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2007/05/24

批判的思考の入り口

授業では、批判的思考というものの入り口を追い続けている。批判であって、非難ではない。

この違いは何か。一言で言うと、「相手の主張の根拠の確からしさを確認しながら読もうとする姿勢のこと」を批判的思考と言い、「相手の主張の主張そのものを気に食わないと反対する」のが、非難である。

簡単に言えば、主張とは「言いたいこと」であり、根拠とは「なぜならば、〜である」の部分である。「今日は午後から雨になる。なぜならば、天気予報で言っていたからだ」という形で語られる時、それは主張と根拠がセットになっていると言う。このセットを議論と呼ぶこともある。

この議論を考えるとき、「雨なんか降らねーよ」と言い続けるのが、非難であり、「なぜ天気予報で降ると言えば、降るのか。そもそも、この天気予報はいつの時点で出た予報か? どこの地域の予報か?」と考えられるのが批判的思考である。

私達の研究入門ゼミは、いま、この批判的思考を獲得するレッスンの入り口にいる。

            ◆

残念ながら、どきどきした結果は、あまり良いものではなかった。だが、君たちの感想から見ると、

今日一番「あっ!」って思ったことは、いつも感想で〜できるようになりたい。とか〜を知りたい。とか書いておきながら全然行動にうつせてなかったという事です。口ばっかりじゃだめだなとすごく感じました。

先週、感想掲示板に書いた疑問の答えは授業中に出てくるのではと期待してしまっていた。相手にまかせっきりでいるのではなく、自分が行動しなければならないとわかった。

とある。これに気がついてくれた諸君が多くいた。ああ良かった。とても嬉しい。

授業中にも話したが、人間は習慣の動物である。要は同じことをダラダラと続けやすいということである。であるとすれば、そのだらだら続けることを利用すれば良い。悪いことをだらだら続けるのではない。良い子をとだらだらやるのだ。たとえば、

「大学を後にする前30分は必ず、図書館かパソコンルームに行って今日の疑問を調べてみる」

と決めてしまう。ま、一日一回が理想だが、週に一日でも良い。これを続けるのである。だらだらと続けるのである。習慣になってしまったら、なんの違和感もなく続く。「湯船の法則」の水道の水の部分である。半年後には、やっている人とやっていない人の差は、とんでもないことになるはずだ。

            ◆

ただ、嬉しいこともあった。授業中に

『君たちは大学生である。大学生であるということは、大学で学ぶということであるが、大学の中だけにいてはならない。大学の外、社会と繋がりながら学ぶことも必要である。そのためには、名刺を持とう。なければ作ろう』

と話したところ、早速作ってきた諸君が何人かいた。良いことである。良いと思ったことは、その根拠を確認し、それでも良いと思ったら行動だ。

            ◆

折角なので、感想にコメントしよう。感想は全員分ではありません。また、全部でなく、一部のものもあります。

S1 高校までは問いと答えは一対になっていた。しかし、大学では答えと思っていた説は多くの学説の中の一つでしかない。

T 君たちが学んできた国語の文法でも、あれは橋本進吉先生という先生が唱えられた学説であり、他にも有名どころだけでも山田先生、時枝先生などの文法もあります。
動詞を学ぶとき活用形の種類ってのを学んだでしょう。ほら、「未然、連用、終止、連体、仮定、命令」ってやつですね。でも、学者の中には「日本語の動詞は活用はない」という人もいるんですよ。その中で根拠の確からしさを確認して、高校までは教えているというというところでしょうか。

S2 今日自分が学んだ事は根拠を否定するということだ。主張を批判するには根拠を批判しなければいけないというのは、言われてみれば当たり前の事だが自分は気づいていなかった。だから今日の授業は本当に勉強になった。
今日の授業の時池田先生が「大人の方が楽しい」とおっしゃったが自分はみんなと一緒に学ぶ事が出来る今が一番楽しい。というか自分は何歳になってもその時を楽しむ自信がある。

T ま、感想文だからいいのだが、私はこの文章を読んで(なんで自信を持てるのか。その理由が抜けている。これは根拠がないと言われるな)と思ったわけである。(みんなと一緒に学ぶことが出来ているようだ。それも楽しくやれているようだ。けど、だからといって何歳でもこれができるということには大きな論理の飛躍があるぞ)と思うわけだ。
もちろん、書いている本人にはその論理の飛躍を埋めるだけの根拠があるのだろうが、もしあるのならそれをきちんと書いてほしいなあ。そこを読みたいのであるから。

S3 今回の授業で子供か大人かどっちがいいかという質問がありましたが、私は絶対こどもがいいです。確かに海外旅行に行ったりなどの大人の遊びも楽しいと思います。でも、それはやろうと思えばお金があれば子供にだってできます。一方体力がなくなった大人にとって、子供と同じように体を動かす事はできません。だから思いっきり運動ができないのです。私はスポーツが大好きなので、やはりこのまま子供でいたいです。

T なるほど。それも一理ある。しかし、この大人問題はなかなか難しいのだよ。まず、大人が良いか子どもが良いかというのは、子どもには判断できにくいということだ。大人は子どもと大人の両方ともを体験しているが、子どもは子どもの体験しかしていないからね。さらに、体が自由に動かなくともスポーツが大好きな人はいくらでもいるし、動くけれども苦手な人もいる。そしてポイントは、大人になりたくなくても大人にはならざるを得ないということだ。さあ、どうする?

S4 名刺を今週中に作りたいと思った。そして、出来あがった第一号は池田先生と交換したい。四年間でたくさんの人と出会い、交流の輪を広げていきたい。何かあったときのために、今からコツコツ交換したいと思っている。

T 名刺ありがとう。有言実行でしたね。偉い。

S5 今日の授業で決めたことが2つあります。1つめは、生んでくれと頼んで生まれてきた人は誰一人いないということです。当たり前のことなのかもしれない。けれど、この話を聞いた時、不思議な感情で胸がいっぱいになりました。このこみ上げてきた感情がなんなのか、今はわかりませんが、毎日少しずつ考えたいです。

T ここにヒットか、なかなかだ。そのこみ上げてきた感情を丁寧に見つめてみてください。ひょっとするともの凄い発見があるかもしれませんよ。

S6 「何のために生きているか」という問いに対して、自分は何を考えたか。
人生に興味がない自分としてはこの答えが見つかるかとても不安だ。子供に聞かれたらなんと答えればいいのか?4年間のうちに少しでも糸口を見つけたいと思う。

T 人生に興味がないなんて、なかなか言えませんよ。正直ですよ。なんで興味がないのか、考えてみたことがありますか? 教育の文脈で言えば東井義雄(とういよしお)先生のいくつかの本を読むとヒントがあるかもしれません。

S7 今日は二つのことが心に残りました。まず1つ目は、大学は何かをする場所である。自分で学ぼうと思い、疑問に思ったことは自分から調べる。学ぼうと思わないと折角大学に入ったのだからもったいないと思いました。

何かをする、何かをしない。これをある程度自分の意志で出来るのが高校との大きな違いでしょうね。私は大学に入った時に、自分との感覚感性が違う人がいる、そしてその人たちはその人なりに幸せに生きているというのを具体的に知るようになり、衝撃を受けた覚えがあります。そして、世の中は私ではなく私が(ちがうなあ)と思っている人を中心に動いているのを見て、さらに衝撃を受けました。ですが、人まねをしても意味がないと思っていたので、人様とは違うことをしていました。わざわざ違うことをしているつもりはありませんでしたが、結果的に違ってしまうのは、まあしょうがないかと。無理に回りに合わせれば、自分が辛くなるのは分かっていましたから。ああ、なんて我侭な私。でも、それができるのも大学生ですね。

                             研究入門ゼミ通信 起筆 NO.9,10

授業の感想に答える33から36

S1 学習ゲーム方法、これはとてつもなく共感できる。子供心をうまく理解した学習方法だと思う。実際にやってみても虜になっている自分がいた。常に子供の気持ちを理解しようと努力すればこのような学習方法にたどり着くのかもしれないと思った。

T 授業をつくるというのは、簡単には行きませんね。私の場合は、教科書を使って「○○しましょう」なんてことを言ったところで、教科書を持ってこない、なくした、捨てた取られたなんて子どもたちもいる中で、どうやって国語の力を付けたら良いのかと考えて授業を作っていましたから、こうなりました。ですが、これが正解かどうかは分かりません。しかし、正解の一つに入れても良いのではないかと思います。

            ◆

S2 今日の一番の印象は、ゲームの『四字熟語でポン』でした。ゲーム感覚で学習ができ、勝負という感覚を持つことで必死になる生徒の心情をうまく使っているなと思いました。
 普通に『明日小テストをします』と指示を出しても、予習する子としない子に分かれてしまいそうだけれど、ゲームと聞いたら、興味を持って予習に取り掛かる生徒が増えてきそうだと思いました。
 しかしこのようにゲーム感覚で楽しんでいると、教師が『やめ』と声をかけた時に、すぐに切り替えができない子が多く出てきます。その様になる前に、自分の声でどこまで生徒をコントロールできるかという力が必要になってくるのだと思い、私にとっては新たな大きな試練どと感じました。
 今日の初に聞いた、名刺を持つという話に驚きました。名刺というのは、社会人になってから持つのが当たり前だと思っていたので、大学生でも持つと聞き、もう社会の中で色々な人達と関わっていく立場になったんだと感じました。

T 子どもたちは、緩やかな競争を好みます。始めから勝負がついているような競争には参加しません。ちょっと頑張れば勝つかもしれないと言う競争に乗ってきます。そこの加減を見抜き、ゲームバランスの設定をするのが教員の腕の見せ所です。

            ◆

S3 「5分が大事」この言葉がとても心に響きました。その時は面倒くさがって5分を惜しんでしまいがちであるが、長い目でみればたった5分である。だからこれから、少しでも疑問に思ったこと、わからないこと等をながさずに、時間を惜しまず調べて、自分のものにしていこうと思いました。
ぜひ名刺を作って、積極的に人脈を作りたいです。
四字熟語ゲームが真剣になって盛り上がりました。なかなか理解できない自分たちが恥ずかしかったです。

S5 今日の授業の中で一番印象に残っているのは、「たった5分で差がつく」ということです。以前の授業の中で池田先生は「授業の中でたくさんの“はてな”を見つけなさい」とおっしゃいました。今日の授業を受けて、この「はてな」を活かす為には「5分」という時間を一日の中で作らないといけないと思いました。
 たくさんの「はてな」を見つけも一日の中で「5分」を見つけなければ、その見つけた「はてな」も意味がないものになってしまうからです。今日の授業の中で池田先生が疑問に思った「すやし、ですし」という関西地方(?)で使われているこの「し」という文末表現について私も疑問に思ったので、さっそく調べてみようと思いました。

T なかなかこの5分が出来ないんだよね。ぼーっとしていれば5分なんてあっという間に過ぎて行くのに。明確な意識を持った毎日の5分を作り出してみてください。

            ◆

S4 最初に名刺の渡し方、渡され方を教えていただき、とてもためになりました。前にテレビの番組で、マナーをとりあげて名刺の渡し方などを放送していましたが、正直すっかり忘れていました。もう忘れないように長期記憶に保存したいです。
 学習ゲームは教師になったらぜひ取り上げたいです。生徒の意欲を引き出せることは、教師にとって本当にうれしい事だと思います。体育の先生の話を聞いて、“国語を実技授業にしよう”とひらめく先生は本当にすごいと思いました。<ひらめき><発想>をたくさん持てる教師になりたいです。
 加えて、“ブレーキ”をかけられるようになること、というのにも留意しながら、生徒を止められる<声><指示>を自分なりに考えていきたいです。

T 子どもの現実をきちんと理解することですね。ここから始まります。共感し、受け止め、子どもたちの願いを分かる。これらをまとめて言うと「理解」ということになると思います。その上で、指導を重ねて行くわけですね。もちろん、理解しても「それは駄目だ」という指導をする場合もあります。でも、やはり理解から始まると思います。
ちなみに、理解から始まるというのは、理解から指導の一歩目を踏み出そうという意味と、理解から始めない指導もあるということの二つの意味で使っています。

            ◆

S6 今日の授業でやった四字熟語ポンボールはおもしろかったです。
ゲーム感覚で授業をするのは初めてだったのでとても楽しかったです。四字熟語だけでなく内容を変えると他の教科でも使えるので、書道でもやってみたいと思いました。
また名刺の話が印象に残りました。
私は学校の他に書道のお稽古とドイツ語会話に通っています。よく考えるとお稽古の人ともドイツ語教室の人とも挨拶程度の関係で名前も知らない人ばかりです。これから少しずつ人脈を増やしていき、たくさんの知識を身につけたいと思います。

T 折角何かのご縁で出会った人たちですから、通り過ぎるだけではもったいないと思います。人は人との交流の中で色々なことを学びます。交流して楽しく身に付けてください。

            ◆

S7 「四字熟語でポン」をやったのは、15分という短い時間だったのに、とても熱中して取り組んでいました。
誰からともなく、ルールを確認して、いつの間にか盛り上がっていたことにびっくりしました。
初めは、ルールの理解に苦しみ、知らない四字熟語に悩まされ、ドキドキしましたが、慣れてくるときっと、白熱したときの「ドキドキ」に変わってくるように感じました。
楽しくなれば、遊ぶ時間が増え、その結果として学習時間も増える。
それは、よい循環のように感じます。
しかし、先生がおっしゃっていたように、盛り上がっている時にブレーキがかけられなければ意味がないようにも思います。
そして、学習ゲームがマンネリ化しないことも大切だと思いました。
同じゲームでも応用すれば、たくさんの遊び方があるのだから、いろいろ工夫して利用できればいいと思います。

また、名刺を持つことに興味がわきました。
名刺は、自分をどんどんアピールできる素敵な道具だと感じました。
今日6限の、介護等体験特別講演会のときに、池田先生と北村先生の名刺交換の瞬間を見て、今日の授業でのお話にさらに実感を持つことができました。

S10 ゲーム感覚で学習する、というのは英語の学習に多かったので、国語でもそういった学習ができるのだなと実感しました。「四字熟語でポン」のゲームはルールが理解できずに苦闘しましたし、そもそも漢字が苦手なのでゲーム自体も苦戦しました。おそらく、初めてこのゲームをする中学生と同じ感覚になっていたのでしょう。生徒の気持ちを知るためにも、今日のこの授業はとても有意義だったと思います。
また、名刺のお話を授業で聞いた後、介護等体験の授業で実際に先生方の名刺交換を見て、なるほど、こういう風にするのか、と実際の例を見て学習できました。

T よく見ていましたね。君たちに教えた通りに私が出来ていたでしょうか。たぶん、大丈夫だと思うのですけど。

ポンの学習は、君たちに子どもが学ぶということを疑似体験するように指導計画を作ってみました。子どもというのは、「学び方を学ぶ」と「学ぶ内容を学ぶ」の二つのことを同時進行で行っているのです。教師は、もうとっくに「学び方を学ぶ」ことができています。だから、「学ぶ内容を学ぶ」を中心に授業をしてしまいがちですが、子どもたちは「学び方を学ぶ」も同時にやっているので、教師が想定している二倍の負担、二倍の努力を強いられているということなのです。

今回のポンの学習では、ゲームのルールを書いた紙を与えただけで、「さあ、やれ」と指示を出しました。これは、学び方までも自分で獲得しなければならないということを強く実感してもらうことも目的の一つでした。

たくさんのことを子どもたちに教えなければなりません。だから、教師は明確な指示ができなければならないのです。子どもたちを混乱に陥れることなく、学び方を学ばせ、学ぶ内容を身につけさせるためにです。

            ◆

S8 楽しみながら学習できる「学習ゲーム」は、すごく良い方法だと思いました。確かに、自分が学生の頃、先生が「大事だ」と言って長々説明していた古典の文法などは、なかなか覚えられませんでした。でも、今日やった「四字熟語でポン」みたいに遊び感覚、ゲーム感覚で出来たら、やっている間に覚えたり、生徒自ら覚えようとしてくれたりするので、良いと思います。覚えなければいけない、とか、やらなければいけない勉強よりも、覚えたい、やりたい、と生徒に思わせる事が大事なのだとわかりました。

S9 『ゲームをしながら学べる』なんて、子どもたちにとってはとても楽しい授業だろうな、と思いました。遊び感覚で受けられる、友達とわいわいできる、勝てば嬉しい、そして力が付くなんて、いいことづくしです。
集団のゲームなので、みんながやる気になれば、クラス全員の学力アップにつながりますよね。四字熟語だけでなく、応用もきくようなのでいろんなバージョンを考えてやってみたくなりました。

T 「大事だから勉強しよう」と、先生の言葉を理解して勉強する子どもたちは、「大事だ」と長々言わなくてももう勉強しているはずです。問題は、「大事だ」と長々言ったのに、「別に」とか「え? なんか言った?」と言っている子どもたちへの指導です。私は面白いからやるを基本的な考えに据えてこの授業を開発しました。みなさんは、なにを基本的な考え方に据えるのでしょうか。

            ◆

S11 「教師が熱心に教えれば教えるほど子どもは退屈する」という言葉が印象的でした。授業というものは子ども主体でなければならない、ということを改めて思い知らされました。

「徹底的に遊ぶ」という言葉も印象的でした。真剣に遊ぶ、というと何か矛盾しているようにも思えますが、実はそれはもっとも理想的な学習方法なのではないかと思います。

T 「教師が熱心に教えれば教えるほど子どもは退屈する」ということもあるということです.全面的に否定しているわけではありません。ただ、
(なんで先生、あんなに一人で燃えているんだろう?)
と思う子どももいますよね。私もそういう生徒の一人でした。

勉強とか学問とかというのは、成績が上がるから、または上がったから楽しいというのものではなく、勉強や学問をする時間そのもののが楽しいというものなのだと思います。さらに、遊ぶという行為は、人間の行為の中でもかなり人間的な行為です。犬はボールにじゃれますが、遊んでいるかというとどうでしょう。遊ぶというのは本能だけで生きることから解放された人間だけに許される行為ではないでしょうか。だとすれば、適当に遊ぶのはもったいないなあと私は、思うわけです。

            ◆

S12 今日の授業は「四字熟語でポン」に熱中してしまいました。最初はルールがわからずなかなかゲームが進まなかったので苦労しましたが、二回戦目ではルールもある程度把握でき、楽しかったです。でも肝心の四字熟語の意味がわからないものが多く、なかなかペアを合わせられませんでした。先生のかつての生徒のように資料集などで再確認したいと思います。
この学習ゲームによる指導法は負けず嫌いな人の方がより効果的だと思いました。

T 当たり前ですが、指導する側の人間は指導する内容についてきちんと理解しておく必要があります。私の直感からすると、指導する内容の5倍ぐらい知っていて、なんとか教えられる。10倍ぐらい知っていて普通に指導できるという感じでしょうか。

ちなみに、「負けず嫌い」って変な言葉だと気がつきましたか?

            ◆

S13 自分の四字熟語の知識の足りなさに衝撃を受けました。勉強します。なんだか授業を受けるたびに自分の学習不足に気付いている気がします。
“授業を参加型にする”試みはすごく魅力的で、是非自分もやってみたいと思いました。先生が説明するよりも、実際にやらせてみたほうが身に付く、という話にも納得しました。
しかし実践の場では、どう進めていくのか様々なパターンを考えるなど、しっかりとした準備が必要そうです。盛り上がりすぎたときや、逆に盛り上がらなかったときのこと。どうすれば盛り上げることが出来るか。このゲームをして生徒はどんな食いつき方をするだろう?とちゃんと考えられる自分でありたいです。
例えば参加型のゲームが嫌いだったり、気が弱くてクラスメイトと競うのが苦手だったり、負けたり間違えるのが恥ずかしくてたまらない子もいるはずです。そういった子にも楽しんでもらえるゲームの進め方を考えるのは難儀だと感じます。そこを頑張るのが教師の腕の見せ所だとも思いますが。

『四字熟語でポン』はルールが難しくて、理解するのに時間がかかりました。「学び方を覚える」「学習内容を覚える」を同時にするのは確かに負担です。最初は四字熟語カルタぐらいのシンプルな遊びからやらせてみたいです。
ただ、ルールを理解するときに班員とああでもないこうでもないと言いながら考えあうのは、仲良くなるのにいい方法だなと思いました。

名刺を使ってのコミュニティの広げ方の話を聞いて、「今までの自分はなんてもったいないことをしていたのだろう」と思いました。と言うのも、サークルで他の団体と名刺交換をする機会がここ数年何度もあったのに、交換したっきりで連絡をとらないことがほとんどだったからです。
確かに名刺をもらったあと交流に繋げようと努力している人は、携帯のメモリが500人を越えていたりします。そういった例を間近に見ながらも、自分はいいやと思ってネットワークを広げるのを放棄していました。
自分自身のためにもう少し努力してみたいと思います。

T 気づくだけ立派です。気づけばそこから努力が出来ますから。
(君は、国語の教師を目指すのだろ? そのぐらい知っていて当然じゃないか。そんなレベルのことを知らないでいて、教師を目指すなんて烏滸がましい。それに気が使いないのか!)
ということを言われかねない学生もいると思っています。

これからの時代、10年前なら絶対に合格しないレベルであっても、教員が足りないという理由で合格して教師になって行く学生がどんどん出てくることでしょう。教師になろうとする人たちからすれば、それはなりやすいのですから、良い時代です。しかし、子どもたちから見た場合、日本の社会、人類の発展から見た場合はどうなのでしょうか。ま、私が教師になった時にも、先輩たちはそんな風に思っていたのかもしれませんが。

中学二年生が覚えている内容を理解していないというのは、相当気合いを入れて勉強しないと「うっかり合格」してしまっても、その後がとっても大変ですよ。

             ■□■

同じ授業を受けているのだから、感想が同じようになるというのも分からないでもない。しかし、あまりにも同じだと、コメントをする意欲もなくなって行く。

掲示版では先に書き込んだ人の感想を読むことが出来るのだから、ちょっと確認してみると良いね。

だから、すぐに感想を書き込む人は、自分が思ったことをそのまま書けるわけだ。これが、すぐに書き込みをした人の特権である。

締切の時間ギリギリになって、しかもそれまでに何回も書かれていた感想を書くようであっては、採用試験の面接の答えで失敗するのが目に見えるようであるぞよ。

読む側の気持ちになろう。
あなたの感想は、ユニークか。即ち、あなただけにしかか書けない文章になっているか。これが大事なのである。

コメントをされる文章であることをしっかりと理解して、読者を意識しましょう。

                             国語科教育法通信 修学 NO34〜37

教師のスケジュール

中学校の教師の時も思っていた。
(こどもたちは、教師のスケジュールを知っているに違いない)
と。

『っじゃあ、今晩は軽く行きますか?』
と同僚と決めて、いつもより仕事をてきぱきとこなして、いざゆかん!
というときに
「先生、○○コンビニから電話です」
と生徒指導を告げる電話がある。
絶対、彼らは教師のスケジュールを知っているとしか思えなかった。

            ◆

ま、そこまでひどくはないが、昨日は集中して仕事をする予定であった午後に、大挙して学生が押し寄せてきた。教育実習前の相談や欠席の報告やらその他もろもろであった。予定していたお客さんは二組あったので、その前に終わらせようと思って板であるが、できなかった。

うむうむ。
明日やりきろう。

            ◆

夜はほんとうに久しぶりに雑誌を買って、ページをめくる。
ああ、旅をしたくなってきた。

2007/05/22

「大丈夫です」

気に入らない言葉がある。
「大丈夫です」
である。
これを聞いて、みなさんはイライラしないのであろうか。

最近学生がこれを使うとイライラする。別に学生でなくてもイライラすることもある。なんでこれを聞くとイライラするのか昨日から考えていた。一つの仮説が出たので、書いてみる。

通常私(と奥さん。奥さんとも話したのだ)が使うのは、以下のような場合である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

私が重たい荷物を持って、研究室から図書館に移動している時、先輩の先生が声を掛けてくださった。
「池田先生、大丈夫? 少し持ちましょうか?」
『ありがとうございます。ご心配には及びません。このぐらい大丈夫です』
と言って御礼を述べた。

引用終了 ーーーーーーーーーー

これである。
ところが、最近学生たちが使うのは、

引用開始 ーーーーーーーーーー

『ここは多くの人が通るところだから、そんなにだらしのない格好で椅子に座っているのではない。みっともないぞ』
「あ、大丈夫です」

引用終了 ーーーーーーーーーー

というのものである。何が大丈夫だ?

            ◆

この違いが分かって頂けるだろうか。
本来、大丈夫?というのは、相手を心配して掛ける言葉である。そして、その言葉掛けに御礼を述べて、「(心配には及びません)、大丈夫です」と答えるものである。

ところが、学生たちは注意を受けているのに、「大丈夫です」と言う。まるで、こちらが相手を心配しているかのようである。

違う、心配なんぞしていない。注意をしているのだ。

私は上記のようにイライラの原因について仮説を出してみた。そして、少し落ちついた。

            ◆

この手のイライラは、言っている本人には、自分が相手をイライラさせているという自覚がなく、イライラする側だけ、イライラするという問題を含んでいる。だから、ますますイライラする。調度電車の中でイヤフォンから音を漏らしながら、ノリノリになっている輩を睨みつける時に似ている。

原因が分かると少し落ち着くものだ。イヤフォンでも、周りが迷惑しているぞというオーラが本人を感じるようだと、こちらのイライラのテンションが下がるのと同じかもしれない。

            ◆

言葉は変わるものである。だから、仕方がないとも思う。だが、こういう文脈を無視した変わり方はイライラさせる。

「見られる」が「見れる」に、「食べられる」が「食べれる」に変わって行くのとは、性質が違うように思う。文脈ごと間違った使い方をしているということは、もう今までの文脈が存在竹刀と言うことにもなりかねない。

「(心配には及びません)、大丈夫です」という思考なり、文脈なりがないとなると、これは結構由々しき問題である。

はしかで休講でも?

私は早稲田は好きな大学である。イメージが良いなあと思っている。ところが、最近の早稲田はどうしたんだと思うことが多い。

引用開始 ーーーーーーーーーー

猛威「はしか」早稲田大学も休講…影響学生数では最大規模

 首都圏を中心に猛威をふるう「はしか」が学生に流行しているとして、早稲田大は21日午後から29日まで休講すると発表した。人気の斎藤佑樹投手(18)が所属する野球部など運動部は、部員に検査などを受けさせた上で、条件をクリアした者に限り、活動させることを決めた。

 大学本部がある東京都新宿区の西早稲田キャンパスをはじめ、都内と埼玉県内にある計8カ所のキャンパスが対象で、研究施設なども含まれる。影響を受ける学生は約5万5000人。日大や上智大が休講となり、この日も東京農業大が休講措置を取るなど、今月に入りはしかの感染が広がっているが、影響学生数で早大は最大規模となる。

 休講期間中、学生の敷地内への立ち入りを禁じ、大学施設利用やサークル活動も休止する。6月2、3日に行われる東京六大学野球、早慶戦の学生券計約1万4000枚を学内で販売する予定も延期した。

 運動部は公式戦を控えていることなどに配慮し、部員が(1)既にはしかにかかったことを証明できる(2)抗体検査を受け、はしかにかかる恐れがないと医師が判断した−のいずれかの場合は練習などへの参加を認める。東京六大学野球連盟は「現時点で早慶戦は予定通り」としている。野球部は現在8戦全勝で、早慶戦で1勝すれば東京六大学リーグ連覇が決まる。

 同大広報課によると、4月下旬から今月21日までに計30人の学生がはしかに感染していることが確認され、急きょ休講を決定した。国立感染症研究所は「流行は今後も継続、もしくは拡大する可能性が高い」と注意を呼び掛けている。

★卓球の愛ちゃん「私は大丈夫」

 今春から早稲田大に入学し、卓球部に所属する福原愛選手(18)は21日、世界選手権のため滞在しているザグレブで「(ニュースは)聞きました。わたしは予防接種を受けているので大丈夫です」と冷静に話した。福原選手は15日に日本を離れており、大会終了後の29日に帰国する。男子代表の松下浩二選手(39)も大学院に在籍しているが、「メールで休講を知りました」と驚いた様子はなかった。

http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200705/sha2007052211.html

引用終了 ーーーーーーーーーー

早慶戦はやるそうだ。たしかに「早慶戦の学生券計約1万4000枚を学内で販売する予定も延期した。」とあるけど、優勝がかかっていれば、どっかから手に入れて見に行くでしょう。たしかに「部員が(1)既にはしかにかかったことを証明できる(2)抗体検査を受け、はしかにかかる恐れがないと医師が判断した−のいずれかの場合は練習などへの参加を認める。」とあるけど、応援に来る人たちはどうするの?

学校は集団を扱っている場所。だから、予想される悪い状態の、もう一歩踏み込んだところで線を引く必要があるはずだ。この早稲田の判断では
「早慶戦のために休講にしました。応援に来てね」
と言われても仕方がないような気がする。

どうしたんだ、早稲田?

『とめはね! 1』(河合克敏 小学館)

『とめはね! 1』(河合克敏 小学館)を読んだ。文科系青春コメディーである。高校の書道部が舞台の漫画である。

まだ一巻しか出ていないが、まあ、それなりに楽しめそうである。書道の上達に向けてさまざまな話が出てくるものと思われる。「永字八法」「三折法」などの基礎的な書法の説明や、「九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんのめい)」などのお手本の話が出てくるわけで、それはそれで勉強になる。

が、しかし。残念ながらその作品中で使われている書道の作品が、上手くない。わざわざ大学の書道部の学生に書いてもらったりしているのだが、びっくりするぐらい上手くない。これが上手い字だと思って若者が読んだら、駄目でしょ。

うちの大学の書道科の学生の方がよっぽど上手い。書かせてくれれば良いのに。それに、お手本なら、古典から集字(しゅうじ)して、それを使えば良いのに。

そこだけ(というか、そこが駄目だと駄目という説もあるが)だめだが、あとは勉強になる本かもしれません。>Nekoskeyさん。

小さい勇気をこそ

「明日の教室」に参加している学生さんから、冊子を戴いた。『ほんものはつづく つづくとほんものになる ー東井義雄伝ー』(村上信行 株式会社タニサケ)東井先生に指導を受けたという著者の先生が、書かれた冊子だ。学生さんの故郷の大先輩が東井先生だというのだ。

私は東井義雄先生のことは、ほとんど知らない。いくつかの素晴らしい実践と、詩を知っているだけだ。折角だったので今日はその冊子をじっくりと読んだ。

涙が出てきた。
こういう教育をする先生がいて、こういう教育ができる時代もあったんだなと。いや、楽をしているというのではない。厳しい厳しい教育をしている。でも、あたたかいのだ。

私も勇気をもらった。私は、だらしなくてなんとか教師をやり続けているという思いが強いが、東井先生であってもそうであったのかと思った。

先週の研究入門ゼミで学生たちに、五分間の大切さについて話した。大事なのは、一時間頑張ることではなく、五分間頑張ることである。その五分が一年後にはとんでもない差異になるのだと。

それと同じようなことが、書かれている詩があった。

引用開始 ーーーーーーーーーー

小さい勇気をこそ

                  東井義雄

人生の大嵐がやってきたとき
それがへっちゃらで乗りこえられるような
大きい勇気もほしいにはほしいが
わたしは
小さい勇気こそほしい
わたしの大切な仕事をあとまわしにさせ
忘れさせようとする小さい悪魔が
テレビののスリルドラマや漫画にばけて
わたしを誘惑するとき
すぐそれがやっつけられるくらいの
小さい勇気でいいから
わたしはそれがほしい
もう五分くらいねていたっていいじゃないか
けさは寒いんだよと
あたたかい寝床の中にひそみこんで
わたしにささやきかける小さい悪魔を
すぐやっつけてしまえるくらいの
小さい勇気こそほしい
明日があるじゃないか
明日やればいいじゃないか
今夜はもう寝ろよと
机の下からささやきかける小さい悪魔を
すぐやっつけてしまえるくらいの
小さい勇気こそほしい
紙くずがおちているのを見つけたときは
気がつかなかったというふりをして
さっさといっちまえよ
かぜひきの鼻紙かもしれないよ
不潔じゃないかと呼びかける
小さい悪魔を
すぐやっつけてしまえるくらいの
小さい勇気こそわたしはほしい
どんな苦難ものり切れる
大きい勇気もほしいにはほしいが
毎日小出しにして使える
小さい勇気でいいから
それがわたしは
たくさんほしい
それに
そういう小さい勇気を軽蔑していては
いざというときの
大きい勇気もつかめないのではないだろうか。

引用終了 ーーーーーーーーーー

本当に、教育って奴は小さな勇気をきちんと使えるかどうかなんだと思う。面倒くさくて、かったるくて、しんどいのが日々の教育実践。この面倒くさくて、かったるくて、しんどいのを乗り越えるために必要なのが、小さな勇気だと思う。

東井義雄先生でもそうだったんだ。
私ぐらいで、めげていては駄目だと改めて思う。

2007/05/21

日曜日であった

日曜日はまず車を取りに大学に向かう。親睦会でお酒を飲むので一度家に置きに行きたかったのだが、時間がなく置いて行ったので取りに行ったのだ。平日ならバスがあるのだが、日曜日はない。そこで椥辻(なぎつじ)駅から歩くのだ。

去年の四月、五月はこうして歩いて大学に向かっていたのだが、久しぶりに歩くと結構距離があるなあと実感。もちろん、たったか歩いたのではなくフラフラ歩いたので時間が掛かったのもあるが。

でも、
(へ〜、こんなのがあったの)
と地元再発見。これも昨日のWSで学んだことが生きているのだろう。

            ◆

日曜日の大学は、とても気持ちがよかった。
体育館で学生がクラブ活動をしている以外は、シーンとしていて、昼休の時間になるとごった返す中庭もほんとにひっそりとしていて、いい。

研究室棟に繋がる道は、緑のトンネルになっている。
うぐいすも鳴いている。
一人森林浴だ。

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            ◆

研究室で片付けをして家に帰る。
午後からは琵琶湖博物館に行くのだ。

第三日曜日は、滋賀県の文化施設、大津市の歴史的建造物等が県民、市民は無料で入れるのだ。新入生キャンプで琵琶湖博物館には行ったのだが、もう一度見たいと思って行った。やっぱりここは凄く良い。

普段の生活であれば、地球の歴史の中で滋賀県がどのような位置にあるのかなんて考えもしない。その辺にこがっている石が、一つは珊瑚から出来たもので、一つがマグマの吹き出しから出来たものだなんて思いもしない。でも、それが滋賀県なのである。そんなのが簡単に分かるのが凄い。

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じっくりと、2時間ちょっとの時間をかけて見た。
美しい景色と、知的な興奮を手に入れた日曜日であった。

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2007/05/20

自分の世界を広げようとして社会と懸命に格闘している方

第二回明日の教室の開催でした。

午前中は歯の具合が悪くなったので飛び込みで歯科医院に向かう。その後、大学に向かって研究会の準備をする。準備の後、一度車を家に置きに行こうと思ったのだが、参加されるみなさんが集まってきたので、これで事務局がいなくなるのもまずいと判断して、そのままいることに。

生協で食事をしていると、参加するE君に会う。いろいろと話しながら食事。一ヶ月に一回こうして会うってのは、いいなあ。

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岩井さんをお迎えしての「明日の授業」は、二部構成。一部は、光が丘団地で取り組んだ実践の紹介。そして、二部は粘土で実作。「幣のフィールド」だ。自分の作った作品が、北海道の十勝千年の森で、千年間保管される。その作品を作るのだ。

自分の作った作品が自分の手元に戻らずに、千年間保存される。もちろん、千年後なんて誰も分からない。が、その千年と言う時間に自分を一度置いてみるイマジネーションを持てるだけで素晴らしい。

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私も作ってみた。
「○○○を粘土で作ろう。それは□□□だから(のために)、完成後は手元を離れて北海道の森の中に置かれます。」
という指示の下に考えてみた。

私は「酒器を作ろう。それは平和のためだから」という考えを持った。千年後発掘した人がいたとして、私の作った酒器で一杯やってくれるようなことがあれば、それは平和な時代、平和な時間なんだろうと思ったからだ。

ところが、実際に作ってみるとこれが難しい。薄くて口当たりの良い酒器を作るつもりだったが、粘土の厚みが上手く出せない。

そこで、途中で考え直す。じっと粘土を見て思いついた。
(餃子を作ろう)
である。自分が好きなものを作る。千年先の人に伝える。白で伝える。なら、餃子が良いとおもったのだ。

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餃子の具は何にしようかなあと思った。
結論。夢とした。見えないけど、夢だ。これはいい。

そしたら、もう一つ作りたくなった。ショウロンボウだ。包む繋がりだ。ここには、希望を包もう。なんか楽しくなってきたぞ。

さらに作る。参加者のみなさんは、人間を立体的に作ってる人が多い。私も作ろうかと思ったが、やめた。石碑にした。石碑を作り、そこに最後に「こども」と文字を残した。

そして最後の最後。粘土を右手でぐーっっと握ってお仕舞い。テーマは「ガッツ」。千年後に、
(これなんだ?)
と手にした人が、私の手の形に合わせてこの作品を握ってくれる人がいるんじゃないかなと思って作った。

            ◆

だんだん、このワークショプの凄さが体にしみ込んできた。
言葉を扱う国語の世界から離れ、ものの世界にはまり込む。そして、千年後にこの「もの」から、新しい言葉を手にする。これは壮大な手紙なんだなあと思う。いやあ凄い凄い。

            ◆

会の後、懇親会に向かう。参加されたみなさんとお話。いつも思うが、研究会はここまでがセットだということ。あれやこれや話しながら深めて行くのが良い。

私の周りには国語関係の参加者が集まり、短歌の指導法、漢字の指導法などを中心にミニ講座。さらに、書道の話やらなんやらを続ける。これは一度国語スペシャルをやるか?と思ったな。

            ◆

楽しい時間はあっという間に過ぎ、地下鉄に乗る。私は、講師の岩井さんと一緒に山科で降りる。

で、次の電車の時間まで30分あり、まだ話をしたかったので、もう一軒岩井さんと行くことにする。ここでもヒジョーに良い時間を過ごせた。自分の世界を広げようとして社会と懸命に格闘している方との会話というのは、本当に楽しい。

ああ、事務局としての役得かなf(^^;。

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