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2007/05/19

隔世の感

児童教育学科は一年目である。だからもってして、一年目にやらねばならないことや、一年目にしか出来ないことをどんどんやる。学科の会議ではこの二つのことを精力的に話し合い、計画を立てて実行に移して行く。それぞれの先生のカラーを活かしつつ分担が決められて、前に進んで行く。こういうのが大人の会議だよなあと思う。

            ◆

で、その一年目にしか出来ないことの一つとして、記念樹がある。これからどんどん成長していく児童教育学科を見守るように成長していく木を植えたいと思った。学科の会議で話し合い、購入を決定。これを昨日私が買ってきた。

どこに植えようか、どのように植えようか。

そんなことをまだ丁寧には考えていない。が、昨日まで三井寺でお祭りが行われていて、植木市が同じ期間に開かれていたので、まずは買ってきた。来週以降植えましょう。

            ◆

ちょっと乱れてきた研究室の片付けをしていたら、学生がやってくる。私がアドヴァイザーをするクラスの学生だ。
『どうしました?』
と聞くと、
「名刺が完成しました」
とのこと。ああそうか。

先週の授業で、
『君たちは、学生である。学生であるということは、大学の中だけで満足するのではなく、外との繋がりをたくさん持つべきである。そのためには、名刺を持ちなさい。ワードや筆まめで簡単に作れます』
と言って、渡し方や受け取り方。さらには、戴いた後のメールの書き方まで教えた。
これを受けて作ってきたというのだ。最初の名刺は私にくれるというのだ。この辺りがうちの学生の良いところである。

さっそくその名刺を使って具体的に指導する。よしよし、いいぞ。

しかし、私が最初に名刺を手にしたのはいつだったろうか。Macを手に入れてからだ。ということは、教師になって数年経っているな。学校の外で人と会うことが多くなり、自分で作ったのである。学校の教員は、当時名刺等持っている人はいなかった。校長は経費で学校が名刺を用意してくれていたが、ヒラ教員はなし。自分で作るしかなかった。ま、多くの教員は、持つ必要がないというのが実際だったと思うが。

全国教室ディベート連盟が出来てから、自作ではなく印刷所が作った名刺を手にしたことになる。そして、今は大学の名刺。去年まで助教授だったが今年から准教授になり研究室も変わったので、去年までの名刺はなしにして、新しい名刺だ。

そう思うと名刺一つでも隔世の感があるな。今の学生は良いなあ。
もちろん、今の学生は良いなあと思えることが、社会が進歩したと言う一つの証拠である枯らして、それはそれでいいのだが。

まだ作っていない学生諸君、作るんだよ。

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夕方、文化政策学部の木下先生が学生と一緒に研究室にいらっしゃる。滋賀県の文化施設と学校教育との繋がりをボランティアを中心に回しているらしいのだが、そこにうちの学生を中心として関わるお仕事をされている。そこに児童教育学科の学生の参加を紹介してもらえないかとのことであった。

最初は関心を示さなかった学校も、今ではもの凄い数の学校がこの取り組みに参加しているそうで、文化庁長官も視察に来るぐらいだそうだ。この取り組みはまだ全国的には滋賀県だけでしか行われていないが、やがて全国的な広がりを目指したいとのことであった。

滋賀県の美しさを愛する私は、なんとか協力できないかなと思うものである。

            ◆

で、8時過ぎまで明日の「第二回 明日の教師」の事務方の仕事をして帰宅。窓の外、琵琶湖上空では雷が光っていた。明日の天気が安定することを願って、おやすみなさい。

2007/05/18

教育実習が始まっている

教育実習が始まっている。昨日は、実習に行く前の相談と模擬授業の指導を行った。

            ◆

実習で扱う単元が知らされ、それについての指導案を書いているのだが、行き詰まって研究室に駆け込むと言うわけである。主に去年の国語科教育法で指導した学生たちがやってくる。昨日も一人。

夜の学科会議のために準備をしていたところにやってきた。結局マンツーマン(ん?マンツーウーマン?)で90分指導していた。前向きに取り組もうとする学生であるから、こっちもきちっと指導する。

こっちは、小説の読解。

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その後、「自主的に模擬授業をするので指導してほしい」と言う学生の模擬授業を見に行く。行ってみると、一回生が生徒役でたくさんいる。授業をする学生は、新入生キャンプでオリターをしており、その時のクラスの新入生に案内を出して、生徒役をやってほしいと伝えていたそうだ。

一つの教材を二つのパターンで、模擬授業をする。導入部の二つのパターンを実際にやってみるというのだ。一つ目は、自分で考えたオリジナルのもの。もう一つは、私に相談にきたときに私がアドヴァイスしたものだ。

プロジェクターを使いながらテンポの良い導入から入る授業が、一つ目。基本的な授業の展開は押さえられていた。去年みっちりと模擬授業をやった成果が出ている。実習でこの続きをやれば、それなりの及第点は出るだろう。

もう一つはタイトルを読み開き、そのタイトルに隠されている秘密を本文から読み解くという授業。本人は私がアドヴァイスした方の授業をしたいというのだが、なかなか難しいとのこと。教材研究が丁寧にされていないと、難しいからなあ。

ではあるが、良い取り組みである。下回生からもガンガン意見を貰っていた。
(をー、そこまで言うかね、下回生)
と思う意見もあったが、しっかり聞いていた。
(下回生諸君、自分がやるとき、びっくりするぞ。この先輩の凄さに)
と言いたかったがやめておいた。ま、そのうち分かるだろう。

模擬授業の後、参加してくれた仲間のためにお茶とお菓子を用意して、インフォーマルな振り返りもしていた。やるなあ。

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夜は学科会議。
目の前の取り組みを振り返りつつ、短期的な展望、長期的な展望についてヴィジョンとプランを話し合う。うしゃあ、である。

2007/05/17

嬉しいことがいくつか

会議の日の水曜日。嬉しいことがいくつか。

日頃感じていた問題点を、会議でトピックとして出したところ多くの方から意見を戴き、検討をしてくれました。

実はみなさんも同じように感じていたことらしく、なんとかしなければなあという思いがあったそうです。そこにたまたま私が口火を切る形で話を始めたのですが、これが大学全体で取り組む課題としてみなさんが受け入れてくれたのです。いやあ、嬉しかったなあ。私一人が思いついたところで、みなさんの賛同を得られなければ動くことはあり得ません。良い大学を作りたい。この気持ちが教職員で共有できたのはとても嬉しかったなあ。

            ◆

学科の会議もあった。児童教育コースの会議である。これが楽しかった。予算も人員も気にすることなく、まずは夢を語ろうということで将来小学校の教師を目指す学生たちに、どういう学びをチャンスを与えて行くかを、ばーっと出した。

すると、それをきっかけにして次から次へとアイデアが出る。荒唐無稽で突拍子もないものばかり。しかし、このメンバーとならなんか出来そうな気がしてくるのが面白い。企画が実現したとき、学生たちのびっくりする顔が目に浮かんできて、それも面白い。たのしみにたのしみ。

            ◆

私が顧問をする軟式野球サークルのメンバーが、西大津にある皇子山球場を借りて試合をすることが出来ました。プロ野球も使う本格的な球場です。本来なら応援に駆けつけるのですが、今日は大学全体の歓送迎会。応援ならず。でも、そうやって学生がどんどん自分の活動エリアを広げて行くのを見るのは嬉しいなあ。

            ◆

歓送迎会では、辞められた先生を大量に上回る新しい先生のスピーチでありました。ですから歓送迎迎迎迎迎迎迎迎迎迎迎迎迎迎迎迎迎迎迎会ぐらいの感じでしょうか。いや、漢字か?

大学の生き残り、どこも言われていることだと思います。算数の苦手な私には良くわからないのですが、少し解ることは「お金を大事に使い、学生をきちんと教育する。そのために研究も進める」というのが、今の私のスタンスです。それが評価されれば大学は質を高めて行くのではないかと考えています。

新しい仲間を迎え、ますます質の高まる予感を抱きました。

            ◆

二次会は、S先生とK先生と。
私のバリュウームにおける研究内容をお話ししたところ、科学的な見地からご指導を戴く。
「池田さん、それは植物性の色素では難しいのではないか.動物性がいいね。でも、動物性の色素は白が多いんだよな」
私の下らない実験に真剣に付き合ってくれる仲間がいることを、心から喜ぶ。

            ◆

終電で帰ってきて、学生からのメールを一気に読みました。今日の授業の感想がメールで届くようにしてあるのです。

嬉しかったなあ。説教の多い私の授業でありますが、説教が届いたなと思える感想を書いている学生が多くいたのです。反省ではなく、内省をしている学生が増えてきたなあというのが、嬉しい理由です。

私は、自分をみつめ、その自分を受け入れることが学びの土台になると思っています。これは子どもを見つめ、子どもを受け入れることから指導が始まるということの裏表であるとも。

            ◆

嬉しい一日だった。

2007/05/16

学ぶ主体に育つ

さて、諸君には昨日の授業の感想として、二つの課題を与えた。

1)授業の感想
2)授業に関する疑問

である。

私は言いたいことが二つある。
一つ目は、構成の問題である。課題として1)〜、2)〜という形で掲示版に書くことを指示してある。しかし、君たちの掲示版の書き込みを見ていると、この形式になっていないものを散見する。
授業では、ナンバリングとラベリングを教えた。これは知識として持っていろというものではない。使うものとして教えている。

君たちは、書けば読んでもらえると思っているのではないだろうか。それでは駄目だ。読んでもらいやすいように書くことを心掛けなさい。文章を読む側に回ると分かるが、読み手のことを考えて書いている文章と、そうではない文章の差はとても大きいものと感じる。書きなぐったような文章というのは、ワープロであっても分かるものである。

そういう文章は読まれなくなる。書きなぐりの文章を書いている人は、少しずつ、本当に少しずつ読まれない文章を書くことを「身につけて」いくことになる。そして、それに気がついた時には、それを取り返すには、ほとんど不可能なくらいの膨大な時間と努力が必要であることにも気がつくのだ。

         ◆

二つ目は、学ぶということに付いてである。疑問を出せば、先生が答えてくれると思い込んでいる諸君はいないか? それは高校生までであり、大学生になる、教師になる諸君は、自らその疑問に答える姿勢を持っていなければならない。

「論文とは、自らの疑問に自らが答えることだ」と教えた。疑問を持てば誰か、多くの場合は仲間や先生が答えを教えてくれるものだと当たり前に思い込んでいる、そんな体になっていないか? 
自らの疑問を自らが調べたであろうか。
例えば、「接続詞の種類は何種類あるのでしょうか」という疑問が多く出された。この疑問であれば図書館に行けば15分も掛からずに答えは出る。いや、本格的にやろうとしたら、1時間では終わらないかもしれない。でも、ちょっと努力をすれば答えは出る。これを先生から教えてもらうのを待つのか、自分で動くのかでは、天と地の違いがある。

例えば、「似ている接続詞の使いわけをどうすればいいのか」という疑問も多く出た。さて、矢野茂樹 『論理トレーニング101題』産業図書は注文しただろうか? 課題のプリントには「<以下の練習問題、ならびに先週の宿題プリントの練習問題は、野矢茂樹『論理トレーニング101題』(産業図書、2001年)より採ったものです。論理的思考を鍛えたいと願う諸君は、夏休み前にこの本を熟読しなさい。トレーニングなのでやればやっただけの効果があがります。>」と詳しく書かれている。

例えば、「先生が今知っている事はどうやって学んだのか。教科書に書いてあるとは思えない」という疑問があった。これに対応するには、二つの方法がある。一つは想像することで、一つは直接聞くである。前者は、格好良くいえば「仮説を立てる」という言い方になるかもしれない。これはこれで大いに「あり」である。仮説を立てて、検証することで学問は進歩して行く。後者は仮説を立てたあとに、本人に聞ける場合は聞くってのがいいだろうなあ。
 
         ◆

たとえば、(私が事務局をしていて、児童教育学科の児優館を使って行う7/7に研究会の講師で来てくださる)佐藤正寿先生は、先生のブログで「気になることば」というテーマで、なんと接続詞の「なので」について書いていらっしゃる。http://satomasa5.cocolog-nifty.com/jugyo/2007/05/post_84d6.html
そして、気になったということでさっと調べているのが分かる。日本の最先端の先生であってもこのように時間のない中で日々努力をされている。(いや、日々努力をされているから日本の最先端の先生になったという言い方も出来るが)

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一週間経った今、図書館に行ったであろうか、本屋で手に取ってみただろうか、買っただろうか。
君たちは自分で、学ぶために、そして先生を目指すために京都橘大学文学部児童教育学科を選んだはずだ。

教える主体になるということは、実は学ぶ主体になるということであり、繰り返し言うが自らの問いに自らが答えることが論文を書くと言ういうことである。四年生になれば急に卒業論文が書けるという根拠のない甘い幻想は持っては行けない。いまから少しずつ、自らを学ぶ主体に作り上げて行かなければ、間に合わないのである。

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さらに、人間は感情の動物でもある。これだけ丁寧に資料の取り方、学び方を説明されていてそれを無視するような諸君であれば、
(ま、この子たちはいいか)
と思われることもあるだろう。そして、その情報にリンクした、またはリンクしようとした学生にもっと指導をしてあげようと思うこともあるのではないかと思う。

君たちからすればちょっと長生きしている私は、人間関係の中に流れてくる情報を手にしないのを非常にもったいないと思う。君たちの目の前には、さまざまな縁が通り過ぎて行く。それをちょっとでも手にするか、それとも全く気にしないで行くかというのでは、大きな違いになる。

         ◆

折角なので、「先生が今知っている事はどうやって学んだのか。教科書に書いてあるとは思えない」にちょこっと答えておく。
私は、学生時代には塾でアルバイトもしていた。その当時、一緒のチームを組んでいた先生たちは、みんな大学院生。学部生は私だけであった。

週に三回の授業が終わると毎回食事に行き、その食事が終わると近くの先生の家に行ってあれこれと談義をした。
「いやあ、あの村上春樹は良かったよね」
「そうだね。あれは〜で××だよね。で、池ちゃんはどう思う?」
『え? そうですねえ。私も〜で××だと思います』
などと答えてみるが、実はそんな本は読んでいない。それで次の日に本屋に走り、本を購入し読みまくる。で、次の日に
『あの本は〜で××ですけど、○○な面もありますね』
なんて言いながら乗り越えて行ったわけである。こういうのを「泥縄式」と呼ぶ。もちろん、良い表現ではない。だが、これを二、三年も続ければそれなりに力が付く。

「仲間、読書、議論」これがポイントだね。

         ◆

私は、この二つについて諸君に「一回、教えたんだからできるだろ?」という姿勢を取るつもりはない。メモの取り方だって、「たくさん書きなさい」という指示を出して、メモを取る課題を15分という時間で区切ってやったところで、取れない学生諸君がたくさんいたね。

「教えたら出来る」。こんな簡単だったら教師は要らない。人間はそんなに簡単ではない。「分かると出来る」の間には大きな隔たりがあるのだ。だからことある度に教える。しかし、君たちはそれに甘えてはいけない。分かったのなら、出来るように努力をしなければならない。訓練をしなければならない。分かると出来るの間にある隔たりを埋めようとしなければならない。

君等が先生になった時、おそらく子どもたちも同じように「分かっても出来ない」状態であることが多いだろう。その時に、「なんで君たちは出来ないんだ!」なんてことをいう先生になってほしくはない。なってはいけない。

出来ないから子どもなのだ。それを出来るようになりたいと思っているのが子どもなのだ。だから、そこに手を差し伸べて出来るように指導して行く。これが先生なのだ。

         ◆

だが、君たちは大学生だ。手取り足取り教わるのではなく、自ら学ぶことを身につける必要がある。

この文章は、5/10に書いている。来週の5/16の授業で君たちがどれだけ自らやっているか確認してみたい。

どきどきするなあ。

研究入門ゼミ通信「起筆」NO.7,8

メモの効用

今日のゼミでは、日直さんが研究室まで日直の仕事をしに、授業の前にやってきました。そして、Cクラスの日直の順番を一覧にしてみんなに配ってくれていました。

うれしいねえ。

こういうのを主体的な行動といい、仲間のためにちょっとお世話をするというのだね。集団というのはルールと文化の両方が必要で、これを自分たちで作るか、誰かに与えられてそれに従うかで、その集団の質は全然違ったものになるんだな。

前者を自治と呼び、後者を従属や隷属というのだね。君たちは、やがて子ども集団をまとめる仕事に就く.その時に、子どもたちに自治を目指すことを教えてほしい。

もちろん、小学校に入る前の子ども、さらに小学校の子どもたちに完全な自治は難しいと思う。しかし、それを目指すことは大事だし、なにより今大学生の君たちが、自治を身につけることがとても大事であると考えている。

そのための小さな一歩だ。でも、大きな一歩だよ。一覧を作ってくれた君、ありがとう。

            ◆

授業は、夏服に移りつつある君たちの姿を見て、私が白い服を小さい時に「自主規制して」着なかったのが、結婚してから着出したことから話は始まった。

途中で、「発達課題」という用語を使った頃から少しずつメモを取りはじめる諸君が出てきた。しかし、周りを見回すと、泰然自若(読めるか?)として聞いているだけの諸君もやはりいた。

研究入門ゼミでは、必ずメモを取って授業を受けること。これは授業を受けるときのルールとして厳しく伝えたはずだが、どうもメモを取る習慣がついていない諸君がいると、前回までの授業で感じていた。
            ◆

そこで、今日はメモがどのぐらい取れるのかを確認した。15分ほどの話をA4の紙にメモする課題だ。このメモは、

1)たくさん取ること。
2)自分にだけ理解できる文字の形で良いこと。

を条件にして行った。話の内容は、「湯船の法則」である。この話は、学習に置ける「閾値(いきち)」の問題を考える時に、重要な「たとえ」だと思っている。誰が考えたかといえば、それは私だ。

余談開始。子どもたちに説明をするとき、子どもの事実と指導者の事実とを刷り合わして、そこに共通に浮かび上がってくる事象で「たとえ」を作って、それで説明する能力というのは、先生にはとても重要な力だと思っている。余談終了。

で、諸君がメモを取り終わったところで、クラス全員のメモを回覧して自分との違いを発見させた。明らかに、メモの分量に差があるのが分かったであろう。

メモには三種類ある。1)記録、2)思考・発想、3)まとめだ。このうち、今回行ったのは主に1)のメモである。

人間の脳みそは、短期的に記憶できる部分と長期的に記憶することが出来る部分に分かれていることが最近の研究で分かってきている。短期的に記憶できる場所は、少量の記憶しかできない。外に出さないと新しい記憶が出来ない仕組みになっている。

だから、メモなのである。
記憶するのではなく、記録するのである。
書くことによって、記憶から開放されるのだ。

いや、正確に言うとメモを取ることで記憶は強化されつつ、思考の領域を刺激する。書くことは考えることに直結しているからである。ほかにも2)や3)についてもメモの効用はある。

研究入門ゼミでは、必ずメモを取って授業を受けること。

意味もないことを諸君に強要するつもりはない。1年後、自分が書くことなしに話を聞くことが出来ない君に生まれ変わることを楽しみにしている。そしてその時は、考える君にもなっているはずだ。

研究入門ゼミ通信「起筆」NO.6

研究成果は、まだ出ていない

白は穢れなき色である。こんなになってしまった私でもよーくわかる。
そして、今日はその白に染まる日であった。
こんな私でも穢れのない白に染まることが出来る。
ただし、外側ではない。
内側である。

            ◆

年に一回の健康診断。
バリュームである。

            ◆

数年前、私はふと思いついたのであった。
(バリュームを飲んだ後、イカスミスパゲティを食べたらどのようなことになるのであろうか?)
と。
思い立ったらいても立ってもいられない。早速検査の後レストランに走り、イカスミスパゲティを注文した。

人類の神秘を、トイレで確認することになる。

            ◆

本日は、いちごを用意しておいた。
しかし、出がけに大学に持って行くのを忘れてしまった。

だが、私はめげなかった。
そんなことで研究を諦めては、研究者の道をあゆんだ甲斐がない。

昼休を利用して近くのスーパーに走り、「豊の香」ワンパックを購入した。
そして、昼ご飯としてワンパックを食した。

            ◆

研究成果は、まだ出ていない。

ここで吸ってくれてありがとう

私はタバコは嫌いだ。だから私の身の回りからタバコが無くなるのは、嬉しい。だが、それを一斉に取り締まるのはいかがなものかと思う。吸いたい人は、自分のリスクを考え回りの人の様子を見て据える場所で吸えば良いと思う。

が、全面禁煙もやむ得ないなあと思うこともある。
指定された場所以外で平気で煙草を吸う学生が少し増えた気がする。その度にその場所に行って注意をする私。昨日は同じ場所で三回も。頭に来たので三回目は厳しく。感情を抑えてまで注意する必要はないと判断した。

これが続くようだと、全面禁煙になるのもやむを得ないだろう。
昼休は職員のみなさんと一緒に学内のクリーンキャンペーンでゴミ袋を持って歩く。
指定された場所で吸っている学生を発見。
『ここで吸ってくれてありがとう』
なんてへんな言い方をする私であった。
で、
『こういうところ以外で吸う学生に、君たち吸う人たちがきちんとしないと、全面禁煙になるぞ』
と言うと、
「数場所が減らされたのが痛いっす」
と言う。
『ま、それでも吸う場所が用意されている分だけいいじゃないか。全面禁煙になったらどうする』「校門の外で吸います。ゴミが増えると思ういます」
『甘いこと言うな。そんなのは処分されるだけだぞ』
「あ、そういえば関○大学でも、そういう学生が処分されたらしいですね」

ふーん、そうなんだ、やっぱり。

今日も注意することになるだろう。
面倒くさいとは思うが、仕方がない。
奇麗な京都橘大学を守りたいし、こういう小さなところを許すと、大きな問題が生まれるというのは中学校も大学も変わらないはずだ。

なんで大学の教員になってまでとも思うが、吹野安先生も大学でやっていたしなあ。恩師がやっていたのに、教え子がやらないってのは駄目だよなあ。

うし、「隗より始めよ」である。

2007/05/15

まだ、間に合うようになりました。「明日の教室」

今週末5/19に、教職希望の大学生、若手教員を対象にした教育研究会「明日の教室」の第二回目が開かれます。連絡です。

1)定員を越えましたが

粘土を多く用意することが出来ましたので、もう少し受付が可能になりました。
(もう、定員をオーバーしてしまったかな)
と諦めてしまった方、大丈夫です。お申し込みください。

2)事前資料が届きました

登録して頂いたメールアドレスに、事務局からワードの添付ファイルが届くと思います。ですが、携帯電話のメールアドレス等、添付が受け取れない場合があるかと思います。その場合は、ここに添付ファイルを受け取れるアドレスをお知らせください。

2007/05/14

The New MINIを試乗

懸案の草津に出掛けていく。ついでに三大神社に足を伸ばし、藤を見学。大きな藤棚があるのだ。もう盛りは過ぎてしまっていたが、なかなか見事なものであった。神社の境内では地元の老人会が毎週一回の昼食会を開いていた。仕出し弁当を食べながら四方山話をしている。いいなあ。

食べている部屋には、昭和天皇、平成天皇の若い頃の写真が飾られていた。時代が50年前からとまっている感じであった。

            ◆

昼ご飯は蕎麦。国道一号線の通りにある店に入る。
何気なく天井を見たら、それこそ昔ながらの作りでもの凄く高い。壁面を見たら
「この欄間は草津の本陣の宿の階段の欄間に使われていたものです」
と説明がある。そういわれてみると将軍家の紋所が使われている。

流石、草津は東海道の宿だけある。
このそば屋の横には、名物の「うばがもち」という小粒のあんころ餅が売っている。試食をしたところ、なかなかの美味。歩き疲れた旅人にはちょうどいい甘さだろう。

            ◆

折角草津まで来たので、MINIのディーラーに寄る。ちょこっと気になるところを点検してもらっている間に、The New MINIを試乗する。
(ああ、私のよりも良かったらどうしよう)
とドキドキしながらCOOPERSに乗り込む。

スタートは、ボタン式に変更されていて、スイッチを押す感じ。バックする時の音、ウインカーの音は変更されている。クラッチも軽い。ふむふむ。スピードメーターはもっと大きくなり、メーターの下にラジオのチューナー等がある。ちょっとごちゃごちゃしているかな。

さて、エンジンである。
一言で言えば、別物である。OHCのスーパーチャージャーからDOHCのターボ付きへの変更である。トルク重視から高回転型への変更である。ドッカンターボではなくそれなりに下から回るが、ドッカンならドッカンでもいいのではないかと思った。でも、良く回る。しかし、あのスーパーチャージャー特有のサウンドはない。

顔つきは慣れとか、好みとかがあるだろうから何とも言えないが、ちょっと尖って長くなったし、バックビューは重心が上に上がった感じに見える。安定性が弱くなったイメージがする。

結論。
(ああ、良かった。私のOHC COOPERS方がいいや)
である。ま、身びいきの文もあると思うがf(^^;。

            ◆

夕ご飯は、スーパーで安くなっていた甘鯛の干物を炙って、日本酒をちびちび。
皮の部分がカリカリに焼けてこれが美味いんだな。
夜景を楽しみながらちびちび。

さ、来週もすることがたくさんあるぞ。
たのしみたのしみ。

2007/05/13

「哲学」が大事になってくる

火照りすぎた頭をクールダウンしつつ、熱そのものは保ち続けたいと思いながら過ごす一日だった。

昨晩は急に夕食を家で食べられなくなったという電話をしたのにも関わらず、いってらっしゃいと言ってくれる奥さんに感謝。今日は奥さん孝行しようと決める。が、流石、私。ま、上手く行かないわけだ。

            ◆

朝風呂に入って、昨日のことをあれこれ思い出し、自分なりに落としどころ、課題を考える。西川先生にも話をしたが、この「学びあい」を行うには、「語り」と「哲学」をきちんと持っている方がいいのではないかと思うのだ。

これは、「コミュニケーション」と「自分と人類が、生きて行くための基本的な考え方」と言い直しても良い。

教育は、「知識」に偏重していた時期があった。そして「技術」に傾いていた時期もあった。だが、これはどちらも大事である。傾くのではなくどちらも大事である。だが、さらに思うのだが「哲学」が大事になってくると、このごろ感じている。

「なんで教育をするのか。なぜ勉強するのか、させるのか。なぜ学ぶのか」

教師を目指すもの、続けるものは、これに自らの答えを出すことが大事になってくると私は思っている。だから、教育ってなに? 勉強ってなに? 学ぶってどういうこと?と学ぶ必要があるのだ。

朝風呂に入りながらあれこれ考えていた。

            ◆

昼過ぎから歯の治療に出かける。一時間ぐらい掛かるので、その間奥さんには四条の街を楽しんでもらう。

その後、上賀茂神社の境外摂社の大田神社に向かう。ここが奥さん孝行。
自生している杜若の群生が見頃になっているので、でかけたのだ。いやあ、奇麗。藤原俊成も「神山や大田の沢のカキツバタ ふかきたのみは 色に見ゆらむ」と詠んでいる。満足。

ではあるが、お腹がすいた。
食事の時間を逃してしまった。
なんとか美味しそうなラーメン屋さん「東龍」を捜して、食事。ふう。

            ◆

草津に行く予定をキャンセルして、結局自宅に戻る。
暑かったのでまた風呂に入りさっぱり。ほとんど水生生物のようである。

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