« 2007年1月21日 - 2007年1月27日 | トップページ | 2007年2月4日 - 2007年2月10日 »

2007/02/03

しばらくは大人しく

ふうむ。聞こえない。
そもそも人の話を聞かない私だが、聞こえないというのとは違うからなあ。
ま、騙しの多い世の中、話を半分に聞くのにはちょうどいいかもしれないが。

            ◆

入試の採点日なのに、朝から病院に行く。
「では、聴力検査をしましょう」
と言われて、やる。
(を、聞こえるじゃん。なんだ、気のせいなのかな?)
と思って検査結果を見る。
すると見事に、右側の耳の高音域が聞こえていない。

都合の悪いことは聞こえず、悪口はしっかりと聞こえる地獄耳の私の耳が、聞こえなくなっている。うーむ。

            ◆

耳が半分聞こえないと言うのは、なんというかバランスが悪い。歩くのにもふらつく感じである。そして、つい左耳を傾けて聞いてしまう。まさに傾聴である。

で、時々聞こえないはずの高音域が右の耳の中で響く。
これはちょっと辛いな。
高校での模擬授業は続くものの、大学での授業が終わっていて良かった。

            ◆

ストレスが良くないと言うことで、体を休めることにします。
すみません、こんなときに役立たずの私です。
しばらくは大人しくしています。

今日は節分で、明日は立春です。
初の関西在住での節分と言うことで、
イワシと恵方巻きをやって、風呂入って寝ます。

おやすみなさい。

2007/02/02

必勝 都立高校合格法

このところ私のブログに来る人の「検索語句」ランキングナンバー1は、「自己PRカードの書き方」である。

去年、和田中学校にいた時に教科通信で書いたものをこのブログに載せてあるのだが、そこにヒットしてたどり着くのだろう。これから都立高校の願書提出ということだよね。

今年の都立高校の願書受付は、2/7と2/8ということは今週末が文章を練り上げる最後のチャンスだね。学校の先生や塾の先生に見てもらいながら書くのだろうけど、自分で考えた文章でないと、面接の時に辛くなるからね。

            ◆

で、まあ、ご縁があって私のブログにきた中学生諸君に、「必勝 都立高校合格法」を一つ伝授しよう。それは、本命の都立高校の受検料*1を自分で払うことだ。

高校の受検料、私立だと高いが都立ならまあ一ヶ月のお小遣いで何とかなるだろう。であれば、自分の小遣いから出すのだ。

高校ってのは、お願いされて行く場所ではない。自分が選んで行く場所だ。なら、せめて受検料ぐらい自分で払ってみてはどうだろうか。みんなが買っているゲームソフトよりも、全然安いはずだが、なぜか妙に無駄遣いをした感覚が出てくるはずだ。

それはなぜかは、追々考えることにして、大事なのはこの「無駄遣いをした感」である。これを「良い買い物をした感」に変えるには、一つの方法しかない。そうだ、合格なのである。

            ◆

自分の進路に対して、自分で挑戦のための切符を買う。
これは、必死になるよ。

そして、これが学ぶことの本質、「身銭を切る」ということにやがて繋がって行くんだな。
ま、やってごらんなさい。

努力した人が報われることを、願っています。
さ、耳のために早く寝るか。

*1 都立高校の場合は、学力検定試験なので、受験ではなく、受検なわけです。

流石、繊細な私である

二日間の入試の監督業務が終わった。
そんなやわではないと思うのだが、今朝方は3時半に目が覚めた。大雪と言う天気予報があり、大学まで遅れてしまってはいかんと思っていたのだろうか。窓の外の雪のつもり具合を確認し、バイパスを走る車の陰を確認し、
(ん、これなら大丈夫だ)
とまた布団に潜り込もうとしたところ、何か変である。

右耳が聞こえないのである。

            ◆

ま、何かの間違いだろうと思ってもう一度寝てしまった。
ところが、朝起きても治っていない。
(うーん、今日の監督は辛いかも)
と思いつつ、
(看護学部の先生たちに、これは何なのかを聞いてみよう。看護学部があると助かるなあ)
と大学に向かう。

            ◆

よくわからないけど、どうやら突発性難聴ではないかとのことであった。過度のストレスによって発症するという。うーむ。流石、繊細な私である。

今晩寝て症状が緩和しなかったら明日一番で病院に行くことを勧められる。確かに片耳だけプールに突っ込んでいるような感覚で、ステレオで音楽を聴いても右耳側のスピーカーからは音がせず、左耳をそちらに向けると音がすると言うのは、あまり気持ちのよいものではない。

            ◆

そのような状態で試験監督をしていたわけで、まあ、音は特に試験監督には関係ないので、良いのだが、じっと見張っていると、あれこれと思うもんである。

今日は、今問題になっている柳沢大臣の「女性は子どもを産む機械、装置」発言のことを思っていた。まあ、第一感で(そりゃあねーよな)(この人が厚生労働大臣?)と思う人が多いだろう。

高市議員や福島議員が猛烈な勢いで抗議するのは当然であろう。だが、私はそれとは別のことを思っていた。

(なんで、柳沢大臣はこういう考えを持つようになったのだろう?)

である。一言で言えば教育なのだろうが、どういう教育を受けるとこうなるのだろうかと思っていた。

            ◆

それから、さらに思ったのは、この発言に対してクレームを述べているのは高市議員や福島議員などの女性の立場からの発言が目立つと言うことである。私はその他はどう思っているのかが気になった。

例えば、宗教関係者である。カソリック系列のクリスチャンはどのように思ったのであろうか。仏教徒はどのように反応したのであろうか.宗教的観点からはど大臣のこの発言はどう捉えるのであろうか。
女性が機械として例えられることにクレームではなく、人間が機械として例えられることに、神との関係でどのようなクレームがあるのだろうか。

また、教育関係者、保育関係者、医療関係者はどうなのだ。
さらにもっと言ってしまえば、機械関係者はどうなのだろうか。
(おい、機械を馬鹿にするなよ)
と思っている機械関係者だっていそうな気がする。

            ◆

いくつかのキーワードで検索してみたが、これらの関係者からの発言を見つけることが出来ずにいる。今回の大臣の発言があまりにも情けないので、クレームもクリアに一つしか出ていないのか、出ていてもマスコミによって扱われていないのか、他の関係者は我がごとと捉えていないのか、どうなんだろう。

そんなことを考えてしまう。
目の前にいる受験生のうち何人かは、四月から私が教えることになる。彼らの顔を見ながら、大臣の発言をきっかけにし、
(うーん、こういう授業はどうかな)
と考えていたのである。やはり顔を見ると具体的なイメージがわいてくるなあと思いながら、試験監督を続けていたのである。

ああ、耳が早く治りますように。
今日こそは、早く寝よう。

2007/02/01

軽い武者震い

昨晩は東京からの客人と、楽しく夕食を味わった。
まだ行ったことのない街、先斗町(ぽんとちょう)に行ってみた。

イメージとしては舞子さんの街で、「一見さんお断り」、「座っただけで数万円」、というものがあったが、実際はちょっと違っていた。

もちろん、学生たちが飲みに行くような居酒屋のチェーン店のような店とは違う。(あ、私も行くか)もっと落ち着いて食事が出来る。お酒が主ではなく、食事が主である。手間がかかっているだろうなあと思わせる料理であった。そして、会話を包むようなフォービートのジャズ。鴨川の夜景。こういう感じであった。

でも、値段はそんなでもなかった。学生コンパの一次会と二次会の金額を足したのより、ちょっと上回るぐらいで楽しめた。

バーなんかも行ってしまい、久しぶりに大人食い、大人飲みをした夜であった。

            ◆

で、本日は本学の一般入試。
私が来年度移ることになる児童教育学科の受験生の教室で、試験監督。
教室責任者ということで、あれこれと説明をする。

生徒の顔つきがキリリとしている者多し。この中の数十人は、確実に来年度一緒にスタートを切るのかと思うと、軽い武者震いがある。

努力を重ねた生徒が合格しますように。

            ◆

途中の休憩時間にメールのチェック。
今日のメールはとても大切なメール。
やった!

            ◆

試験監督の先生たちと、休み時間に中教審の答申の話題になる。
小学校に古典が入るのね。
漢文もやるんだなあ。
来年度からのシラバス作りに活かさなければね。

            ◆

琵琶湖の上には大きな満月が出ている。
きれいだ。

さあて、明日も試験監督だ。メインテナンスに出しているcooper-sも戻ってくる。雪の可能性もあるが、気合いを入れて試験監督しましょう。

高大連携

今日は高大連携事業の一環で、高校生に2時間授業を行ってきた。「古典の世界を」ということだったので、百人一首を中心に、なんで古典を学ぶのか、古典を学ぶとどんな良いことがあるのか、実は百人一首って・・・ような話をしつつ、実際に対戦をしてみた。

             ◆

教室に入るといきなり
「こんにちは!」
と明るい声で迎えられた。
(よし、授業やったるぞ)
という気持ちになれる。

自己紹介は、聖蹟桜ヶ丘が『耳を澄ませば』の舞台で、そこに去年まで住んでいたと言う話から始める。
『を、流石に女子は知っているな、この漫画』
と言いながら
『を、女子なんて言い方するの久しぶりだな』
と呟いてしまう。

            ◆

なぜ、古典を学ぶのか。これについては、去年『月刊 国語教育研究』(日本国語教育学会編 2006.12  NO.416)に「提言 古典の世界にふれる」ということで書いた。これを元に話す。

『高校二年生が理解できる世界と、納得できる世界は違い、理解を元に将来の納得の世界へと進むためには、いま学ぶことが大事で、それがあなたの人生を豊かにするのだよ』

のようなことを話した。ま、他にもいろいろと話をしたのだが、子どもたちは明るさとは別に、真剣に聞いていた。

            ◆

5時間目で、コミュニケーションができたなと感じたところから、6時間目は実際に小さな大会を開くことにする。

ではあるが、6時間目の最初に
「先生、字、むっちゃきれいですね」
と板書の字を褒めてもらったので、お習字の話もする。
摸書の大事さを話す。

で、二試合を行う。
久しぶりに札を読んだ。昨日の酒が影響しているのか、ちょっと枯れ気味の声になってしまったf(^^;。が、必死に読んだのが伝わったのか、真剣に取り組んでいた。

途中で、上の句で下の句が捜せる「あんちょこペーパー」を渡してあげる。
「先生、これすごいやん。あいうえお順で捜せる!」
と喜んでいる声。
『そうだよ。百人一首は五十音順になっていないから捜すのが大変だろ。だから、五十音順に作り直したんだよ』
「これは使える!」
ってな感じで、それを見ながらさらに試合はヒートアップ。
あっという間の2時間であった。

            ◆

最後に感想を書いてもらい、終わりにする。
なぜ古典を学ぶのかの話が、彼ら彼女らに届いたようでほっとした。
「折角京都にいるのだから、もう少し、文化と言うものを学ぼうと思った」とか「大人になるのが楽しみになった」とか、「字を上手くなるようにしたい」などの声もあった。

良い時間を過ごせました。
また、機会があれば会いましょう(^^)。

2007/01/31

レシピの法則

「茎わかめ饂飩の法則」を思いついた私は、更なる冒険を進めていた。思考実験である。
(茎わかめ饂飩が、そうだとすると、あれはどうなるんだ?)
と言う具合である。

            ◆

以前、授業で「いわゆる神の降ろし方」ということについて、学術的考察をしていたところ、きときと君に「先生、そんなところまで分析するんですね」と言われてしまったが、まあ、そういうのが面白いし大事だと思うのだが。

なんでもかんでも「調べてみないと分からない、実験してみないと分からない、教えてもらわないと分からない」と決めつけるのはおかしいと思っている。

私が閃いたということは、その隣接する領域に私がまだ閃いていないものが、接しながら存在していると考えた方が良い。また、閃いたのは私の中の何かが、きっかけを得て結びついたのである。調べることや実験することを前提にしてはいない。だとすれば、さらに調べるよりは、見つめるだろう。

            ◆

そんなことをしていたら、来ましたね。新しい法則が。
まさに、降りてきたんだな、これが。

「レシピの法則」

である。

なんだか食べ物の話ばかりで我ながら恥ずかしくなるが、降りてきたものは仕方がない。
これがうまく整理できれば、来年の国語科教育法の授業は、もう少し安定したバリエーションを出すことが出来るであろう。

なんのことだか分からないと思うが、自分のメモとして。

2007/01/30

茎わかめ饂飩の法則

午前中はいくつかの文章と格闘。

こういう時に限って学生から急なメールが入る。
「文章と格闘中につき、30分待ってほしい」
と伝え、仕事を進める。

京都大学にいらっしゃった数学者の森先生は、
「本日頭脳明晰のため、休講」
という伝説の張り紙を出したということだが、私とて一度ぐらいこうしてみたい。
が、森先生と私を比べるのも烏滸がましい。
「ちょっと待って」
のメールが関の山である。

            ◆

ではあるが、そんな私にも閃きがあった。
それはお昼ご飯の「茎わかめ饂飩」を食べている時のことである。

茎わかめの炒め物は、このブログでも以前紹介したが、あれは一度食べると癖になるので、無くなっては作り、無くなっては作りをしている。

で、今日の昼は塩を抜いた茎わかめをちょっと手に取ってザクザクと切り、饂飩の中に入れて食べたのだ。
(ああ、美味い)
と思う一方で
(ん? 思ったよりも茎わかめの感触が無いな?)
とも思った。そして、閃いたのである。
(あ、これが学習行為か)
と。

とある高僧は、アリが歩いて行く姿を見て悟りを得たということだが、そこまでは凄くなくても、いっぽうでそれに近いなあと思う私であった。

            ◆

「授業で教えきることは可能のだろうか」
ということは、つい先日西川先生へのコメントで問題にしたものだ。私の結論は不可能である。しかし、授業者は教える精度を高めなければならないとも思っている。

問題は、どこまでその精度をあげるかなのだ。
茎わかめ饂飩を食べながら、私はこの精度問題には二つのポイントがあると気がついた。

1)伝える技術の精度は、できるだけ高める。
2)どこまで伝えるかは、判断による。

ではないかということをだ。

            ◆

茎わかめは、ご存知のようにわかめの茎であり、細長く固い。この茎わかめを食べごろのサイズに刻んで、食す。だから、切るための技術は優れているほどよい。これが、1)である。しかし、どのぐらいのサイズで切るのかは考えなければならない。これが2)である。

今日、茎わかめを食べていて(ん? 思ったよりも茎わかめの感触がないな?)と思ったのは、2)を失敗していたのである。私が楽しみたいと思っていた「噛み締めの総量」よりも、細かく刻んでしまっていたのである。だから、感触が足りなかったのだ。

そして、これは感触だけの問題ではない。
お腹を壊した時に食べるお粥が思いのほか消化に悪いことがあると言う話を聞いたことがある。十分に柔らかくなっているので、噛まないで飲み込む。そうすると唾液が混ざらないので、消化がしにくいと言うのである。

そうだとすれば、今日の茎わかめ饂飩における茎わかめは、噛まなくても飲み込めると言うことと同じになる。

            ◆

んで、これを学習行為に展開して考えれば、

「理解しやすいようにするための教師の技術の向上は、とても大切である。しかし、なんでもかんでも分かりやすいようにとしてはダメなのである。ある程度、理解の手応えを学習者に残すように学習内容を用意し、学習者が自らの咀嚼で内容を手に入れるようにしなければならないのだる」

ということになるのではないだろうか。
だから、どの程度の噛みごたえを残すのか、つまり、自らが学ぼうとちゃんと手に入れることが出来ないような学習課題の設定するのかということである。その設定の具合が授業のある種の質を決めるのだろう。

うーむ、恐るべし「茎わかめ饂飩」である。

これからこのことを「茎わかめ饂飩の法則」と呼ぶことにしよう。

2007/01/29

うるい

スーパー評論家の私としては、一日に一回スーパーに行かなければならない。
疲れた体を引きずり、今日も出かけて行った。一件目は特に問題なし。値引きも無し。
そこで、二件目に突入。すると、あった。今シーズン初の「うるい」である。

うるいとは、オオバギボウシと呼ばれるユリ科ギボウシ属の植物である。私のイメージでは関東ではなく上信越、または東北の食べ物である。それを西大津のスーパーで見かけた。これは買うしかない。

            ◆

レジで清算をしていたら、レジのオバさんに
「うるいってなんですか?」
と聞かれてしまった。
何と言われても
『ギボシの一種です』
としか答えられない。というか、お客さんに聞くか? まあ、面白いけどf(^^;。

            ◆

基本的には、おひたしにして食べるのが美味い。
うるいの調理方法をネットで見ると、「茹でてから切る」という記述が多いが、私はこれではない。「切ってから茹でる」である。

というのは、根っこに近いところと葉っぱの先で同じ茹で時間と言うのは、いかがなものかという思いがあるからである。根っこに近いところが茹で上がる直前に葉っぱの部分を投入すると、出来上がりが同じような茹で具合になる。これがいいのだ。

            ◆

醤油やマヨネーズで食べるのも良い。が、今シーズン初であれば、そのまま頂きたい。ほんのり苦みのあるその向こう側に甘さが広がる。春の味わいだ。

ああ、美味い。

はい、それでは良い春休みを

本日、「大人とは何か」の小論文提出締め切り日。メールでの提出も求めているので、深夜から明け方に掛けても提出が続く。

小論文を書き終えた後に、書き終えての感想も書かせている。振り返りが大事だと考えているからである。その中で比較的多かった感想は、

・ 改めて大人と言うものを考えてみて、面白かった。
・ 先生の定義に納得してしまい、自分で定義し直すのに苦労した。
・ 頭の中では分かっているのに、文章にしようとすると難しかった。

というものである。特に三番目の「文章にしようとすると難しかった」が面白い。

            ◆

考えると言うことは、書くと言うことである。

このことを学生たちが実感できると良いなと思い授業をしている。私の授業は書く作業が多い。感想の文章と、考えの文章の両方ともを求める。

うんうん悩みながら、筆を進めて行く作業が、その人間を作って行くのだと思う。
頑張れ。

            ◆

昼過ぎに、昨年ALL関西教育フェスタで知り合いになることができた、映像プロデューサーのHさんと大学で会う。学生たちが作ったデジタルストーリーテリングの作品を見てくださると言うのだ。まあ、最初の作品なので完成度はそんなに高くないが、プロに見て頂くことで私も勉強になるし有り難いことである。

私がどのような考え方に基づいてこの授業をつくり、この作品を作らせるまで指導をしたのか等を話しながら、見て頂いた。

学生たちの作品の質に、驚いたり感動してくれたりしたので、私も嬉しかった(^^)。ここから一つ新しい何かが生まれるかもしれない。

            ◆

で、今日は教職総合演習の授業の日であるが、シラバスで予定していた15回は先週で終わっているので、やらなくてもよい。ではあるが、折角小論文を提出に来ているので、本格的な授業と言うことではなく、お茶会でもしようかということになり、する。

各自がちょこっとしたお菓子とお茶を持参して、振り返りをすることにした。私の授業は、机の上にペットボトルを置くことも認めない。ではあるが、柔らかくする時は柔らかくである。中には手作りのケーキを持参する学生までいる。うれしいねえ。

この会には先ほどの映像プロデューサーさんにも参加して頂く。実際に作った学生たちを見て頂くのも良いかなと思ったからである。

            ◆

お茶会では、ディベートと大人とは何かの二つの件について触れながら、学生が一人ずつ振り返りを行った。まあ、出る出る。いかに私の授業が大変だったかという、嘆き、愚痴、叫び。とても涙なしには語れず、聞けないf(^^;。

ではあるが、乗り越えた喜び、力がついた嬉しさも同時に語っていた。なんかこれで学生たちと授業ではお仕舞いかと思うと、やはりしみじみするねえ。最後の2、3分を使って私もまとめのスピーチをした。

『一見なんでもないような言葉を定義することの難しさ。そして、定義の切り口によって分かりやすさが違って来ることの面白さ。なんでもありということは、理由付けで勝負が決まるということ。

他にも君たちの振りかえりで論点は出たけど、そういうことを文章を書きながらくぐり抜ける経験が、来年の教育実習や卒業論文に繋がるのですね。使う言葉を選ぶというが、こういう経験をくぐり抜けてこないと、見えてこないものがありますからね』

私らしくなく、チャイムと同時に終わった。

『はい、それでは良い春休みを』
「ありがとうございました」

とのやり取りをして、一年間を締めくくった。

            ◆

そのまま帰ろうかとも思った。がまだ、明後日の高校の授業の準備が終わっていないので、映像プロデューサーさんを駅まで送ってから研究室に戻り、最後の調整。それも終わり、明日印刷すれば完了のところまできた。ふう。

あとは、研究費の確認、入試業務、1/31締め切りの本の原稿、評定、大阪教育大学講座のシラバス作り。まあこのぐらいやれば、プライベートのことは別にして、今週は終わっても良いだろう。

もう、一月も終わりだああ。


2007/01/28

マイブーム

マイブームというちょっと古い言い方があるが、今の私はまさに「文字と戯れる」のがマイブームである。でっかい紙に、ガウガウ、ダウダウ、フンフンと書き続けている。

真っ白い紙に黒の墨で、存在を残して行く。まぎれもなく私の文字である。こういう楽しみを味わえるんだな、書道は。作品を作り上げるということではなく、あくまでも文字と戯れているだけなので、楽しいのかもしれないが、ガウガウ、ダウダウ、フンフンである。

書道をやらない人にはこの面白さを理解してもらえないかもしれないが、格闘技のような短距離走のような。時にはダンスのようなマラソンのような。楽器の演奏のようでもある。これが、ガウガウ、ダウダウ、フンフンだ。

このところ一日に30分から一時間はこれをしているものなあ。
生産的な行為のように見えて、全然生産的でない。ただ、文字と戯れる。

これ、何に繋がっているのかなと、ちょっと楽しみ。
別に何にも繋がっていなくても良いのだが。

            ◆

昼過ぎから、cooper-sのメインテナンスのために車屋さんに行く。
もう一つのマイブームのcooper-sである。

cooper-sの基本性能は何も問題ないのだが、ちょこちょこっと気になるところがあるので調整をしてもらおうと思って出かけて行ったのだ。

私の車の整備を担当してくれるオジさん(って、私もオジさんだが)と、コーヒーを飲みながらゆっくりと車談義。なんかどこかで見たことがあるなあと思っていたが、
(ああ、これは『GT ロマン』の世界だ)
と思ったのである。

この漫画を好きな人は、多分『万歳ハイウェイ』も好きだろうが、なんつーか、馬鹿な人たちの話ですよ。憎めない車好き、バイク好きの話ね。

私はそこまでではないので、ド・ノーマルの車、バイクで楽しむので十分。あとは、これらの物語で楽しめば良いと思っていたのだが、cooper-sの御陰で『GT ロマン』の世界に足を突っ込みそうになっている。まさか、日曜日にこんな風に過ごす自分がいるなんて、一年前には思いも寄らなかったなあ。

楽しい時間を過ごし、宵の迫る湖岸を走る。ただし、代車。ま、それも良いだろう。
一週間ドック入り。十分に調整してもらってきてください。

            ◆

さあ、明日中には高校の授業の準備を終えたいものだ。

« 2007年1月21日 - 2007年1月27日 | トップページ | 2007年2月4日 - 2007年2月10日 »