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2007/02/17

3割ですかね

今日の模擬授業は、うちの付属高校での授業であった。付属高校でやるというのは、どうもなんというかちょっと緊張する。別に悪いことをしているわけではないのだが、いつもと違った。

だが、さすが我が付属高校である。子どもたちがしっかりしている。先生方の指導が行き届いている感じがする。授業の最初に挨拶をするとき、
「マスクを外して」
と声がかかる。

まあ、花粉症の辛さは分かるからそのままでも良いと言えば良いのだが、
(まず挨拶からしっかりさせたい)
という先生方の気持ちが伝わる。こっちも、
(おーし、しっかりやろう)
という気持ちになる。つくづく人間は感情の生き物である。

そして、担当の先生も一緒に教室に残っている。私がこれと同じことを中学校で企画した時もそうしたが、実はこのように残って一緒に子どもたちと話を聞くという高校は少ない。最初からいない学校もあるし、出席だけとっていなくなる学校も多い。

もちろん、忙しい学校現場だからわからないでもない。だが、礼儀云々ではなく、子どもと一緒に同じ話を聞いて後で共有するってのは、大事なことだと思うのだが。

            ◆

模擬授業の中で、

『さて、みなさん。教師の仕事が10あるとすると、授業の仕事というのはいくつぐらい、何割ぐらいだと思いますか?』

という問いに、5〜6割という所に手を上げる生徒がほとんどであった。二回授業をしたので、二回とも確認をしたがそうであった。

そこにいた担当の先生に聞いてみた

『先生は、何割だと思われますか?』
「3割ですかね」

私は日頃学生たちに、普通の中学校で3割。荒れていると2割と話しているが、まさにその通りであった。二人の先生ともそうであった。

生徒諸君はびっくりしていた。教育を受ける立場で学校にいるのと、教育をする側で学校にいるのでは、全く違うということが分からない。高校生だもの分からなくても結構。だが、問題は大人である。学校教育を受けるだけの経験で、学校教育をする側に対して分かりきったかのように発言する人が多くなっているのではないだろうか。

残りの7割で何をするのか、分かっているのかなあ。

            ◆

終わってから、慌てて病院に行く。
実は、耳は治っていない。痛くなって耳鳴りがするようになってしまった。これは治らないかなあ。

大学で大事な会議があったのだが、失礼して自宅で静養。
役立たずで住みません。

兎に角いまは、薬を飲んで体を休めるしかない。

2007/02/16

『子どもの荒れにどう向き合うか』

『子どもの荒れにどう向き合うか 〜いま、教師でありつづけるために〜』 (杉田雄二著 高文研)を読む。

一気に読んだ。

全生研の有名な実践家である杉田先生(ペンネーム)の実践記録である。遠目に拝見したことはあるが直接お話ししたことはない。一人一人の子どもを丁寧に指導される先生であることは、実践記録から十分分かっていた。

その杉田先生が退職願を書き残して、修学旅行のあと「失踪」した。
実践の記録はここから始まる。

            ◆

今の中学校の痛み、切なさ、喜び、苦しみ、つまりは現実が語られている。すべての学校がこうではないし、すべての先生がこうでもない。

だが、同じような思いをしながら、毎日学校にいる先生たちが確実にいる。そして、助けを求めている子どもたちもいる。

杉田先生が生徒指導のストレスで、円形脱毛症になって禿げたという記述を読み、
(オレもそうだったよなあ)
と3年前を思い出した。

過ぎてしまえば、
「これも教師の勲章」
なんて言われたのも笑って受け入れることが出来るが、その時はそれどころではなかったなあと思い出した。

            ◆

(今の時代に教師として生きるとは、こんなにも大変なのか)
と思うか
(今の時代に教師として生きるとは、こういうことか)
と思うか意見の分かれることだろう。

できれば、どちらの思いも持って

「さあ、待っていろよ子どもたち」

という思いで、力を抜いて笑顔で教室に向かう教師に育ってほしいと、学生たちのことを思いながら読み終えた。

            ◆

分からないこともあった。携帯電話の指導の場面である。杉田先生は、学年の先生に

「みんなができるやり方にしようよ。私は『携帯をすぐにしまいなさい。十数える間にしまわないと預からせてもらうよ』と言ってカウントダウンするようにしている。そうすると、何とかしまうよ。これなら誰でもできるでしょう。」

と言う。
ダメなものはダメと言って取り上げる指導をする先生の正しさを認めつつ、その指導が出来ない先生でも出来る指導を提案する。実際強い先生がいると、生徒は強い先生には従うが、弱い先生は舐めてかかることが多い。だから、みんなが出来る指導というのだ。

これは、分かる。分かるがこの先が分からない。
つまり、杉田先生の「みんなができるやり方にしようよ。」と言われる、携帯電話の指導は分かるが、本全体を通して貫かれている杉田先生の指導は、「みんなができるやりかた」なのかなあと。私には出来そうにもない。

どうして杉田先生は出来たのだろうか。
そして、それはどうしたら学生に伝えることが出来るのだろうか。
ちょっと考えてみたい。

教師を目指す学生諸君。
とってもいい本です。
読もう。

2007/02/15

今夜、88888が出ますね。

ついこないだ77777だと思ったのですが、御陰さまでまた並びます。
88888ですか。ちょうどの方、近かった方、ぜひ、コメントを残してください(^^)。

では。

保育士中心の話をした

今日は大阪の高校で模擬授業。国語の授業の話をする予定で行ったら、保育園の先生になりたいという生徒がほとんどだったので、急遽話を変更した。子どもの言葉の発達を脳科学が解明した部分と絡めて保育士中心の話をした。

            ◆

『はい、では授業を始めますので、マフラー取りましょう』

開始と同時に、言う。

一瞬教室に厳しい空気が流れるが、それは仕方がない。授業を受ける。しかも、お客さんがきてくれて授業をしてくれるのであれば、そのぐらいのことをはきちんとできなければならない。私はおそらく一回しか彼女らとは縁がないだろうが、それでもそういうことは言わなければなあと思うんだよね。

(きちんとした話をするのだから、聞くみなさんも、ちゃんと聞くんだよ)

という思いを込めて、一つ一つ反応を確かめながら話をした。
途中からは、ちゃんと聞いてくれた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

子どもを教えるのに、保育園とかなら、簡単だと思ってたけど、自分の声で、その子を振り向かすことが出来るかっていったら、かなり難しいなあと思った! 漢字の覚え方はこれから先とても役立つと思いました。凄くためになる話をありがとうございました。

引用終了 ーーーーーーーーーー

というような感想を多く貰ったので、一安心である。

            ◆

しかし、「子どもを教えるのに、保育園とかなら、簡単だと思ってた」というのはあるんだろうなあ。そう思っている高校生が多いのではないかと、今まで模擬授業をしてきた感触や感想で、なんとなく思っていたので、今日は「簡単ではない」ということも話した。

『私は去年まで中学校の先生をしていましたが、中学生なら頭にきた時は「むかつく!」と言えるし、体調が悪い時は「頭が痛い」と言えます。

けどね、君たちが就こうとしている保育士さんが相手にする子どもたちは、まだ日本語が話せない赤ちゃんから始まって、自分をうまく表現できない子ども、子どもを育てる経験の少ないお母さん。こういう人たちを相手にするんですよ。

だから、君たちに子どもを見る目がないと、子どもが危ないんです。きちんと説明する力がないと仕事が進まないんです。だから、たくさん勉強しないとね』

『例えば、君は国語が好き? ん? まあいいや、国語が好きだとしよう。そして数学は嫌い。ま、君がそうであることは君の人生においてはあることだし、それはそれでまあ良い。だけど、君が数学が嫌いだと言うことで、君が相手にする子どもに数学を教えないというのでは困るよね。

君がお母さんになった時、「私はカレーが嫌いだから、私の子どもにも食べさせません」ってのは変でしょ? 先生になるってことは、色々な可能性を持った子どもたちにきちんと対応できるってことなのね。だから、君は、先生になるんであれば、少なくとも高校生が学ぶことに関しては、すべてをきちんとやっていくことが大事なんだね。たっくさん勉強するんだよ(^^)』

高校一年生の彼女らは、感想を見る限りでは分かってくれたようだ。
ああ、良かった。

2007/02/14

糸井先生の母校

今日の高校での模擬授業は、京都の日本海側まで出かけて行った。なんと糸井先生の母校である。

学校の中に入ると、廊下がとんでもないことになっていた。南からの暖かい風を含んだ低気圧のせいで、校舎の中が結露して、廊下が水浸しであった。追いかけっこをしていた男子生徒が滑って転がっていた。バレンタインデーだけに、興奮しているらしい。

子どもたちは、非常に素直で丁寧な感じであった。廊下ですれ違う生徒の90%以上が挨拶をする。学校と言っても実に色々とあるなあと、高校での模擬授業を通して改めて思う。生徒としても先生としても、どこの学校に行くかによって随分違った人生になるだろうとは思う。

もちろん、違うということと、良い悪いと言うことは別問題であるが。

            ◆

昼ご飯は、ネットで調べておいた駅前の定食屋に入る。刺身定食を頼む。税込み1050円。これで刺身が7種類ついている。お値打ちである。海は荒れていたと思うのだが、新鮮な魚であった。冬の日本海の魚は、やっぱり美味い。

            ◆

今日の内容は、幼児教育分野であった。

赤ちゃんが子どもになる時に、脳みそはどのように変化をしていくのか。それが言葉を獲得する時にどのように影響うするのか。どのようなことが指導者としての先生には大事なのかのような話も含めて行う。

その子どもの一生の土台が三歳までに作られるのであるから、とても大事な仕事であり、学ぶことは沢山あるんだと話した。

            ◆

駅前の魚屋さんで、刺身になる魚を手に入れる。あまて鰈、アジ。卸してもらえると言うので、お店のおばあさんに頼む。甘鯛や蟹にも食指が動いたが、これを買って帰ってしまうと大酒になってしまう恐れがあり、それは耳に良くないと我慢。病気になると我慢を覚えるなあ。なる前に覚えろってf(^^;。

駅からは、タンゴエクスプローラーなる列車に乗る。ディーゼルで動き、「二階だけ」列車である。窓が広くとられており、丹後の海を眺めるのに適した作りである。残念なことに転機が良くなく、青々とした海ではなかったが、冬の日本海はそういうものだろう。

大江、由良など百人一首に縁のある地名を走り抜けて行く。
(「大江山いくのの道のとおければ・・・」って、随分遠くまできていたのね)
(「由良の戸を渡る船人と・・・」って、この川を渡ったのかな)
と楽しむ。百人一首の歌枕も結構回ったなあ。

            ◆

はあ、移動に疲れたなあ。
時間だけなら、東京往復の時間だけ列車に乗っていたからなあ。

よし、明日は大阪の学校だあ。

薄れいく意識の中で、目が覚めた

なんだかしっかりした夢を見て、朝早く起きてしまった。

卒業式なのである。
たぶん、中学校。
どこの中学校かなあ。
和田中学校かな。

卒業式が終わり、最後の学活をして子どもたちを送り出し、忘れ物がないか教室の見回りをしていた時に、
「池田先生、ごめんなさいね。仕方がないの」
と言われて振り返ると、私は毒針を刺されて命を狙われるのだ。

そして、それは半分し方がないと思っている私と、ふざけるなと思っている私がいて。校舎の外からは
「池田先生〜〜〜〜〜、早く!」
と娘たちが声を掛けてくる。
(ああ、死んでしまう。でも、卒業式まで無事にやれたからいいか)
なんて思いながら意識が消えて行く。

(あ、しまった。伝えておくことがあった)
と思い出し、廊下の窓の下にいる子どもたちに呼びかけた。
『金吾、金吾はいるか?』

金吾という教え子を持ったことはない。おそらく、というかほぼ絶対に濱田金吾のことである。80年代の日本AORシーンを代表する歌手、作曲家である。しかし、ほとんど誰も知らない。「横顔のタクシードライバー」「真夜中のテニスコート」など、名曲中の名曲である。でも、知られていない。

なんで、金吾だったのかなあ。
耳がよく聞こえないので、このまま聞こえなくなったらという思いが深層心理にあるのかな。だから、濱田金吾の声を聞きたくなったのかな。

薄れいく意識の中で、目が覚めた。
生まれ変わった気分であった。
うーむ。

2007/02/13

『みんなで国語辞典! これも、日本語』

私は言葉の学習段階には、次の三段階があると考えている。

1)覚える
2)使う
3)作る

である。もちろん、3に行くほど高度な学習を要求する。

この三段階に応じて中学生のために作った授業が、

1)対義語でポン
2)ことわざスピーチバトル
3)人生名言集

である。
これらの授業を行う時に、句会や「たほいや」も合わせて行い、言葉の面白さそのものに触れさせたいと思っていた。

            ◆

『みんなで国語辞典! これも、日本語』(北原保雄監修 大修館書店)を読んだ。この本は、私の定義で言えば、「3)作る」を具現化したものである。読者からの投稿で成立した国語辞典である。

作るには、言葉そのものを作る場合と、存在している言葉の意味を新たに作り出すという二つの側面がある。前者は造語であり、後者は新たな定義付けである。この本は、両方ともやっていて、なおかつ所々に北原先生や編集者からの専門的なコメントや注が入っているという贅沢な本となっている。

1300語程度ということなので、一つ一つを読むと良い。学校で先生が
「いくぞ、みんなで投稿するぞ」
と声を掛けて投稿したと思われる作品群等もあって楽しめる。私が中学校にいたら、やったろうなあと思う。

いくつか、気に入ったものを。

引用開始 ーーーーーーーーーー

・コリント人【コリント人】聖書にある「コリント人への手紙」からとったものの意味を変え、何度同じ失敗をしても懲りない人。「やっぱり彼女はコリント人だね」(和歌山県・中2・女)

・なまあたたかくみまもる【生温かく見守る】温かく見守るわけでもなく、冷たく突き放すわけでもない、ちょうどいい温度で見守ること。(大阪府・高2・男)

・にじゅいっせいきわく【二十一世紀枠】2)実力はないが、同情から認められること。

引用終了 ーーーーーーーーーー

            ◆

なぞかけの「ココロ」の部分を上手く使っているような定義や、そのまま辞書の定義としても十分通用する格調の高いものやらあって、十分に楽しめた。

小学校では厳しいと思うが、中学生以上ならこの「辞書づくり遊び」は十分可能である。

2007/02/12

生意気だけど、謙虚である

ということで、昨日は大阪教育大学の教職サークルから呼ばれて講座。朝起きた時は、耳の調子も比較的いいのだが、時間が経つと元に戻ってしまう。そこで、会場に向かう電車の中ではぐっすりと寝る作戦にした。目が覚めれば耳の調子も良くなるだろうというもの。多少は効果があった。

            ◆

講座は、「コミュニケーション 担任のしごと、授業のしごと 〜教師になる、担任になる、教師である、担任であると言うこと〜」

というタイトルで行った。

大きなタイトルであるなあと、自分でも思ったのだが、先様のリクエストに応えて授業をつくったらこのようになってしまった。

ワークショップも入れて2時間ちょっと。途中、体温のコントロールが出来なくなって、ちょっと活舌が上手く行かなかったり、キッチンタイマーを押すのを忘れて、予定していた時間が過ぎてしまったとか不手際もあったのだが、参加していた学生、教師になったばかりの若手のみなさんの熱心な受講で、乗り切ることが出来た。

            ◆

この時代に教師を目指そうというみなさんは、熱いものを持っている。さらに、わざわざ休日に学びにこようとするぐらいだから、さらに熱はある。だが、その熱だけでやっていけるような時代ではなくなってきているのが、今の学校教育の現場だ。

経験のない若手諸君は、知識、理論、方法、技術を身につけることが大事だ。こうして勉強会に参加して身につけることも大事だし、自分の頭を使って自分なりの方法で身につけることも大事だ。

何回も言うが、教育の世界は限りなく素晴らしいものである。その世界を仕事としてかかることの出来る先生という職業もたまならなく魅力的である。であるから、是非、じっくりとやってほしいなあと思う。気持ちのよい彼らだった。私も協力できる範囲で、彼らに協力しようと思う。

            ◆

懇親会では、さらにいろいろと教育のことを。国語の教師をめざす学生や非常勤講師の先生の近くに座り、いくつかの国語の追求ネタを話す。すると面白いことに、国語の教師は当たり前すぎることなので、どこが問題なのかがわからない。理科や数学の教師を目指す学生の方が
「あ〜〜〜〜〜〜、ほんまや。おかしい、おかしい!」
と叫んでいる。

一つだけ例を言えば
「彼の性格を一言で言えば、負けず嫌いということである」
の文。これ、良く考えるとおかしいですよね(^^)。

だんだん、どこがおかしいのかが分かってくるのだが、そこで私が一言。

『家に帰ってすぐにインターネットで、調べては「だめです」よ』
「え?」
『まず、自分の頭を使って、持っている知識を総動員して仮説を立ててください。そして、その仮説が立ったら、ネットに向かってください。そうすれば、ネットでの作業は調べるではなく、検証になります。子どもたちにもこれをさせてくださいね』
「はい。でも、・・・」
『でも?』
「気になります。気持ち悪いです」
『はい。結構結構。それが学ぶことの始まりです(^^)。子どもたちにもその「健全な気持ち悪さ」を、授業で味合わせてあげてください』

            ◆

店を変えて話を進めると面白いことに。
「思うんだけど、みんなな。先生の話にすべてうなずくだけでなく、ここは違うとかいう【噛み付くこと】が大事なんじゃないか」
と話す元気のいい受講生がいる。
『その通り(^^)』

そうこなっくっちゃ学びはない。
(ああ言っているけど、本当のところはどうなの? オレの身近な例ではそうななっていないけど、それはどうして?)
と「我がごと」に引き寄せて考えることが、将来子どもの前に立つときに大切な練習になると思う。先生は、自分の目の前の子どもに具体的に働きかけるのである。

「生意気だけど、謙虚である」

若者はそうでなくっちゃ。

            ◆

朝、起きるとメールが複数届いている。
昨日の受講生からの御礼のメールだ。
こういうことが、できる若者が少しずつだけど増えてきていると私は感じている。折角メールというツールがあるのだから、使わなければもったいない。

さあて、返事を書くか。

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