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2007/11/10

2001年度決勝

模擬授業の事前指導。学生たちは、やっと授業をつくると言うことの緒に就いた感じだ。出来合いの授業を持ってきて、それをやってみるのではなく、自分の頭で考えて自分たちで検討して作り上げていくのである。

さあ、あとは時間との勝負だね。

            ◆

日本語コミュニケーション技術1では、ディベート甲子園の決勝ビデオを見た。いくつかのビデオの中から学生のリクエストで、私が指導した子どもたちが出演した2001年度決勝のものを見せた。

学生たちの感想である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

中学生のディベートに圧倒された。まず、話すスピードの速さに驚いた。速くしかもしっかりと聞き取りやすく読んでいることがすごいと思った。時間ぴったりにあれだけ読めるようになるには、相当トレーニングを積む必要があると思った。質疑も端的に聞き出したいことをついていた。相手に時間を取られないように、短く切ったりしていた。反駁は、反駁の四拍子をきっちりとやっていた。あのスピードで、相手の主張を聞き取ってターンアラウンドをしていた。聞いて理解する力もすごいと思った。論題の争点を試合中に捉えて、まとめていた。その中で自分達の主張の方が上回っているとジャッジに伝えていた。情報収集・分析・伝達能力などあれだけの試合でも課題があるのだと分かった。試合にあたって、色々な角度からの情報を集めたり、勉強する必要があると感じた。
本格的なディベートを見て、自分がしているのは基礎の基礎ということを改めて感じた。基礎ができるように頑張りたいと思う。

引用終了 ーーーーーーーーーー
引用開始 ーーーーーーーーーー


今日は実際行われたディベート甲子園のビデオを見ました。正直すごい驚きました。始め流された一瞬の映像で私たちのやっているディベートとは違うと感じさせられました。読むスピードがとにかく早かったです。ジャッジに真剣になり、相手の表情や表現を全く見ることが出来ませんでした。メモを取ってる間にも話はどんどん進んで行き、混乱状態でした。発生過程,深刻性といったポイントもしっかりメモ出来なく質疑や反駁の時、どこの場所を言っているか分からなく、線で結ぶことが出来ませんでした。最も印象的だったのが否定側立論です。始めはゆっくり読み、だんだん早くしていくという読み方。大事な所は2回繰り返して読む方法。ジャッジからしたらすごい聞きとりやすかったです。ディベーターはジャッジに分かりやすく伝えなきゃいけないので、来週試合をする時は否定側立論の喋り方を参考に喋っていきたいなあと思います。これから試合するにあたってすごい勉強になりました。

引用終了 ーーーーーーーーーー
引用開始 ーーーーーーーーーー

今日はディベート甲子園(中学生の部)の決勝のビデオを見た。
感じたことが2つある。
1つ目は、スピーチがあまりにも速かったということだ。
そもそも今日は、そのビデオを見ながらジャッジをするというものだったのだが、あまりの早さに驚いた。
今までの僕達のディベートとは、比べ物にならないぐらいのスピードでスピーチしていた。
あんなのどうやってメモをとれって言うんだよ、と思った。
しかし、いずれはあのようなスピードのスピーチでも、メモ出来る様になりたいと思った。
2つ目は、ジャッジ(瀬能さん)の判定がとてもうまかったということだ。
ビデオの中でのジャッジ(瀬能さん)は、肯定側と否定側の両方をまんべんなく良い面や悪い面で指摘していた。
正直、僕は最後の判定までどちらが勝つか分からなかった。
こういうのがジャッジなんだなぁと改めて思った。
僕も少しずつでも瀬能さんに近付けていけたらいいなと思った。
最後に、来週の団体戦は頑張りたいです。

引用終了 ーーーーーーーーーー
引用開始 ーーーーーーーーーー

今日の授業はただただ笑うしかなかった。
まさか、中学生のディベートの全国レベルがあれほどのものとは思ってもみなかった。
今回のビデオを見ると予告された時は「オーッ!!」と大きなリアクションで驚くだろうなとは思っていたが、ここまで驚き、言葉を失い、苦笑するといったことになるとは全く考えていなかった。
あれほどのスピードであの長い立論の文章を読み上げ、質疑の時もズバズバと相手の意見の様々な部分を突いて、反駁の場面でも自分たちのようにあたふたしながら意見を探して発言するのではなく、きちんと発言することを決め、なおかつ発言の重要な部分に強弱をつけたり、ジェスチャーもつけれている姿を見て、ジャッジに言い聞かせるというのはこういうことなのだなと思った。
特に肯定側の第二反駁を行なったディベーターの姿が印象に残った。
今回のビデオは終始驚かされてばかりだった。

引用終了 ーーーーーーーーーー

他にもあるが、すべて「衝撃」を受けていたと言うことが分かる感想文であった。
訓練を重ねた中学生を舐めてはいけない。

私は、試合もそうだが瀬能さんのジャッジを聞かせたかったと言うのもある。(いやあ、瀬能さん若い(^^))。ジャッジというのは何をするのかを見せたかったんですね。

かなりインパクトがあったようだが、良いインパクトになったようだ。来週の試合が楽しみである。

            ◆

上記の試合に至るまで、そしてその後の記録は、
http://homepage.mac.com/ikedaosamu/debate/01kiroku.html
にあります。

長いんでプリントアウトせずに読まれることをお勧めします。
教育は文脈で語るってことを学生たちに話していますが、こういう記録を通してそれを感じさせたいなあと思っています。

2007/11/08

明日の授業は大丈夫です

ご心配をかけました。
なんとか復活しています。
今日一日体を休めていました。
明日の授業は大丈夫です。

2007/11/07

昨日は一日に四つの授業

昨日は一日に四つの授業があった。久しぶりに中学校のような時間割であった。
その内二つは、一種のサービスである。

            ◆

一時間目。模擬授業事前指導。国語科教育法2で模擬授業をさせるが、その事前指導である。学生たちの書いてきた学習指導案の一部を元にあれこれ。熱心さが本番に出ると良いなあ。このグループは『父の詫び状』をやる。その中の「字のないはがき」だ。向田邦子さんの他の本『眠る盃』『夜中の薔薇』なども読んだ方が良い。さらに、彼女の趣味の料理の本等もあることを話す。膨大な知識が必要である。

四時間目。国語科教育法2。課題にしてあった共通の授業の学習指導案を元に、小グループに分けてディスカッション。同じ教材でありながら、異なった指導案になる。さらに、「しっかり」などの副詞で説明している部分が多く、具体的な指導になっていないことに気がついてた。「生徒の予想される反応」の予測がまだ弱い。

五時間目。自主ゼミ。去年国語科教育法を受講した学生が行っている自主ゼミである。二週間に一度模擬授業を作ってくる。それを自主ゼミのメンバーでもみ、私も指導する。昨日は「走れメロス」であった。あまり問題にされることのない箇所を取り上げて、面白い読解の授業を作っていた。四月から教壇に立つ彼女であるが、ここにきて授業らしくなってきたのは心強い。

六時間目。教育実習2。教育実習に行く学生たちに事前の指導を行う。学校教育現場で起こるさまざまな事件について、教師はその場で適切な判断をしなければならない。「とっさの判断」である。もちろん、学生は学生として実習校に生き先生として仕事をするのだから、最終判断はできない。というか、してはいけない。だが、教師が何をしているのかは知っておいて良い。学生が行う判断と教師が行う判断の違いはどこにあるのかを、事例を元に考察した。「朝の連絡事項で一番伝えなければならないもの」「先生が破っていい約束は何?」などをする。本当は5つ事例を用意してきたが、学生の白熱した議論が続き2つしか出来なかった。それはそれで良い。

            ◆

研究室に戻ったのが8:00。
娘をお風呂に入れるために、急いで家に帰る。

娘を風呂に入れながら、
(いやあ、やっぱり授業は良いなあ)
と思う。

10:00にはリビングで寝ていた私であった。

2007/11/06

で、悩んだ

参考にするということは、どういうことなのか。

宇佐美寛先生は、「参考にします」という言い方を相手がした場合は、怒ったと言う。参考にすると言うのは、(お前の意見は、まあ、聞いておいてやるよ)という意味になると言うのだ。年下の者が年上の意見について「参考にします」というのは、確かにそういう意味になることが多いだろう。

だが、学生が先行実践やネット上に公開されている指導案を参考にする場合はどうであろうか。参考にすると言いながら、実際は丸写しのことがある。つまり、参考は丸写しの意味になっているのだ。

この丸写しをした指導案で授業をしたところで、その指導案のような授業ができるわけがない。なぜならば、その指導案を作った先生の実力と、学生の実力が違いすぎるからである。

指導案に使われている用語、考え方、展開のダイナミズムなどはその実力に達していないと理解できないはずである。そして面倒くさいのは、理解できたものは学ぶ必要がないということなのだ。だから、本来の意味での「参考」ってのは、考える主体を刺激するという営みなのかもしれない。

自分の知識、経験、指導力に応じた指導案。んーんん、応じたと言うとそこまでだな、「少し背伸びをした指導案」で、授業をしないと授業は上手く行かない。

でも、出来るのかなあ。

            ◆

ところが、その一方で「追試」という考えがある。これは真似をすることで、自分に足りない指導の力を身につけるトレーニングだと私は考えている。

これは、うちの大学の書道コースの学生には非常に分かりやすい学習方法である。書道には「摸書」というものがある。書道の摸書は、お手本の上に半紙を敷いて写し書きをするのだ。絵画にも「模写」がある。絵画の模写は、それを見ながら描き移す。これは書道では臨書という。そのぐらい書道の摸書は徹底してやるのだ。

だから、筆の毛先一本の違いや、手首の微妙な動かし方の違いまでも体得することになる。なんとなれば、全く同じように書くにはそのお手本の作者が動かした毛先、手首の動きまでもが同じでないと同じ時にならないからだ。それは書き写しだからこそ言える。

この摸書と同じ系列にあるのが、追試だと思っている。同じ授業にならないのを生徒のせいにするのではなく、自分の力量のせいにしながら、その差を型に従って埋めるようにするのが、このトレーニングである。

            ◆

で、悩んだ。学生にはどちらをやらせるべきなのだろうかと。

そして、考えて一日経って答えが出た。
「学生にはどちらをやらせるべきなのだろうか」という問いが悪かったのだ。

そんな問いを立てるのではなく、
「二つの方法がある。諸君はどちらもやれ」
である。

あまりにも単純な答えに、自分で笑ってしまった。
学生諸君、頑張れ。

今週末、第八回明日の教室です

今週末、第八回明日の教室です。

今日までに参加のメールを頂いた方の特徴は、いつもにと比べると社会人の方が多い、つまり現場で先生をされている方が多いということです。「教育助成金申請書の書き方」となると、学生の皆さんはじゃあいいやということになるのかな?

私はいつも思うのですが、これは逆です。

ダイヤモンドやプラチナに価値があるのは、数が少ないからです。みんながやることをやったって面白くないし、評価の基準は高くなると言うことがどうも理解されませんねえ。

オリンピックだって競技人口の多い種目より、少ない種目の方が出場の可能性が増えますし、メダルの可能性も高まります。

学生だと誰もやっていないことを学ぶことに価値はあるのです。それから、今一回学んでおくと、実際に書く段階になった時ゼロから始めなくて済むので、非常に楽なのです。一度体験しておくと言うのは、非常に意味のあることです。

明日の教室代表の糸井先生は、「教育助成金申請書の書き方」に関して日本の先生で5本指に入ると私は思っています。か苦だけでなく、採択率ももの凄く高いわけです。その糸井先生から直接教わることが出来るなんて、凄いなあと思うわけです。

どうぞ、ご参加ください。

ちなみに、私が行う「たほいや」は、私が中学校の教師をしていたときに行った授業の中で、子どもたちが好きな授業のベスト5に入っているものです。一度やり方を覚えれば小学生でも充分楽しめますが、ルールがちょっとややこしい。文章を読むだけでは理解しにくい面があります。そこで、実際にやってみます。私の予測では、あまりに面白くて懇親会でもやりだすメンバーがいるのではないかと思っております(^^)。

お待ちしております。

写真は琵琶湖と逢坂の関のある山です。

Afusaka

2007/11/05

おやすみなさい

土日に大学に行かなかったのは、何日ぶりぐらいだろうか。
いつもなら土日のどちらかは大学に行って授業の準備や片付けをしている。
うーん、研究室が紙だらけになってきたぞ。
片づけなければ。

            ◆

国語科教育法2では、いよいよ模擬授業に入る。指導案を作り実際に行うわけだが、その前に指導案の指導を行う。最低一回は模擬授業の三日前に私のところで指導を受けることにしてある。

だが、学生たちは二回ぐらいやってくる。そして、自分たちでリハーサルを数回行い当日を迎えることになる。

教育実習前に指導案が書けるようになっており、模擬授業が終わっているようにはしておいてあげたい。もちろん、大学生相手の模擬授業である。授業を受ける側は気を遣ってそれなりに答えるし、そもそも騒がないし教室にいる。そんなんで意味があるのかと言うことも言えるが、やるとやらないでは全然違うだろう。

自分の思い、考えが体の動きや言葉と出てくる瞬間を実際に体験しておくと言うことは大事だ。そんなの毎日の会話でやっているじゃないかというかもしれないが、授業と言う公共の空間で行うのと一緒に考えてはダメである。

今読み始めている『大学出は学べない教師学 現役教師が活用する仕事術』(小林正幸 大熊雅士 ぎょうせい)には、あるスーパー教師は9種類の笑顔を使い分けると書いてある。自分の笑顔をコントロールできる学生がどのぐらいいるだろうか。ま、学生のうちから出来ても気持ち悪いが、授業場面で「微笑み」と「大笑い」ぐらいの使い分けが出来るようにはなって実習に行かせたいものだ。

            ◆

うーん、ここにきて大学の仕事が溜まってきたな。
が、ちょっと熱っぽい。
いかん。
今日は一人娘から離れて、寝よう。
お酒も飲まないで寝よう。
おやすみなさい。

相談会の紹介

古くからの仲間で、いまは大阪府の教育委員会に勤めている岡本先生から、ご案内を頂きました。魅力的な講座ばかりです。


http://www.osaka-c.ed.jp/karinavi/teacher/soudan_shien.html

大阪の先生になろうとしている諸君も、そうでない諸君も、機会を見つけて自分に必要な講義に出てみましょう。

秋の終わりに桜

昨日書き上げた原稿、それからインタビューを受けて記事になった原稿の校正をして一日を過ごす。

          ◆

教師になって赴任した最初の学校で担任していた生徒からメールが入る。ミクシーで発見したとのこと。本名でないのに良く見つけるものだ。つい最近もあった。もう30歳か。私が君たちを担任していた年よりも年上だぞ。

彼女の参加しているコミュニティをふと見たら、教師になって赴任した最初の学校のコミュニティがある。なんか凄いなあ。

みんな元気か。

          ◆

昼過ぎ、再び昨日と同じガーデンに娘を抱えて散歩にでかける。4キロを抱えて歩くのもなかなかの運動量である。

昨日も確認したのだが、やはり咲いている。
桜だ。
この季節に桜と言うのは変だが、「ジュウガツザクラ」という種類の桜が咲いている。
満開に向かっているようである。
秋の終わりに桜と言うのも、妙だが、それはそれで面白い。

10sakura


          ◆

家に戻ると、やはり娘はすぐに目を覚ました。
そして、抱っこをもとめてぐずる。
はいはい。
抱っこを求めるようになれましたか。

今日は何時間娘を抱いていたんだろうなあ。

2007/11/04

明日も晴れそうだ

午前中は原稿を書いていた。『こんな時どう言い返す』(学事出版)に関連した原稿だ。

この本はひょんなことからできた。今から5年も前になるだろうか。「授業作りネットワーク」の会員版に1pのスペースが出来たから、何か書いてくれないかという依頼があった。何か生徒指導系のものが良いという話だった。なんとなく奥さんに話したところ、あれが良いと言われた。

「あなたは、生徒の屁理屈にもすぐにその場で言い返せるけど、それができなくて困っている先生多いと思うわ」
『そうか。できるだろ』
「できないの。それを書いてみたら?」

と言われて、半年間の約束で書き始めたのであった。ところが、好評で4年半も続いたのだ。
会員版なので、原稿料はない。ではあったが、この原稿を書けたことは私にとって大きな意味があった。

それは自分の生活指導を見直すきっかけになったことである。全生研のサークルで学んだり、現場で鍛えられたりしながら生活指導は身につけていったが、それを自分の言葉で書きながらまとめるという作業を通して、言語化することで自分の指導のスタイルを確認することが出来たということである。

「書くは、考えること」

まさにその通りである。大学の授業でも、教師を目指す彼らには機会があることに書かせている。毎週の授業の感想やいくつかの課題。国語科教育法2では教科通信も書かせている。10年後ぐらいにその意味が分かると良いなあと思う。

            ◆

午後からは、奥さんと娘と三人で近くの公園に出掛ける。
うちの娘は、外に連れて行くと良く寝る。
スリングの中に入れてよいしょと抱え、3分も歩けば寝ている。

うーん、せっかく奇麗な花を見せようと思ったのだが、おねんねしているのを起こすわけにもいかない。奥さんと二人で久しぶりのガーデンの花を愛でる。

Photo


琵琶湖を吹き抜ける風も心地よい。
今日は、全日本学生ヨット選手権が行われているようで、多くのヨットが湖面にいる。
うちの大学にもヨット部があれば良いのになあと思う。

家の玄関を開けたら、娘はぱっちりとその大きな目を開けた。
確かに授乳の時間でもありますがねえ。
そのタイミングの凄さに思わず笑ってしまった。

明日も晴れそうだ。


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