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2007/09/28

「竹内常一ワールド」を旅する

久しぶりに恩師の本を読み直している。『おとなが子どもと出会うとき 子どもが世界を立ちあげるとき 教師のしごと』(竹内常一 桜井書店)である。後期のキャリア開発演習2で取り上げている教科書である。

特に先生の著作を意識したのではないが、結果的に『教師になるということ』という本を出したことで、先生の著作に繋がりのある本となった。先生はご迷惑かもしれないが不肖の教え子としてはちょっと嬉しい。

            ◆

この『おとなが子どもと出会うとき 子どもが世界を立ちあげるとき 教師のしごと』は、切なく、かつ心地よい本である。
(そんな読み方で良いのか?)
と突っ込みがあちらこちらからありそうだが、実にそう感じるのである。

私の本は自分の実践を取り上げて、それを語っているのだが、先生の本は日本中の優れた実践を取り上げて、それを研究者の視点で、
「ほーら、ここにはこういうことが実現されていたんだよ」
と、語られる。これに参ってしまうのだ。

実践者は、それこそ実践なので待ったなしの中にいる。これを実践記録にまとめることで、自分の実践の意味や価値を確認して、次の実践に向かう。書くことでこれが可能になる。私も学生たちが教職に就いたら、実践記録をまとめることを強く勧めたい。それは、学級通信でも良いし、事件簿でも良い。であるが、事実の流れを丁寧に追ったレポートも書いてほしいと思っている。

それは、そうすることで「教育は、文脈の上で成立する」ということを実感できるからである。

            ◆

教育に関する事務作業は、ある程度マニュアル化することが出来る。そして、そのことで効率も生み出す。私は比較的早くコンピュータで仕事を始めたが、
「いやあ、池田さん。よくコンピュータを使えるねえ」
と言われる度に
『いいえ、私は、コンピュータを使わないで仕事ができるほど、力がありませんから』
のように答えていた。本当にそう思っている。

さらに言えば、(なんでわざわざ面倒くさいウインドウズを使うのかなあ。私には分からない)とも思っていたがf(^^;。

ところが、子どものとの関わりに追いてはいくつかの切り口を提示することは出来るかもしれないが、マニュアル化することは難しい。難しいではなく不可能だし、やってはいけないことだとも言える。

それは、子どもの文脈が違うからである。もちろん、今の日本、そしてその地域の学校という大きな文脈では同じであるが、そんな簡単にはいかない。

            ◆

で、その教育が文脈の上で成立するということを、学生たちにいくつかの場面で実感させたいと思っている。私は、竹内先生に出会う前に、林竹二先生の『 教育の再生をもとめて―湊川でおこったこと』でショックを受け、教育は文脈の上で行われるものであり、その一点において、教師教育には文学教育が必要だなあと思うようになった。

そんなことがこの授業を通して多少なりとも実感させることが出来れば、良いなと思っている。

            ◆

今日の授業では、『おとなが子どもと出会うとき 子どもが世界を立ちあげるとき 教師のしごと』というタイトルの吟味をあれこれ30分近くやった。テキストを読み、読み開くためには、書かれている事実から何が読み取れるのかというレッスンをしなければならない。

少人数なので、ほとんどゼミのようにして語句を吟味しながら読める。私がしている授業の展開の方法などの種明かしをしながら、つまり、授業とは何ぞやということも織り込みながら、進める。指定したテキストの読みは少ししか進まないが、そういう読みの授業もまた良いものだ。

私も学生たちと一緒に、久しぶりに「竹内常一ワールド」を旅することを楽しみにしている。

成功するまで失敗する

後期は木曜日が研究日となる。朝からあれこれと進める。だが、会議も入ってしまいちょっと大変ではあった。本当は、一つの研究のために大阪に行く予定だったのだが、それはキャンセル。

            ◆

授業の準備をしながら過ごす。あれやこれやと気分転換に食器洗いとかしていると、突然降ってきた。授業のアイディアである。慌ててPCに向かい打ち込む。ふう。

考えて考えて、考えて考えて。そして、その状態のまま他のことをしているとアイディアが降りてくるというのは、私の場合良くあることだ。問題は、この「考えて考えて、考えて考えて。そして、その状態のまま他のことを」する時間がない場合だ。考えただけで取り組む時、キレのないプランになってしまうことがある。なんとかこれは避けたいなあ。

            ◆

来年度の研究についても少しずつ動き出している。現在、複数の研究のプランを立てて、実行に移している。その結果が少しずつ結果になりつつあるが、なにぶん研究者としては新米。あれやこれやをやって、上手く行くのを大事に育てたいと言う思いもある。

「成功するまで失敗する。これが研究」

のようなことを先日のNHKの番組で広島大学の先生が話されていたが、そうなんだろうなあと思う。折角、研究と言う仕事をしても良いという職種についたのだから、これも大事にしなければなあと思う。

            ◆

事務仕事をあれこれこなして、帰宅。
本日中秋名月。しかし、曇り空だ。
時々見える満月を味わう。

ま、それもまた良いだろう。

2007/09/27

「逸題」 井伏鱒二

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逸題  
      井伏鱒二


けふは仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

春さん 蛸のぶつ切りをくれえ
それも塩でくれえ
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿

ああ 蛸のぶつ切りは臍みたいだ
われら先ず腰かけに坐りなほし
静かに酒をつぐ
枝豆から湯気が立つ

けふは仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

            ◆

去年も書いたなあ、この詩。
でも、いいんだよな。

こんな詩は書けないが、こんな詩を知っていて味わうことが出来るのは、
幸せだ。

写真は、昨日の月。14番目の月だ。
今宵は少し曇っているから、ちょっと心配だ。

2007/09/26

名前の規準

娘が生まれて20日が過ぎた。
ちょっとした心配があったが、大丈夫そうだ。
良かった。本当に良かった。

この繰り返しをしながら子どもは育っていくのだろう。いや、私の子どもだけではなく、ほとんどすべての子どもにこういう思いを親が注ぐのだろう。そして、注げる社会でありたいと思う。

            ◆

子どもの名前をどうするか。これは、親になるときに考えなければならない大きな課題だ。学生たちは、
「先生、娘さんのお名前はなんて言うのですか?」
と聞いてくる。
私は
『ひみつ』
と答えるf(^^;。
そして、
『君たちだったら、どんな名前をつける? それを聞いてみたい』
と言ったら
「すだち!」
と訳の分からんものが出た。
聞いた私がおろかであった。

            ◆

私達は、子どもが男か女か予め聞くのは止めていた。なんというか、人類が誕生して1万年として、生まれる前に男か女か分かるなんてのは、この2、30年のことだと思う。立ち会い出産も同じようにここ2、30年のことではないだろうか。

人類が今までやってきたことには、何らかの理由があると思い、男か女かは事前に聞かなかったし、生まれる時は人類の男として「正しく」、産室の前でうろうろした。

            ◆

で、名前である。
男か女か分からないと言うことは、どちらも考えると言うことである。これは悩んだ、考えた。あちらこちらから、国語科の教師の付ける名前だからねえ、というプレッシャーも受けたf(^^;。

私が考えるために名前の規準としたものは、以下の4点である。

1)男か女かすぐ分かる名前
2)読み間違えのない名前
3)過去の教え子にいない名前
4)親の願いが込められる名前

である。

さらに言えば、赤ちゃんでも、子どもでも、大人になってもかわいい名前、おばあさんになっても可愛い名前であるのが良いなあ。外国のニックネームにも使えるのが良いなあ。

なんてとっても欲張りでした。

            ◆

1)と2)は、教員を経験すると良くわかる。例えば、(関係者には申し訳ないが)「池田学」という名前を付けたとする。これは、男だと分かるが、「まなぶ」か「ガク」かちょっと分かりにくい。
「いけだまなぶ君」
と読んだら
「ガクです!」
なんて嫌な顔をする子どもを何回も見てきた。
(確かに事前に読んでおくことはするが、そもそも読み間違いの可能性のある名前なんだから、そんなににらむなよ。親に文句言えよ)
と心の中で少し思っていた。

もし私が親なら、
『いいか、お前の名前は読み間違いがされやすい。だから、「まなぶが正しいです。ガクっていうと勉強させるためにまなぶってつけたのに、成績がガクって下がる感じがするので、父はまなぶと付けたと言っていました」と言うんだよ』
と覚えてもらえるような小話を子どもに伝えるだろう。

実際、私の母親は
「いいかい、おさむ。お前のおさむはどういう字ですか?と聞かれたら、「修身の修です」と答えるのですよ」
と私に教えてくれた。ま、実際は『修身の修です』と言っても分からない人が増えてきているので、『修学旅行の修です』と私は答えているけど、そこまでやるべきだろう。

そして、それをしないのであれば、どう読んでも読み間違いのないものにすべきだと思う。読み間違いは一生のことを考えれば、もの凄い無駄な労力を子どもに課すことになると思う。

だから、1)と2)は、大切にした。

            ◆

3)も、教師なら分かってくれると思う。実際、「そうそう!」と言ってくれる教員仲間は多い。どうしても過去の教え子とイメージが被ってしまうのだ、悪いイメージは良くないし、さらに良いイメージであっても自分の子どもに競わせてもなあと思ってしまうので、なにがなんでも過去の教え子にいないものにしてあげたかった。

教師を目指すのであれば早めに結婚して、教え子の少ないうちに名前をつけるのが良いと思う。

            ◆

4)これは、まあ、そうだろう。いろいろな思いを込めて、名付けた。

            ◆

娘の場合は、すぐに決まった。息子の場合は、これは大変だった。最終的に二つが残って、生まれたとき、息子だったら顔を見て決めようと思った。

ああ、姫で良かった。

で、名前?
そんなネットには書けませんよ。
本人の許可も得ていませんしf(^^;。

お会いしたら、具体的に延々と話しますので付き合ってやってください。

2007/09/25

のようにも変化(進化?)する

週末は、奥さんと娘に会いに東京に向かう。いやあ、自分がこんなに新幹線に乗る生活になるとは、中学生の時に思ったであろうか。新幹線に乗るということだけで興奮していた私が可愛く思える。

そして、あっという間に京都に戻って授業をしている私を、私は不思議な感覚で思っている。3時間ちょっとでここにいるんだなあ。車内で一仕事をしていたら、もう京都だ。新幹線の中でトイレに行こうと思っていたのに、それすらできなかった。ひょっとしたら新幹線通勤も出来ちゃうかもねと思ったりもする。

            ◆

娘は、可愛い。
うーん、誰がなんと言っても可愛い。
「赤ちゃんにしてはびっくりするぐらいの目鼻立ち」
「目が大きい」
とか病院では言われたが、他人と比較したことがないので良くわからない。が、確かにすっきりはしている。

私の父親は、
「あれで歩き出したらお釈迦さんだな」
と爺バカ丸出しであったが、実は私もそう思っている。

ではあるが、一方で赤ちゃん特有の顔もする。

「土偶 → ガッツ石松 → 朝青龍 → オラウータン」

のようにも変化(進化?)する。オラウータンが上位に来ているのは、ある意味申し訳ないとは思うが、実際そのように感じるので仕方がない。それでいて可愛いのだから、もうどうにでもしてくれいという感じだ。

            ◆

嬉しいことに、
「娘さんの御祝いを差し上げたいのですが、何が良いですか?」
と言ってくださる方がいる。実に有り難く御願いすることにしている。

私が御願いしたいのは、二つである。

1)0歳から7歳までに出会う絵本、音楽CD、オモチャ

今までに自分や自分のお子さんで出会ったもので、「あ、これはいい」というものがあったら戴きたい。「○歳で使ってください」として頂ければ、その時まできちんと保存して、娘の誕生日に、『これは、○○さんから戴いたんだよ』と言って使わせたいなあ。

2)中学生の娘への手紙

思春期に入った時に、娘に何を語るのか、私には良くわからない。幸いにしてうちの大学には女子学生が多い。
「あのね、○○ちゃんのお父さんは、××だけど、〜〜は結構いいよ」
とか
「〜〜の時は、こうしたらいいよ」
とかいうことを12年先の娘に書いてほしい。
これも封をして閉じておきます。そして、中学生になった娘にあげます。
『この手紙はね、○○というところでお世話になった人からだよ』
というように渡してあげたいなあ。

タイムマシーンは、過去には戻れないけど未来には行けます。娘に玉手箱をあげたいと思っています。私は、娘が生まれた日と翌日の新聞を8紙ずつ買いました。テレビガイドも買いました。お祝いメールやブログのコメントも一緒にプリントアウトしています。それも一緒に仕舞っておきます。

もし、ありがたいことにそんなことを考えてくださる方がいらっしゃいましたら、そんなことを考えていますので、よろしくお願いいたします。

            ◆

大学では、国語科教育法2が始まった。
夏休みの課題を元に、お互いの作品を評価するのだ。評価の規準と基準について実際に評価する中で体験してみることにした。

学生たちは、またもやショックを受けている。そりゃあ、そうだろ。先生たちは評価を適当にやっていると思っているだろうからなあ。今までは出された評価に関して文句を言っていれば良かったんだけど、教師になるってことは自分が出した評価に責任を持つと言うことだからなあ。

後期は、実際にやることがどんどん出てくる。しっかりとやりきっていけよ、学生諸君。

第七回 明日の教室 ご案内

第七回 明日の教室のご案内です。
申し込みは、こちらから。

 
           ◆

いじめ、学級崩壊、教育格差、低学力問題。
今、様々な教育に関する問題が山積しています。
このような中で、私たちは、子ども達に、どのような学びを提供していけばいいのでしょうか?
少なくとも、漢字、計算といった学習の繰り返しだけで、いろんな問題が解決するとは思えません。

今回、お招きする講師、砂連尾理(じゃれお おさむ)さんは、プロのコンテンポラリーダンサーです。創造的な表現や新しい価値を生み出すことに生涯を捧げているアーティストです。

アーティストと教育?、アーティストと子ども達?と思われる方も多いでしょう。
アーティストと子ども達が出会うことによって、子ども達に、どのような学びが展開されるのでしょう?
私は、子ども達が、ワークショップという活動を通して、「互いの違いを認め合い、周囲と共生していくことの大切さ」を頭ではなく、身体で理解していくことにあるのだと考えています。

実際、砂連尾さんは、この数年、何度か学校現場に入り、そのような活動を展開されているのです。
アーティストとの授業では、「表現の自由」ということが何よりも尊重されます。活動の中で、子ども達は「開放感、安心感」を感じ取り、受け入れられる喜びを体感します。そして、自分の言った言葉、演じた動きが、必ず次の表現に活かされる経験を通して、表現する楽しさを学ぶことができるのです。

コンテンポラリーダンスでは、日常の様々な動きをダンスにしていきます。ですから、いわゆるヒップホップに代表されるようなリズムに合わせて振りをするといったものとは全く違った感覚のものです。
ダンスはちょっと苦手で・・・と尻込みする必要は全くありません。是非、この機会に、新たな学びの方向性を学んでみて下さい。

体を動かしやすい服装でお越し下さい。

日時:10月13日(土)  13:30~17:00

会場:京都橘大学児優館 
http://www.tachibana-u.ac.jp/official/information/access.html

講師:砂連尾理(じゃれおおさむ)さん@コンテンポラリーダンサー

内容:身体表現・ワークショップなど

会費:一般2000円、学生1500円
なお、会の後、蓮行先生を囲んで懇親会を予定しています。自由参加で3000円程度です。

昼食:大学の生協食堂が開いております。安くて美味しい本学の生協の食堂をご利用ください。


申し込みは、こちらから。


講師紹介
砂連尾理(じゃれおおさむ)
1984年 同志社大学入学と同時にダンスを始める。
1988年 劇団ONE-PROJECTを共同で設立。その殆どの作品に振付・出演を行う。
1989年 石井潤、石井優子にバレエを師事。
1990年〜91年、91年〜92年、93年〜94年、三度にわたり渡米。
1993年〜94年 リモン・テクニックをアラン・ダニエルソンに師事する。
1994年〜 ダンス・パフォーマンス・ワーク (DPW) (主催…京都市中京・東山青少年活動センター) の講師を務める。
1995年〜 アレクサンダー・テクニックを芳野香に学ぶ。
2002年 3月「第一回TORII AWARD」 大賞受賞。
7月「TOYOTA CHOREOGRAPHY AWARD 2002」において、「次代を担う振付家賞」「オーディエンス賞」 を受賞。
2002年 10月〜 京都造形芸術大学 (映像・舞台芸術学科) にて非常勤講師を務める。

*「砂連尾理+寺田みさこ Official Site」 http://www4.airnet.ne.jp/jaremisa/


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