュメ
〜 学生をひきつける授業づくりの基礎基本 〜

ガイダンス

学生はどう変わったのか
3つの教育力
授業づくりの基礎技術3つ 「授業は話し言葉で行われる」

授業例 「漢字指導のあり方」を通して、私語のない授業環境を考えてみる

指導の重点となる生徒の実態
考察
まとめ

Q&A

引用終了 ーーーーーーーーーー

            ◆

なんで嘗ての大学の教員は指導方法を知らなくても、大学での授業が成立したのでしょうか。私はこんな仮説を持っています。それは、学習者が「学習方法」または「授業の受け方」を、大学に入るまでに身につけてきたからだと考えています。

大学に入るまでに、いろいろな先生に授業を受けてきて、「この先生の場合にはこう。あの先生の場合にはこう」と授業に応じた受け方を身につけていたのだと思います。

ところが、今は高校までにそれが身についていない。だから、大学の授業で教員が授業方法を身につけていないと、学生が授業にならないわけです。

            ◆

この「授業の受け方」ってのは結構大事なことだと思っています。授業では、生徒・学生にとって興味のないこと、分からないこと、できないことを扱います。まあもちろん場合によっては興味のある物事もあるでしょうが、ないと思って始めた方がいいでしょう。

その状態にあるところから、面白くて、わかって、できる状態に仕上げて行くのが授業です。ということは、学習者はこの状態に至るまでに「宙ぶらりん」の状態でいるわけです。この「宙ぶらりん」の状態を、学習者がしばらく受け入れなければなりません。そして、自らの努力で安定した状態へと導いていたわけです。

ですが、彼らがお客様として学習者の位置にいる場合、この「宙ぶらりん」は許せません。投げ出すか、文句を言うかということになります。おそらく投げ出してきている学習者が多くなってきており、嘗ては投げだしてきた学習者は、大学へは進学しなかったし、できなかったのでしょうが、今大学全入時代を迎えて押し寄せてくるということになっているのでしょう。

            ◆

学習会に参加された先生方からは
「良かった」
「勉強になった」
という声を沢山頂きました。良かった(^^)。

ただ、まだ「授業に関する指導の技術」という言葉に抵抗のある先生方もいるのも事実だと思います。もちろん、正当的周辺参加(LPP)のような学習スタイルもあるのは事実ですし、指導の技術だけでいけるとは思っていませんが、知っておいて多少はできるようになっているのも大事だと思っています。

取りあえず、終わって良かった。
ふう。

2007/03/13

研究会「明日の教室」第一回のご案内 4/14(土)

糸井先生とあたためてきた教育研究会発足のご案内をいたします。まず、一年間続けてみようと思います。PDFファイルは「TC.pamph1.pdf」をダウンロード


にあります。以下は、テキストです。

引用開始 ーーーーーーーーーー


これから教師を目指す学生さん、
学校教育現場での指導の幅を広げたいと考えている若い先生へ


教育研究サークル「明日の教室」のご案内


「学校教育の現場を知って、豊かな教育実践をしたい。もっともっと力を付けたい」。
そんな思いを持っている「あなた」。京都で一緒に学びませんか。

                                  代表 糸井 登(すすむ)


教師になりたい、教師としてしっかりとした指導をしたい。だけど、子どもを見る目・関わり方、授業の作り方、担任の具体的な仕事、これからの教育の考え方、子どもとの遊び方はどうやって身につけたら良いのか良く分からない。

今までは学校に入ってから先輩の先生に聞きながら教えてもらうこともできたらしいが、ベテランの先生が退職し、教育に対する要求が高まっている今、若い教師であってもすぐに授業と担任を持たなければならないようだ。うれしいけど、不安だ。

            ◆

教育は「ラグビー」に似ています。先生は、「ボール」を受け取り集団の先頭を走ります。しかし、その歪なボールは前にパスすることはできません。後ろから走ってくる子どもを信頼して、後ろにパスするしかありません。

この「ラグビー」は教室だけではなく、教師と教師の間にもあると感じています。この研究会を主催する私達も、かつて先輩教師たちから「ボール」を受け取りました。そして走り続けています。ですが、そろそろ次の世代にパスする時期が来ているのではないかと感じるようになりました。

パスを出したくても、受け取る相手がいなければ困りますし、その逆もまた困ります。教育研究サークル「明日の教室」では、若い教師と教師の卵の皆さんが、これから直面するであろう具体的な教室の場面での指導を、一緒に考えてゆきたいと思います。

教育をめざす若い人のエネルギーと、ベテランの教師経験が奇麗に織りなす時、学校教育現場には豊かな実践が生まれるのではないかと、私達は考えています。

            ◆

教育はたった一つの方法、一つの正解があるわけではありません。
理論と具体的な指導力を身につけた先生が、その子どもと子どもを取り巻く関係の現実を踏まえて、彼らを自らと社会が求めるより良い変革へと一歩を踏み出すことができるように、指導し支援する営みではないでしょうか。そうだとすれば、その為に教師は学ぶことがたっっっくさんあります。

京都で一緒に学びませんか。
以下に、「明日の教室」第一回研究会のご案内を載せます。


日時: 平成19年4月14日(土) 13:30〜17:00  受付 13:15〜
テーマ: まだ間に合う、今年の学級作りのスタート
       講師 糸井 登(代表・宇治市立平盛り小学校)、池田 修(副代表・京都橘大学)
会場: 京都橘大学 児童教育学科棟「児優館」 5F 臨床教育実践スタジオ
定員: 30名
アクセス: JR山科駅からバス15分、地下鉄東西線椥辻(なぎつじ)駅から徒歩15分。
http://www.tachibana-u.ac.jp/official/information/access.html
参加費: 1500円
懇親会: 研究会終了後、山科駅近辺で交流しましょう。実費です。
申し込み: 池田 修  http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P2213754 まで。メッセージ欄に「明日の教室申し込み」として、所属や今抱えている課題等を書いて頂ければ助かります。

今後は: 5/19, 6/23, 8/25を考えています。豪華講師陣を予定しています。

引用終了 ーーーーーーーーーー

お待ちしております(^^)。

耳のMRI検査

念のために耳のMRI検査を行った。耳鳴りが脳の腫瘍などから発生することもあるということだからだ。その場合は体がめまいがあったりするということ。

「めまいはありますか?」

と言われると、気の弱い私は

『んーん、ないと言えばないし、あると言えばあるかな?』

となってしまう。
MRIの検査をしたこともないし、これも経験と思ってやってみた。

            ◆

強烈な磁気で体の断面図を取って行く。体をスライスされるわけだ。どういう仕組みでなっているのか私には全く分からないが、狭いところに入れられて、なおかつかなりの音が鳴り響く場所に20分以上いる。閉所恐怖症の人にはダメだろうなあと思う。

私と言えば、初めての経験にわくわくしていたのは最初の5分ぐらい。あとは、なんと寝ていた。寝返りを打つと始めからやり直しなので、それだけは注意して寝ていた。ぐーぐーぐー。

結果は御陰さまで、腫瘍は「なし」でありました。

            ◆

はじめて自分の体の断面図を見たわけだが、なかなか面白かった。
多少の誤差もあるのであろうが、右脳がでかかった。

右脳と左脳の働きは、世間で言われている程厳密ではないという説も最近はあるが、それにしても興味深かった。

思わず先生に聞いてみた

『先生、これ、どうなんですか?』
「いやあ、特に問題ないですよ」
『問題があるとかでなくて、この大きさの違いって結構あるんですか?』
「そうね。あるよ」

ふーん、そうなんだ。
大きさが違っても上手く行くのね。人体の神秘。

            ◆

夕方から教授会。良い教授会だったなあ。
みんながそれぞれの立場を慮りながら、京都橘大学をいかにしてより良い大学に作り上げて行こうかという話をし続けた。

今の大学は何処の大学であっても色々な意味で改革をしなければならない。そんな中で今日の教授会は、それぞれの立場の人が、少しずつ痛みを背負い、大きな意味でよりよい方向を目指して行こうということを話す教授会であった。

私は、切なさの中にもやる気の出る教授会だなあと思った。
流石、文学部教授会である。

            ◆

さて、明日はFD学習会。本学の先生方の前で「授業方法の改善プラン」についてご説明申し上げなければならない。この準備も事務方のT川さんのご協力で、なんとか完了。

さて、研究室の引っ越し準備はいつになったら始められるのであろうかf(^^;。
書かなければならない文章があるので、なかなか本を片づけられないのよねえ。

2007/03/12

この5センチを自分が認めることができれば

研究室の机の上には、PCの音を出すためのスピーカーを設置してある。
私が真ん中に座り、二つのスピーカーに一つのウーハーを置いてある。
もちろん、私から左右のスピーカーの距離は均等である。

            ◆

この均等にこだわるのが、私である。
自分から左右同じ距離においてあるスピーカーから聞こえる音が、同じように聞こえる。これが当たり前である。というのは、問題のない耳を持っている人の発想。というか、そういう人にとってはそれが当たり前。

であるからして、私もそれでやっていた。
しかし、その均等の位置では、音が均等に聞こえない。

            ◆

目が悪くなれば眼鏡をして、歯が悪くなれば差し歯、入れ歯をしてということは、まあ当たり前のようにするが、髪の毛が薄くなったら鬘をし、足が悪くなったら杖をするというのは、なんとなく抵抗がある。体の弱くなったところを用具で補強するということには変わりないのだが、抵抗がある。

このスピーカーの位置もそうであった。
右耳のスピーカーを前にズラスと言うことに抵抗があった。だって、もう治らないことを自らが認めているような感じがするじゃないですか。

他人はそんなこと全然気にしないでしょうが、自分が認めるということはこれは結構大きな問題な訳です。

            ◆

でありますが、今日、エイヤッと右のスピーカーをほんの5センチ前に持って来てみた。なんのことない、結構奇麗にバランスが取れる。曲によって多少の差はあるが、5センチから10センチの間で調整すればなんとかなる。

この5センチを自分が認めることができれば、新しい生活が始まるんだなあと思う。
たぶん、人生のさまざまな場面で、自分が自分のできなさ加減を受け入れる瞬間がやってくる。そのとき、どうやってそれを甘受するか。
そして、それでも
(ま、いっか)
と次に向かっていくこと。

これが生きて行くってことなんだろうなあと思う。

今回の熱はあの日が原因です

良い子の私は、一晩で熱を下げてしまいました。

小学校の時は、6年間で夏休みのプールまで入れて2日間しか休まなかった私です。大体土曜日の夕方に熱が出て、日曜日にかけてぐっすりと寝ると月曜日には元気になっているとうい分かりやすい子どもでした。

それを思い出して昨日は枕元に水をたっぷりと用意してもらい、首にタオルを巻いて床暖房を少しつけて寝てしまいました。途中で床暖房を切ってもらい、水分を補給し、ぐっすりです。すると、熱は下がっていました。

たぶん、今回の熱はあの日が原因です。

            ◆

糸井先生のコンサートに向かう日、車の中で音楽をかけていました。大音量でかけると耳鳴りは気にならないんですね。なもんで、かけていたのです。

歌の音楽をセレクトしてipodで流していたのですが、何気なく歌ったら音のズレが緩和していました。片耳が聞こえにくいと音程が取りにくいのです。だから、歌を聴かない歌わない日々を続けていたのですが、久しぶりに挑戦したら音のズレがかなり緩和していました。

嬉しくなって歌ったら、なんとあなた、オフコースの音程が出るではないですか。高校生の時にもなかなかでなかった小田和正さんの(今年還暦なんて信じられない)音域が出るのです。これは嬉しくなって歌うわけです。

            ◆

例年の三月のこの時期の私と言えば、ディベート甲子園の論題発表を受けてリサーチのサポートをしつつ、学期末の授業、事務処理とてんてこ舞い。さらに花粉症で声はガラガラなわけです。

ところが、今年は花粉症は相変わらずですが、大きな声を出す場面がこの時期にない。喉が温存されていたんですね。それで、声が出たわけです。嬉しくなって歌ったら、次の日に喉に異変が。うがいをしてやり過ごそうと思ったのですが、体の方は点滴による通院疲れがあったようで、力が入らずダウンとなってしまったのではないかと。

            ◆

ああ、なんて分かりやすいんだ。
だったらそうならないようにきちんと生活を送れば良いのにと思うが、そうならないのが私なんだなあ。

今日は京都橘大学文学部児童教育学科校舎「児優館」の竣工式があります。
私はこれにちょっとだけ参加して、大阪で模擬授業です。

さあ、張り切って行きましょう。

2007/03/11

そろそろ体のメインテナンスを優先

大津市のやっている耳の健康診断・相談会に参加する。おそらく最年少の参加者である。
問診と聴覚検査をしてドクターにじっくりと話を聞く。これで無料なのだからラッキーである。

今までの治療の経緯を話し、今後の治療方針について相談する。結論からすると、セカンドオピニオンを頂いた先生の方針と同じであった。

右の耳の耳鳴りは、今後自然治癒力を高めて行くことで改善の方向に向かうことが多いとのこと。気がついてみればもう、一ヶ月半も前に発病していたことになる。長いなあと思うが、医者の目からは、まだ一ヶ月半とのこと。三ヶ月、半年とかけて治ってくるとのことだ。

            ◆

どうしても人間は自分と他人を同じようには考えられない。医者であったって、先生であったって、相手のことを思っていてもそれは「他人事」である。これは仕方がない。フーテンの寅さんじゃあないが、
「早い話しが、オレが芋食ったって、お前が屁をこくか? 他人ってことよ」
ということである。

まあ、それは分かっていること。それだから客観的に治療の方針も立てられるし、教育での指導もできるのである。

幸いなのは、耳鳴りの高音域がかなり改善されたことと、中音域の耳鳴りは吐き気を催すようなものではないということである。集中して仕事をしていれば、かなり気にならなくなれる。しかし、集中をほどくとこの音がする。リラックスしたいときにこの音がするというのは、ちょっと困る。

            ◆

研究室に立ち寄り、万年筆のインクを補充する。
昼時だったので、生協でお昼ご飯を食べようと思っていた私。
今日は土曜日と思い込んでいたのね。うーむ。

仕方なしに、研究室に置いてある非常食を捜す。
卵スープ発見。
ポットのお湯投下。
あれ? ないじゃん。2、3滴で終了。
まったくついていない時はついていないもんだ。

お湯が湧くまでの時間で、4/14(土)に糸井先生と立ち上げようとしている研究会のご案内のパンフレットの確認をする。これから教師を目指す若者。すなわち大学生、非常勤講師、仕事について5年未満の先生を主な対象にして「明日の教室」について考えて行こうという研究会にするつもりだ。

今、大学の新しい校舎の使用願いを出しているので、この許可が下りましたら、正式に告知をしようと思っています。

ご関心のある方、4/14(土)の午後は空けておいて下さいね。30名の定員でスタートするつもりです。

            ◆

今日は、京都教育大学付属小学校で野口先生の講座があったのだが、耳の健康診断・相談会を優先させた。残念ではあるが、そろそろ体のメインテナンスを優先させなければならないかなあと思う私であった。

しかし、そう思う傍から、あれ?風邪引いちゃったかなあ。
明日は大阪で模擬授業ダア。

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