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2007/09/06

【ご報告】

みなさま。池田修です。
本日9/6、我が家に赤ちゃんがやってきました。
姫です。
母子ともに健康です。
すでに親ばかモード全開の私です。

長生きしなくっちゃと思っております。
きちんと仕事をしなければと思っております。

いろいろとご心配、ご迷惑をかけたみなさま、かけているみなさま。
しばらく赤ちゃんと奥さんのためだけに過ごす私をお許しください。

ありがとうございます。
ありとあらゆるものに感謝します。

特別活動と特別支援教育

特別活動論二日目。

一時間目は、旅行・宿泊行事の説明である。かつて私が計画を立てて行った野尻湖移動教室を忠心に「計画 → 実行 → 記録 → 評価」の流れで説明していく。中学校に二年生にパラグライダーなどをさせた、あの移動教室である。

野尻湖移動教室はその学校で久しぶりに、スキー教室からグリーンシーズンの移動教室に変更した最初の移動教室であった。なぜ、変更したのか、どのように変更したのかなどの事情も解説する。

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かつて移動教室は登山や遠泳などの活動が多かった。私が中学生の時もたしか福島県で登山であった。しかし、スキー教室が多くなった。いろいろな理由があると思うが、表側の理由とは別に裏側の事情があることはほぼ間違いない。それは教員の高齢化である。

スキー教室は、インストラクターが面倒を見てくれる。その一方で登山は教員が全員配置に付いて一緒に上る。地上本部で待っているのは管理職ぐらいである。これが大きな違いである。スキーであれば、指導についても事故の対応にしても教員が走り回ることは少なくて住む。変な話スノーモービルで搬送してもらえる。しかし、登山の場合は違う。山で体調が悪くなった生徒がいた場合、その生徒を担いで下山せねばならない。

かつて若い先生が多い頃には、それでも良かった。しかし、若い先生がいなくなったとき、この登山と言う活動をするのは、極めて困難でかつ危険になったのだと考えている。

これを学生に話すと、教員の手抜きでスキーが無くなったと意味を取る者もいたが、これは違う。生徒を安全に活動させるために必要な変革だったのである。

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この実践の記録は、「移動教室の改革 〜 分宿の試みとインターネット無料掲示板を活用した事前学習 〜 授業づくりネットワーク 2003/10」に詳しく記した。その資料を配布し、流れを説明。そして、ここに書かなかった、実踏、報告書、緊急時事故対策計画などの書類をプロジェクターを使ってみせた。

この資料には、学生たちもかなり驚いていた。そりゃあ、そうだろう。まさか緊急時事故対策計画に「マスコミ対応」なんて項目があって、その対応まで移動教室の事前の計画にあるとは思ってもみないだろう。

彼らは行動班を作って、宿の部屋割りをして、生活のルールを決めてと、まあやっては来ただろうが、実踏がこんなにも詳しく行われているとは思わないだろう。学生の感想を見ても「先生は下見で二回も旅行にいけていいなと思っていた」とあったが、そんなもんであろう。教育を受ける側と、教育を提供する側では全然違うのである。

ま、素直が取り柄のうちの学生たち。「中学校、高校の時の先生たちに生意気を言っていてすみませんでしたと、手紙を書こうと思います」なんて感想文も割と多くあった。教師を目指すなら、それは良いことだと思う。

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2限と3限は青山新吾先生に、「特別活動と特別支援教育」というテーマで講義していただく。集団を前提にして個に迫る私のスタンスと、個を通じて集団につながる青山先生のスタンスは、それぞれ対象とする子どもが違うことから、当然の違いとなる。しかし、その違いがあるにもかかわらず同じ教育の匂いを学生は、しっかりと嗅ぎ取ってくれたようだ。

自閉症、ADHD、アスペルガー症候群・・・。看護学部の学生は特に詳しくこれらのことを学んで入るが、それが学校教育現場ではどのように現れていて、さらにどのような指導が行われているのかは良くわかっていない。これらについて、理論と実例、さらにはロールプレイングによる事例学習までもしていただいた。

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4限は、青山先生と私の対談。学生の感想が面白い。「対談なんて形式の授業を受けたことはない。もともと、対談で授業が成立するのか?と思っていたけど、とても面白かった」というものがかなり多くあったのだ。

シンポジュームに参加したことのない学生たちは、対談が授業になるという発想はないのだろう。しかし、面白いに決まっている。自分で言うノモなんだが、学校教育現場で事例を分析して、言葉で記録して語ることを長年続けてきた二人である。打ち合わせ等しなくても、いや、しないほうが良いと判断して対談に突入した。

私が青山先生の授業で学んだことを述べつつ、その学びの中で感じた違和感、または疑問点を提示し、その疑問に青山先生が答えて下さるという、非常に贅沢な時間である。この対談に入る前に私が考えていたこと(ねらい)は、以下のことである。

1) 同じ本を事前に読んで授業を受けることの意味。
2) 同じ授業を受けた自分と池田の見方の違い。
3) 質問をすると言うこと、質問を展開するということの実例の提示。

1)学生たちは、事前に青山先生の『特別支援教育を創る!』(明治図書)を読み、質問内容をまとめて提出する課題を課してある。このことで問題意識を持って授業に臨むことの大切さを実感させようと考えていた。きちんと事前に学習したものが得をするような授業を実感させたいと思っていた。

2)同じことを学んでいても、学ぶ人によって学びの内容や質が変わることを示したかった。その人の持っている基礎知識、関心のある問題領域、見る角度などによって違ってくる何かを感じてほしいと考えていた。

3)1)と2)を踏まえて、では実際にどのように質問が行われるのか。そして、その質問に正対して答えてくださる青山先生の答えを、さらに私が、授業の他の場面で出た話とリンクさせながら展開していこうとする学びの連鎖を見せてあげたいと考えていた。

ねらいは、ほぼ上手く行ったと思う。学生たちは知的に興奮していた。私も青山先生も授業が終わった後は、対談のグルーブ感を心地よく感じていた。そして、私達も学びが深まったと感じていた。ありがたい。

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夜、山科でクールダウン。そして、お見送り。
明日はお仕事に戻る青山先生である。長居は迷惑である。
また、是非こういう機会を持てればとお願いして、失礼した。
ありがとうございました。

良い時間であった。

2007/09/05

特別活動論が始まった

集中講義の第三弾、特別活動論が始まった。この授業は、今までに私の授業を受けている学生と、初めて受ける学生とが混在する。登録は110人。私の担当する授業の中では一番大人数の授業である。

講義科目ではあるが、講義だけしていてなんていうのは、する方は良いが受ける方が大変。かの宇佐美寛先生は、5分以上話すのはダメと指摘した。私はなかなかそうはいかない。学校の事例を話しはじめると、つい長くなってしまう。また、学生が失礼な所作をすると、つい説教をしたくなる。伸び、あくび、足を組むなのである。

110人いてもこちらには丸見えである。110人なんて中学校で言えば3クラスの学年の集会の規模である。見えないはずがない。ところが、そんなことが分かっていない学生たちには、私がいちいち指摘するのが驚きのようでもある。

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午前中は、特別活動とは何ぞやという話を教員の仕事の全体図の中から示すことから始めた。そして、授業や生徒指導などと絡めながら、担任の仕事として行うことが多い特別活動を、「計画」「実行」「記録」「評価」の観点から具体的な資料を使って、説明と実習を行った。

担任の仕事がこのように展開されているということを、学生たちはほとんど理解していない。ファーストフード店で食べる側と、売る側では全く違うように、学校も受ける側と授ける側では全く違うのである。

学生たちにまず理解させたいのは、この点である。

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90分×2の午前中は、あっという間に過ぎた。昼ご飯もゆったりと食べられないのは、私も学生も同じ。私はタイ式の春雨スープでお仕舞い。急に食べるとお腹を壊しやすい私は、このスープだけを食べて後は、ゆっくりと過ごす。

が、このタイ式のスープ。辛かった。汗びっしょり。
午後の授業が心配なまま、昼休を過ごす。

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午後の90分×2は、演習を大目に。そのままにしておくと寝てしまう学生が増える。席を移動するワークを入れる。睡魔に教われそうになっていた学生が堂々と大きな伸びをする。
『こら、堂々と伸びをするな。授業中だ』
午前中に注意してもそう簡単に直るものでもない。だが、直さねばならぬ。

で、予定通り終了。

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これで終わらないのが、大学の仕事。あるところに出向いていって30分程度仕事。ふう。

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夜は、明日の講義をして頂く青山新吾先生と食事。
先生の『特別支援教育を創る!』(明治図書)と私の『こんな時どう言い返す』(学事出版)の関連性についてなどを話す。いやあ、そんな視点でこの本を見てくれるのは、青山先生だけだろうなあf(^^;。

さて、明日も楽しみである。

2007/09/03

日帰りは辛い

ということで思い切って沖縄に行ってきました。日帰りは辛い。
日差しはまだまだ強く、結構焼けた。

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というのは勿論冗談である。
行ったのは琵琶湖である。
しかし、まあ本当に奇麗である。

我が家から30分ちょっとでこの景色である。ま、それでもなかなか行けないのだが、ちょっと確認しておきたいことがあって思い切って行ってみた。琵琶湖の中をちょっとでもいいからきちんと見ておこうと思ったのだ。新入生キャンプの時に説明を受けたのだが、本当かなあと思うことがあって確認したかった。

びっくりした。水うち際から急に深くなっているのだ。本当だった。海とは違って明るい色の魚はいないので、その深さは本当に吸い込まれるように感じた。

魚は結構いた。
大きな魚としては、ニゴイかな。悠々と泳いでいた。

作っていったおにぎりを湖の畔で食べつつ、改めてその美しさを目に納める。

さあ、明日から最後の集中講義だ。

『教師になるということ』

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新刊がいよいよ書店に並びます。単著としては三冊目、新書サイズの本としては初めての本になります。出版社のひまわり社は家本芳郎先生のご縁でお世話になるようになりました。とても丁寧に本を作ってくださるので、安心して全力を注ぐことができました。

『教師になるということ』

* 池田 修 著
* 本体価格 860 円(税別)
* 新書 ・ 184 頁
* 2007年9月10日 発行
* ISBN4-902232- 41-7

http://www.himawari.or.tv/cgi-bin_database/database.cgi?tid=list7&keys11=0041

            ◆

私が教師になった頃に比べると、今といろいろと違うことがあります。大きく違うなあと思うのは、授業の指導方法などはかなり整理されてきているということです。指示、質問、発問などの行い方、授業の展開の方法、ワークシートの開発などなど。

これはこれで素晴らしいことだと思います。私の頃なんてディベートを教えるためにアメリカの高校生の教科書を買って翻訳しながら指導していましたから。

            ◆

ですが、その一方でなぜこれを行うのか、という部分が重視されることが少なくなってきたのではないかなと感じるようにもなってきました。

技術や道具は、ある考えを具現化するために使われるものです。なんのためにこの「指示、質問、発問などの行い方、授業の展開の方法、ワークシートの開発」をするのかという部分を語ること抜きに、教育と言う営みは行われないはずだと私は考えています。

ところが、教員の超多忙化は、この「なんのために」という部分を考えさせることを許しません。そして、上から与えられた考えだけに基づいて、指導の技術を重視して教育を進めるようになりつつあるのではないかと感じています。

しかし、目の前の子どもたちの事実から教育を始めるには、この「なんのために」を幅広くじっくりと自分の頭で考える必要があるのです。

            ◆

私はディベートのワークシート、学習ゲーム、学活のコピー資料集の開発などをしてきました。つまり指導の技術に思い切り携わってきています。それは、私が教育を学んだ頃は「なんのために」が重視されていて、「技術」が弱かったということが理由の一つです。だからそこに力を注ぎました。

当たり前ですが、教育は哲学(基本的な考え方)と圧倒的な知識と指導の技術が必要な営みです。今回の本は、私が今まで実践してきた経験をベースにして語ってみました。そのことから、
(教育に関わるってどういうことなんだろうねえ)
ともう一度自分なりの教育に関する哲学を確認してもらうきっかけになってもらえればいいなあという思いで書きました。

            ◆

私が一緒に「明日の教室」を主催している糸井先生の書評です。

http://susumu.exblog.jp/6079010/
より 引用開始 ーーーーーーーーーー

「いやあ、参った!」
本を読み終えた時、思わず、叫んでしまった。
その本とは、池田修先生(京都橘大学文学部准教授)の新書「教師になるということ」(池田修著・ひまわり社)のことだ。
この本は、今、流行の(?)ハウツー本などとは違う。
池田修という一人の優れた教育者が、教育を真正面から語った哲学書とも言える本である。
この4月から、教育サークル「明日の教室」を共に立ち上げたこともあって、池田先生と話をさせていただく機会は多く、学ぶ点は多かった。
しかし、しかしである・・・・ここまで、理路整然と教育について語れるのだという事実を突きつけられ、「参りました」となった次第・・・・なのだ。
「まえがき」の書き出しは、こうだ。

この本でみなさんと一緒に考えてみたいことは、教師になるということ、教師であるということは、どういうことなのかということです。

そうなのだ、そのことを是非、教師をめざす学生に、若い教師に考えてほしいと私も思う。
そして、この本には、池田先生が考える「教師になるということ」「教師であるということ」が、真正面から語り言葉で書かれている。
まさに、現場からの提言である。
これが、現場で必要な力だと思う。

この本が、今後、真の教師をめざす若者のバイブルになることを願う。
まだ、読まれていない方!本屋に急がれることです!
(あっ、まだ、本屋には並んでいないかも・・・)

引用終了 ーーーーーーーーーー

ちょっと誉め過ぎだとは思いますがf(^^;。

新学期が始まり毎日の実践が次から次へと襲ってきます。そんな中でちょっと立ち止まって考える時間になれればと思います。

多くの方に読んで頂けますように。そして、子どもたちとの豊かな関係が生まれますように。

2007/09/02

夏の名残を味わう

ん? あ、今日は日曜日だ。どうりで琵琶湖に釣り船が多いわけだ。

なんだかもう曜日の感覚がないなあ。それに九月なんだよな。昨日は土曜日だ、九月になったんだなと思ったばかりなのに、一晩経ったらもう忘れている。つくづくいい加減な私。

比叡山から吹き下ろしてくる風がひんやりし始めたなあ。朝はしっかりと布団をかけなければいかんな。

            ◆

昼前に大学に到着。MacのACアダプターを研究室に置いてきてしまったので取りにきた。取りに来たつもりだったが、そのまま仕事に突入。火曜日から始まる特別活動論の準備である。今年度の夏の集中講義の最後だ。

あれやこれやと資料を確認して、準備をする。気がつけば三時じゃないか。ふう。

            ◆

日曜日の大学は静かだ。
時々野球部の練習の掛け声が聞こえてくる。頑張れ。私も頑張る。大学に来てから、前にも増して曜日の感覚と言うか、休日の感覚が無くなってきているなあ。一週間に一日ぐらいは、何もしないオフの日が必要だな。

だが、準備の手を抜くと授業がとんでもないことになるのは、新人の先生であっても私であっても同じ。もう一踏ん張りである。

            ◆

太陽が赤くなる前になんとか準備を終える。ふう。
帰ろうと思ったらメール。
なんと良いお知らせ。友人がふむふむなのである。
急いで返事のメールを書く。
上手く行くと良いなあ。

            ◆

熱めの風呂に入り、餃子とビールで夏の名残を味わう。
今日もよく働いた。
Photo

そういう意味では人生は

朝早く起きて大学へ。一日大学の仕事があるのだ。重要な仕事だけに、昨日のお酒が残っているわけにはいかない。シャワーを浴びてひげを剃って、アイロンをかけたシャツにズボン、ブレーザーで向かう。

            ◆

心地よい疲れとともに一日の仕事を完了。
そうか、今日から九月か。
今日は土曜日か。

飲み屋で、とある人の、とあることのお祝いをしながら思う。

            ◆

(ああ、もうあと一週間、いや三日で良い、夏休みが長ければなあ)
と思いながら過ごした中校時代。宿題を閉め切りすぎて持っていくなんてことは考えられなかった。自分の計画性のなさを恨みながら、右腕の筋肉がけいれんを起こすギリギリまで宿題をやっていた。

ところが、中学校の教師をやっているとき宿題の提出日を遅れても平然としている子どもがいて、驚いた。中学校の時にこれで、大丈夫なのか? 遅れて何か悪い?と言う顔すらする。確かに考えてみれば中学校の夏休みの宿題を出さなかったところで、その時の君に大きな問題はないだろう。せいぜい評定が一つか二つ下がるだけだ。

だが、問題はそこにあるのではない。

このぐらい良いじゃんと言って、小さい問題を適当に処理する習慣を自分に植え付けてしまうことなのだ。それが5年、10年と経つとちょっとやそっとでは取り返しのつかないほどの聡なって現れ、問題が起きた時には修復が難しいようになっているのだ。

だから、怒るのである。

            ◆

先生方のブログを読んでいると、夏休み明けに向けて会議会議というものが多い。そうである。会議である。九月は会議をしない。そのために八月のうちにやっておくというのだろう。それは、まあそうだろうなあと思う。

だが、どうなんだろうか。

私が教師になった頃は、このあまりにも長い夏休みの時間を目の前にして
(どうしてくれよう)
と思ったものだ。そして、本を読み、旅をし、研究会に参加し、美味しいものを食べと研修を行った。「研修」とは「研究」と「修養」のことを指す。たっぷり研修できた。

そして、新学期が始まるこの直前は、
(あー、また始まってしまうねえ)
という思いも当然ある一方で
(あの話もしてあげよう、この話はどうだ?)
とたっくさん話して挙げたいことだらけで、新学期を迎えた。そんな夏休みが迎えられる新人の先生はどのぐらいいるのだろうかとも思う。

            ◆

飲みながら懐かしい声も聞いた。
電話で地元に就職した教え子の声だ。

『無理せず、一日五分で良いから、自分の好きなこと、大切にしていることをやり続けるんだよ。その五分の積み重ねが十年、二十年後には大きな実を結ぶ。そういう意味では人生はなかなか上手くできているからね』

そんなことを話した。
しっかりね。

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