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2007/06/02

学生に引かれて書道店

昨日も引き続き三人に実習の事前指導を行った。
一人は書写と国語の授業をするので、両方とも指導案を見る。私は国語科教育法の授業担当だが、まあ、それなりに書写の指導も出来るので指導案を見る。

指導をしているうちに、気になることも聞いてみた。

『筆とか、硯とか、紙とか大丈夫だった?』

            ◆

中学校によっては書写の授業をしていないところもある。本当はしなければならないのに、していないところもある。私は中学校できちんと指導していたのだが、これが逆に

「なんで書写なんかやるのですか。○○中学校はやらないで問題集を解いています」

とクレームの電話に繋がることも合った。ディベートも初期の頃はそうだった。話し合い活動等やらなければならないことをやっていると、クレームが入るのだ。

やるべきことをやっている私がクレームを受けて、やるべきことをやらない人が誉められるなんて、世の中は面白いものだと思った。

            ◆

で、やっていない中学校の場合だと、生徒の持っているお習字道具は悲惨な状況になっていることが多い。墨でガチガチに固まった筆やカスが溜まりに溜まった硯等。これではいくら書いても上手くならないというお習字道具になっている。

専任であれば、安くてしっかりした筆を買わせてしまうという手もあるが、実習生ではいかんともしがたい。でもしっかりと実習させたい。

そうこうしているうちに、硯を研ぐ砥石があることもしらないということにが判明した。さらに先生用の朱墨を使う筆も用意していないことに。おーし、買いに行きましょう。こうなったら事前指導できることは全部しておきましょう。砥石を持って実習に行ってもらいましょう。私も大学に出入りしている書道品店がどこにあるのか知っておきたいし。牛に引かれて善光寺ならぬ、学生に引かれて書道店である。

            ◆

買いに行く道すがら、学生と話した。実習後にすぐ作品展の締切があると言うのだ。

「実習に行っていると書ける時間がなくなるから、作品展が心配です」
『ま、そうかもしれないが、作品というのは技術が良ければ書けるというものでもないからな』
「?」
『一言で言うと人間性というものが影響するということだよ。教育実習を通して君の人間性が豊かになれば、同じ程度の技術であってもぐっと作品が良くなることがある』
「あ、そういうえば、先週末に良いことがあった友達の作品が、ぐっと良くなったと本人が言っていました」
『うーん、それとも違う。それは人間性ではなく、感情のレベルであろう。それを求めてしまうと行き着く先は、お酒とか薬になってしまう。それはマズい。そうではなくて、人間性なのだよ』
「?」
『んーっと、例えば戦国時代の侍等は、戦に向かう朝にきちんといつも通りのことが出来るかどうかを確認したと言う。顔を洗い、食事をしと。平常心が保たれているかどうかが、大事なのだ。いつも通りの自分で入れることが、日頃の鍛錬の成果を出せることに繋がるわけだな』
『だから、自分の質そのものを育てて行き、作品を制作するにあたっては、「無心」の状態で挑み、自分の技術の向上だけではなく、自分の人間性の高まりが作品に出るようにして行くことが大事なのではないかな』
「はい。でも、あと卒業まで1年もないのですけど、それはできるのでしょうか」
『あほ。後一年で出来るのであれば、私がこうして努力しているのはなんなんだ。出来る分けないだろ。一生かかって高みに上って行く稽古ぢゃ』
「はい」

さあ、来週からの実習頑張れよ。

            ◆

大学に戻って『月刊 国語教育』の9月号の原稿を一つ仕上げる。すると、採用試験を受けることで別の学生からの相談。よしよし、話を聞きましょう。今日あとやる仕事は明日に回して聞きましょう。今週末は外に出て行く予定はないので、大丈夫です。


2007/06/01

シニメニ

京都市内は、緑が深くなるに連れて修学旅行生が多くなってくる。
桜の時期と紅葉の時季の間が修学旅行なのである。ま、桜や紅葉はオトナになってからねということであろうか。

東山五条の横を国道一号線が走っている。京都市内から大学方面に車で向かう時はこの坂道を使う。坂を上って行くと左側にたくさんのお墓がある。運転中であっても、思わず、親指を隠してしまう。

            ◆

「お墓や霊柩車、それにお葬式を見たら親指を隠すように手を握るのよ。そうしないと親の死に目に会えないのよ」

と習ったのは小学校に入る前であろうか。

(親のシニメニ会えない?)

小学校に入る前の私である。シニメニが、死に目にであるなんてことは全く分からない。だが、「親のシニメニ会えない」という言葉の響き、さらに「親の」という言葉から

(うーん。シニメニというのは、とても大事なことらしい。親に関係しているのだろうし、そのシニメニさんに会わないと、とても大変なことになるらしい)

という理解の流れで、瞬間的に親指を隠すようになった。かれこれもう何年経っているのだろう。一番長続きしている生活習慣かもしれない。

            ◆

修学旅行も随分変わった。
私は、中学校にいるときは修学旅行廃止論者であった。高いお金を出して、集団で、そんなに良い宿でもなく、おいしい料理でもなく、学習効果の高いものでもなく、夜の危険の伴うところに連れて行くことに、さほど意味を感じなくなっていた。

日本が戦後貧しかった時に、子どもたちに見聞を広げさせるためにはこの修学旅行はとても意味があったかと思うが、さて、今の時代に今の方式でそんなに意味があるのかと思う。

子どもたちがやりたいのは、「仲間たちと夜通し話をすること」だと思っていた。そうならば、何も遠くに連れて行かなくて良い。学校に泊めれば十分である。親の協力を得て夏休みの一日を学校に泊めた。災害時の宿泊訓練にもなる。費用は500円だった。

だが、どうしても外に連れて行きたいというのであれば、ということで東北での実施も考えた。移動教室であったが、宿の分宿等を行い、夜の安全を確保し、地元の人との交流を密にし、事前にはインターネットの掲示版を使って宿のご主人と生徒が交渉を行った。

その時の様子は、「移動教室の改革−分宿の試みとインターネット無料掲示板を活用した事前学習−」(「授業づくりネットワーク」2003/10)にまとめてある。

            ◆

自分が中学のとき、京都に修学旅行に来た時は、

(うーん、いつも指を隠していないといけないな)

と思っていたのを思い出した。

清水坂を汗をかきながら歩いて上ったなあ。
親に夫婦の清水焼の湯のみを買ったなあ。

御陰さまで、両親は元気に暮らしている。

オーダーメイドのレッスン

昼休の会議の後、教育実習に向かう学生三人を指導。研究授業の内容は、小説、詩、道徳という取り合わせだ。

国語科教育法では、一つの教材を細かく分析してそこから授業をつくると言う体験は模擬授業でおこなうだけである。この模擬授業一つでも学生たちは自主的に合宿を行って作り上げてきたぐらいだから、かなり分析はしている。

しかし、残念ながら圧倒的に分析する作品数や時間が足りない。教材の分析の仕方も教えきれていないと思う。だから、実習の時に一人一人の作品に対応して教えるようにしている。オーダーメイドのレッスンである。贅沢だなあ。

今はまだ、児童教育学科の学生で実習に向かう学生ではなく、去年の国語科教育法の学生が中心なので、数が少ない。それだから丁寧に見てあげることが出来る。この方法を二年後にやっていたら、ちょっと厳しいなあと思う。工夫しなければ。

            ◆

小説は、分析批評と形象読み、詩は形象読み、道徳は「大人とはなにか」について扱うことになる。小説では、導入レッスンとして小説にある挿絵の読解をする。学生にやらせてみたら、非常におもしろがっていた。これを生徒にもやるのだ。

道徳の「大人とは何か」は、去年の私の「大人とは何か」の授業を受けていない学生が挑戦する。社会科の教育実習に行くのにも関わらず、研究授業は道徳でしてねと言われたので、慌てて必死に準備をしている学生である。

いくつかの道徳に関する資料を渡して、
『どれをやりたいか考えてご覧なさい』
と指示を出したら、これを選んできた。

うーん、頑張れよ。大変だぞ。

今年は、学研の『NEW教育とコンピュータ』で大人論を少し展開しているので、あれこれ言ってあげたいが、ここは自分で考えるのが大事だからなあ。とはいえ、少しヒントを上げなければと思い、20代の後半に書いた「大人とは何か」の授業記録と参考図書を数冊貸す。

うーん、頑張れよ。大変だぞ。

            ◆

途中で、既に教育実習を終えた学生が挨拶に来る。
パッと見た瞬間、ほっそりとした印象。
『痩せたんじゃない?』
と聞くと
「ずっと話していたので、あごの周りがすっきりしました」
とのこと。ふーむ。

実習中の写真に研究授業の指導案、授業の資料等を持ってくる。彼女は書道の実習だった。唐の四大家、特に歐陽詢(おうようじゅん)76歳の時の最高傑作、九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)なんかをしっかりと教えている。気になっていた板書も、それなりに読める。これなら来年書道の先生になっても大丈夫だ。

実習後は、本当に一回り大きくなるなあ。

しかし、大学の教員になるとは3年前には夢にも思っていなかったが、大学の教員になって国語だけでなく、道徳や、書道の指導までするようになるとは、夢の夢の話であったなあ。でも、書道を志す学生たちと話が出来るのは、とても面白い。九成宮醴泉銘だけで話が伝わるなんて気持ち悪くて心地よいf(^^;。

            ◆

夜は、満月の一日前の月を愛でる。
サボテンの花が大量に咲き、えも言われぬ香りの中に、月が浮かぶ。

今日も一日、よく働いた。

2007/05/31

感じたことを考えたことへ

研究入門ゼミを終え、ぽつぽつ届く君たちの感想を読みながらつらつら考える。
(今日の授業はどうだったのか、来週の授業をどうしようか)
の二点である。

           ◆

学ぶとは、未知なる状態へ自分を投げ出し、学ぶ前と学んだ後で自分の変化があることをいう。授業の感想文は、君たちが授業を受ける前と受けた後での変化を気づかせる目的もあって書かせている。

そろそろ変わって行くかなと思って少し期待を持ちながら読んでいるのだが、まだ、変わらない。前期の研究入門ゼミも半分まできたので、待つのをやめて少し書いておこう。

君たちの感想文は、思ったことをポンと書くだけの感想文が多くて、はっきりいって面白くないものが多い。

学校教育と言う場は、特殊な場でそこで学んでいるものは平等に扱われる。つまり、どんなに詰まらない文章を書いても、読まれるのだ。いま、私は全員のを読んでいる。しかし、世の中は違う。

面白い文章、センスのある文章、ためになる文章、読みやすい文章、読まなければならない文章。これらだけが読まれるのである。

           ◆

私が読んでいていて面白いと感じる文章は、「自分の中をくぐり抜けている文章」である。

たとえば、それは私が授業中に出した小さな疑問について、自分で調べて答えを出したものでもいい。または、こうしてはどうだろうかとした提案を実際にやってみたことでも良い。さらに、私の考えに自分の考えをぶつけて、違うのではないかと疑問を提出するものでも良い。

名刺を作ろう、靴のつま先を前に向けて入れてみようなどいくつかの、小さな提案をそれぞれ理由を付けて話して見ている。くだらない、ちいさな提案である。だが、それをやってみて感想文に載せることが出来ているものは、面白いなあと思う。仮に、「意味がない」「つまらなかった」でも、これはこれで面白い。

一方で、これは脊髄反応か?と思うような簡単な反応。つまり、あなたが書かなくても誰かが書くであろう反応、感想を書くような感想文もある。ここういう文章を書き続ける人は、やがて誰も読まない文章を書くことになって行くだろうなあと思う。

感想文を求めているが、そろそろ感想から思考へと文章が深化していかないかなと思っているのだ。

           ◆

教師は、基本的には「関わっている相手を良くしよう」と思って行動する。だから、自分の今まで経験や考えで、こうしたらいいと思うことを言う。

この時に、諸君は素直に受け入れるべきである。
君たちには「生意気だが、謙虚である」ということを求めた。それが若者だと思うからだ。同じように「素直だが、批判的思考は持っている」という諸君でもあってほしい。

なんか矛盾しているなあと思うだろうが、人間とは矛盾している存在なのだ。君たちが教師になると、また親になるとわかることがある。

「この子のためになら、死ねる」
「この子のために、死ねない」

という矛盾した思いである*1 。

*1 内田樹先生の名言である。

           ◆

君たちは、何かの縁で京都橘大学の児童教育学科の一期生になり、しかもCクラスとなった。その授業担当者が言うことを、取りあえずは素直にやってみることである。そして、その上で批判的に考えるべきである。

まずは受け入れるべきである。なぜならば、君たちはその受け入れるべき内容の価値を理解しきれていないからである。

北海道の中学校国語の教師で畏友の堀先生は、このことについて、以下のように説明している。

「先生、なんで勉強しなければならないのですか」
『お前は、かけ算の九九は大事だと思うか?』
「はい」
『何年生の時に習った?』
「小学校2年生ぐらいです」
『その時は、大事だと思ったか?』
「え?」

つまり、学んでいる時にはその大事さが分からないことがあるのだ。嘗ては、先生がやれと言えば子どもたちはやった。怖いからやりました。親もやれと言うからやりました、誉められたのでやりました。みんながやるのでとりあえずやっていましたなど、いろいろな理由があるが、多くの子どもが結果的にやっていました。

が、いまは、
「私は納得しないからやりません」
とやらない子どもが増えている。

まてまて。成長する前の人間が成長した時に理解できる価値観を理解できるわけがない。納得しないからやらないなんていっていたら、いつまでたってもできやしない。そして、気がついた時には圧倒的な差がつくのだ。

学ぶとは、未知なる状態へ自分を投げ出し、学ぶ前と学んだ後で自分の変化があることをいう。そうだとすれば、納得できない状態は未知なる状態であり、不安な状態である。この状態に自分を投げ出すのは、人間の本能として怖いと感じる部分かもしれない。

しかし、ここを乗り越えない限りは学びは成立しないし、学びの向こう側にある、成長やら喜びやらにもたどり着けない。

だから、大人は
「先生がやれと言えばやりました。怖いからやりました。親もやれと言うからやりました、誉められたのでやりました。みんながやるのでとりあえずやっていましたなど」
手を替え品を替えやらせていたのです。

           ◆

とくに、毎週毎週感想文を求めているわけで、ここで君たちに感じたことを考えたことに高める機会を用意しているつもりでもある。

携帯電話からの書き込みは、通学時間の長い君たちに取って便利であろうという思いもあって、この方法をやっているが、ひょっとしたら考えない諸君を育てているのではないかとも思い始めている。

あの連想単語検索機能だ。打ち込むのではなく、今まであった単語を選んで並べるだけの機能であれば、今まで使った言葉を並べてお仕舞いという「感想文」になっているのではないかとも思うのだ。

毎回の授業は、違うものであると思うのだが、または違うように準備しているはずだが、君たちの「感想文」を「見る」と、
(うーん、考えたのかな)
と思う文章が多くなってきているような気がする。(きちんとした調査はしていないけど)

どう? 考えるトレーニングをしている?

           ◆

さあ、話が広がったぞ。大丈夫か、理解している? 簡単にまとめる。

1)学ぶとは、未知なる自分に向けて変革を求める行為である。
2)そのためには、素直で批判的でなければならない。
3)理解できないからやらないでは、進むことはできない。
4)面白い感想文を読みたい。感想文は、思いの文章から自分をくぐり抜けた思考の文章へと深化してほしい。
5)考えるトレーニングをしてほしい。

というところである。アンダスタン?

           ◆

次週は企画作り。
さあ、良い企画を楽しみにしています。
プレゼンのコンぺも楽しみにしています。

5/24

研究入門ゼミ通信 起筆 NO.11~12

2007/05/30

自分の中をくぐり抜けた感想

前期も半分授業が終わった。
学生たちには毎回授業後の感想を書かせている。
指導を重ねてきた結果が出てきたか、このところ少しずつ良くなってきている。
うれしい。

            ◆

脊髄反応のような感想文はいらない。
そうではなくて、自分の中をくぐり抜けた感想を書けるようになってほしいのだ。

90分の授業があれば、自分に何かしら反応する部分があるはずである。ざらっとしたものや、おやっ?としたもの。さらには、ん?とか、違うんじゃないの?などのものがあるはずだ。

それを授業後に考え直して、何が反応したのか、なぜ反応したのかを自分の体験や経験に引きつけて考えたものを感想文に求めていたのだが、それが少しずつ出てきた。感想文は一つのエッセイになっていってほしい。

            ◆

もう一つは、おやっ?とか、ん?と思ったことに関して、自分で授業後にきちんと調べて、それも含めて感想文に載せる諸君が出てきたことだ。

私が授業中に坂本竜馬の名言を話したところ、
(他にもあるはずだ)
と『竜馬が行く』を読んでみて、探してみる学生が出てきたりしている。

さらに、これらの参考図書関連のURLをクラス掲示版に貼付けてくれている。こうして、一人の学びが仲間の学びにもなっていく姿が、授業後の感想文から始まるのはとてもうれしい。

            ◆

情報は、出す。
情報を出したところに、情報は集まる。人は集まる。

そんな学びを実感してほしい。
さあ、前期もあと半分である。

2007/05/29

ものを作らせる時は

午前中に急用が入って京都市内の北の方に向かう。山中越えをして向かったのだが、山藤の花はもうすっかりと散ってしまい、緑が深くなった山に隠れてしまったかのようであった。一気に夏が迫ってきていると感じる。

            ◆

前回食べられなかった東龍の「中華ラーメン」を昼ご飯に食す。私には合っているラーメンだ。満足。

            ◆

授業の前に、ある打ち合わせ。
この打ち合わせが上手く転がると良いなあ。

            ◆

授業では、国語科教育法1で「和綴じ本」の作り方の実習。
私の授業では、メモと資料をすべて最後に和綴じ本にして提出することにしている。そのやり方を教える。

書道科の学生は作ったことがあるというので、彼女等を小先生にして進める予定であった。どうやって作ったのかと聞くと、
「このプリントを見て作っておくように」
という指示で作ったとのこと。

そうか、大学生にはそれでいいんだ。
だが、「作っておけ」で良いのかもしれないが、私は「作り方を教えるにはどうやればいいのかを教える」という部分があるので、実際に作らせて解説をしなければならない。手品をしながら手品のネタとやり方を教えるようなものである。

学生の作っているのを見ながら解説を入れる。
生徒にものを作らせる時は、

1)完成したものを見せる。
2)いくつのプロセスがあるかを示す。
3)いまがどのプロセスの段階なのかを示す。

ということをしながら、作って行く。

学生の進度に差が出てきたのであるが、小先生の動きを期待してなるべく手を出さないようにしていた。これがいろいろな効果を出す。ふむふむ。

            ◆

授業後は、実習に向かう学生の相談に乗る。なんか駆け込み寺になってきているなあ。まあ、一生懸命にやろうとしている学生の応援はするつもりだ。

自分はこうしたい。それについて、先生はどう思われますか?

そういう姿勢の学生はウエルカムである。

2007/05/28

その目を閉じて

ZARDのボーカル坂井泉水さんが亡くなられていた。結構ショックである。
彼女の歌は、瑞雲中学校時代に軽音楽部の顧問をしている時に、生徒が良く歌っていたので知った。なんというか、切々と歌う歌い方が印象的であった。

当時の教え子で、作詞にもの凄い才能を持っている生徒がいた。旺文社の主催する中高生の作詞作曲大賞の作詞部門でその年のグランプリを取ってしまった生徒がいた。その彼女が理想としていたのが、坂井泉水さんであった。

            ◆

itunesを調べてみたら、「負けないで、揺れる想い、Don't You See、君に逢いたくなったら…」などの名曲を見つけた。

実は、私は、ZARDに曲を提供していた織田哲郎さんのファンでもある。彼のデビューアルバムのオープニング曲の「Lucie My Love(1984/05/21)」に衝撃を受けて以来、ファンなのである。(最近は聞いていないが)。

その曲を思い出すと、あの当時のあの場所が、色や温度、いや湿度までもが、ありありと目に浮かぶ。
そして、その曲の向こうに彼女の歌う姿も目に浮かぶ。

その目を閉じて、彼女の冥福を祈ろうと思う。

2007/05/27

只管書きまくる

久しぶりにゆっくりと起きる。
風呂を洗って、湯を貯めて、つかる。ふう。
昨日からの黄砂が少しあるかもしれないが、良い青空だ。

            ◆

今日は琵琶湖のブラックバスを駆除するための釣り大会があるので、参加しようかと思っていたが、やーめた。たまには、何もしないで家にいよう。

なんてことにはならないのが、私。
パスタの昼食をとってから、原稿執筆に没入。今年は今のところ3冊を予定していて、その内2冊はほぼ原稿が出来ているのだが、こちらの本の出版のタイミングは今年の後半か、年度の後半。原稿の出来ていないこの本の出版予定を七月の末に目指して、今書いているという状況です。

今日の午後は。この原稿をずーっっと書いていました。
プロットは出来ているので、あとは只管書きまくるわけです。
うーむ。頑張れ、オレ。

            ◆

6時になると琵琶湖は花噴水があがる。
この時期の6時はまだ昼間の明るさだ。琵琶湖は青く輝いている。

(さて、PCを止めて買い物でも行くか)

と電源を切ろうと思ったところで、itunesからキースジャレットのケルンコンサートが流れてきた。うひゃあである。全くシャッフルってのは意表をつくなあ。

ケルンコンサートを聞きながら、青い琵琶湖を見る。うひゃあ、何とも贅沢だあ。

            ◆

本屋に出掛けてうろうろしていたら思っていたよりも時間がたってしまった。そのまま久しぶりに奥さんと外食とした。

怒濤の一週間の終わりに相応しい、良い日曜日であった。

第三回 明日の教室 ご案内

第三回 明日の教室 ご案内

第三回のご案内をいたします。今回はお笑い教師連盟の重鎮で、日本教育ミニネタ研究会代表の土作彰さんを講師にお招きします。是非多くの方にこの「笑撃」のワークショップを体験して頂きたいと思います。

なお、大笑いする都合から、当日はハンカチ等をご用意下さい(笑)。

日時:6月23日(土)  13:30~17:00
会場:京都橘大学児優館 理科室
http://www.tachibana-u.ac.jp/official/information/access.html
講師:土作彰さん@奈良県広陵町立広陵西小学校教諭
会費:一般2000円、学生1500円

申し込み:http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P2213754  ◆3

昼食:大学の生協食堂が開いております。安くて美味しい本学の生協の食堂をご利用ください。

講師略歴  
土作彰さん@奈良県広陵町立広陵西小学校教諭

著書には、『ミニネタで愉快な学級を創ろうよ』 土作彰編著、『ミニネタ&ゲームで面白い授業を創ろうよ』 土作彰編著、『ミニネタ&ワークショップで楽しい道徳授業を創ろうよ』 土作彰著、『基礎学力がつくワークショップ型授業』 土作彰著などがあり、日本教育ミニネタ研究会代表も務められています。

内容 「明日から使えるミニネタ授業(仮題)」
土作先生による、明日から使えるミニネタを可能な限り、楽しく、多く紹介してもらう予定です。
(こんなに笑い続けながら学べる理科の授業があるのだ)
とみなさんは衝撃を受けることでしょう。

              □■□ 

今後の予定:

7月7日(土)
講師 佐藤正寿さん@岩手県奥州市立水沢小学校教諭

8月25日(土)  
講師 野中信行さん@横浜市立大池小学校教諭

9月15日(土)
講師 蓮行さん@劇団衛星代表

◆1 研究会の日程は講師の都合等により、変更する場合もあります。
◆2 時間はすべて13:30〜17:00を予定。会場はすべて児優館を予定。
◆3 申し込みはすべて、http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P2213754から。なお、グーグルで、「池田修」と検索して頂ければ「国語科・学級経営のページ」というHPが出ます。そこを開いて頂ければ「メールはこちらへ」とあります。そこのことです。

東京へ 2

泊まったホテルは、神田駅の近く。24時間入れる大浴場があるのが決め手。結局水生生物の私。朝、風呂に入り、用事を済ませ、いざ研究会へ。

            ◆

東京は奇麗な青空であった。
そして、夏だなあと思う。

東京駅には、ビジネスマンに混じって旅に向かう人たちの姿も見ることが出来た。その人たちの出で立ちが、白を中心にしたものが多いのだ。夏らしい。
その姿を見ながら、京都も、滋賀も暑いんだろうなあと思う。

            ◆

研究会は西川純先生の提案される「学び合い」についてのもの。「第1回 『学び合い』を学ぶ研究会 in 埼玉」である。全国大学国語学会と日程が重なってしまったのだが、今回はこちらに参加。第一回ということもあるし、事務局が昔お世話になった杵淵先生ということもあって。先縁優先とした。スケジュールがどうなるかちょっとごたごたしていたが、それを調整して伺った。

会場の本庄早稲田駅にたどり着くと、あべたかさんとばったり。あべたかさんが参加するのはブログで分かっていたが、私の日程がうまく都合がつくかどうか分からなかったので、私のブログには書いていなかった。

で、駅でいきなり対面。
いやあ、びっくりしたでしょう、あべたかさん。

            ◆

本庄の早稲田大学は、本庄早稲田から歩いて3分のところにある。周りには何もない。本庄高等学院と大学の二つだけある。近代的な建築物で奇麗である。

着いた時には、西川先生の講演がちょうど始まったところ。ふう、なんとか間に合った。「学び合い」と特別支援教育の関係を話されていた。

西川先生のお話を聞いていると、本当に勇気がわいてくる。そこまで戦うかと思う。

今までの教育、教育行政に対すして全面的に叛旗を翻しているとも思える授業方法であるが、それでも子どもたちに現状の方法より優れた学習方法を示すことを考えると、この方法が良いと腰を据えて取り組まれている。

また、先生のお話は私にたくさんの「はてな」を与えてくださる。納得を与えてくれる話は、まあ大事なのだが、それよりも「はてな」を与えてくださる話の方が、いい。

            ◆

その後、西川研究室のみなさんによる学び合いに関する研究発表が三つあった。画像データによる事例説明、文字起こしなど実にしんどい作業をまとめられた発表に、上手く行ったときとそうではないときの話の比較などが行われ、ますます「はてな」を貰うことが出来た。嬉しい。

            ◆

その後、フリートークの時間をはさみ、懇親会に突入。
早稲田の校舎には、「馬車道」というレストランが入っていて、そこで行う。いやあ、奇麗なパーティ会場だ。ガラス窓の向こうに海が見えるかのようだ。本当は畑だけど。

会場には色々な飲み物があった。ドライバーのためにソフトドリンクもあり、コーラのことを「黒麦酒」と呼んで雰囲気だけでも楽しもうとしていた。

そこに西川先生登場。
「を、黒麦酒? いいですね」
と我らのジョークに乗っかってくださる。
しかし、しばらくすると
「ぷう!」
と吹き出す音が。
先生、本気で黒麦酒と思っていたようでした。
流石。

会場には、ネットや授業作りネットワークで知り合いの先生たちがたくさんいた。久しぶりに顔を見る人や初めての人もいたが、たのしい。

あっという間に2時間が過ぎて、帰宅の時間。さすがにここで二次会はない。調べておいた時間によれば、今ならまだ滋賀の自宅に戻れる。19:49の新幹線に飛び乗れば、乗り継ぎが良くて23:28に西大津駅に着く。3時間39分だ。早い。

ちなみに、移動した経路はこれ。グーグルトランジットである。面白いなあ。

http://www.google.co.jp/transit?sa=X&oi=ja_train&hl=ja&ie=UTF8&f=d&saddr=%E6%9C%AC%E5%BA%84%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0&daddr=%E8%A5%BF%E5%A4%A7%E6%B4%A5

            ◆

色イトな人と出会って、たくさん学ぶことので来た一泊二日でした。
ありがたや、ありがたや。


東京へ 1

といういわけで、久しぶりに東京に向かっている。研究会への参加だ。

            ◆

昨日集中して準備をすることが出来たので、なんとか間に合ったのが、今日の一つ目のお仕事、京都府立高等学校図書館協議会での講演である。いろいろなことがあって、私が話をすることになった
。正直も仕上げて、図書館のことについて詳しく語れるほどの知識はない。だが、依頼された以上、やるしかない。

本学の図書館関係者にヒヤリングをしたり、書籍を読んだり、法律を検討したり。みなさん、文字・活字文化振興法(平成十七年七月二十九日法律第九十一号)という法律ご存知でしたか? 私はこの依頼があるまで良くわかりませんでした。

ですが、これを機会に勉強してみると。
(なんだ、そういうことなのね。それなら、あれとあれの繋がりからきているのね)
と勉強できたわけで、嬉しかったりもしました。

            ◆

図書館部会の講演の前に、大学に寄ってちょっと仕事をしようと思ったら、研究室の前の教室で教育実習に向けての模擬授業が行われていました。これは少しでもアドヴァイスをしないと。

模擬授業は終わっていたので、板書についての指導だけする。つくづく思うが、板書は初心者には難しい。だいたいからして、腕を前や上にして動かすなんて動作は、指揮者にでもならない限りは普通しない。そして、チョークで字を書くということは、鉛筆や筆、はたまたボールペンで書くのとはかなり違う。

私も大学時代に吹野先生に「強制的に」修行させられたが、書けるようになったのは1年ぐらいたってからのことであった。

教育実習に行くとき、または、新卒で教師になったとき、きちんと板書が出来るということは、彼ら彼女等がサバイブしていくためには、とても大切な技術だと思っている。現在、国語科教育法ではこれについて厳しく課題を出しているが、書かないことには上手くならんのだよ。学生諸君、私も1年かかったのだから、頑張れ。

            ◆

新幹線の中でこの文章を書いていたら、奥さんから携帯電話にメール。北朝鮮が日本海にミサイル発射。うーん。追いつめられた感があるな。だけど、こうして東京と滋賀で離れてている時になにかあったら偉いことだな。

しかし、新幹線の中にはニュースが電光掲示板で流れるのだが、このニュースは一切流れないな。
あ、新横浜あたりで流れた。

            ◆

東京に着いたら、約束していた人と会って食事。美味しい魚。さすが品川は海が近い。いろいろな打ち合わせをして、時間を過ごす。
その後ホテルに。明日の研究会に備える。もっとも、研究会の前にも予定はあるのだが。

仲間がいて、仕事が会って、家族がある。ありがたいありがたい。あ、学生も卒業生もいるなf(^^;。

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