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2007/01/27

教材研究の旅へ

午後から教材研究の旅へと出る。
と言ったところで、片道30キロぐらいであるが。

            ◆

まずは、嵐山にある任天堂の「時雨殿」に向かう。
百人一首を任天堂DSを使いながら楽しめるところである。

入場料800円を払って入る。

DSを借りて遊ぶゾーンにまず行く。京都市内を上空から見下ろした画像が足許にある。DSで行きたい場所を示すと、足許の画像に鳥がガイドとしてその場所に連れて行ってくれる。面白いねえ。来年度の児童教育学科の学生たちを連れてきても面白いかもしれない。

ただ、画像が揺れているのでちょっと船酔いしたような感覚になる。体調が悪い時は注意だな。

            ◆

つぎは、百人一首をテーマにしたお煎餅を買いに行く。ちょっと気になったのだ。

http://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/hyakunin01.html

これ、本当だろうか? 藤原定家は本当にこんなことを考えて百人一首を選んだのだろうか。このお店に行って確認したいと思ったのだ。

買い物をしてから伺ってみたところ、担当の方が出てきて丁寧に教えてくださった。この絵は後から描かれたもので、歌全体の解釈を行うとこのようになるのではないかという、林さんの説から作ったものとのこと。

真偽のほどはまだ私には分からないが、凄いなあとは思う。

            ◆

で、実際のこの場所は何処なのかとお店の方に伺ったところ、サントリーウイスキーの山崎工場のある辺りで、水無瀬神宮にいけば良いのではないかとのこと。ただ、風景は全然違うとのこと。

いい。それでいい。大事なのは、そこを感じてみることだ。
兎に角行ってみることにした。

            ◆

駐車場に車を止めて周りを見渡すが、建物が多くてよくわからない。
まあ、これは予想していたこと。
でも、その土地に立つことがポイントなんだな。

で、なぜか、水無瀬神宮から帰って来る人はポリタンクを持っている。
(あ、湧き水だ)
そう思った。私も慌てて車に積んであるエマージェンシー用のペットボトルを取り出して、境内に進む。

すると、予想通り地下水をくむ場所があった。
「一人ペットボトル3本まで」と書いてあるが、そんなことを気にせずに汲んでいる人たち。
でも、私が小さなペットボトルを持っているのに気がついて
「お先にどうぞ」
と言ってくれた。私、1リットルも汲まないからねえ。

一口飲んでみる。
スッキリとして気持ちのよい水であった。
明日、これでコーヒーか紅茶を入れてみよう。

            ◆

帰りは高速を使わないで下道で。
自宅に向かっていたら、17:00になった。
その頃ちょうど山崎のサントリーウイスキー工場の近くを通った。そうである、「アヴァンティ」である。

車で行っているので当然味見は出来ないが、アヴァンティを山崎工場で聞くってのは、乙でしょ。駐車場に車を止めて、ジェイクではなく、スターンと教授の会話を楽しむ。面白いなあ。

            ◆

良い一日だったので、冬の珍味を食すことにする。
カワハギの刺身である。石川県産。
ああ、胆が上手い。
魚臭くなく、ただ、ただ、胆の美味さが白身のカワハギを引き立てる。

            ◆

土日に時間があることの幸せを感じながら、一日を過ごしたのであった。

ガウガウ書く

朝からガウガウ文字を書いている。
内の大学には書道学科があるのだが、四回生は卒業作品展ようの作品を書き終え、引っ越しに向けて準備をはじめている。そして、余っている紙を研究室に持ってきてくれた。

『まだ、使うだろうに』
「新しい紙にしたので、使ってくれたら嬉しいです」

と言われて、
(来年他の学生が使うかもしれないから預かっておくか)
と思って預かった。
が、
(どんな書き味の紙かな?)
と少し自宅に持ってきて書いてみると、なかなか面白い書き味の紙である。

そこで、朝からガウガウ書いているのである。

            ◆

私の場合は特に作品展やコンテストがあるわけではない。
ただ、筆の趣くままに書いている。

息を吐ききり、腹筋を緩める。
小鼻の周りの空気を自然と体に入れる。
この繰り返しをすることで体の重心は下に下り、
テンションはあがって行く。

すると、ふと、言葉が出てくる。
書きたい言葉だ。

            ◆

で、ガウガウ書く。
うーん、気持ちがいい。

2007/01/26

結局ずーっと研究室

今日は大学ではないところで仕事をしようと思っていたのだが、資料が研究室にあるのを思い出し、午後から研究室に。うーむ。

            ◆

来週行う高大連携の授業の指導案作りである。
50分の授業を2時間連続で行う。
領域は古典。
対象は高校2年生ということである。

いつも行っている高校での模擬授業とは違うので、最初から組み立てなければならない。まあ、授業をつくるのは好きなので良いが、一回限りの授業のために結構な時間がかかるな。自分で言うのもなんだが、そして高校生諸君は分からんだろうが、実に贅沢な授業だ。

            ◆

授業の目的やらアウトラインやら、使う資料の整理をしながら実際の動きを想定して作って行く。生徒諸君の実態がよくわからないので、どの程度の内容まで掘り下げるのがいいのかは分からない。ここの部分がやっぱりしんどいなあ。

そういう場合は、教材研究に限る。
どういう生徒であっても対応できるように、事前の教材研究が大事である。これは学生諸君にも話していること。私とて同じことをするわけだ。

で、結局ずーっと研究室にいることになるだなあ。
まあ、そろそろ帰るか。

            ◆

幸いにして、明日、明後日に大きな用事はない。
だから、この二日間を使えばなんとかなるだろう。

折角京都にいるのだから、教材の現地等も見てくるかな。

2007/01/25

ちょっと感無量

やった、これで一安心。

            ◆

午後から、旺文社の教育雑誌の取材を受けて、2時間弱話す。
来年度の大学情報雑誌に掲載されるはずだ。

インタビューを受ける時は、なるべくニュートラルな私で答えるようにしている。引き出すインタビュアーの力量でどのような私になるのかを楽しんでいるところがあるなあ。

今日はたのしく話すことが出来た。むしろ話しすぎたかもしれない。これをまとめて原稿に落とすのは大変だと思うけど、どんな原稿になるのかを読ませてもらうのは楽しみだ。

            ◆

国語科教育法2の最終授業である。
学生たちはよく頑張ってきた。
今日は授業を振り返ってのスピーチである。

何を学んで、何を課題としたのかを2〜3分のスピーチにまとめるのである。

            ◆

そして、その授業が終わった。
大学に移って一年目の授業がすべて終わった。
ちょっと感無量。

私が心がけてきたのは、

1)この授業を受けなければ決して身につくことのなかった何かをプレゼントすること。
2)課題をやりきった者には必ず力がついてる課題を出すこと。
3)学習集団を構成しつつ、学生同士の学び合いで互いを高みに導く授業であること。

である。
これらの基本的な考え方を元にして、授業を構成し、内容を提示してきたつもりだ。今日の学生たちのスピーチでも、そのことを受け止めることが出来たと思われる内容のスピーチがあり、嬉しく思った。

授業内容、方法の入り口は出来た。
が、これで固めることはせず、改善しながらだな。

一年目の授業はすべて終了。
うしゃあ。

あとは、評価だ。

『スラムダンク』

「スラムダンク」を今頃読み始めた。そして読み終えた。
子ども文化を理解するために読まなければなあと思っていたのだが、誰かの絵に似ているがどうもその似具合が私にはぴったりとこなくて、だから絵柄が今ひとつ入ってこないのと、バスケットボールそのものにさほど興味がないことがあって、読まないでいた。

だが、児童教育学科もできるし、いまの学生たちはこの「スラムダンク」にビンゴの世代だし、31巻一気読みしてみるかと思って挑戦した。

ちなみに、この絵柄は小林まこと(「1、2の三四郎」「What's マイケル」の作者)さんの絵柄に似ている。ひょっとしたらアシスタントをしていたのかな?

            ◆

5巻まで読んだが、今の印象は
「面白いが、これでいいの?」
というものだ。

ここまでで出て来る中心登場人物は、基本的に身長が高く運動神経が優れいている。高校一年生で身長が180cm台の後半が揃うなんて、それだけで私は興ざめである。もちろんフィクションだから良いのだが、それをすんなりと受け入れることはできないなあ。

だって、収入があって、遺伝的に賢くて、環境が整っていて、という高校生が良い大学を目指すということとあまり変わらないじゃないですか。そういう漫画って読む?

それだけ才能がある人間たちが集まっているんだから、出来るだろと思ってしまう。うーん、面白いんだけど、入って行けないなあ。

物語は大きなウソはついても構わないが、小さなウソはついてはダメというのが定石だが、私にとってここの部分は大きなウソではなく、小さなウソに感じられてしまう。

ではあるが、この物語を子どもたちは受け入れている。それはなぜなのかは、読み切ってみないと何とも言えないが、ちょっと「これでいいの?」という思いになっていることは事実である。

            ◆

が、物語を読み進めて行くと、その初期設定を忘れてしまうような展開がある。スラムダンクの物語性が語り出しているな。初期設定の小さなウソが、どうでも良いって感じになって行く。恋や友情、挫折を乗り越えて行く、資質はあっても努力を重ねてこなかったものと重ねたものの違い。こういうところが良いんだろうな。

そして、先生か。
今の大学生辺りの先生の理想像は、この先生にあるのかなあ。今の大学生が先生になったときに安西先生を目指すのだとしたら、ちょっと教育界は面白いことになるかなあ。

ただ、それはすっごい大変だけどね。

そのジャンルのことを分かっていて、説教しない。
それでいて方向性だけはきちんと示す。
指導者として、挫折の経験も持っている。
生徒が徹底的に教えてほしい時には、徹底的に教える。
生徒が自分で頑張らなければならない大切な時は顔を見せない。彼らに任せる。
(ま、病院で寝ているということになっているが、これが大事)
まるで、「長老型マネジメント」だ。
これが出来るようになるには、10年はかかるからな。

この漫画を先生の視点から読み直させると面白いことになるだろうなあ。たしか、齋藤孝さんが安西先生のことで何か本を書いていた気がするけど。

桜木花道は寅さんなんだなあ。
いや、先生との関係で言えば孫悟空かもしれない。
自分の好きなことをやり放題しているのに、先生の手のひらの中からは出ていない。
こういうとき、美しい師弟関係の一つが出るのかもしれない。

            ◆

絵柄のことで言えば、小林まことさんの絵柄の良いところが、話の展開に連れて出てくる。「1、2の三四郎」の志乃ちゃんの瞳に似ているアップの表情なんかがそれだ。

そうなると、この「スラムダンク」は、漫画界の連句とも言えるのではないかと思った。いや、本歌取りの要素もあるかもしれない。

松尾芭蕉がつなぐことを求めて行った俳諧連歌。「1、2の三四郎」から「スラムダンク」への「俳諧連漫画」なのか。

いや、そうなるとやはり、師匠選びは大事だ。

            ◆

あり得ない設定から始まったが、十分楽しめた。
「素質があっても、才能があっても努力をしなければ意味はない」
そんな風に簡単に言葉でまとめる必要もないだろう。

エピローグ的な連載の終了もいい感じだった。
このあと第二部があるのかないのかわからないが、これはこれでいい終わり方である。

私としては、さらにこの「スラムダンク」を引き継いだ、本歌取りまたは連句のような漫画が出ることを楽しみにしたい。

さて、次の一気読みは何にしようかね。

応援しているぞ

昨日も模擬授業。ちょっと遠くまで出かける。
その高校の名前がどうも頭に引っかかっていたのだが、思い出した。ノートルダム清心女子大学の田中 宏幸先生から頂いた年賀状にあった名前だ。奥様が勤められているという。いやあ、奇縁。早速事前のご挨拶メールをして伺う。

            ◆

校長先生の事前の挨拶がなんか良かったなあ。
本当に、生徒をよろしくお願いいたしますという気持ちが伝わってくる話だった。

実際に授業をした生徒は高校一年生だった。背筋をピンと伸ばして授業を聴く姿は、なかなか良かった。校長先生の子どもたちに対する思いが伝わっているんだろうなあと思えるようなものがあった。

私は話をするとき、生徒の背筋に筋を通そうと話す傾向がある。林竹二先生の「湊川高校でおこったこと」の事例が強烈にインプットされていて、姿勢が悪い生徒を見ると、そうしたくなる。ここの生徒たちにはほとんど必要なかったが、話が背筋に入って行くのを見るのは、授業者として気持ちのよいものである。

(去年和田中で教えていた中三の子どもたちもこのようになったかなあ)

とちょっとシミジミする。

            ◆

模擬授業後、田中先生の奥様の先生とちょっとお話。いろいろと高校の実情を伺う。なるほどなあと勉強になる。再会を約束してお別れ。

            ◆

夜は、これまたヒッさしぶりの人と会う。

15年前の瑞雲中学校の時の教え子である。ミッチーくん、sayuriくん、君らの同級生だよ。サッカーをやっていて清水商業にいった晃くんと言えば分かるだろう。
いま関西にいると言うので、一緒に食事をしようということになったのだ。

ヒッさしぶりに見た彼は、中学校の時とは違い(当たり前か)、がっちりとした体で良い男になっていた。

焼き肉を食べながら、近況を聞き、近況を話し、これからの夢を聞いた。自分の夢を追い続けるってのは、なかなか難しいが、社会人になったということは学生時代にはちょっと無理かなあと思うようなことも、逆に出来たりすることがあることなどを話す。

まさか、私が関西に住まいするということになるとは思っていなかったが、そこに教え子がいて、こうして一緒に焼き肉を突くとも思わなかった。うれしいことだ。

晃、頑張れよ。
応援しているぞ。

2007/01/23

大人とは何か?

教職総合演習の授業が終わった。半期、15回の授業であったが学生諸君はなかなか大変だっただろう。って、先生の授業で大変ではないものがあるのか!という学生からの突っ込みが四方八方から飛んで来るのを感じつつ、ブログを書いている次第である。

            ◆

この授業の最後は、「大人とは何か?」の私の定義を述べる講義。
私は教師になるには、この「大人とは何か」という問題をしっかりと理解しておくことが重要だと考えている。

それは、教師として児童・生徒に接するとき、児童・生徒は子どもで教師は大人であるからだ。そして、子どもを大人に育てるのが教育の仕事の一つだからだ。しかし、その子どもと大人の境目を、教師が自覚していないと言うのでは、指導は難しいと私は考えている。

            ◆

長田弘さんの『深呼吸の必要』という詩集には「あのときかもしれない」という作品に、
「子どもになったのは二本の足で立ち、言葉を話せるようになったとき、赤ちゃんになった時は時間まで分かる。しかし、大人はなったではなく、なっていただ。不思議だ。自分のことなのにいったいいつ大人になったのかが分からない。」
のようなことが書かれている。

この詩を読むことで学生たちに問題提起を行い、学生の取りあえずの定義を批判的に検討し、私の思考過程を提示し、授業を進めてきた。

最後に私の「大人」の定義を受けて、学生たちは自分たちの大人の本格的な定義を小論文で行うことになる。一週間後に提出だ。どんなものが提出されるか、非常に楽しみである。

            ◆

中には、この授業を受けていても教師にならない学生もいるだろう。しかし、それでも良い。実はキャリア教育というのは、この大人とは何かという問いに対して、自らが答えを出すところから始まるのではないかと考えている。教師にならなくとも、学生は大人にはならざるを得ない。その時の指針の一つになれば良いなあと思う次第である。

            ◆

で、池田の大人の定義は何かって?
それはまあ、来年度授業にお越し下さい。
ええ、企業秘密です。

って、いいからそれで論文を書けという突っ込みも飛んできているような気もしておりますf(^^;。

ディベート甲子園出身者が

ミス日本になりました。
私、去年の夏に一緒に東海大会でジャッジをして、
一緒に食事にも行ったなあ。20070123_2322411


http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20070123-OHT1T00046.htm

これはすごいことだ、目出たいことだ。

引用開始 ーーーーーーーーーー


ミス日本グランプリに萩美香さん
グランプリに選ばれた萩美香さん

グランプリに選ばれた萩美香さん

 女優の藤原紀香(35)らを輩出した「第39回ミス日本グランプリ」の07年度決定コンテストが22日、都内のホテルで行われ、2432人の応募の中から立教大学大学院・法学研究科1年の萩美香さん(23)がグランプリに選ばれた。

 発表の瞬間、両手で顔を覆って感激した萩さんは、3度目の挑戦での戴冠。約1400万円相当のダイヤモンドティアラなどを贈られ「夢の中にいるような気持ちでいっぱい。信じられない」と驚きを語った。

 「いろいろな可能性が広がりました」という今後は「ボランティアとか福祉に何らかの形でかかわっていきたい」。紀香のような女優には?の質問には「あこがれてるんですよ~」と笑顔を見せていた。

(2007年1月23日06時00分 スポーツ報知)

引用終了 ーーーーーーーーーー

2007/01/21

忙しく切ない年度末が始まる

久しぶりに、休日。
お習字に勤しむ。
『礼記碑』
をひたすら全紙に書く。
うーむ、気持ちがよい。

午後からは、山中越えで京都市内に向かう。
一保堂のお茶と書道用品を買いに寺町通に向かう。

市内は空いていた。
今が一年で一番空いている時期なのかな。
京大病院の横を通り抜けすいすいと走る。
気持ちよい。

研究室で飲んでいるお茶と、家で飲むためのお茶を購入。
お習字用品を少々となんやらを手に入れて満足。

冬の京都を通り抜けるのも良いもんだ。

            ◆

午後からは、来年の四月からの準備で大津市内をうろうろ。
落ち着いて部屋にいれば良いのだろうが、まあ、うろうろ。
これでもプライベート関連でも忙しいのである。

ではあるが書店に立ち寄り、面白そうな本を5cmほど購入。
来週の前半分ぐらいにはなるだろう。

            ◆

大学の授業は、来週で後期も終了。
私はペーパーテストではなく、課題で評価をするので最後の最後まで授業。
学生たちはそれを受けて、最終レポートの作成となる。

私は成績をつけ、高校の模擬授業を行い、入試の仕事、そして四月からの児童教育学科の最終準備と年度末を過ごすことになる。

大学でも、忙しく切ない年度末が始まる感じだ。

当たっていたら怖いが

メディアリテラシーを扱っている教育関係者は、今回のこの「あるある」の「納豆問題」をどのように教材にしようかと考えているのではないだろうか。なんとも見事にウソで番組を作っているのがわかる。ディベートであれば、データの信憑性を学ぶためのの事例として良い教材になるだろうなあ。

私が中学校にいたら、すぐにこれらの教材にするだろうなあと思う。そして、「ココア問題」や「紅茶キノコ問題」までを取り上げ、情報リテラシーの授業を作るだろうなあ。

後期の大学の授業では、メディア断食をしてみてメディアの本質を考えさせた。そして、CMの分析を通して、マスメディアが触れることの出来ない領域について、自分たちの頭で考えてみるという経験をしてみた。

内田樹先生は、「新聞そのもの、テレビそのものというものは、それぞれが自らを批判することが出来ないのであるから、自分たちが何を批判していないのかを視聴者側が見る必要がある」のようなことをブログで書かれていたが、私がCMの分析で学生諸君に考えてほしかったことも同じ文脈にある。

            ◆

ためしてガッテン、おもいッきりテレビ、あるある大辞典。
この三つに取り上げられたものは、スーパーから姿を消すということになってから久しい。コンスタントに買っていた人からすれば大迷惑だが、それが現状だ。

しかし、ちょっと考えてみれば分かると思うのだが、
(そんなに毎週、大発見があるのか?)
とは思わないのだろうか。

確かに、ためしてガッテンの唐揚げの作り方は革命的であった。あれは揚げるのではなく、衣に包んで蒸すのであるという指摘は、鋭い。そういう常識の見直し、定義のし直し的なものはあるかもしれないが、あるわけがない。ということは、作っていると考えるが素直ではないか?

            ◆

もちろん、番組全体でウソを流すのが良いとは思わないが「あるある」に単純に文句を言っている人は、番組を作っている人たちも大変だろうなあと、思わないのかな。

繰り返すが、納豆業界にインサイーダー情報を流しているのを許しているわけではない。が、毎週毎週、彼らは高視聴率を確保するために作業をしなければならない。私だったらしんどいなあ。

業績主義の導入が日本をこれだけダメにしているってことは、もうソニーの例を出すまでもなく明らかであろう。テレビ業界はその業績主義の最たるところにいる。しかし、世の中の才能と資本は今はテレビ業界には集まらない。それでいて、結果を出せというのは、厳しい。

新しい人間は採用しない、予算は削られる、労働環境はどんどん悪くなる、新しい仕事だけはどんどん上から振ってくる。どこかの業界と同じである。

私の知り合いのテレビ関係者は
「今やテレビ業界は、明るい斜陽産業です」
と言っていたが、そういうことなのだろう。

            ◆

『「あるある」は、新しいちょっとした流行を生み出すためのシステムとして、スポンサーが設定した番組である』

という合意がひょっとしたら内部では暗黙の了解としてあったのかもしれない。そして、その新しいちょっとした流行から得た利益の部分を、スポンサーたちが少しずつ分け前として手に入れるようなシステムであったのかもしれない。

当たっていたら怖いが。

日本史B

ふう、試験監督終了。
私は自分のことに関しては大概のことでは緊張しないのだが、人様のことはダメだな。自分のことは失敗しても自分が受け入れれば良いだけだし、やり直せば良いのだが、人様のことはそうはいかんからな。

左の上腕二等筋がプルプル震えている。
まだ震えている。

            ◆

しかしまあ、受験写真と試験当日の本人の顔が、こんなに違っていいのか? メイクである。高校ではそれを許しているのかな。
一瞬、
(え? 本人?)
と思うような生徒もいるのが事実。

入試はそこらあたりから始まっているという感覚がないんだろうが、そういう感覚では緻密な勉強は厳しいんじゃないかなと思うけどねえ。

            ◆

入試を指導するとき、良く言うのが、
「出来るところから、点数が取れそうなところから始めなさい」
である。私もこれを徹底していた。

難しい問題を解いて5点であるのと、簡単な問題を解いて5点であれば、そりゃあまず簡単なところで5点を解くのが、受験の方法としては正しい。さらに、部分点が狙えるなら、部分点を狙えという指示も正しい。

だが、繰り返すがこれが「受験の方法としては正しい」のである。

            ◆

生きて行くには、「出来なくても、やる」「出来ないことを、やる」とうこともあれば、「結果を出すこと」「やりきること」を求められるものもたっくさんある。

私は入試が終わった時にはこの話をするようにしてきた。

『君たちに教えてきたのは、受験の問題の解き方として正しい方法であって、人生においては間違っていると言う場合もあるから、よく考えて行動するようにね』

と。
さて、今日明日の受験生は、そこのところは理解しているかな。

            ◆

地歴科の日本史Bの問題で弥勒菩薩の写真が出ていた。Mirokubosatu

問題は、
「この写真の仏像は何を表しているのでしょうか」
のような問題である。

正解は、瞑想する姿を表現しているの(1)である。
が、私としてはどうしても、
「歯が痛いのを必死に我慢している」
という答えが欲しいなあなんて、くだらないことを考えていた。

            ◆

事前のリハーサルも十分に行ったリスニングのテストも無事に終了。
しかし、「必要のない人はリスニングの時に使ったICプレーヤーを置いて行って良い」と指示があったのは確かだが、あんなに置いて行くか。今の子どもたちだなあ。

記念にもって帰るとか、持って帰って改良して遊ぶとかいう発想はないんだな。
そもそも大学入試センターは、これを使い捨てにすること自体がいまの時代に合っていないと思うのだが。リサイクル、リユース、レデュースの3Rに反しておるぞ。

            ◆

試験はもう一日続く。
生徒諸君、頑張れ。
試験監督の先生たち、倒れないように頑張ってください。

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